JOHN LYDON Can Tell The World
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歴史から飛び出せ! ★たとえば→1月31日の歴史★ |
>クラプトン取り上げてなぜジョンライドン ↑ ■まぁ、ソレは上記リンクの「久保の眼」にも書いたケド、 <革命家→長期安定政権>っー両者の共通点と、差異があまりにも興味深かったから、だよねん。 ■もちろん、私(も)、ジョン・ライドンはいまだに(笑)大好き♪だから&こそ、今でも&しつこく、全てのアルバムが発表されるたびに 買い続けている(→ただし、中古で・笑&がくっ。)んだねぇ。 まぁ、その「買い続けている」っー気持ちには、「今度こそ、あの1980年前後の衝撃があるかも!」っー期待が毎度、まだ&まだ、あるのよね。 それはあたかも、江川卓投手が先発すると、 選手生活が晩年であってもファンは「江川なら、ノーヒット&ノーランやらかしそう〜♪」っー期待を持たせるだけの存在(=カリスマ?)みたいなモンで、 なか&なか、こーゆー☆期待を引っ張り続けるアーティストって、やっぱ、いない・のよねやまままこ。 ってゆーか、そんな期待を持っちゃうアーティストって、私にとっては実はジョン・ライドンだけ、・・・っーコトに今、気が付いちゃった。 ■では、ジョン・ライドンがいつからツマラナクなっちまったか!? って課題なんだけど、問題の(?)1985年の『アルバム』は、あれは&あれで、なーるほど、「ふむ。それなりのヒネクレた爽快感(?)があるわな。」、だったワケで、 あの後の<長期安定政権>狙います的な続々アルバムが、ダメなのよね(笑&泣&哀)。 ■そんでも、アート界のカナリアと言われた(?)私が、「うほっ。ライドンちゃん、こりゃぁ、やべーんじゃぁ〜ナイのぉ?」と、 ライドンの才能の枯渇を初めて感じた瞬間は、1983年6月の東京・中野サンプラザでの初来日ライブの時。 そりゃ、私も当時はバリ&バリのニューウェーブ少年(?&恥)。期待&興奮するつもりでしたよ。 んが、なんだか、すげー冷めた感じでステージを見ていたよーな気がする、のよね。 そも&そも、私がフィルム・コンサート(←懐かしい〜。)などで観ていた、セックス・ピストルズやPILのライブは、ライブ・ハウスみたいな汗臭い狭いトコロでのライブのイメージだった。 汗臭さ&ツバ吐き&スーピードなどのパブリック・イメージを自ら剥奪したPILの1STアルバムのゴージャスなLPジャケットの輝きには、 私はある種のパンクを見事に葬り去った勝利宣言を感じ、痛快な気がしたものでごじゃいました。 そも&そも、パンク全盛期を1977年とすれば、当時15歳の私などはモロ、パンク世代なのよねん。 (ちなみに、世界中の文化アーカイブでは、1977年はセックス・ピストルズがデビューした年ではなくて、映画『スター・ウォーズ』が公開された年として重要らしい。がくっ。) しかし、アート界のカナリアと言われた私(←しつこい?)は、 もーその時に、<汗臭さ&ツバ吐き&スーピード>っーパターンは、ある種の分りやすい「不良」カテゴリーに吸収されちまう「弱味」を内包していたと気がついていたのよ〜ん。 もちろん、そんな私の「気がついていた」は、世界中のロック少年も察知していたよーでございましただ。その結果、待っていました、っー「無菌ニューウェーブ」=雨後のタケノコ族。 つまり、パンク全盛期の最中に、多くの優れたロック・リスナーは、パンクを大歓迎しつつも、同時に、アフター・パンクを待ち望んでいたのよねん。 そして、アフター・パンクは、予想もしない早さで、スグにやってきたのよねん。 (=たぶん、1960年代後半のサイケ・ブームも、こんな感じで、ほんの一瞬のデキゴトだったのではないだろーかにゃ?) それがPILであったわけで、まさしく、彼らは<汗臭さ&ツバ吐き&スーピード>の逆を、同じカッコヨサで見せて&聴かせてくれちゃいましたんがな♪ だから、PIL初来日=いかにも中産階級的なコンサート会場と清潔なステージ、バンド・メンバーたちの燕尾服&蝶ネクタイっー逆パンク・ファッションにも、少なからず痛快さはあった。 