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=Seriha's shell=
彼はずっと独りだった。 自分も周りも好きではなかった。 「良い子」にしていないと自分を 認めてもらえないような気がして、 必死に期待に応えようと生きてきた。 「良い子」にするのは疲れたけど、 両親にほめてもらいたかったのだ。 だから母親が家を出て行ったときも自分のせいだと思った。 父と母が別居したのは自分が良い子ではなかったから……。 ひどくおかしな話だが、彼は本気でそう思っていた。 その日は平日で学校はもちろんあったけれど、 芹葉は墓参りに行くことにした。 花を供え、手を合わせ、 それからゆっくりと瞳を開ける。 彼にだけ、彼女の姿が見える。 彼をいつもちゃんと見てくれた人だった。 「ごめんね、今日学校休んだんだ。どうしても  アヤメさんのところに来たくなってさ」   彼女が亡くなって今年で二年が経つ。 彼女は芹葉を育ててくれた人だ。 もともと家政婦として涼白家に働きに来ていたのだが、 芹葉の母親であるなでしこ撫子はバリバリの キャリアウーマンでほとんど家にいなかったため、 アヤメが彼の母親代わりであった。 芹葉は地面に直に座り込んだ。 「……昨日、父さんが母さんと離婚するかもしれないって言ったんだ」 両親は別居中だ。 二人とも仕事をすることが一番だと思っているような 人間だから、うまくいく方が不思議だと彼は思っていた。 「僕は正直どうでもいいんだ。だってそうだろ、僕は  あの家にいて今までと同じ生活を送るんだから。  ……でも、どうして結婚なんかしたんだろう。  どうして僕を産んだんだろう」 芹葉はわからなかった。 自分を産んでくれなかったら、こんなに寂しい 想いをすることもなかったのにとずっと考えていた。 泣きたかったのに涙は出てこない。 「……僕はいつまで独りなんだろう」 この居心地の悪いところで 唯一彼が落ち着ける場所があった。 本に囲まれたこの静かな場所。 図書館は一人で過ごすには絶好の場所だ。 誰の視線も気にしなくていい。 芹葉は来週から始まる試験の勉強をしていた。 とは言っても、全然頭には入らない。 ノートや教科書がただ開いているだけだ。 考えないようにしようとすればするほど頭から離れない。 芹葉はそんな自分にうんざりして机に突っ伏した。 風紗がよくいる教材室にはここ何日間か行っていない。 甘えている自分に気付いてしまったから、 芹葉は抑制しようと決めた。 風紗は彼のことを知っていた。 表面的なことも、内面的なことも全て。 芹葉は今までのことや家族のこと、全てを彼女に話した。 風紗にだったら全てを話せると思ったからだ。 風紗はちゃんと受け止めてくれる。 それを知ってしまったからもうあの場所には行けない。 自分で決めたことなのに無性にイライラしてきて、 芹葉は机に広げたものを全て片付けると席を立った。 階段を降りていく。 途中でクラスメイトの一人とすれ違った。 芹葉は目を合わさず一言も話さないまま降りて行った。 敵を見るような目で見られたけど、いちいち気にしてなどいられない。 「……涼白くん!!」 階段を降り終えたところで不意に呼び止められた。 振り返らなくてもわかる。 あの場所以外では風紗はちゃんと 苗字で呼ぶことを芹葉は知っている。 それでも振り返ると、階段から風紗が降りてきたところだった。 「今帰り?」 「はい」 「……何かあった?」 風紗は芹葉を窺うように見た。 「いいえ」 特に何でもないように返す。 「そう?…最近来ないから何かあったのかなって思っちゃった」 「そんなに入り浸ってたら他の人に変に思われますから」 「変……?」 不思議そうな顔をした風紗は、 やがて芹葉の言葉の意味がわかったようだ。 少し悲しそうに微笑んで言う。 「そう思うのかなぁ……別に疾しいことしてるわけじゃないのにね。  それでも仕方のないことなのかな…ごめんね、気付かなくて」   時々彼女は教師らしくないと芹葉は思う。 