SAGA                                 5

      

                
 昨夜。     
 群がる人波を薙ぎ倒し、建物もあらかた破壊し尽くした俺の前に進み出てきた老人は、村長を名乗るとおもむろにこう告げたのだ。
「運命は変えられん。我々はこれでようやく次の6年を生き永らえるのだ。あの娘の清らかな命でな」
  
  
 いかにも老人くさい訳知りな決まり文句と、くどくどと続く諦観のセリフを省いて要約すれば、村長の話はこうだった。
−−−−村の裏手に竜が住んでいる。
 6年に一度、人身御供を差し出すのが村の決まりである。
 人身御供は、子供を宿す能力を得た、清らかな若い女でなければならない。美しければなお良い。
 今年は人身御供を差し出す当たり年だったにもかかわらず、村に該当する娘がいなかった。
 その場合は村の安全の為にやむなく旅人を襲うことになっている。
 かくして不用心に旅していた俺とアメリアを襲い、アメリアは人身御供、すなわち生け贄に供されようとしている。これが現状である。−−−−
 ・・・手を出しておくのだった。
 話を聞き終わって最初に浮かんだのは、そんなどうしようもなく下らぬ感想だった。
 年令と日頃のそぶりからするに子供を宿す能力は得ているのだろうし、若く美しいという条件もアメリアはあれで十分にクリアしている。後は何を以て清らかとするかだが、これはアメリアの場合・・・彼女の素性を知っていれば特に・・・考慮する必要もないだろう。男を知らないというだけではない。「聖王国」の「王女」にして「巫女」頭なのである。これ以上清らかなものがあれば教えてもらいたいくらいだ。
 下らぬ感想を持ったのは俺が事態を甘く観たという意味ではない。事態の把握という点では状況は絶望的に近かった。村長が俺を迎え入れたのは、俺を赦した訳でも妥協した訳でもなく、これ以上建物や人の損害を出させぬためと、状況を知ったところで俺には何もできないと高を括っているからなのである。
 その自信はアメリアの胸に刺さったあれから来ていた。
 あれは、人身御供を求めている竜自身の牙なのだという。
 牙は一度刺さると竜の意思が働かぬ限り決して抜けることはない。生け贄の身体に刺しておくことで、竜は好きな時に娘の生き血を啜ることができ、望めば離れながらにして生肉を貪ることさえできる。生け贄が逃亡しようとしてもむろん意味はない。期日がくれば抜けぬ牙を伝って毒が送り込まれ、娘は全身から腐汁を流して苦しみのたうち回りつつ絶命するという。つまり、村としては牙さえ刺してしまえばこっちのもの、という訳だ。
 むろん村長の話が穴だらけなのは十分承知していた。
 例えば、聞くと竜はどうやらゴールデンドラゴンらしい。生肉を貪る種類のドラゴンも確かにいる。しかし竜族でも高位に位置するゴールデンドラゴンは千年の永きを生きる血族であり、人界の汚れを厭って清浄な渓谷に暮らし、霞や霧を主食としている竜なのである。それが人間の生肉などというあからさまに不浄なものを要求し、あまつさえ生き血を啜って悶え苦しませるなどというそれこそ魔族まがいのことをしているのだとしたら、そこには必ず何かある。
 聞くだけ聞きはしたが、案の定村長はのらりくらりと話を濁した。竜は獰猛な生き物だからなどと言い出したのには開いた口が塞がらない。封じられていたこの世界における魔族との凄惨な戦いの歴史の中で、ひよわな人間が生き延びて来られたのは誰の存在あってのことだと思っているのだろう。あまりのことに呆れていると、いいかね君ゴールデンドラゴンは竜族の中でももっとも邪悪な一族なのだよと来た。竜族が邪悪。今時子供でも鼻で笑い飛ばすようなセリフをこの親爺は本気で言っているのだろうか。他人に与するのは好まないが、アメリアの件は別としてもここまで人間がおろかだとは自分もその一人として思いたくないところである。おびえさせようという魂胆なのか愚にもつかぬ事を年がいもなくぺらぺらと喋り続けるので、カタート山脈の竜族の長老を知っていると言うと途端に老人は口を閉じた。自己防衛本能だけは相当強いらしかった。
 箝口令が敷かれているのだろう。あるいは本当に何も知らないのかも知れない。それとなくあたった周囲の村人からも情報は何も引き出せず、いったんあてがわれた部屋に引下がった俺を、一人の娘が訪ねてきた。
 アメリアと同じ年頃の、一般に美しいと呼ばれる顔だちのその娘は、ノックの音に扉を開けた俺の横をするりと抜けて部屋に入ってくるなり、
「あなたたちは恋人?それとも兄妹?」
 答える必要のない問いである。剣の柄に手をかけたまま無言の俺の両腕を娘はぐらぐらと揺すった。
「時間がないの。はっきり答えて。恋人なのね」
「仲間、だ」
 もちろん嘘ではなかった。だが娘は勝ち気そうな瞳をやはりこちらに向けたまま、
「倒しに行くんでしょう?あの女(ひと)のために。竜を」
「ああ。行く」
 これこそまさに絶望的な選択だった。竜の齢にもよるが、いくら俺がキメラとはいえゴールデンドラゴン相手に人間が勝てる見込みは幾らもない。それでも止める気は毛頭なかったが。
「あの女にかけられた呪の期限は三日後、満月が欠けはじめる瞬間までよ。欠け始めたらもう誰にも止められないの。全身から血を吹き出し、肉が腐れ落ちて、苦しみながら死んでいくだけ−−−」
 娘が小さく身体を震わせた。
 知っているのだ。
 その光景を。
「ただ竜を倒すだけではだめなの。 倒して、その時間までにあなたがあの女のところまで帰って来なくてはいけないの」
 娘は小声で、そして早口でなおも続けた。
「帰ってきてあなたがあの女にくちづけをすれば、それで呪は初めて解かれるわ。でも本当に解けるのはただひとり−−−−あの女が心から愛する男(ひと)、あの女を心から愛する男だけなの。その男のくちづけでなければ」
 つまり・・・そもそも時間制限つきで竜を倒すことさえ至難の業だが、それにまで生け贄の娘の恋人でなければならないという条件がついているということか。
   
