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『共犯新聞』NEW YORK地図映画
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色彩論

無彩色としての”金”、
プリミティヴの記号としての”原色”



Icon久保AB-ST元宏 - 01/08/17 00:01:52

コメント:
李朝は確かに「かっこいい」けど、あの原色=朝鮮をある程度、「理解」したいっていう興味もあるのよ。
画家ルノワールの息子の、映画監督ルノワールの映画『黄金の馬車』の極彩色の世界と違ったり、似てたりするであろう「色」の世界。
砂澤ビッキは、彩色はしなかったの?



じゅん - 01/08/17 11:35:51

コメント:
***
くぼさん、ムトゥの舞台どうでしょうかね。
今、行くか否か、我が家でもめています。
私は、衣装と踊り、ダンナはストーリーとミーナの声に要点を置いて検討中です。
この公演、北海道が最初なんだね。情報が足りないなあ。
***

・んでも、李朝は確かに「かっこいい」けど、あの原色=朝鮮をある程度、「理解」したいっていう興味もあるのよ。

薬師寺のカラフルさに重みを感じない、不思議な感覚。修復した阿修羅はどうだろうか。素材に関係が?

・砂澤ビッキは、彩色はしなかったの?

どうでしょう。見た事無いですね。でも、立体に色彩を構成するのは難しそう。工芸品は形状に記号的な言い訳があるけど。
私は、ステラの仕事には乱雑さを感じてしまう。…本で見る限りですが。嗜好の問題かも。現物はそのあたりどうでしたか?



Icon久保AB-ST元宏 - 01/08/17 20:35:58

コメント:
原色は、何故、プリミティヴをイメージさせるのか?
アンリ・ルソーも好きな画家ですが、当時のパリでは衝撃的だったのでしょうか?
コローと同時代の画家とは思えませんよね。
そー考えると、やっぱり、マネの「黒」が気にかかります。
中国磁器の彩色や、日本の浮世絵の「原色」は当時のパリの新人類たちには、ソフィストケイトされたモノに見えたんでしょうね。

>私は、衣装と踊り、ダンナはストーリーとミーナの声に要点を置いて検討中です。

↑日本人にとっての「エキゾティック」さとは、西洋人のシャープさを潜んだ西アジア人(=アラブ人の一歩手前)の雰囲気にあるのかな。
横尾忠則に代表されるインド・サイケって、お手軽な方法論かもしれないけど、
当のインド人本人たちにとっちゃあ、いかれた=素敵な日常なんだろ〜な・と想像します。
やっぱ北海道には無いケド、夏に外にテーブルを出して、キツイ酒と辛い料理を大声を上げながら喰う夜の風景って、大阪、博多、ソウル、マカオ、などなどに共通する「原色」の原風景?
◎私にとって『ムトゥ』は、やっぱ、ミーナの微妙に過剰なゼイニクであり、それは熟した果肉を想像させるね。
映画『マレーナ』のモニカ・ベルッチの魅力は、ウィノナ・ライダーの冷たい美貌とミーナの中間にある←と、すれば、「平均気温」によって「フェロモン」の質が変わるってこと?
◎それにしても、インド映画って舞台演劇(又は紙芝居)をそのまま映画にした、ちょいムリありのゴリ押しパワーが「かわいい」と先進国の我々に感じさせるので、舞台には期待したい・よね。どう?

>薬師寺のカラフルさに重みを感じない、不思議な感覚。修復した阿修羅はどうだろうか。素材に関係が?

