3                  ゼルガディス救出大作戦 

                

                           

 そしてアメリアは今、大きな扉の前に立っている。
 ホテルのロビーから緩やかなスロープを降って地下中一階のフロアにある、このにぎにぎしさと荘厳さを練り混ぜた少々下品な装飾の純白の扉の向こう側にあるものを、アメリアは知っていた。アメリアでなくともそれ相応なお年頃の娘ならみんな知っているだろう。有名というよりこのリゾートの「顔」で「目玉」で「売り」なのである。
 その名は、『水中結婚披露宴会場 銀泳殿』。
 床から側壁、はては大天井に至るまで全てが豪華な総特殊ガラス張りという大きな空間がすっぽりと、名前のとおりホテルの基部から海中へ突き出している、そういう大ホールだ。
 名前は披露宴会場だが神官が常駐しているから挙式も出来る。光が淡く揺らめき注ぐ青い海のなか、脚下を頭上を群れなして泳ぐ色鮮やかな熱帯魚に見守られつつ、永久の愛を神に誓うという訳だ。珍しさと素晴しさでお国のVIPの響応にも使われたりしているらしい。
 しかし時はすでに真夜中。かそけき月明りが差し込めようはずはなく、おそらく会場は存在そのものを夜の海独特の深い闇の中に溶け込ませているに違いないのだが、扉を一途に見つめるアメリアの瞳は、確信と闘志と幾許かの切なさと、さらにもう幾許かの揺れる乙女心で輝いていた。
 ガウリイの話からなにか事情があって姿を消したらしいということは判ったけれど、それでもやっぱりどうしても居ても立ってもいられなくて、アメリアはあの後ずっとひとりでホテルやビーチを探して歩いた。
 たぶんたいしたことではないのだろうと思う。ゼルガディスだって、きっととても急いでいたりして、それで自分たちに黙っていかざるを得なかったのかもしれない。でも、それでもアメリアは少しさみしい。
 一人だけ不安になってむきになって、なんだかからかわれているみたいで。
 成果なくしょんぼりと部屋に戻ったアメリアの顔を見たとたん、リナはこう言ったのだった。  
「居場所が判ったわ。たたきのめしてやりましょ。ふんとに人騒がせなんだから」
 にんまりと意味ありげな笑顔をしていたよう気もするが、とにかく安心して嬉しくて、だから彼女に言われるまま白いドレス姿にまでなって、こうしてアメリアは今ここにいる。
 結婚するなどという謎めいた(?)言葉を残して美女と消えた、ゼルガディスのために。
 リナによればこの扉の向こう、その評判の披露宴会場にどういうわけか彼がいるはずなのだが、
「あたしたちもすぐ行くわ。先に行ってて」
 なんてことを言っていたわりに、当人は一向に現われる気配がない。そろそろ日付も変わっているのではなかろうか。アメリアは後ろのスロープと扉を交互に振り返った。
「待て!」
 いきなり人の声が響いてきた。
 アメリアは扉を見た。この向こうからだ。
 しかもものすごく知っている。
「僕はゼルガディス=セイルーネ!」
 御丁寧にそれは名乗りまであげた。
「ヴィクトリアは僕のものだ!!僕は彼女を愛している!!!」
「‥‥ネ?」
 アメリアは扉を開けた。
      
      
  
