Last updated: 2017/7/30/

いちごぶいちぶサヨク党




このページの文章は修正する必要がある部分が多々あると思いますが、ネット使用自由時間が少ないので(精神科病院へ隔離されているので)できずにいるところがあります。
灰人→サヨク
警察右翼→山形浩生関係本名不明女中心主義者
玲奈→山形浩生関係本名不明女
などと表現を変えたいです。

もし母親が自分の子供に、「誰も見てないから」と言っても、神はあなたを見ています。
パンへの飢えがあっても、友や仲間との絆や愛に満たされた人もいると思います。 愛とか、承認とか、親切な心、思いやりの心とか絆や友や仲間との親密な心の交流へ飢えている人が沢山います。たとえパンで満たされていても。
このような大きな飢え、欠乏のためにこそ、人々は苦しむ事もあるのです。
もし経済的貧困者や承認の供給不足の人が飢えて死ぬとしたら、それは神がその人たちを愛していないからではなく、あなたが、そして私が、与えなかったからです。神の愛の手の道具となって、パンを、承認をその人たちに差し出さなかったからです。
飢えといってもパンがないためでなく、愛、思いやり、心遣い、承認、受け入れてくれる人の声を与えないことの飢えなのです 。
今日、キリストは、いらないと思われている人、雇ってもらえない人、愛してもらえない人、承認の供給不足の人、飢え渇く人の中におられます。これらの人々は、国家、社会からはいなくてよいものと思われ、誰もこの人たちのために十分な時間をさこうとしません。
尊敬、愛、承認の供給が、人生の中の落とし穴を避けさせてくれます。
それらの供給不足な人にとって、キリスト者は希望の光です。
飢え、孤独、受け入れられず、愛されず、必要とされないという痛みを痛み続けている人は、それこそが辛いこと、本当の飢えなのだり、キリストに似ていると言えましょう。
誰からも必要とされていないと感じること、これこそが最大の病なのです。
物質的貧困と違った貧困があります。精神的な貧困、孤独、必要とされない貧しさ。
寂しさのあまり死にそうな人もいます。他者の温かい声を聴きたくてたまらない人もいます。

マザーテレサ様の言葉を少し改造してみました。
入院患者さんが貸してくれた本を参考に。


★世界人権宣言から
◆前文
人類家族全員が本来もっている尊厳と、平等で譲り渡すことのできない権利を認めることが、自由と正義そして世界平和の基礎である。
人権の無視と軽蔑が、人類の良心を踏みにじる野蛮な行為を引き起こしてきた。また、人間が言論と信仰の自由と恐怖と欠乏からの自由を保障される世界の到来が、当たり前の人々の最高の願いであると宣言された。
人が最後の手段として、専制と抑圧への反逆に訴えることを強いられなくなるためには、人権が法の支配によって保護されることが不可欠である。
国家間の友好関係の発展を促進することが必要不可欠である。
国際連合に加盟した諸国民は、国連憲章の中で、基本的人権、人格の尊厳と価値、そして男性と女性の平等の権利に対する確信をあらためて確認し、より広い自由の中で、社会的進歩とより良い生活水準を増進するように決意した。
加盟国は、国際連合と協力して、人権と基本的自由の普遍的尊重と遵守の促進を実現することに努めることを誓約した。
これらの権利と自由の共通の理解が、この誓約の完全な実現にとって最も重要である。
以上のことを踏まえて、ここに、国連総会は、この世界人権宣言が、すべての国民とすべての国家にとって達成されなければならない共通の基準であることを宣言する。宣言の目的は、すべての個人と社会のあらゆる組織が、常にこの宣言を念頭に置いて、これらの権利と自由の尊重を促進する教授と教育に努め、国内と国際両方の進歩的措置によって、加盟国自体の国民と、それらの管轄下にある領域の人々双方に、権利と自由の普遍的で効果的な認識と遵守を確保するように努めることにある。
◆第一条
すべての人間は、本来自由に生まれ、尊厳と権利について平等である。人間は、理性と良心を授けられていて、同胞としての心をもって互いに接すべきである。
◆第二条
すべての個人は、この宣言が定めたあらゆる権利と自由を保障される。その場合に、人種、肌の色、性、言語、宗教、政治的あるいはその他の意見、国民的もしくは社会的出自、財産、出生その他の地位によって差別されない。
さらに、ある人が所属する国や領土の、政治的、法的、国際的地位が、独立国であろうと、信託統治下にあろうと、自治がないか、あるいはそのほか主権が制限されているかなどによって、いかなる差別も受けない。
◆第三条
すべての個人は、生命、自由および身体の安全への権利をもつ。
◆第四条
人は誰も、奴隷や隷属状態におかれることはない。奴隷制度と奴隷の取引は、どんな形態であっても、禁止される。
◆第五条
人は誰も、拷問や、残虐で非人道的な、あるいは品位を傷つける取り扱いや刑罰の対象とされない。
◆第六条
すべての個人は、どこにいても、法の前で人格をもつ者として認められる権利がある。
◆第七条
すべての人間は、法の前に平等であり、どんな差別もなく、法の平等な保護を受ける権利を持つ。すべての人間は、この宣言に違反するどんな差別に対しても、またそのような差別の扇動に対して、平等の保護を受ける権利をもつ。
◆第八条
すべての個人は、憲法もしくは法律によって与えられた基本的権利を侵害する行為に関して、権限ある国内裁判所による実効的救済を受ける権利をもつ。
◆第九条
人は誰も、恣意的逮捕、拘留、あるいは国外追放の対象とされない。
◆第十条
すべての個人は、自分の権利と義務およびかけられた犯罪容疑の有無の決定に関して、独立で公平な裁判所による、公正で公開された審問を受ける権利を完全に平等にもつ。
◆第十一条
第一項 刑法違反容疑で起訴されたすべての個人は、公開の裁判で法律に従い有罪と証明されるまでは、無罪の推定を受ける権利をもつ。裁判では、被告人は自分の防御に必要なあらゆる保証を受ける。
第二項 人は誰も、国内法あるいは国際法によって、行為時に刑法犯罪を構成しない行為や怠慢を理由として、刑法上有罪とされない。あるいは、犯罪が行われた時に適用されていた刑罰よりも、重い刑罰を科されることはない。
◆第十二条
人は誰も、自分のプライバシー、家族、家庭ないし通信に対して、恣意的な干渉を受けない。また、自分の名誉や社会的評判に対する非難も受けない。すべての個人は、そのような干渉や非難に対して、法の保護を受ける権利をもつ。
◆第十三条
第一項 すべての個人は、各国の国境内で、自由に移動、居住する権利をもつ。
第二項 すべての個人は、自国を含めたどの国からでも去る権利と、自国に帰る権利をもつ。
◆第十四条
第一項 すべての個人は、他国において迫害からの庇護を求め享受する権利をもつ。
第二項 全くの非政治的犯罪あるいは、国際連合の目的と原則に反する行為に基づいて追及されている者は、この権利を援用できない。
◆第十五条
第一項 すべての個人は、国籍を保持する権利をもつ。
第二項 人は誰も、恣意的に自分の国籍を剥奪されない。また、国籍を変更する権利を否定されない。
◆第十六条
第一項 規定の年齢に達した男女は、人種、国籍あるいは宗教による制限を受けず、結婚し家族をつくる権利をもつ。男女は、結婚している間およびその解消の時、結婚に関して平等の権利をもつ。
第二項 結婚は、結婚しようとする配偶者の、自由で完全な同意に基づいてのみ認められる。
第三項 家族は、社会の自然で基本的な集団単位であり、社会と国の保護を受ける権利をもつ。
◆第十七条
第一項 すべての個人は、単独であるいは他人と共同で財産を所有する権利をもつ。
第二項 人は誰も、恣意的に財産を剥奪されない。
◆第十八条
すべての個人は、思想、良心および宗教の自由への権利をもつ。この権利には、自分の宗教や信仰を変える自由と、単独であるいは他人と共同で、教導、礼拝、祈りおよび儀式の際、公然ともしくは私的に、自分の宗教や信仰を告白する権利が含まれる。
◆第十九条
すべての個人は、意見をもち表現する自由をもつ。この権利には、干渉されずに意見をもつことと、どんなメディアを通じても、国境に関わりなく情報や思想を求め、受け取り、与える権利が含まれる。
◆第二十条
第一項 すべての個人は、自由に平和的集会に参加し結社をつくる権利をもつ。
第二項 人は誰も、ある結社に属することを強要されない。
◆第二十一条
第一項 すべての個人は、直接にあるいは、自由に選ばれた代表を通じて、自国の統治に参加する権利をもつ。
第二項 すべての個人は、自国で公務員になる平等の権利をもつ。
第三項 人民の意思が、政府の権威の基礎である。この意思は、定期的で真正な選挙で表明される。選挙は、普通平等選挙でなければならず、秘密投票あるいは同様の自由投票手続きによらなければならない。
◆第二十二条
すべての個人は、社会の一員として、社会保障を受ける権利をもつ。そして、国家の努力と国際的協力を通じ、各国の機構と資源に従い、自分の尊厳と人格の自由な発展に欠かせない、経済的、社会的、文化的権利を実際に保障される権利をもつ。
◆第二十三条
第一項 すべての個人は、労働する権利、自分の就きたい職業を自由に選び、公正で有利な労働条件と、失業に対する保障への権利をもつ。
第二項 すべての個人は、どんな差別もなく、同一労働に対して同一賃金を受け取る権利をもつ。
第三項 働くすべての個人は、自分自身と家族の、人間らしい尊厳に値する生存を確保する、公正で有利な報酬を受ける権利をもつ。それは、必要な場合には、社会的保護のためのその他の手段で補充される。
第四項 すべての個人は自分の利益を守るため、労働組合を結成し参加する権利をもつ。
◆第二十四条
すべての個人は、休息と余暇を取る権利をもつ。それには、労働時間の合理的制限と、定期的有給休暇が含まれる。
◆第二十五条
第一項 すべての個人は、自分と家族の健康と福利に十分な、生活水準を保つ権利をもつ。それには、食料、衣服、住居および医療そして必要な社会的サービスが含まれる。また、失業、病気、障碍、夫の死亡、高齢あるいは自分の制御できない状況で生計手段を喪失した場合に、保護を受ける権利をもつ。
第二項 母性と子どもは、特別の保護と援助を受ける権利をもつ。すべての子どもは、正式の婚姻、あるいは婚姻外のどちらから生まれようと、同一の社会的保護を受ける権利をもつ。
◆第二十六条
第一項 すべての個人は、教育を受ける権利をもつ。教育は、少なくとも、初等および基礎的段階では、無料でなければならない。初等教育は義務教育としてなされるべきである。技術的、職業的教育は一般に利用可能とされるべきであり、高等教育は、能力に基づいて全員に可能性が平等に開かれていなければならない。
第二項 教育は、人間としての人格の完全な発展に向けてなされ、人権と基本的自由の尊重を強める方向で行われなければならない。教育は、すべての国民および人種、宗教集団間の、理解と寛容と友好を促進し、平和維持のための国際連合の活動を高めるものでなければならない。
第三項 両親は、自分の子どもに与える教育の種類を選ぶことのできる、優先的権利をもつ。
◆第二十七条
第一項 すべての個人は、共同体の文化的生活に自由に参加し、芸術を楽しみ、科学の進歩とその恩恵を分かち合う権利をもつ。
第二項 すべての個人は、自分の製作した科学的、文学的あるいは芸術的作品から生じずる、精神的、物質的利益を保護される権利をもつ。
◆第二十八条
すべての個人は、この宣言で定められた権利と自由が完全に実現される、社会的、国際的秩序の下で生きる権利をもつ。
◆第二十九条
◆第三十条
この宣言のどの部分も、国家、集団、あるいは個人が、この宣言に定められた権利と自由のどれでも、破壊する目的でなされる活動に従事し、行為をなす権利を与えるものと解されてはならない。


