シドニーオリンピック2000 アジア地区最終予選壮行試合
U−22日本代表 対 U−22韓国代表

1999年9月7日(火)19:00キックオフ
東京・国立競技場 17ゲート前段D列18番

久しぶりの代表の試合を奮発して指定席で観ることにした。
平日の開催ということもあり、チケットの売れ行きが思わしくないという情報もウソではなかったようで、バックスタンド側、ややアウェーよりの前から4列目の席を確保することができた。
綺麗に刈りそろえられた芝の緑をみると、毎度のことながら自ずと気分が高揚するのだが、ピッチから非常に近い位置で観られる喜びが、その気分に追い討ちをかけていた。

本来、この試合はシドニー五輪出場を賭けて、10月から始まるアジア最終予選を勝ち抜くための、最終調整の場でなければならない。
よって、メンバーや戦術はほぼ固定されていなければならない。
だが、怪我人が続出し戦線離脱選手が相次いだこと、トゥルシエ監督が掲げるフラット・スリーシステムが未だ定着してないことなどを理由に、メンバー間の連携や選手の戦術理解を徹底するための、おおよそ最終調整とは言い難い、不安材料の山積したままの試合となった。
なかでも、小野伸二の左膝内側側副靭帯断裂による戦線離脱は大きく、その穴を埋めるべく手を打たれた策が中田英寿の起用である。
「ヒデが出場する」
このことが話題を呼び、当初売れ残っていたチケットもほぼ完売し、44,506人の観衆を集めた。
殆どの観衆がヒデを追った。ヒデのキラーパス、ヒデのシュートを期待した。
ヒデがコーナーキックを蹴る際、スタンドから声援が送られ、容赦なくカメラのフラッシュがたかれた。

各国の代表同士がサッカーの試合をした場合、それが親善試合であっても、選手は国を賭けた真剣勝負を行う。
「国を賭けた」は少々大袈裟な言い方かもしれないが、サポータは自国チームの勝利を選手に託して観戦するのだから、このような表現もまんざら的外れでもないだろう。
ヨーロッパの国々では、出来の悪いプレーをした選手は、それがどんなに有名な選手でも代表をはずされる。また、サッカーファンからバッシングをうける。特に自国内で行われる試合など、少しも気を抜くことは許されない。
自国の勝利をサポーターから託された選手はそれゆえ、足が痙攣していることに気づかないほど走る。
そして選手は、勝利という至福の喜びを手にするのである。

一方サポーターは選手に託したのだから、試合が始まってしまえば、ひたすら待つのみである。
サポーターに許されるのは、選手を激励し、鼓舞する声援・拍手のみである。
そして、勝利と言う喜びを、選手から分けてもらうのだ。
そんな中で「こっちを向いてくれ」と言わんばかりに選手の名を叫ぶのは場違いであろう。

結果的に、この試合だけを見れば、最終予選を勝ち抜くだけのパフォーマンスをU−22日本代表は発揮することができた。
しかし、タイやカザフスタンに勝ったわけではない。決して楽観視はできない。

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