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Art  難波田龍起 前衛という不幸
海へ息子と。
〜〜 1962年の難波田龍起 〜〜

2003年5月4日(日) 晴れ
土曜の夜は、平日以上に宵っ張りで、そろそろ寝ようかと思った午前4時に、雪が解けるまで使われていなかった新聞少年の自転車の少々サビたブレーキ音と共 に、バサッと朝刊が届いた。早朝の活字の御訪問に敬意を表し、玄関までお迎えにたてまつる。

新聞より先に手にしたのは、東京都墨田区両国の財団法人「日本相撲協会」二所ノ関部屋の親方、二所ノ関正裕親方からの封筒。おそらく昨日から届いていたの だろうが、誰も処理していなかった。いつも相撲の番付が変わると親方から番付表が送られてくるのだ。
それも&これも、1994年に私の父が、このイナカ町に相撲の巡業を誘致した時からのつながりだ。この巡業は消防法などの理由で最後の屋外巡業となったん だけど、当時は大相撲ブームのピークで若&貴、曙、小錦、寺尾などなどスーパー・スターの時代だった。よくも&まー、こんなイナカまで来たもんだ。
それは別に良いのだが、いつも届く二所ノ関部屋親方からの新番付表が入っている封筒の宛名が間違っている(笑)。
私の父は「久保寛(ひろし)」なのだが、「久保實(みのる)」で届けられる(笑)。まぁ、これはコンピュータの入力ミスなんだろうが、この間違いがもうす ぐ10年目を迎えようとしている(笑)。

さて、そんなコトよりも、日曜の朝は恒例のミサ、ではなくて、新聞を書評ページを中心に切り抜く。

すると、「久保覚(さとる)」の新刊にして遺作の『古書発見』が北海道新聞に紹介されていた。
まぁ、これも偶然なんだけれど、なんだかおかしい。
それにしても、久保の古書の本だけに気になるが、別に古本屋の話題の本ではなくて、古今東西の53人の女性の社会活動家や表現者の、53冊の著書=古書を 紹介している。けっしてタイトルは間違いではないのだが、より読者に手にとってもらうためにはもっと違うタイトルの方がキャッチーであったと思う。そこら へんは、出版元がパラパラ・・・影書房と ゆーマイナー出版社であるから編集者の貪欲なマーケット感覚が少なかったからかもしれない。
でも、生協運動をしている主婦を対象に書かれたエッセーをまとめたこの本に私は興味を持った。
たとえば、ポーランド出身のユダヤ人女性作家アンナ・ラングフェスが1962年に、フランスの文学賞「ゴンクール賞」を受賞した『砂の荷物』も紹介されて いる。彼女は長い沈黙の後に、ナチスによるホロコーストや強制収容所を3冊の本に書き上げた後、1966年に自殺している。
なぜ、ホロコーストで殺されなかった大切な命を、ホロコーストを記録し終えた直後に、自ら殺してしまったんだろーか?
「書かざる」を得なかったデーモニッシュな衝動と、「表現」という人間の性を強く印象付けられた。

そんな&こんなで、アレ&コレ考えながら新聞をパラ&パラめくっていると、新聞のすきまから、ピンクの紙がパラリと落ちて、そこには「SARS期間 5月 4日→5月5日」と書いてあった!
ナニッ!?つ・ついに日本にもSARS(サーズ、新型肺炎)が上陸したのか!?その号外か!?
と、思ったが、さすがに冷静な私はその文字の横に書かれたコイノボリのイラストを見逃すことは無かった。
つまり、それは「SARS期間」という号外ではなくて、「子供の日 SALE期間」というスーパーのチラシであったのだ(笑)。私の見間違いであったの だ。さすがに冷静な私は、その見間違いに5秒以内に気が付いたのである。えらいでしょ?

それにしても、バーゲン・シーズンになるとニューヨークでも東京でも札幌でも、ショッピング街のウィンドウには「SALE」と大きく書かれた紙がベタ&ベ タと貼られるよね。あの中に一枚、「SARS」と書かれた紙が混じっていたら?
不謹慎?あはは。

こんなバカなことを考えるのも徹夜明けの午前4時30分だからか?
アンナ・ラングフェスが「ゴンクール賞」を受賞した1962年に生まれた私よりも、はるかに若い1975年生まれの「天才」小説家平野啓一郎へのインタ ビューが今朝の北海道新聞読書欄のメイン特集だ。
昨年、画家ドラクロアと音楽家ショパンをめぐる上下巻にわたる歴史小説『葬送』を書き上げた時ですら彼はまだ26歳であったとゆーのだから、老成しすぎ?

