長老集会での ウイットネス・リーのメッセージ
1988年11月27日
この文書は米国パサデナにおいてオフレコで行われた長老集会の記録であり,内容はリー派のある人物のノートによる.この内容はまた別の文書にも引用されている.リーは「自分こそが現代における神のOracle(託宣)である」と宣言し,自分だけが他の誰にも語り得ない豊かな啓示を提供し得るとの主張をしており,そのパラノイア(誇大妄想)傾向を露骨に見せている.過去自らに忠実に仕えた各地の長老たちを裏切り者とののしる様は,末期のヒトラーが忠信な部下を疑心暗鬼から自らの手で処刑していった様子を髣髴とさせる.
私はニューウェイについて語ることを恥とは思わない.多くの反対と苦しみの後,私はこの道を進めば進ほど1984年に始まった事に確信を持つようになった.
反対が起きたとき私はこのことに何かおかしな事があるだろうかと考えた.しかし攻撃はますます激しくなった.さらに考えた末,現在は私は完全な回答を得ている.私が1984年来なしていることはまったく主からのものである.アトランタにおける最後のメッセージで,私は自分がなしていることを知っているが,あなたがたは知らないから正しくないことを語るのである,と私が言った理由である.ある日私たちは主の裁きの座で彼とまみえるのである.
今日多くの論争があるが,彼が間違っていると誰も承認しない.パウロは自分の議論を述べるとき,あらゆる点において自分は間違っていないと感じていたが,彼は自分自身を正当化しようとはしなかった.彼は主の来られるのを待ち望んでいたのである.
今日は人間の時代である.私は現在は人間の裁きの時代であると感じている.人間は他人を裁く自由を有している.しかし私は別の時代がきて,そのとき私たちはすべてそこで裁かれるであろうと言いたい.私はちょうどこの国に主の回復をもたらす負担を持ったのと同様に,主から負担を受けたという回答を持っている.もしもそのような負担がないものとすれば,あなたがたはこの部屋にいることもできないし,主の回復を知ることもできないし,あるいは新しい光を見ることもできないであろうことを時間が証明し確証していたであろう.
神の託宣については,私たちは問題を持っており,状況は純粋でなく,偽善的であり,偽りの状況にある.多くの重要な論点において,まず初めの点は神の託宣である.
あなたがたは一人の人間の言葉を聞いている.私はこの国に主の回復をもたらす負担とともに来た.そして私の務めを開始した.それはその務めである.またあなたがたの務めも,それが正しいならばまたその務めである.
私はあなたがたに回復をもたらした.私は3,000以上,30,000ページのメッセージを送りだした.あなたがたのある者はそのメッセージを投げ出したかもしれない.パウロの最後の書簡ではアジアのすべての者が彼の務めを放棄したと言っている.それは彼が殉教する正に直前に書かれた書簡である.
私の務めが拒絶されることは私にとってなんら驚きではない.合衆国のある教会は回復訳を捨て,キング・ジェームズ訳に戻って行った.
もし私の語ることが神の言葉の託宣であれば,あなたがたは人間の言葉を聞いていることを意味しない.私が召されたその日から,私は攻撃されるように準備されていた.次の事が私が徹底的にキリスト教を非難してきた理由である.なぜならば,それは主の子供達をだましており,肢体を役に立たたないものにしており,多くの偶像を設けたからである.私はこの国がこれらのことを自由に語ることができるところであることを感謝する.
1962年来,ある者達は私の語りを26年間聴き続けている.私の言葉を聴いているとき,あなたがたは誰の言葉を聴いているのか?もし今日,人間の言葉を聴いていると思う者があれば手を挙げなさい.率直でありなさい! 私の陰で物を言うな.私はこのようなことを聞いている.私は嫌われている.憎悪の存在がある.なんたる恥だろうか!
もしあなたがたが極みまで正しかろうと,もしそれを愛の中でなく,憎悪の中あなしたならば,あるいは最も霊的なことでさえ愛の中でなく,嫉妬の中でなしたならば,....
昨年11月,ある匿名のビラが現れたが,その最後に,ドアノックは洪水と地震を送る神の怒りを引き起こすとあった.
ある人が,私の最も近くにいた一人が言った.昨年4月,ある兄弟がきて,ある兄弟が30ページの本を配布している.そしてその本は“幻の再考”である,etc....と言った.
