咲村の「極私的・20世紀の『名馬』」

咲村が「名馬」だと思う馬達を、活躍した年代順にリストアップしてみました。一応、2000年9月現在、現役の馬は、評価が定まっていないとしてリストから省いてあります。もちろん、100頭いる訳じゃありません。馬名の後ろ、カッコ内の数字は「20世紀の名馬大投票」での順位(1000位以内)です。
馬 名(投 票 順 位)
コ メ ン ト
ワカタカ(118) 記念すべき第1回日本ダービー優勝馬。関係者だった親戚の家に、優勝記念のブロンズ像が保管されているらしい。戦時中の金属供出にも応じなかったそうな。
ヒサトモ(257) はじめてダービー・天皇賞を制した牝馬。繁殖入りするも、戦後地方競馬に引っぱり出され、昭和24年、浦和競馬場の厩舎で死亡。悲劇的な後半生を過ごした。
クモハタ(205) 8大競走はダービーの1勝のみだが、種牡馬として天皇賞馬7頭を送り出すなどして活躍。最初に成功した内国産種牡馬。
セントライト(97) 初の3冠馬。軍馬育成のために設けられていた、体高制限が撤廃されたことでデビューが可能になった大型馬。ダービーの着差8馬身は、いまだに破られない大記録。
クリフジ(84) ダービー6馬身、オークス・菊花賞は大差勝ちと、同世代とは次元が違った無敗の牝馬。デビューに手間取り、皐月賞と桜花賞には間に合わなかったが、もし出ていたら、クラシック全勝という空前絶後の記録が生まれていたかもしれない。また、産駒ヤマイチが桜花賞・オークスを勝ち、初のオークス母子制覇を達成。主戦の前田長吉は最年少のダービージョッキーと、とにかく記録が多い。4歳で天皇賞を制したハッピーマイトの全妹。
シラオキ(−) 8大競走では、ダービーでタチカゼの2着が最高だが、繁殖入りしてダービー馬コダマとシンツバメで産駒の皐月賞連覇を達成。また、それ以外にも一族から活躍馬を多数輩出し、俗に「シラオキ系」と呼ばれる名牝系を確立した。スターロッチと共に、日高の馬産を支えた功労者。
トキノミノル(44) 東京競馬場の銅像でもお馴染みの「幻の馬」。10戦10勝、うち7回がレコード勝ちで、旧名パーフェクトの名前通りの成績だった。ダービー制覇直後、破傷風で死亡。
オパールオーキット(612) 初めて天皇賞を制した外国(オーストラリア)産馬。元はといえば、昭和27年に公営大井競馬が輸入し、抽選馬となった30頭の牝馬のうちの1頭で、地方競馬出身の天皇賞馬第1号でもある。
メイヂヒカリ(202) 「競馬の神様」大川慶次郎さんゆかりの名馬。第1回有馬記念(中山グランプリ)優勝馬でもある。
ハクチカラ(151) 海外ではじめて勝利した日本馬。種牡馬入りした後、インドに寄贈されるなど、最後まで「海外」で活躍した馬だった。
ガーネツト(289) 天皇賞・有馬記念を制した牝馬。オーナーブリーダー、畑江五郎の最高傑作。
コダマ(82) 皐月賞・ダービーの2冠。管理していた武田文吾いわく「カミソリ」の切れ味を持ったスピード馬だった、らしい。馬名の由来は特急「こだま」らしい(^^;
スターロツチ(250) 4歳で有馬記念を制した唯一の牝馬。オークスなどを制した競走成績もさることながら、俗に「スターロッチ系」といわれる名牝系を築いた繁殖成績が偉大。
メイズイ(99) 皐月賞・ダービーをレコードで制した2冠馬。グレートヨルカとの2強対決になったダービーは、余りの人気の集中に「銀行ダービー」といわれた。
シンザン(7) いわずと知れた5冠馬。・・・だが、実は宝塚記念も制しており、現在の数え方では「6冠」。この5冠は、当時牡馬が獲ることのできる、全ての8大(G1級)競走を制した、という、当時としては空前絶後の記録。しかも種牡馬入りした後、送り出した産駒は天皇賞馬(ミホシンザン)をはじめ、1400mのレコードホルダー(スガノホマレ)など、距離不問。万能の繁殖成績を残した。また、サラブレッドの長寿日本記録を樹立するなど、この馬を超える馬は、いまだに出ていない・・・と思う。
カブトシロー(92) 天皇賞・有馬記念を制した馬だが、人気になると惨敗、いいかげん人気が落ちると突如好走・・・と、人をバカにしたかのようなレースをした。人呼んで「新聞の読める馬」という、希代のクセ馬。