↑私の親戚の仏師に同様な質問を先日してみました。
やはり「素材」の話もしていましたね。
又、私の質問として、「何故、日本では仏像技術が進み、神道の彫刻文化はその後追いなのか?竹内久一の神武天皇像なんかは、西アジアの彫刻みたいじゃん」というのを、投げかけてみました。
◎「仏像」って、ある意味、現代で言う「広告」なんだから、奈良の大仏みたくバカでかくしたり、阿修羅みたくハデにするのも、もちろん「アリ」。
色が使えたら、使ってみたくなるのが人情だし、そんな背景があるからこそ、黒楽茶碗みたく無彩色の「戦略」も成立してきたのでしょうね。
と、いつもながらのシロウト文化放談。

>でも、立体に色彩を構成するのは難しそう。工芸品は形状に記号的な言い訳があるけど。

↑たとえば、『ミロのビーナス』が実は彩色されていた・なぁ〜んて発表されたら、世間はどう反応するかなあ。
ニューヨークの「フリック・コレクション」という美術館は、1919年に死んだお金持ちヘンリー・フリック氏の家がそのまま美術館になっているんだけど、
そこに日本の漆家具、中国の螺鈿家具をレンブラントに組み合わせて室内を造っているセンスは脱帽。
また、ロココの油絵って幼稚臭い色彩感覚であると思っていたケド、回りの家具の調度品のセンスで、私ゃ、初めてロココに惚れたよ。
なんだ、結局、美意識って「相対的」に演出されるものじゃんか?
↑っていう結論はツマンナイので、「色彩」論はバスキアや写真家アラーキー、生け花の中川幸夫も含めて、いつか再考せねば・なりませぬね。

>私は、ステラの仕事には乱雑さを感じてしまう。…本で見る限りですが。嗜好の問題かも。現物はそのあたりどうでしたか?

↑「乱雑」ってーゆーか、油絵で言うところの、幕を引くタイミングを決定するセンス=技術=個性。
ビッキの場合、大作では、あえて粗く削ったままにしたり、ノミやナタの跡をあえて残したり、木の割れ目やフシも気にしなかったり。
あ、そこらへんはネイティヴ・カナディアンのトーテム・ポールと同じ。
磁器や陶器は、計算とアバウトの駆け引きって、どういう関係なんでしょーか?



じゅん - 01/08/20 19:39:58
★美術放談は夢中になるなあ。

コメント:

・アンリ・ルソーも好きな画家ですが、当時のパリでは衝撃的だったのでしょうか?コローと同時代の画家とは思えませんよね。
=コローはルソーの絵を見て怒らなかったか!?というのは冗談ですが、ルソーのは密林地帯の絵が好きです。
ルソーがコローの絵をルソー調に描いても面白くなかったでしょうが、逆はとても面白いと思います。
コローの描く樹木を、コローならどうやって描くんでしょうかね。笑えそう。爽やかさゼロ?

・そー考えると、やっぱり、マネの「黒」が気にかかります。
中国磁器の彩色や、日本の浮世絵の「原色」は当時のパリの新人類たちには、ソフィストケイトされたモノに見えたんでしょうね。
=バーの女性の黒いドレス。鏡の。あれなんという題名だったかな。あと、黒い帽子のベルト・モリゾ。高校生のとき、感動の余りポスターカラーで模写しましたよ。
あの美しい黒は、日本の影響なのですか。私にとって黒と言ってすぐ思い出すのがルオーです。
来週のエプソンの「美の巨人達」がルオーなので楽しみですが、黒について取り上げてくれるかな?
あの番組、好きなんですよね。画集を見ても滅多に評論は読まない私には丁度良い。最近は器の本ばっかりだし。

◎私にとって『ムトゥ』は、やっぱ、ミーナの微妙に過剰なゼイニクであり、それは熟した果肉を想像させるね。
=やっぱりそうきましたか。あの下腹はすごい!鍛えているのになんであんなにタプタプ?狙ってるとしか思えません。
日本も、ちょっと前のラフなんか見ると、あれが色っぽい象徴だったようですね。
以前は理解できなかったけど、ミーナのおかげで開眼しました。…あくまで全体のスタイルが良いことが前提だとは承知してます。