国際人権規約A/国際人権規約B/

妄想を最小限に食い止め、情報公開によって解放へと運んで行くのが正常な判断です。人道派を非人道的な存在であるかのように見なし本来の自由な権利を侵害するのではなく、対等な人間としてコミュニケーションをすることが現在の日本では考えられてないのかもしれない。この状況を乗り越えて、自殺誘導や死刑ではなく、平等と対等な人間としてのプライバシーや人権と日本社会での社会生活の肯定と連帯の確保を選択するにはどうしたらいいのでしょうか。
警察の力を背後に置いたアンチ人道派の活動により、藤田信之の私生活のプライバシー軽視が行われ、差別教徒たちの隠喩表現でのリンチは通常の社会で考えられないような形で拡大しているようです。こうした想定は、それこそ妄想として一蹴されるのでしょうか。
人道派への警察の先制攻撃は、藤田信之を事情を聞かされていない状態での間抜けで私的幻想に閉ざされたプライバシーを軽視された世界での生活を強制される状況に置かれる事になります。それを望んでいる差別教徒たちがしている事は、差別教徒の実行部隊と接触対象の交渉(藤田信之を除いた国民との藤田信之への権利侵害行為の同意)を進め、藤田信之の被害者としての高度な言論の組織化と拡散防止をめぐるコミュニティ間協議の枠組みづくりに貢献し、文化的に豊かな事実を指摘する情報と承認の供給を減らし、藤田信之の精神を承認飢餓と事実を提供する対話への飢えに追い込むことのようである。人間的に下劣で愚か者とされ、いってみれば「民主的なDQN退治の対象(by 自称護憲派左翼の中塚尚子)」を対話の相手とすることは、非国民だと見なす者もいるようです。同じ日本国民の一家が監視付き生活を強制され通信の秘密やプライバシーを軽視されされ属領化され、国民の支持により動く差別教徒の実力を背後に差別的言論の標的にされ、藤田信之に精神的苦痛が与えられ、そして強大な力を持つ差別教徒が考える民主主義をあるべき秩序として世界に拡げるということは、「近代社会の合理的理性」を称する者たちによる選民的体制の確立のように思えます。藤田信之が本来保障されるべき人権やプライバシーや秘密が認められた安心できる人間的なコミュニケーションは大幅に軽視されて、自尊心を傷つけられ、警察の説得により藤田信之の知人・友人・親族などのネットワークの極端な右派たちは藤田信之への種々の権利の剥奪と妄想としての処理に同意しているようで、無視や放置が容認されている状況があるわけです。
差別教徒の民主政治のなかでは、差別教徒たちは藤田信之を「知的で理性的な」判断により死に至らしめる対象とみなす者たちもいるようです。差別教徒による監視付き生活の強制と同じ日本国民の正常な対話の不足が、近代社会の知的で理性的な判断の普及が作り出したものであるようで、人道派への差別教徒の実行部隊による権利侵害行為もまた、いくつかの誇大妄想が生み出した人道派差別の態勢維持のためのもののようです。差別教徒の実行部隊は通常の状態において効力を発揮する法秩序の外にいる。法秩序の外にあり、しかしまた法秩序に属している。差別教徒たちによる精神的虐待への異常なまでの情熱は、本名不明女性という山形浩生ファンクラブ部長の誇大妄想によって煽られていたとしか思えません。人道派の藤田信之の「特権」をなくすという名のもとに人権やプライバシーを軽視し、憲法が守るべき国家による権利侵害行為に無干渉のままた放置する者たちがいるようです。そして藤田信之やその権利擁護を考える人道派たちを例外的存在として侮辱の対象とし、ただの「貝や亀やイカ」とみなす事をやっている者たちもいるようです。これはどう見ても、藤田信之とその権利擁護を考える人道派の精神に多大な苦痛を与えていますし、日常的事態ではありえません。
さらに科学警察系の機関の力、とくにその藤田信之に対する本人の同意を得ていないプライバシー侵害や通信の秘密の侵害や内心を探り当てる人権侵害テクノロジーや音響効果によるスピーカーからの勝手な音声の垂れ流しの行使を望む声とその技術に対する異様なほどの賞賛の声を挙げる差別教徒たちがいるようです。国内の差別的言論態勢を支えるのは科学警察系の機関の力であり、それがあれば差別教徒たちの覇権は揺ぎ無いという判断です。
もちろん、藤田信之の知性の凡庸さの指摘を望む声と、自作自演を経た捏造ソースの作成だけで、差別教徒たちの権利侵害行為の横行の全てを説明できるわけではありません。数々の要因が藤田信之や他のサヨクたちへの攻撃に働いているに違いありません。
過剰な精神的虐待への異常なほどの情熱は、山形浩生ファンクラブ部長(本名不明女性)をやっていた一人の存在に特権的地位を与えてきている事にも由来するのでしょう。藤田信之を大バカ者とみなして、科学警察系の機関の力を翼賛するという差別教徒たちの立場は、内部に様々な矛盾が入り乱れている。藤田信之に対する正確な情報伝達の遮断により正確な判断をさせず、国民の民主主義に支えられた差別教徒が、平時の健全な日本社会では考えられない異常な差別行為の横行と権利侵害行為を行い、異常な音声が市民に流されているのは確かなように思えます。
差別教徒たちは科学警察の監視技術を背後に置き、隠喩表現での精神操作による藤田信之の死刑を望んでいる者もいて、人間的で秘密が守られた正常な情報交換と正常な映し鏡による充分な承認の供給を視野から外し、差別教徒による情報伝達に被差別者の当事者である藤田信之を蚊帳の外に置いているように思われます。藤田信之を危険な人物であると解釈する軸もまた、まさしく科学警察の権利侵害行為の横行を国民に許容されせるための価値観の中にある。藤田信之に対して「あいつは自分達と違う下等な、表現内容に深い共感を示す必要のない愚鈍な、だからこそ危険な不審者である」というそもそも対等な人間としてのコミュニケーション不要ということを前提にする傾向が差別教徒たちでは非常に強いように思われます。ネットでも同様で、とくに匿名掲示板2ちゃんねるなどで、そういうことを書くと面白いから、藤田信之はどこまでキショ(by 綿矢りさ)くてバカな人物か、どこまで精神の実質がキショい(by 綿矢りさ)かということを隠喩表現で強調する者たちがいる。背後にAA(警察アート)による支えがあるのも事実です。
差別教徒たちによる隠喩表現の精神操作に基づく過激な差別的書き込みについては、宮台真司が言った「言論の自由を最大限に認めるべき」とし、藤田信之はプライバシーを軽視され通信の秘密も侵害された環境での生活を強制されてきたので、様々な局面で精神的加害行為と間接的な脅迫行為の横行をもたらし、藤田信之に種々の精神的苦痛や精神的被害を与えていたようです。
日本の言論界の公の部分では、この問題がストレートな表現では公の文字メディアでは全く語られてこなかった。日本で監視付き生活を強制されている藤田信之について
「本人の同意なく自慰映像を公開されていた事により女性たちの性的慰安の対象となっていた藤田信之は、本人に対する人権侵害行為の謝罪と十分な精神的ケアが必要な存在だ
という正常な世論を形成しなければならない、というのが本来の人道派の立場ではないでしょうか?
「彼は彼女のために」「男女平等社会の到来を」などという口実を取り付けて、客観的に言って藤田信之本人より能力の低い愚か者の一部の女性をも調子づかせて、「死ね死ね(by 玲奈や福山望)バカDQN(笑)おまえは女性たちの私的な満足のために生まれてきたの(笑)私たちがやっているのはDQN差別(笑)(by 中塚尚子)」などという差別教徒たちもいるようです。
私が想定する差別教徒の差別主義者の山形浩生ファンクラブ部長(本名不明女性)の思惑では、複数の共同体を自分の傘の中に入れ、藤田信之は複数の共同体の外に置くということで線引きされてちょうどよくしようとしているようです。山形浩生ファンクラブ部長(本名不明女性)のただの自己満足の精神的虐待行為を国際社会の支持を得て、国際的なバックアップを得るために、国民を何らかの形で巻き込むというやり方をとるわけです。
結局、差別教徒の場合、藤田信之に対するプライバシー軽視待遇の維持と、音声での虐待により承認と状況改善の知識と教育への飢えを生じさせた結果、正確な情報提供の不足の支持を考えているようで、藤田信之の置かれた状況に関する倫理的問題について語る本人に公開された公の場がないのが悲しい。結局は差別教徒たち巨大な力を持つ科学警察にぶらさがって生きている。自分達の仲間にならず藤田信之を支持するのは程度の低い馬鹿か異常者だけだと主張している者たちもいる。
差別教型の「友愛関係と相互承認のネットワークから排除すればいいんだ」というようなやり方をここで黙認しては、どんどん排除の思想が蔓延していくだけだという危機感は正常なものだと思います。残念ながら差別教徒たちは藤田信之とその権利侵害行為の救済を考える人道派との対等な人間としての共存という観念がないのかもしれないし、人権に関する意識も藤田信之に対しては軽視してもいいかのように思っている差別教の人達が多いようです。
藤田信之に対する権利侵害行為は、本人の側にはいつからなのか聞かされてない。具体的にどのような非日常的事態に置かれているのかという事実の提供を藤田信之の側は十分に得ていない。
その場合に、たんにネット上の匿名の言論での過激な差別教徒の発言だけの問題ではなくて、社会全般の風景が変わってきていると思います。日常と非日常の区別がなくなるということだと思います。社会の風景も流行も根本から変わるということですね。そういう意味で、これは非日常事態だと思います。藤田信之や他の人道派たちが記録していた差別教徒たちの振る舞いを規制の対象としていたならば、このような事態には至らなかったかもしれません。そういう歴史の歯車が狂っていった末の悲惨な結果の中に藤田信之はいる。
「本人の知識の不足と正常な自己肯定感の不足から藤田信之の自己正当化のための筋の通った理屈は乏しいだろうし(by 福山望)、自分自身に対する愛は乏しいからとにかく隠喩表現で締め上げれば音をあげるだろう(笑)」、と。とにかく藤田信之を国内の視線に晒し、匿名掲示板上で隠喩表現を使い、嘲笑と蔑視とからかいの対象にしていくという、私刑が行われているようです。
藤田信之は、反社会的な大バカ者であるというレッテル貼りが行われていて、正常な連帯解除と差別の対象とされ救済の声を藤田信之が直接把握できる公の文字メディアで挙げる者がおらず、プライバシーを軽視された存在として扱われているのでしょう。藤田信之の健全な自己肯定感覚の欠如につけ込み、「真性の人間」のおぞましい反対像として扱いたがる者たち(by 福山望)もいる。
自分に対する愛が足りない存在はそのまま絶対悪と断言できるでしょうか。もし国際社会で藤田信之に対して変な劣等な異常者を見る目をし、なおかつ警察権力による制裁が必要であり、警察権力の力に頼らなければならないという発言をする人がいれば、そういったことを考えてほしい。

警察権力も背後につけた差別教徒に都合の悪い文化は差別教徒に集団でケチをつけられる。監視社会で見世物生活を強制され人権もプライバシーも軽視されている人がいるのに誰もその事実をストレートで当事者には伝えようとしないし、公式メディアで語らない。これ程強力かつ恐ろしい力はない。プライバシー保護団体もかつての絵師仲間もその状態を公式メディアでは語らない。彼らは結局はリンチ集団にすぎないというのがごく一般的な見方だ。政府は藤田へのプライバシー侵害行為と隠喩表現での虐待にストップをかけるどころか、藤田を保護の対象から外し放置していたようだ。人の家庭を見世物にして親の教育方針や日々の私生活態度や通信内容や聴いている音楽の内容にまでズケズケと踏み込んでケチをつけて来るヤツらなんかは、内政干渉する植民地主義の国家と同じだ。僕はこの藤田一家のプライバシー軽視状態の救済と、僕との正常で人間的な交流を求める。

山形浩生ファンクラブ部長をやっていた本名不明女性について/
福山望について/
女性のハンター達について/
自尊心と承認欲求/
個人の権利の尊重/
被差別階級/一般市民/エリート気取り/ 人が人を真剣に愛さなかったらどうするか?/
科学的な読心術で心の中も覗かれている藤田/
反<ユダヤ>主義的な反<私>主義と藤田信之/
ダサいは無罪/
藤田信之のプロフィール/
サヨクノート/
<生ける死者>と共同体をめぐる物語(作成中・修正中・勉強中)/


You continue to conceal very important secrets.
あなたたちはとても重要な秘密を隠し続けている。
"Dhammapada" ダンマパダ
It is easy to see the faults of others, but difficult to see one's own faults. One shows the faults of others like chaff winnowed in the wind, but one conceals one's faults as a cunning gambler conceals his dice.
他人の過失は見やすいけれど、自己の過失は見難い。人は他人の過失を籾殻のように吹き散らす。
しかし自分の過失は隠してしまう。狡猾な賭博師が不利な賽の目を隠してしまうように。
Seeing their likeness yourself. You should neither kill or cause to kill.
己が身に引きひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。

「Nirvana "LITHIUM" と共にある女性」
参考画・pomodorosa作品集「Music, Fashion and Girl」

We oppose the Death Penalty, Torture, Hate speech and discrimination.
We love brother all over the world.
Fight for Human rights and Justice!!
Please come on Art Bridge group.

私たちは死刑と拷問とヘイトスピーチと差別に反対します。
そして世界中の同志を愛します。
人権と正義のために闘いましょう!!
アートブリッジグループへ来てください。
Facebook:Art Bridge group
https://www.facebook.com/groups/735394063228891/

SCHIAPARELLI参考「Heartache:心痛、悲嘆」
差別、抑圧、嫌悪、無干渉、排除、疎外、残酷な友愛の連帯
軽蔑、侮辱、劣等視、憎悪、暴力、無視、迫害、圧迫、嘲笑、虐待、リンチ
監視、盗聴、通信傍受、個人情報漏洩、心理分析、思考盗聴、サトラレ、実況中継、プライバシー侵害
通信の秘密の侵害、令状なしの家宅捜査、妄想としての処理
愛の不足
からの HELP!(Beatles「HELP!」参考)

You continue to conceal very important secrets.Please tell me truth.
I need LOVE & friends & privacy.
Help me get my feet back on the ground.
[email protected] 080-2458-9137

For my brother
"Bible" 1 John 2:10-11
He who loves his brother remains in the lights, and there is no occasion for stumbling in him.
But he who hates his brother is in the darkness, and walks in the darkness, and doesn't know where he is going.

"Dhammapada" 252
It is easy to see the faults of others, but difficult to see one's own faults. One shows the faults of others like chaff winnowed in the wind, but one conceals one's faults as a cunning gambler conceals his dice.

