滅!

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05/11/11 (金曜日)

★恐怖心と理由(働く事に対して躊躇する理由の潜在意識を探る)その4
経営者サイド

経営者といっても十人十色です。
不確定要素の多い私的な主観を除いた客観論で説明します。

2ページ目の最後に挙げたきびしいとされる理由について。
経営者から見る労働採用の基準は、ずばり、学歴・職歴。
これは当然の事といえますし、非難はできません。

学歴という部分で、すでに均等性が失われます。
競争社会だから仕方がないという言い分は 今の主張からは通りません。
と言うか、通してしまえば問題定義として掲げる事も必要もなくなります。

諦めとか、そういうもんなんだという 気持ちで納得はしています。

社会に出る前から、駄目出しを食らっている人もいるということで、
この時点で、雇用の均等性は奪われているということです。
それは目に見える駄目だしではなく、目に見えない駄目だし いわゆる世間体と言う奴ですわ。

社会に出てからの競争による不平等というのなら分かりますが、
社会に出る前に平等価値が失われれば、当然、ナニヌートやフリーターの原因のひとつとなる。

社会に出るまでに「ある程度の競争原理を知っておく必要がある」と
文部省あたりなら言いそうだが、これは同感。

しかし、義務教育の中での競争原理は対等な位置付けから反する。
強制力の中では、得意不得意の分野から対等な競争原理は働かない。
高校、大学にしても 学歴偏重ゆえに その目的意識も薄れる一方だ。
精神的に覚醒した年代とはいえ、義務教育で培われた意識はなかなか変われるはずもない。
ゆえに、夢とか目的がいまいち定まらない人間が増える。(この部分だけは憶測)
とりあえずのままで大学を出る人は多い。

この部分は、教育者にも責任があろうが、
大元は文部科学省と労働省との疎通のなさゆえに起きる問題でもある。

ないない(なあなあ)のままで社会に放り込まれるとどうなるか。

経営者にしてみても、そういうのはなかなか扱いがたいものだ。
特に世の経営者が気にするのは、企業と学業とのギャップである。
学生意識といえば分かりやすいが、そういう姿勢の問題だけとは違う、接し方の気難しさが挙げられる。
コミュニケーション能力ではなく、もともとの能力にだ。

半分マニュアル意識化している学生を手なずけるのに、ことさら技術知識において弊害が生じる。
学生の知識が通用しないのだ!
そうじゃあなくて、本能的なという意味においてだ。
だめだ、うまく説明できない。

 

企業が人を育てないというのは最近では有名だ。
特に運や趣味や容姿いかんによっては、うまく社会に滑り込むことも出来る人間はいる。
それは単に運だが、運も実力のうちとは言う。
ただ、不確定要素を多分に秘めており、平等には程遠い。

平等性を100%確保するのは難しいが、それでもないわけじゃあない。
平等、均等を叫ぶなら、早い者勝ちという手段もある。
特に情報化社会においてはもっともうってつけな手段だと思うが。

もちろん、ライフラインを整えて が大前提だが。

今のままでは、問題は何も解決しない。しないんだ。
このままないないのまま、雇用制度がなくなれば…。
やっぱ、クソの肥やしにもなりゃしないなぁ。

経営者は今なお、人を扱う事には苦労しているのだ。
今にも崩れそうな均衡状態でだ。
今の情報のやり取りに真実はない。という事実。
誰かが保証するものでもない、真実を確かめようもない。
人を選ぶ術は、紙に書かれた事実と数分のやりとりだけだ。
これほど、判断の難しい事はあるまい。
労働者側にも、そして経営者側にも意識を変える手段は必要なのだ。
今のままでは駄目なのは分かるだろう。

大元はいっぺんしんだ方がいいだろう。
バカはしななきゃ直らんというしな。
若本一徹熟とか、ハローウォークなどで解決できる問題などではないわけだ。
ま、だからこそ、そこにクソの肥やしにもなりゃしない所以があるわけだが。

そうだ、いっそのことハローウィークに名前を変えたらどうだ?
弱点を補強する設備。
いいなぁ。それ。

!(゜д゜)ハロー!(゜д゜)ウァヮヮヮーク!!!

 

05/11/11 (金曜日)

改革論者が目指す未来が良い未来になるか?