んがぁ、その痛快さもステージが進むにつれ、私にはタイクツさに少しづつ近づいて行くような「不安」が強くなっていった、のさ。 その私の「不安」のピークは、コンサート中で一番盛り上がったセックス・ピストルズの曲の時であったのよん。 この時のライブはレコードになり、世界中でかなり売れたハズ。しかし、私はCD化されて中古屋で20年後に再会するまで買わなかった。 もちろん、当時の私&外笑のトランパー・キャバレーであったキヨ坊ルームには常備されていて、何度も聴いたんだけど。 ■さて。んではナゼ&どこに、私はPILのタイクツさ(=ダメなとこ)を感じ取ったか? それは、 【<汗臭さ&ツバ吐き&スーピード>の逆をやっておりますよ〜。ほら、ほら、ソレがコレだよ〜。そのコレをお前たちは見たかったんだろ〜?ほら、どーぞ。】 っー定型化された(=紋切り型の)アイロニーであるから、なのだよん! その時に私が感じ取ったPILの「弱点」は、その後、その部分だけの拡大再生産になっちまうのよ。とほほ。 たとえば、PIL初来日後のスタジオ録音フル・アルバムのタイトルは、『THIS IS WHAT YOU WANT... THIS IS WHAT YOU GET』・・・。←ほら、ね。 さらに、このアルバムのジャケットのデザインが超ダサ&ダサ。 ジョン・ライドンは美術スタッフにも恵まれていて、ジャケからファッションまで、カッキーかったのに、このザマ、何?って感じでした。 その後も、アルバムに『アルバム』っータイトルを付けたり、『ハッピー?』とカマしてみたり、 もーオトナになったパンク少年たちの想像力の範囲内の定型アイロニーにしかすぎないのよね。がくっ。 >ライドンある意味 壊しつずけに 今の世のラップなどに ヒントとなるようなことやっていたんじゃないか。 ↑ ■そこんとこは、さすが(?)外笑博士、するどい。 腐ってもライドンはやはり、詩人なのよね。しかも、かなり複雑に入り組んだ詩人。 かつて、遠藤ミチロウが、「名盤『フラワー・オブ・ロマンス』がスゴイのは音楽ではなく、ロック史上初めて、歌詞が現代詩になったところだ。」と見抜いていたけれど、同感。 ■私がライドンの歌詞を語ろうとする時、いつも思い出すのは初期のセックス・ピストルズのスタジオ・ライブで「ジョニー・ビー・グッド」を歌っている音と映像、だ。 歌詞など知らないのにデタラメに「♪やややややややややや、嗚呼あああ、う〜ふぁっきん・そーぐー」とか歌うスピード感は圧倒的だ。 あれをやらかした瞬間に元祖パンク(笑)のラモーンズなどは一瞬にしてオールド・ウェイブになっちまったんだろーな。 そんなジョン・ライドンがPILでは、それまでの全てのロケンロー詩人を圧倒する知的で詩的な歌詞を歌いだしたんだから、これは音と言葉の融合(=ラップ?)のヒント、かもん。 >自然にいてこそ風が塵を運び込み無理の無い変化をつけていくのだろうて・・・ ↑ ■たとえば、「若さ」の「自然」と、「ベテラン」の「自然」は、まったく違うし、違ってアタリマエ、だよな。 だから、もしかしたら、「自然」こそがこの世で最も「人工的」かもよん。 >・・そろそろ・・・バンドもういいや ↑ ■迷える伝説=デビッド・ボウイが突然、バンド「ティン・マシーン」を始めてみたり、 ディラン+ジョージ・ハリスン+トム・ペティ+ロイ・オービソン+ジェフ・リンっー超ベテランじいさんたちが、わざ&わざ、偽名バンド「トラヴェリング・ウィルベリー」を作ったり、 ロックにはバンドっー魔法がまだ&まだ信じられているんでやんす、なぁ。 それも&これも、ローリング・ストーンズのせいだったりして。 >パンク系 ↑ ■パンクとは、「瞬間」のコトだったのに、いつの間にか、ひとつの「ジャンル」に閉じ込められたのね。 >かっこ悪いとさげすんだりした考えしてるのは俺じゃなくて回りのあんたたちだっていうことさ・ ↑ ■そして我々も、見てくれに無頓着なオヤジになってゆくのか。がくっ。