◎それにしても、インド映画って舞台演劇(又は紙芝居)をそのまま映画にした、ちょいムリありのゴリ押しパワーが「かわいい」と先進国の我々に感じさせるので、
舞台には期待したい・よね。どう?
=屋根の上のヴァイオリン弾きの映画を見て、ミュージカル映画は退屈だ…と思っていたけど、ムトゥのゴリ押しには度肝を抜かれました。
舞台には、わけわからん山羊のアップは無いでしょうが、舞台を見ればあの映画の根っこが見えるかも知れないですね。

◎「仏像」って、ある意味、現代で言う「広告」なんだから、奈良の大仏みたくバカでかくしたり、阿修羅みたくハデにするのも、もちろん「アリ」。
=恥ずかしながら、私はついこないだまで奈良の仏像が金色だったことを知りませんでした。
エジプトとおんなじじゃん、と思いつつ、日本の金は基本的に無彩色という概念ですよね。屏風を見たら良くわかる。
でもエジプト展で見た工芸品の金には色を感じてしまった。私だけかな?

・ニューヨークの「フリック・コレクション」という美術館は、1919年に死んだお金持ちヘンリー・フリック氏の家がそのまま美術館になっているんだけど、
そこに日本の漆家具、中国の螺鈿家具をレンブラントに組み合わせて室内を造っているセンスは脱帽。
=行ってみたい!レンブラントと螺鈿…想像つかない。とりあえず、お金持ちだね!

・磁器や陶器は、計算とアバウトの駆け引きって、どういう関係なんでしょーか?
=作品の良し悪しはそこに尽きるでしょうね…自分の作品の魅力を見抜けているかどうかにかかってくる。
計算し尽くしたほうが好みの作家さん、アバウトが売りの作家さん…。
バランスはそれぞれ。(こうなってくるとアバウトって意味から定義付けする必要があるのかな。)
工芸としての陶磁器と限定して私見を言うと、アバウトさというのは作風の武器、見た目の面白さ、つまりウリであって、すでに計算されて用いる「技法」だと思います。
アバウトの良さを活かした器をリピートして何個も生産するわけですからね、1点だけで良い「作品」とはそのへん対極的なものでしょう。
やきものは「焼く」時によくハネ品が出る。ハネ品を少なくする為には計算をしなくては。計算のヘタな私には遠い道のりです。てなことで。



じゅん - 01/08/20 19:43:32
★訂正〜。

コメント:
コローの描く樹木を、ルソーならどうやって描くんでしょうかね。 →でした。ややこしいな!



Icon久保AB-ST元宏 - 01/08/21 15:04:18

コメント:
じゅん★美学校
>コローの描く樹木を、ルソーならどうやって描くんでしょうかね。

↑そーだよね。大昔、「印象派」ってくくりで教わったタクサンの魅力ある画家たち!
くくりかたは「印象派」だけど、その個性は千差万別!
先日、フジテレビ『笑っていいとも!』にビンセント・ヴァン・ゴッホの子孫が出演していて、
その次の日のNHK・BS2で、映画『赤い風車』っていうロートレックの伝記をやっていた。
そーいえば、きたる9月9日は、ロートレックの没後100年目の日。享年36歳!

和田誠さんにでも、下記の作品を書いていただきたい。(笑)
①キリコによる、セザンヌ『サント=ヴィクトワール山』。
②バルテュスによる、ダ=ヴィンチ『モナリザ』。
③ピカソによる、フェルメール『手紙を読む娘』。
④ベーコンによる、マチス『ピアノのレッスン』。
⑤ロートレックによる、『最後の晩餐』。

--------------------------------------------------------------------------------

>美術放談は夢中になるなあ。

↑たしかに。
それだけ、私達は豊な財産を共有しているっーこと・でしょう。

>来週のエプソンの「美の巨人達」がルオーなので楽しみですが、黒について取り上げてくれるかな?
あの番組、好きなんですよね。画集を見ても滅多に評論は読まない私には丁度良い。最近は器の本ばっかりだし。