時の首相曰く「遊星が成ればすべては薔薇色」だと言ってます。
これは前にも言ったことだけど、成功した人は薔薇色だけど、失敗した人は自己責任だからというのが前提です。
そこんところは今も未来も変わりなく。
だから、首相の言う事は別に嘘ではありませんね。
遊星が絡んだ成功例と失敗例が前提となります。
ようするに一般人にはあまり関係ない話です。

 

実際に今の政府が進める未来が どういう未来になるか予想されるかは、
こちらのサイトを見ていただけると分かると思います。

ホームレス構造改革

すべてなんでもかんでも自己責任と考えていいでしょう。

 

関係ないけど、いずれ年金制度なくなるね。これはほぼ確定。
説明するのも面倒なので省略。
その時の言い訳はこうです。
「なくなるのは分かっていたことなのだ。分かっていながら納めていた人が悪いのだ。これは自己責任だ」と。
ストレートな言い方で恐縮だが。

じゃあ、政府調に言いましょう。
「年金を納める人が50%を切りました。これを民意と受け止めて年金を改革してまいります」
「民意を受け、すべての年金制度を破棄します。なお、これまで納めた人に関しては額の30%を返還と言う形にします。」

…ちょっと無理があるなぁ。
本当はもっとひねりがあると思います。
すくなくとも持続可能なというのは今だけのこと。

仮に年金がなくなっても、まだ税金があります。
役人が食べるのに困ることは免れそうですね。
その点は大丈夫ですし、最後の砦といった感じですね。

 

年金は実際の給付額よりもちょろまかされそうです。
理由なんていくらでもつけられます。
実際の評価よりも過小申告すればバレませんからね。
経済に詳しいジャーナリストがいるなら、ちょいと饅頭をおすそ分けすれば、あら不思議です。

今のままじゃ、談合体質、賄賂などなどなくなりませんな。
あっはっはっは。
もうアホかと。

なにかあれば、すぐ攘夷、攘夷、攘夷。
まちがえ、すぐ、改革、改革、よくわからなくても改革。
そんなだ。

小さな政府のためには改悪もいとわない。

何度も言うけど、本来政府っていうのは、国民を守って不正を挫くためにある。
この基本をベースに無駄を省いて、民主的な仕組みを作ることが政府の仕事だ。
それが出来れば、基本的に悪くはならない。
悪くならないだけの知能と文明を兼ね備えているのが日本だ。

今の政府がやってることは、無駄を省く以外はすべてが逆。
しかも、直接改革する本人を除いた無駄をだ。
議員年金は対したものではない。
減った分は、政治資金から賄うから問題ない。

嘘は言っていないぐらいには、不正の疑惑が付きまとっているということだ。

あと、政府っつても運営しているのは機会様じゃあない。人間様なんだ。
そこには理論や利便性では説明できない、また民間人には理解できない何かがあるんだ。

 

05/11/10 (木曜日)

小さな政府はなるべくしてなる

自主的に小さな政府を目指す政府が 未来の日本を暗示している。
小さい、縮小することは どう見ても力の衰えを示すので、日本の未来が終わりに向かっているのは
感覚的にでも理解できる。

経済力や人間同士のつながりの希薄さから
「大きな政府を目指して 政府を中心にみんなで助け合える社会を築こう!」
ぐらい言ってくれた方が まだましだったかもしれない。

政府が言う ”負担の大きい”の大きい政府だけではなくて”大きい”には別の意味もある。

大きい政府 すなわち ”心の支えであったり、拠り所として存在が大きい”政府という意味もある。

 

さて、今現在政府が目指している小さな政府のモットーは、
政府の仕事を減らして、無駄な歳出の削減と権限の地方への移譲。
ようするに無駄を減らして効率的な政府にしようということだ。

今という時代を見れば、別段おかしな事は言っていない。
今だからこそ 何の疑問も抱かず受け入れられるのかもしれない。

別の見方をすれば、なぜ今になって取り組みを始めたのか?
無駄を見直す機会はいくらでもあったのにだ。

 

本当は気が付いていた問題だが、あえてスルーしていたのは 景気に支えられていたことと
政府の力の肥大化によって 組織内部が正常な機能を果たせていなかったからだ。
この部分は、今のチンケ、JRのそれと同じだ。

では、なぜ 今になって見直し始めたか?
今気がついたとか 最近気がついたというのは理由にはならない。

民意や民間の意識の高まりと 二進も三進もいかなくなった事が背景にあるからだろう。

もしも、今なおネットワークというものがなかったら、政府はさらに肥大化を続けていただろう。
ネットワークの普及のお陰で、政府の化けの皮が少しずつはがれてきた印象がある。
要するに国民がちょっと賢くなってきたということだ。