 広間は闇-----
 違う。蝋燭の灯が揺れている。
 アメリアは驚きに目を見開いた。
 黒黒黒黒。
 黒一色に身を包んだ人影が、式場いっぱいにあふれているのだ。
 正面に祝いの祭壇が設けられている。
 結婚式の最中らしい。‥‥こんな時間だというのに?この色彩のなかで?
 黒に埋もれてこれだけは見事な緋色のヴァージンロードの果てにいる、あれは‥‥
 花婿だろうか。アメリアの目にもそれは仕立てのよい正装に身を包んだ男が立っていた。ただしスーツは漆黒で、アメリアの父親よりも年かさのようで、おまけにぼた餅を三つ四つ積み重ねたような体型と色合いをしている。その隣は花嫁。‥‥なのだろう。派手な顔立ちで、金髪のそれはきれいな巻毛をした女性である。歳はアメリアの姉ぐらいだろうか。これまた黒という点を除けば申し分なく見事なウェディングドレス姿だ。そんな二人の向こう側からこちらに顔を覗かせているのは、これは普通の装束の神官である。しかし花嫁のさらに隣に、やはり黒いスーツ姿がもう一つ立っていて、
「アメリア!?」
 それが振り向いた。
「アメリアじゃないか!どうして君が‥‥!?」
 ゼルガディスだ。
 何だか‥‥すごい格好だった。
 例の横長菱形シルエットは面影もない。豊かな銀髪はてらてらと完璧に寝かしつけられ、そのくせ前髪だけは普段と同じ分量だけ垂らされているから、なんだかあやしい文学青年のようになっている。細い体がますます細く見える黒一色のスーツ姿で、しかも顔立ちと雰囲気だけはゼルガディスなものだから、病魔に侵されたひよわな文学青年、というよりはあやしい酒場のバーテンだかホストだかのようだ。
 目のよいアメリアがゼルガディスだとすぐに判らなかったわけである。
「ほう。あんたがアメリアか」
 アメリアが言葉をなくしていると、ぼた餅が言った。
「上玉だな。そそるじゃねえか。あん?」
 好色丸出しの目でアメリアを下から上へとねちっこく見つめ、
「あんたの亭主がな、人の祝の席に飛び込んでふざけたこと抜かしよるのよ。困っとるんだ。連れて帰っちゃくれねえか?」
 口元をいやらしくゆがめてみせる。笑ったのだろう。かなりの胆の持ち主でも震え上がるような視線と口調だったが、
「亭主?」
 アメリアはのんきに聞き返した。彼女の父は超凶悪ドワーフ(面)である。
「こうしようや、兄ちゃん」
 ぼた餅はゼルガディスに向き直った。
「女房の交換だ。あんたはこの年増をものにする。わしはあんたのこれを貰おう。いい腰じゃあねえか。別嬪でおまけに若い。幾つなんだ」
「17」
 ゼルガディスが蚊の鳴くような純粋そうな声で答える。
「ひひ。若僧のくせに、やるねえ」
「だ、駄目だ!アメリアは僕の妻だ!!」
「え?つ、つま?!」
「そう妻」
 純粋バーテンゼルガディスは間髪入れず、
「僕たちは夫婦じゃないかアメリア。3年前に結婚して子供は二人。覚えてるかい?名前が似てるからと新婚旅行に行ったセイルーン」
「えええ?!!あ、そ、‥‥そうですね。い、いきましたよね。新婚‥‥旅、行‥‥(赤面)。あは、あははは」
「リナやガウリイは?元気にしてるのか?」
「はは‥‥は、はい、それはもう」
「悪い父親だな僕は‥‥。パパが済まないと言っていたと伝えておいてくれ。そしてアメリア、君にも‥‥」
 ゼルガディスは前髪をはらと揺らせてアメリアを見つめた。切れ長の鈍色の瞳がまっすぐアメリアを映した。ひたむきな、誠実そうな、真剣そのもののまなざしだ。
「君にこんなに愛されながら、僕は、‥‥僕は‥‥!!」
「ゼルガディスさん‥‥?」
 そうだ。ヴィクトリアを愛しているとか彼は叫んでいたのだ。アメリアはゼルガディスの横の、先ほどから一言も口を利かない花嫁を見た。
「こちらが‥‥ヴィクトリアさん、ですか?」
 女はアメリアの闖入に気付いているのだろうか。一心に祭壇を見つめたまま動かない。
「じゃあ‥‥ゼルガディスさんは、その‥‥、‥‥」
「僕は彼女を愛している」
 ゼルガディスはもろに真顔で、
「彼女も僕を愛しているといってくれた。だから‥‥。突然こんなことになって済まないと思ってる。君も大切なんだ。それは本当だ。でもそれは男と女とかではなくて‥‥ああ、うまく言えないな。許してくれとは言わない。憎んでくれていい。ただ、‥‥僕の気持ちも、判ってほしいんだ。別れてくれ‥‥アメリア‥‥」
 途中から言葉はアメリアの耳に届かなかった。どうなっているのだろう。情況も立場も判らないけれど、ゼルガディスは余りにも大真面目で、それで、判らないままゼルガディスにふられたということだけはよく解ってしまった。
 青い瞳から涙がこぼれる。
「‥‥憎むなんて、そんな」
 ふるえる肩を抱きしめて、アメリアは精一杯微笑んだ。
「やだなあゼルガディスさん。わたしは‥‥大丈夫、です、よ。ほら。ね。えへ。ゼルガディスさんが、幸せなら、それで‥‥。わたしは、‥‥ただ、一緒にいると、楽しかったから、全然、えと、ちょっとびっくり、しちゃって、それだけ‥‥で」
「素直な好い子だ。商談成立」
 ぼた餅がアメリアの腰を無造作に抱き寄せる。アメリアは抗わない。 
「ヴィクトリア、ファミリーの統合に関しては改めて話し合おう。まあ今日の件もなかった。それでいい。このお嬢ちゃんに免じてな。これはこれで良い余興だあなあ。好みだよいっひっひ」
 ぼた餅の手がアメリアの胸に伸びた。しおらしく唇をかみしめていたえせホストゼルガディスの目が初めてかすかに----底冷えのするほど冷ややかに、きらめいた。
 その時。
       
 どごおおおおおおおおんっっっっっ
         
 ぼた餅が振り向く。ゼルガディスも、アメリアも振り向いた。
 炎を吹いて入り口の扉が破け飛んだのだ。
 そして‥‥
 もうもうと沸き立つ煙の向こうに立つ、アメリアほどとは言わないまでもこちらも小さなシルエット。
「見つけたわゼルガディスさん!!!落とし前はつけて貰うわよ!!!!」
 リナが立っていた。
 何やら真紅のドレス姿で。

        
 
         
           
                  
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