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ひでママさまに愛を込めて・・・          YES OR NO ?

            
               
            
             
『だって「今晩しかないの」って言うんです〜』
 と電話の向うでアメリアは熱く語るのである。
『遠距離恋愛なんですよう。淋しい淋しいって言ってるのいつも聞いてましたし・・・。彼が出張でこっちに来てて、明日には帰っちゃうそうなんです。だからもう今晩しか会えないんですよ。なのに居残りなんてかわいそうじゃありませんか〜』
「それで、俺との約束があったにもかかわらず、同僚の彼女の残業を代わってやった、と」
 ゼルガディスはベッドサイドに腰掛けたまま、オンフックにした電話に静かに問いかけた。
「お前はこう言いたいわけか」
『高校の時からずっとつき合ってるんですって。すごいですよね〜。幾多の困難にもめげず長い年月をかけて育まれてきた愛ですよ!なんて素晴らしいっ!!』
 ぶん、と雑音が入った。どうせ携帯を握りしめたままガッツポーズでもしているのだろう。
『ね?ね?ゼルガディスさんも応援したくなったでしょ?』
「ならんな」
『そんなあ』
「何が「そんなあ」だ」
 片手のコーヒーを一気に空ける。
「言っておくがこっちが先約だったんだぞ」
『ごめんなさい〜。わかってます。わかってますからそんなに怒らないで〜』
「怒ってない」
『怒ってますよううう』
 アメリアの声が半泣きになる。
『ほんとにすみません・・・。でもでも、わたしはゼルガディスさんに会おうと思ったらいつでもすぐ会えるけど、彼女は次に彼とあえるのはもう何ヶ月も先になっちゃうんですよ。なのに助けてあげないなんてぜったいぜったい正義じゃありません!!』
「俺との約束を破るはいいのか?」
『ゼルガディスさん〜〜』
「・・・。泣くな。わかった」
 ためいきまじりに煙草に火をつけると、ゼルガディスは受話器を手にとった。
「そんなにかかりそうなのか」
『?残業ですか?』
「ああ」
『今日中には帰れそうにない・・・デス』
 えへへ、と困ったような笑いが響いてきた。ゼルガディスはベッドサイドの時計を見る。7時半をちょうど回ったところだ。
『パソコンに数を打ち込むだけなんですけど、なんだかうまく行かないんですよね。いやになっちゃう。計算が合わないままの所もあるし』
 ほんとにもううっ、などと大声でぶつぶつ愚痴っている。彼女は彼女でお疲れのようだ。アメリアはもともとコンピュータいじりも計算も得意ではない。
『なんでー、今日はいつもの「おやすみなさい」コールできそうにないので、今のうちに言っときま〜す。あ、そうそう。ゼルガディスさんはお仕事の方、どうですか?』
「今朝一段落した。おかげさまでな」
 特殊プロジェクトを担当している関係で、ゼルガディスはここ2ヶ月ほどまともに寝ていない。アメリアとも半月以上前に会ったきりである。今日はそんな中ようやくとれた休みだったのだ。・・・アメリアには言っていないが。
『よかったですね〜!お疲れさまでした!!心配してたんですよ。ゼルガディスさんあんなにがんばってたですものね〜。ゆっくり休んで下さいねっ。でもほんとはわたしもとっても淋しいです。ゼルガディスさんに会いたかったですぅ・・・。次のお休みの時は絶対空けておきますからね!じゃあ!おやすみな』
 ゼルガディスは時計を見ながら立ち上がった。
「いつまでだ」
『さーい・・・え?』
「その仕事の期限はいつまでなんだ」
『明日の朝一で提出です・・・けど』
「今オフィスだな。適当に切り上げられるか?」
『適当って』
 アメリアの困惑した顔が目に浮かぶ。ゼルガディスはポケットの車のキーを確かめつつ、
「続きは俺の部屋でやればいい。資料とディスクを忘れるなよ」
『え!?いいんですかっ!?』
 アメリアはゼルガディスのパソコンの使い方を知らない。ゼルガディスの部屋でするということは、とりもなおさず他ならぬ彼自身が残業をやってやると言っているようなものなのである。アメリアは素直に喜色溢れる濁点声を張り上げたが、すぐに、
『ううん、やっぱり自分でやります。わたしが代わった仕事なんだし、ゼルガディスさんまた明日も仕事でしょう?きっとたぶん大丈夫です!ゼルガディスさんは安心してゆっくり休んでて下さいっ』
 「大丈夫」に「きっとたぶん」などと付くあたり、実はよほど自信がないと見える。ゼルガディスは苦笑した。こっそり悪戯っぽい眼差しで携帯を必要以上に口元に近付けると、わざと音を籠らせて囁くように言う。
「俺は大丈夫じゃない」
『?』
「眠れないんだ。・・・前に会ったのはいつだと思ってる。二週間も前だぞ。これ以上ガマンしろっていうのか?」
『なっ・・・』
「「なっ・・・」、どうした」
『ゼルガディスさんのえっちーーーーー!!!』
「一時間でそっちに着く」
 ぶっつん。
 何だかものすごい音を立てて電波は途切れた。姫君はおそらく、頭の中を彼のことで一杯にし、携帯をいやと言うほど握りしめ、真っ赤な顔でもして自分のデスクに向かっていることだろう。この手のリアクションは決して期待を裏切らない彼女なのである。ゼルガディスは普段はみせぬどこか子供っぽい微笑を浮かべ、扉へと向かった。
   
