11年6月15日 |
結婚おめでとう。
という言葉を、携帯の、PCのメールで打つことが本当に多い2011年の春。こういう時には、おめでとう、と表すのがマナーであり、常識であることから、そして何より新たな2人の門出を祝す気持ちに偽りはないことから、結局「結婚おめでとう」という言葉に落ち着くのですが、貴女がその言葉の相手となるならば少しばかりエッジの効いたものにしてもよいでしょう(そう、今、この文章において、二人称は「貴女」とすることとしました。)。
私と貴女には、彼や彼女と貴女、との関係同様、共通点と相違点があるわけですが、共通点は「意識的/無意識的、いずれにもよる自己主張」と「義憤」、そして「声質」であり、相違点は「信じる力」と「周りを動かす力」であると私は思っています。このことについては、具体的な例示をするまでも無く、同意されるものとして先に進めていきます。
そのような私と貴女において、結婚観(結婚“感”という言葉も含意)がどこまで共通であり、どこから相違であるか、ということを考えた時に、その問題への解決の糸口を「結婚の時期」に求めてみたいと思います。
結婚というのは、第一に社会的な行動・約束事(契約、は言い過ぎだと思いますが)であり、極端なことを言えば「恋人」の延長線上に必ずしもある必要はない、というのは共通認識でしょう。とは言え、今もって貴女はもちろん旦那サマとは恋愛関係にあるでしょうし、ただの社会的な行動・約束事として貴女が結婚するはずもないことは十分すぎるほどわかっています。
なぜ貴女は2011年6月12日(日)に結婚することとしたのですか。裏を返せば、なぜ私は2011年6月12日(日)に結婚しないのでしょうか。その答えは、「信じる力」という話からすれば、相手を信じる力、結婚という行為を信じる力、の違いのように思うし、「周りを動かす力」という話からすれば、旦那サマを動かす力、家族や親族、職場の方を動かす力、の違いのように思います。
私は結婚という決断をすることなく、ここまで生きてきており、これがきっと私と貴女との決定的な差異のように思うのですが、あとはこのことをつまみに(エイヒレくらいにはなるでしょう。)旦那サマを交えて酒を酌み交わす日を待ちたいと思います。
結婚おめでとう、はお腹一杯だと思いますので、貴女に粋な音楽をお贈りします。1953年に録音された『MattDennis PlaysAnd Sings Matt Dennis』から”WILL YOU STILL BE MINE”と”WE BELONGTOGETHER”の2曲。次回お会いする時に、マット・デニスのCDをささやかな贈り物とさせていただきます。それでは末長くお幸せに!
2011年 戦後どころか戦時下の東京にて