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Jack My Golden Bangladesh Language [English/Japanese]

週間日記 (多分隔週・・・)

もう今月の30日には、日本に帰ることになってしまった。早いものだ。
今月に入ってからみるみる日にちが過ぎている。

私は19日にクルナのみんなと別れ、ダッカに引き上げてきた。本当ならまだクルナに居られるのだが、来年一月に行われる選挙のため治安が段々悪くなっていて、その為、JICAからは、上がれるときにダッカに上がる様に言われていた。
それで仕方なく19日に上がってきたのだ。
正直、もう少しクルナのみんなといたかった。

今のこの治安悪化は、2年間バングラデシュのために活動した人間に対して、本当の酷い仕打ちだ。
もうしょうがないなぁ(笑)。

<タイ日記 最終話>
9月の終わりにタイでは軍事クーデターが起こった。

私はその2週間前にタイにいたのだが、その際ずっと、友人からタクシンの話ばかり聞かされた。
友人が言うには、タクシンは、政治家ではなく優秀な企業家ということ。
タクシンは、政治家という力を利用して、タイのライフラインにかかわる企業はほとんど牛耳っていた。それはマスコミにも及ぶらしい。
友人の話を聞いて一番怖かったのは、地上波放送局もタクシンの息がかかっていて、当然その放送局はタクシンの悪口は言わない。要はまっとうな情報を流さないとのこと。
ケーブルテレビはそのようなことがないらしいが、ケーブルテレビを見られる人は2割もいない。つまり8割の人間は、テレビからタクシンの良い事しか聞かないのだ。
こえぇ。

なので再選挙をしたらタクシンの政党がまた与党になり、タクシンが政権を握る可能性があったらしい。
こえぇ。

そんなわけで私の友人ガイ君は、『No Thaksin』Tシャツを着て、自らデモに参加していた。
その約10日後にタイでクーデターが起こった。

<赤痢日記>
9月20日:
発症三日目、熱はほぼ平熱に戻る。しかしお腹の違和感、下痢、頭痛はいまだに続いている。

このときにはまだ赤痢と断定されていなかったが、赤痢特有の『渋り便』を発症していた。
渋り便とは、便意をもよおしても便が一向に出ない状態である。私のときはピチピチと湿っぽいおならが出るだけだった。

この辺りになってくるとお尻の拭きすぎでヒリヒリしてくる。
仕方ないので、バングラスタイルに従って、手でお尻に水をかけ、手で洗う様にしていた。実はこっちの方のが清潔なのかも。
どちらにせよ、手をしっかり洗わないと赤痢が感染する可能性がある。

このときほとんど、ヒットポイント一桁ぐらいの状態であった。そのときだったらバングラの蟻に簡単に負けていただろう。

その日の夕方、オフィスの同僚が心配して見舞いに来てくれた。
そのとき『おなかが悪いときはバナナは食べちゃ駄目だから。』と言って、リンゴを持ってきた。

下痢のときバナナは駄目なのは、ベンガル人なら誰でも知ってることなのか。
うーん、日本でも下痢したらバナナを食べないようにしよう。

赤痢日記が書き終わる前に、私の活動が終わってしまいそう。

Update[23/Nov/2006]
BCCのみんなと航空会社のオフィスの前で。
マイリキシャワラのリザウッドもいる。
ハーモニアムの先生。
これが『No Thaksin』Tシャツ。モデルはガイ君。
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