↑ルオーなんて語ると、また、田原@タルバガンさんとの「無垢」についての話になっちゃいそー。わはは。
お手軽な”美術評論・本”として、赤瀬川源平『名画読本』(光文社、カッパブックス)なぁ〜んて、いかがでしょう。

■そーそー、一原有徳さんって、ご存知ですか?
版画家であり、登山家、小説家の1910年生れの91歳。北海道で現役。
7月11日付けの北海道新聞(夕刊)の彼のエッセイを読んで、ぶっとびました。

>あの下腹はすごい!鍛えているのになんであんなにタプタプ?狙ってるとしか思えません。
日本も、ちょっと前のラフなんか見ると、あれが色っぽい象徴だったようですね。

↑土偶を連想するのは失礼?
もしくは、プウリミティブの記号としてのタプタプ?

>ムトゥのゴリ押しには度肝を抜かれました。
舞台には、わけわからん山羊のアップは無いでしょうが、舞台を見ればあの映画の根っこが見えるかも知れないですね。

↑「フイルムの逆回し」や「編集」による超人ワザなんか、まるで大学生の映研みたいだが、
かつて、ダリ+ルイス・ブニュエル『アンダルシアの犬』や、ジャン・コクトー『オルフェ』だって、同じような「実験」を楽しそうにしていたしね。
ですから、「わけわからん山羊のアップ」が重要な映画的要素であるワケは・ないか?

>日本の金は基本的に無彩色という概念ですよね。屏風を見たら良くわかる。
でもエジプト展で見た工芸品の金には色を感じてしまった。私だけかな?

↑なぁ〜るホド。面白い。
「金」って、「色」である前に、「何か」であるのでしょうね。
「何か」であるからには、その「何か」を決定している「社会」がカギってことかいな。
私の最初の海外渡航は、エジプトですが、あの「太陽の国」では、「金」を持ってこなければならないほど、マブシイのよ、いたるところ。
気温60度だよ、まったく。

【今月の課題】日本の文化=社会は、なぜ、金を無彩色にしたのか?

>レンブラントと螺鈿…想像つかない。とりあえず、お金持ちだね!

↑そして、重要なのは、日本の「お金持ち」は趣味の悪いヒトが多い。

>(こうなってくるとアバウトって意味から定義付けする必要があるのかな。)
工芸としての陶磁器と限定して私見を言うと、アバウトさというのは作風の武器、見た目の面白さ、つまりウリであって、すでに計算されて用いる「技法」だと思います。
アバウトの良さを活かした器をリピートして何個も生産するわけですからね、1点だけで良い「作品」とはそのへん対極的なものでしょう。
やきものは「焼く」時によくハネ品が出る。ハネ品を少なくする為には計算をしなくては。計算のヘタな私には遠い道のりです。てなことで。

↑「工芸」と「民芸」って、同じ?
えっと、そーね、ふむふむ。
ニューヨークで観たコローのストロークも生々しい即興の油絵の小品を見たけど、
それは私をコロー好きに一発でしたんだけど、
「工芸」というと・また別か。
途中でヤメルってことは、その後は、素材のよさを作者が選んだってこと・でしょ。
「工芸」とは、素材を「熟知」しているから、「芸」になる。「技」になる。



じゅん - 01/08/23 16:36:25

コメント:
いよいよ明日から始まりますね!!あんどん祭り!
台風行っちゃってほんとよかった。

①キリコによる、セザンヌ『サント=ヴィクトワール山』。
④ベーコンによる、マチス『ピアノのレッスン』。
↑これ最高!!だれかほんとにやってくれないかな。想像するだけでも楽しめるけど。

「フイルムの逆回し」や「編集」による超人ワザなんか、まるで大学生の映研みたいだが、
かつて、ダリ+ルイス・ブニュエル『アンダルシアの犬』や、ジャン・コクトー『オルフェ』だって、同じような「実験」を楽しそうにしていたしね。
ですから、「わけわからん山羊のアップ」が重要な映画的要素であるワケは・ないか?
=コレ私の大好きなシーンです、念のため。
なんでこんな細かいところがとても心を惹きつけるのでしょう。重要かと言われるとそんな気も…するかな?とりあえず私はあの山羊の出演現場を勝手に想像して楽しんでますが。

