バイバイ |
2006年4月18日 |
犬猫屋敷の管理人日記を止めることにした。
なんでや? と思われるかもしれないが、まあなんと言うこともない、いつもの通り単なる管理人の気まぐれである。
1年7ヶ月前のきょう、姫が我が家にやってきた。思えば、犬猫屋敷の管理人日記という形で、成犬が新しい家に馴染んでいく姿を公開しようと思い立ったのも、単なる管理人の気まぐれだった。姫が我が家に馴染んでいく姿をおもしろおかしく書き残していくことで、少しでも成犬譲渡を希望する人が増えてくれればという思いから管理人はこの日記を書き始めた。
途中いろいろあったが、とりあえず姫はすっかり我が家の一員となり、てんやわんやの大騒ぎを繰りかえしながらも、成犬だって立派に新しい家に馴染めるのだということはじゅうぶん伝えられたかなと思い、そろそろこの日記に終止符を打つのもいいだろうと考えたのだ。
じつは半年ほど前、ある事件がきっかけでサイトを閉じようと心に決めた。それからずっと止め時を模索していたのだが、あれこれあって、あともう少し、あともう少しと気がつけば半年が経っていた。
正直、ここまで多くの人に読んでもらえるサイトに成長するとは思ってもいなかったし、犬猫屋敷が思いの外大きくなってしまったせいで、さまざまな軋轢も生まれてしまった。管理人個人の単なる戯言が戯言では済まされなくなった時点で、犬猫屋敷は管理人の当初の思惑とはちがう方向に進んでいってしまったのかもしれない。
これだけ長く続けてきたのだから、止めるとなったら寂しくなるだろうと思っていたが、正直こうして最後の記事を書いているいまはすがすがしい気分だ。ようやく肩の荷が下りた、そんな気さえしている。
時間は誰にでも平等だ。1日24時間をどんな風に使っていくかと考えたとき、日々やらねばならぬことに優先順位をつけざるをえなくなる。貧乏人の犬だくさんである管理人は、むろん必死で働かなければ食べていけない身だし、まだまだ勉強すべきことも多く、なおかつ問題だらけのデカ犬トリオにこれからもいろいろ教えていかなければならない。それだけに全人生を捧げるようなストイックな人間ならばいいのだが、まだまだ煩悩だらけの管理人としては、映画も見たいし好きな本も読みたい。たまには友だちと美味しいものも食べに行きたいし、やりたいことは山ほどある。
有名な犬の十戒にこんな一節がある。
You have your work, your friends, and your
entertainment. I ONLY HAVE YOU!
(あなたには仕事もあるし、友だちもいるし、他に楽しみはあるけれど、ボクにはあなたしかいないんだよ)
「毎日の日記、楽しみにしています」
「犬猫屋敷のファンです」
そんな風にいってくださるお客さまがいてくれることは嬉しい限りだが、おそらく犬猫屋敷の管理人の一番熱狂的なファンは、誰あろううちのデカ犬トリオなのだ。
犬の寿命は哀しくなるほど短い。すでに老犬の域に入ったツチノコ兄弟と一緒にいられるのは、長くてあと5年かそこらだろうし、心臓に持病を抱える姫にいたっては、明日別れの日が来るかもしれない。
できる限りの時間を、犬たちと一緒に楽しく過ごしていきたいな。
ツチノコ兄弟が7歳の誕生日を迎えた直後くらいから、管理人はずっとそのことばかり考えている。
サイト運営は、もういいかな……これが正直な管理人のいまの気持ちだ。
一期一会という言葉がある。
たまたまネット上を徘徊していて、または知りあいの誰かから紹介されたから、どこかのリンクから飛んできてみたら、そんなひょんなことがきっかけで犬猫屋敷に立ちよってくださった皆さんの心に何かを残せたのであれば管理人はそれだけで本望だ。いままで疑問を持ちもしなかったあたりまえのことについて、考えるきっかけになれたのならば、それだけも犬猫屋敷を続けてきた甲斐はあったと思っている。
犬を飼うのは楽ではない。だが、楽しみ方さえ知っていればどんな人でも犬との生活を楽しむことはできるはずだ。愛犬と楽しく暮らしていくための方法はしつけの本やトレーニングに関するサイトに書いてあるのではなく、ましてや他人が教えてくれるものでもない。ヒントはあちらこちらにあるとしても、正解は目の前にいる毛むくじゃらの家族が教えてくれるものなのだ。どんな飼い方が自分と愛犬にとってベストなのか、すべての飼い主さんが日々勉強し、精進し、愛犬を観察することで、彼らが伝えようとしているメッセージをきちんと理解してくれることを願うばかりだ。
パピーはたしかに可愛いが、楽しみ方さえ知っていれば、成犬との暮らしだって退屈なものではないはずだ。いくつになっても犬は新しいことを吸収していく。一緒に楽しみながら成長することを知っている飼い主ならば、成犬との暮らしもまんざら捨てたものではない。
最後になったが、リンクを貼ってくださった皆さん、全員のところにお礼に伺えなくてすみません。長い間ありがとうございました。
そしてこんな管理人の戯言に毎日おつきあいくださった読者の皆さん、ほんとうに、ほんとうにいろいろありがとうございました。こんなに長い間書き続けることができたのも、皆さんの応援があったおかげです、ホント!
