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差出人 : 久保AB-ST元宏 宛先 : HASEPON 件名 : これから武満徹を知る喜び。 日付 : 2003年1月21日(火曜日) 4:07Pm
こんばんわ。HASEPONさま。 久保です。 >ここ数日雪が すごいです。 ↑ ■今年の雪は異常ですねぇ。 ■武満は、札幌での初演もあり、好きな土地なんでしょうね。冬も体験しているのかな? 私は10年ほど前にPMFでエッシェンバッハとリハをしているのに立ち会いました。 その時だけですね、本人を見かけたのは。 >武満は主に管弦楽が好きで、全集のCDはほとんど持っているし高いので購入は見合わせました。 ↑ ■HPで見ましたが、すごいコレクションですねぇ。 同じ北海道に、こーゆー方がいらっしゃると、なんだかうれしいです。 >初期の響きの厳しいものから、じょじょに晩年になってゆくととろけたような味わいになり、好みの別れるところです。 >わたしはぜんぶ好きなのですが、特にアークがすばらしいと思います。 >ジェモーも良いですが、精霊の庭とかも好きです。 >もちろんレクィレムとノヴェンバーは必聴です。 >アステリズムとかもコアなファンの多い曲です。はずせません。 > >室内楽にも良いものが多いですね。フルートのための曲はどれもすばらしい出来です。(ヴォイスやエア) ↑ ■それらを、これから『全集』で体験したいと思います。 >私のサイトのリンクにあるCOMMEDIAというHPの管理人のIANISさん方も武満のコアなファンです。 >すばらしい考察がありますのでどうぞ尋ねてみてください。 ↑ ■分かりました。 これからも、よろしくお願いいたします。 |
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『武満徹 全集 第3巻 初期映画音楽』の感想 Text by 久保AB-ST元宏 | |
愛読者カードへの返答 ■CDを聴いて 当初、第1巻の重厚な「管弦楽曲」を耽溺していた耳には古い録音には少々、落胆させられました。 しかし、それらが編集部の発掘の努力の福利であると、すぐに気がつかされ、又、又、うならされました。 ■第3巻で好きな曲 ・「白と黒」 特に52、54。 ・「暗殺」 ・「燃えつきた地図」 特に1。 ■書籍の感想 いきなり、「失われた作品」から書かれる不幸は、伝記としての全集の力を立ち上げています。 このドラマチックさは、谷川俊太郎のインタビューでの坂本龍一の「ビラ撒き」事件(?)にまで一直線に結びついて、 武満の人生という大きな「映画」の中に組み込まれた、それぞれの映画を楽しませてもらいました。 ■いちばん気に入ったページ P6、7の見開きのモノクロ写真は、すばらしい。 枯れた野に白い矢印を発見する若き日の武満。 複雑な枯れた植物の姿と、シンプルな矢印。 ■装丁について 安原顯の死を詩にし、山口昌男がまだ札幌大学学長であると記録してしまうジャーナリスティックな全集だからこそ、最終巻には是非、全巻通した索引が欲しいです。 ■小社刊「モーツアルト全集」「バッハ全集」をお持ちですか? 持っていない。 2003年7月31日(木) 早朝のまだ社員の出勤する前の事務所で日めくりをパラリとやると、「おお、もう7月も終わりか」。 月末処理の仕事がワンサカ待っていて、はたしてこれらを今日中に処理できるのか?と思いつつコンピュータの電源を入れる。 私の仕事の米屋は、仕事のメインは米を24トン単位でドカンと売ることが中心だが、 ここ数年のデフレ不況とゆー、よくあるパターンとリスク分散で、5kg、10kgの細かい販売もどんどん増えてきている。 24トン売っても、10kg売っても、量は2400倍も違うのだが、伝票や請求書の処理は同じ数だ。つまり、24トンの在庫を10kgづつ売ると事務処理は2400倍になるのだ。 まぁ、そんなに単純な話ではモチロン無いんだけど(笑)、そこで頼りになるのがコンピュータでもあるワケだ。 7月も終わりと思って気が付くのは、今月はまだ『共犯★日記』をまったく書いていなかったとゆーコト。 