以下はすべて試験公開です。現在修正中。
夏目漱石全集2
夏目漱石全集3、作成中です。初期文章とその他です(2009.11.22現在)。
海島冒険奇譚 海底軍艦 押川春浪。
現代日本紀行文学全集、1976年8月1日初版発行 出版社: ほるぷ出版
日本の名随筆 花、
青空誤植集 現在340個です(08.10.28〜12.15)
今、青空の誤植を探している。約1ケ月半で、340個、これは少なめに見てである。というのは出すべきもので、出さなかったのもかなりあるからである。実際は400個をこすであろう。これも入力、校正者の能力による個人差が大きく、
一つの作品で100個以上あるかと思えば、ほとんどないのもある。この調査を始める前に読んだのでは、ここにおさめてある押川春浪のものなど、実にすさまじい誤植の羅列で、入力者の国語力の低さが歴然としていた。おそらく200個以上はあったであろう。さらにいけないのは、これだけの誤植を指摘されながら、開き直るというか何というか、全く修正しようとしない。青空の幹部に、誠意がないのと、国語力がないのとがよく出ている。2008.12.15 記
青空文庫が電子本として注目を集めているけれど、原作の味わいを損ねているところが多い。これはなにも青空文庫に限ったことではなく、新潮文庫、ちくま文庫、岩波文庫などにもいえることで、文庫本というのは、売るのが目的だから(営利出版の本はみなそうだが、特に)、原作を変えてしまうことが非常に多い。若者向け、一般向けといっても、これではかえって読書の楽しみを奪っているようなものだ。
そこで青空文庫のように、文庫本などの安直な本を底本にするのではなく、しっかりとした全集で、できるだけ原作に近いものを電子化したい。なにも学術的ということではなく、読書の趣味を満喫させるためである。青空文庫では飽き足りない人が必ずいると思う。
初心者として青空文庫を読んで卒業した方、是非あほづら文庫に挑戦してほしい。現在「虞美人草」のはじめまで修正が終わっている。なおそれ以前に終わったものも微修正が施されている。
具体的に漱石で青空文庫のおかしなところを言おう。
1,新潮文庫などもそうだが、会話文の初めを一マスあけていない。これはおかしい。最近そういう書き方がはやるのかもしれないが、会話というのは本来、一つの段落に相当するものだろう。だったら、一マスあけるべきで、全集ではそうなっている。青空文庫では底本で一マスあいているものまで、一律に一マスあけないようにしている。これがおかしい。底本に準拠といいながら、青空文庫のテキストになっている。別にそれで悪いというのではないが、底本に忠実などという宣伝はあきらかに虚偽だと思う。
2、青空文庫のおかしなものとしては、ケがある。これを底本の表記に関わりなく、すべてヶで統一している。これも会話文の一マスあけと同じことで、底本を著しく変えてしまっている。(2005.11.2)
3,文法的な知識がないために、単語認定が極めて不安定で、誤読が大量にある。こういう誤読だらけのテキストでは、とうていまともに読めない。そもそも文章を読む訓練を受けていない人が、こんな仕事をすること自体が噴飯ものである。文法を知らないと言うことでは、青空文庫の工作員に高柳なんとかという人物がいるが、畳字を「たたみじ」と読んでいる。馬鹿じゃないかといいたい。広辞苑か新明解でものぞいたらいいのに、そんな基本的なことすら出来ない。
これのいい例を「坊つちやん」からすこしだしてみよう。青空の底本はちくま文庫だそうだ。坊ちゃんにならってべらんめちょうでいく。
○双方合併《そうほうがっぺい》したのか→こんなふざけた言葉があるもんか。「そうほうがっぺい」たあなんのことだ。馬鹿にするな。
○剛情張《ごうじょうっぱ》りだと→これは筑摩が悪いんだろうが、岩波の全集では「ごうじょっぱり」とある。それが当然だ。ちくまなんてなんにもわかっていやしねえ。それをまにうける青空も馬鹿だよ。
○もう大概揃《たいがいそろ》って→これは一つ目と同じだが、なんちゅうふりがなだ。日本語ってものがわかってねえ。馬鹿野郎。
○どうかお着席をと云うから→これは岩波全集では「御着席」とある。だったら「ごちゃくせき」じゃねえか。ちくまなんて最低だぜ。それを真に受ける、青空も最低だ。
○向側《むかいがわ》に坐っていた→これは岩波では「むかふがは」とふりがながある。だったら「むこうがわ」じゃねえか。だいたい漱石が「むかいがわ」なんていうか。なんにもわかっていやしねえ。
