おやすみ                 聖都怒濤の五日間17

          

          

「−−−いや、言いにくいのなら」
 ゼルガディスは普段と変わらぬそっけない口調で、その癖微妙に言葉をつまらせながら、 
「・・・その、俺は、別に−−−」
 アメリアの位置からゼルガディスの表情は月光の陰になってよく見えない。それがもどかしくて、アメリアはゼルガディスの首に腕を回すと、細い彼の肩越しに勢い良く身を乗り出した。ゼルガディスが振り返る。小憎らしいほどに平然としたいつものままの青い顔が、いつものままの視線でアメリアを捉えた。
 もっともゼルガディスの内面はその言葉や表情ほど平らかではない。正直、ゼルガディスは暗殺未遂事件の解決以上にアメリアの一言に焦がれている。そう素直に言えないのは、ひとえに彼が密かにアメリアに対してだけは意地でも守り通したいと願っているどうしようもなく青くさい男のプライドなるものゆえで、他に理由などはない。
「気にしてて−−−くれてたんですね」
「意外そうだな」
「だって何も聞いてくれなかったじゃありませんか。わたし、だから、・・・だから−−−」   
 アメリアの瞳がゼルガディスをまっすぐ映して、そっと潤んだ。
 アメリアとて気になってはいたのだ。それは彼女の感覚としてはむしろ深い不安と悲しみに良く似ていた。再会したゼルガディスはかつてのままの彼で、それ自体にはとても安心したけれど、アメリアに仕事以外の話題を振る訳でもなく(そんな余裕もなくはあったのだが)、そんなゼルガディスの態度は彼にとって自分が今どういう存在なのだろうというごく微かで繊細な不安を、アメリアの心にするりと忍び入らせた。見合いの話を知らないのかもしれないとは考えた。正直リナから聞いているはずだと思わないでもなかったけれど、確かめるのが怖かった。もしそうなのだとしたら・・・アメリアは自分の結婚話ともども、ゼルガディスにとって話題にするにも値しない「どうでもいいこと」だということになってしまう。
−−−−それでも、ゼルガディスは、ちゃんと気にかけてくれていたのだ。
 嬉しかった。
 しかしアメリアはゼルガディスもまた同じ気持ちで居た事に気づいていない。切実さという点からみれば、むしろゼルガディスの方が追いつめられていたとも言える。
 答えは決まっている。
 そう信じながら聞かないではいられなかった。
 隔たっていた互いの時間と距離は、必ずしも信頼と思い出だけで埋め合わされるものではない。
 ゼルガディスはジョルジがこの一連の事件の中心人物だと確信している。だから、もしアメリアが結婚を承諾しているのだとしたら、・・・ジョルジを愛しているというのなら−−−−
 ゼルガディスはこの話を降りて、すぐにセイルーンを発つつもりでいる。
 アメリアはまだ少ししゃくりあげつつも、いたずらっぽい笑顔でゼルガディスを覗き込んで、
「ではここで問題ですっ!」
「?」
「私は結婚のお話をお受けしたでしょうか。それともお断りしてしまったでしょうか。さて。どっちでしょう!!」
「・・・・」
「えへへー。どっちだと思います?ゼルガディスさんっ!」
「・・・・」
 ゼルガディスは横目でアメリアを見ながらそれは長いため息をついた。
 だが口元をかすめたのは淡い微笑。
 答えは、決まっている。
 背負い上げざま姫君をぽすっと即製袋に収め直すと、ゼルガディスは努めて冷静に、
「・・・なんで断わったんだ」
「って−−−−え」
 アメリアはリナに輪をかけて大きい目をこぼれんばかりに見開いて、
「ええぇぇえええ?!どうしてわかっちゃったんですかっっ??!」
 正真正銘心底驚くアメリアの濁点声を燦々と浴びながら、ゼルガディスはやはりそっけなく言った。
「お前のこと、だからな」