 

さて、政府が自ら小さな〜を豪語して目指すのは肥大化しすぎた負担を放棄するためにほかならない。
二進も三進もいかなくなった末に 現状を利用して 体を繕っているに過ぎない。

「負担を強いる大きな政府が国民にとって望ましいか、極力負担を強いらない小さな政府が望ましいか」

負担を肥大化させた張本人は まちがいなく今よりも過去の政府なのだ。
先を見据えていたのなら ここまで肥大化することもなかったわけだし、
先を見据えて綿密な計算が出来ていたのなら、「それぐらいの公約を守らないのはたいした事ではない」なんて発言することもない。

 

過去の失敗を国民に押し付けるのは言語道断。
しかし、その政治家を選んだのは国民だ という意見にたいしても言語道断といっておく。

理由は ほかでもない。
対等じゃあないからだ。

あくまで一部の政党が有利となる手引き者がいるからだ。
その手引き者こそ、その政党そのものであるからだ。

投票にいかない奴を非難するが、行かないんじゃなくて 自主的に行かせないように裏で操作している奴がいるからだ。
そいつはほかでもない、その政党そのものであるからだ。

組織票があるところが強い。
ひとつ弱点があるとすれば浮動票だ。

極力、浮動票には参加してほしくないというのが本音だ。
口には出さない。浮きはそのまま微動だにしないでいてもらいたい。
だから あえて改革しない。

下がりつづける当票率を改善する気があるのなら、方法はいくらでもあるはずだ。
でも それをしないのはなぜか?

国民の感情をうまく利用して、意識付けさせているからだ。
政治が変わっても根本は何も変わらないんだという考えを。
だからどうでもいい。って考える人が増える。

また、政府の自己責任論は人と人との連帯意識を断つことに貢献している。
連帯感がなければ、さらに選挙で組織連帯票を持つ政党が有利になる。

自らが有利となる選挙戦で どうして対等に戦えるだろうか?

すべて、選挙に参加しない国民が悪い。
すべて、わが党に投票した国民に責任がある。
政策の失敗は 国民の政治を見る目がなかったことが責任だ。

と はたして言えるのか?

問題が分かっているのなら、なぜ 率先して改革できる権力の与えられたものが改革をしないのか?
これは、ずっと長年同じイスに座りつづける権力者ゆえのもの。
だから、改革なんて出来るはずもない。
正当に支持されているというよりは、惰性で支持されているという危機感をもってほしい。

組織票がなければ、単なる原付エンジンを載せたフェラーリでしかない。
バックに支持母体がある時点で対等から外れる。

自ら権力を抱えた政府が作る小さな政府は どんな政府になるか?

政府の負担は大きく減るが、政府組織は今のまま 現状維持を続ける。
現状維持を続ける限り、国民の負担率は変わらない。

少なくとも、対等、平等な仕組みを作れない政府に、
そして、負担増と給付減の仕組みしか作れない政府の掲げる小さな政府に、
国も国民もどちらも負担の少ない仕組みを作ることは出来ないだろう。

国の負担が減れば、国民の負担は増える。
その逆はない。

 

05/11/08 (火曜日)

フリーターこそ終身雇用!!雇用概念の消滅!!

なんかさ、遊星大臣のHPにこんな記事がありました。
◆政局マニア系◆ フリーターと新しい自民党との革命的可能性(1)

◆政局マニア系◆ フリーターと新しい自民党との革命的可能性(2)

正直良く分からない記事なのだが、だれが書いたか分からん記事だが、
都合の良い捉え方で物言うのやめてほしいな。

「茶髪・20代・フリーター」ってだけでバカにした物言いを感じてすごく不快を感じるし。

マジレスするのも馬鹿馬鹿しいが、結局はフリーター問題を分散化させて散らすのが狙いという筋書きが見える。
端からフリーター問題を解決する気はさらさらなく、フリーターへの意識を世間的に容認させようという手法だと思われる。

仮にも政府関係者が こういう記事を取り上げたり、書いていいものかどうか疑問を感じる。
本音とは違う、政治的ニュアンスでの物言いから さらに強固な地盤固めの題材という見方が強い。

フリーターは忌むべきものではないのだ!
だからフリーターはすばらしいものだと、誇りを持てばいいのだ!

