ピチレモン———

昭和61年年創刊の、この雑誌は、もとは「ファンシーな女の子」のためにつくられた、伝統ある中学生ファッション誌である。

ピチレモンの専属モデルには、「姉妹(スール)制」という、ラブベリーやニコラにはない独特のモデル育成制度が存在する。

それは、先輩ピチモと新ピチモとが、ピチモの証である「ラビピョンズのネックレス」の授受を通じ、姉妹(スール)の契りを結ぶというものである。

そして、晴れて姉妹となったピチモのペアは、公私にわたって関係を深めつつ、「姉」(=先輩ピチモ)が、「妹」(=新ピチモ)を個人的に指導し、一人前のモデルへと育ていくことになる。






【第1話】胸騒ぎのオーディション


2011年4月26日。

今日は、第19回ピチモオーディションの2次審査当日。

間もなく、集合時間の13時を迎えるところ、1次書類選考の合格者20名が、ここ五反田の学研本社ビルに、ある者は1人で、ある者はお母さんに付き添われ、またある者は事務所のマージャーさんに伴われ、集合しつつあった。

しかし、そんな時。莉子は、ようやく五反田駅に到着したところであった。埼玉から1人でやってきた莉子は、ここまで来る間、電車の乗り換えを間違え、ギリギリになってしまったのだ。

「ど・・・どうしよう。もう1時になっちゃう!」

事前に編集部から送られてきた地図を片手に、あわてて駅から駆け出すのだった。





バタバタバタ。

1階で受付を済ませると、まさにドアが閉じかけているエレベータへと駆け込む。

「待ってください! 乗りま〜す」

すると、先に乗っていた少女が、『開く』のボタンを押して、待っていてくれた。

「ふぅ〜。ありがとうございました」

無事に乗り込むと、息を切らししつつ、お礼を言う莉子。

すると、先客の少女が尋ねる。

「あなた、何階?」

「はい、18階です」

すると、18階と聞いて、その少女が反応する。

「あら、ということはピチモオーディションかしら?」

18階は、ピチレモン編集部がある階であり、オーディション参加者の集合場所でもある。

「あっ、そうです」

答えたところで、莉子と先客との目と目が、初めて合った。

「ん!? わっ、ホッシーだぁ!!」

莉子は、あまりの興奮に、ついニックネームで呼でしまった。





莉子が、現在所属する芸能事務所スターダストの所属オーデを受けたのは、大好きなホッシーが所属していたから。

そして、今年の初め。マネージャーさんに「ピチモオーディションを受けたい!」と申し出たのも、もちろん憧れのホッシーと同じお仕事がしたかったら。

とはいえ、まさか自分が1発で合格するとは思っていなかったので、マネージャーさんから1次通過を知らされたときは、うれしさも去ることながら、果たしてこんな自分でいいのだろうかという不安の方が大きかった。

しかし、「目標であるホッシーに近づきたい」「ピチモになりたい」という思いも当然にあり、2次の期日が迫るにしたがい、次第に、ここまで来たら絶対に合格したいと強く願うようになっていった。

そして迎えたオーディション当日。偶然にも、エレベーターの中という意外な場所で、ばったりホッシーに会ってしまったものだから、気が動転してしまったのも無理のないことなのかもしれない。





次の瞬間、われに返って謝罪する莉子。

「し・・・失礼しました」

ペコリと頭を下げる。

「ふふふ。いいのよ。気にしないで」

余裕の微笑で返す悠月。

するとことで。

<ポーン>

18階に到着し、ドアが開く。

2人、エレベーターを出ると向かい合い、莉子がもう一度お辞儀をして、走り出そうとしたところ。

「ちょっとあなた、お待ちなさい」

悠月に呼び止められた。

「は・・・はい?」

莉子が振り返る。

「これ、持って」

すると悠月は、持っていた自分のP&Dのバックを、戸惑う莉子に押し付けた。

直後、憧れのホッシーの美しい顔が、わずか30センチまで近づいてくる。

「タイが曲がっていてよ」

そう言いながら、空いた両手で、莉子のタイを丁寧に直す。

あまりの出来事に固まる莉子。

そんな莉子の様子を、優しく見つめつつ。

「そういえば、あなた。いそいでいらしたのではなくって?」

「あっ、いけないっ!」

ここで、われに返り

「ありがとうございました」

もう1度頭を下げると、悠月に背を向け、会場受付へと走り出した。





【第2話】波乱の初ピチ撮


オーディションに無事合格した莉子。

今日は、待ちに待った初のピチ撮の日である。

早朝、編集部に集合ということで、こんどこそ遅刻ナシに、それこそ30分以上も前に到着した。

(うわぁ〜。緊張するぅ・・・・・・)