○座敷の端《はし》の末座まで行って→岩波では「はじ」とある。おれは関西人だから「はじ」なんてよみは、恥ずかしくって口に出せねえが、漱石はそういってるんだからしかたがねえじゃねえか。勝手に原作をかえるなってんだ。そのほか「てにをは」を勝手に変えたところがいっぱいある。ちくまには出版社の良心ってえものがあるのか。
ちょっと10頁ほどみてもこのていたらくだ。これに類したことはあまりにも多すぎて、一々出せねえ。それにはっきりした誤植もかなりある。青空文庫なんて最低のテキストだ。そんなもの読んで読んだ気になる読者がかわいそうというもんだ。それから単語認定の出来ないところから来る「ふりがな間違いは」門田のお家芸かと思ったら、ほかのにもいっぱいある。実は青空文庫のお家芸だったんだ。最低だぜ。
○「坊つちやん」なんて何十年ぶりかで読んだが、実際漫画みたいな小説だ。そこで強く感じたことは、徹底的に悪役にされている、赤シャツが実に、青空の富田倫生にそっくりということだ。芝野は狸で、小林とかは野だだな。おれは坊つちやんというところだが(というよりうらなり君に近い)、もちろん喧嘩も暴力も嫌いで、そんなにかっこいいものではない。心意気だけ。
○それから小説とはいいながら、なんであんなに松山のことを、田舎田舎ってこきおろすんだろう。いやになってきた。だったら松山の向かいの広島も大田舎だ。それはともかく、そんなに漱石に馬鹿にされているのに、松山では坊つちやんを観光の売りにしている。今も、道後温泉駅の前では、坊つちやんの格好をした観光業者が、写真に収まったりしているだろう。ホテルではマドンナのような格好をした従業員がいるだろう。しかしマドンナなんて小説の中ではほとんど活動しない。ただうらなり君をこけにして、赤シャツに鞍替えしたおきゃんな女としてちょっと出るだけ。
○今、草枕が終わりそうなので、そこから、青空に蔓延している、誤読を指摘してみよう。
竹影《ちくえい》払階《かいをはらって》塵不動《ちりうごかず》と明らかに読まれる。
これは漢詩の一節である。ところが入力者はこれを散文のように読んでいる。漢詩の鑑賞というものが何もわかっていない。こういうものを見過ごしている青空の最終責任者も何もわかっていない。まったく最低だ。これは当然つぎのようになる。
竹影払階塵不動《ちくえいかいをはらってちりうごかず》と明らかに読まれる。
草枕にはしばしば漢詩が出る。ほかにもこういうのはたくさんある。おおかたみな間違っている。漱石だけではない。青空全体がこうなのだ。いかに青空というのが程度の低い、教養のない奴らの集まりかということがわかるだろう。こんな団体をれっきとした有名国立大学法人のしかも国語国文学科の教授が支持しているのだ。世も末だな。
○※[#「王へん+路」、第3水準1-88-29]
いうまでもなくこれは、青空の外字の注記である。なんでいちいちこんな長ったらしい注記が入るんだ。読書の興が殺がれることいちじるしい。第3水準であろうと、第2水準であろうと、全然関係ないじゃないか。読者はだいたいの字形がわかり漢和辞典で調べられるぐらいでいいのだ。いちいちJISにまで溯って調べる馬鹿がいるか。まったく必要性の感じられない注記だ。こういうのをひとりよがりの、潔癖性という。しょせんデジタルは紙の本と違って、そうとう原文の正確な再現をぎせいにしなくてはならんのだ。外字の注記だけうるさいまでに正確な再現を試みて何になるのだ。しかも正確と言ってもJISの本をみなければならんのだ。これはもうあの狸親父、芝野の欠陥商品的な、最低のJIS漢字字典の安っぽい宣伝としか思えないのだ。
私なら※[王+路]ですむ。あとは漢和辞典で調べればいいのだ。このての疑似潔癖は青空のいたるところにある。それでいて、傍点注記などは、先の漢詩と同じで、切るべきとろでないところで切ったりしているのだ。どう考えても馬鹿のやることだ。
(以下続く。青空の程度の低さは、幾らでも出てくる。)
2006.1.12 色々仕事が多く続きを書く閑がない。そこで青空文庫の最近の文章を批判する。
この作品を含む以下の26作品は、「旅人の言」(聚英閣、1924(大正13)年7月発行)が初収録単行本である。他には以下の作品が収録されている。(門田裕志)
これは今日公開された作品の解説である。この門田という人物の文法力のひくさはこれでよくわかるであろう。まるで中学生並みである。〜はを受ける部分が間違っている。〜は単行本である、というのでは、作品そのものが、そのまま単行本ということになる。そんな馬鹿な話はない。親切ついでに添削すると、
この作品を含む以下の26作品が初収録されたのは、単行本「旅人の言」(聚英閣、1924(大正13)年7月発行)である。
