「えり姉は2ヶ月くらい前に、『これから、しばらくの間、眠るね』と言いました。夕ご飯の時、家族の前で、そう宣言したんです。 そう言われても、そのときはだれも気にしませんでした。まだ7時だったけど、お姉ちゃんはいつも不規則な眠り方をしてるし、とりたててびっくりするようなことではなかったんです。 私たちは『おやすみ』と言い合いました。そして、お姉ちゃんは、食事にはほとんど手つけず、自分の部屋に行ってベッドに入りました。 それ以来、ずっと眠り続けているんです」 恵莉の部屋。 午前2時。 窓の外は、真っ暗である。 ベッドには、恵莉が眠っている。 と、そこへ結莉が入ってくる。 家族に気づかれぬよう、そっと静かにドアを開け、中に入り、そして静かにドアを閉める。 部屋の中の沈黙と冷ややかさは、結莉をいくぶん緊張させる。 結莉は、そのままドアの前に立ち、ひととおり、姉の部屋の中を用心深く見わたす。 そして、いつもと、なんら変わらぬ姉の部屋であることを確認すると、姉の眠るベッドの側まで歩み寄る。 熟睡している姉の顔を、見下ろす。 右手を伸ばし、その額にそっと触れ、小さな声で、名前を呼ぶ。 「えり姉」 しかし、反応は全くない。 いつもと同じように。 結莉は、机の前の回転イスを、枕元まで引いてきて、腰を下ろす。 前かがみになり、姉の顔を、すぐ近くから、観察する。 そのまま、5分ばかり、時間が経過する。 やがて結莉は、意を決したように、イスから立ち上がり、まず、肩に羽織ったカーディガンをそっと脱ぎ、パジャマ姿になる。 次に、靴下を脱ぐ。 そして、姉のベッドにもぐりこんだ。 1つのベッドで仲良く眠った、昔のように。 結莉は、ます布団の中に身体をなじませてから、仰向けに寝ている姉の身体に、自身の、ぷにぷにの二の腕を回す。 頬を、姉の、それほど大きくはない胸に軽く押し当てつつ、そのまましばらくじーっとしている。 姉の心臓の鼓動の一音一音を聞き逃すまいと、耳を済ませる。 耳を済ませながら、結莉の目は、穏やかに閉じられている。 やがて、その閉じた目から、なんの予兆も無く、涙がこぼれ出してくる。 とても自然な、大粒の涙が。 その涙は、頬を伝い、下に落ちて、シーツを濡らす。 それからまた一粒、一粒と。とめどなく零れ落ちてくる。 結莉、ふと思う。 自分には、ジェイクラスではなく、ジョビィキッズという選択だって、あったのだ。 また、自分には、ピチモにならないという選択だって、あったのだ。 結莉は、指先で、頬の涙をぬぐうと、ベッドに身を起こし、もう一度、部屋の中を見渡す。 それから、恵莉の顔を見下ろす、 美しい寝顔———、ホントにきれいだ。 このまま、ガラスケースに収めておきたいくらい。 結莉は、身をかがめて、恵莉の唇に、短く口づけをする。 頭を上げ、再び姉の顔を見下ろす。 そして、再び口づけをする。 今度は、もっと長く、もっとやわらかく。 なんだか、自分自身とキスしてるみたい。 結莉は、そう感じた。 「恵莉」と「結莉」。 一字違い。 結莉はちょっと微笑むと、そのまま姉の身体にぴったりくっついて、眠る。 姉と少しでも密着して、身体のぬくもりを伝え合おうとするように。 「えり姉、帰ってきて」 結莉は、つぶやく。 「帰ってきて、お願い。。。」 目を閉じ、体の力を抜く。 すると、どこからともなく眠りがやってきて、結莉をつつみこんだ。 涙は、もう止まっていた。 END |