姫の憂鬱                聖都怒濤の五日間10

        

             

 午後をずいぶん回っても、謁見の間はなお人波で溢れていた。
 大国セイルーンの王宮には、各国・都市からの使者が日々絶え間なく訪れてくる。セイルーンの代表として彼らの話を聞き、もてなして帰すのが、フィリオネルが国を空けている間留守を任されたアメリアの一番の仕事だった。
 玉座へと中央を一直線に走る深紅の絨毯の上には、国ごとに群れをなした使者団がずらりと並び、その先端ではいかにもお姫さま然とした清楚な衣装のアメリアが、玉座の傍らにたってしかつめらしくうなずきながら彼らの話を聞いている。旅の道中こそお子さま扱いされていたが、彼女も国に帰れば皆に愛される良き指導者の卵なのだ。使者たちがどことなく騒がしいのは大広間の惨状を目にしたからだろう。さざめく気配にまじって、ときおり、
「そんなのぜったいまちがってますっ」
 だの、
「愛!正義!!友情!!!勝利!!!!」
 だの、
「正義は勝ーつ!このアメリア=ウィル=テスラ=セイルーンが、必ずや悪をうち滅ぼしてみせましょうっ」
 だの、いつもと変わらぬアメリア節が響いている。
「なあんだ、元気そうじゃない。心配して損しちゃった」
 側壁を飾る巨大列柱の狭間に立ち、リナは背伸びしながら遥か前方のアメリアを眺めやった。寝室はもぬけの殻で、侍女たちから普段のように政務についていると聞きここまでやってきてみたのだが。
「でも調子悪そうだぜ、やっぱり」
 ガウリイは心配そうに言うが、常識範囲の視力しか持たないリナの目には遠すぎて判別がつかない。リナはそのまま首を巡らせた。
「えー、ジョルジさん、ジョルジさんは・・・と」
 いた。
 玉座の壇下、リナたちから向かって右手の壁沿いに、王宮つきの文官武官とならんで見覚えのある役者顔が立っている。
「あれがジョルジさんか。へえ」
 リナの視線を追ってガウリイが声をあげた。初対面のようなことを言っているが顔はもちろん合わせ済みである。毎度のことなのでリナも横っ腹に肘鉄を入れるだけに止め、
「悪い人には見えないんだけどなあ。いまいちなじめないのよね、確かに」
「なんでだ?お前よりきれいな顔してるからか?」
 公の場で魔法をぶっ放すわけにはいかない。リナは震える拳を握りしめ、
「・・・意味わかって言ってんでしょうね、ガウリイ・・・後で覚悟しときなさいよっ。そうじゃなくてすごく冷たい雰囲気がするの。うまく言えないんだけど・・・」
 ゼルガディスもいわゆる冷たいタイプの人間だが、リナが思うにあの冷たさは、自分に目指す、しかもたどり着けるかどうかもわからない目的があるがゆえの意志の鋭さからきているのであって、彼本来の人間性とはさほど関係がない。だがジョルジには、高慢だとか冷徹だとかいう人間臭い感情や印象の冷たさなどとは異質の、心自体の温度の低さのようなものを感じてしまうのである。
「リナさーん!ガウリイさーん!こんにちはー!!」
 会談を一通り終えたアメリアが、ドレスの裾を勢いよく宙に舞わせながら走ってきた。
「見ろ。な」
 ガウリイがしたり顔でうなずく横で、リナもまじまじとアメリアの顔を見つめ、
「ほんと。アメリア、ちょっとあんた大丈夫?」
「なんですか?」
「顔色悪いわよ。寝てたほうがいいんじゃない?」
「いいえ、そういうわけにはいきません!」
 ひねりを入れて宙返りし、珍しく足からみごとに降り立つと、アメリアは羽織っていたショールごとぴたりと天を指差した。にっこりリナを見上げて、
「ね、リナさん、着地うまくなりましたよねわたし!」
「はいはい」
「今のわたしはセイルーンを預かる身、毒ごときに負けてなどいられませんっ。父さんの代理として公務を果たし、悪の魔の手からセイルーンと世界を守る、これこそこのわたしの信じる愛と正義の道なのです!」
「それはいいけどさ」
 リナは両手を腰に当ててアメリアの顔を覗き込んだ。
「毒のせいであんたに万が一のことがあったらどうするつもりなのよ。フィルさんは悲しむわ侍従長や大臣は揃って責任取らされるわあたしたちは報酬もらえないわ、セイルーンが大混乱よ。そうなっちゃってもいいの?」
「それは、よく・・・ないです」
 アメリアはしゅんとうつむいて、
「でも元気なのは本当なんですよ。ゼルガディスさんにも叱られましたけど、おかしいところなんかないし。顔色が悪いんだったら多分・・・」
「何よ」
「あれのせいかと」
 こわごわアメリアが視線で示した窓の先、繁る木立の彼方には、昨日まで大広間と呼ばれていた廃墟が見えていた。
「なるほど、あれね。あれ・・・ああ・・・」
 仕事に入る前、アメリアは復旧工事の見積りを見たのである。延々とならぶ費用の桁の多さを思いだしてふらりと倒れ込むアメリアを、リナは慌てて抱きとめた。
「は・・ははは。まああれよ。形あるものはいつか壊れるってあんたもどこかで言ってたでしょ。成り行きだったんだってば。いきなりあっちが襲ってきたもんで、その・・・つい力が入っちゃってさー」
「ゼルガディスさんから聞きました。わたしを守るために戦ったんだ、って。ありがとうございます。リナさん、ガウリイさん」
「水臭いこと言わないのっ。仲間でしょっ」
「父さんにこれを報告するときももちろん一緒に来てくれますよねっ!」
「えええー!??」
 いかにもめんどくさそうな奇声をあげつつそっぽを向いたリナが、つと動きを止めた。
 体に緊張が走る。
 真後ろにジョルジが立っていた。
 ジョルジはリナには目もくれず、
「姫、そろそろ。せっかくのお茶が冷めてしまいますよ」
 ガウリイも剣に手をかけていない。アメリアだって何も言わなかった。たまたまそこにいただけなのかもしれない。しかしリナにまったく気配が感じられなかったのは・・・・気のせいだろうか?
「そうでした!」
 アメリアは思わず警戒の色を浮かべたリナの様子に気付かない。のんきにぽんと手を打って、
「おやつ、リナさんたちも一緒にいかがですか。今日は特製のフルーツタルトなんですよ!」
「なに、おやつ!?」
「特製ですって?」
 ある意味最強の「力ある言葉」にリナとガウリイが同時にそちらへ向き直る。
 ゼルガディスに付き合わされたおかげで昼飯のエネルギーがほとんど底をつきかけていたところなのだ。通常の思考回路は遮断され、二人の目に食への情熱が熱き炎となって燃え上がった。
「話がわかるじゃないアメリアっ。さすが国王代理!」
「ゼルガディスさんは?一緒じゃないんですか?」
 アメリアが周囲を見渡しながら尋ねた。人目を嫌う彼のこと、どこかその辺で使者団の人ごみを避けているのだろうと思っていたが、どうやら違うようである。リナが走り出しながら、
「手が離せないのよ今。液体をぽたぽたして楽しんでるわっ」
「ぽたぽた?」
 なんのことやらわからない。アメリアはぽかんとテラスへ駆け去る二人の後ろ姿を見送った。
 その傍らで、ジョルジはなお静かにアメリアの横顔を見つめている−−−−。

        

            

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