「金」って、「色」である前に、「何か」であるのでしょうね。
「何か」であるからには、その「何か」を決定している「社会」がカギってことかいな。
私の最初の海外渡航は、エジプトですが、あの「太陽の国」では、「金」を持ってこなければならないほど、マブシイのよ、いたるところ。気温60度だよ、まったく。
=世界観がちがっちゃうだろうなあ、60℃じゃ(笑)。いかにも金似合いそう。ギラギラ。…やっぱりエジプトでは金っていう色が成立してるってこと?
そうなると、やっぱり日本の金の捉え方が気になる。
【今月の課題】日本の文化=社会は、なぜ、金を無彩色にしたのか?
という課題(笑)を考えてみたいです。
これは器の金彩にもおおきく繋がるテーマかも。「金って、黄色の仲間じゃないのか?」という疑問は私にいつでもつきまとう。 

「工芸」と「民芸」って、同じ?えっと、そーね、ふむふむ。
ニューヨークで観たコローのストロークも生々しい即興の油絵の小品を見たけど、それは私をコロー好きに一発でしたんだけど、「工芸」というと・また別か。
途中でヤメルってことは、その後は、素材のよさを作者が選んだってこと・でしょ。
=そこなんすよね。アバウトって何?と思う。私は、途中で止めることをアバウトと思わないのれす。
どこで作業を止めるか。どのあたりが終了か。これって、美的感覚に基づいた作業経験の統計学ではないかと思います。
これを技とするのが工芸ってことかな。感性とするところが芸術的評価?ちなみに、私の好きな「工芸」観は「民芸」観に近いでしょうね。
まだやってることは一致しないけど、私は「少しセンスの良い食器屋」になりたいので…芸術家でなくね。

あとね、ステラについては、私の嗜好の問題。
ただ、前に他の画家で図版と本物の圧倒的な差を感じたことがあって、ステラも違うところがあるのかななんて思いまして。
私が雑に感じる表現が、本物の筆跡を見たら勢いとして映るかも知れない。

そういえば、こないだ読んでた本で、モナリザのことでおもしろいこと書いてあったよ。
モナリザの本物を見てがっくりする人が多いが、それはモナリザの真価を表している正しい現象だって。その理屈付けが楽しかった。



Icon久保AB−ST元宏 - 01/08/23 18:14:46

コメント:
じゅん

>いよいよ明日から始まりますね!!あんどん祭り!


■そーざんす。
なんと、あの若林さんも、今朝来町!
しかも、横浜から、新潟⇒フェリー⇒小樽⇒沼田と、車で来たよ!
台風11号と共に北上するなんて、なんて・台風野郎なんだ!(笑)
で、これから午後7時から、焼肉の美味しい「沼田大門」で、
私の作った「密造ワイン」で、パーティだ!
じゅんセンセイも、間に合えばいらっしゃーい。

>①キリコによる、セザンヌ『サント=ヴィクトワール山』。
>④ベーコンによる、マチス『ピアノのレッスン』。


■ここらの組み合わせは、「暴力」と「熱」の関係のイメージ。
たとえば、マチスによる「暖かな暴力」と、ベーコンによる「零度の暴力」。
なぁ〜んて、言うと・もっとも・らしい・でしょ?(こりゃまた・笑)

>とりあえず私はあの山羊の出演現場を勝手に想像して楽しんでますが。


■でもさ、テレビCFの『ムトゥ』を見ると、ミーナ役のフェロモンは低く感じるなぁ。
これって、タプタプ度に関係あるのか?
もしくは、無駄なタプタプは、山羊でも喰わんという・インドのコトワザか?(←ウソ)