普通考えたらわかるだろ、と思うのだ。 「いろいろ頼んだりして甘えてたかも。  気をつけるね、私は"先生なんだし」 何も知らない風紗は最後に微笑んで言った。 そうじゃないと芹葉は思う。 頼まれごとが嫌なわけではない。 甘えてるのは彼女ではなく自分の方だ。 他の人にどう見られたって本当は平気だった。 「……芹葉くん?」 無性にイライラする。 こんなときに"先生"という言葉を使った彼女になのか、 自分自身になのかわからない。 もしかしたら両方になのかもしれないと 芹葉は頭の片隅で冷静に考えていた。 それなのに無意識に言葉は口をついて出た。 「風紗さんは何とも思ってないのかもしれないけど、少なくとも僕は違う」 風紗はきょとんとした顔で芹葉を見ていた。 —————だめだ……言うな!! わかっているのに止められない。二人の視線がぶつかる。 「 僕はあなたが好きです 」 想いを伝えてしまった次の日から、 芹葉は風紗を前よりももっと 意識するようになってしまった。 顔を合わせないように 極力避けてはいるのだが、 週に二回ある魔法史の授業は 風紗が担当なので非常に気まずい。 芹葉の席は窓側なので外がよく見える。 四階からの眺めは結構いい。 だけど、今は景色なんか目に入らなかった。 風紗の驚いた顔が消えない。 あの後風紗がためらいがちに何か言いかけたが、 芹葉は聞くのが怖くてすぐに風紗を残して帰ったのだった。 会いたい人なのに今は会いたくない。 顔は見ないようにしているけれど、 声は嫌でも聞こえてくる。 芹葉がずっと窓の外ばかりを見ていると、 風紗は軽く教科書でたたいた。 「外じゃなくて黒板を見なさい、黒板を」 —————何考えてるのかな。 いつもよりも長く感じられる一時間が終わって ほっとしていると、風紗は教室中を見渡して言った。 「今日からノートを集めて持ってきてくれる人を日にちで決めたいと思います。  今日は七日だから出席番号は……涼白くんね。涼白くん、よろしく」 風紗は伝えると教室を出ていった。 —————どうしよう……。 芹葉は長いため息をついた。 結局放課後になって芹葉は 三十五人分のノートを持って、 のろのろと職員室へ行った。 そこに風紗はいなかった。 机の上にノートを置いていこうと芹葉は思う。 「木月先生なら教材室だ」 置きかけたときに隣の机に向かっている 数学担当の教師がそう言った。 「……だから置いていこうと思ったんですが」 「ついでだ、これ持っていってくれないか?」 「…………」 「いいだろ、ノートのついでにさ」 教師は三十五人分のノートの上にファイルを乗せた。 仕方なく芹葉は教材室へと向かった。 久しぶりに来た教材室に風紗はいた。 「失礼します」 芹葉は入って、風紗が向かっている机の横の、 少し大きめの教卓の上にそれらを置く。 三十五人分のノートとファイルだ。 「有難う、ごくろうさま」 なるべく顔を見ないようにして、 すぐに出て行こうとする芹葉を風紗は呼び止めた。 「芹葉くん」 彼は背中で風紗の声を聞く。 「何で避けるの?……避けられるの嫌だな、私」 芹葉は振り向いた。 「わからないんですか」 「え?」 傷つけるつもりはないのに体が勝手に動いてしまう。 頼まれたノートが何冊か音を立てて落ちた。 風紗の手首がすごく細いことを、 掴んで初めて芹葉は知った。 びっくりしたような、 泣き出しそうな彼女が下から芹葉を見つめている。 教卓の上に風紗の体を押し付けたまま、 芹葉は躊躇することなく彼女の口唇にキスをした。 静かだった。 この空間だけが、他の場所から 切り取られたみたいだった。 遠くの…遠くのところで 他の生徒たちが騒いでいるような、 はっきりとしない音が聞こえる。 空は青いのに彼らには見えない。 やがて口唇を離すと、 芹葉は何も言わずに部屋を出た。 風紗の顔なんて見れなかった。
             
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