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Bookという旅行。小川マリ  Mari Ogawa

時間は、表現の共犯者





訃報
小川マリ画伯、死去 104歳
 日本の女性画家の草分けで、洋画家として最高齢の春陽会会員、
全道展創立会員の小川マリ(おがわ・まり=本名;三雲マリ=みくも・まり)が
2006年5月8日11:50Pm、虚血性心疾患で入院先の東京都青梅市の病院で没。
札幌市出身。自宅は、東京都武蔵野市吉祥寺東町二の四四の一○。

 1901年(明治34年)生まれ。札幌駅前、札幌西武の前身「五番舘興農園」を
創設した実業家、故小川二郎が父。庁立札幌高女(現・札幌北高)から
東京女子大に進み、卒業後は大学職員として勤務。独学で絵を描き始め、
1932年(昭和7年)、独立美術協会展に初入選。1938年ごろから画業に専念。

 第二次大戦中に札幌に疎開。1945年8月に洋画家の三雲祥之助(1982年没)と
結婚、夫婦で全道美術協会(全道展)創立に参加した。

 2002年8月に同じ全道展創立会員小川原脩氏(後志管内倶知安町)が死去後、
現役では唯一の創立会員だった。

★白く塗れ!
★白を描くために♪
姉妹のような画家。
▲訃報 投稿者:竜馬 投稿日:2006/05/10(Wed) 13:08

全道展創立会員・春陽会会員の小川 マリさんが亡くなられました。
詳細は北海道新聞の記事を添付いたしますのでお読みになってください。

一昨年の今頃ですか、お弟子さんに当たる全道展・春陽会の会員である
八木 伸子さんが奔走して
北海道立近代美術館で「小川 マリの世界」展を開催されたことが昨日の様に思い出されます。
北海道立近代美術館の佐藤 友哉副館長の依頼もあり、
当社のホテル部門に宿泊して頂き、いろいろとお話をさせて頂いたことも思い出されます。
当時102歳でしたがかくしやくとされており、食欲も旺盛でそのパワーに驚いたものでした。
ご冥福をお祈り申し上げます。
2004年5月1日 札幌 北海道立近代美術館

『小川マリの世界』 62点出品
〜 死なない枯葉 〜
20世紀が始まった1901年に生まれ現在も
車椅子に乗って活動している北海道画壇の
”生き証人”の大掛かりな回顧展だ。敗戦の
年に行われた彼女の結婚式に友人画家が
大勢集ったのが全道展設立の契機となった
り、今の北海道の画壇の最長老の80歳代の
画家たちが彼女の弟子や影響下にあること
などを考えても、恐るべし102歳の老婆だ。
全部を見終わると、5年刻みで変遷してゆく
画風の変化が誰にでも分るように、時系列に
展示されている。なんてったって1世紀分。
2階へ行く螺旋階段から展示室全体を見下
ろすと、そこには20世紀の無意識の変遷の
年表が壁にグラデーションを作っているかの
ようだ。初期の絵として1930〜2年頃の油彩
『女子大風景』がまずは目を引く。「初期」と
言ったって歳は、三岸好太郎やモーツアルト
にしてみれば「晩年」である(笑)。恐ろしい。
長生きしたために晩年ではなくて初期の作と
なったコレは「黒」の使い方に非凡な個性を
見せてくれる。この「黒」はビュッフェの勢い、
マネの悪魔的誘惑にすら通じる魅力がある。
それでもしばらくは凡庸な作品が続き、少々
タイクツしかけた私の前に1955年作の『秋』と
『黄色い静物』が時系列ベルトコンベアーの
彼方からゴツンと登場する。特に後者の画面
全体に上品なイラダチ(?)のように覆う黄色
いベール(=影?)は印象的。今展覧会は、
まるで伝記のように構成されていて、時系列
に並んだ絵のポイントに画家が過去に話した
り書いた当時の思い出を短くまとめたパネル
が添えられていてとても親切である。1955年
の作品群にも「1952年の国際美術展を見て
あまりにナチュラルであることに驚いた。それ
までの私は、フォルムの考え方がイージィだ
ったのか、必然的に幾何学的な形態の基本
を描かなければならなかった。」と言う趣旨の
当時の考えが添えられている。つまり『女子
大風景』で使われた、魅力的な「黒」の否定
でもある。1955年の2作品の前で足が止まっ
た私は、しばらくすると先ほど見た朝倉摂の
絵を思い出した。まるで当時のボーボワール
に触発されたかのような女流作家の大胆な
自意識。男の世界では陳腐な「55年体制」
が生れたこの年に、女たちは何を発見して
いたのだろうか?また、摂とマリの間に交流
はあったのだろうか?1960年代に入ってから
大柄な花の絵が続き、少ない知識から私は
三岸節子からの影響を連想したりもする。女
が還暦を越えるとはこーゆーコトか?などと。
しかし大柄な花は大きく膨張し過ぎ、宇宙へ
拡散したかのように1982年『野ばら』が突然
出現する。ここでは「あまりにナチュラル」の
究極の姿であるかのように、もはや輪郭すら
無い。普通の画家であるならば、これが到達
点であっても良かった。しかし、彼女はさらに
長生きする。1988年『むべ小枝』では、細い
筆でキャンバスを叩いて出きる短い偶然の線
が作り出す造型が面白い。叩くことをイラダチ
と感じさせない点が、1930年『女子大風景』
で見せた知的な黒、1955年『黄色い静物』
で見せた「上品なイラダチ」の黄色を思い出
させてくれる。そう。彼女の画歴も当然、連動
しているのだ。黒、黄色と年齢を重ねてきて
彼女が今、到達している色は青だろう。細い
筆で青を叩いていた90歳代を終え、ついに
彼女は叩くことを止める。それを「できなくな
った」と言い換えたくない逞しさが、2001年
『静物』には宿っている。ついに、100歳だ。
ここで彼女は叩かずに、こする。ここで創造
される、ぼやけた青の美しさは年齢を重ねる
ことの美しさを教えてくれる。今展覧会での
最新作、2002年『枯葉』に描かれているのは
死なない枯葉ではないだろうか?こすられて
白に近づく青は、美術史上初めて、枯葉を
希望のメタモルフェーゼとして描き得た画家
を生んだのだ。 (久保AB-ST元宏)