アンソロジーより        あたたかい雨

           
             
              

「ずっと隠しおおせられるとは思ってなかったが・・・・知ってたんだな。マルチナ」
「はい」
「お前を裏切るつもりも傷つけるつもりもなかった。それだけは信じてくれ」
「・・・・はい」
 向かい合って座るザングルスとマルチナの間には静けさだけが漂っている。リナ、アメリア、ガウリイとゼルガディスは部屋の壁際に立っていた。予定より早いザングルスの帰郷。後は様子を見守るのみだ。
「どうしても言えなかった。お前は絶対に失いたくなかったし・・・・でもあいつも大切なんだ。できれば一緒に暮らしたい」
「な・・・・何ムチャ言ってんのザングルス!」
「わかってる!ムチャは俺がいちばん良くわかってる。でももう限界なんだ。大好きなんだ。匂いや毛ががつくのも気にせずぎゅっと抱きしめてやりたい!夜中にこっそりじゃなくどうどうとエサをやりたい!!」
   
   
「は?」
     
   
 毛?
 ・・・・エサ?
  
 やや方向性を違えて固まった部屋の雰囲気を知ってか知らずか、ザングルスはいたって真面目かつ神妙な面持ちで拳を握りしめ、マルチナを見つめたままついに言葉にした。

               
         

「マーガレットは、子犬なんだ」

           

            

 茶色の子犬は思いのほか大きかった。この調子だとかなりの大型に育つだろう。一人旅のザングルスにとって将来良き旅仲間となりそうだ。
「どうして最初から言ってくれなかったの!?あたくし、あたくしてっきり、」
「だってお前、買うならネコじゃなきゃイヤだって泣いて反対してたじゃないか!!」
「一件落着、てとこだな」
 文字通りの痴話喧嘩をBGMに、子犬の頭を撫でながらガウリイがぽつりと言った。今回ガウリイは彼にしては珍しく消極的な立場を取り続けていたが、それは良きライバルにして人生の先輩ザングルスへの、彼なりの友情と信頼の証だったのかもしれない。リナやアメリアには良く判らないが。
 アメリアはフリフリ動くしっぽに頬を叩かれている。
「くすぐったーい。この子、なんだかザングルスさんに似てません?」
 ゼルガディスが子犬の両脇に手を掛け、ぶらりと高く抱え上げた。ため息まじりに一言、
「良くわかったな。こいつはオスだ」
「母犬が死んじまってこいつは独りぼっちだし、かといって赤ちゃんができたら動物は一緒に飼わない方がいい、なんてオヤジさんは言うしお前もああだし・・・・。こうするしかなかったんだ!おい、泣くなって!」
「もうう!!ザングルスさまのばかばかばかばか〜〜〜!!うわああああん!!!」
「やれやれ。アホくさくなってきちゃった。・・・ま、帰りましょっか」
「そだな」
 アメリアは振り返った。
 マルチナはまだザングルスの胸で泣いている。
 それでも、とても幸せそうだった。
 そしてマルチナはとてもきれいになったとアメリアは思った。
「では!セイルーンのココアマフィン目指してしゅっぱ〜つ!!」

 帰り道。
「そうだ。ゼルガディスさん。ドーテーって何ですか?」
「どうてい?」
 隣を歩いていたアメリアの突然の質問に、ゼルガディスは言葉を反復して、
「道のりのことか?」
「うーん。ザングルスさんはまだドーテーだったってマルチナさんが」

 ぶー。

「だいじょうぶですか?」
「げぼっごほっ・・・・だ、大丈夫・・・だ」
「で、どういう意味なんです?」
「・・・・いったいどーゆー会話をしとるんだお前らは」
 ゼルガディスにしてみればリナやアメリアやマルチナの考えていることが判らない。
「それは・・・・だな、つまり・・・・」
「はい」
 アメリアは至極素直にいたって真面目に聞いている。王女たるもの妊娠出産こそがその究極的使命だ。この歳になって知らないわけではあるまい。おそらく知識と現実、言葉と意味とが彼女の中で噛み合っていないのだ。ゼルガディスは岩肌にうっすら汗を浮かべ、しどろもどろになりながら、
「なんというか、その・・・・、・・・・男の・・・・種類、だ」
「種類?ですか?」
 突っ込まれたらどう答えるべきかヒヤヒヤしたが、「ふうん。そうなんだー」などとアメリアはひとりで納得している。
 が、ヤマはもう一つあった。
「じゃあゼルガディスさんはドーテーなんですか?ドーテーじゃないんですか?」

            

 ぶー。
         
      

 そのままの意味で言えばもちろん否だが、アメリアの視線を感じつつ、ゼルガディスはふと気づく。
 女を知っている。しかし、
 これほどまでに愛した女はいない。
 女を愛して抱いたこともない。
 一度さえ。
   
      

「・・・・どちらでもない、だ」
「え〜〜〜?」
 ゼルガディスは立ち止まってしばらくアメリアの顔を見つめ、
「不満そうだな」
「なんだかごまかしてるっぽいですよう」
「知りたいか?」
「はい!」
「どうしても?」
「もちろんです!」
「じゃあ後でお前さんにゆっくり教えてもらうとするか」
「え?わたしですか?」
「ああ。お前しか知らない。・・・・俺のことは、な」
 空を見上げる。
 雨がゆっくりとすべてを洗い流していく。
「行くぞ」
 ゼルガディスは歩き出した。
「あ・・・・待って下さーい!」
 ゼルガディスの口許を微笑が翳めていることがただうれしくて、アメリアも笑顔で駆け出した。
  
    
 雨はしばらく、止みそうにない。

    

          

→アンソロジーの話

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