だからと言って、今月はまったく印象に残るコトが無かったワケじゃあない。 地元のスーパー・マーケット経営者と札幌グランド・ホテルで開かれた柴橋伴夫さんの評論『聖なるルネッサンス 安田侃』の出版記念パーティに参加した4日。 その時に相棒の愛車の中で聴かされたCDアルバムの新人バンド、「Go!Go!7188」が今、NHKテレビに出ている。 その当時、安田侃さんの「侃」をコンピュータで変換する時に私のワープロの学習機能がバカになっていて、 「かん→間→官→缶・・・・・・→侃」と、そのつど変換キーを連打していたのだが、3日前にリカバリーした今は、イッパツ☆侃、ぴったし侃&侃である(がくっ)。 『聖なるルネッサンス 安田侃』出版記念パーティの翌日は祖父の17回忌の法事に道北の古丹別町へ。 月末、25日には札幌の叔母が癌で死ぬ。享年65歳。 その間の日曜日、13日には、美唄市でアート(安田侃との再会)、 岩見沢市でライブ(吉田美奈子+村上PONTA秀一+山下洋輔=?)、札幌でグルメ(イタリアン!)の遊びのフルコース。 んで、7月20日。嘘っぱちの「海の日」。 ベッドの上に投げられていた『武満徹 全集 第3巻 初期映画音楽』をムンズと掴む。 高さ25cm×幅10cm×奥行き20cmの書物はロンドンの煉瓦のようだ。 吉田美奈子ライブの最後の曲「リバティー」のハモンド・オルガンの音がまだ耳に残っていた14日の月曜日に 小学館から『武満徹 全集』の次回第3回配本『第2巻 器楽曲、合唱曲』が刊行されるという案内のハガキが届く。 すでに全5巻の金は払っているので、サイフの心配はいらないが、こーもジジイになると時間の心配である。 実は分厚いブックレットもそーだが、第2回配本『第3巻 初期映画音楽』のCD10枚(!)はまだ全部聴いていなかったのだ。 なんせ、タケミツである。BGMとして聴き流すわけにはいかない。 それに今回は映画音楽である。ストーリーや映画監督などの資料と一緒に聴かねば意味な〜いじゃぁあ〜ん・である。 しかも、時系列に並べられているこの全集の編集は体系的に武満を知りたい私にはCD10枚をまとめて聴く必要がある。 そこで求められるのが金よりも時間なのである。 7月20〜21日の連休は正に私の人生最後の『武満徹 全集 第3巻 初期映画音楽』CD10枚をブッ通しで聴くチャンス・かも。 てなワケで聴いた。 うううう。すごい。すごいケド、まだコレは「初期」なわけで。 さっそく、愛読者カードへの返答を書いてみた。 ↓ ■CDを聴いて 当初、第1巻の重厚な「管弦楽曲」を耽溺していた耳には古い録音には少々、落胆させられました。 しかし、それらが編集部の発掘の努力の福利であると、すぐに気がつかされ、又、又、うならされました。 ■第3巻で好きな曲 ・「白と黒」 特に52、54。 ・「暗殺」 ・「燃えつきた地図」 特に1。 ■書籍の感想 いきなり、「失われた作品」から書かれる不幸は、伝記としての全集の力を立ち上げています。 このドラマチックさは、谷川俊太郎のインタビューでの坂本龍一の「ビラ撒き」事件(?)にまで一直線に結びついて、 武満の人生という大きな「映画」の中に組み込まれた、それぞれの映画を楽しませてもらいました。 ■いちばん気に入ったページ P6、7の見開きのモノクロ写真は、すばらしい。 枯れた野に白い矢印を発見する若き日の武満。 複雑な枯れた植物の姿と、シンプルな矢印。 ■装丁について 安原顯の死を詩にし、山口昌男がまだ札幌大学学長であると記録してしまうジャーナリスティックな全集だからこそ、最終巻には是非、全巻通した索引が欲しいです。 ■小社刊「モーツアルト全集」「バッハ全集」をお持ちですか? 持っていない。 ・・・・・・7月28日には玄関に第3回配本『第2巻 器楽曲、合唱曲』がドカッと届けられていた。 今度はさらにCDが1枚多い11枚である。 でもまぁ、第3回配本が届けられる前に第2回配本を読み&聴き終えることができたワケである。 それにしても、日本映画!である。 どーも1977年の長谷川和彦『太陽を盗んだ男』や、いわゆる「角川映画」以前の日本映画は、 1.暗い 2.地味 3.オシャレでない 4.貧乏くさい 5.