日本中の犬たちがしっぽをブンブン振りながら、みんな幸せになれますように……
そしてすべての飼い主が犬との暮らしを心から楽しめるような時代になりますように……
さようなら
犬猫屋敷の管理人 |
お勉強しましょ!〜その12〜吠え癖 |
2006年4月17日 |
お勉強しましょ!〜その12〜吠え癖
最初に言っておくが、先日の咬み癖と同じで、犬に「吠える」ことを完全に止めさせることはできない。「吠える」という行為は犬にとってコミュニケーションの手段である。犬に一切「吠えるな」ということは、人間に一生口をきくなというようなものだ。
まったく「吠えない」犬を望む人は、最初からAIBOを買えばいいだろう。どんな犬でも「吠える」ということは、犬を飼う以上覚えておかなくてはいけないことだ。
「吠え癖」がある、また「無駄吠えをする」といわれる犬の場合、たいていは、飼い主が犬の吠える理由を理解していない。だから犬が「吠えてしまう」環境を回避することができないのだ。ちなみに人間はいくらでも「無駄話」ができるが「無駄吠え」をする犬などこの世には存在しない。
犬は必ず理由があって吠えている。これも犬を飼う以上必ず覚えておかなくてはならないことだ。
犬が吠える理由は、警戒、恐怖、要求、興奮のどれかだ。たとえば誰かが門を開けて入ってきた音で犬が吠えるのは、自分のテリトリーに誰かが入ってきたという警戒の意味だ。臆病な犬だと、それが途中で恐怖に変わる。人間が大好きで、客が来ると大騒ぎする犬の場合はそれが途中から興奮の吠え声に変わる。つなぎっぱなしでろくに散歩に連れて行ってもらえない犬が吠えるのは要求とストレスの発散のためだ。お留守番のときに犬が吠えるのは、ひとりぼっちになる恐怖のためと、飼い主に戻ってきて欲しいという要求のためだ。
犬が一声も発してはいけない、という環境で犬を飼うことはまちがっている、と管理人は思う。だが、のべつまくなしに犬に吠えさせる飼い主も問題だ。犬をぜったい「吠えない」ようにすることは不可能だが、吠える回数を極端に少なくする、もしくは吠えてもすぐに止めさせることは可能だ。
犬に吠えさせないためには、まず環境作りが必要だ。そのためには、どんな理由で犬が吠えているのかを見極めなければならない。たとえば、臆病で新しいものに対してまず恐怖感を感じるような犬を、いきなり表通りに面した場所につないでおくのは刺激が強すぎる。まずは人通りの少ないところにつなぎ、新しいものに慣れさせるトレーニングは、飼い主が一緒にいて不安にさせない環境下でやることが大切だ。逆に興奮体質の犬に対しては、飼い主のコマンドでスイッチのオン、オフを使い分けるトレーニングが必要だろう。
管理人が最近やっているのは、犬1頭ずつと思いっきり遊んでやって、興奮の絶頂に来たところで「スワレ」「フセ」などのコマンドでいったんクールダウンさせる訓練だ。ツチノコ兄弟がハイパーな子犬だったころには難儀したこの訓練もようやく最近はきちんとできるようになった。「スワレ」「フセ」などのコマンドに従ったあとにはまた楽しい遊びの続きが待っている。これをきちんと理解させれば、犬はどんなときでもコマンドに従うようになる。
ちなみに、どうしても吠えるのを止められない犬に関しては「フセ」をさせるのが有効だ。座った状態ならば、犬はいくらでも吠えることができる。だが「フセ」の状態で吠えられる犬はめったにいない。じつに単純な話なのだが、ちはりんさんにそれを教えられたときには目から鱗が落ちる思いだった。おそらくこの方法はかなり多くの犬に使えるはずだ。ただしなかにはフセをしてでも吠えまくる犬はいる。うちにも1頭いるのだが、姫はフセをしようが逆立ちしようが吠えるとなったら吠えまくる。