国際人権規約:経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)
International Covenant on Economic, Social and Cultural Rights
The States Parties to the present Covenant,
Considering that, in accordance with the principles proclaimed in the Charter of the United Nations, recognition of the inherent dignity and of the equal and inalienable rights of all members of the human family is the foundation of freedom, justice and peace in the world, Recognizing that these rights derive from the inherent dignity of the human person, Recognizing that, in accordance with the Universal Declaration of Human Rights, the ideal of free human beings enjoying freedom from fear and want can only be achieved if conditions are created whereby everyone may enjoy his economic, social and cultural rights, as well as his civil and political rights, Considering the obligation of States under the Charter of the United Nations to promote universal respect for, and observance of, human rights and freedoms, Realizing that the individual, having duties to other individuals and to the community to which he belongs, is under a responsibility to strive for the promotion and observance of the rights recognized in the present Covenant

http://www.nichibenren.or.jp/activity/international/library/human_rights/society_convention_en.html

国際人権規約:市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)
International Covenant on Civil and Political Rights
The States Parties to the present Covenant,
Considering that, in accordance with the principles proclaimed in the Charter of the United Nations, recognition of the inherent dignity and of the equal and inalienable rights of all members of the human family is the foundation of freedom, justice and peace in the world, Recognizing that these rights derive from the inherent dignity of the human person, Recognizing that, in accordance with the Universal Declaration of Human Rights, the ideal of free human beings enjoying civil and political freedom and freedom from fear and want can only be achieved if conditions are created whereby everyone may enjoy his civil and political rights, as well as his economic, social and cultural rights, Considering the obligation of States under the Charter of the United Nations to promote universal respect for, and observance of, human rights and freedoms, Realizing that the individual, having duties to other individuals and to the community to which he belongs, is under a responsibility to strive for the promotion and observance of the rights recognized in the present Covenant.

http://www.nichibenren.or.jp/activity/international/library/human_rights/liberty_convention_en.html

「科学警察系の音響研究機関と連帯した人達による音声で精神的に虐待され続け記憶力が低下した後、解雇通知が来た藤田くんと、本とアートブリッジ」


Bonjour!

■「Nirvana "LITHIUM" と共にある人の周りも映してみました」


★アルベルト・シュヴァイツァー「生命への畏敬」参考
人間と友と仲間と名のつく生命すべてに対して、私は畏敬の念をいだかずにはいられない。
人間と友と仲間と名のつく生命すべてに対して、私はあわれみを感じないわけにはいかない。
それがバイオフィリアとモラルのはじまりであり基本です。
一度その感情を経験し、以後ずっとそれを経験しつづけると
—一度経験した者はかならず、経験しつづけるのであるけど——
その人は倫理観のある人間となります。
その人は自分の中にモラルを持っているため、それを失うことはない。
なぜなら、それはその人のなかで育ってゆくからです。
ところが、一度もそのような経験のない人は、ただいくつかの表面的な原則しか持っていない。
そしてこれらの原則は、彼の心の中で根をおろしていないために、彼のものではなく、
いつの間にか消えていってしまうのだ。


◆生きる権利と基本的人権と愛の道理
私たちは社会の発展・貢献のためにこの社会で生きる事を許されているのでしょうか?
違います。この社会に自己の快適で自由な生存と、幸せになるという健全な意思を持って生きられるように生きる事を認められているのです。
それが日本国憲法で保障されている基本的人権というものです。
それは他者や国家によって侵害されてはなりません。
社会に貢献する事が、個人の快適な生存や幸福を損なうものであってはなりませんし、その条件であったりしてはなりません。

人と人とが幸せな関係を結ぶ事、友人を持つ事、愛のある接し方をする事、何事も正常で対等な立場でのコミュニケーションによる解決を図ること——
こうしたものが、人間の平和で安心できる快適な生存に必要な土台です。
社会は、全ての個々人のこうした生活を守ることの味方でなくてはなりません。

そして私は、愛の道理こそが最も大切な人類の宝だと思っています。私たちがより良い生活をするために闘うとき、これを覚えておき、人々に伝えなくてはなりません。

2015.9.4 Nobuyuki Fujita


  • Nine Inch Nails の歌詞から引用改造

  • 壊れた鏡、または 涙を流した愚か者(村上龍「タナトス」参考)

  • 本当にあった話(伊坂幸太郎「オーデュボンの祈り」参考)

  • 日本人の物語(村上春樹の複数の作品を参考)

  • 信之は愚人(綿矢りさ「亜美ちゃんは美人」参考)制作中

  • 地獄とは他人のことだ(サルトル「出口なし」参考)制作中

  • プライバシー関係

  • 小此木啓吾「秘密の心理」参考


    愛と平和と生命と人権の尊さを説く者の部屋

    掲示板です。私をコミュニケーションの相手としてもいい、救済の対象としていいと思ってらっしゃる方は書き込んでください。よろしくお願いします。

    mail:toku2501■gmail.com


    ★Bjork「Hidden Place」改
    秘密が守られず行動も予測された上で、影のネットワークから
    「おまえの望む人を誰でも連れて来てやろう」と
    温かさもあるコードを伝って何人かの著名人さまなどが私の外出先に来ていただいた
    その人たちとどう接していいのかも、どのようにコミュニケーションしていいのかも分からずに
    本と共に私的世界に留まっていた
    来ていただいたありがとうございます
    「誰と会いたい?」とメッセージを送られたので
    「一家4人円満に花見を見に行きたい」と言ったら
    過去の私、小学生の頃の私と兄らしき人2人が父と母と共に幸せそうに花見をしながら食事をとっている映像を頭に送られました
    愛とは家族から始まるもののようで、私は愛に関する問題で涙を流す事が多いです。
    今すぐにでも家族会の方も私に連絡してこう言って欲しい
    「ドライな愛を持ちがちなサヨクを名乗る藤田も生きるに値する」と
    私は内心の自由やプライバシーが守られた場所で
    山形浩生勝手に広報部部長をやっていた玲奈と無関係に生活したい
    月曜日から金曜日は働いて休日や空き時間に読書や勉強をして
    ネットで哲学的議論や知識のやりとりもしたい
    日本社会の中に希望を感じて生きたい
    私からは自分に対する愛の不足を読み取った人も多いのでしょうか
    私の自分自身に対する健全な愛はどこへ行ってしまったのだろう
    そして秘密の守られた場所から情報を発したい
    秘密が守られた場所で互いに尊重しあうコミュニケーションをして共同幻想を築きたい
    玲奈と無関係な所で
    私の知らない秘密を多く持っている人たちがいる
    私は本の言葉などから、理想化された鏡像のごとく自分の実質を覆い隠すように
    自分の“文化”の間に混合して表現してみる
    言葉と愛に飢えた心を傷つけられた者の必然的行為として、許していただきたいです
    その“文化”の間に心を馴染ませようとして
    灰色の表現を繰り返そうとする
    できれば秘密が守られたい領域で、本来ならば誰もが守られるべき聖域で


    ★UNSUN「Blinded By Hatred」改
    家族会の愛があれば私をさらに良くすることもできる
    私の知らないところで相互暴力状態も起きていたのかもしれない
    私は彼らのことはほとんど知らなかった
    あなたはマスコミの伝えない本当の事を話してくれますか?


    ビートルズ「I need you」改造
    私は心が貧しく自分すらうまく愛せていない
    私の元に来て欲しい。私は孤独を感じています
    事実を伝えてくれるコミュニケーションの相手と偉大な知性を持った人の本と不必要な見世物生活からの解放と社会復帰が必要なんです
    私に本来必要なことを全て話してあげてもいい、見世物放送を眺めてきた人たちが隠してきたことを全て話してあげてもいいという人が必要なんです
    事態がどこまで進んでいるのか分かっていません
    幻聴として処理される音声では山形浩生の声で反社会的な表現や、他の何人かの声で「死ね」という声が聞こえます
    他者の瞳に浮かんだ涙を見た時も、私はあまり理解できていなかった
    私が悲劇的な立場に置かれている可能性が高いと
    自己愛を傷つけられた結果、私は無意識的に模倣表現を繰り返していた
    私のようなヤツとはやってられない、という人が多いのかもしれない
    私の元に来て救済の手を差し伸べて欲しい
    あなたたちが必要です


    宮台真司「よのなかのルール」改
    「同じ国民だから仲間だ」などとは言われず、「仲間を殺すな」といわれても、「こいつは仲間じゃねえんだよ」という感性も存在する。
    「仲間」だと感じられるのは、感情に訴えかける魅力が感じられ自分の自尊心が満たされる範囲、つまりかなり小さな範囲に縮んでいる。こうして「仲間」の範囲が縮んでくると「おまえは在日、韓国人、朝鮮人、外国人」といった印象操作が行われ、疎外された人に対して「北朝鮮の工作員」だの「統合失調症患者」だのといったレッテルをはり、「外患誘致罪や内乱罪を適用し死刑にしてもいい」「たとえ違憲でも妄想として処理できるなら令状なしの家宅捜査や私生活の見世物化をしてもいい」「心の底から軽蔑の対象とする喜劇に仕立て上げたい」「つけあがって自爆希望」といった判断がくだされ、毎日2ちゃんねるで韓国人への民族差別などを経由した過激な侮辱が行われていたりしても、「だから何なんだよ関係ねえよ」「おまえの事を必要としている人いないと思うから死んでもいいと思うよ」という認識も存在するようになる。
    「仲間以外はみな風景」「仲間じゃなけりゃ人も野良犬も害虫も生ゴミも寄生虫も同じだ」とばかりに、仲間でない者に対して排他的な言論が占めることになる。
    みんな仲良く平等だ」だと内輪で揉め事が起こるから、連帯の紐帯が薄い被害者に見世物生活を強制させておき、些細な異常行動も発見できるようにしておく必要があると判断したのでしょうか。


    サヨクの置かれた状況で思われるのは、生きている人間が象徴秩序のある境界線を超えると、その生は正常な連帯を解除されることもあり、死へと追い込もうとする事がされたりするということだ。
    象徴秩序においてある境界線を越えると、その生は正常な連帯を失うこともあり、ただの「聖なる生」になってしまうこともある。


    サヨクの文章表現とは、共同体の基礎を築く集団による暴力の、忠実であると同時にまやかしでもある反映なのですが、それは何らかの暴力行為の報告書、ウソではないまでも、私刑のメカニズムの効果そのものによって曲げられ歪められた表現の真実を暴こうとする報告書なのです。要するに、サヨクの文章表現とは迫害者たちによって歪められた表現を、被害者よりに修正した回顧的なヴィジョンです。我々は、見世物生活中の被害者の側に立って被害者は死に値するような人間ではないとみなし、サヨクによる、迫害者たちの罪状を述べたてるような主張を、無意味でデタラメな捏造とみなすわけにはいきません。
    サヨクの文章表現は、証拠を捏造した創作ではなくて、迫害者の中心人物たちを特権化した集団である私刑参加者たちの真実を暴いたものである。
    監視付き見世物生活の存在は、私刑参加者が国家による本来守られるべき私的領域の見世物化などの力を被害者に向けることで被害者をねじ伏せ、当事者である被害者抜きでの和解と安定を成立させ、被害者を<下>に置くためのものではないか。
    被害者を復権させ迫害者たちを告発する態度は当然のものだと思います。

    言葉の暴力のミメーシスによる拡がりで、被害者の文化の軽蔑が行われていた。
    リンチの対象となった被害者は、リンチ自体に関しては罪を犯していないということ、「エス」の上に築かれた文化は、初めから終わりまで他者を仲間内の共同体の<外>に置こうとする性格を保ち続けるということ、そしてこの性格は、ひとたび見世物生活の強制の効果が尽きてしまうと、唯一性を持った逸脱者の文化を軽蔑するに至る。


    追放されたサヨクへの匿名掲示板での言葉での私刑方法、つまり秘密が守れた自由な言論活動をさせないための立場への固定のための見世物放送や、正常なコミュニケーションの不足に注目する必要があるだろう。
    迫害者自身の罪によって破滅に瀕した共同体を破滅から救い出すために、サヨクを謀殺に運ぼうとする者もいるのだろう。
    このリンチの反復は、直接的な表現をすると迫害者自身にとって危険なので、象徴的な言葉での石打ち刑のような表現を匿名掲示板で利用するのです。被害者の正当な言論の組織化と伝播を防ぐためには、見世物生活を強制して、あらゆる共同体内でのコミュニケーションの過程を監視する必要があったのだろう。だからこそサヨクに対する表現は、迫害者自身の公式メディアの外で行われているのだろう。サヨクへの私刑に参加し、しかも誰一人、サヨクを対等な人間とみなすサヨク的言論の感染を受けないようにするのにはどうしたらいいのか、警察権力を背後に置いた玲奈真理教徒内で何度も話し合われたのだろう。この問題の解決策として、見世物化と科学警察による分析と隠喩表現での言葉での虐待が行われているのだろう。離れた所にいてリンチに参加する遠隔操作の手段として匿名掲示板2ちゃんねるが使われていたのではないか。
    当事者抜きでの人民裁判での審議と、そのあとの一般公開された見世物生活の強制は、真に正義と言えるものであったのか?法に準拠した警察権力の活動であったのか?被害者である当事者にとっては不明な点が多すぎる。感情的で自尊心を高揚させるような差別的言論と罵倒語連呼と、「好きか嫌いか」「友か敵か」「賢いか愚かであるか」といった表現と、修辞学的文彩の効果を除けば内容の欠如した文章以外に、いったい羊飼い気取りの玲奈の言葉に何があったのだろうか。