そういう意識付けが出来れば、案の定フリーター問題は片がつく事になる。
だけど、一番問題となっているフリーターの根幹や犯罪に対しての処置は置き去りにされたままとなるのは言うまでもない。

言葉で良いように装うのは まさに今の政府らしさ。
それに ころっと騙されるのも国民だけどさ。
そういう情報操作と言葉巧みな話術で国民を操るやり方、いまの詐欺商法のそれとなんら変わりがないか。

 

今回、この記事を挙げた理由は、頭ごなしに文句言う事ではなくて、

雇用概念の消滅!!

という言葉に反応したからだ。

以前、それに関して書いたけど、
★6.反発・抑制効果を高めた労働・雇用の未来の姿
★5.現在の雇用・労働から見る問題
★4.現代に不釣合いな労働の壁
★3.新しい制度を考える(雇用環境制度)
★2.現代の身分差別・制度を考える
★1.郷士と上士・身分差別の撤廃と現代の郷士・上士・足軽・乞食

まさか、こんな突拍子もない記事を目にするとは思わなかった。

 

ただ、付け加えると、この記事の雇用概念の消滅は単純な消滅であって、
単純に自己責任に帰結する単純な発想でしかない。

ここから先は、単純に小生の都合の良い物言いとなるがゆるされい。

自民、公明 政府の発想とするこの内容は
要するに雇用に対する保証の限りがすべてなくなり、自己責任となりうる。
このことで発生する問題に対する補填をどうするかによって違いはあろうが、そんな奥の深い考えはないだろう。

そして、実際にこの概念に基づく制度が発令された場合の 政府負担は相当軽くなる。
というより小さな政府を目指すために負担を軽くするねらいだろう。
重ねて言うが問題を正面から見据える気はさらさらないのだろうということ。
自己責任に帰結するということ。

「フリーターは、『夢』以外に失うものを持たない。彼らが獲得するものは『成功』である。全国のフリーターよ、自由民主党のもとに結集しよう!」

新しい自民党とやらのキャッチフレーズがこれらしいかもしれないと自分で示唆している。
…。

⊂ヽ ゜∀゜)ヽ   おっ      ( ゜∀゜) ミ   ぱい!
  `ヽ  ヽ' ))            γ 二つ つ
   ノ   ノ           {   (
  し' ⌒J            ヽ,_)ヽ,_)
   _                    _  て
⊂ヽ ゜∀゜)ヽ   おっ      ( ゜∀゜) そ   ぱ…
  `ヽ  ヽ' ))            γ 二つ つ
   ノ   ノ         Σ {   (
  し' ⌒J        グキ ヽ,_)ヽ,_)

  <⌒/ヽ-、___
/<_/____/

…。

…。

…。

どうやら、本気でクソの肥やしにもなりゃしないなぁ。
というか弱者を完膚なきまでにつぶしにかかっているとしか思えないバカにした記事だ。

なんか、ずいぶんマジレスしてるなぁ。俺は。

 

ちなみに「オーディション型雇用」という呼び名があるが、小生の考えからして結構しっくりくる呼び名ではあると思う。
でも、間違わないでもらいたいが、
映画を制作するときのように、決まった期間だけ人やお金が集まり、終わったらぱっと解散する。
ような社会は決して望まれるものではないということ。

経営者にとってのある程度の切り離しの容易さと、人を育てやすい環境を整えることが望まれるのであること。
このことから、オーディション型というのも見せ掛けでしかなく、これまでの実力主義的な考えからは脱却できないもので、さらに悪化を招く言葉かも。

小生的に言わせてもらうと、望ましい雇用形態は、ギルド型雇用かな?

「ギルド型雇用」と命名します。

働く事の保証を国が取り持ち、人の切り離しをある程度容易に出来る環境を整え、
また、容易に雇い入れることの出来る環境と 人を育てる環境。
正義を守り、悪を律する環境には人の目がいる。

互いが互いを監視し合い、ほどよい緊張で保たれる関係こそ望ましく思う。

ギルド型雇用の特徴は、

国は、企業と人とを取り持つ役柄であり、平等を規す機関であること。
企業は、人と社会を育てて国に還元する機関であること。
人は、企業の不正の芽を見張り、国と企業を育てて還元すること。