キーストン(69) ダイコーターと好勝負を繰り広げたダービー馬だが、人々の記憶に残っているのは6歳時の年末に行われた阪神大賞典。足を骨折、転倒するも3本足で立ち上がり、落馬した山本正司騎手の安否を気づかうように顔をすり寄せた。この直後に安楽死。死後リリースされた「キーストンブルース」に、今も涙するオールドファンも。
スピードシンボリ(33) 4歳時は不振だったが、古馬になって本格化。有馬記念連覇のほか、天皇賞・宝塚記念を制した。それよりも、アメリカ・ヨーロッパへの海外遠征で、関係者の目を海外へ向けさせた功労者。母の父としてシンボリルドルフを送り出す。
タケシバオー(39) 同期のアサカオー・マーチスと3強を形成、クラシックには縁がなかったが、5歳時には8連勝など最強を誇った。距離の長短、斤量、芝・ダートのコースの違いも関係ない万能馬で、天皇賞を勝った同じ年に、スプリンターズステークス(当時は「英国フェア記念」)を62kgの斤量でレコード勝ちする馬なんて、もう絶対出てこないだろう。レースは施行されていないが、ダート1700mのレコードをいまだに保持。
トウメイ(41) 桜花賞2着、古馬になって天皇賞・有馬記念と連覇した牝馬。繁殖入りして、テンメイで唯一の天皇賞母子制覇を成し遂げた。長寿でも知られる。
アローエクスプレス(250) タニノムーティエ最大のライバル。クラシックでは全敗したが、種牡馬入りして立場は逆転。桜花賞・オークス馬テイタニヤを出すなど、内国産種牡馬のエースとして活躍した。母ソーダストリームは代を下って桜花賞馬プリモディーネを輩出。
タニノムーティエ(56) ノド鳴り(喘鳴症)に苦しみながらも皐月賞・ダービーを制した。3歳時に9戦を消化するなど、体力的にはタフで、ものスゴい末脚の持ち主だった、らしい。引退後、目だった繁殖成績を挙げられなかったのが惜しまれる。
ヒカルイマイ(63) 母系がサラ系、生産したのは小さな牧場・・・という、巨人・上原のような「雑草魂」で皐月賞・ダービーを制した。ダービーでは掟破りの、後方25番手からの追い込みを決めた。「必殺仕事人」田島良保がダービー後のインタビューで「ダービーに乗った感想は?」という質問に「オレはダービーに乗ったんじゃない、ヒカルイマイに乗ったんだ」と答えた話は有名。
タイテエム(110) 4白流星(正確には「作」に近い)のスタイルで「貴公子」と呼ばれた天皇賞馬。この天皇賞はドロドロの不良馬場で、せっかくの美しい馬体が、泥まみれの真っ黒になってしまったのが皮肉(^^;
タニノチカラ(80) ロングエース・ランドプリンス・タイテエム・イシノヒカル・ストロングエイト・ハクホオショウらと「最強世代」を形成した、タニノムーティエの半弟。が、4歳時を骨折で棒に振り、6歳時の有馬記念を圧勝するも、ハイセイコーの引退に印象が薄くなるなど、どうにも「間が悪い」印象が強い。種牡馬入りするも早世、目立った産駒も出せずに終わった。
トーヨーアサヒ(547) 別名「走る精密機械」。憎らしいほどのイーブンペースで逃げ、レースをコントロールしたステイヤー。
ハイセイコー(8) 咲村の競馬の原点。主戦騎手・増沢末夫を「ザ・ベストテン」に出演させるほど、国民的な人気を博した。彼が転出した後の大井競馬場のサビれ方が、これまたスゴかった。種牡馬としてもクラシックホース(皐月賞馬ハクタイセイ)を送り出すなど成功した。
タケホープ(29) ハイセイコー宿命のライバル。両馬の引退レースとなった5歳時の有馬記念、テレビ中継では2着争いなのに両馬の叩き合いをクローズアップした。ほとんど実況で触れられなかった、5馬身前方の勝ち馬、タニノチカラの立場は・・・(^^;
キタノカチドキ(78) 馬連導入前、強豪馬の証だった「単枠指定」の適用第1号。先頃引退した大相撲の北勝閧(きたかちどき)の襲名会見で、親方が「『ノ』は入りませんよ(笑)」というギャグをかましていたのが思い出される。
カブラヤオー(36) 史上最強のダービー馬。府中の2400m、テンの1000mを58秒台で通過し、そのまま逃げ切った馬を他に知らない。他馬を怖がる欠点を最後まで隠し通した。主戦の菅原泰夫は、テスコガビーと合わせ、春のクラシック全勝という大記録を作った。