1975年生まれで京都大学出身の小説家平野啓一郎がクローズ・アップされる同じ新聞には、旭川出身で京都大学出身の元ローカルTVアナウンサー&元・衆 議院議員”浪人”石崎岳(47歳)が自民党からの推薦で札幌市長選挙に出馬表明をする記事が踊る。
前代未聞の再選挙には6億円かかるという。劇団「イナダ組」の代表は「その6億円で雇用対策をしやがれ!」と、直球な意見を北海道新聞のインタビューで答 えている。
それにしてもこの舞台で小説を書くとするならば、一番面白い素材が「使い捨て」にされた前札幌市議の道見重信(58歳)であろう。保守票では自分が一番 とったのに、再選挙となるとお払い箱〜♪
自民VS民主の構図になりそーなトコに「無党派」連合(=ノン・セクト・ラジカル?・・・違うよなぁ〜っ。)を作ろうと画策しているのが、これまた再選挙 保留候補の、秋山(52歳)、中尾(56歳)、坪井(54歳)、山口(53歳)。
う〜む。なんだか最初の選挙でバツだった52〜58歳の団塊の世代(=全共闘世代?)を、47歳の「全共闘を知らない子供たち♪」が『葬送』しようとして いる図に見えなくもない・んだけど。しかし、それを影であやっつている町村代議士こそが東大で口ヒゲをはやしてツバを飛ばしていた全共闘世代であるとゆー 40年殺しのオトナ地獄。
終わってみれば、次の衆議院議員選挙に道見重信が元・衆議院議員”浪人”石崎岳の変わりに出馬するなぁ〜んて茶番も&交換条件も、ありえるわいなぁ。
だいたいにして、ローカルTVアナウンサーであった石崎岳が一期、衆議院議員をしたこと自体が北海道ローカル選挙区があるという選挙マーケティングの産物 なんだしねぇーっと。

朝刊のテレビ欄で「ああ、今日は日曜午前8時からのNHK-BS2『週間ブック・レヴュー』の放送が無いからゆっくり眠れる。」と思い、午前5時にようや く眠りに付くが、貧乏性で午前9時30分には目がさめる。
テレビを付けると、2003年が生誕年である『鉄腕アトム』の新作アニメが放送されている。アトムは1963年に最初の国産テレビ用アニメとして放送開始 された。言葉を覚えたばかりの私はアトムと、とゆーよりは、テレビ・アニメと共に成長した第一世代かもしれない。今、世界中ではこの世代を「オタク世代」 と呼んで、新しいマーケットの可能性として研究されている・らしい。これがホントなんだから、世の中、不思議。

お天気が良いので旭川の常盤公園へ。
ブリトニー・スピアーズが宣伝しているキリンのG.G.Teaをセブン・イレブンで買う。
公園にある彫刻の前でゴク&ゴク飲んで、ふにゃらと、北海道立旭川美術館へ。

特別所蔵品展『自然をみつめて〜画家のまなざし』
これが300円で、常設展が100円だからデフレ王国=旭川市民には適正価格か?

ここの美術館はキューレーターのセンスが良いのか所蔵品の組み合わせで面白い企画をしている。
最近流行りの参加型子供向け展示などもあるが、私が感心したのは所蔵品の彫刻展で、展示されている木彫作品と同じ種類の木を公園の中で捜すとゆー、いかに もかつてのパルプ&家具王国=旭川らしい企画だった。
今回の所蔵品企画も、「北海道ゆかりの作家による自然を題材にした絵画作品」。
なんだ、フツーの風景画じゃん。と、思われがちで安易な企画に感じられるが、そこは展示方法や作品のチョイスが優れていて見ていて古い作品からも新しい発 見が観客に得られる仕組みになっている・と、思う。

それにしても有名な西洋絵画ではなくて、こうした現代の日本人作家の絵を観る悦びを教えてくれた浦沢@『elan』〜渡辺@エルエテ〜坂本@どら〜る、と いった「精神のリレー」(笑)に改めて感謝したい。
んで、これらのけっして一般大衆には知られていない現代の日本人作家(=もちろん、ギョーカイでは超有名人たち)に、あのケチな旭川人が300円も払って 見にきているのかよ?と、不安ではあったけれど、さすがに天下のゴールデン・ウィーク中日、そこそこの入場客。
最近、ギャラリーどら〜るオープニング・パーティで初見の画家や美術評論家、美術館学芸員、ギャラリー経営者などの美術業界人に会う機会が重なったので、 ここの会場内ですれ違うフツーのオジサンやオニーサンも画家や美術評論家に見えてしまう(笑)。

