SAGA                                 4

      

                

 夜明け。
 朝の光がカーテンの隙間越しに差し込む。その光は寝台に届かなかったが、もともと健康的を絵に描いたような早寝早起き娘だ。部屋はまだ暗いにも関わらず敏感にその気配を感じ取ったのか、閉じていた瞼がかすかに開いた。
「目が覚めたか」
 気がついたか、とは言わない。
 アメリアは途端にぱちっと目を見開き、苦しいだろうにふりふりと頭を振った。 
 探しているのだ。
 俺を。
 俺は窓辺に立っていた。カーテンの隙間から見える外の世界は一面荒涼とした大地である。ただそう言い切ってしまうには不自然に瓦礫の量が多い。これは、夜明け前−−−夜半頃まで、この辺りにはちょっとした町といっていい規模の家並みが立ち並んでいたからである。昨夜の一騒動が、つまり他ならぬ俺が町を荒れ地に還元した張本人であることは言う間でもない。カーテンの隙間を閉ざし、俺は近くの木椅子をひいて寝台の傍に腰を下ろした。
 アメリアの血の気のひいた顔が弱々しく、それでも精一杯うれしげに微笑む。
「おはようございます。・・・・良かった。心配してたんですよ、急にいなくなっちゃうんだもの。どこ行ってたんですか?」
 それはこっちのセリフである。
「ここの長老と、ちょっと、な」
 本当だった。彼が今回のアメリア襲撃誘拐事件の首謀者だったからだ。だがアメリアは、
「そうだったんですか」
 小さく頷いて、
「何か・・・・見つかりました?」
 普段俺がそういった連中に会いに行く時は古文書とだの遺跡だのと言ったことを聞くためであることを知っているから、話の内容を彼女なりに推察したものらしい。俺はそうだと答え、
「喋らない方がいい」
 毛布を掛け直した。胸元に突き刺さった例のものが一瞬いやでも目に飛び込んでくる。それはアメリアの血を吸って赤黒く変色し、どくどくと規則正しく蠢いていた。まるで生きているもののように。俺は素知らぬふりで椅子に戻った。口をきいたせいだろう。アメリアの呼吸はさっきよりもいっそう浅く速くなっている。アメリアは腰を下ろした俺の顔をみつめていたが、やがて安心したように瞼を閉じた。
 しばらく静寂が落ちた。
 再び口を開いたのはアメリアの方である。
「・・・・わたし・・・・どうしちゃったんでしょうか・・・・」
「しゃべるなと言うに」
 ぷー。
 めいいっぱい衰弱しているくせにぷくりと頬を膨らませる。懲りちゃいない。
「何も聞いてないのか?返事はしなくていい。はいだったらまばたきしろ。いいえだったらなにもするな」
 アメリアの大きな瞳がゆっくりとまばたきをする。
「何も・・・・憶えてないのか?」
 言ってから気づいた。何をどこまで憶えていないのか、対象をはっきりさせなければ答えられない質問である。
「何も、って?」
 やはり問い返されてしまった。聞き方が悪かったとはいえ、見ると何やらもぞもぞ体を動かしている。懸命に起こそうとしているらしい。
「こら」
 たしなめ代わりに軽く睨むとアメリアは俺を上目遣いに見上げ、こそっと鼻の頭まで毛布に潜ってしまった。
 問い返すと言うことはやはり自分の置かれた状況に気づいていないのだろう。ただそれが、襲撃が実に手際良く行われたため本当に身に覚えがないのか、襲撃された結果衰弱し記憶がもうろうとしているからなのかはわからない。
 状況が掴めないというのは不安なものだ。自分の体が思うように動かないとなればなおさらである。だが口ぶりや雰囲気からするに、アメリアはこの環境・・・・つまりこの部屋、この家、あるいは彼女の世話をしているであろうここの住人・・・・になんら疑問を抱いていないようだ。それならそれでいい。疑惑も憎悪もこの娘には似合わない。「それ」を知ってしまえば、このサーガおたくは自分の体にむち打って正義のために飛び出していきかねない。というよりまず確実にそうなる。そういう娘である。
 俺は真面目くさった顔で陳腐極まりない嘘をついた。
「虫に刺されたらしい」
 口を挟む余裕を与えず、
「毒を持ってたんだ。体がおかしいのはそのせいだろう。どこか痛むか?」
 アメリアは俺の顔を見つめたままかすかに首を横に振った。
「ぼうっとする・・・というか、体から何かが抜けていくみたいな気がするだけで・・・・」
「ならゆっくり休むといい。しばらく野宿続きだったしな」
「・・・・ここは、どこなんですか?」
「街道ぞいの村だ。地図には載ってないが」
 この「儀式」のためだけに用意された集落だから普段は人がいないらしい。
「ごめんなさいゼルガディスさん・・・・」
 声がふるえた。白い頬を滴が伝っていく。
「役立たずですねわたし。浄化も使えなくて・・・・もう少しでリナさんたちと会えたのに・・・・」
「お前のせいじゃない。だいたい役立たずは俺の方だろう。あいつらにだってすぐ会える。少し予定から遅れる。それだけの話だ」
 明日がリナ達と約束した期日だった。むろん行けない。しかし二日か三日遅刻したところで二人きりの旅行きを冷やかされるのがオチだろう。幸か不幸か俺達はこう見えてもそこいらの「呪」なぞとは桁違いの敵と闘い続けてきた。もともと緊張感のないパーティーの上、時空を越えたそんな「運命の重み」を肌身で知っているがゆえに、あいつらが「二三日の遅刻」を俺達の危機のメッセージと翻訳することはまず考えられない。色んな意味で場慣れし過ぎているのかも知れなかった。
 涙は苦手だ。特にこいつの涙は。アメリアの涙はいつも俺を動揺させる。そして俺は動揺した。青い瞳に嘘を見抜かれた気がした。俺は柄にもなく、毒にも薬にもならない、それ以前に何の意味もない、
「まあ運が悪かったんだろう」
 などと言ったことをぼそりと呟いて視線を逸らせ、
「3日ぐらいで治るだそうだ。おとなしくしてれば早く治るかも知れない。寝るといい」
 おとなしく云々というのはもちろん嘘だ。3日とはアメリアにかけられた「呪」の期限である。
「ゼルガディスさんは・・・・?」
「ここの古文書でものんびり読ませてもらうさ」
 俺は後ろの机に目をやった。見るからにかびくさい紙の束が幾つか積んである。事実ここの古文書である。アメリアは頷いた。アメリアには似合わないはかなげな頷き方だった。寝着姿の小さな手が伸び、ためらいなく俺の手に重ねられる。
 ぞっとするほど、
 冷たい。
「一緒に、いて下さい」
 俺は頷く。
「どこにも行かないで下さい」
「ああ。行かない」
 アメリアも頷く。瞼が閉じる。程なくかすかな寝息が聞こえてきた。
 音を立てぬよう立ち上がる。寝台に背を向けて机に沈む。
 期限は後三日。時間がない。
 俺はもう一度だけ、肩ごしに振り向いた。
 あどけない寝顔。

           
 穢したくないと思うのは・・・・
 エゴなのだろう、俺だけの。

      

              

次のページへ トップへ 小説トップへ