仲良し諸国漫遊記 1

       

           

 郊外の宿屋。
 その一階の飯処兼酒場で、ゼルガディスが独り酒を飲んでいる。
「親爺、頼む」
「あいよ」
 空のグラスを突き出す手が乱暴なのもピッチが妙に速いのも気のせいではない。ゼルガディスが座っているカウンターの正面には、でかでかと地元新聞紙の号外が貼り出されていた。見出しは・・・
        
[セイルーン王女 御成婚]
          
 セイルーン王国には王女と呼ばれる人が二人いる。上はグレイシア、ただし現在行方不明。下はこの見出しの張本人、そしてゼルガディスも良く知るあの、アメリア。
 相手は沿岸諸国連合のなんとか国の世継ぎの王子。眉目秀麗頭脳明晰、国民の信望も篤き美男子で、たいそうお似合いのカップルなのだそうな。現にゼルガディスの隣の男達も、酒を酌み交わしながらずっとこのめでたい国家行事の話題に花を咲かせている。
(・・・・お似合い、・・・・か)
 滑ってきたグラスを受け取りざま一気に仰ぐ。
「・・・・親爺、もっと強いやつだ!」
 ダークスターの旅が終わり、彼女と別れて2年が経っていた。ダークスターを前に、一緒にセイルーンに来て欲しいと自分に告げたアメリアの気持ちをもちろんゼルガディスは十分理解していたし、別れ際にリナ達に内緒で交わしたひとつの約束は、そんな彼女への彼なりの精一杯の思いの表現だった。
       
 人間に戻れたら、必ずお前に会いにいく。まっ先にな。
               
「待ってます・・・ずっと」
 相変わらずの子供っぽい大きな瞳に、それまで見たことのないような大人びた暖かい光を浮かべて、それでもやっぱり満タンに涙を浮かべて笑顔でいつまでも手を振っていた彼女の姿を、ゼルガディスは昨日のことのように思い出せる。あののち幾度かセイルーンを訪れたことはあったが、アメリアに会うどころか連絡もしなかったのは、だから決して彼女を忘れたわけではなく、ある意味それが今の彼にとって試しうる最大の試練だからだった。この姿のままアメリアと会えば彼女との約束を破ることになる。それがゼルガディスには耐えられなかった。人間に戻ると言うこの旅の目的と同じくらい、どんなに難しい約束も必ず守り通せる、アメリアにとってそんな男でいたかった。それが正直な気持ちだった。
 だが約束そのものは、見ての通りそれだけの、例えばふつう恋人同士と呼ばれる男女が交わすようなものだったわけではない。
 会いにいく。
 待ってます。
 という、ただそれだけの・・・
 アメリアは待っていたのかもしれない、とは思う。「人間に戻れたら会いにいくよ。そうしたら結婚しよう。それまでこの僕を待っていてくれるかい?」とかいった言わば彼女の愛して止まない物語ばりのあまあまな台詞を・・・そんな言葉の連なりが少しも脳裏を過らなかったと言えば嘘になる。だがゼルガディスには言えなかった。彼には周囲を傷つけてでも守りとおし捜し続けている目的がある。その目的はただの目的である以上にどうしようもないほど彼の内面を束縛し抑圧しており、まずそこにたどり着けなければ、彼は一歩も前に進めない。今はその目的こそが彼を強くし、彼を明日に向かわせる。そんな状態だと判っていてなお、そこに誰かの人生を巻き込んでいくことなどできるだろうか?
        
