仲良し諸国漫遊記 2

      

      

 アメリアは独り、寝台に腰掛けて開け放した窓の外を眺めている。
 式典の酔いが覚めやらぬセイルーンシティは今夜も夜明けまで眠ることはない。城壁の向こうに広がる市街地の空は灯された明りで淡く輝いていて、途切れ途切れに歌い騒ぐ人々の声やにぎやかな踊りのメロディーが流れてきた。
 蝋燭一つ灯されていない部屋は青い闇に沈んでいる。
 アメリアは一心に月を仰いでいた。
 もうすぐ真夜中。
 その刻限の咳払いが夫の決めた合図。
 それが聞こえた時・・・アメリアは今宵こそ、扉を開けなくてはならない。
 アメリアは昨日、結婚式を挙げた。
 そして間もなく、夫を迎える。
     
    
 夫になるのは沿岸諸国連合の軍事要地を治める*国の第一王位継承者である。
 出会ったのは半年前。事実上の見合いののち即婚約の運びとなったが、もちろん成りゆきの全てがそれほど単純だったわけではない。
 *国はその地理的環境上長らく内戦状態が続いている。それをより良い形で一刻も早く終結に向かわせるべく、アメリアの父でありセイルーンの国王代理であるフィリオネルも苦心していた。その一つの結論がこれだった。アメリアは王位継承権を持つ者のもとに、妻として、同時に停戦合意の調停役として赴くのである。
 病床にある祖父の言葉も振り切れなかった。
 国王の名を持ちながら長い間病に伏せている祖父は、ここ数年ひどく気弱になった。サイラーグで立続けに起きた異変や魔族の結界の崩壊など、やはり歴史的に見ても大きな事件がいろいろ重なったからだろう。ただひとりセイルーンに残るお前の花嫁姿を見ておきたい。そんな言葉を聞かされては、人並み以上に心優しい孫娘としては無下になどできようはずがない。
 それでも正直なところアメリアには結婚するつもりはなかった。
 公務として調停に赴くことにはなんら依存はなかったけれど、結婚なんてまだ早いと素直に思っていたし、やはり・・・
 待っていたかった。
 彼を。
       
 人間に戻れたら、必ずお前にあいにいく。まっ先にな。
   
 そう言ってかすかに微笑んだあの眼差しの穏やかさを、たぶんアメリアは一生忘れないだろう。普段ろくに声すらかけようともしてくれなかった彼が、自分のためだけにくれたただ一つの約束。だからアメリアも心の底から応えた。
       
 待ってます・・・ずっと。
            
 彼の言葉の意味を、彼が思う以上にアメリアは純粋に、そして深く受け止めていた。彼が選んだ旅路の険しさをアメリアはよく了解している。本当は一緒に行きたかったのだ。だからこそ彼が還りつく場所でありたいと心から願った。
 そんな思いが揺らぎ始めたのは・・・いつのことだったろう。
 伝え聞く噂。
 届かぬ手紙。
 届かぬ・・・心。
 時間だけが過ぎる。自分を信じればいい。わかっていても、二十歳に満たぬ、しかも王族という否応ない枷をもって生れた娘がたった一人で社会の重圧に戦い抜いていくためには、たかだか一つの言葉だけの約束は余りにはかなすぎた。
 それでも・・・
 それでもなお、信じたかったのだ。
 思いを込めて最後の手紙を送った。
 結婚するかもしれません。
 手紙は返って来なかった。
 返事も、また。
 *国の内乱の急変がセイルーン宮廷にもたらされた。事態は一刻を争っており、セイルーン王家に手駒は一人しかいなかった。娘の気持を知っていたのだろう、フィリオネルはそれでも決してアメリアの前では話題にしなかったから、アメリアは自分で進んで話を受けた。それは彼女にしかできない役だったし、正義と平和を、アメリアは確かに守りたいと思っている。
 ダークスターとの戦いから一年半。
 アメリアは婚約した。
   
      
 結婚式の招待状は届いたらしい。
 式の前日、意外にもメッセージとともに返ってきた。
   
 悪いが、いけない。
 幸せを祈ってる。
 元気でな。
          
 相変わらずの素っ気無い言葉だった。様子を聞くと元気そうだったという。安心こそしたけれど知りたかったのはそれではない。どんな顔でこの伝言を言っていたのだろうとアメリアは思ったのだ。たぶん・・・こちらも相変わらずだったのだろう。両腕を胸元で組んだりして、不愛想な表情で、少しシニカルな口調で、そしてさりげない、優しいまなざしで・・・・
 式の前夜リナたちがようやく駆け付け、旅していた頃のようにガウリイに頭をポンとたたいてもらって、それから一言も交わさぬままリナと一緒に泣いた。まぶたの腫れのために翌日の式の化粧はいつもより濃く、ウェディングドレスに袖を通しながら鏡を眺めたアメリアは我ながら別人のようだなどとどうでもいいことを考えた。夫の横に立ちながら、参列する人並みを漂う視線は無意識にただ一つの影を探してしまう。見つかるはずのないことは誰より承知しているはずの、どう見たってあやしい白いマント姿。式が終わったとたん目眩がした。夫も気づかって昨夜は一人にしてくれ、アメリアは招待状を胸に抱いて、窓を開け放して、朝までまんじリともせず過ごした。
 ・・・窓から−−−−−
 降り立って、連れていってくれるような気がしたのだ。
 大好きな物語のように。
     
 アメリアは、声を立てずに泣いた。
       
      
 そして今。
 半年前まではろくに知りもしなかった男のために、アメリアはこうして独りここにいる。
 漠然と思うようになっていた。
 ゼルガディスには・・・・還る場所があるのかもしれない。
 自分が聞いたことがないだけで、彼が語らなかっただけで、誰よりも大切に思う、彼にはそういう人がいる・・・・のではないか。そういう噂も耳にしたのだ。そしてそれは決して自分ではなくて・・・。
 それでもいいと思った。それでゼルガディスが幸せなら。見つめていた月は滲んでいつのまにか白銀色の幻になっていた。あの日見送った後ろ姿のようだった。
 彼は約束を必ず守る。いつか会いに来てくれるだろう。そう、彼はただそう言っただけなのだ。
 会いにくる、と。
 それでいい。
 そしてその時、アメリアは最高の笑顔で彼を迎える。かつて運命を分かち合った、かけがえのない友として。
 それだけで、
 ・・・いい。
    
 アメリアは扉を見る。
 廊下に漂う人の気配。こちらの様子を伺っているようだ。
 涙をそっと拭って、軽く頬を叩いて、にっこりと微笑んで。
 夫は申し分ない男である。
 べたべたの二枚目で愛想もよく、話題が豊富で実に話し上手で、彼女を子供扱いすることもぞんざいに扱うこともない。行儀が良くておおらかで、自分や一族に誇りを持ち、類い稀な美貌(と、夫はそう表現した)の女性を妻に得られたことを誇りに思うとも言っていた。
 わるい人ではない。大切になれるだろう。いつの日か、誰よりも、きっと。
 思う心のどこかで、何かがひどく血を流した。
         
 咳払いの声がする。
 アメリアは立ち上がった。
 窓を閉じ、蝋燭に火を灯す。
 もう一度だけ月を振り返り・・・・
                  
 アメリアは扉を開けた。
        

      

                 

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