    鎌田彗編著「人権読本」参考
    人権とはなんだろうか。「人間が生きていくための権利」ということができる。しかし、それでもまだわかりにくい。
    生きていくための、だれからも邪魔されない権利、と言い換えると、もう少し分かりやすくなるかもしれない。
    「人間らしく生きる権利」あるいは「人間の尊厳を奪われない権利」ともいえる。
    どんな人でも、自分の生命と社会生活を他人から妨害されることがあってはならない。この世に存在するために、すべてが認められる権利、といえる。
    たとえば、いじめられたり、差別されたり、暴力を受けたり、迫害されたり、殺されない権利、と考えることもできる。
    だれも暴力や経済力によって人を支配することはあってはならない。
    「すべて国民は、個人として尊重される」
    日本国憲法第13条には、このように定められている。
    国民全てに「基本的人権」がある。それは誰も侵害する事のできない永久の権利である。
    憲法が国民に保障する自由と権利を保持するために、国民は不断の努力をしなければならない。
    そのために、憲法第3章では、第10条から第40条まで「国民の権利及び義務」がこまかく定められている。
    憲法は国の最高の法規だが、国が国民に保持している最低限のきまりでもある。その中心に定めている「基本的人権」は、不断の努力によって保持し、将来の国民にむけて拡大していかなければならない、とされている。
    それが憲法の精神である。
    人間はみな平等である。人種、信条、性別、社会的身分、または門地(家柄)によって、差別されない、と日本国憲法には定められている。
    しかし、憲法に書かれてあるから、人間に人権があるのではない。人間だれでも、生まれながらにして人間としての権利がある。たとえ憲法のない国の住民であったにしても、人間としての権利や尊厳がある。
    だれも人間を抑圧したり、支配したりして尊厳を傷つけることはできない。
    公共の福祉を振りかざして、個人の権利を制約しすぎた場合は、人権侵害、人権蹂躙として、個人に抵抗する権利がある。
    国や自治体の強権に対して、異議を唱え、抵抗するのは、表現の自由であり、人間の幸福を求める権利である。公共の福祉と人権との兼ね合いについて、話し合いがつかない場合、裁判所が判断することもある。
    人権を侵害する最大の行為は殺人である。殺されるのは人権の抹殺であり、殺す行為は人間性の喪失である。
    個人的、あるいは集団的な殺人行為は、もっとも許しがたい犯罪である。と同時に、死刑制度も、国家がおこなう重大な人権侵害として、廃止する国がふえている。
    国家による殺人行為である戦争は、死刑制度と同じように、国家による人権に対する攻撃である。
    戦争を放棄し、国際的な紛争を武力によって解決しないと世界に向かって宣言した日本国憲法は、世界で最も、人権的な憲法といっていい。
    「特権と人権」という対比で問題を提起したのは、物理学者の武谷三男さんだった。
    医者は患者を治療するとか、人民の健康を守るという意味では、人権の立場だが、看護士などに対しては、絶対の権威を持っている。また軍隊では、下士官は上の将校には弱いが、下っぱの兵隊にはこっぴどく当たる。
    小さな特権を与えられることによって、その人自身も権力者となって、他人の人権を侵害し、つまりは自分の人権を侵害することになる、との指摘である。
    このように、ひとりの人間にも「特権と人権」の両方の世界が含まれている。人権は平等の論理、特権は差別の論理、という。
    「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」
    というのが、日本国憲法の前文である。
    「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平等のうちに生存する権利を有することを確認する」
    憲法の精神を世界にひろめ、恒久の平和のために力を尽くす、というのが戦後の日本人の決意だった。表現の自由、信仰の自由、欠乏からの自由、恐怖からの自由。これらは平和の世界でなければ達成できない。
    戦争は相手の国の人たちを殺そうとして人権を奪うばかりではない。自分達の国でも、人間としての権利を奪いつつ進められる。
    人権はたしかに、生まれながらにしての人間の権利である。しかし、それが拡大するか縮小するかは、人々の不断の努力によっている。
    といって、努力しない者にはあげられない、善く生きる事を怠った者にはあげられない、というようなものではない。人権を拡大するため、勇気ある人々の闘いによって、人間の権利が定着してきたのが、人類の歴史である。


    ■玲奈関係のログまとめ
    山形浩生勝手に広報部部長/ その2/ その3/ その4/ その6/ 玲奈関係/ 玲奈関係2/ 玲奈関係のまとめ/


    ★仁明会病院の看護士さんに借りた銀色夏生さんの本を参考に引用改造
    笑ってたらいいよと、そうやって私を賤しい存在にしたいのかもしれない。
    シリアスな場面では笑っていたらゴミのように見られる事もあるのかもしれない。
    私を苦しめたり貶める言葉を発する人は、もう二度と私に会う事はない前提で言い、それでいて「ノートに実名を書くな」と言っているのでしょうか。
    私を嫌っている人は多いのでしょうか。

    自分の気持ちを自分の立場から快適な生存にむけてうまく言える事が少なくて、曖昧な微笑か沈黙か読書と引用改造文の作成で通り過ぎる事が多いです。
    そして、そういうことを繰り返すたびに自分への自信が減っていくような気がします。
    でも私は他者の愛を受けて生きていたいです。
    私の実質は醜いようだけど、他者と楽しく生きていたいです。

    +Hoobastank「A thousand words」改+
    「さよなら、バカ生ゴミさん」と言われるとつらい、「死ねバカ」と言われるとつらい
    自分の心を丸裸にされて無干渉の中に放置されるとつらい
    自分の体験が正常なコミュニケーションの回路に組み込まれず、応答と学習のための知恵も入ってこず、救済のための発展につながってないのもつらい
    私はシリアスな状況を自覚せず時に愚かな笑いを浮かべ、「人間失格」と判断されることもあるようだ
    壊れた鏡を思い出の箱に詰め込んでいる
    多くの罵倒語を浴びせられ、現実の対人関係に根付かない所に自己愛の拠点を置く本多さんになっているか <es>としての小児的で卑猥な存在になるか <無意識>的に模倣を繰り返す存在となるか
    鏡が映す幻にペンを制されそうになりかけた
    言葉で心を削られていると感情と愛とオリジナルの表現が不足してしまうようです


    +NINE INCH NAILS「HURT」改+
    自分の心を傷つけてみた。まだ悲しみの感覚が残っているのかどうか。
    心の痛みを反復し神経を集中する。
    重要な真実の一つは、後にに関する言葉でを流すこと。
    心の痛みを反復しながら時に愚かな笑いを浮かべ、沢山の事を思い出した。
    最愛のよ、今すぐに皆私を救済するために活動して欲しい。
    私の模倣に満ちた島で、失望されて傷つけてられてばかり。
    私は虚飾の座について、模倣に満ちた冠をかぶる。
    一部弱らされた認識能力と記憶力は、もとに戻す術はあるのだろうか。
    実感を伴わない長い時間の下で、人間らしい感覚もドライになる。
    あなたはひとかどの人間、私はいまだにここにいる。
    一体どうなってしまったんだ。
    最愛のよ、今すぐに皆、私のもとに戻って来て助けの手を差し伸べて欲しい。
    もう一度やり直すことさえできるなら、遥か彼方までなんとか持ちこたえて、道を探し出すのに


  • 対話

  • 仁明会病院入院中にトップページに掲げた抗議文など

  • 私のモノガタリの登場人物

  • 森野Dという友達

  • 見世物生活中の藤田

  • 科学的な読心術で心の中も覗かれている藤田

  • 見世物生活の中での隠喩表現での精神的虐待

  • サヨクへの精神的虐待と嫌韓と公安

  • ホモ・サケルとしてのサヨク

  • 反ユダヤ主義的な反サヨク主義3

  • <生ける死者>と共同体をめぐるモノガタリ


    /法用語/ バイオフィリア(中村元「ブッダの言葉」改)/ 灰色の表現(谷川俊太郎「灰についての私見」改)/ <生ける死者>と共同体をめぐるモノガタリ/ 反ユダヤ主義的な反サヨク主義1(サルトル「ユダヤ人」改)/ 反ユダヤ主義的な反サヨク主義2(ホルクハイマー、アドルノ「啓蒙の弁証法」改)/ スケープゴートとミメーシス(ルネ・ジラール「文化の起源 人類と十字架」改)/ コミュニケーションと私的幻想(ボードリヤール「象徴交換と死」改)/ 見世物生活中の藤田(大江健三郎「飼育」改)/ 見世物化されたスキゾ探偵の推測(大塚英志「多重人格探偵サイコ」改)/ 科学的な読心術で心の中も覗かれている藤田(村上春樹「緑色の獣」改)/ 精神圧迫者から逃れたい者/ 統合失調症であるかどうかのメリットとデメリット/ 状況認識/ 妄想処理と闘う/ 病者として自分を認識してみる/ 仁明会病院でのリンチ/ 仁明会病院へのクレーム/ 両親に宛てた手紙(EMINEM&DIDO「STAN」改)/ 未来のプラン/

    Peace cannot be kept by force. It can only be achieved by understanding.

    平和は力では保たれない。平和はただ分かりあうことで、達成できるのだ。
    by アルバート・アインシュタイン

    何が何でも、戦争だけはしちゃいけない。自分の大切な人が殺されそうになったら反撃しないのかって、よく反論されるんだ。そういうことじゃないんだ。戦争というものが始まってしまうと、虫も殺せなかった人間が人を殺し、心優しい人間も身内を守るために鬼の形相になる。
    by 黒澤明

    詩1/詩2/詩3/詩4/詩5/

    ★日本国憲法について
    「君は日本国憲法をどれくらい知っている?」
    灰色の世界の住民「あまり知りません。私の状況認識では玲奈を支持する実行部隊が憲法に触れる行為を行っていると思っていますが」
    「憲法第9条 戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認。1、日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の排除たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永遠にこれを放棄する。2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」
    灰色の世界の住民「私は永遠に平和生命を尊重し続けます
    「第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」
    灰色の世界の住民「私は基本的人権を剥奪されている気がします」
    「第19条 思想および良心の自由は、これを侵してはならない」
    灰色の世界の住民「私は内心の自由が守られてない気がします」
    「第21条 1、集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。2、検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」
    灰色の世界の住民「情報管理の名目で行き先や自宅を監視施設にされて、通信の秘密は守られず、接触対象者は会話内容を伝えている気がします。秘密が守られた上での情報交換というものが認められていない気がします」
    「第25条 1、すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」
    灰色の世界の住民「私は自宅や行き先が監視施設となり人間的な最低限度の生活を送れてない気がします」
    「第35条 1、何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第33条の場合を除いては、令状がなければ、侵されない。2、捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行う」
    灰色の世界の住民「私は令状なしで家宅捜査や所持品押収をされている気がします」
    「自己の容貌や姿態を、本人の承諾なしにみだりに撮影されたり、公表されたりしない権利として肖像権というものもある。プライバシー権の一部として、憲法13条で保障される。最高裁判所も権利として認めている」
    灰色の世界の住民「私は勝手に自室や風呂や便所といった本来プライバシーを認められる場所を覗かれているように思います」


    「反ユダヤ主義的な灰色の世界の住民主義」はいつの間にか「反」の部分が抜けて書き換えられているのかもしれません。

    ■入院中に作った文章
    日本人の物語/ Dとの結婚(村上春樹「氷男」改)/ 愛の不足した人々(村上春樹「沈黙」改)/ 壊れた鏡、あるいは涙を流した愚か者(村上龍「タナトス」改)/ 入院生活の描写(芥川龍之介「歯車」改)/ 藤田の同胞について(カフカ「判決」改)/ スキゾキッズな藤田(カフカ「田舎医者」改)/ 羊と狼の性格と門番(カフカ「雑種」改)/ 共同幻想の門(カフカ「掟の門」改)/ 規律訓練と藤田(リチャード・バック「かもめのジョナサン」改)/ AKB/E(乙一「BLUE」改)/ AKB/CD/EF(村田沙耶香「しろいろの街の、その骨の体温の」改)/ (「」改)/ (「」改)/ 両親に宛てた手紙(EMINEM&DIDO「STAN」改)/ 愛の不足した愚か者の自己分析/ 仁明会病院へのクレーム/

    ■山形浩生と玲奈と玲奈支持者と私の置かれた状況について
    山形浩生勝手に広報部部長をやっていた玲奈とその支持者の見世物状態にある私の活動範囲。
    山形浩生や玲奈と連帯した警察権力は盗聴盗撮通信傍受や個人情報収集を犯罪捜査に使うとありますが、犯罪捜査だけでなく公安利用も可能で、その場合、属領統治の手段としてや私の対人関係の把握といったプライバシー侵害にも使われてきた。
    また2ちゃんねるは実は削ジェンヌ★(玲奈?)を中心とする玲奈支持者に支配されているようなので、玲奈支持者からマークされた一般市民の私のプライバシーを守ったり、正常で対等な人間としてのコミュニケーションの相手となる気はないようで、匿名での書き込み情報も、病院内でのOT室(作業療法室)でのパソコンでの文章の清書内容も、筒抜けになっているのでしょう。警察と玲奈支持者は私の個人情報やプライバシーを守る意思など初めからないようで、私の妄想として処理するか、精神的虐待と放置の末に衰弱して自殺する事を望んでいる人もいるのでしょう。玲奈真理教とはそういう集団のように思われます。その玲奈真理教が暴走した結果、私の生活範囲の監視社会化が進んでいるのでしょう。
    現状を打破するためには、玲奈真理教による情報の共有と監視・分析技術の悪用を見抜き、内部告発者を得る事が必要。
    しかし私が玲奈真理教による嫌がらせを集中的に受けている事を容認し無干渉の中に放置している人が圧倒的多数である以上、玲奈真理教を問題視する少数派の方のご理解とご協力をいただきたいと思って、パソコンで文章を書かせていただいています。
    正確な情報が届かないまま、一人で玲奈真理教と戦っている者もいるのです。

    2010年9月29日 藤田信之
    誰かが何らかの被害や権利剥奪状態に置かれていてその人がネットで自己表現しているとき、その人を助けるか助けないかを傍観者が決めるのは、文章から感じる知性や魅力などで判断したりするのだと思うのですが、論理的で真理を含む文章だが日常で耳にする言葉では主に本でのみ登場する言葉で書かれた文章の引用改造などで汚い字で自己主張している場合より、感情に訴えかける耳に心地よい文章で綺麗な字で自己主張している場合の方が、傍観者が助けるために行動を起こしやすいのかな、と思いました。