それはアナハイムではとてもよい英語に翻訳され,オースチン,テキサスへ送られた.なんたる恥であろう! 19ページには大きな嘘がある.リー兄弟は多くのアイデアを持っていて,あるとき,彼は人々にドームのためにアパート,トレーナーを購入するように語り,それが諸教会を貧しくしたとあった.また10000 を収容する広い土地を買うこととそれで諸教会がようやく生き残る事になったとある.そのタイトルは誰に対してか? また彼は7700万ドルを横領したとある.教会はそれに何等の関わりもないし,またそれは聖徒達の手にもたらされたのである.これが主の回復であろうか?
私たちの間に実際に問題がある.私は正直であらねばならぬ.
昨晩,アナハイムの集会所の駐車場で車のウインドに一枚のビラが置かれていた.私たちはこのような苦い経験を長年してきた.アナハイムの兄弟達はそのことを知っていると思う.
(ジョン・インガルス)このビラを撒かねばならないと言っているのを聞いたので,彼らにそれをやめるように最前を尽くした.
パウロは自分自身を裁くことはしないで,裁きの座を待っていると私たちに語っている.そのようなことに関わらないように,さもないとその一派となり,多くの罪を犯すことになる.もしあなたがそれに関われば,著者と同じように邪悪であることになる.これを配布することは,それを書くことと同じように邪悪なことである.
あなたがたはここに何のために来ているのか? このような回復のために来ているのか? 匿名にしているのは,あなたがたを私が告訴することを恐れるからか?もしそうするならば,このことで3回も裁判所に行くであろう.
私は主の回復は新しいスタートを切るべきであると言う実際的負担を持っている.伝統的な方法に従うことは,この世の国々の習慣に習うことである.
私たちは,私たちに数の増加がないことの理由を見いださねばならない:マニラでは1930年から1974年の間に,すべてが同じであり,まったく増加していない;オレンジ群と台湾でも何等の増加もない.そこで私たちはこの問題を解かねばならない.ある者達は私のオフィスに罪があるために,主の祝福がそこにはないのだと言う.しかし私は言いたい,あなたの所には罪がないだろうが,どこに祝福があるのか.1984年以前に主の回復のどこでいくらかの増加が見られたのか?
ある僅かの所では彼らはよくやっており,10%増えている.しかしオレンジ群では2.5%以下である.そこで私は研究を始め,このようにドアノックする方法を発見した.しかし諸教会はそれを捨て,2つの最大の異端がそれを拾い上げた,つまりモルモン教とエホバの証人である.
ノックをし,家庭集会を持ち,彼らを教会の集会にもたらしなさい.しかし私たちは初めからそれをしない,なぜなら彼らを古い習慣にもたらしたくはないからだ.今日私たちは方法を変えた.そこに彼らをもたらしたい.
私たちは今だにどのように家庭集会をすべきかがはっきりしていない.使徒行伝20章で私はあなたがたを完成し,家から家について公に教えた.パウロは家家により多くの訪問をしたのである.パウロは長老を任命した後3年間留まった.あなたがたは研究してはいるが,どのように教会を顧みるのか知らないのである.一つの例外もなく,本当にあなたがたは知らない.そこで私は一つ所にしばらく留まりたい.
もしあなたがたが教会を顧みる適切な方法を得たならば,永続するリバイバルを持つことができる.長老達は自分自身で聖徒達を完成することができるのか?
そうであるならばエペソ4章は必要ない.
私が主のニューウエイに関して務めていることは絶対的に正しい.それはあなたがたの所でうまく行かなかった.なぜならば:
1.あなたがたはこのことに飛び込む誠実な心を持っていなかった.台湾の人は金を儲けることに飛び込んだ.あなたがたはそのことに飛び込まなくてはならない.あなたがたが機能しなかったので,それもうまく行かなかった.
2.何をするのでもあなたがたは忍耐とともに学ばなくてはならない.そのことに飛び込み,どうやるのか学んだ所では,それは成功している.ある所は3倍になった.台湾に行き,あなたがたが聞いている噂を確認しなさい.106 の地域で,それぞれ45-50,予算の少なくも 1/3 が可能だ.私たちはそこで努力し続けた.私はそこで努力し続けるのに率先した.そこでは私たちは成功した.私たちは800名の中国人を2年間訓練し,翌年の1月に460名を送りだした.私たちは2カ月毎に100人を送り出すであろう.私たちは2カ月毎に30 名を送り出すであろう.私たちは 15 の場所と 15 の教会を得て,30を得るであろう.私たちはそのような燃えている十分な数の若い人々を得た.1991年までに私たちは島全体をカバーする.その実験室で最初は成功することができなかった.