いま、『ピチレモン編集部』と書かれた入り口のドアの前に立つ莉子。

しかし、あまりの緊張から、なかなかノックできず、しばらくの間、そこに突っ立っていた。

(ふーぅ)

深呼吸。

いよいよ心を決めて、ノックしようとした、その瞬間。

「編集部に何かご用?」

「ひゃっ!?」

突然、後ろから声をかけられた莉子は、驚きで、つい変な声を出してしまった。

「あら、驚かせちゃったかしら。こめんなさいね」

そういって、優雅に微笑むのは、誰あろう———

「わっ、ゆーかだぁ!」

またしても先輩をニックネームで呼んでしまった。

長い髪、西洋人形のような整った顔立ち、落ち着いて品のある立ち居振る舞い。

高1姉ピチ組の中でも、「おっとり&いやし系担当」の優花は、こうして目の前で見ると、想像を遥かに超えた美しさだった。

「こんにちは。えっとぉ、あなたは・・・・・・、分かったわ! 新ピチモちゃんでしょ?」

緊張でなかなか口が利けなかった莉子も、思いがけず優しく話しかけられたので、なんとか我を取り戻して。

「は、はい。関根莉子と申します」

元気に、あいさつできた。





自己紹介もそこそこに。

「ここで立ち話もなんだし、さぁ、中に入りましょ」

優花が提案した。

すると、その時。

部屋の中から、声が響いてきた。

「だからって、どうしてわたくしがそれをしなければならないのですか!!」

ドアの外にいても聞こえる、ものすごい大声。

「???」

そうこうしているうち、続けざまに同じ声が叫んだ。

「横暴ですわ! 編集長の変態!!」

(へ・・・ヘンタイ!?)

なんで編集部の中から、こんな怒鳴り声が聞こえてくるのか。ケンカでもしているのか。

っていうか、そもそも「編集長のヘンタイ」って聞こえた。

編集長っていえば、そりゃ、あの時のオーディションでも、審査員席の真ん中に座っていた髭のおじさんで、つまりはピチレで1番えらいひと。そんな人に向かって「横暴」?「ヘンタイ」? もう、ワケけが分からない。

そんな風に、莉子が戸惑っていると、隣から。

「あらあら。ホッシーったら」

言いつつ、なにごともなかったかのように、優花はドアノブに手をかける。

「えっ!? もしかしていまの声、悠月先輩なんですか?」

驚く莉子。

あの美人で、頭も良くて、見るからに上品で、育ちに良さそうなホッシーが、あんなに大きな声を出すなんて。ましてや、編集長に対して暴言を吐いてしまえるなんて。

頭の中の整理がつかず、あわわわ・・・・・・と、たじろぐ。

対して、優花先輩は落ち着き払っている。

「いつのものことよ」

やれやれといった感じでそう言うと、優花は、ノックもせずに、そのままドアを開けた。

と、その瞬間。

「わかりました。そうまでおっしゃるなら、いますぐここに連れて来ますわ!」

そんな捨てゼリフとともに、1人の女の子が部屋から、すごい勢いで飛び出してきた。

そして———

<ドカン!>





それは全くの不運が重なっての事故だった。

部屋の外側からは、ドアノブを引き、外開きの扉を手前に引きつつ、「さあどうぞ」といった感じで、優花が莉子を招き入れる最中。

対して、内側からは、すごいスピードで走ってきた少女が、ドアのノブに手をかけ、押そうとした瞬間。まさに、手をかけたところで、外側からドアが引っ張られた格好になり、文字通り「女の子が飛び出してきた」のだ。

もちろん、飛び出してた少女は、ドアの真正面に立っていた莉子に、バーンとぶつかるわけで・・・・・・。





「わっ!」

「イタタ・・・・・・」

折り重なって倒れる2人。

「だ、だいじょうぶ? あなたたち」

優花が、2人を見下ろして、心配そうに。

抱き合うように重なったまま、飛び出してきた少女も、自分の下にいる莉子に向かって尋ねる。

「あなた、だいじょうぶなのね?」

「お・・・重ぃ・・・でふ」

「まあ、失礼な」

「わっ!? ゆ・・・悠月先輩」

先ほどの言い争いの声からして、やぱりというべきか、とにかく、今の自分の上に乗っかっている女の子は、悠月先輩だった。

「どうやら、だいじょうぶみたいね」

とりあえず、莉子が無事なことを確認した悠月。

すると、次の瞬間。莉子の耳元でささやくように、こう尋ねた。

「あなた、もう『お姉さま』は、いて?」

この悠月の一言が、全ての始まりだった。





【第3話】ホッシーの物思い


ドアの前でようやく起き上がった、悠月。

「あなた、起きられる?」

そういって、先に立ち上がった悠月は、お尻をついてペタンと座った格好の莉子に手を貸し、よっこらしょと引っぱり上げるように立たせる。

そもそも悠月は、倒れたときに莉子が下でクッションになったため、なんのダメージも無く元気なのだった。

そんな2人を、側に立ちつつ、心配そうに見つめる、優花。

ふと、優花が、何か口を開こうとした、そのとき。

「いったい、なにごと!?」

「ホッシー、どうした?」

部屋の中から、仲良く連れ立って出てきたのは誰あろう———

(まなゆうだ!)