  
 大国のしかも妙令の王女ともなると、些細なクチからやんごとなきものに至るまでそれはもうバラエティに富んだ見合い話が日に100は舞い込んでくるのだそうである。だいたい王家の一員であるからには20までに婚約して結婚してついでに第一子あたりまで産まれていて欲しいところで、その意味では戦う王子様フィリオネルの二人の娘は共に立派な掟破りの不良娘(見込)になるのだが、行方不明の上はともかく、下まで頑として結婚話に耳を貸そうとしない。業を煮やしたセイルーン一族の世話好き爺連がありとあらゆる手を使って話をまとめ上げ、本人を飛び越して一族の長たるフィリオネルに無理やり承諾させてしまったというのが見合いに至る真相なのだそうだ。
 爺連の面目を潰す訳にはいかないし、会って見るとジョルジという相手も意外にいい青年だったし、受けたからには公務でもあったから、見合いそのものにはしごく真面目に取り組んでいるけれど、言ってしまえばそれだけのことで、リナやジョルジにすでに伝えているようにアメリアには結婚の意思はない。何より、
「それに・・・、・・・あの」
 一通り話をし終えた後でアメリアはそう口ごもった。見るものが見たらおかっぱ頭の天辺から不可視の湯気を噴きだしているのがわかっただろう。
 −−−−−意中の人がおられるようだ。彼ですね。
 −−−−−ゼルガディス=グレイワーズ。
 ジョルジの言葉が耳に甦った。
 いつかは絶対に言わねばならないことだ。いや、アメリアが言いたい。ダークスターとの決戦の時にはあんな言葉まで告げてしまっているのだし、リナなみに勘のいい彼のことである。想いは伝わっていると思う。だからあの約束をくれたのだとも思う。それでもこの心の中の紛れもない真実を、アメリアはゼルガディスにちゃんと知っていて欲しい。
 うまく伝わらないかもしれないけれど。
 アメリアが願うようには、受け止めては貰えないかもしれないけれど−−−−
「・・・・・・・わ、わたしは・・・その、・・・えーと」
 顔を燃えた鉄のように光らせながら、国王代理の大役をみごとにこなしている人物とは思えないほどのうわずった声で、
「す、好きな、人、が−−−−」
「着いたぞ」
 言葉と同時に、何の前触れもなくアメリアは袋から放り出された。
「きゃ!?」
 ころん。
 大理石の床は滑りがいい。そのままこちらもまた大理石造りの壁に顔面衝突しかけ、
「済まん。・・・声をかけたんだが・・・聞こえなかったか?」
 ひょいとウエストをさらう感触がして、アメリアはゼルガディスに抱え起こされた。
「は、はあ・・・」
 寝室に到着したのだ。
 見ると、人目を気にする時間帯でもないのにゼルガディスはいつのまにやら覆面姿になっている。アメリアがもごと言い淀んでいるうちにフード兼マントをいつも通り器用に胸元へ固定し、ついでに勢い良くフードまでかぶって、
「じゃあな」
「あ、あのっゼルガディスさんっ」
 白い影は音も立てず今来た道を歩き去っていく。アメリアは一瞬ためらって、すぐに駆け出した。ゼルガディスの正面に回り込む。そこだけ見えているゼルガディスの瞳を見上げた。
 乾いたばかりなのに、また涙が出て来た。
「ゼルガディスさん、えっと、あの、」
 視界がぼやけ、ゼルガディスの姿はまたたく間に白いもやもやの塊になった。
「今日は・・・ありがとうございました」
「ああ」
 もやもやが短く答える。
「明日も、よろしくお願いします」
「ああ」
「おやすみなさい」
 泣きながらアメリアは微笑んだ。悲しみの涙ではないのに・・・胸がいたい。
 この人を、愛している。
「・・・お前もな」
 こらえきれず、アメリアはゼルガディスの胸に飛び込んだ。
 二つの影はそのまましばらく動かなかった。
  

   
                     

                       

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