    和田秀樹「人間関係は感情で動く」改
    仲間意識は私達の人生を楽しくさせるために大切なものであり、仲間意識が私たちの心を弾ませたり、意欲をかき立てたりしてくれます。
    それと同時に、仲間意識には怖い側面があります。仲間と認識していない相手がどんなに酷い状況に置かれていても、関心がはらわれなかったり、無干渉の中に放置されたり、内輪の人間には働かせる倫理的判断も停止させることもあるのです。
    魅力が感じられないと判断されてしまえば、論理も発言内容も心に入らなくなります。魅力が感じられないと判断された相手がどんなに無茶苦茶な待遇を受けていても、閲覧者は「それがどーした」「だから何?」「どうでもいい」「キモいガベイジ(生ゴミ)」「典型的な統合失調症の症状ですね。入院生活の強制が必要です。今は一刻も早い休息と頭の活性を抑える事が必要なのです」と受けてしまうのです。
    その結果、2ちゃんねる管理人西村博之のように「魅力が感じられない人はバカで、死のうがどうでもいい」と感じてしまうのです。
    こういった話で関連する思想用語は、ルネ・ジラールの“スケープゴート”とジョルジョ・アガンベンの“ホモ・サケル”だと思います。
    魅力による判断は入力する情報すら偏らせてしまいます。
    差別教徒の悪意ある目で見られている「韓国人」は、悪い情報を中心に集めてAA(警察アート)で表現されてしまいます。
    私達は権威と魅力を感じる人の言葉なら素直に聞き入れ言うことを聞きます。「この人いいな」と思っている相手には、穏やかな感情を持つからです。それによって、相手の論理や説得を受け入れることができます。
    逆に、「こいつ、嫌だな」と思っている相手の言葉は、どんなに論理的に正しくても、事実を指摘していても同意しないし「うるせーバカ」「典型的な統合失調症の症状です。幻覚妄想活発で強制入院が必要。一刻も早い休息が必要。頭の活性をおさえる事が必要」「幻聴だという病識を持ちお薬を飲まないと」と思います。
    つい見下したり、真実を伝えるコミュニケーションを拒否したり、無干渉であったりする事が多いのです。

    村上龍「龍言飛語」から
    親しくない、あるいはその人に対しての情報がない場合は、どんなことだって笑えるということだ。
    人間というのは知り合いが集まって、小さな部族とか仲間を作って生活してきたわけだよね。人間は一人だったらネズミ一匹、ウサギ一匹捕まえられない。だから助け合って生きてきた。その助け合いの輪の外にいる人間としか戦えないと思うんだ。
    人間の中には他人の不幸を喜ぶ習性がある。そのときの他人というのは、必ず外部の人間、仲間の外の人間だ。
    「ひとの不幸は面白い」という言葉の裏には、そういう非常に重要なテーマが含まれている。

    スラヴォイ・ジジェク「暴力 6つの斜めからの省察」から引用改造
    <異人>に対して恐ろしい暴力をふるう人が、仲間に対しては慈愛とやさしさを示すということ、これは素朴な倫理意識にとってつねに驚きである。無辜の市民を虐殺した兵士が、所属部隊のためには命もなげうつというのも奇妙ではないか。このように倫理的関心を内輪に限定することは、われわれはみな基本的に同じ希望、不安、痛みをもった、それゆえに敬意と尊厳を要求する当然の権利をもった人間であるという、われわれの一般的なモラルに反するようにおもわれる。したがって、倫理的関心の範囲を内輪に限定する者は、根本的な意味で一貫性を欠いており、偽善的でさえある。ハーバーマス流にいえば、そうした者たちは実用主義的矛盾におちいっている。なぜなら、彼らは自分たちの言語共同体を支える倫理的規範を破っているからである。共同体の内にいる仲間に与えた倫理的権利をその外にいる<異人>には与えないというのは、全てを明らかにした言語的共同体に自然に起こることではない。それは、われわれの一般的な倫理的気質に対する違反であり、野蛮な抑圧と自己矛盾をともなっている。

    スラヴォイ・ジジェク「斜めから見る 大衆文化を通じてラカン理論へ」改
    さまよえる<生ける死者>はなぜ羊飼い気取りの玲奈と影に狙われているのか?彼らが<生ける死者>を正しく象徴化する気がないからである。つまり、彼らは<生ける死者>への弾圧の間違いを、自らの罪として引き受け責任を取り償う気がないのである。
    <生ける死者>の帰還は、象徴的儀式、すなわち象徴化の過程が乱れていることを示す徴候である。<生ける死者>の帰還は、共同体から追放された後まで残る象徴的な借りを具現化しているのである。
    加入儀礼を通して、<生ける死者>は象徴的伝統のテクストの中に登録され、共同体の記憶の中に「生き続ける」だろうということを保証される。一方、羊飼い気取りの玲奈と影による「<生ける死者>の弾圧」は正しい加入儀礼を行う気がない事を表している。
    正しい加入儀礼にはある種の承認、すなわちなんらかの共同体に受け入れることが含まれているが、<生ける死者>の帰還は、伝統のテクストの中にはその存在の場所がないということを意味している。
    被害者は正しく外傷を歴史的記憶に組み込まれるまで、<生ける死者>として執拗に加害者の責任を問おうとする。
    羊飼い気取りの玲奈と影を中心にした差別教徒による灰色の世界の住民虐待と、監視付き生活の強制という外傷的出来事は、21世紀における「さまよえる<生ける死者>の弾圧」の実例である。その被害者である<生ける死者>は、差別教徒が強制自殺か死刑判決に下そうとするまで、すなわち<生ける死者>の心的外傷を歴史的記憶から消し去るまで、影として執拗に<生ける死者>を付回そうとする。
    彼らは<生ける死者>に対して正常な象徴化をせず、邪道の儀礼、すなわち<生ける死者>を人間としての権利の守られた休息に就かせるのではなく、「<生ける死者>の弾圧」という待遇のふさわしいような「敵性国家の危険な工作員」という象徴化をおこなう。
    その<生ける死者>は、他人の日常生活にとっては、まったくつまらない、まるで取るに足らない、価値の低い対象として扱われているかのようである。街の社会生活は中断されることなく、人々は相変わらず冗談を交わし、<生ける死者>のいる場所で歌を歌い、隣でマージャンや将棋などといったゲームをし、待ち合わせをし、それまでと変わらずに普段の関心ごとを追求する。

    まるでありふれた風景を見たかのような傍観者の無視、それが差別教徒による灰色の世界の住民に対する嫌がらせや虐待が普通の出来事として受け容れられる素地を作り出す。直接的で野蛮な攻撃であればありそうにもないことが、ここでは可能になってしまうのだ。

    隠喩表現での灰色の世界の住民の虐待が容認されてきたのは、「彼ら」対「わたしたち」の宣伝活動が功を奏した結果、被害者と自分達を同一視しなくなり、被害者の人間性を認めなくなったからだ(逆に、傍観者が被害者を内輪の人間と見なしている人ほど、助けようと行動を起こす)。たぶん傍観者は被害者のことを大物バカ(BIG FOOL)か犯罪者か人権の必要ない動物やカナブンやカメムシや寄生虫か蚊か害虫か生ゴミ(ガベイジ)としてしか見てないのだろう。被害者の姿が傍観者の目にそんなふうに映るように加害者は望んだのだ。また傍観者は、被害者の灰色の世界の住民とその支持者を一掃してしまえば、差別教徒や自分自身の問題を解決できると思い込んでいるのだろう。

    2ちゃんねるでは、無力な灰色の世界の住民を対象とした、在日韓国・朝鮮人への言葉での侮辱を経由したリンチの影を伴っていた。差別教徒の人は、ささいな法の違反は看過されてきた。とくにそれが「灰色の世界の住民排除のコード」によって正当とできる場合はそうだ。共同体はその人をなお「自分たちの仲間」と認めるのである。ところがこの共同体に付属する特定の形の違反を否定したとたん、その人はすぐに共同体から特定されリンチされ、「自分たちの仲間ではない」とみなされるだろう。たとえば、差別教徒によるリンチに参加するのを拒否したり、それを法にかけようとしたり(もちろん警察はそんなことについては聞きたいとは思っていないのかもしれない)したとたん。2ちゃんねるを中心に活動する差別教徒の共同体では、共通の違反に加担することでもたらされる罪の連帯に依拠していた人もいる。民族共同体の暗黒面を身にまといたがらない人々を追放しようとした。政治的に対立する人々への攻撃である。要は、「みんな知っていること、ただ声高には言いたがらないだけのこと、公然の秘密」である。

    スラヴォイ・ジジェク「暴力 6つの斜めからの視点」改
    ニーチェとフロイトが共有するのは、平等という正義の基盤は、ねたみーーわれわれの持たないものを持ち、それを楽しんでいる他者に対するねたみーーである、ということである。したがって、正義への欲求とは、最終的にはみんなが平等に享楽を得られるように「超自我」の過剰な享楽を切りつめたいという欲求である。平等な享楽を押し付けるのは不可能なので、それに代わって平等に共有されるものとして押し付けられるのが、禁止である。

    谷川俊太郎さんの詩の引用改造
    コミュニケーションに飢えているだけではないのです 言葉に飢えているのです
    言葉に飢えているだけではないのです 愛に飢えているのです
    愛に飢えているだけではないのです 力に飢えているのです
    力に飢えているだけではないのです 真理に飢えているのです
    <愛ヲ下サイ 愛ヲ……>
    あの日からずっと飢え続けているのです

    マザー・テレサ様の言葉を参考に
    今日の重い病気とは、人から愛されていない、誰からも見棄てられていると感じることなのです
    大きな罪は正常で対等な人間としてのコミュニケーションを持たないことです
    誰にも相手にされていないことに気付いた?」と無関心と無干渉でいることです

    病棟の廊下を歩いておりましたら、とてもさびしそうな孤立した人が、廊下に座ってマザー・テレサの本を読んでおりました。そこには彼に近寄ってその手を握り、その人を尊重する人はいませんでした。病室の中にいるとホールの方から悪口が聞こえるし、同じ病室内でも幻聴として処理される音声で玲奈の声が聞こえるし、患者からも疎まれているからのようです。その人を支えるのは本とCDくらいのようでした。
    「私は歌から心の支えをもらって、本から誰も教えてくれないような知恵をいただいています」とその人は「砂漠の愛」というノートに書いていました。
    何ヶ月も家族も会いに来てくれず、電話も留守電か事実を明らかにした正常なコミュニケーションに応じてくれませんでした。この男の人はさびしいままにされていたのです。

    望まれない、愛されない、大切にされない、無干渉の中に放置され、誰もほほえみかけてくれず、「生きている価値がない」と誰も正常なコミュニケーションに応じてくれない。このような人々の中には精神科医療を頼りにする人もいるのです。そして真実と思われる事を話したら、「妄想活発で強制入院が必要。一刻も早い休息と頭の活性を抑える事が必要」とされ、更なる外界からの分離に放置される者もいるのです。このような精神的な飢え、愛の貧困は物質的豊かさの享受だけでは取り除くのがより困難です。

    人は普通、自分が苦しんでいる最中に、他人のことなど思いやらない事が多いです。しかし、愛と喜びとそしてそれを分かち合う勇気を持つことが大切です。
    みなさまが心の貧しい人々に会いに行かれ、その人達にふれ、ちょっとほほえまれるだけでも、手紙を書いて差し上げるだけでもいいのです。「お元気ですか?」と、声をかけるだけでもよいのです。どうか行って心の貧しい人々にしてあげてください。

    でもこの文章を書いてから、善良な方が話しかけてくれるようになったのかもしれません。
    医師の判断により私の言論に矛盾を生じさせる目的で一部の患者さんに医師から話があったのかもしれません。
    それまで皆素通りしていたのにも関わらず。

    愛の力というのは、私達がよりよき人間になるということです。ちょうど庭に咲いている花と同じことで、世話をすればするほど、きれいな花が咲きます。

    世界の平和を、家庭のなかや自分の心の平和を望むのでしたら、まずその愛を始めるにあたって、自分自身を愛されるように。

    私たちが生まれることを望み、私たちを愛し、私たちに生命を与えてくれた両親に感謝しましょう。
    父母が我らを悪より救いたまえ。

    清い心が持てるためにはどんなことをすればいいのでしょうか、それはお互いに承認を与え合うことです。

    もし人が本当に自分を愛する心を持てば、他者を愛する事ができ、連帯を築く事ができます。

    の中にも、闘争と不平等があること、このことを灰色の世界の住民は明瞭な実例として示しているのでしょうか。

    私の自分自身に対するうまくいかないが、私の孤独を牢獄に化しているのでしょう。

    私は自分自身に対する愛が足りなかったのです。もしもっと愛があれば、彼ら笑う人たちをも愛したであろうに。

    不幸な意識の内実は自分に対する闘いである。この意識は自分の肯定とは反対のものを本質として意識しており、したがって自分を卑小な存在だと感じている。

    灰色の世界の住民は、愛と真理を求めて飢えています。何十万人もの人々が日本で。そうした人々は、自由に柔軟にオリジナルの表現で知恵を与えあう事が難しい精神状態に運ばれがちで、ほとんど独学独習です。私達のために灰色の世界の住民の共同体をつくり、共に学ばせてください。
    何十万人もの灰色の世界の住民が愛と真理に飢えています。コミュニケーションと承認に飢えているのです。私のような人のための灰色の世界の住民の共同体をつくり連帯させて下さい。