話題にならない つまり、「面白くない」っーのが大衆の印象であったと思う。 もちろん、その対極にはハリウッド大作映画があったワケだ。 ところが、今回、この武満の音楽を通して見た(&聴いた)映画音楽の芳醇な世界にビックリである。 もちろん、俳優の魅力も再確認した。 私の世代にとってはオバサン女優でしかない、有馬稲子の『充たされた生活』のスチール写真の美しさ! この映画は1962年1月14日公開だから私が生まれる2ヶ月前である。つまり、私の父の世代のアイドルか? さらに、CDに沿って編集されているブックレットで読むことができる武満自身の文章などが、かなぁ〜り素晴らしい。 たとえば、武満は映画音楽の役割は「主題をいっそう具体的なものに表すべく」存在するという。 彼の作曲する現代音楽は抽象的な曲が多いと思っていた聴衆をハッとさせる言葉である。 「映画は、個人的芸術に近づきつつある」という芸術としての映画への武満の理想が言わしめた言葉もある。 この志の高さ尊い。 そして実際に武満は、勅使河原宏や羽仁進などの優秀な映画監督らと組んで世界レベルを超えた作品を数多く排出した。 この巻ばかり読んで聴いていると、錯覚しがちになるが、武満の職業は映画音楽ではない。 本業は現代音楽作曲家だ。つまり、極端な言い方をすれば、片手間の仕事であった。しかし、この高いレベルなのである。 しかし、映画は芸術であると同時に興行であったのだ。残酷であるが、それも事実である。 武満の高貴な志が、そのまま日本映画のマイナー化に結びついていったというのは今や歴史の事実であると断言できるであろう。 たとえば、本巻の後半に掲載されているミュージシャン坂本龍一のインタビューで語られる「ポップス論」が図らずもそれを喝破していたようだ。 ↓ 坂本龍一「ポップスの世界から聴くと、武満さんのポップス寄りの音楽っていうのは、やはりどこか甘さがあるかな。 ポップスはポップスなりに色々と厳しい選択があって、そのときの流行もあるし、狭いからこそ、より細かい差異を厳しく判定されるようなところがある。」 ↑ なるへそ・である。 坂本が語るのは一種のモード論だが、流行や消費のニーズをキャッチするのもポップスの作曲方法のうちであるという考えは過激ではあるが鋭い。 さらに、日々の商売に追われている私にとってはモード論は、ほとんどマーケティング論と同じ意味を持って聞こえてくる。 そしてその作業を卑しい賤業と片付けづに、そこから立ち上がる逞しさにポップという戦いの可能性を見る坂本龍一の姿勢にも共感せざるをえない。 そこが武満の弱点なのかもしれないが、映画という集団作業に喜びを感じる武満の希望も分かる気もする。 実際、映画の原作者名には永井荷風から安部公房まで充実している。 プロデューサーの反対を押し切って公開直前の大晦日に音の入れ直しをしたというエピソードも、武満の濃さが分かる。 1964年の映画『女体』で実際に牛を殺して撮影したばかりに、3年ほど仕事をほされた恩地日出夫監督に対して武満は 「ひきさかれた『女体』の傷は殺された牛よりもいたましい」という抗議文を映画雑誌『映画芸術』に寄稿している。 その芸術でつながれた友情も素晴らしいし、この武満の文章がまた名文なのだ! クラッシックや現代音楽の作曲をすると永遠に残るが、興行でもある映画音楽は消費されて終わりである。 それでも武満は寸暇を惜しんで多くの映画音楽を残してくれた。 その不器用なまでの志は、24トンの出荷よりも10kgづつの米の出荷にエンド・ユーザーの顔を確認してゆくという気の長くなる仕事かもしれない。 実際に映画のリバイバルは毎日のようにどこかで行われているのだから。 今、篠田正浩監督の『スパイ・ゾルゲ』が公開されている。 私は今まで篠田監督はわりと商業主義の映画が多いと思っていたが、1960年代の彼の作品を武満のCDを聴きながら読むと、その重厚な映画監督歴に頭が下がる。 武満は死んだが、フィルムは残っている。そして、一緒に創作に情熱を傾けた多くの仲間たちもまだまだ多く生きて、活動をしているのだから。
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