もっと深く説明すると、
企業に人を選ぶ権限を与えずに、国が取り仕切ることによって、平等さを促す。
人を選ぶ権限を持たないかわりに、人の雇い入れや切り離しを緩和させる仕組みを敷く。
その仕組みが 職業レベルである。
ようするに企業は必要なときに必要なレベルを国に申請することで国民を広く集い派遣させる。
国からの申請ということで、国の保証を得る形となり、働き手の士気は高まる。
結果として、国に対する不信を取り除く形となり、年金不払いなどの問題も解消される可能性がある。
また、国家の保証があることで、人は不正の目に対して厳しく監視ができる。
現行の企業に依存するあり方や、国に依存するあり方は犯罪の温床でしかない。
国にけっして依存するわけでもなく、企業に依存するわけでもなく、相互に協力し合う関係が良い機能を果たす。

一応、詳細は★6.反発・抑制効果を高めた労働・雇用の未来の姿
★5.現在の雇用・労働から見る問題
★4.現代に不釣合いな労働の壁
★3.新しい制度を考える(雇用環境制度)
★2.現代の身分差別・制度を考える
★1.郷士と上士・身分差別の撤廃と現代の郷士・上士・足軽・乞食

で載せているが、現状まだ書いていない記事もある。

小生が言いたい事の簡潔的な記事は、このギルド型雇用に書いてあることがすべてだ。
もっとも、こうあるべき形にするためには、さまざまな原因や問題も説明したうえでないと理解できないので
少しずつ説明をはさむようにしたい。

 

05/11/08 (火曜日)

対等な関係を築くには?

今この国で一番えらいのは誰だ?
って聞かれたら首相と答える?
首相、政府、自民公明連立、政治家?。

サラリーマンから見れば、上司、社長ですか…。
目の上のタンコブって感じですか?

おおよそ勢力図でいくと

政府関係者>>>>一般企業経営者>>>>国民

って感じですかね?
だいたい政府の命令が一に来て、二に経営者判断、最後に国民が責任をかぶるという構図。

って 前にも書いたっけ?

 

間違わないでほしいが、主権はあくまで国民…ではない。
結果的に主権は国民になるだけだ。

国と企業と民の関係は どちらがウェイトを占めるというものではなく 相互に均衡を保つ事で成り立つといえる。

今すぐ崩れる関係ではないが、じょじょに均衡が崩れていく。
もっとも ある一定のところで崩れは収まる。
その時はまさに地獄絵巻のごとく破滅へのロンドってか?

まあ、現在大きく崩れているのはたしか。
この歪が今日の問題の原因と大きく結びつく。

国や企業への不信や不祥事・自殺など。
引いては生まなくていい格差・フリーター・ナニヌートなどなどの存在。

この三者の関係が完全に壊れる事はないだろうが、仮にどれかひとつでも壊れると機能しなくなる。
これに関する処方箋はない。
危険度で言うと、ネットワーク障害やセキュリティ障害を遥かに上回る。

完全に壊れることはないが、確証もない。

互いに影響し合える関係こそが、必要なのであって これはどうやっても望みし未来には到達できない。

 

 

その2-基準について-

いくつも仕事をこなしてきた中でつねづね疑問に思っていたことがあります。
基準です。

特に賃金に対する基準です。
だいたい民間のフリーターの賃金は資料からおよそ計算が出来ます。
正社員はだいたい年俸制で計算されます。
そして技術職の方が賃金は高めではあります。
最近はそうでもないですけど。

だいたいフリーターの場合の時間給は1000円から800円台と言ったところでしょうか。
企業によって多少の色はありますが、だいたいこの範囲です。

税金から来る給料体系だけは どうも計算がうまくいきません。
民間賃金を主体とした場合に、明らかに違和感を覚えます。
明らかに…額が違うんです。

フリーターの賃金は安く叩き過ぎだなぁとはつねづね思っておりますが、
逆に税賃金はめまいを起こすぐらいには違和感を感じる部分があり、
どう計算しても 何をやってもうまく計算が合いません。

公の労働に対する価値価格の基準が曖昧すぎて理解できません。

職種が違うにしても どう判断しても対価にそぐわないんです。
それこそ、あれ?俺は何人?って思うぐらい。

実際、民間に比べて公務員は給料をもらいすぎと言われているのは有名な話です。

民間と公務員の大きな違いは ほとんどないと言えます。
基本 機密は厳守とする公務員も 民間もさしたる違いはないのです。
公務員は機密が大事なので民間には務まらないというのは今は昔の話です。

すべての公務員が対象ではないですが 公務員と民間の差がなくなっていることに目をつけたのがいわゆる民営問題です。

「民間に出来ることは民間に 地方出来る事は地方に」ってことです。

無駄と言われる公務員を減らすという大義名分?は立ってますが。
減らす減らすでなんでもかんでも減らせばそれでいいというものではない。

 

民間仕事に比べて公務員仕事はお金にはなります。
だいたい時給額にして3〜4倍ぐらい違います。
仕事の中身はというと それほど違いは感じられません。
ただ、昔の民間と比べて得るものが少ない気がします。
民間チックな公務な仕事という感じです。ただ、ノルマがあるとかそういうものではありません。
公務員と民間の違いは減点か実力かの違いです。

民間チックというのは、何かを知り得るような協調関係が築きにくいという事です。
事務的といえば分かりやすいでしょうか?