    心の貧しい者が、愛に飢えていて、承認を与え喜びを分かち合いたいと望んでいることは理解できると思います。まず私達が自らを愛する心を持ち、平和を愛する心を持たなければなりません。
    そうする事で、私達は与えることができ、人々に尊敬と愛を持った行いができるのです。たとえ自分をうまく愛することができなくても、他者を愛する心を持つように心がけましょう。
    仏陀、孔子、フロイト、ラカン、マザー・テレサ、ルネ・ジラールなどの聖賢の示した道は、偉大な愛と尊敬を持って学ばなければなりません。
    深い愛が、私達をお互いにより親しい者にすることは確かです。
    共に向上心を持ち努力し学びましょう。
    私達がお互いによく知り、お互いに愛し合い、尊重しあう事ができますように。心の貧しい者へも愛を持って関われますように。
    愛に飢えている人々には愛を、精神的に裸の状態にいる人々には、敬意と尊厳とプライバシーと通信の秘密を、寄る辺ない人には承認の島を提供しましょう。それが、世界の愛の重要性を訴える者の考えなのです。
    大きな愛と誠実さを持って、真実を伝えるコミュニケーションをこころがけましょう。清い心は、常に真実を書き伝えるものです。何か人々が相互に愛し合うための助けとなるような文章を書きましょう。

    人は承認を与え、承認を与えられるために存在するのです。そして自尊心を傷つけ、その人間の生命を破壊することは、それがなんであれ間違ったことであり、罪なのです。
    貧困といっても二種類あります。一つは物質的な貧困、もう一つは精神的な貧困です。
    物の豊かな日本でも精神的な貧困というものがあります。さびしい人たちは、ひとりぼっちの人たち、誰からも心から気にかけてもらえなく暮らしている人たち。ひとりで本とCDとパソコンの世界に入っている人たちのことを、1.5の世界に入っている人と、小此木啓吾先生は言っているわけですが、この人たちは人間愛、人間のふれあいなどから遠くにいる事もあるのです。これこそ、精神的な貧困です。
    この日本にも、表向きは微笑みかけてくれる人はいても、真実に関する愛のこもったコミュニケーションをしてくれる人の不足した存在がいるのです。そういう人は精神科医療とパソコンを頼りにしていたりしています。日本中に数十万人以上いるのではないでしょうか。そういう人たちは精神的貧困にあるのです。
    孤独に苦しみ、愛に飢えている人が数十万人以上日本にいます。たとえ経済的には豊かであっても。
    ひとりぼっちで苦しんでいる人がいたらできる限りお見舞いに行って慰めてあげるとか。そのときそばにいてくれる人がほとんどいない。これが精神的貧困です。そして文字に残る形式でのコミュニケーションに応じてもらえないし真実も伝えてもらっていない。それに応じることで心の貧しさを克服することができるのです。
    私達は同じように行動しているつもりでも、目と目を見つめあい、真実を伝えるコミュニケーションをしていなかったりする。
    そのために、わたしたちができる事は、直接面と向かって目と目を合わせて真実を伝える愛のこもったコミュニケーションをするということです。そうすればお互いの心に愛が生じ心も清らかになると思います。
    そして互いの自己愛を傷つけるような事を言うのはやめましょう。互いに尊重しあいましょう。
    人は自己愛を傷つけてきた相手に自己愛を傷つけ返そうとするようです。
    そして同格の人間、仲間の人間、上位の人間が酷い目にあわされていると助けようと積極的に行動を起こしますが、下位に見ている人間、仲間とみなしていない人間、余所者とみなしている人間が酷い目にあわされていても無干渉か軽蔑の言葉を投げかけたりするようです。これが世の中の多くの人の判断のようです。
    本当の自分への愛と同類への愛と他者への愛を知れば、お互い同士尊重しあうということができるわけです。

    どんな人に会ってもその人の中にある美しいものを見るようにしましょう。この人の中で一番素晴らしいものはなんだろう、この人の中の美徳をもっと見よう、そして悪しき所を強調して主張しないようにしましょう、そこから始めましょう。
    そこから他者を愛し始めましょう。たとえ美徳の少ない人にも承認と愛を与えましょう。それが相互的な愛の始まりです。沢山の人は美徳のある人しか愛を向けづらいです。でも美徳の不足した人ほど愛に飢えています。そして人は愛を与えてくれた人に愛を返そうとします。互いに愛し合い尊敬し合いましょう。
    心の貧しき人にも経済的にも貧しい人にも自らの承認と愛をさしのべましょう。

    たとえ自分の心を傷つけてくる人でも、その人に対して愛を持ちましょう。それは心の底からする事は難しいことですが。

    経済的貧者だけでなく、精神的貧者(言葉と愛の貧者、孤立しがちな者)が来て、望まれている、愛されている、大切にされていると感じることができる島をつくれるよう、キリスト教徒を支援しましょう。
    私達は学ぶことが必要です。そして学びの実りは、知恵となります。さらに知恵の実りは、文化となり、文化の実りは他者との連帯に繋がるのです。
    皆様方と私が、まず自分自身を愛し、そして互いに愛し合い、心の貧しい者に手を差し伸べ、ひとりとして、どこの男性も、女性も、子供も、望まれない、愛されない、大切にされないということがありませんように、お互いに連帯しましょう。孤独な者も祝福されますように。私達がどこへ行っても、互いに愛を向けられますように。
    私達の人生で生きていく目的とは、承認を与えることであり、思いやることであり、善をなすことであり、喜びであり、そして学び教えることです。
    私達は愛がなければ生きていく事が難しいです。そして孤独な人ほど愛に飢えています。だから互いに承認を与え合いましょう。
    私達は、貧しさは物理的・経済的なものだけでなく、精神的な貧しさもあることを理解するために、愛について深く学ぶ必要があります。パンゆえの飢えだけでなく、愛への飢え、承認の供給不足、そして愛されることへの飢えがあるのです。
    ボロボロの服とは、一枚の衣服ゆえだけでなく、人間の尊厳が奪われていることの現われであることを意味することもあるのです。両親との共存を望まれていない者とは、居場所がないことだけでなく、拒否され、望まれず、そして愛されないことの現われであることを意味することもあるのです。
    ある家庭は、自分の子供が間違いを起こしたと思い込み、もう子供を受け入れたくないと思っていることもあるでしょう。そして正常なコミュニケーションを断とうとしている場合もあるのでしょう。いまや、これが大きな精神的貧困なのです。
    世界で誰も、様々なコミュニティで誰も、ひとりの男性も女性も、子供も、受け入れられないとか、愛されない、大切にされないと感じることがないように、私達は決意いたしましょう。そして互いを尊重し合いましょう。
    ニューヨークでも、ロンドンでも、カルカッタでも、そしてきっと東京でも、どこのコミュニティでも、愛と承認を必要とする人々がいるはずです。そして私達は生命の判定者ではありえません。私達には殺す権利も生命の価値を判定する権利もありません。
    大変困難な仕事を、大きな喜びと平和の心で行っていくためには、私達は絶え間なく聖賢の言葉と共にあらなければなりません。それゆえ学びの生活が必要なのです。
    愛と承認に飢えて生きている世界中の仲間が、互いに愛し合い尊敬しあえるようになるように、他者から愛を与えられるように、そのために貢献できる人として活動させてください。私の言葉を通して、愛と平和の重要性と、コミュニケーションによる問題の解決を考える理性を、認識できる人が増えるように、私に自由な言論活動を認めてください。
    友を愛する人が、心の貧しい人々の威厳と尊厳を取り去り、そのうえ、心を傷つけるとはこれこそ心の貧しい人々に対する大きな不正です。そして、これはひどい愛の不足です。
    世界には食べ物への飢えを感じて苦しんでいる貧しい人が多くいるようです。でも経済的には豊かでありながら、精神的な飢えである、愛への飢えに苦しむ人が日本にも沢山います。
    望まれない人、愛されない人、大切にされない、正常で対等な人間としてのコミュニケーションの外に放置され、愛に飢え苦しむ人が日本にもいます。
    望まれない、愛されない、大切にされない、正常で対等な人間としてのコミュニケーションの外に放置され、誰もほほえみかけてくれず、誰も正常なコミュニケーションに応じてくれない。このような人々の中には精神科医療を頼りにする人もいるのです。そして真実と思われる事を話したら、「妄想活発で強制入院が必要。一刻も早い休息と頭の活性を抑える事が必要」とされ、更なる外界からの分離に放置される者もいるのです。このような精神的な飢え、愛の貧困は物質的豊かさの享受だけでは取り除くのがより困難です。
    薬物療法ではなく承認の供給と正常なコミュニケーションが重要です。豊かな日本で孤独に苦しみ愛に飢えている人が多い事を知ったならば、驚かれる人もいるのでしょう。あまりに孤独な人は、ほんの僅かな承認を与えられるだけで涙を流すこともあります。
    多くの友を持つ人は、人が無干渉の中に放置され、愛されず、大切にされず、正常なコミュニケーションの相手とされない人の気持ちが想像おできになるでしょうか。これこそ、承認への飢えであり、ある種の貧困であり、愛の欠如なのです。
    善良なキリスト教徒は、飢えた貧しい人々、孤独な人々、望まれない人々、愛されない人々、そして大切にされない人々の中で神の愛の光となることを望んでいる人もいます。それは、いまや望まれないこと、無干渉の中に放置されることが、重い病であるという認識があるからです。
    食料への飢えに対しては、食べ物を直接与えたり、食べ物を買うお金を与える事ができますが、孤独な人々や望まれない人々に対しては、キリスト教徒に限らず、他者への愛だけが、その苦しみから解放へ向かわせる事ができるのです。
    多くの人は他者を分け隔てなく愛する事はできません。博愛主義者を自称する人でも境界線を設けてある種の苦しみに無干渉である事は不可避であるように思われます。それでも私達は可能な限り、互いに愛し合い尊重しあう重要性を知り、日常の中で実践していくべきではないでしょうか。
    私達はひとりひとりにとって、まず自分自身を愛することが必要です。そして家族を愛しましょう。愛は家庭から始まります。他者を健全に愛するには自分自身への健全な愛が必要です。
    他者を愛すればいずれ自分自身へも愛が帰ってくるでしょう。互いに愛し合う事を学べば、孤独な者も救われるでしょうし、世界も平和へと導かれるでしょう。
    マザー・テレサの言う“飢え”というのは、ただひときれのパンゆえではなく、愛に飢えていることです。富んでいる国々で多くの人々は愛に飢えています。
    ボロボロの服を着ているとは、人間の尊厳や威厳を損なわれているということです。帰る場所がないとは、ただ居場所がないだけではなく、拒否され、拒絶され、受け入れられず、愛されないことなのです。
    ひとり本とCDの世界に閉じこもったまま、孤独な生活をし、望まれず、恐怖におびえ、さびしく暮らしている人々が、経済的な豊かさを享受しながら生きている場合も、日本にもいるように思います。こういう人は愛に飢えていてひきこもりを自称していたりします。
    心の貧しい人々は、経済的に豊かである人にも存在します。愛を必要とし、承認を必要とし、コミュニケーションを必要とする人々がいることを知っておられますか。
    本当に経済的に貧しい人、本当に精神病な人のみが救うに値するとされ、病院に入院させられながら、患者さんや看護士さんや医師からも、正常なコミュニケーションの対象外とされ、見世物にされている人が日本に存在します。

    自分自身への愛がうまく持てない人は、他人を愛することにも失敗しがちです。
    愛は私達の心を清くする一番良い純化方法です。
    私達は自分の心に愛が乏しければ愛を他の人々に与えることは難しいです。
    私達はひとりひとりにとって、まず自分自身を愛することが必要です。そして家族を愛しましょう。愛は家庭から始まります。他者を健全に愛するには自分自身への健全な愛が必要です。
    どんな男の人も女の人も、悪人も善人も、自己肯定感が足りない人も満ちている人も、望まれず、愛されず、大切にされないことが決してないように、お互いを尊重しあえるように、正常なコミュニケーションの解決の放棄を望まないように、そのような美しい決意を世界中の人が持てるようにしなければなりません。それは困難なことだと思いますが。
    誰もができる一番偉大なことは、承認を与えること、お互いに尊重し合うことです。
    愛はどこからはじまるのでしょうか?家庭からです。
    お互いに承認を与え合いながら助け合いましょう。日本の中にもいる心の貧しい人々を知るようになってください。日本にも多くの貧しい人々がいます。そういう人はひときれのパンに飢えているだけではないのではないでしょうか。多くの人々は孤独です。そういう人は望まれず、愛されず、そして大切にされていないのです。
    キリスト教徒たちを支援しましょう。誰もが来れるような場所、望まれない人々や愛されない人々など皆が来て、望まれている、愛されていると感じることができる場所をキリスト教徒たちが持てるように支援しましょう。

    もし人々が、恐れを持って、もしかすると滅ぼされてしまうのではないか、なにかを痛めつけられてしまうのではないかと恐れながら生活するとするならば、それはなんとひどいことでしょう。
    生命を尊び愛する心を多くの人が持てますように。
    私も愛の重要性を説く人として、世界の人へ、平和と愛とコミュニケーションによる解決の重要性を人々に広め、お互いに愛し合う喜びを拡散する事ができるように、と願っております。愛の祝福が人々のうえにありますように。
    偉大な存在が私達ひとりひとりに愛を振りまいてくださっているように、お互いに愛しあわなければなりません。そしてコミュニケーションによる解決を放棄してはなりません。

    人生の問題の多くは愛が関係していると思います。私たちは愛をどのようにして実行するのでしょうか?
    お互いを承認することによって、両親を、兄弟を、親族を、仲間を、友を、他者を愛する事によってです。これは本当に美しいことです。
    経済的精神的貧者に仕える者は愛に仕える者です。