急いではいけない.押し付けてはいけない.賢く行いなさい.人々を外部者とみなしてはならない.2月に私は一つ心を打ち立てた.イスラエルのために戦うためのラッパを私は吹いた.あなたがたの中でこのように行きたくない者は反対してはならない.さもないと分裂を引き起こすことになる.最初からもう一つの大陸(ヨーロッパ)のある諸地域は反対し続けている.
6週間の後,彼は(ジョン・ソー)は批判を始めた.あまりにも活発に,隠れて批判をした.今はその批判はどこかへ行き,公に反対している.ある兄弟がそこへ行き,人々にリー兄弟の方法は正しくない,私たちは今....などと告げている.これが私が彼を私の訓練に受け入れなかった理由である.
私はあなたがたに仕えるための霊を持っていない.私はこれらの偽善者達,偽り者達を攻撃したい.主の回復にあって誰もが真実であると考えてはならない.12の使徒の中にユダもいたのである.パウロの時代には,アレックスはどうだったか.今日地面を掘り起こすことが自分の仕事である少なくも2,3人の者達がいる.彼らはサン・ガブリエル渓谷にでも行って掘っていればよいのだ.私はあなたがたがそこで食べているものをすべて知っているのか? 私は知っている.私はスパイかもしれないが,しかしイエス・キリストによって派遣されている.私の同僚が私を呼び,あなたがたのことを記録した10 から20 ページにわたる手紙をいくつか送ってくれた.あなたがたが何を話しているか,etc.....
私は地方教会を持っていない.どの教会が私の手にあるのか?
私はどの教会が私を迎え,私に対して心があるか知っている.私たちがオレンジ群に移住して以来,私はオレンジ群の諸教会を顧みることで率先してきた.しかし,前回の訓練で私は一つの集会をもったが,ある一人の人の言葉が私に冷水をかぶせた.彼は数字はなんらの意味もない,予算も,統計も,と語った.そのときそれは初めローズミードで始められたことであり,彼らは皆フランシス兄弟とジョン・カーン兄弟はわたしによって立てられた本物の長老であるが,しかし彼らは追い出された.また彼らは手紙を書き,これらの超地方的な人物は数字と活動についてのみ注意を払っていると言った.彼は過去においては豊かな養いをしてきたが,今はそうでない.このために私はシアトルへ行き,キリストの体について語ったのである,etc... そしてクリーブランド,アトランタ,台湾,韓国やあちこちへ行った.これらは(単なる)予算なのか? 私は強制されたのである.
私は誇る.神の託宣については,他の誰によっても提供されていなかったきわめて多くの点についてあなたがたに提供してきた.あなたの教授の所へ行き,彼にP.T.(processed Triune;手順を経た三一の)神の(不明)は何か知っているか聞いてみなさい.私がこの国に来る以前にこのことを読んだことがあるのか? 誰がキリストを経験し,キリストを楽しむなどということを聞いたことがあるのか? 私がこれらのすべての言葉を発明したのである.神の託宣は聖書に対応していなくてはならない.今だかつて誰も最後のアダムは命を与える霊になったことを見たものはいない.
7倍に強化された霊についてはどうか? このことを聞くことは人間の言葉を聞くことなのか?
何年も前,私は本の著者の会議に招かれた.何が出てきたか? 私のメッセージとニー兄弟のメッセージ,あるいは(何か)古いものの繰り返しだけである.何が新しいのか? 1986年 2月,私はこれらのことをやめるように提案し,そして兄弟達は止めた.英国においてさえ,彼らの流れを止めた.今日でさえ,私は神によってだれかが神の託宣として揚げられるか待っている.あなたがたが私のメッセージを繰り返すことは神の託宣ではない.私はニー兄弟を尊敬しており,彼と同じことを語ってきたが,しかしそれよりももっと頻繁に新しい光の中で同じ事を語ったのである.歴史において,だれが7倍に強化された霊について語ったことがあるか? 誰がヨハネ15章の,三一の神の有機体について触れたことがあるか?
