夜の回廊                  聖都怒濤の五日間4

    

          

 ゼルガディスが王宮に帰りついたのは夜半を回ってからである。調べものに都合がいいというだけの理由で、彼はわざわざ王宮書庫近くの不便な部屋を空けてもらっていた。書庫へと続く回廊はすっかり人気が絶えており、その心地よい静寂に身を浸らせながら、彼は得たばかりの情報について懸命に考えをめぐらせていた。
 リナのいう「話その1」、面白い話を知っているという件の神官に会いにいっていたのである。
 北方山麓の遺跡群はゼルガディスもすでに調査済だったが、その一隅に隠し扉で隔てられた空間があるというのが神官の話だった。封じられているわけではなく、精緻な機械仕掛けとなっているらしい。その詳細は神官にも分からないのだが、
「あれならもっと正確な話ができましょう」
 あれとはこの神官の息子のことだ。
「家内の実家が武器開発をしておりましてな。そのせいか、物理トラップの類にはなかなか詳しい。遺跡の存在が知られるようになって数百年、隠し扉を探し当てたのも実はその倅でして」
 神官が兵器製造家から嫁を貰うというのも妙な話だが、かくいう自分とて落とし話を地でいくように合成人間となった身である。世の中こんなものなのだろう。神官の愚痴とも自慢話ともつかぬものを聞き流しながらぼんやりそんな事を考えていると、
「ましたが、噂に違わぬ愛くるしいお方ですなあ」
 話題を振られ、ゼルガディスははたと我に返った。
「?」
「アメリア様ですよ。フィリオネル殿下の御息女の」
 他人の口から聞くとまるで別人のようだ。神官は若い時分にはさぞ騒がれたであろう涼やかな目を細め、
「実に伸びやかなお心をお持ちでいらっしゃる。王女というお立場からか神に仕える者としてのお立場からか、世に広く正義をなしたいと強く語っておいででしてな」
 熱弁を奮いまくるアメリアの姿を思い描き、ゼルガディスはひそかに一人肩を落とした。会談はさぞ長引いたに違いない。もっともゼルガディスは、彼女のそういうところを決して嫌いではないのだけれど。
「あれも随分親しくさせていただいておりましてな。申し訳ないが、実は今も宮殿のほうに伺っておるのです」
 背筋に低次元の悪寒が走るのを、ゼルガディスはこの時はっきりと感知した。知らず額に手をやりながらげんなりと、
「神官長さんよ・・・聞いてなかったが、あんたの名はランヴィエ、・・・か?」
 神官、すなわちジョルジの父であるランヴィエ神官長はうれしげにうなずき、
「おや、もう倅には会っておいででしたかな。これは失礼を」
 裏表のないその柔和な顔に笑いかけられ、ゼルガディスは天井を振り仰いだ。面倒くさいことになった、とその勘が告げている。