テスコガビー(64) 桜花賞を大差、オークスを8馬身で逃げ切った女傑。4歳春の時点では、カブラヤオーより実力は上だったかもしれない。現役中、心臓マヒで急死したのが惜しまれる。
エリモジョージ(57) 「天才」福永洋一との名コンビで知られる天皇賞馬。休養中のえりも農場で火災に巻き込まれた後の栄冠だった。馬券的にはムラッ気でアテにならず「気紛れジョージ」の別名も。
テンポイント(14) これほど気品あふれる栗毛を見たことがない。まさに絵に描いたような名馬だった。杉本清の名実況も印象的だが、寺山修司が贈った挽歌「もし朝が来たら」は傑作。
トウショウボーイ(22) テンポイント宿命のライバル。中距離までなら、この馬が一番強かった。4・5歳時の有馬記念は、20世紀最高の名勝負。種牡馬として3冠馬ミスターシービーを出すなど、産駒がよく走り「お助けボーイ」の別名でも知られた、静内馬産の功労者。
グリーングラス(26) テンポイント・トウショウボーイと共に「TTG3強」と称せられた。トウショウボーイと同じレースでデビューするも、惨敗。4歳秋から本格化して菊花賞・天皇賞・有馬記念を制した晩成型のステイヤー。全員有馬記念を制した「3強」はこの世代だけ。咲村が最初にホレた馬。
ホワイトフォンテン(215) 「長距離の逃げ馬」の格言を地でいった芦毛馬。ニックネーム「白い逃亡者」は寺山修司の手によるもの。それにしても父の名が「ノーアリバイ(アリバイなし)」というのはできすぎていた。咲村が最初に意識した芦毛。
マルゼンスキー(32) 最後のイギリス3冠馬、ニジンスキーの直仔。当時クラシック出走が認められなかった「持ち込み馬」で、圧倒的な力、ケタ違いのスピードで「外車」「スーパーカー」と呼ばれた。日本短波賞で、後に菊花賞をレコード勝ちするプレストウコウを直線だけで7馬身ちぎるなど、8戦8勝。出られていたら3冠も夢じゃなかったかも。
メジロファントム(299) 現G1級では2着が最高だが、重賞3勝。いつも健闘する姿が印象的だった。横山典弘騎手が「父(横山富雄)が乗った馬でよく覚えている」1頭。引退後、東京競馬場の誘導馬として多くのファンに親しまれた。咲村も好きだったが、今思えば何となくランニングフリーにキャラが似ているかも(^^;
シービークロス(238) 別名「白い稲妻」。「追い込み一代」吉永正人との名コンビで、多くのファンを魅了した。ホワイトストーン・タマモクロスの父。
アンバーシャダイ(140) 4歳時は振るわなかったが、5歳秋に本格化。有馬記念・天皇賞を制したステイヤー。実現しなかったが、アーリントン・ミリオン遠征が計画されるなど、大種牡馬ノーザンテーストの評価を確立させた、初年度産駒にして最高傑作。『じゃじゃ馬グルーミンUP!』に登場するストライクイーグルの父、ダイゴアンバーのモデル。
ミスターシービー(18) 「追い込み一代」吉永正人を背に、怒涛の末脚で駆け抜けた4冠馬。坂の登りで仕掛けた菊花賞も印象的だが、5歳時の毎日王冠で見せた末脚がスゴかった。父母が同じレースでデビューするという因縁を持ち、双方とも逃げ・先行馬でありながら、自身は追い込み・・・と、血統の不思議さを感じさせた。
ニホンピロウイナー(95) ミスターシービーと同世代の名マイラー。5歳時のグレード制導入によって名馬への道が開け、安田記念・マイルチャンピオンシップを制した。種牡馬でも成功。
シンボリルドルフ(6) 日本競馬史に燦然と輝く7冠馬。無敗で3冠を制し、無理をしないで確実に勝つ、という完璧なレースを見せた。負けたのは、体調を崩していた4歳時のジャパンカップと休み明けだった5歳時の天皇賞(秋)のみ。それも複勝圏の3着以内で、国内では敵なしだった。シンボリ牧場のオーナーブリーダー、和田共弘の最高傑作。
ミホシンザン(87) 5冠馬シンザンの最高傑作。皐月賞制覇後、骨折でダービーに出られず、3冠を逃したのが惜しまれる。6歳でも天皇賞(春)を制覇、父譲りの「ナタの切れ味」を見せつけた。
ニッポーテイオー(146) 安田記念・マイルチャンピオンシップだけでなく、天皇賞(秋)も制した名マイラー。妹タレンティドガールも、エリザベス女王杯でマックスビューティの牝馬3冠を阻止したG1馬。