この作品を含む以下の26作品は、単行本「旅人の言」(聚英閣、1924(大正13)年7月発行)に初収録された。
このどっちかを選べばいいだろう。だいたい頭脳が混濁しているから、言いたいことが整理されていない。知能の低さを物語っている。
2006.1.21 青空には次のような項目がある。
これで見ると、7編も作業中で、中には万葉集新釈という長篇もある。なかなか青空もやるなと思いきや、リンクをたどると、3年近く前に入力取り消しとなっている。だったら作業中ではないではないか。それを抹消する手間も惜しいのだろうか。あきらかにこれは詐欺である。ちょうどあのライブドアーの堀江とか言うのと同じ。インターネットの世界にはこういうまがい物が大変多いと言うこと。青空などはその典型的なものである。なお作業中とあっても相当以前に入力取り消しとなっているものはほかにもいろいろある。つまり青空には大量の作品があり、さらに大量の作品が入力進行中であるように水増しして見せかける、バブルそのもののインチキ文庫である。かれらには誠意というもののかけらもない。
ついでに島木赤彦を見ると、公開作品は一つもなく、作業中8編のうち4編は取り消しで、残る4つの入力中というのはもう6年近く放置されている。つまり全然やる気がないということ。入力者の大野晋(あの有名な学者ではない)というのも相当ないかれころである。関東炊《かんとだ》きの煮くずれた大根のようなやつだ。つまり青空では島木赤彦の作品など公開されることはまずない。にもかかわらず、入力中の作家のリストに入っているのだ。これまた詐欺である。
最近公開される青空の程度の低いこと。まるで新聞の雑文じゃないか。短い雑文しか読む気力のないひとが青空には多いのね。門田というのはその典型。門田は関東炊きでいうとなんだろう。鯨のコロ、そうまさしく「くじらのころ」ですな。
2006年3月10日(金)久しぶりにちょっと暇が出来た。今日公開の
作品名: | 灰だらけ姫 |
作品名読み: | サンドリヨン |
これは何だろう。「灰だらけ姫」を「サンドリヨン」と読むそうだ。まるでトリックです。いくらこれを入力した大久保ゆうとゆうひとが、童話やおとぎ話が好きだといっても、あまりに幼稚すぎるというか、人を馬鹿にしていませんか。そしてこんなものを平気で公開する、富田倫生も同類です。灰だらけ姫→サンドリヨン、まさしく無媒介であり、独りよがりであります。青空文庫は、ひとりよがりの人間の集まりなのです。いわゆるおたくです。なおこの作品名の読みというらんには訳のわからないものがいっぱいあります。いちいち挙げるのがわずらしいほどあります。何年も前からそうです。間違っていると指摘されても気づかない人達なのです。ところでさいごまでスクロール(といっても大変短いのですぐです)すると、サンドリヨンというのは原作の題名にあるふりがなだそうです。昔の本にはよくあるやつですね。いわゆる文選読みというやつ。だからです。青空が「作品名読み」という項目を作ってもその日本語を全く理解していないのです。日本語音痴です。これは
作品名:灰だらけ姫(サンドリヨン) 作品名の読み:はいだらけひめ(さんどりよん)
とでもすればよいのです。こんな簡単なことも彼等は知らないのです。まったく無知ですね。つまり彼等は読書というものを本格的にやっていないのです。漫画程度のレベルなのです。
ところでこう親切に教えてやっても彼等は絶対に間違いを認めません。これまた青空が程度の低い集団である証拠です。
今日は昨日とうってかわって春の陽気。そこでまたまた青空散歩しますと、いつものようにひどいのが見つかりました。
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今日はいい天気だ。一日快晴、これを青空という。そこで青空を見る。以前うるさく言っていた、田中の「懸尹」の誤植はどうなったかとおもって調べてみたら、ちゃんと「県(縣)尹」になっていた。確実な証拠を添えて報告したのだから、訂正するのは当たり前だが、これだけのことをするのに、なぜあれほど、うじうじと私の提案を無視しようとしたのだろう。そして修正しながら、提案者の私には一言の挨拶も礼もない。つまりやらずぶったくりというやつだ。あつかましいにもほどがある。ついでに茂吉の「死けれる」を見たら、ちゃんと「死れける」になっている。これも絶対間違いのない証拠を添えて報告したのだから直すのが当然だ。ところがこれまた、報告者の私には何の挨拶もない。これで青空というのがまさしく山賊集団で、誠意も礼儀もへったくれもない、最低のやつらだということがわかるだろう。かれらは人間ではない。 2006年3月20日