>「金って、黄色の仲間じゃないのか?」という疑問は私にいつでもつきまとう。

↑ 
黄色は、かつては「病気」をイメージしていて、
1980年代初期ニューウェーブでは、ショッキング・ピンクと赤と黄色は、
ワリと「ON」な感じでしたぞな・もし。
でも、バブルの頃の無駄(=もしくは、「過剰」な)ディスコにおける「金」の採用は、どーにか・ならんかな・ぞな・もし、で・あった。
塗り絵のときに、「金」が無いときに「黄色」を使っちゃうよね?
でも、印刷技術で分けられているように、根本的に、色作りの「素材」が違うじゃん。
シルクスクリーンや、ビニールへの彩色の場合、「黄色」は重ねると透けたりするが、金色は、全てを覆うよね。
ちょい、こじつけだけど、やっぱ、「金」は特権的な色でしょーな。
日本が、世界で唯一、金を「無彩色」にしちまったのは、
地下資源の「金」が豊富にあった黄金の国ジパングだったから・なせた・よゆーからか?
↑っーのが、私なりの【今月の課題】への「試論」です。んがぁ・・・。

>これを技とするのが工芸ってことかな。感性とするところが芸術的評価?


■で、柳宋悦をめぐる「議論(VS田原@タルバガン)」になるのよね。(笑)
戦争中に青春を過ごした「芸術家」たちに聞くと、柳宋悦にはかなり毀誉褒貶があって、聞き取り調査をするたびに、驚きますわ、BABY。
まぁ、毀誉褒貶は、私にとっても・仲良しですが。(笑ってばっか)

>あとね、ステラについては、私の嗜好の問題。
>ただ、前に他の画家で図版と本物の圧倒的な差を感じたことがあって、ステラも違うところがあるのかななんて思いまして。
私が雑に感じる表現が、本物の筆跡を見たら勢いとして映るかも知れない。


■細かいようだが、「嗜好」っつーのも・ポイント・オブ・ポイント・ヴュー(byコーネリアス)。
■ステラ的画家のギュスタブ・モローなんか、パリのモロー美術館で見ると、
神がかっているけど、
東京の上野美術館で見ると、まるで少女フレンドの挿絵みたい。
それがさぁ、ニューヨークでも、なんだかミジメに見えたんだ。これが。
私のモロー美術館での霊的体験はなんだったんだ!?
■というような私の体験を踏まえると、「嗜好」というのも、個人の中ですら相対化されちまうものざんす。
おそらく、そこには、「嗜好」の問題の上に、「ステラ的」存在自体が含むオーディエンスへのアピールの特徴があるのではないでしょうか。
■今、ゴッホは、どこで&だれが見ても、すごい。けど、かつては、ゴッホも「ステラ」的存在だった!?

>モナリザの本物を見てがっくりする人が多いが、それはモナリザの真価を表している正しい現象だって。その理屈付けが楽しかった。


よく言われるよーに、「観光客」は『モナリザ』じゃあなくて、情報としての『モナリザ』を見ているんでショーね。
そして、そこで・さらに、「入れ子」状態に、
「本物はたいしたことない」と言うかっこよさ、
「そーは言うケド、やっぱ、すごいわ」と切り返すかっこよさ、
の、くだらないデッドヒートが・ぐるん&ぐるん。

●「美」を語ることって、スゴク自分が試されているみたいで、恐い・
ことでゴンス。



じゅん - 01/08/28 00:11:15
★千と千尋良かった!

コメント:
ううう、ワイン飲みたかった…アルコール早く飲みたい。
そして、普段の食卓には乗らないチーズ達・・・楽しそうだ!!