マティリアル(192) 最初から海外遠征を視野に入れ、オーナーの和田共弘は冠名の「シンボリ」をあえて使わなかった。スプリングステークスで、最後方から差し切った「奇蹟の末脚」は鮮烈だった。その後骨折に苦しむが、京王杯AHを一転先行策で復活勝利。が、ゴール直後に再び骨折し、悲劇的な最期を遂げた。
メジロラモーヌ(53) 史上唯一の牝馬3冠。しかもトライアルレースも全勝と、この年の4歳牝馬戦線を完全に牛耳った。メジロ牧場とシンボリ牧場が共同所有していた種牡馬、モガミの最高傑作。繁殖成績が振るわないのが惜しい。
ランニングフリー(253) 咲村の競馬観を変えた馬にして、最愛の馬。いつも全力を尽くして健闘する姿、明け9歳まで故障休養なしで走り切った「無事是名馬」の典型。実は右後肢の球節に爆弾を抱えていた。
タマモクロス(24) 豪腕・南井克巳を背に、4歳暮れから一気に出世、天皇賞春秋連覇含むG13連勝を達成した「昭和最後の名馬」。妹ミヤマポピーもG1(エリザベス女王杯)馬。
オグリキャップ(3) ヌイグルミがバカ売れするなど、競馬ブームを巻き起こしたアイドルホース。クラシック登録のなかった彼によって、クラシックの「追加登録」制度が作られたという点でも、歴史を作った。アイドル的人気と裏腹に、闘志の塊のような馬だった。
ロジータ(190) 公営川崎競馬の所属馬で、初めて南関東公営4冠(羽田盃・東京王冠賞・東京ダービー・東京大賞典)を達成した牝馬。ジャパンカップにも出走し、当時の公営ファンの間では、アイドル的な人気を博した。その名は川崎競馬の交流重賞「ロジータ記念」に残る。
メジロマックイーン(12) 史上初の親子3代天皇賞馬。スピード・スタミナに、卓越したレースセンスを兼ね備えた馬だった。父のメジロティターンは受胎率が悪く、数少ない産駒での結果。天皇賞制覇に執念を燃やした、メジロ牧場の北野豊吉の夢の結晶。
トウカイテイオー(5) 7冠馬シンボリルドルフの最高傑作。ノーブルな顔立ちで、ツナギの非常に柔らかい馬だった。母親譲りの足下の弱さに苦しんだが、3000mを超えた距離の適性は疑問が残る。
フジヤマケンザン(156) 日本馬ではじめて、海外のグレードレースに優勝。テンポイントを生産した、吉田牧場ゆかりの血を凝縮させた馬。テンポイントの無念を香港で晴らした。咲村は菊花賞で本命に据えたのだが、3着に泣いた(^^;
ミホノブルボン(17) 調教師・戸山為夫のスパルタ調教のもと、短距離血統ながら皐月賞・ダービーを圧勝した快速馬。3冠はならなかったが、菊花賞2着で強さをアピールした。
ライスシャワー(11) ミホノブルボン・メジロマックイーンの大記録を阻止するなど、悪役のイメージが強くなってしまったが、咲村はダービーから本命に据えていた。3000m以上では無敵を誇った、恐らくは20世紀最後のステイヤー。最後の調教ゼッケンは「2038」。
サクラバクシンオー(74) 6歳時に国際競走となったスプリンターズステークスをレコードで連覇。おそらくは当時、世界最速だったかもしれない。
ノースフライト(35) 安田記念・マイルチャンピオンシップを連勝し、サクラバクシンオーと好勝負を繰り広げたマイルの名牝。安田記念に来た海外馬陣営から、ブリーダーズカップマイルの出走を勧められた、というエピソードも。女性厩務員が担当した、初のG1馬でもある。
ウイニングチケット(45) 柴田政人に悲願のダービータイトルをもたらした、文字通り「勝利への切符」。
ビワハヤヒデ(20) 持ち込み馬だが、珍しい「福島産馬」。連を外さない堅実な走りでG1を3勝した。ナリタブライアンの兄。・・・とにかく顔がデカかった(^^;
ナリタブライアン(1) 5歳の阪神大賞典までは破格の強さを誇った、シャドーロールの3冠馬。ダービーではずっと大外を回り、5馬身離して勝つ異次元の強さを見せた。3歳時と、故障して以降の陣営のローテーションには、異論も多い。
ヒシアマゾン(21) 4歳時のクリスタルカップで見せた末脚はスゴかった。「逃げ」専門と思われていた中館英二騎手のイメージも、この馬によって変わった?
