第85回全国高等学校野球大会開催記念中日選手の甲子園

中日の選手の中には多くの元高校球児がいますがその中でも憧れの甲子園
グランドに立てた人はごくわずか。
あのH元監督でさえ甲子園は憧れのままだったらしい。
そんな中、あの甲子園で脚光を浴びた中日の選手達を当時の写真と共に改め
クローズアップしてみようというのが企画の趣旨です。

福留孝介選手
言わずと知れたPL高校の最強と言える4番打者。
1年生の秋からPLの4番の座に座り、甲子園の初出場は2年生となった94年の春の選抜(ベスト4)。そして3年生となった95年には春(1回戦)・夏(ベスト8)連続出場を果たす。しかも、この年の春の甲子園ではなんと福留選手がマウンドに立ったことがあるのだ。しかも、その相手というのが千葉県の銚子商業相手に。(注目の投手成績は2/3回投げて打者2人に奪三振1、被安打0という成績だった。)夏の大阪府大会では、あの清原の大会記録を抜く7本塁打を樹立。大物の片鱗を伺がわせた。甲子園でも初戦の北海道工戦では満塁弾を含む2つの特大ホーマーを放ち、観客の度肝を抜いたがその後の試合では相手投手にマークされて本塁打こそ出なかったもののバッターボックスに立つときの貫禄、スイングスピード、打球の速さどれをとっても一級品の折り紙つき。その上チャンスに恵まれるという運にも恵まれて結果を残してプロのスカウト達の印象に残った。 
そしてその年運命のドラフトでは・・・。


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