さて、公務の仕事をして得る給料にどうしても違和感を感じる。
元をただせば税金からくるもので、それに見合うだけの仕事の中身なのか否か判断しにくい。
どんなに気合入れても納得がいかない 損な性格だと小生は言われます。

民間に比べて 経営努力がほとんどいらない国家のあり方からか、
公務の賃金の基準がどうしても分からない。

特別職というのならまだ良いが、そうでない職業に至っても格差を感じさせる。
いや、そもそも特別職事体今は普通と化している気がする。
まあ、この部分は独断と偏見だが。

 

基準が明確でないからこそ 外部から見れば ことさら奇異に映るのかもしれない。
政府がそういうのを見越して政策しているというよりは、抱えきらないお荷物を民営化することで保証を切ることが出来る。
思惑としてはそんなところだろう。税金が投入されているとかいないとかは この際どうでもよい問題だ。

些細な疑問も気にせず、とりあえず高級であれば良いのであれば それはそれでもいい。
ただ、些細な問題も些細なことと受け止めるよりは きちっと耳を傾けることこそ解決の糸口となる。
もっとも そんなことを誰に言える?
言っても無駄な奴に言うだけ無駄で、無駄無駄。

格差を可能な限り抑えるにはやはりそれ相当の基準を設ける事も必要だと思う。
本当に実力のある人間ならきちんと それに見合う対価は得られるはず。堀江さんとかね。
逆に政治家はどうと言われるとハテナ。
基準がないから反発が起きる原因にもなる。
納得のいく基準がすべての始まりだと思うね。

じゃあ 明確かつ納得のいく基準とは何かって話だが、それはまたそのうち。
手っ取り早いのが格差をなくすことだが…。
それに関してはさんざん既出かな?

 

 

ない基準・明確な基準・理不尽な基準・変な基準

格差・自己責任・税金・意識

経営者は経営を見据えて切り盛りする。
そして限りある資源を有効に活かす努力をする。
時勢と地域によって多少のバラツキは見られるものの基本的には法律?によって基準が設けられている。

格差が広がる原因は低賃金労働者の増加があげられる。

企業は口を揃えて 時代が求めるニーズに答えると言います。

時代が求めるニーズとは?
自由奔放即戦力なフリーターを指す。
つまり 低賃金労働 非正社員 即戦力 精確さ(正確)

つまり、フリーターの増加は時代のニーズであるからフリーターの気持ちを汲み取ってフリーターを雇います。ってこと。
この意味を良い意味で捉える側の人間と悪い意味で捉える人間のふたつがいます。

良い意味で捉えるのが企業側経営者で 悪い意味に捉えるのが政府・労働者側です。

良い意味は上記の説明通りです。
悪い意味は、一言で言うと 人を育てない 社会の責任を放棄しているという事です。
とくに政府にしてみれば 大問題で 格差が生じれば治安悪化はもちろん、自殺者増やナニヌート、フリーターのさらなる増加が挙がり、結局は国に入るGDPが減りますね。

 

経営者判断は間違っていません。
時代をうまく征するものが延びるのはいつの時代も同じですし、異論はありません。
むしろ、人権を擁護するあまり経営圧迫しては本末転倒です。
経営者は経営にせいを出して その中で余裕が出てくれば自ずと社会に返還されるでしょう。
今のトヨタはそんな感じでしょうね。定年者の再雇用制度など。

じゃあ何が悪いのでしょうか?
そもそもフリーターは悪いのでしょうか?
正社員を採らない企業は悪いのでしょうか?
最初から悪いものなんてないのかもしれません。
でも それだと問題として挙げる必要はないわけですので、やはり原因はあるはずです。

-つづく-

 

 

犯罪のなぜなに?