エアグルーヴ(9) 42年振りにオークス母子制覇を達成、16年振りに牝馬として天皇賞に勝つなど、男まさりの活躍をした名牝。これからの繁殖成績に注目。
ランニングゲイル(482) 咲村のホンネをいえば「名馬になり損ねた馬」。つくづく4歳夏、社台ファーム放牧中に発症した(らしい)トウ骨骨膜炎が残念でならない。
タイキシャトル(16) 引退レースでミソを付けたが、間違いなく当時世界で1、2を争うトップマイラーだった。伝統のジャック・ル・マロワ賞を単勝1.3倍、ガチガチの一番人気で勝ったのは見事というほかはない。
グラスワンダー(13) マルゼンスキーの再来を思わせた3歳時。4歳以降、1度も完調でレースに臨めなかったにもかかわらず、グランプリレースを3連勝。完璧に仕上がれば、凱旋門賞で勝ち負けしたかもしれない。
エルコンドルパサー(10) 海外を含めて連対率10割。2000年シーズンのモンジューの強さを見ると、アウェーでクビ差の勝負をした凱旋門賞は、モノスゴイことだったんだ、と実感する。
スペシャルウィーク(2) グラスワンダー・エルコンドルパサーには先着できなかったが、ジャパンカップでモンジューを完封して優勝。相対評価で世界最強の1頭であることを強くアピールした。・・・メンツにこだわらず、凱旋門賞に行けばよかったのに・・・(T_T)

番外(その他の馬)

馬 名
コ メ ン ト
ウラヌス(競技馬) 1932年のロサンゼルス五輪で、日本馬術史上唯一の金メダルを獲得した、西竹一の愛馬。管理を担当していた咲村の親戚が詳細な飼養記録を付けていたのだが、戦後のドサクサで日本競馬会を名乗る人物に騙し取られ、行方不明に。貴重な資料は闇に消えた。
トウルヌソル(種牡馬) 皇室所有の下総御料牧場(現在、敷地は成田空港に)が輸入した種牡馬。6頭のダービー馬を出すなど、初期のステイヤー系種牡馬として一時代を築いた。
ダイオライト(種牡馬) 初の3冠馬、セントライトの父。下総御料牧場が輸入したスピード系の種牡馬で、その名は公営・船橋競馬の重賞「ダイオライト記念」に残る。
チャイナロック(種牡馬) 20代後半でも現役種牡馬として種付けにいそしんだ「性豪」。距離適性は万能で、スピードとパワーに優る馬を送り出した。タケシバオー・ハイセイコーの父。
テスコボーイ(種牡馬) 日高の軽種馬農協が導入した種牡馬。スピードに溢れた活躍馬を続々送り出し、プリンスリーギフト系ブームを巻き起こした。静内町・20間道路入り口にある「桜舞馬公園(おうまいホースパーク)」に銅像がある。
パーソロン(種牡馬) シンボリ牧場が導入した種牡馬。自身は2流のマイラーだったが、産駒はオークス4連覇など、長距離でも活躍馬を出した。代表産駒はシンボリルドルフや、メジロマックイーンの祖父メジロアサマ。日本でバイアリー・タークの血統を定着させた功労者。
キューピット(繁殖牝馬) 荻伏牧場が導入した繁殖牝馬。産駒からはオークス馬ヤマピット、子孫からハギノトップレディ・ハギノカムイオー・ダイイチルビーなどを輩出。「華麗なる一族」の祖。


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