>ギターの音は俺の中ではトップクラスでしびれる音だわ! ↑ ■セックス・ピストルズ、っーか、パンク・ロックって、実はグラム・ロックだ!←と、「仮説」してみると、色々と面白い、Yo! ■ご指摘のとーり、あの絶妙のディストーション音色は、まるでタンがからんだノドがスッキリした瞬間のような、突きぬけ快感があるで、Yo! そんで、1曲=3分っー、1970年代の重厚長大ロック全盛期に反する短さ!さらに、ポップさ、分りやすさ! ほら&ほら、実はパンクなんて最初っから無くて、あれは長引いたグラム・ロックの流行だった、のかも、Yo! ■そも&そも、ディストーション版キース・リチャーズなジョニー・サンダースだけがかっちょいー=ニューヨーク・ドールズなんて、その中間だもんね〜、だ、Yo! >パンクはピストルズだけ・・って思わせる凄さ。 ↑ ■で、やっぱピストルズはグラム・ロックじゃぁなかったんだよね。 >それを勝手に終わらせて違うこと始めて今じゃ草原のオッサン・・その勝手さ・・ ↑ ■そこだけは、私もパンク・ロッカーでした。がくっ。 >PILは 何の影響力もない腑抜けユニット ↑ ■そんでも、今回、聴き返した『メタル・ボックス』時期のPILのクールさ、う〜〜☆たまらんっ。 >数人で曲を生むってのはミジンコ・レベルからの模索状態からの創作でないと うそ でしかない ↑ ■やっぱ、来日ライブは、John Lydon+Keith Levene+Jah Wobbleのメンツで来るべきだった。 っーか、あの3人がバラ&バラになっちまったのが、ロックの死のきっかけだったのか?→あの3人のケンカ(?)はロック史最大の犯罪、なのか、Yo? |
フランソワーズ、 男の子たちと 女の子たち、 ジュリエット、 ジャンヌ、 カトリーヌ、 もとひろ。 ほら、例の 『共犯新聞』の ゲストブックだよ。 |
ロック事業仕分け第2弾 あるいは、裏地見るレーニン。 久保AB-ST元宏 2010年5月8日 1:10Am Black Country Woman♪ Shall we roll it, Mr.ギロでございます〜? >ポリスだってパンクと十把一唐揚げされていたくらいパンクの定義は曖昧広義 ↑ ■1977年、15歳の私は『ロッキング・オン』を読んで、 チープ・トリックのファースト・アルバムを買った。 で、レコードの上に針を置いて数秒後、ディストーション・ノイズのギターがすげースピードで始まった瞬間、 私は、「ああ。これがパンクか。」と、マジに思ったもの。 当時、街に貼られている日活ロマン・ポルノのポスターが視界に入ることすらが罪悪だと感じていた「うぶ」な男子高校生は、 蛍光イエローにショッキング・ピンクのジャケットにカタカナで「セックス」と書かれた帯がからまった セックス・ピストルズのファースト・アルバムを買う勇気は無かったのだ。がくっ。 あとで同世代の色んなヤツに聞いたら、ほとんどのヤツらが、そーだったようで、チラリと視界に入るだけでも見えていないフリをしていた、とか。 しかし、このジャケットも今、見て見ると「Sex」の部分を広い帯が隠していたり、帯の「セックス」が相対的に目立たないように、より派手な写真やタイトルを使っていたりして、 当時のレコード会社の苦労も分かります〜(笑)。 あと、ヒプノシスなどの情報量の多いジャケットこそが「高級」(?)だとすり込まれていた70年代のリスナーには、このジャケットのデザインは、あまりにも「低級」すぎた。 願わくは、パンクとゆーのが一過性のブームであって、数ヵ月後には忘れ去られるものであって欲しい。 だから、これは買わない。・・・・・・と、自分で自分を説得しよーとする意識が世界各地で蠢いていたと、思う。 