二人の名前                 聖都怒濤の五日間13

      

           

 月が明るい。
 その青白い光の中、細い影が音もなく石畳に落ちた。白い法衣に白いマント・・・ゼルガディスである。
 彼は王国法務庁の前に立っていた。時間が時間だけに庁舎前の通りは人の気配が絶えて久しく、門の向こうに連なる建物群の威圧的なシルエットだけが満点の星空を背景に黒々とたたずんでいる。伝言を受けてすぐ王宮に出向いてみたのだが、リナたちの姿はすでになく、王宮の係官をつかまえて行先を聞き出せたのはつい先ほどのことだった。いくらフィリオネル王子とアメリア王女の「知人」とはいえ、合成獣という彼の外貌が係官の警戒心と忠誠心を容易に解きほぐせなかったのだ。もっとも、リナの言葉を借りれば「それ以前にゼルは態度も目つきも問題あんのよ」ということになるのだけれど。
 無造作に門を飛び越え、正面玄関に入る。
 規則正しく響いてくるのは廊下を行き来する当直兵の足音だろう。しかし耳をよく澄ませると、
「くぉら、えー加減にせんかーい!」
 鈍い振動とともにまごうことなきリナの喜びに満ちあふれた声がかすかながら響いてくる。地階からのようだ。階段を下りると案の定、廊下の壁にもたれかかったガウリイの眠そうな顔が出迎えた。
「よ。お疲れ」
「言伝てを聞いた。本当なのか」
「あのおっさんたちか?なら、今リナが話を聞いてるぜ」
「話を聞いてる?」
 ゼルガディスは足を止めた。
「本人たちがいるのか?」
「連れて来られたんだよ。夕方だったかな、なんか・・・どこやらで捕まったとかで」
 ガウリイが欠伸を噛み殺しながら親指で傍らの扉を示す。と、軽やかな足音がゼルガディスの背後で不意に響いた。そのまま階段を駆け下りてくる。
「あ、ゼルガディスさん!」
 振り向くまでもない。踊り場の暗がりから勢いよく飛び出して来たのはアメリアだった。もっともゼルガディスが自然に思い描いたのは例の旅装姿のアメリアだったが、現われた彼女は昼間と同じのショールを羽織ったたおやかなドレス姿である。おかしなことではない。ここがセイルーンで彼女はここの王女である以上これこそが本来の姿で、そんなことは百も承知しているはずなのに、ゼルガディスはなぜか一瞬その平凡な現実の方が奇妙なことであるような錯覚にとらわれた。慌てて軽く頭を振り、
「なんでこんなところにいる。今日は寝てろと言っただろう」
「すみません、心配かけちゃって。でも正義は勝ーつ!大丈夫です、もうすっかり元気になりましたから。ほらっ!」
「とおっ」とかなんとか掛け声をかけてアメリアはいきなり宙に舞い上がった。奇麗に描かれつつあったその弧がふつっと途切れる。ショールが足に絡まったのだ。
「わ?!」
 ごちん。
「いったーい・・・」
 ゼルガディスがため息をつく。アメリアは座り込んで頭を抱えながら、
「それに公務もありますし。取り調べのときは立ち合っていないといけないんです。わたし、父さんの代理ですから」
「リナが今やってるんだろう」
 ガウリイの言葉を思い出してゼルガディスが問うと、アメリアはこめかみの辺りをぴくりと凍りつかせた。 愛らしい笑顔に困惑と冷や汗がにじむ。
「それは・・・わたしもそのつもりだったんですけど・・・。リナさんが・・・」
「どうした」
「ちょっと話を聞くだけだから来なくていい・・・ていうか、誰も中に入れるな、って・・・」
 いつものごとく脅しをかけて強引に了承させたとみえる。ゼルガディスは寝ぼけ眼のガウリイの脇を抜け扉の前に立った。
「え、入るんですか?」
「聞きたいことがあるからな」
 リナと似たような言葉を返してノブに手をかける。慌てて走りよってきたアメリアを、ゼルガディスは目で押し止めた。
 リナが誰も中に入れるなと言ったのは、犯人を捕まえたからといってセイルーンの役人どもにおいしい所を持って行かれてたまるかという彼女のあっぱれな強欲ぶりゆえに違いないが、現在国王代理として列記とした公人の立場にあるアメリアへの配慮もいくらかは含まれている。アメリア立ち合いのもとでの取り調べに不都合が生じれば、弾劾の矢面に立たされるのは彼女になる。そしてリナの「取り調べ」となると問題が起こるのはまず確実で、その点からいけばリナの判断はしごく正しい。
「お前はここにいろ。公の人間が居合わせるのはまずい」
「・・・はい。じゃあ、待ってます」
 その辺りを察したか、アメリアはいくらかしゅんとしつつうなずいた。後ろ手に扉を閉じるゼルガディスの背に、心配そうな声が優しく反射した。
「でも、危険になったらちゃんと逃げてくださいね。リナさんすごく御機嫌悪いです・・・」