大絶叫の名手、我が家の姫さまに吠えるのを止めさせる訓練はこれまでも日記で折々書いてきたが、管理人がまず最初にやったのは、吠える理由を分析することだった。犬の吠え方には種類がある。鳴き声によく耳を澄ませていれば、それが警戒吠えなのか、恐怖吠えなのか、要求吠えなのか、または興奮吠えなのかはすぐに聞き分けられるようになる。警戒吠えが続くことはあまりない。たいていはそこから恐怖または興奮に切り替わる。恐怖吠えをさせないために、管理人は姫が怖がらない環境を作ってやった。具体的には、隣の公園に子どもが来る時間帯は窓を閉め切って子どもの声をできる限り遮断したのである。同時に、どれほど子どもが隣の公園で騒いでも、決して我が家の敷地内には入ってこない。だからここにいれば安全なのだということを時間をかけて教えていった。
姫の吠え声で一番困ったのが興奮したときの絶叫である。これは未だに完全に止めさせることはできないのだが、吠え始めたら呼んで、黙ったことに対して報酬を与えることで、少なくとも「お静かに」と言われれば吠えるのを止めるところまでは持って来られた。
「吠える」ことに気を遣うような住環境に住む家庭では、犬種選びが何より重要なのではないかと、管理人は考えている。たとえば、小さいというだけの理由でビーグルやジャックラッセルテリアを集合住宅で飼うのはあまり感心しない。ビーグルというのは、遠くまで声が届くようにわざわざあの特有の吠え声に改良された犬種なのだ。姫が興奮したとき吠えるのも、ビーグルやフォックスハウンドなどのあの系統の犬種が狩りに出かける前に上げる「ときの声」がDNAに刻まれているせいだ。ほかにも吠える犬種といえばシェルティーなどがいる。むろん、訓練によってかなりの部分は抑制できるのだが、わざわざ苦労を背負い込むこともないような気がする。
犬を見た目やサイズだけで選ぶのは、とても危険なことなのだ。むろん個体差があるので、犬種だけで特定はできないが、純血種を選ぶ場合には、親が判っているきちんとしたブリーダーで「吠えない」犬から生まれたコを買うのが何より安全な方法だろう。
「吠える」ことを止めさせるには、黙った瞬間にすかさず報酬を与え、「吠えなければいいことが起こる」ということを犬に学習させなくてはならない。そして同時に「吠えていないとき」にも報酬を与える。これを繰りかえすことで吠えない犬を育てることができるのだ。
犬の「吠え声」の問題は、じつは人間関係の問題であることが多い。近所から苦情が来る理由は、じっさいの犬の吠え声よりも、近所に対する心遣いに問題があるせいなのだ。犬を飼うと決めたなら、まずは近所に菓子折でも持って挨拶にいくべきだ。とくにビーグルなどの声の大きな犬種を飼うつもりなら、特大の菓子折が必要だ。そこで挨拶に行って、こんど犬を飼うことになったが、きちんとトレーニングをするまでは鳴き声などで迷惑をかけるかもしれないということをきちんと伝えておくべきなのだ。また道で会ったときには「いつもうるさくてすみません」と全然吠えない犬であっても遜って謝っておくのが得策だ。そうやっておけば、多少のことでは怒鳴り込んでくる人もいないだろう。
吠え癖のなかには、わざわざ飼い主がつけてしまうものもある。要求吠えと呼ばれるものがそれだ。たとえば散歩に行きたい、餌が欲しいと吠えて知らせることを犬が学習してしまうと、もともと吠えない犬が吠え癖のある犬に変身してしまう。