今度こそ、心の中で叫ぶ莉子。

まさに、現役ピチモのエースコンビの登場だった。

すぐ隣にいるホッシーや、ゆーかは、どちらかというと落ち着いて上品な大人の魅力がある。

一方、今しがた、ニコニコしながらこちらにやってくる、まなゆうコンビには、芸能人オーラというか、あふれんばかりのキラキラ感がある。

あわわわ・・・。ホンモノだぁ。

いちファンの目線となってしまう莉子だった。





そのまま、つかつかと莉子に歩み寄る、エースコンビ。

「ふ〜ん。あなたが、新ピチモちゃんね」

まず、愛美が目の前に立ち、上から下まで莉子をなめまわすように眺める。

「ま、原石っていったとこかな」

さすがに、171の長身から見下ろされると、155cmと小柄な莉子にとっては、圧迫感がある。

「まな、代わって」

今度は友美が、正面に立って。

「どれどれ」

そういうや否や、友美は、莉子のアゴをつかむと、上下左右、様々な方向に顔を向けさせて観察する。

「ちょ・・・。なにするんですかっ!」

(あたしは、野生動物か!)

と、思わず、恐れ多くもやや乱暴に、友美の腕を振り払う莉子。

対して、友美は。

「わっ! 反抗した。けっこう凶暴だぁ〜」

愛美と見つめ合って、うれしそうにキャッキャと笑うのだった。





「水着ロケ!?」

思わず、莉子は声を上げた。

編集部の会議室。

この場にいるのは総勢5人。

今日のピチ撮に呼ばれたメンバーが席についている。

悠月に優花。可鈴に亜美。そして、莉子。

愛美と友美は、すでに次のお仕事、ロケへと出て行った。

ここで莉子は、ようやくあらましを聞かされたのだ。

悠月があれだけ拒否していたのは、なんてことはない。水着ロケに選ばれたことが原因だった。ピチレモンの水着特集といえば、毎年7月号の恒例行事。選ばれた数人のピチモが、プールやホテル、スタジオにて、水着のロケを行うものである。

もちろん、事務所的に水着NGのところがあったり、本人の希望があったりで、水着特集に出ないモデルもいることはいるが、基本的には編集部の人選による。

で、今年。

そんなロケの選抜メンバーに、悠月が選ばれ、その結果、「やる」「やらない」をめぐって、さきほどの騒動となったのだった。





「かりんは、やるよぉ〜。楽しみだし」

まず、可鈴が口を開く。

目をキラキラさせ、やる気満々の可鈴。

しかし悠月は、そんな様子を横目で見て。

「ふっ」

鼻で笑う。

「かりんは、いいわよ。だってあなた、ついこの間も水着グラビアやってたし。聞くところによると、ソロDVDだって、早くも2枚目が出たらしいじゃないの」

「でへへ・・・・・・」

よくわからないが、とにかく照れる可鈴。

と、ここで優花が割り込む。

「でもホッシーは、9歳のとき、水着の写真集、出してたんじゃなかったかしら?」

「あれれぇ〜?」

可鈴も加わって、はやし立てる

「怒るわよ、あなたたち」

さらに優花が重ねて。

「そうそう、『笑っていいとも』にも出てらしたんですよね?」

これに悠月、ついに

<バン>

机を叩いて、立ち上がる。

「だから、キリンプロ時代の話は、なさらないでってば!」

悠月が2人をホンキで睨むと、優花は目をそらし、鈍感で空気を読まないと評判の可鈴もさすがに「まずい」と気づいたようで、愛想笑いでごまかした。

「でへへ・・・・・・」

悠月にとって、どうやらキリンに所属していたころは、暗黒時代らしい。





少々の沈黙の後。

ふと、先ほどから黙っている、非オーデの新人である亜美に、悠月が話題を振る。

「そうそう、あみたちゃんも、水着、イやよね? だってスーパーアイドルですもの」

悠月は、最後の頼みとばかりに、亜美に向き直って。

「ね? いっしょに、拒否しましょ。ねっ? ねっ?」

拝み倒すように。

すると、亜美は———



「水着ロケでも、がんばるやいっ!」



こちらも、やる気満々だった。



(第1部完結)


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