 待ってます。
            
 アメリアの声がそっと耳の奥に響く。
 グラスの側壁に広がっては消える液体の花弁を眺めながら、ゼルガディスは自分に問わずにいられない。
 それでも・・・それでもやはり、俺はあのアメリアの言葉に一つの未来を期待していたのではなかったか?キメラだとか姫だとかそんな夾雑物を除けて、アメリアは、彼女の愛する男が、つまりこの自分が、旅の果てに迎えにくるのをひたすら待ってくれているのだ、と。
 でなければ、この言葉にならない、内臓をぎりぎりと素手で握りしめられているような目眩するほどの痛みと虚脱感はなんだろう。こうやって王家の祝い話を肴に盛り上がる人の群れに埋もれていると、追い求めていたはずの目的さえ恐ろしく馬鹿げたもののような気がしてくる。そんな自分に彼自身が一番驚いてもいた。今自分がここで剣を胸に突き立てて死んだとしても、驚かれこそすれ誰も悲しみもせず、周囲は変わらず浮かれ騒ぎ、アメリアは、
 他の男のものなのだ。
 アメリアは・・・

         
 悲しむだろうか。
 俺が死んだと知ったら。
               

(とんだロマンチストだな、俺も)
 ゼルガディスはグラスを空けた。今度は目の前に並んでいるボトルを適当にひっつかんで、自分で注いだ。
 ぐっと一杯。
 ヒロイックサーガおたくで超合金製で直線型思考の持ち主で世間知らずの爆裂娘ではあるが、アメリアは自らを見失うような娘ではない。政略結婚の気配濃厚とはいえ、式まで漕ぎ着けたということは彼女の意思も相応に働いたに違いなかった。かつておそらくゼルガディスが居た彼女の心の中のその部分に、あるいはそれ以上の高みに、今は知らない男が棲んでいる。
 なんとか国のなんとか王子。
 アメリアが選んだ男。
 アメリアのすべてを我がものとする権利を彼女から与えられたこの世でただ一人の男。
 ゼルガディスだけが知っていたアメリアのあの笑顔も、涙も、強さも弱さも白い手の温もりも何もかも・・・
 もう一杯。
              

 アメリアは振り向いてくれるだろうか?
 その男がいなくなったら。
     

 ・・・・その男を俺が殺してしまえば−−−−−−−−
        

「・・・酔ったな」
 ゼルガディスはようやく手を止めた。あまりに視界がぐらついて思わず苦笑がこぼれてしまう。ここまで深酒をしたのは何年ぶりだろう。
 何年ぷり・・・あのアメリアのことだ、そんなことでも思いながらきっとあの招待状を作ったに違いなかった。アメリアの筆跡で自分の名が記された一枚の手紙を王宮直属の使者から渡されたのは、つい三日ほど前のことだ。美しいレリーフが刻み込まれた結婚式の招待状。結婚式の日取りは、昨日。一読しただけで使者にそのまま伝言を頼んだ。
 悪いが、行けない。
 幸せを祈ってる。
 元気でな。
 言い訳も浮かばなかった。
 二度と会うことはないだろう。セイルーンも自分にとってただ大きく人が多いというだけの街の一つに戻るのだ。そう思ったとたん目眩がした。そのまま宿に沈み込むようにして酒浸りな日々をかれこれ四日続けてしまっている。
 ゼルガディスは窓を見た。
 外は闇。
 じき夜中だ。
 あいつはもう安らかな眠りに落ちていることだろう。
 国中の人々の祝福に包まれて。
 愛する男の腕に優しく抱かれて・・・・
 舌が痺れるほどに酒が苦い。心も体もいいかげん限界にきている証拠だ。ゼルガディスは軽く頭を振った。
 ゼルガディスも、戦っていかなくてはいけない。
 過去に向き合い、日々を戦って、明日へと生き抜いていかなくてはいけない。
 これで最後にしようと思った。
 正直、自分がここまでうろたえるとは思ってもいなかった。彼女を忘れることなどできない。これから先もできないだろう。それでも時が経てば、この憶いも心の奥底でただそっときらめくひとひらの結晶になる日がきっと来る。
 グラスに歪んで映る自分の顔をゼルガディスはぼんやりと眺めた。
 青黒い膚、金属の髪。
 レゾの狂戦士と呼ばれた男、自分の心に克つ術も知らなかった惨めな少年の成れの果て。
 そんな人間でもない存在が他人を幸せになどできるはずがない。
        
 良かったのだ、これで。
              
 ゼルガディスは昏い眼差しで勢い良く最後のグラスを傾けた。
       

          

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