悪夢明けて                 聖都怒濤の五日間8

       

             

 鳥たちのさえずりが聞こえる。
 アメリアは目をこするとゆっくり瞼を開いた。見慣れた自室の寝台の上に、彼女はいた。
 朝だ。窓からの風がぼんやりした頭を心地よく吹きすぎる。見上げた視線の先に、ゼルガディスの顔があった。
「起きたか」
「っきゃああぁぁぁああ!!」
 アメリアは慌てふためいて頭をシーツの中につっこんだ。
「ああぁぁぁああもうアップルパイはいいですううぅぅう!お願いですからもう歌って踊らないでくださいルルさんー!!」
「ルル?」
 腕を組んで寝台の支柱に背をもたせた姿勢のまま、ゼルガディスは醒めた視線をシーツの塊に投げかけた。その名には覚えがある。某男子禁制国に侵入した折、女装時に自分が使ったものである。が、思い返して懐かしみたい類の記憶ではなかったし、パイだの歌だの踊るだのに心当たりはない。
「なんの夢を見たのか知らんが、朝っぱらからわけのわからんことを言うんじゃない」
「・・・ゆ、夢・・・?」
 シーツにくるまり、枕で頭から両耳をすっぽり塞いだまま、アメリアは瞳を例のごとくアメーバ状に潤ませて、おそるおそるこちらを向いた。
「え・・・ゼ・・・、ゼルガディスさん・・・ですか・・・?」
 初動捜査を終え、昼まで体を休めるため自室に戻ろうとしていたゼルガディスが、様子を見にアメリアの寝室へ立ち寄っていたのだ。アメリアの叫び声が徹夜作業で疲労した頭にきんきん響く。額に手をやってしみじみと肩を落とすその横顔をアメリアは息を詰めて見つめていたが、
「ゼルガディスさんなんですね・・・!」
「他の何に見えるんだ、こんな体が」 
 彼の一言は自嘲だったが、アメリアにはまさに生への賛歌そのものに聞こえた。シーツをぱっと手放すや、正面から勢い良くゼルガディスに飛びつくと、男にしては華奢なその体を力一杯抱きしめる。
「おっおいっ」
「うわーんっもう会えないかと思いましたー!!人生って素晴しいなんて歌ったりしない、パイをもって踊ったりしない、赤ちゃんを生んだりしない、いつもの無口で無愛想で無関心なかっこいいゼルガディスさんなんですねー!!」
「はっ放せアメリアっ」
「わたしのことアメリアって呼んでるー!やっぱり本物のゼルガディスさんだー!!」
「なんだ、何の話を」
「お願い!お願いですからゼルガディスさん、結婚式の時はわたしを花嫁にしてくださいね!約束ですよ!!」
「?!なっ・・・」
「花嫁はわたしがなるんです!ウェディングドレス、わたしだって着たいですー!!」
 部屋には二人の他に部屋付の侍女が数人ばかり待機している。彼女らの興味津々な視線とささやき声を背中一面に感じつつ、ゼルガディスは思わず軽く咽せながら、
「・・・と、とにかく、無事だったんだな。それならいいんだ」
「ぶじ?」
 はたと顔をあげたアメリアは、ここでようやくゼルガディスの異変に気付いた。

「どうしたんですかゼルガディスさん!!何があったんですかっ?!」
 無地でシンプルなデザインが特徴だったゼルガディスの着衣には獣皮のように一面黒いまだら模様が走っていた。黒いのは焼け焦げた痕だ。手にとるとかすかに硝煙の匂いがした。
「本当に覚えてないのか」
 ゼルガディスが手短に説明してやると、アメリアは寝台の上でしばし呆然としていたが、
「はっ。まさか・・・」
 よろよろと窓際に近づいた。身を乗り出して大広間の方を見、その姿勢のままぺたんと尻餅をついて動かなくなる。ゼルガディスが横に立って外を覗くと、なるほど目の前にぱっくりと天蓋の半分を吹き飛ばした穴が大きく口を開けていた。
「父さんに叱られます・・・」
「まあ・・・あれを開けたのは確かにリナだが、中を瓦礫の山にしたのはお前を襲ってきた腕だ。あの一撃でそいつも退散した。止むを得ない状況ではあったんだ。フィルさんもわかってくれるさ」
「そんなあ・・・」
「それよりアメリア、俺の部屋の前にいただろう。何か用があったんじゃないのか」
 アメリアは一瞬不思議そうにゼルガディスを見上げたが、すぐに小さくうなずいた。
「もう大丈夫です。ゼルガディスさんが帰ってきてくれたから」
 ゼルガディスの変化に乏しい顔を珍しく訝しげな表情がよぎった。意味をはかりかねているらしい。アメリアは立ち上がってゼルガディスの方に向き直ると、もじもじと寝間着の裾を弄びながら、
「その・・・もしかしたらゼルガディスさん、もう帰って来ないのかもって心配になっちゃって、待ってた・・・だけなんです。リナさんはそんなことない、ただのやきもちだから、とかなんとか言ってくれたんですけど、どうしてもゼルガディスさんの顔が見たくなっちゃって。それで・・・」
 どうやらアメリアはジョルジとの初顔合わせの一件を気にするあまり、自分の責任のように感じてしまっていたらしい。
 それにしてもリナのやつ、
「余計なことを・・・・」
「え?」
「いや。・・・済まん、お前のせいじゃない。ただちょっと・・・俺も虫の居所が悪くてな」
 あの男が気に入らないと素直に言えないのは、もちろんリナの言い分が引っかかっているからだ。ふいと顔を背けたゼルガディスの態度をどうとったか、アメリアは顔を大きく振って、
「そんな、ゼルガディスさんのせいなんかじゃ全然ありません。わたしもちゃんとお話できなかったし、ジョルジさんも何だかちょっと変でしたし・・・。でもよかった!ゼルガディスさんの顔を見たら、安心してお腹空いてきちゃいました!そう言えばお夕飯も食べてなかったし!」
「そうなのか?」
「だって、待ってたら急に眠くなっちゃって・・・」
 もともと自分のことを案じるあまり強行した脱走のせいだとはゼルガディスはつゆ知らない。リナの話では結構な人数がアメリア捜索に動き回っていたらしいが、あの回廊は突き当たりに書庫があるきりである。うっかり捜索範囲から洩れてしまっていたのだろう。窓枠に腰掛けたり壁にもたれたりしてしょんぼりしているアメリアの様子がありありと想像でき、ゼルガディスはかすかに笑みを浮かべたが、
(・・・壁にもたれて・・・)
 ふと何かが脳裏で閃光を発した。
「待てアメリア。急にと言ったな。確かか?」
「はい、まあ。・・・それがどうかしたんですか?」
「そのままあの爆音にも起きなかったというんだな。・・・おい、どこか体がおかしくはないか?」
「おかしいって?」
「後ろを向け!」
 言うより先に両肩をつかんで回れ右させると、見当をつけてアメリアの豊かな後ろ髪をかきあげる。
「へっ!?ゼ、ゼルガディスさんっっ?!」
「動くな!」
「はっ・・・はいっ」
 うなじを伝うゼルガディスの冷たい指の感触にアメリアが思わず顔を赤らめたが、お構いなしにゼルガディスは首筋の表面をなぞるように指をすべらせ、その先を凝視していく。
 その指がつと止まった。
「・・・あった」
「何がですか?」
 それには答えず、ゼルガディスは鋭く後ろを振り向いた。
「医者を呼べ!解毒剤だ!」

      

         

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