そしてそんなときに、より若い世代は、そんなパブリック・イメージから自由であるし、過去を持たないからこそ「一過性」の意味など最初から無いから、コレを買ったのだろう。 我が家でも、コレをリアル・タイムで買ったのは、私よりも2歳年下の弟だった(笑)。 私がコレを買ったのは、1990年代に入ってから、中古CDで。 ■「パンクとは、結局、ジョニー・ロットン、ひとりのことだった。」とはよく言ったもので、確かにそうだろう。 短い髪を立たせて、破れたシャツを着て、倍速で演奏すればパンクになるわけではないのだから。 パンクとは、そのような方法論を否定するために登場したのであり、それを繰り返してはパンクではないのだから。・・・まぁ、ここらへんはロック検定初級だが。 ■では、ポリスはパンクではなかったのか? ボリス・ヴィアンはパンクではあった、が。←これが、ヒント。 つまり、 表現の主導権を表現者に取り戻す運動がパンクだったと私は思う。 パンクは「運動」であったのだから、静止しちまっている「繰り返し」野郎はパンクではない。その多くは、ただのロカビリー・ポップスにしかすぎない。(聴けば分かる。) その意味では、一時期の(と、注釈は入るが)ポリスもパンクだ。 (私の好みでは無いが。ちなみに私はスティングのソロも含めてポリスのレコード&CDは一枚も持っていない。) ギロ男爵が、「ロック産業」に対峙して「自営業ロック」とゆー呼称を持ち出してきたのにも、 産業よりも自営業のほうがより経営者に主導権(=つまりは、責任=リスクとゆーことでもあるんだけど。)が持たされているとゆー意味からだから、私の上記の持論のバリエーションなのだ。 ■そこで、マルコム・マクラーレン、なのである。 マルコムはこの「運動」を意識的に「組織」した。 それ自体も表現として積極的に評価していい。私が、「マルセル・デュシャンとしてのマルコム・マクラーレン」と位置づけたのはその意味からだ。 そして、ジョニー・ロットンはマルコムの着せ替え人形であったが、エンド・ユーザーにはそれが見えないぐらいに、ジョニー・ロットンの個性は強烈だっただけのことなのだ。 その結果、株式会社セックス・ピストルズの営業係長でしかなかったジョニー・ロットンが、表現(=経営=責任=リスク)の主導権を取り戻す、 とゆー、まさに企業内起業とゆー入れ子状態のマトリョーシカ・パンクを客の目の前でやっちまったんだから。 ■そしてまた、私は想う。 たった1枚のアルバムで終わっちまったセックス・ピストルズ。(今の集金ツアーを「続いている」とするか、どーかは私の興味の外だ。) 8年間で消えたザ・ビートルズ。12年で消えたレッド・ツェッペリン。 なのに、AKB48年も、まだ&まだ続いているザ・ローリング・ストーンズ。 この長期政権は、「運動」を意識的に「組織」せねば成しえない。 なぜ、ピストルズ、ビートルズ、ツェッペリンらはロック事業仕分けされ、ストーンズは長期継続事業となったのか? その答えを浮き上がらせるためにも、 我々はまずは、手当たり次第にCD屋に行き、ロックの棚から、ロックもどきを抜き出し、床に叩きつけるとゆーロック事業仕分け第2弾をせねばならない。 >BAND-AID等の社会参加の取り組みが、おそらくは何らかのかたちで自営業ロックとロック産業との乖離を加速させた ↑ ■ただし、ロック産業の社員よりも、自営業ロックの社長のほうが金持ちである場合が珍しくないので、自営業ロックへの過大評価には注意されたし。 >ロックがmtv時代を迎えネット時代を迎えるに至る大変動 ↑ ■MTVがYouTube時代を準備したのは間違いないが、両者には決定的な違いがある。 つまり、MTVはインフレを呼び込み、 YouTubeはデフレを巻き込む。 なぜならば、MTVにはゴミをも含めた大量消費が必然であり、YouTubeとはリサイクル運動にしかすぎないから。 >階級社会におけるチャリティ精神の問題 ↑ ■チャリティ精神こそが、社会における階級の存在を認知しているという逆説的真相。 >大富豪なマルクス主義者というのは形容矛盾 ↑ ■んなことない。 大昔から、マルクス主義者はいつも金持ちばかりだった。 その証拠の一つが、日本共産党が政党交付金を貰わずに「経営」している唯一の政党だ・とゆーこと。 ただし、日本共産党がマルクス主義者である・とすればの、おハナシ、だが(笑)。 >思想と実践のトルストイ的な苦悩ないし分裂を抱え込まない「売れた左翼表現者」 ↑ ■命名好きの私は、またしても、ひらめいた♪ それは・・・・・・、ロック白樺派! それって、誰だ?はっぴいえんどでも無いし(笑)、ニール・ヤングでも無いし、ジェファーソン・エアプレインでも無いしー。 今のところ、トム・ロビンソンかな?って私は思ってまふまふ〜。がくっ。 >言葉を持ってしまったサル ↑ ■5月2日の日本経済新聞から、天才=高山宏(翻訳家)の短いエッセイ「半歩遅れの読書術」の連載が始まった。 今ここでは、その連載第1回の最後の文章を引用だけしておこう。 ↓ 「考えてみれば澁澤龍彦が『夢の宇宙誌』(1964)で紹介し、 種村季弘他訳で読めたG・R・ホッケ『迷宮としての世界』邦訳版(1966)が教えてくれた マニエリスムなる「不況の美学」(種村)を皆が知るシェイクスピアを通してコットは語った。 そういうホッケやコットを賞賛した林達夫のエッセー、「精神史」は凄い。 林さえ眉をひそめたコットの胡散(うさん)臭さ、際物(きわもの)ぶりをも含めて絶賛した山口昌男はなお凄い。 そのコット今は亡く、山口は病床、高山は左眼失明。嗚呼!」 ↑ 私は上記の澁澤をジョン・レノンに、種村をボブ・ディランに、林をフランク・ザッパに、そして山口をマルコム・マクラーレンに置き換えてみるのだ。 >今はただ・スプリングツリーがビッグイシューに書くことも出来る・という可能性、その可能的状態の尊重においてこそ、 >ギロちゃんはマルクスを理解するのである(あ・うっかり「するべきである」と書きそうになっちゃった・爆) ↑ ■『寺島実郎さんへの質問状』の校正と、回答(!?)、ありがとー♪ 校正しか頼んでいないのに、回答までしてくれるとはっ。月見猫も回答してくれたけどね(笑)。 君たち、面白すぎだからそれらを『共犯新聞』の1面で特集したいと企んじゃってんだけど、あとは出すタイミング、だな(笑)。 >レーニンのような実践家ではなかった。 ↑ ■外笑の専門のアダム・スミスの 世界的第一人者である水田 洋(みずた・ひろし、1919年9月3日生まれ)が、 『アダム・スミス没後200年記念国際シンポジウム』の宣伝(?)のために 1990年3月6日(←私がローリング・ストーンズの初来日を東京ドームで観て札幌へ帰宅した直後。)の朝日新聞(夕刊)に書いた論文に、こう書かれている。 ↓ 東ヨーロッパの民主化の波に、ぼくはレーニンの最後の論文を思い出す。 それは偶然にもスミスが生まれてちょうど200年後に、病床で口述筆記された。 そこでレーニンが指摘しているのは、社会主義革命が始まったけれども、 新しい社会を運営していくのに必要な、責任感と能力のある個人がいないということである。 それには、生活のなかにしみこんだ近代的(ブルジョア的)な文化が必要だということを、 死に直面したレーニンは痛感していた。 ここにも、近代をそしてスミスを、飛び越えようとした悲劇があった。 ↑ つまり、「実践」とは何か、ということだ。 中途半端に「少なくとも県外。」と人差し指を立てることが実践なのか? もしかしたら、ペトログラードで演説することよりも、ロンドンで原稿を書いているほうが「実践」なのかもしれないぜよ。 >すると、思想と芸術との相違とは何か?(この項、続く。多分♪) ↑ ■その答えは、カンタン♪ 「答え」に魅力を感じるのが思想で、感じないのが芸術。それ以外はほぼ、同じ穴のムジーカ。 |