犯罪の増加原因は一言で不況とは言えません。
内政混乱であったり、不安定さが原因とも考えられます。
絶対安心安全の神話が崩れたからなのかどうか、拠り所や目標がなくなったからかどうか。
揺るぎ無かった神話の崩壊によって少しずつほころびが生じ出したのは間違いない。
今回はそんな一般的なケースは置いておきます。

それ意外の部分で犯罪を助長するまでに至る過程となりうるひとつのケースを検討します。

企業の不祥事の原因は政府の失策によるツケ?

明治安田生命とか明治安田生命略して目安以下目安。

企業の不祥事が後を断ちませんねぇ。
これほど不祥事の多い国はダントツ日本一です。
別に他国と比較はしてませんが。

その原因を作ってるのは他でもないひとくくりに政府です。
保険云々のは金融庁ですか?

さて、こんな企業モラルのない国になにを期待できますか?
内部が不透明な企業にどうやって誇りを持って努められましょうか?
放置国家日本にどうして誇りや愛国心が持てましょうか?

この気持ちって、結構な若者が持ってるんじゃあないかな?
そういうのを理解して割り切って生きてる奴、割り切れない奴。

意欲がない若者を頭ごなしに批判をする前に、国なりが人間力をつけることをお勧めします。
何も疑問を抱かずに飼いならされる事に本人の意思はどうであれ、全体的に見ると不幸な事かもしれない。

飼いならされると言う事は、そこで停滞することと同じだ。

国に抵抗してもメリットは何もない。むしろどんどん自分を窮地に追い込む。
文句言わずに従えば、それなりに生きる事は可能かもしれない。
それはそれで幸せなのかもしれないが、今の時代そうじゃあない。

犯罪で報復したり、自分を正当化して犯罪に至るケースは少なくない。
同情は出来ても、こんなもんは世間的に認められるもんではない。

犯罪者側の視点にたって、なぜこういう事件が起きるのか国はよく考えてくぁwせdrftgyふじこ。
…無理だな。無理無理。
何を期待してるんだ。

犯罪の心理を読み取ってパッチを当てる事で犯罪は大きく減る。

何にしても心の拠り所を持てないような荒廃した社会構造に希望はない。
自分の気持ちを捻じ曲げて社会に屈するのは、この先悲惨な犠牲者を生み続ける事を暗示させる。
それでも暗黙続ける国に、断腸の思いで犯罪や自らを殺めるという行動で危機を伝える。
そう、当事者は犯罪や自殺に対してさぞや悔しく断腸の思いであろう…
そう孤独な決断を…それは今も…。

こんな痛みはいらない。

こんな事で痛みを強いる政府は、それこそクソの肥やしにもなりゃしないということだ。

 

05/11/02 水曜日

国の強行自己責任プロジェクトA ゼロ・トレランス

ゼロトレランスと言うのをご存知ですか?
ゼロトレランスとは毅然とした態度で臨むという感じの事らしいのです。
要するに寛大な気持ちは一切ない、考慮しない制度です。

つまり、何かあってもそれは自己責任だ!という事を言っています。
これの悪いところは、さらに突き放した自己責任論なのです。

およそ、政治の世界には無縁の制度ですが、 その制度を教育の場に設けようとしています。
この制度が施行された場合のもっと先な大げさな結論付けを行うと、将来未成年の刑事責任も課すような制度にまで発展しそうです。

ようするに子供だから刑事責任には問えないと言う事はなく、12歳未満だろうが 殺人は殺人として処罰できるようになります。

政府は口に出していいませんが、とどのつまり、力で捻じ伏せますって事です。
これが政府の言う小さな政府には必要不可欠であると。

生まれたばかりの赤ん坊が置き去りにされた場合、保護者責任放棄も悪いがそれ以外に自分で生きられない赤ん坊も悪いと難グセつけるでしょうね。
どこまでも自己責任を押し付けることで小さな政府を目指す。
我関せず、でも税金(゜Д゜)ウマウマー。そんな政府。

暴走はそれぐらいにして、上で言ったことは大げさかもしれないが、あながち間違いではない。
結局突き詰めていけば、行き付く先は自己責任で年齢の違いは関係ない。

教育現場の荒廃の原因は何か?
これを学校教育の現場という狭い視野で見るよりは、もっと大きな視野で 社会全体で見ると意外と分かりやすい。
学生という身分の後ろ盾のある、ないに関わらず非行というのはどこにでもある。
どこにでもあるが、その推移を調べてみるとだいたいポイントが絞れる。