         

 これを「話を聞く」と表現できるかは微妙なところだとゼルガディスは思った。全面石造りのこじんまりした部屋には中央に木製の椅子が一つ置いてあるだけで、そこに噂の犯人とおぼしき中年男が三人縛りつけられており、その傍らで胸をふんぞり返らせたリナが手のひらから火の玉を弾き飛ばしつつなにやらうれしそうに怒鳴りまくっている。「悪人に人権はない」「強きをくじき弱きもくじく」「生きとし生けるものの敵」・・・リナにまつわる幾多の文句がゼルガディスの脳裏で明滅した。ここ数日彼女は鬱憤がたまっていたところなのだ。男たちも運が悪い。
  爆煙舞だろうか、辺り一面火の海になっている。ゼルガディスは飛び交う炎の当たるに任せ、
「やりすぎるとしゃべるものもしゃべらなくなるぞ」
 リナがきょとんと振り返った。目を丸くして、
「・・・分析は?もういいの?」
「まあな」
「ちょっとゼル、どう思う?こいつら例の件自分たちがやったなんて言ってるんだけど」
「これから聞かせてもらうさ」
 ゼルガディスは両腕を胸元で組んだいつもの姿勢で椅子の正面に立った。ゼルガディスの目算では暗殺未遂事件の中心はジョルジである。彼の直感も状況証拠も確かにジョルジを示している。なのにこの一味がいきなり湧いて出たあげく罪まで認めているというのは、いったい自分の思い描いている輪郭との齟齬がどこにあるのか、ゼルガディスはそれが知りたい。
「詳しく話してもらおうか。あんたたちはいつ、どこで、どういう手段でアメリアを襲ったんだ?」
 返事の代りに唾と罵声が飛んできた。
「っかーっっ!こんのくそオヤジーーっ!!」
 リナが地団駄踏んでさらに炎を弾き飛ばしたが、それだけで済んでいるのは昨日の今日とて彼女なりに自重するところがあるからだ。ゼルガディスはちらりとリナを見やった。
「お前さん、こいつらに名乗ったか?」
「?なんであたしがそんなことしなくちゃいけないのよ?」
 唇を尖らせたところを見ると、珍しく例の「誰が呼んだか・・・」フレーズを口にしていないらしい。男たちの態度が妙にふてぶてしいわけである。だが彼らの自信は別なところにもあるとゼルガディスは見た。昔懐かしい世界の気配が男たちからまざまざと匂い立っている。プロの暗殺者集団に違いなく、とすれば並みの脅しでは口を割るまい。
 実はこの瞬間までゼルガディスはフードとマスクで目元以外をすっぽり覆っていた。王宮からの最短コースをとるのにシティ随一の大通りを抜ける必要があったからだが、フードをはね上げ片手でマスクをずり下げたゼルガディスの異相を見たとたん、男たちの喉仏がごくりと動いた。
「おや、どこかで会ったか?」
 ゼルガディスはフンと笑って、
「まあいい。紹介させてもらおうか。俺は「ゼルガディス」という。その様子なら通り名の方を聞き慣れてもらってるかもしれんがな」
 首格の男の片頬がびくりと痙攣する。まさしく知っているのだ。その道では有名なこの合成獣の経歴を。
「こっちはリナ=インバース。美少女天才魔道士だ・・・そうだ」
 後半はこころなし小声である。こんどこそ男たちが一斉に目を剥いた。
「リナ=インバース!!ど、どどドラまたっ?!」
「どやかましいっ!こっちも色々事情があって急いでるのよ。今度こそ話してもらえるわね、へぼテロリストのおっちゃん!」
「・・・ふ、ふざけるな!」
「ですってゼル。これはもう仕方ないっしょ」
 ゼルガディスが肩をすくめて興味なげに壁際へ寄ると、椅子を見下ろすリナの口元ににんまりと不気味な笑みが浮かんだ。
「んじゃ、ちゃっちゃとしゃべってもらうとしますかね!」

        

             

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