ちなみに我が家のトリオは要求吠えを一切しない。なぜなら、管理人と暮らしているうちに「この飼い主は吠えても何もしてくれない」ということに、彼ら自身が気づいたからだ。犬というのは報酬がなければ無駄なことはしないものだ。だから要求吠えをなおすには吠えることに報酬を与えなければいいのである。犬猫屋敷では吠えたらそのあとに良いことは何も起こらない。我が家に着たばかりのとき、姫は朝になると「散歩に行きたい」という要求吠えを繰りかえしていた。姫が吠えているあいだは、管理人はたとえ目が覚めてもいても寝たふりを続け、姫が黙ったら起きるということを繰りかえしたところ、やがて姫は朝の要求吠えをしなくなった。管理人が散歩のしたくをしているとき、犬たちが興奮して吠えたら、その場で散歩のしたくは中止になる。犬がおとなしくなるまで散歩は延期されるのだ。食餌前の興奮吠えに関しても同じである。餌を見て姫が興奮して吠えたら、食餌の準備はその場で中止。姫がおとなしくなるまでは餌は決して与えられない。
吠えれば飼い主が思い通りに動いてくれるとわかれば、どんな犬でも要求吠えをするようになる。逆に吠えると良いことが起こらないと学習させれば、吠えない犬を育てることができる。要求吠えを一切しないデカ犬トリオは、管理人に何かを伝えたいときは訴えかけるような目で管理人を見る。それが何を伝えたいのか、的確に把握して必要ならば希望を叶えてやることも要求吠えをさせないためには必要だ。
先日、仕事が忙しくてついうっかり犬用の水入れの補充を忘れたときのこと、空になった水入れの前で悲しそうにこちらを見つめるカイザーの顔を見たとき、管理人は深く深く反省した。どうしても急な用事の時は、声かけてくれてもいいんだよ。だが、要求吠えはオールオアナッシングだ。だから、吠えない犬にしようと思ったら、いつも犬たちが何を伝えたいのかに気づいてやれる飼い主でいなくてはならないのである。 |
慣れ |
2006年4月16日 |
管理人が最近読んだ本は、舞台設定が1958年のアメリカで、とうぜんのことながら、その時代、携帯電話などというものはまだ存在しなかった。
主人公が時間との勝負でアメリカじゅうを駆け回って謎解きをしていくという内容なのだが、現代であれば携帯ひとつで連絡がとれるところを、いちいち電話を探して走りまわり、ときには行き違いや手遅れということが起こるのだ。舞台が半世紀ほど前の話なのだと自分に言いきかせながら読み続けたのだが、それでもイライラすることが何度もあった。
人間というのは不思議なもので、便利さに慣れてしまうと不便な状況にストレスを感じる。たとえば、管理人が子どものころはクーラーなんてものは一般庶民にとっては高嶺の花だった。いまでこそ個人宅でも各部屋にクーラーがついているし、電車もバスも冷暖房完備があたりまえだが、以前は、夏といえば電車やバスに乗ったら汗だくになるのはあたりまえだった。むかしは、それがふつうだと思っていたが、いま夏場にクーラーのついていない電車などに乗り合わせたら自分の不運を呪ってしまう。
じつは犬のしつけも同じである。きちんとトレーニングしているコマンドの入った犬に慣れてしまうと犬が指示に従って動かないなどという状況は考えられなくなる。ものぐさな管理人が素人の下手なトレーニングで入れたコマンドとはいえ、犬猫屋敷のデカ犬トリオは少なくとも最低限のコマンドだけはいちおう入っている。マテといえばその場で座って待っていられるし、呼べば嬉しそうにしっぽ振り振り飛んでくる。管理人にとってはそれが「犬」というものなので、そうでない犬がある日とつぜん我が家にやってきたら、なんの疑いも持たずに最低限のコマンドは入れてやらないと、と思うのだ。
間借りなりにも犬をしつけして飼っている飼い主にとって、いうことを聞かない犬を飼うのは大変なストレスになる。だから、いったん犬にしつけをすることを覚えてしまった飼い主は、いわれるまでもなく、新しい犬が来たらその犬と楽しく暮らしていくために最低限のトレーニングはしようと思うものなのだ。
逆にしつけが入った犬と一緒に暮らす楽さや楽しさを知らない飼い主は、いつまで経っても最初の一歩が踏みだせずに終わってしまう。そういう人は、何頭犬を飼ってもいつも問題行動に悩まされてしまうのだ。
犬をなぜしつけて飼わなくてはならないか?