ちょい、こじつけだけど、やっぱ、「金」は特権的な色でしょーな。
日本が、世界で唯一、金を「無彩色」にしちまったのは、地下資源の「金」が豊富にあった黄金の国ジパングだったから・なせた・よゆーからか?
→このへん、今日ダンナさんがおもしろいこと言ってました。私の「日本の金は、貼り直した金閣寺のようになんかおもちゃみたい。
重みが出る頃には、金も侘び寂びになっちゃうね」の言葉に、「そりゃ金箔張ってるからなんじゃん。」との答え。要するに、金のハリボテ?これ一理あるなと思いました。
ところで。週末私は朝鮮王朝の美見てきましたよ。金はほとんど使ってないですね。「光ってる」と思ったら真鍮だし。
光琳のかきつばたの金は、宇宙並の空間がある。クリムトの金は、密閉性がある。このへんからもヒントがありそう。
要は、日本人にとって「金色」は「無限の空間」の色ではないだろうか?
日本人の刹那的なアタマには、人間にとって憧れの象徴である金は物質を超えたところの価値に相応しい色かもしれない。
西洋の場合、金は物質としての富の象徴の色なのでは。現代の日本人はこちらに近い。…のじゃないかと。どうでしょ?

東京の上野美術館で見ると、まるで少女フレンドの挿絵みたい。
それがさぁ、ニューヨークでも、なんだかミジメに見えたんだ。これが。
おそらく、そこには、「嗜好」の問題の上に、「ステラ的」存在自体が含むオーディエンスへのアピールの特徴があるのではないでしょうか。

→モローがステラ的とはどのへんで?
それにしても、私もモロー美術館では圧倒されましたけどね、(オオオ〜と歌いたくなるくらい,)
少女フレンドというフレーズはかなり的を得た表現で笑ってしまった。じゃあ、モロー美術館の建物のせい?モローの絵は建物セット。
関係無いけど、ほとんどの絵が未完成だったよね。描く前に気が済んじゃうのかな。ルオーって、モローに習ってたんだってね!(by美の巨匠達)

■今、ゴッホは、どこで&だれが見ても、すごい。けど、かつては、ゴッホも「ステラ」的存在だった!?
→う〜ん、わからん。あと何年生きれば私にとってステラがゴッホ的になるのか・・・。
よく言われるよーに、「観光客」は『モナリザ』じゃあなくて、情報としての『モナリザ』を見ているんでショーね。
そして、そこで・さらに、「入れ子」状態に、「本物はたいしたことない」と言うかっこよさ、
「そーは言うケド、やっぱ、すごいわ」と切り返すかっこよさ、の、くだらないデッドヒートが・ぐるん&ぐるん。

→さびしいなあ〜。名画はありがたく見なさいっつー事…?
裸の王様。てゆうかさ、モナリザに会ったら「いつもお世話になってます」でいいと思うのよ。
まあ、はるばる本物見たんだから、「やっぱり本物はよかった」って思いたいのもよくわかるけど。
でもさ、札幌時計台は「やっぱりすごい」って思ってもらえないよね。観光名所ってとこで、おんなじようなもんなのになあ。
絵画は、コピーと本物の温度差って、いろいろだよね。
コピーも本物も同じ平面だからついそのギャップに驚いてしまうけど、やっぱり本物の絵具の厚みって大きいのかも。
そうすると、ぺったらこーなモナリザは、コピーと大差なくなっちゃう。そんならいっそコピーで拡大したモナリザの方が、迫力あるのは当然だよなー。
それこそ、金で描いてあれば違っただろうけどね。

●「美」を語ることって、スゴク自分が試されているみたいで、恐い・ことでゴンス。
→うっ…(汗)すっごい勝手に書き散らしている私は、どんな風に見られているのか…。考えたら、もう書けましぇん(笑)。まあ、私はこんなもの。



Icon久保AB−ST元宏 - 01/08/28 18:55:17

コメント:
■◇■じゅんサマ■◇■

■どーも。
「夜高(←”ようたか”と読みます)あんどん祭り」は、無事終了。
あいかわらず、年甲斐も無くテンション高くバカになっていました。
で、今日はこれから居酒屋「駒吉」でビール。
明日は、札幌まるいデパートの丸秘ルームで、北海道ワインの研究会があります。私の密造ワインも出品します。
15人ほどのディープな研究会です。
座長は北海道大学教授で、醸造の研究家だそーです。

■さて、よく言えば「在野」、ホントはタダのシロート=久保のアート談義!