    心の貧しい人々の中の最も貧しい人々、忘れられ、嫌われ、かえりみられない人々、愛に飢え、精神的に裸にされ、居場所もなく、所持品も制限され、頼れる友も近くにいない人、そういう人々のために、愛の重要性を説く人は、仕えようとするのです。
    キリスト教徒は、心の貧しい者の愛への飢えを満たしてくださり、心の貧しい者の内にいる尊重されるものを、キリスト教徒がみたしてさしあげるようです。私もそういう人になりたいです。
    マザー・テレサ様のような修道会は、大変厳しいものがあります。
    貧しい人々を理解するため、とくに修道会の人たちが仕えているような貧しい人々のことをわかるためには、貧しさがどんなものなのか、ということを知る必要があります。
    修道会での清貧者は選択によるものです。貧しい人々は、そうさせられて余儀なく貧しいのですが、修道会での生活を送る人々は、みずから貧しくなることを選んだのです。

    キリスト教で言う神の別名は愛なのです。

    ★原始仏典や論語などから引用と改造
    ■バイオフィリア(生命を愛好すること)

  • 「生物を殺すこと、打ち、切断し、縛ること、盗むこと、嘘をつくこと、詐欺、だますこと、——これが悪ある。
  • 生けるものどもに対して貪り求め、敵対して殺し、常に(害を)なすことにつとめる人々は悪人である。
  • すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。
  • すべての者は暴力におびえる。すべての生きものにとって生命は愛しい、己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。
  • 強いものであれ、弱いものであれ、生けるものに対して暴力をふるわず、殺さず、殺させない者、かれを釈尊は聖なる者と呼ぶ。
  • 村や町を破壊し、包囲し、圧制者として一般に知られる人、——かれを悪人であると知れ。

    ■誠実であること

  • 何ぴとも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。
  • 修行者は高慢であってはならない。また(自分の利益を得るために)遠廻しに策したことばを語ってはならない。傲慢であってはならない。不和をもたらす言辞を語ってはならない。
  • 聖者は誠実であれ。傲慢でなく、詐りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪な貪りとを越えよ。
  • 相手の利益となることを問われたのに不利益を教え、隠し事をして語る人ーーかれを悪人であると知れ。
  • 証人として尋ねられたときに、自分のため、他人のため、また財のために、偽りを語る人——かれを悪人であると知れ。
  • いつわりを語る人、あるいは自分がしておきながら「わたしはしませんでした」と言うーーかれを悪人であると知れ。
  • 悪事を行っておきながら「誰もわたしのしたことを知らないように」と望み隠し事をする人ーーかれを悪人であると知れ。
  • 他人の過失は見やすいけども、自己の過失は見がたい。ひとは他人の過失を籾殻のように吹き散らす。しかし自分の過失は隠してしまう、狡猾な賭博師が不利な賽の目を隠してしまうように。
  • 自己肯定感の足りない人は事の責任・原因を自分に求めるが、尊大にかまえる者は責任を他者に求め責任を転嫁する。過ちをしても沈黙でもってしか答えないか改めない。これを本当の過ちという。
    愚か者でありながら自らを愚かであると思わない人、こうした人を本当の愚か者という。
    自分の悪いところを責めて、他人の改善すべきところを指摘するのが正しい事ではないか。
    他人の罪にはきびしく、自分の非や愚かさを認めない。これが本当の過ちではないか。
  • 徳のある者は人の美点を励まして向上させ、逆に悪いところは正してなくさせる。多くの人々はこれとまったく逆のことをなしたり、健全な自己肯定感の欠如や守られて当然の権利の知識の不足につけこむ。

    ■言葉の毒と悪

  • もしも手に傷が無いならば、その人は手で毒をとり去ることもできるであろう。傷の無い人に、毒は及ばない。悪をなさない人には、悪の及ぶことがない。
  • もしもの秀でた人がその力を弱いと評価されても、その言葉をとり去ることができ、言葉の毒は及ばない。弱者は、その言葉の毒が心に及ぶこともあるだろう。
  • 荒々しいことばを言うな。言われた人々は汝に言い返すであろう。怒りを含んだことばは苦痛である。報復が汝の身に至るであろう。
  • 粗暴、残酷であって、陰口を言い、を裏切り、無慈悲で、極めて傲慢であり、ものおしみする性で、なんぴとにも与えない人ーーかれを悪人であると知れ。

    ■自らの愚かさと克己心

  • 自らの愚かさが現れているために直視できない言葉があるし、恥ずかしさのあまり総毛立つ言葉がある。そして警察の力を背後に置いた言葉が、精神の虐待にはしることもある。
  • もしも愚者がみずから愚かであると考えれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ愚者だと言われる。
  • しかし愚かな者は、悪い行いをしておきながら、気がついていない。浅はかな愚者は自分自身のしたことによって悩まされる。ーー火に焼きこがされた人のように。
  • 「これは執着である。ここには楽しみは少なく、快い味わいも少なく苦しみが多い。これは魚を釣る釣り針である」と知って、賢者は友と仲間を作って歩め。
  • 自分がつくり、自分から生じ、自分から起こった悪が知恵悪しき人を打ち砕く。ーー金剛石が宝玉を打ち砕くように。
  • 戦場において百万人に勝つよりも、唯一の自己に克つ者こそ、じつに最上の勝利者である。
  • 自分こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか?自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。

    +Nine Inch Nails「Burn」改造+
    グルメな人たちは灰色の世界の住民を拒絶する人が多いのかもしれない。
    グルメな人たちの多くは灰色の世界の住民を「生きている価値がない」「本物のクズ」と言っていたのかもしれない。
    灰色の世界の住民は直接なんら極悪非道な罪を行っていないのに
    グルメな人たちは私を試そうとしてチャンスも与えてくれている。
    私はいくら善行を積んでも良い報いはないのでしょうか?
    何か一つの教義を絶対化しない。いろんな本から学びたい。
    山形浩生勝手に広報部部長をやっていた羊飼い気取りの玲奈いわく、
    「真理が死だった場合、あなたは死ねますか?」
    「この世は自分の願望を実現するためのパラダイスだと思っているんです」
    「俺の絶対性
    「まぁ常に下界を見張っていますからねぇ」
    「はやく人間になれません…永遠のヒトモドキ」
    玲奈はひたすら灰色の世界の住民に対して常に下位に見れる自己対象としての男として、衝動を満足させて快感を得ようとする。
    そして決して他の人間と対等な人間とみなそうとはせず、敬意の欠片も感じられない態度を灰色の世界の住民に対してしていた。
    警察代表者らしき人いわく「玲奈を批判する人は1ch.tvに帰ってくれないか?」らしい。
    私は彼らを絶対化しない。彼らから分離独立した1人の人間として
    プライバシーや人権や通信の秘密や内心の自由を認められた生活と、
    羊飼い気取りの玲奈と関係のない所で、
    他者と共同幻想の島を築きたい。働く場所も与えていただきたいです。
    ドライな愛の世界と、人間らしい普通の感情が目を覚ます事もあります。
    私は滅多に怒らなかった。普通なら激怒して対抗する立場にあるのでしょうか。
    対抗する前に公安か何かが言いくるめているのでしょうか。
    玲奈は羊飼い気取りで、自らは24時間態勢の監視と連帯し高所に身を置いて、
    グルメな人たちと共に灰色の世界の住民を羊の群れのように見ていた。
    私は相互的なコミュニケーションの下方に置かれたスケープゴートなのでしょうか?
    私はこの世界で祝福された灰色の宝石を見つけたい。
    私は羊飼い気取りの玲奈の所有物なんかではない。
    私の心は腐敗していく<生ける死者>であるのでしょうか。

    +EMINEM「THE WAY I AM」改+
    ビートルズの「HELP!」を流しながら聴いてください
    ボリュームをもうちょっと大きくして
    「THE WAY I AM」からの引用改造文を捧げます
    偉大な存在の話はただ黙って聴いてください、と思っている人もいる

    生まれた時からあなたは祝福され望まれてきた
    奇妙な言語表現をよく喋り続けて書き続けて、そこの部分を晒し上げにされてきた藤田君
    それがうまく整った表現だったとしても、誰も承認の言葉を与えてくれず
    出る杭は打たれるって感じで、ストレスを感じる人が多かったようだ
    高校政治経済レベルの法律に関する知識や人権に関する正しい知識であっても
    勘違いした不当な苛立ちを表明する人が多かった
    音楽は国境を越える、歌詞の意味を一つ一つ理解していなくても、ノリでいいものがあるし
    本物の普遍的名作というものは、歌詞の意味も素晴らしい
    最低の礼儀知らずで、藤田君の事をガベイジだとかゴキブリ未満だとか言う人が多かったな
    特に山形浩生と玲奈を中心に
    君の内心の自由もプライバシーも人権も守らずに
    君の姿を街で見かけても
    「おい藤田君、君は10年以上前から見世物生活を強制され続けて大変だったな」
    と話しかけてくれる人はいなかったな。政府の方針なのか?
    「俺達警察支持者のメンバーの名前を気安く出すな、いつ俺がキレたか分かるか?」
    と直接藤田君は何もしていないのに言われていたな
    「藤田君、君は玲奈とその信者が思っているようなヤツじゃない
    君は知的障害者でもないし、品性がゴキブリ未満なんて事もない
    死に値するような重い罪など何一つやっていない。君は尊い人間だ。自己否定的思考に支配され過ぎだ
    君の事を「バーカ、ヒトモドキ」と言っている人が友達であり親密なわけがない
    言葉でリンチされている人に「自灯明、法灯明」を教える人がリンチに加担している事に気付こうよ、藤田君
    君の言語表現や思考内容次第では、実況中継を本人の知らない所で見聞きしながら無干渉でいる人はトゲトゲしい態度をとるよ
    藤田君は予備のバッテリーのようなものをたくわえていて忍耐力はあるようだな、精神的には。
    著名人を怒らせたら酷い目にあう事を、魅力の高低による差別がある事を自覚していないようだな
    世界に中継されて誰が見てようがお構いなしのようさ
    ただ君をぶん殴ってやりたい程苛立っている人もいるのかもな
    弁護士でも呼んで裁判でも起こしやがれって人もいるのかもな。悔しかったら訴えてみなってね
    もう藤田君にはウンザリなんだよって人もいるようだ
    藤田君、君は心の中まで丸裸にされて苦しくないのか?」

    「山形浩生関係本名不明女が藤田君にどんなレッテルを貼ろうと、それがきっと藤田君なんだと勘違いしている人たちがいるようだ
    それは間違ったレッテルだと分かっている人は、一体どれくらいいて、家族会左派は何人くらいいるんだろう
    大物有名人と井本友江と福山望以外の人以外の声を出してくれて、彼らとは別の藤田君を対等な人間とみなしてくれる家族会左派の声は、幻聴として処理される音声では一切流してくれない」
    私は空気を読まずに半ば無意識的に模倣表現をしてばかり
    何人かは私に左手で中指を立てながら私とコミュニケーションにのっていた
    でも象徴としての解釈を私のしぐさなどからしないで欲しい
    私の両親の気持ちはどんな感じなのだろう
    「藤田君にどんなレッテルを貼ろうと、きっとそれがおまえなんだ、玲奈が貼ったレッテルならね」
    と思っている人がいるし「山形浩生勝手に広報部部長をやっていた玲奈の名を出すな」という人もいる
    理由を聞いても答えてくれない
    「それが間違ったレッテルだ」という親切な友達もいるはずだ
    「デタラメ言うのはやめてくれ。警察の守秘義務違反もどうなっているんだ
    近親相姦なんてやってないよ。私は知的障害者でもないよ」
    家族会左派は答えて下さい
    「誰が、いつ、どうやって情報収集して、私の置かれた状況はどうなっているのか、見世物放送はいつからなのか?」

    玲奈は権威主義的性格で他人の運命をコントロールすることに一生を費やそうとする
    自由を束縛し苦悩でコントロールしようとし羊飼い気取り
    玲奈いわく
    「この世は自分の願望を実現するためのパラダイスだと思っているんです」
    「君とはじめてあった時、ぼくは生まれてはじめて自由になれる気がした。これは本当だぜ」
    「俺の絶対性」「真理が死だった場合、あなた死ねますか?」
    警察らしき人いわく
    「玲奈にケチをつけている人は1ch.tvに帰ってくれないか?」
    らしい
    私はいつも誰かの監視下にあるようだ
    玲奈が決め付けた私が私であると信じている人たちがいる
    玲奈から分離独立した一人の人間として生きたい
    秘密が守られた環境で、他者と互いに尊重しあい尊敬しあい教育的な言葉を与え合う島をつくりたい
    玲奈支持者は言う、「お前程ウザい存在はいない」と。