    
   
 途中から雨が降り出した。
 街路樹に囲まれた閑静なオフィスのエントランスに、人影が4つ浮かんでいる。ゼルガディスはフロントグラス越しにさり気なく透かし見た。3つは女だ。1つは男・・・ひときわ小柄な隣の影にまるでひっつくようにして立っている。ゼルガディスが車を停めると、その小柄な人影が勢いよく走りよってきた。
 ドアを開けたとたん、想像以上に大きい雨音が車内に流れ込んでくる。
「いきなり降ってくるんですもの。びっくりしちゃいました〜。お邪魔しまあす」
 アメリアは額に張り付いた豊かな黒髪をかきあげながら、窓越しに外に向かって手を振った。
「ほら、さっさとシートベルトを締めろ」
「うんと・・・はいっ!締めました!もう、ゼルガディスさんてば変なところで几帳面なんだから」
「お前にまた落っこちられると困るだけだ。よし。確かに締めたな。行くぞ」
 アメリアは以前、ロックをし忘れていたドアが開いて車外に転がり落ちたことがある。「すごーい。アクションヒーローみたいでした〜!」と本人は大喜びで、しかも異様に頑丈にできているらしくかすり傷一つなかったが、運転席にいたゼルガディスはまさしく心臓が止まるような思いをしたものだ。
「確かにってどういうことですか〜っ」
 ぶーたれるアメリアには目もくれず、ゼルガディスはゆっくりと車を出した。バックミラーに目をやる。後ろに流れていくエントランスの明りの下、なお佇む3つの影。その中の逞しい一つがこちらをじっと見つめていた。まだそれほど距離はあいていない。ミラー越しに目が合ったのが、或いは向うにもわかったかもしれない。
「えへへー。迎えに来てくれるなんて優しいわねって言われちゃいました♪」
「今のはあいつじゃないか?」
「今の?」
「隣に立ってただろう。この間お前を食事に誘ったっていう」
「すごーい!見えたんですか?あんなに雨が降ってたのに!」
 アメリアは無邪気にゼルガディスを見上げた。
「駅まで送ろうかって言って下さったんですけれど、ゼルガディスさんが来てくれるからいいですってお断りしたら、じゃあ僕も一服して帰るよって。この時間は滅多に会わないんですけど、今日はたまたまエレベーターで一緒になって」
「たまたま、か」
 アメリアがエレベーターに乗ったというのは、時間的には雨が降り出した頃である。下心バレバレではないか。前に食事に誘われたという時もアメリアはろくに気づいていないようだったが、だいたいあの男と彼女とは部署からして全く違う。帰る時間帯がもとからかなりずれているのに、今日はアメリアは残業で退社時間がいっそう遅れていたのだ。「たまたま」一緒になるはずなどあるわけがないのである。
「俺が来ると言ってやったんだな」
 にもかかわらず一服してまで残っていたのは、さしづめ敵情視察とでも言うところだったのだろう。影の男にとって、アメリアはおそらく「勝ち取るべき女」なのだ。
 ふと見ると、アメリアが不思議そうにゼルガディスの顔を覗き込んでいる。
「ゼルガディスさん、何でニヤッて笑ってるんですか」
「何でもない」
「またいやらしいこと考えてたんでしょう」
「バカ。誤解だ」
  
 
   
 車内は絶えまなく窓を覆う静かな雨の音で満たされていた。
 二人とも何も言わない。
「寝てるのか」
「起きてますよ」
「音楽でも流すか。ラックに入ってるだろう」
 ゼルガディスの車には、彼が聴く洋物のハードロックやクラシックの他に、「よいこのためのスーパーヒーロー大集合!!」といったディスクまで積んである。ヒーローに憬れて止まないアメリアはボランティアでその手のイベントによく参加していて、振り付けの練習がてら主題歌を流したりするのだ。見る時に見れば、例のごとくポーカーフェイスで車をあやつるゼルガディスの横、「たあーー!」だの「とうっ!!」だの叫びながら両手をぶんぶん振り回しているアメリアの姿が目撃できる。見た目のシャープさにかかわらずそんな一面も持っている、ゼルガディスの車はそういう車である。
「ゼルガディスさんは?聴きたいのあります?」
「いや、別に」
「わたしも。・・・雨の音、このまま聞いてていいですか。なんだかほっとしちゃって」
「ほっと?」
「こうやってると、世界で二人だけになれたみたいな気がするんです。ゼルガディスさんとわたしと。この世界でいつまでも二人っきりで・・・」
 アメリアは窓を向いていた。それがただ目を向けているのか、窓を流れる滴を見ているのか、あるいは窓の向うの闇を見つめているのか、ゼルガディスにはわからなかったが、硝子に映ったそのあどけない横顔はなぜかひどく悲しげに見えた。
 

      
  
         

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