答え                   聖都怒濤の五日間16

          

          

 こつん。
 何か硬いものが頬にあたる感触に、アメリアは目を覚ました。
 こつん。
 何だろう。
 まだ半分以上寝惚けている。もうろうとした意識の中に漂いながらアメリアは考えるともなく考えた。そんなに大きいものではない。道ばたに転がっている小石の類をアメリアは連想した。とすればアメリアは地面に転がっていることになるのだが、そうではない。小石は正確に言えば布越しにアメリアに触れていたし、なにより揺れている。アメリアが何やら規則的に揺れているために、その小石は一定のリズムで頬に触れるのである。
 こつん。
 何で揺れているのだろう。
 アメリアは思い起こしてみる。
 使者。容疑者。法務庁。取り調べ、リナ、建物半壊、背中、
 ・・・・ゼルガディス。
 そうだ。
 ゼルガディスを待って一人で廊下にいて−−−−−
 暇だし、夜も遅かったし、リナ達には大丈夫と言ったけれどほんとは少し体もだるくて・・・・
 眠ってしまったのだ。
 多分。記憶がないから判らないのだけれど。
 感覚が戻ってきた耳に、石畳に響く揺れと同調した靴音が届いた。誰かが歩いている。焦点の定まらない視線の先、ほんのすぐ目の前で、銀色が揺れていた。月光にきらめく、しなやかな、ネコの毛のような銀色の波。それが折からの風にやわらかくなびいて−−−−−
 鳴った。
 シャラン。
 アメリアの全神経がみるみるうちに連絡した。跳ね上がるようにして体を起こす。
「起きたのか」
「・・・・お−−−お−−−起きました」
 まだ視界がぼやけている。ぐりぐりと両手で目を擦るとアメリアはあわてて周囲を見渡した。いつもよりもずっと目線が高い。真正面に、肩ごしに振り返ったゼルガディスの横顔があった。
 ゼルガディスに背負われていたのである。
「お・・・はよう−−−−ございます」
「まだ夜だぞ」
 ゼルガディスは前に向き直った。少し笑ったようだった。
 ゼルガディスは彼のマント兼フードを脱ぎ、それでアメリアをすっぽり包み込むようにして背負っている。ちょうど白い大きめの荷物袋を背負い、その袋の口からアメリアが顔を出しているような案配である。
「すみません。もう大丈夫です。歩けますから」
 ゼルガディスにおんぶしてもらえるなんてチャンス(笑)はそうそうあるものではないが、やっぱりなんだかはずかしい。白い袋の中でアメリアはもぞもぞ体を動かした。下ろしてもらおうと思ったのだが、
「だめだ」
 愛想のない声がやや説教口調で静かにきっぱり断言した。
「どうせすぐ着く。それに少し鼻声じゃないか。風邪をひきかけてるんだろう。あんなところで居眠りなんかするからだ」
 やはりあの廊下で眠ってしまっていたらしい。この白い即製袋もその辺りに気を配ったゼルガディスなりの優しさの表れなのだろう。変なところで不器用なわりに濃やかな感覚の持ち主なのである。はい、じゃあおねがいしますと小声で呟いて、アメリアは再び袋に収まった。
「リナさんとガウリイさんは?」
「ちょっとストレス発散してくるとさ。朝には帰ってるだろう」
 そう言えば取り調べに入る前、近くに盗賊団が潜伏しているらしいと法務庁の職員が漏らしていた。
「アルバイト兼悪をこらしめてるんですね!」
 振り向いたゼルガディスの目が「お前はだめだぞ」と言っている。
「しばらく会わん間に・・・全然変わらんな。あの二人だけは」
 ゼルガディスも、変わらない。 
 布越しに触れるゼルガディスの硬質な背中は、大きくてところどころでこぼこしていて、そして少しひんやりしていた。
 月光に青白く浮かび上がる街はまるで幻の世界のようだ。通りに沿って点された灯が石畳に暖かな光を落としている。アメリアはここセイルーンにいる時もしばしば王宮の者には内緒で夜の散歩を楽しんだりしているが、たいてい出向くのは庭園のお気に入りの場所だの高い塔のてっぺんだので、こんな時間に街の真ん中へ降り立ったことはない。だからよけいに、異国のなつかしい街のような、なんだか不思議でそしてほっとする眺めに映った。ゼルガディスと二人きりだったせいもあるだろう。まるで、
(・・・・リナさんやガウリイさんと旅をしていた時みたい)
 あの頃はよくこうやってゼルガディスとふたりで(半ば強引にくっついて、ではあったけれど)、一緒に街を歩いたものだ。そんなに時間が経ったわけでもないのにずいぶん昔のことのような気がする。
 アメリアが−−−−変わったのだろうか。
 ふいにゼルガディスの声がした。
「−−−−のか」
「はい?」
 ゼルガディスが足を停める。
 不自然な間が空いた。ややあって、また不自然に歩き始める。
「・・・・なんでもない」
「え?何ですか?」
「聞いてなかったんだろう。ならいい」
 全然良くない。うまく言えないけれど、ゼルガディスは今の瞬間確かに何かに傷ついた。それはわかる。アメリアは身を乗り出して、
「ゼルガディスさんと一緒に街を歩いたりしたこととか思い出してて・・・・。知らない街を歩いてるみたいだなって思ったりしてて、ちゃんと聞こえなかったんです。それだけなんです。何のお話ですか?気になっちゃうじゃないですか」
 拳で軽く肩口を連打してみたが反応なし。
 揺すってみたが声一つかけてくれない。話を聞かなかったからゼルガディスは怒った・・・のだろうか。だとしても納得いかない態度である。アメリアはぷぅとむくれて袋に潜り込んだ。
      

 王宮についた。
 アイボリーの袋に収まったままアメリアは正門をくぐった。こんなものを背負って裏門を抜けたりましてや城壁を飛び越えたりしたら、それこそあやしさ大爆発では済むまいとのゼルガディスの常識的な判断である。呼んでもアメリアが顔を出さないので、門の護衛兵に袋の中身をきちんと確認してもらってから、ゼルガディスはようやく城に足を踏み入れた。
「受けたのか」
 前庭を通り、瓦礫の山になった広間を抜け、上階へ続く吹き抜けの大階段を登りはじめたところで、ゼルガディスが再び唐突にそう言った。
 さっき聞きそびれた一言なのはすぐにわかったけれど、前置きもないから何のことやらわからない。アメリアはまだ少し怒っていたので袋から顔を半分ほど出して、
「何をです?」
「・・・・だから、−−−−」
 ゼルガディスが珍しく言い淀んでいる。
「だから?」
「したんだろう。あいつと・・・その・・・、−−−−見合い、を」
 見合いというのは当然結婚が大前提にある。アメリアももちろんゼルガディスのいうあいつ、ジョルジ=ランヴィエからすでに幾度もプロポーズを受けている。しかしその成りゆきを、襲撃騒ぎやらなんやらにとりまぎれてゼルガディスは何一つ知らされていないのである。
 それを聞いているのだ、とアメリアはやっと気づいた。
 彼女の答えを。
 アメリアがジョルジのプロポーズを受けたのかどうか、
 −−−−お前はあいつを愛しているのか、
 と。        
 大広間から差し込む月明かりが、階段に二人の影を延ばしてやわらかく輝いた。        
 
                    

                     

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