少年非行の推移
犯罪の推移

どっちも同じ傾向に延びているのが分かるだろう。細かい事は気にするな。
そんなデータはさほど重要じゃあない。

犯罪の推移の記事の一番下にこういう文面が記載されている。
一般には生活環境、特に経済的環境の悪化の中で増加するものと考えられる。ただし、環境条件の捉え方については、相対的なものであり、例え所得水準が極めて低くても、明確な目標があり着実に努力し続けれる状況であれば増加は起こり難い。これに対して、例え豊かであっても、生きていく目標の喪失等があれば、社会病理現象の増加が起こり得ると考えられ、韓国にあっては、オリンピックが開催された、1988年頃にそれなりの転機があったようにも見受けられる。
 他方、家族や地域社会での相互扶助あるいは総合監視の体制があれば、上述のような社会病理現象は起こり難いものと考えられが、核家族化や都市化の中で、このような体制は崩れてきていると予想される。日本や韓国の社会について包括的に語る際に、儒教社会の強さを主張したりすることは、もはや困難となりつつあるのではなかろうか。

ここに指摘してあることは、実に真の真実。
ポイントを押さえて指摘してあります。

教育の観点も基本はこの説明に帰属することになります。
目標がなくても、努力が出来るような社会なら別段問題はないのです。
目標なんてものは、日々の努力の中からヒントを得るものだと小生は思います。

そう考えると、努力する術を取り上げられた人間は、まさに生きる屍となってしまいます。
そして、それを奪っているのは今の政府権力者であるのは言うまでもない。
「そんなことはしていない」とほざいたところで、機会を奪っている時点で無意味無策。
ようするにそういう仕組みを容認しているのはアホ政府だから。
学歴一辺倒な体質からいまだに抜け出せず、また学歴偏重であっても確実ではない不確定要素の割合の高さに関わらず、すべては学歴からと。

そういう文部省の方針のもと、ないに等しい受け皿からこぼれた生徒は文字通り自己責任をかぶせて闇に葬る。
偉くないけどえらい人「…遺憾である。遺憾である。いかん事をするのは遺憾である。」と。
もしくは「こんな事をするなんてびっくりするクマー(゜Д゜)ウマー」と。
んで、「さっそくケアにあたりまーす(´▽`)ノ。政府はちゃんとサポートしまーす。だから見ててね。」

ねえ?原因は?原因は?
「…そういう事実があたかもしれない。」
「…みんながそういうならそうなのかもしれません。」
「それに関しては政府は引き続き調査くぁswでfrtgyふじこ」
「現在資料が届いていないのでコメントできません」

で、選挙のときには
「バカボンのパパはパパだからパパなので改革が必要なのだ!」
「原因を追求するためには今の改革を推し進めねばならんのだ!」
「抗議する!改革、改革、とっとと改革」
「日本を進めよう。改革を諦めない」

ってところですか?

歴史とか科学とかも大事かもしれませんが、切実な所は生きる上で必要な事は何か?ではないでしょうか。
文部省がどんなマニュアル作ってるか知りませんが、社会に対して役に立たないものや、障害でしかないような教育にはほとほと疑問を感じます。
とりあえず、触ってみますの精神は大事だが、明確な筋道のない今においては時間の無駄を通り越してクソの肥やしにもなりゃしません。
そう、必要なのは社会に出るまでの道しるべと、その後の社会に対する適合性と柔軟性。
そしてギャップを埋める事なのだ。
それがないから人は戸惑い迷う。

文部省と労働省は畑が違います。
同じ政府であっても、互いに意見を交換したりと言う事は皆無です。

 

突き詰めれば、さまざまな問題があります。
両親が共働き、悪鬼極まるニュース報道、不祥事、正義のない社会、現実とかけ離れた政治、
格差のある労働環境、破綻した制度、バランスの悪い仕組みなどなど。

悪い要素が組み合わされていろんな凶悪事件に発展するケースを見るにつけ、
結局行き付く先は…。
こういう問題を間違った政治だけの考えだけで推し進めるからさらに状況が悪化する。
その中には民意という言葉は存在しない。

ゼロ・トレランスのモデルケースを示すのに絶好だったのが、先の造反組みだったのだがね。
所詮、こういう環境に育った人間の描くゼロはゼロでしかない。
何も生まない、生まれない仕組みでしかないということだ。

要するにクソの肥やしにもなりゃしないという事だ。


URL→http://www.geocities.co.jp/kokounomiti98/enigma.html