 まるで−−−物語だ。
     
「そうでなければ呪は解けないわ。絶対に。たとえあなたが万が一竜を倒せたとしてもね。あなたは・・・」
「ああ。−−−−行く」
 俺はもう一度、それだけ答えた。
 娘の瞳が、ゆっくり、激しく、揺らめいた。
「・・・おじいさまはあの女には何もしません。大事な生け贄だから。少なくとも三日後の夜までは。その後はわからない。生き残った人はいなかったから。−−−−」
 娘が俺の両腕を握りしめていた手を離した。その時初めて気づいた。お腹が大きい。妊娠しているのだ。
「でも私が必ず何とかしてみせます。だからあの女のことは心配しないで。でもあなたは危険だわ。いろんなことを知ってしまった。兄達がこの建物に火をかける準備をしています」
「火ぐらいじゃ死ねないんだ。あいにくだがな」
 娘はマスクからかすかに覗く俺の顔をまじまじと見つめ、ようやく微笑んで、
「あの女もあなたを待っています。会わないでいくつもり?ずっとうわ言で名前を呼んでいるの。たった一人で、苦しそうに」
「あんたはどうする」
「だいじょうぶ。おじいさまに泣きつくのは私の十八番だから」
 初めて悪戯っぽく目を輝かせた。だがその光に強い決意がはっきりと感じられる。俺と同様、この娘もこの瞬間に命を賭けているのだ。おそらくは・・・自分の身代わりになったのであろうアメリアを救うために。だがそんなことはお互い一言も言わない。それこそ言う必要のないことだった。
「あの女をたすけたいの。でもそれだけでは何も変わらない。6年後にまた同じ悲劇がくり返されるだけ」
 俺を先導して廊下を進みながら、娘は言った。
「おじいさまは仕方ないと言うけど、私はそうは思いません。このままではいけないわ。何かがおかしい。竜にしいたげられて生きなければならないなんて、それが運命なら私は棄ててみせる」
 娘の言う兄達なのだろう。大量の藁束を抱えて不自然に歩き回っていた男達が足を止めてぽかんと見守る中、娘と俺はすたすたと瓦礫を踏み越えて、俺が壊した家並みから外れた一件の家に辿り着いた。
「ここから動かない方がいいわ。食事は私が準備させます。何かお要り用なものはある?」
「剣を返してもらいたい。そうだな。あと・・・その竜とやらにまつわる情報が欲しい」
 俺は愛剣の特徴を告げて娘と別れると、教えられた通り階上の扉を開けた。
 
 眠れる姫君が一人。
 
 血の気のひいた顔は白く透き通り、まるで蝋人形か何かのようだ。触れた頬は冷たかった。掛布がかすかに上下していなければ呼吸していることさえわからない。
 美しすぎる死相だった。
「・・・アメリア」
 呼び慣れた名を耳もとで囁いてみる。
 答えはない。
 額の黒髪をそっとかきあげた。
 形の良い眉。
 長く揃ったまつげ。
 なめらかに首筋へ流れる頬。
 愛らしい唇。
 子供のようにはしゃぎ回っていたから、ろくに気づきもしなかった。
 出会って何年になるのだろう。そう、いつのまにか・・・
 少女は女になろうとしている。暖かい両手に俺の心を抱いて。
 
 荷物が届けられてきた。
 愛剣。何冊かの古い本。そして一枚の地図。
 竜のいる場所を示しているのだろう。
 娘の姿はなかった。
 俺は剣を留め、荷物を抱えてアメリアのそばに戻る。
 姫はまだ眠りの中。
 一時その寝顔を見つめて、俺はそっと窓際に立った。
 彼方の地平線に朱色が走る。燃え立つ赤が瞳を灼いた。
 
 
 俺が、必ず助けてみせる。
 −−−−アメリア。
 
 
 そして、一日が始まる。
             

     

               

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