また燭台は三一の神の化身であることについて誰が語ったことがあるか? 私である! 私は,ある者達がリー兄弟は言ってないと言うのを聞いた.なにがおかしいのか? あなたがたは私の言うことを聞いているのである!
私はどこへも連れ出されていないが,あなたがたはそんなにも逸脱してしまった.私はあなたがたにそんなにも教えてきた.あなたがたは私の教義を宣べ伝えている.もしそうでないなら,それ以外に何をあなたがたは教えたのか? リー兄弟が語ったことを言わずに,他の兄弟があなたが語ったことを言うことは愚かなことである.
私は誰をも責めはしない.私は分裂を引き起こしたくない.しかし私は真実を語らねばならない.誰も私の口をふさぐことはできない.
私はさらに語らねばならない.私はまだエペソ4章について語っている.私は何が巻起こる波であり,吹き荒れる教えの風であり,人の策略であり,また誰が赤子であるのか語りたい.
誰も私を妨げられない.誰が“三一の神の有機体”などというタイトルを構成できるのか? これは私を通して神が語っている強力な印である.
あなたがたは神の託宣が私とともにあり続けていることを否定できない.私はこのことを主イエスの面前で主張する.神の権威の代理権は彼の託宣にある.すべての時代を通じて神のために語るものは神の代理権を持った.今日回復には不法が存在する.
教会はキリストの体である.それは聖なる状態に保たれねばならないが,しかし,それは肉と嫉妬の中でなく,霊と愛の中で聖なる状態に保たれねばならない.
私は誰かの強制のもとで何かをするつもりはない.あなたがたが強制するならば私はすまい.私は私の基準を持っている.私はあなたがたの言葉を考慮はするが,もしあなたがたが私に命令を出し強制するならば,私はそれをしたくはない.
私は集会所を持ってはいるが,アナハイムではそれを使用するのに幸福ではない.アナハイムではカンファレンスをもたないことは私ははっきりしていた.私は誰によっても,何事によっても影響されたくない.私はあなたがたに仕えるが,ある日私はあなたがたに仕えなくなる.
そこでL.A.地域の親愛なる兄弟達がカンファレンスを持つように私を招待してくれた.私はパサデナのことを聞いたとき幸福であった.私はパサデナという名称が好きである.パサデナは私を第三の天に高めてくれた.また私は高められたい.しかし私は1986年の手紙にサインした者達を叱責する.私はミニストリーと一つであることはだれか指導者を誉めることではないと言った.それは調整ではないのか?ある者達は私がその手紙を受理している限りは私が真理を行っていないと言う.しかしあなたがたは私の返事を読んだのか? 400以上のサインがあり,4人がそうしなかった.
私の答えは叱責であり,調整である.ミニストリーと一つであることには,ある個人を誉めるような本来的要素はない.あなたがたは私を非難する何等の根拠も持っていない.私は真理を実行しない者ではない.
私は教会を失うことを気にしない.合衆国すべてが私に閉ざしても私は構わない.私は忠実な10から20人の者達と共に集会し,真理を実行することに注意を払いたい.
私を強制するようなことはしてくれるな.事を公に光の中でなしなさい.6月にある者が事を暗闇でなすためにこの国に来た.彼は(ジョン・ソー)3週間以上も滞在した.ヨーロッパから調査のために何人かを送ってきた.
神に仕えることにおいて光の子供でありなさい.私に率直にものを言いなさい.私の背後で何かを語るな.
私があなたがたに回復をもたらし,またあなたがたを回復にもたらしたのである.私はあなたがたが私の言葉以外のメッセージを語ることを好む.
あなたがたは私の託宣を私に反対して使っている.このことが起きたのである.
あなたがたが戻って行って,ニューウエイを徐々に,愛の中で実行することを懇願する.
(ただ一つの神の託宣についてのポール・カーク兄弟の質問に答えて)
1945年以来,私は私以外の誰かが神の言葉を語れるかどうか観察してきた.私はイギリスから出版されたどの本にも光があることを見い出せなかった.
(かつてジョン・ソーとジョン・インガルスが,それぞれ柱であり,今日の“テモテ”であるとリー兄弟によって描写されたことについての同兄弟の質問に答えて)
兄弟達,私たちはそうは信頼できるものではない.兄弟達は変化するものである.デマスは主を愛したが,彼はこの世に対する愛に変わっていった.