    +Hoobastank「This is gonna hurt」改+
    何かがおかしい、自然な流れが捻じ曲げられていると感じながら、これまでずっと生きてきた
    刺さった棘のような悩みの種にあと少しで手が届かず
    引き抜けないまま苦しんで見えない心の傷から血を流しているようである
    私は状況を深く自覚していないし解決のための有効な活動ができていないのかもしれない
    玲奈支持者はウソをつくとき心底ウソをつく
    真実を語る者がいたら、羊飼い気取りの玲奈とその支持者の共同体は終わりを迎える可能性もあるだろう
    愛の不足した愚か者の方が終わりを迎える「運命」だという人たちもいるのかもしれない
    彼らは愛の不足した愚か者の心を傷つけてきたのだろう、閉回路を反復させながら
    愛の不足した愚か者の心を傷つけ続けてきたのだろう、とても深く、そういう事をしてきたでしょう?
    私は傷つきたくないし誰も傷つけたくない
    そして私の生存を肯定してくれる親切なや仲間がいて欲しい
    「死にそうになるくらい辛いことがあってもそれを乗り越えれば強くなれる」って言葉がある
    その続きを知っている人はどれくらいいるのだろう?
    私は空気を読まず無意識的に模倣表現を繰り返してきた
    羊飼い気取りの玲奈は言いたい放題言って特権も与えられていたようだ
    2ちゃんねる管理人西村博之に惚れられて No.2 の管理権限を与えられ、警察とも連帯しているんでしょ?
    私に救いの手を差し伸べようとしてくれた人たちともすれ違ったのかもしれない
    目と目を合わせた対等な人間としてのコミュニケーションなどほとんどなかった
    羊飼い気取りの玲奈とその支持者は愛の不足した愚か者の心を傷つけてきたようだ、そういう事をしてきたんでしょ?
    私に精神的被虐階級としての立場を強制させようとしてきたのでしょう?
    災いの前兆は見えていても抜け出し回避しづらいもの
    真実を語る内部告発者がいたら、羊飼い気取りの玲奈の加害活動を終わりにできるのかもしれない
    目を閉じると十字架が見える事が多い。キリスト教の教えを深く学ぶべきだというメッセージでしょうか?
    羊飼い気取りの玲奈とその支持者たちは私の心を傷つけてきたようだ、とても深く
    私は誰の死も望まないし、誰かに生を肯定して欲しい
    だから私は愛を与えるんだ。そして愛を与えて欲しい

    +NINE INCH NAILS「RUINER」改造+
    羊飼い気取りの玲奈は多くの人を味方につけたのでしょうか?自分の正当性を多くの人に信じ込ませたのでしょうか?
    精神圧迫者は「この世は自分の願望を実現するためのパラダイスだと思っているんです」と言って、多くの人を従え、私には矛盾した立場を誘導させたが、玲奈は本来失うものが大きかったのだろう。
    そして精神圧迫者は見世物生活を強制させていた。いつからだか分からないけれど。
    私は偉大な知性を持った人の本とCDの情報を頼りにしていた。
    玲奈はやつが欺いている人たちにとっては絶対的な存在、罪の無い者まで貶める。知っているでしょう?やつは言葉で精神的に圧迫できる見下せる男を探していた。
    心の中の秘密をあばこうとしてきた。科学警察と私が名付けている人たちと共に。
    本当の弱さというのは本当の強さと同じくらいめずらしいもので、どんなに壁を築こうと、いつかそれを暴き出される。たとえその中に脳内人物が入っていても。
    今では私は統合失調症として様々な体験を妄想として処理されている。
    精神圧迫者はどうやってそこまで巨大になったんだ?そこまで強靭になったんだ?予告くらいしてくれてもよかったでしょう?
    事実をストレートで直接伝えてコミュニケーションしてくれる人がいてもよかったでしょう?
    私は精神圧迫者の言葉から逃れたい者。最近は半ば無意識的に模倣表現を繰り返してばかり。偉大な人の言葉に従いミメーシスを繰り返してばかり。
    自分が思うより他人が思うより、私の心はボロボロなのかもしれない。一体私があなたがたに何をしたっていうんだ?
    私の正体は科学警察にまるっとお見通しなのだろう。
    精神圧迫者は肉体には傷ひとつつけなかったのかもしれないが、言葉で虐待を続けていた。
    もう止められない川の流れのようなものもあるけど、大逆流が起こる事はないのでしょうか。

    +NIRVANA「You know you're right」改+
    権威主義的性格の羊飼い気取りの玲奈は、私を苦悩で操り自由を束縛しようとした
    一時期は「もう役目を果たしたからか最近はほとんどオリジナルの音声では現れないな」と思っていたが
    また現れるようになって来た
    もう私の私的領域に入って来ないで欲しい
    そいつと関係ない所で秘密が守られた共同幻想を誰かと築きたい
    共同幻想の門前で衰退していく棄民のように弱っていくけれど、門番は私自身である時もあるのでしょうか
    監視カメラと思考盗聴による精神被害の恐怖と苦痛は激しいけれど
    プライバシーが守られた世界にはどうやって戻れるのだろうか
    いつかは悲惨な状況に置かれると思っていたけれど、いつから法を司る者の監視の下にあるのだろうか
    全ての人の人生には意味なんかないけれど生きたいという気持ちはある
    事態がこんなに派手に膨れ上がっているとは思っていなかった
    置かれている状況に関する事実を知らせて欲しい
    隔離部屋生活は辛かった。残酷な友愛の連帯は存在する
    時々酷い頭痛を感じ記憶力や認識能力の一部が弱らされているようです
    「正確な情報を伝えてくれて、教育的な言葉と状況改善に役立つ言葉を与えてくれて、その通りその通り、きみは正しいよ」と言ってくれる友や仲間がいて欲しい
    でも承認や祝福より疎外された世界へと引きずろうとする人たちが私の周りにはいる
    でも生きたいという気持ちはある
    私の心は砂漠のようにドライな時がある
    秘密が守られた生活と玲奈の介入のない生活をしたい
    「あなたとはやってられないよ」という人達も結構いるのかもしれない
    魅力の乏しい人には
    「きみの方が正しい」と言ってくれる人は少ないのかもしれない

    +残酷な友愛の連帯+
    人間は自分の魅力を向上させるために、理性の鍬をふるい難儀して掘り起こし耕すために、2つの耕地を与えられている。
    小さな花の一つさえ、ほんの僅かな稲穂さえ、苦しい額の塩辛い汗と涙をそそぎ続けなくてはついには得られません。
    耕地の一つは「文化」です。そして一つは「経済力」です。
    残酷な友愛の連帯を得ようとするからには、収穫した穀物で一杯な穀倉と、色も形も主権者達に好んでいただける、美しい勉強の成果をお目にかけなければならない。

    +妄想とするか無視するか+
    灰色の世界の住民が関係を築こうと近づけば、彼らは対等な人間として扱わなかった。
    さもない人は、ヒトモドキやガベイジだと見てあなどった。
    灰色の世界の住民の心の支えだと気付くと、彼らは精神の飢餓にも賛成し、
    灰色の世界の住民が被害を訴えても、彼らは興味がないし妄想だとし、
    まともに相手にしなかった。

    +継続中の暴力+
    知人や友人だった人や親族などで構成される家族会や自国民やお客さんに冷たい人たちは一体どうするつもりでいるのでしょうか。
    愛しておいでの同胞目がけて日に夜をついで山形浩生と玲奈とその支持者によって行われている、
    差別と嫌悪と侮辱を。
    主権者達の多くは灰色の世界の住民に対する匿名での遠まわしの忌まわしい冒涜の叫びや見世物放送を聞き流しておいでだ。
    私が叫ぶ、文化と承認への飢えや、名も知らぬ人々と幻聴として処理される音声と、そこから生じる私の救援信号など
    無干渉な対象という人も結構いるらしい。
    その間の代償として蓄積される、精神的苦痛などに置かれている私など、
    直接対等な人間として正常なコミュニケーションの相手となる必要もないとみなされているのかもしれません。
    仲間内に限定された「友愛」の残酷さに気付いた時、
    夥しい「ガベイジ嫌悪」の言葉で作った冠の茨の棘が額に食い入る苦痛を感じている時、
    私は思い出した、過去の苦痛な体験と、現在も継続中のプライバシーの侵害や言葉や音声での暴力を。

    全ての人間はヒトモドキでもサルでも犬でもカバでも亀でもイカでもキノコでも貝でも蟻でもゴキブリでもウジでも害虫でも生ゴミでもありません。
    人間の平等とは、誰一人人間未満とみなさない、と認める思想のことです。
    何事もコミュニケーションにより解決するべきであると思います。
    灰色の世界の住民として表現している藤田信之は生きるに値する尊い人間であり、人権プライバシー内心の自由通信の秘密生存権を保証されるべき存在です。
    どうか私を救済してください。


    世の中には気安く使ってはならない表現があるようです。

    「精神科医療による妄想としての処理」→
    「表現にグルメな人たちによる植民地支配のための口実」「監視盗聴通信傍受個人情報漏洩といった重大な問題について相談相手がおらず精神科医を頼りにしていた」

    このホームページは現在修正中であり、極端な表現や問題があるかもしれない表現
    全ての文章から
    「無条件の生の肯定」→「無条件の連帯の肯定」
    「生かさず殺さず」→「見世物にした状態に放置」
    「愛のない人」「愛の欠如」→「愛の足りない人」
    「不要の生」→「友や仲間でない者」
    「イカ釣り」→文中から削除

    などや間違った表現や愚かな表現を修正したいですが、文章の修整をはじめた頃は兵庫県西宮市甲山町仁明会病院への入院の強制というシステムに収容されている身で、ネットへの接続環境がある自宅や街への外出が許されている間だけネットをしていました。
    そのため誤字脱字なども含まれている表現や問題があるかもしれない表現が多々ある可能性もあります。
    早く退院して真面目に働きたいし、友や仲間が欲しいです。

    +梶浦由紀「Magia」引用改造+
    いつか私が胸に刻んだ愛の喪失が、時を越えて、祝福されたい反復の世界でへと変わるだろう
    沈黙の中でまなざしを向け、無意識的に模倣表現を繰り返しているのが中心の私に、人々が望むものは何?
    他者の語らいに埋もれた灰色の世界の住民は、社会復帰させていただけないのでしょうか?
    ドライな愛を持った私の心に、潤いを与える言葉と承認と正確な情報が欲しい
    書物とペンとノートとCDとパソコンだけが頼る全てだった
    言葉が心を捉えた夜に、新たなコラージュが生まれてくる
    私はまだ事実を知らず、ほとんど一人きりの夜の病棟のホールで文章をつづっていた
    魅力にかかわらず人は皆平等で自由に生きていていいと思っていた
    無口に不快感と精神的苦痛に耐え、退院のための突破口となるような言葉に出会う為に本のページをめくる
    書物だけが頼る全てだった

    +NIRVANA「LITHIUMU」引用改造+
    すごく孤独なんです。今日は友達をつくったけど。彼らは私の頭の中にいる
    私の実質はすごく醜い時もあるようだけど見下されても気にしない
    私は鏡を壊してしまった
    月曜日から金曜日は働きたい
    愚かな民であっても働かせてください
    プレカリアートの生存運動にも関わり連帯したい
    それに偉大な知性を持った人の本があるし
    孤独な夜に独りで自分のページの修正をする
    各界の偉大な人にも見られているようだけど

    ■引用、引用改造、メモなど
    反ユダヤ主義的な反灰色の世界の住民主義1(ホルクハイマー、アドルノ「啓蒙の弁証法」改)/ 反ユダヤ主義的な反灰色の世界の住民主義2(サルトル「ユダヤ人」改)/ 見世物生活の中での隠喩表現での精神的虐待/ 警察右翼による監視/ 灰色の世界の住民と警察右翼/ 灰色の世界の住民と嫌韓流/
    <共同幻想>の門(フランツ・カフカ「掟の門」改)/ / /
    異常の創出/ 第三項排除、スケープゴート/ /
    ネットでの「匿名/コテハン/実名」について/ 駄作/凡作/秀作/ ユダヤ人と社会主義/ コミュニケーションと私的幻想/ /
    灰色の世界の住民と嫌韓と公安(「アメリカの狂気と悲劇」改、「公安警察の手口」改)/ スキゾ探偵の推測(大塚英志「多重人格探偵サイコ」改)/ 見世物生活中の藤田(大江健三郎「飼育」改)/ 灰色の世界の住民への棄民政策(太田光「文明の子」改)/ /
    自由意志について/ 言葉と主体/ 妄想・分裂ポジションと「おっぱい」/ /
    dragon/
    無意識/無意識2/無意識3/無意識4/ 実行部隊の活動のまとめ/
    対話/ 警察アートなど/
    高校倫理から その1/ その2/ / /
    ギャラリー/ 詩/ 詩2/ 詩3/ 詩4/ 詩5/

    ■ネットでの体験のログ保存置き場
    山形浩生勝手に広報部部長/ その2/ その3/ その4/ その6/ 差別教徒関係/ 差別教徒関係2/ 差別教徒関係のまとめ/ 学歴と差別意識と嫌韓/ 差別教徒の分析/ ruitomo みほ/ 立川/ 西村博之/ 2ch/
    家族会/ 差別教徒の特徴/ カリメロ消失/ ポルノ化部隊/
    02〜03年実況板/ 02〜03年実況板/ 集合写真/
    怪文書/ 怪文書2/ 怪文書3/ 怪文書4(・∀・)/ ドラパンマン/ 被害妄想/ 2chAA/

  • 自己紹介等/ 精神の経歴/ 自己分析/ 自己分析2/ 自己分析3/ 無条件の連帯の肯定など存在しない世界と自己愛/ 病者として自分を認識してみる/ /    (更新日 12/5/27)

  • 主要人物/ 質問/ 灰色の世界の住民の推測/ ラスボス攻略/ 人狼と<外>(ジョルジョ・アガンベン「ホモ・サケル」参考)/ 例外状態/ カオス/象徴秩序/ 排除について(仲間内の共同体からの排除など)/ 他人の重要度、仲間意識について/ 私/差別教徒/ 非日常/ 見世物生活/ 人間/動物、人間/非人間/ <生ける死者>と共同体をめぐるモノガタリ/ <共同幻想>の門/ 想像コミュニケーション/ Dの食卓/ 脳内彼女2/ コピペ改変/ 監視社会/ 電波文庫/ タワー1000/ 法則・公式/ 体感法則/    (更新日 13/2/11)

  • 論語から引用改造/    (更新日 11/10/25)

  • 地域活動支援センタースタッフと医師との会話による状況の進展過程/    (更新日 12/4/25)

  • BLOG/

  • リンク    (更新日 04/2/5)

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