たとえば日本画の大家、小浜亀角(きかく)の大作が並ぶコーナーに、30代のらしい男が二人でじっくり&ゆっくり見て回っている。う〜む、きっと彼らは日 本画の新人作家たちなのだろう。と、ギャラリーどらーるのオープニング・パーティで1964年生まれの日本画の俊才=平向功一さんと会っている私は、そー 思っちゃう。・・・・・・んが、私とすれ違った彼らは「いやー、俺、高校生の時、美術を専攻していたんだった、忘れていた。」「ぎゃはは はー。」・・・・・・んー、私の勘違いであったよーだ。

それとか、抽象絵画の大家、上野憲男の大作が並ぶコーナーに、70歳前後らしい男がじっくり&ゆっくり見て回っている。う〜む、きっと彼は日本前衛絵画の 生き証人の作家なのだろう。と、柴橋伴夫センセーの著書『青のフーガ 難波田龍起』を読んでいる私は、そー思っちゃう。・・・・・・んが、私とすれ違った 彼は「わっはっはっはー!まったく分からん。チンプンカンプンじゃあ!」・・・・・・んー、私の勘違いであったよーだ。

それでも私は、このような方々がカルチャー・オバタリアン(←ごめんね。)と違う回路で美術館に足を運んでいる風景にささやかな希望すら感じる。感じた い。

その不器用な「共犯の回路」を手助けしているのが美術館側の陳列の工夫である。
基本的に見にくる客は作家のことを知らないとゆーワリキリが、きっと美術館の企画サイドにあると思う。
それが、エライ!
無駄な啓蒙主義や、ペシミスティックなペダンチックにならない「共犯の回路」の方法論の基本である。
なんちゃって。

えーと、まず陳列の最初には分かりやすい風景画が並ぶ。そーそー、これだよね、銀行のカレンダー用の絵画(笑)。
と、油断させておいて木田金次郎「ノサップ灯台」(1950年)をいきなり見せ付ける!バーン!
松田優作が生きていたら「なんじゃコレわあああぁーっ!」とおっしゃるであろう。明らかに短時間で仕上げたストローク一発の風景画。その謎解きのヒントが 欲しいと思い、絵の隣に書かれたキャプション板を読むと、「多作であったが、岩内大火でほとんどの作品が焼失してしまった」と書かれていて、一気に日曜画 家ならぬ日曜美術評論家たちは日曜なんでも鑑定団になる。

あの手癖のよーなストロークは何なんだろう?と、疑問が膨らむままに回路は山口信太郎「三月の雪」(1962年)の前に立たせる。
ビルの高い階から都会の風景を見る。ビルディングという存在の長方形が重なり合う。3月の「北国の春♪」に、もう無くなったはずの雪が降り出し、ビルの屋 上に白い帽子をかぶせる。すると、頂上に白い辺を持つ長方形の風景になる。人間が造った長方形も、自然が造った辺も、平等に「幾何学的」になり、描写する だけの自然主義の行為がそのままキュービズムの精神と重なってゆく。そして作家の感覚の凄い所は絵を微妙に右上がりの風景にしているトコロ。その一見、下 書きのフリー・ハンドが失敗したかのよーな幾何学計算ミスが風景に得がたいリアルを与えている。そして、今書き終えたかのように、まだ絵の具が乾いていな いようにギラギラ&ツヤツヤ光る厚ぼったい絵の具は雪の風景なのに何故か温かみを感じさせる。その触感は写真では感じ取ることができないであろう。絵画を 撮影した写真ではない現物の凄さを感じさせるとゆー理由だけで、その作品は一級品である・と、私は乱暴に定義しているんだけれど、まさしくこの作品など は、それだ。そして写真では伝わらない温かみとは、作者の描かれた街への愛情じゃぁーないのかな?なんて、浪花節な想像なんか・しちゃったりもして、さ。

