二日目・・・明石へ。

 一夜明けて、今回の旅行のメイン?明石へ旅立つ一行。管理人は前もって伊丹市在住の友人から「微妙だよ」との意見をもらっていた。しかし理系と文系(しかも源氏好き)の意見は違うであろうと、話半分に聞いた上で朝を迎えた。

・風俗博物館
 発表なし。しかし管理人お気に入りのスポットで、去年の旅行でも訪れた場所。去年は狩衣なんかを着てみて調子に乗ったあげく模型はほとんどみなかった管理人だが、今年は違う。何と言っても今年の管理人は建築を学ぼうとしているのである。他人のカメラを借りて撮影三昧、先生を独占しての質問攻めなど各方面から顰蹙を買う行動をする。密かにテンションは最高潮。メジャーを持っていかず、柱の太さなどを測れなかったことを今でも悔やんでいる。模型で持ち時間の5分の4は消費した。去年は貸し切り状態だった衣装周りに結構人がいたので。

 そして、明石へ。

・善楽寺、無量光寺、蔦の細道
 文学好きの殿様で知られていた明石藩主松平忠国は、明石を舞台とする「源氏物語」を愛し、光源氏・明石入道に関する文学遺跡を作ったといわれている。
 善楽寺は、明石入道の浜辺の館があった場所とされている。大化の改新ころに法道仙人によって創建された明石で一番古い寺である。この館は光源氏に提供され、彼の仮住まいとなった。そのさまは都に劣らないほどであったようだ。ここに松平忠国は明石入道の墓を建てた。この辺りからは遠く淡路島も眺められたようである。無量光寺は光源氏が月見をした寺、物語の源氏屋敷として知られる。寺の山号を「月浦山」というのはそのためと思われる。昔は境内に源氏屋敷、源氏月見の松があった。また、蔦の細道は無量光寺の裏にある道であるが、源氏が岡部の館に通うときに通った道である。当時は四方の浦々を見渡せるほど開けていたと考えられる。岡部の館までは約5.6km。
 源氏を好む人々にはたまらないスポットだと思われるが、伝承地に過ぎないためにちょっと盛り上がりに欠けるものがある。石碑ばっかり何個も見たな〜、という思いが今となっては先に立つ。しかし、岡部の館跡の石碑は捜すのに苦労しただけに喜びもひとしおだった。実際、ホントにけっこうどうでもいい石碑(しかも新しい)なような気もするのだが、なぜか妙に印象に残っている。

さらに、大阪へ。

・住吉大社
 『古事記』における底筒男神、中筒男神、表筒男神からなる「筒男三神」、また息長足姫命(神功皇后)を祭神とする神社。住吉大神はイザナキの祓に際して現れたという記紀の諸伝や、神功皇后の征西に神威をあらわしたとの伝承から、禊祓・玉体奉護・海上平安による信仰が著しく、摂津の住吉大社をはじめ全国に二千数百社にわたる神社が存在する。住吉大社本殿の形式を住吉造といい、古い形式を保つ。本殿四宮の祭神は第一宮が表筒男、第二宮が中筒男、第三宮が底筒男、第四宮が姫神宮とされており、東西に三つ独立して並ぶ。これは神社の本殿は南面しているのが普通であるから、住吉大社の場合は特殊であるといわれる。神功皇后は『古事記』からもわかるように筒男三神を「祭る人」であったが神格化されたため住吉三神を「祭る人」は祭られる神功皇后であるという構図になる。
 少し雨が降っていたが、お参りをする頃には晴れた。ありがたいことである。日ごろの行いのよっぽどいい人がいたのだろうか。ちなみに管理人は行いが悪い。一年生は朱印帖を手に入れ楽しんでいたようで何より。管理人はタイガースがお供えしたと思しき虎柄?のお神酒を眺めて楽しんでいた。暗い。大阪はテンポが速い町だというが、それは本当だなと思う。立ち止まることが許されないような勢いだった。周りの関西弁も堂に入っていてわたしなどは結構たじたじであった。しかし大阪駅のキオスクで管理人はちゃっかり「阪神タイガースイヤーブック」を買ってご機嫌だったりもした。

 京都に戻ってからは一時間くらい自由行動。皆様が何をしたのかはわからないので、管理人の行動を記してみる。
 まずは伊勢丹へ向かう管理人。目的は茶寮辻利だった。というのもここのお茶は非常に美味しく、甘味もすばらしいのだった。ただし喫茶はとっても混んでいる。この日も既に5時だったのに長蛇の列だったので、食べるのは最初から断念し抹茶クッキーと煎餅を購入した。これでお土産は終了にするつもりで。そのあと京都タワーに行った。先日東京タワーに行ったらかなり美しい夕日と夜景が見られたので、京都でも見てみようかなという適当な動機だったが、展望台には770円も払わないと行けないので断念。さっきから断念してばっかりだ。そしたら時間があまったので、近鉄のショッピングモールのようなところに行き、ちょっと品物を眺めてみた。東京にもある店ばっかりなのに、なぜか堪能する。
 夕食で管理人は、先生に好き嫌いが多いと指摘される。そんなこともないんだけどなぁ。

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