>「そりゃ金箔張ってるからなんじゃん。」との答え。要するに、金のハリボテ?


「金箔」って、(何かの)コンプレックスの一つの表象ですよね。きっと。

>日本人にとって「金色」は「無限の空間」の色ではないだろうか?


なるほど!
あの秀吉の「黄金の茶室」と「黒楽茶碗」が同時代の表現であった意味ね。
さてさて、「黄金の茶室」は、「無限の空間」か?
きっと・そーでしょう。少なくとも、そう表現したかったのじゃないかなぁ?
「黄金の茶室」と「黒楽茶碗」が、両方とも「無限の空間」を目指していた?←仮説です・が。

また、黒に対する金とゆー点からも、金って、やっぱ「無彩色」か!
じゃあ、「有彩色」で「無限の空間」は表現できないのか?

原色がプリミティヴであるとすれば、
プリミティヴとは「無限」のひとつの概念ではないのか?・・・など&など。

>日本人の刹那的なアタマには、人間にとって憧れの象徴である金は物質を超えたところの価値に相応しい色かもしれない。
>西洋の場合、金は物質としての富の象徴の色なのでは。現代の日本人はこちらに近い。…


レッド・ツェッペリンの『天国への階段』に、
全てのモノを「金」にしよーとする少女が出てくる。
おお!そーじゃ、「錬金術師」っちゅー職業が西洋の中世には・あったじゃんか。

・・・と、「予告」的に話は終わり、次の話題へ・・・。

>モローがステラ的とはどのへんで?


こりゃ、説明不足ごめんなちゃい。
作品が、ではなく、評価が定まっていない・・・といった感じ。後述のゴッホでの引用も同様の意味です。

>ほとんどの絵が未完成だったよね。描く前に気が済んじゃうのかな。


えっ。あれって、モロー自身も「未完成」と思っているのですか?
パリのパッサージュを抜けた北にあるモロー美術館にある、あの巨大な作品群。
画集じゃよく分からなかったケド、
絵の上に線で別の絵を重ねていますよね。斬新(?)なんですか、あれ?
とにかく、あのサイケ感、ダブル・イメージ感、良いわ。
でも、それが、「未完成」の”下書き”であるのかいな???、?

>ルオーって、モローに習ってたんだってね!(by美の巨匠達)


モローって、美術教師だったんだっけ?
クリムトとの関係なんか、スリリングだよねぇ。・・・しみじみ。

>モナリザに会ったら「いつもお世話になってます」でいいと思うのよ。


おお!さすが、じゅんサマ。
ハワイで、アグネス・ラムに会ったら、同じことを言おう!

>コピーも本物も同じ平面だからついそのギャップに驚いてしまうけど、やっぱり本物の絵具の厚みって大きいのかも。


ゴッホなんてさ、ベタベタ塗りたくりのヒトかと思っていたらさー、
現物をみたら、キャンバスの下布が見えていたり、意外とタンパク。
というか、あれだけで重厚な世界を構築したんだから、やっぱ濃いオヤジ。

>そうすると、ぺったらこーなモナリザは、コピーと大差なくなっちゃう。
>そんならいっそコピーで拡大したモナリザの方が、迫力あるのは当然だよなー。
>それこそ、金で描いてあれば違っただろうけどね。


うぉう、おう。刺激的な意見だねぇ。
フランク・ザッパのモナリザ顔のポスト・カード、知ってる?デュシャンもびっくり・だよん。

>考えたら、もう書けましぇん(笑)。まあ、私はこんなもの。


ははは。ってゆーか、「鏡」かも。
ナルシストになれない「鏡」を捜して、アート巡礼。