で、私はこの油絵「三月の雪」のビルディング群にちょいと違和感を感じた。ビルの多くにエントツがあるのだ。これは古い作品だから、石炭用のエントツかも しれないな。古いのならば、何年だ?
と、思って製作年を確認すると、1962年!
しかも絵のタイトルは「三月の雪」。これには、コジツケの天才の私もまいった。
だって、私は1962年3月31日生まれなんだもの(笑)。
すると、この「ビルの高い階から都会の風景を見る。」とゆーのも、もしかしたら病院の産婦人科の病棟から見た風景かもしれない。・・・・・なんてね。
まぁ、私が生まれたのは沼田町の厚生病院だったので都会ではないけれど、同じ年月の雪を私の母は見ているのは間違いない。

そーこー、あれこれ考えつつ見ていると、なかなか初見の日本人画家の作品も面白い。
しかし、スムーズに見ていきた私をつまづかせた絵画群にぶつかった。
う〜む。なんだか、ヘタウマ。えーと、高橋北修である。
彼は1931年に帝展に入選。帝展と言えば、大日本帝国時代、最も権威のあった美術公募展だ。彼は旭川人として初めて、ソレに入選した。以後の彼の人生は 約束された。何を描いても大作家としてありがたがられた。もちろん、第二次世界大戦中は従軍画家にだってなるさ。同じ従軍画家であったレオナルド藤田の作 画している現場を彼は見たのだろうか?そして、何を、どう思ったのだろう?
とにかく旭川が誇る最初の大作家であったワケだから、作品も数点展示されている。そして、一番、新しい作品がこれまたヘタウマだ。少女の日常風景を描いた 絵なのだが。
絵を見てから、キャプションで彼の経歴を確認する。
1962年、右半身不随になり、以後、左手で絵を描く。・・・・・・あ〜あ、また1962年だ。

このワリと、アバウトな作風の高橋北修の後に並べられているのが、葉っぱ一枚&一枚を偏執狂のように描き続けた緑の風景画家、佐藤進だ。このギャップに、 観客は脳味噌と眼球のモード変化のリズムを楽しむことができる。いいぞ、旭川美術館、企画室!っー感じである。
佐藤進の繊細かつマジメな水彩による風景画を見ると、いつも私は自分の小学校〜高校時代の美術教育を思い出す。なんだか、こーゆー絵を描くと良い成績がも らえたのだ。とゆーか、絵には数学的な垂直の数値化できる基準があって、佐藤進的な絵がその最高得点であると私たちは信じ込んでいたと思う。
改めて、彼が最も活躍した時期が1970年代から1980年代であると確認し、それが私の受けた唯一の美術教育の時期と重なるので、なるへそーと、思った りもした。
それでも、改めて見ると、この偏執狂的自然界は、なんだか&やっぱり、ヘンだ。つまり、これはマトモな人間の仕事ではない。狂っているのだ。そこまでマジ メに葉っぱを一枚&一枚描く必要があるのか?途中でイライラして、木田金次郎のように「ワーッ!」とストローク一発のパンク油絵にならないのか?そして、 だから素晴らしい。と、私は今だから思える。
狂っている、と思ってジーッと絵を見ると、その水彩画の小さな点描のような筆の跡がサイケデリック・アートのドットのように脳にくる。

その妄想を裏付けるのが、佐藤進の息子の佐藤道雄だ。彼は1948年生まれ。札幌市長選挙で再選挙を準備した候補先生たちと同じ世代だ。
まぁ、ソレはともかく、父親が水彩画で行った点描トリップ・リアリズム(←すみません、私の造語です・笑。)であるならば、息子は同じ手法を油絵で行って いる。
しかし、水彩画が半透明を宿命としながら、同時にそれを有利に利用しているのに対して、油絵は透明にはなれない分、重ねられるという特権を拡大利用してい る。
その究極が、ほとんどのばさずに原液のまま油絵の具を点描にして、その点から粘った絵の具がトゲを出している絵だ。・・・・・・う〜む。狂っている。そし て、かっこいい。