 面倒くさいというのは、いけ好かない男から話を聞かねばならなくなったゼルガディス自身のことだけではない。アメリアの見合い相手という個人的な反感は別としても、実際に会ったジョルジの印象は、一言でいえば、
(うさんくさい男だ) 
 という、単純でそのくせひどく陰影の不明瞭なものだった。はじめてジョルジの話を出した際にリナは魔剣士という表現を使ったが、ゼルガディスが魔剣士たる所以は、知識と技術と運命のあり余り過ぎていた例の第三者の存在によるところが大きい。彼自身がそのことを一番よく承知しているだけに、ゼルガディスにはジョルジの騒々しげな自信がどこかきな臭く、そのきな臭さはアメリア周辺から立ち上っているところの暗殺騒ぎにも通じているように感じられる。そう思った矢先に、ジョルジの兵器に対する造詣の深さが事実として示された。アメリアは力ある言葉などではなくある種の武器によって襲われた。現在も特定されていないところをみると未知の武器が使われた可能性が高い。また現場が一定していないことから、犯人はアメリアの行動を詳細に把握していると考えられる。フィリオネルが国外にいるときだけに、いくら鷹揚なセイルーン王宮関係者といえどもアメリアの行動を事細かに第三者に洩らすとは想定しにくい。洩らしているとすればただ一人アメリアその人であり、とすれば犯人はおそらくアメリアのごく近くにいる人物なのだ。ゼルガディスの脳裏では、これらの輪郭はジョルジにぴたりと一致する。
(犯人はあいつだな)
 その前にリナたちに意見を聞いておいたほうがいい。リナの物事に対するいたって現実的な観察力と判断力を、少なからず身勝手なところもあるとしても、ゼルガディスは高く買っていた。証拠や動機をあげるのは、それからでも遅くはない。
 そこまで考え、つとゼルガディスの足が止まった。
 気配がある。
 目を凝らすと、なにやら白っぽいものが行く手を遮るように横たわっているのがにじんで見えた。魔物の類ではない。右手を剣の柄にかけ静かに近づいていく。半眼に据えた視界の隅にシルエットが浮かび上がる。
 次の瞬間、ゼルガディスはその物体に駆け寄っていた。
「アメリア?!」
 白い寝間着姿でアメリアがうつぶせに倒れ込んでいる。ゼルガディスは思わずその体を抱き起こした。この男の文字どおり青い顔が夜目にもますます青くなる。だが激しく揺さぶってみても、体はぴくりとも動かない。
「しっかりしろ!アメリア!!」
「・・・うーん・・・」
「・・・「うーん」?」
 沈黙のおりた回廊に、幸せそうな寝息がやさしく響いた。
「なっ・・・アメリ・・・お前」
「ぐー」
 よく見ればゼルガディスの部屋の前である。あまりに陳腐でのどかなその景色に全身の力が抜けるのを感じつつ、ゼルガディスは舌打ちして、
「よりによってこんな時に・・・人騒がせな」
 王女で今は国王代理という自分の立場の意味を、この世間知らずの正義オタク娘はまったく理解していないらしい。叩き起こそうと拳を構えかけ、ゼルガディスは手を止めた。雲が切れたのか月光が回廊に差し込み、彼の膝のアメリアの上に散った。その両頬に幾筋か、細い光がきらめいている。
 泣いていたのだ。
 しばしその寝顔を見つめた後、そっと小さな体を抱え直し、
「・・・おい、起きろ。風邪ひくぞ」
 軽く頬を叩いてみたが、目覚める気配はない。彼女が異様に寝付きの良いことをゼルガディスは思い出した。小さく嘆息し、アメリアを背負うと今来た道を引き返しはじめる。思いのほか温かく柔らかなその感触に戸惑いつつ内心首をひねっていた。彼女はなぜあんなところにいたのだろう。待ちくたびれて寝てしまったらしいが、彼には格別な心あたりはない。あるとすれば昼間の一件ぐらいだが、自分の些細な振るまいがアメリアをそれほど傷つけたとはまさか夢にも思っていないから、
(そんなに急ぐ話でもできたか)
 その割には寝ていたが、と思いながらごく妥当に結論づけた。それでは彼女の涙が説明できないことに、妙なところで鈍感なこの男は気づいていない。
 回廊をまっすぐ抜けると大広間に出る。こんな時間だというのに火影が揺れ、中央にリナと正装姿の男が数人立っているのが見えた。その横でガウリイはわき目もふらずに軽食を両手に抱え込んでほおばっている。ゼルガディスが近寄ると、リナが優雅に菓子をぱくつきながら、ひときわ青い顔をして今にも倒れそうな壮年の男に話しかけているところだった。
「ほーら、どうせそんなとこだろうと思ったのよ。ね、言ったとおりでしょ」
 ゼルガディスは知らないが男はセイルーンの侍従長である。こちらの姿を認めるやわたわたと走ってきて、
「アメリア様っ!」
「寝てるだけだ。ケガもない」
 ゼルガディスが頭で背中のアメリアを示すと、急に緊張が解けたらしい。そのままその場にへたり込んでしまった。

       

          

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