いつのまにか入り口でウォーミング・アップ的に見せられたフツーの風景画から、なんだかちょいと脳味噌が開かれる世界へ足を踏み入れたようだ。

会場には心憎いレイアウトがされている。順路&回路と外れたところに袋状にコーナーが設けられて、日本画の小浜亀角の大作がグルリと、その胃袋を囲んでい る。うにゃにゃにゃにゃ。これまた、かっこいい。
これも今回の展覧会の共通テーマである「自然をみつめて」に沿っているんだけれど、日本画独自の省略法がカッコイー。日本庭園や茶文化を例に出すほど、私 に知識は無いが、優れてソフィストケイトされた抽象の精神は西洋よりも日本において先んじていたという証明が、ここでは見ることができる。
そんな魅力的な日本画の実例を、入り口から順に線上にたどってきた西洋絵画の抽象化への回路とパラレルに配置したところに、企画した側の控えめながら正確 なセンスがある・と思う。観客は私のようなシロウトでさえ、西洋絵画と悪戦苦闘した100年の北海道画壇と、距離を保ちつつも確実に時代に呼応してきた日 本画グループの仕事&存在をナチュラルに把握することができる。これまた、いいぞ、旭川美術館、企画室!っー感じである。

そして、この展覧会を締めるのは、長年、北海道の抽象絵画を引っ張ってきて、今なお現役の上野憲男だ。
彼の作品は、クールでかっこいいのは有名だが、抽象絵画が優れて抽象であろうとする時に陥る「意味」への不信との距離の取り方に私は作家の人間味を感じて きた。
だから、今回の展覧会のように、最初から「あー、これは自然がモチーフなのよねぇ〜」と思っている眼球が出くわす上野憲男の作品には実に新鮮な感動が準備 されていた。それは、まるで魔法のようだった。
旭川美術館は常設作品を繰り返して展示するので、今まで私も数回見てきた「朝へ」(1984年)などは、本当に今までと違う感動が眼球に広がった。本当に 「朝へ」に見えたのだ。

とにかく魅力的な作家の「再」発見が多かった今回の美術館鑑賞で、やはり上野憲男の「再」発見が私には一番大きかった。もちろん、そこには上記に述べた前 説の役割(?)をはたした優れた作品が用意されていたからでもあるけれどぉ。
帰宅してから、インターネットで検索すると、上野憲男にはかなりキチンとしたサイトがあった。そこに、下記のような作品集も紹介されていた。


『UENO—上野憲男作品集』(用美社、1998年5月発売 カラー・モノクロ図版併載)
上野憲男の初期作品から現在の「種子と惑星」まで、それぞれの時期の代表作を収録網羅するとともに、 水彩、デッサン、あるいはオブジェ、写真、 忘備のノートなど、画家上野憲男の全貌を初めて本格的に紹介する画期的な作品集です。
○定価=15,000円(税込み)B4/128ページ/110点収録  文=難波田龍起


ん?難波田龍起?
展示会を歩き回りながら自分の生年である1962年の符号にこだわって(=コジツケて)いた私には、上野憲男の会場内の短いキャプションに、わざわざ書か れた「1962年、難波田龍起と分かつ」という歴史的事実が気になった。
帰宅後、私は蔵書の柴橋伴夫『青のフーガ 難波田龍起』(2003年)を読み返した。
1961年に難波田龍起が東京において北海道出身の抽象系画家を集めて「北象会」を結成したくだりは、私にとっては非常に興味深くページをめくったチャプ ターであった。しかし、年表を再構築したかのような事実の記載に終われ、北象会の終焉については「北海道出身の抽象系の仲間は、特に心おきなくつきあえる ため、会の解散はどうしても避けたかった。難波田は、この北象会の存続を熱く願ったようだが、そうはならなかった。」と書かれているのみであった。この記 載の直前に、難波田が上野憲男の1979年と1998年の画集に跋文などを寄せていることが書かれているので、この柴橋伴夫さんの文章の流れは少し唐突す ぎる印象である。
もし、柴橋伴夫さんが彼が書いてきた砂澤ビッキや難波田本人と交流が少なかったことが評伝を書くことの妨げになると批判する者がいるとしたら、私はそれを 笑い飛ばすであろう。だって、柴橋さんは研究家(=歴史家)であろうとされているんだから、別にジャン・ルノワール『わが父ルノワール』や夏目鏡子『漱石 の思ひ出』を書こうとしているのではないのだからにしてー。
そう。だからこそ、あえて言うんだけれど、研究家(=歴史家)であろうとするのであれば、北象会の終焉についてはもっと書いておくべきであった。もっと調 べておくべき、とは私には言えるワケはないが、それにしても説明不足である。私が読んでいて、もっと考察して欲しいなぁと思った箇所がこーゆーふーに何箇 所かあった。柴橋さんの文体は往々にして陳腐な装飾形容詞が多用される傾向&危険があるけれど、むしろクールに文体を削って、事実の重層から、その向こう 側の事実を浮かび上がらせて欲しかった。だって、そのほーがスリリングじゃん。
たとえば、第一回「北象展」の時に難波田が「党派的なものを超えて、内面的な絵画運動のつながりを主眼として」と、血気盛んに青年の主張をしているのに対 して、翌年には美術評論家の中原佑介が「ここに象徴させるべき風土の本質が、本当にあるのか。」と問題提起をしている事実までを列挙するのであれば、そこ は「画期的評伝」にふさわしく、この温度差の意味を柴橋さんらしく考察して欲しかった。もし、そこに上野憲男の退会の理由も重なるのであれば、これは単な るスキャンダル的興味を超えて、我々が北海道に住みながらにして北海道作家を有難く拝見させていただいている画廊の現場にまでつながるテーマでもあると、 思うもんだから、さ。
さらに、ちょいとシツコクなるけれど、ページは飛んで本の後半に1962年に結成された国際的な視野を持つ美術集団「イスパニア国際造形芸術家協会 (ISPAA)」に難波田は関わり、ついには1965年に正式なメンバーになるのことも書かれている。ページが飛んでいるので分かりにくいが、北海道ナ ショナリズム(?)の結成の挫折(?)と平行して存在した国際組織への夢(?)。これは1960年代に入ってから海外旅行の簡易化、美術館運動の隆盛、カ ラー印刷技術の進歩、などなどによる、いわゆる「前衛絵画」の国際情報の体系的な流入が時代背景として大きく存在しているのではないのかなぁ〜っと、私は 思う。すでに55歳を超えた自分、若い作家の奇妙なパフォーマンスも含めた追い上げ。そして、前衛絵画の前衛として活動する時、前衛絵画の先進国(?)か ら大量に入ってくる情報が、前衛の意味を揺らがせたのではないのかなぁ?そんな時に、難波田はオルガナイザーとして行動しようと思った・が、すでに時代は 地域文化振興を超えていた・・・・・。とか、そーゆー論考も読みたいなぁー、と思った私でしたぁ。


さて、特別所蔵品展『自然をみつめて〜画家のまなざし』を満足しながら見終えて、隣の常設展(100円!)へ行くと、そこで私を待ち構えていたのが新収蔵 品の難波田龍起の2作品(笑)。
1951年の「郊外」(油彩・キャンバス、100×80.3)と、
1953年の「初夏の粧い」(油彩・キャンバス、41×31.8)だ。
柴橋さんの本によって、1951年に高村光太郎と写真に収まる難波田龍起と、難波田の息子、武男、紀夫の写真を見ることができる。撮影者も次男の史男だ。 難波田の人生を少し知っている者であれば、誰もがグッとくる写真だ。
1956年、高村光太郎、没。龍起51歳。
1974年、次男・史男、フェリーから海へ転落。享年32歳。龍起69歳。
1975年、長男・紀夫、心臓麻痺で急逝。享年35歳。龍起70歳。

3人の死者のネガの前に、1951年の少し前頭がハゲかかってきた51歳の龍起の写真は尊敬する有名な文化人に息子たちを会わせたという誇りに溢れた彼の 人生で最も幸福であった年の記録に見えてしようがない。
その私の単純な想像を裏づけするかのように、旭川美術館の新収蔵品の難波田龍起の2作品は明るい画風だ。柴橋さんが評伝のタイトルに『青のフーガ』を選ん だように、晩年の、というか二人の息子を失った後の難波田が好む祈りのような青は、1951〜1953年のこの2作には見られない。むしろ、明るい。さわ やかな、良い意味でデパートの包装紙にしても充分イケる優れたポピュラリティーすらある。
2作は2年の差はあれど、手法はほぼ同じで、デザイン的に線で縦横にくぎられた空間を平面的に淡いピンクや濃い緑、茶で塗られている。なんだか商業デザイ ンとキュービズムの幸福な出会いのようでもある。
1953年の「初夏の粧い」は、もはや戦後ではなくなった時代の都会の若い女性が緑のイヤリングと青い服を着ているポートレイト。この服の青は、のちの 「祈りの青」ではなくて「希望の青」なのだ。

1950年代、北海道出身の戦後画家としては異例の成功を収め、1960年代、自身の成功をリレーしようとオルガナイザーの才能を発揮するが、迷い、 1970年代、不幸が作品に陰影をつけてゆく。

いずれにせよ、難波田と上野憲男が北海道出身のグループ作りをめぐって距離を置いた1962年、北海道画壇の重鎮の高橋北修は右半身不随になり左手のみで の作画を強いられ、北海道の地方都市では3月の雪の降る日に山口信太郎が思わず筆をとり、北海道の田舎町では私が生まれたのだ。

その1962年、海の向こうのイギリスではザ・ビートルズがデビューしている。
時代は今まで見たことがない「自我」の時代へと加速し始めていたのだ。

1997年に難波田は死ぬのだが、その前年10月に旭川の豊岡桔梗公園に「難波田川ゆらい碑」が建立される。
すでに91歳ではあったが、旭川生まれの彼にとっては故郷との有機的な結びつきとなったわけで、同年同月に東京オペラシティに「難波田展示室」が開設され たのとはまた違った感慨がご本人にあったことだろう。

旭川美術館を出た私は、その豊岡へと向かう。豊岡には私の会社の支店があるのだ。
だが、もちろん今日は休日なので、豊岡桔梗公園に・・・・・・も行かず、古本屋「Book・Off旭川豊岡店」に行く(笑)。
そこで、多和田葉子『ゴットハルト鉄道』初版(1996.5.30講談社、定価\1456→古本\750)を買う。「難波田川ゆらい碑」が建立された年に 出版された小説だ。作者の多和田葉子(1960年生れ)は、ドイツに住み、ドイツ語で思考し、それを自分で日本語に翻訳して小説を書いている作家だ。
彼女も、難波田と同じ早稲田大学文学部出身だ。難波田が武満徹の回顧に1996年に語った「結局僕は絵描きって言うより詩人じゃないか」という印象的な言 葉があるが、難波田が北海道ナショナリズムと国際化の間で揺らいだ時代から遥か遠く、今やドイツ語で思考する芥川賞作家が生まれる時代になったのだ。

古本屋では中古CDのTom Waits/トム・ウェイツ『Closing Time/クロージング・タイム』('72、ハリウッド録音、定価\1700→中古\950)も買った。これがデビュー作のトム・ウェイツは当時26歳。
今買った本は今読めないが、今買ったCDは帰路の自動車の中で聴くことができる。
26歳のトム・ウェイツはデビュー作にして、しゃがれた声で生ピアノに合わせてスロー・ブルースを語るように歌う。若くして老成している。ああー、今朝の 北海道新聞の「天才」小説家平野啓一郎が歴史小説『葬送』を書いた時も26歳だったな。年齢と成熟と老成は無関係か?

帰宅して、多和田葉子『ゴットハルト鉄道』を少し読み進み、テレビをつけてみる。
午後9時、ジョニー・ディップ主演、フランク・ランジェラ、レナ・オリン共演『ザ・ナイン・ゲート』が吹き替え&コマーシャルあり・ながら、テレビ朝日で 放送。監督は今年度『戦場のピアニスト』で話題になったロマン・ポランスキー。
主役は古書の研究家、兼、ペテン師。・・・・・・う〜む、主人公の設定だけは他人とは思えない(笑)。
ストーリーは、「ザ・ナインス・ゲート」という悪魔について書かれた古書を捜せと、バルカン教授から頼まれた主人公が経験する数々の超自然体験。
日本で、悪魔本の古書マニアと言えば、奇書『ブック・カーニバル』の高山宏だねぇ。
それにしても、蔵書で溢れる書庫や、古本屋が舞台の映画だから、当然、私には目に嬉しい。
んが、ストイックな反ナチス映画『戦場のピアニスト』に感激した記憶だけで、連休の谷間のゴールデンタイムに家族全員をテレビの前に揃えた良識派のPTA を裏切る、エロくて&グロい映画なのよ、ネ。

テレビを観る私の足元に、今朝切り抜いた新聞記事、「久保覚(さとる)」の新刊にして遺作の『古書発見』の書評が、53冊の著書=古書を思い出させる。ホ ロコースト・・・・・?
悪魔とは、キリスト教を中心にして考えた時の相対的な価値としての「異教=異端」の別名にしかすぎないのかもしれない。あの『青のフーガ』ならぬ「白の フーガ」のパナウェーブ研究所も、現代の異端かいな?白と言えば、もうすぐ黄砂が中国から降ってくるけど、一緒にSALEならぬSARSもやってきたら、 こりゃ「黄色のフーガ」じゃ。
ああー、今夜も眠れない。がくっ。