愛犬とのコミュニケーションをとるため。犬の作業意欲を満足させるため。犬の学習意欲を満足させるため。人から見てかっこいいと思われたいから。
理由は飼い主によってまちまちだろうが、管理人が我が家のトリオをしつける理由は、自分が楽をしたいからだ。管理人がぞうきんをとりに行っているあいだに玄関先を泥だらけにされないために、散歩から帰ってきたら足を拭くまではマテの姿勢で三和土で待つように教えた。お出かけ用の一張羅を汚されないために、飛びついてはいけないということを教えた。犬の粗相したあとを掃除するのがめんどうなので、トイレは決まったところでするように教え、一日中吠えられるとうるさいで要求吠えはしても意味がないと教え、散歩のたびに引きずられると腰が痛くなるのでツイテのコマンドで横について歩くことを教えたのだ。
呼べば戻ってくる犬を飼うことに慣れてしまうと、犬を回収しに出向いていくのがめんどうになる。だから、うちに来た犬は、まず呼んだら戻ってくるように教育される。
慣れてしまうとトレーニングをすることがあたりまえになっていく。トレーニングは、管理人にとって犬を飼うことにもれなくついてくる全プレみたいなものだからだ。
人は便利さに慣れてしまうと不便な状況にストレスを感じるようになる。しつけの入った犬と暮らす便利さや楽しさを知っている飼い主が増えていけば、犬をしつけて飼うことがあたりまえの時代もきっといつかやってくるのだろう。 |
忍耐力 |
2006年4月15日 |
管理人は自他とも認めるダメ飼い主で、そのうえダメ飼い主歴も長いのでなぜ自分がいつまで経ってもトレーニングが下手なのかきちんとその問題点がわかっていたりする。
以前、多くの一般飼い主がはまる落とし穴の話を書いたときに継続的な動作をさせるコマンドについて論じたが、典型的な一般飼い主である管理人がとにかく下手なのが、この「犬に継続的な動作をさせる」ということなのだ。犬に継続的な動作をさせるためには、犬自身の忍耐力が必要だ。たとえば正しい「マテ」のコマンドに従うためには、「ヨシ」という解除のコマンドが出るまでじっとその場で動かずに待っていなくてはならない。だが、忍耐力が必要なのはじつは犬だけではなく、飼い主にもまた忍耐力が必要になってくるのである。
犬に忍耐力をつけるトレーニング方法というのはいろいろあるのだが、果たして飼い主に忍耐力をつけるトレーニング方法っていうのはあるのだろうか?
たとえば、腹が立つことに姫のツケのトレーニングの成功は、じつは妹の手柄なのだ。レバーを片手に姫に横について歩くといいことがあるというところまでは管理人が教えたのだが、その後ずっとその状態で歩き続けるともっともっといいことがあると教えたのはじつは妹なのだ。
現在、最難関のカイザーのツケのトレーニングを集中的にやっているのだが、妹に言わせると管理人はまだまだ甘いのだそうだ。
カイザーはむろんさんざんツケのトレーニングを続けているので、ご褒美を見せたままで歩いていればある程度の距離なら真横にぴたっとついて歩くことができる。ただ「なぁ〜んだ、けっきょくくれないんじゃん、じゃあもういいよ!」となる瞬間があって、それまでの時間を延ばすことがいまの課題になっているわけだが、妹の意見では、管理人は安易に褒美をやりすぎるのだそうだ。
「だってさ、一生懸命こっちを見上げてて、あの目を見たら可哀想で思わずご褒美やりたくなっちゃうじゃん!」
「だから、あんたはいつまで経ってもダメなのよ。ほら、こんどは次の角までご褒美やらずに行けるかやってみな!」
「えぇっえぇぇ〜あんな遠くまでなんて無理。せめて、その途中の電柱のとこまでじゃダメ?」
「ダメ! 次はあの角まで頑張りなさい」
「はい、わかりました」(管理人肩を落とす)
犬のトレーニングに一番必要なのは飼い主の忍耐力だ。これはやってはいけない、逆効果だとわかっていてもついついよけいなことをやるのが一般飼い主が次にはまる落とし穴なのだ。
たとえば、ほんとうにコマンドをきちんと入れたいと思ったら、多頭飼いであってもコマンドを発したときはその対象となる個体以外には褒美をやってはならない。たとえばDJに対して「フセ」のコマンドを出したなら、そのコマンドに従った報酬を受けるのはDJだけになるはずだ。だが、多頭飼いの場合、DJに「フセ」と言った瞬間に「美味しいものが配られている!」と飛んできて、横で同じようにフセをしてみせる奴がいるものだ。フセだけならまだしも、褒めてもらえない、ご褒美がもらえない、何でだろうと考えて、頼んでもいなのにお手やらオスワリやら、知っている限りの芸を横でご披露しているカイザーを完全に無視することが管理人にはできないのだ。それができれば、おそらくダメな一般飼い主から高い志を持って最高峰に登り詰めるべく精進する優秀一般飼い主くらいまでは昇格できるのが判っていながら、ご褒美欲しさにあれこれやって見せているカイザーに思わず褒め言葉を口にしてしまうのだ。
はぁ〜またやっちゃったよ(涙)
うちのデカ犬トリオは幸いにも目を覆いたくなるような問題行動も起こさないし、きちっとコマンドを入れないと手に余るようなタイプの犬たちではない。そのせいで、なんとなくダラダラトレーニングを続けつつ失敗を繰りかえしながらも楽しく暮らしていけるのだが、ほんとうはこれじゃいけないんだよなということは身に染みて判っている。
判っちゃいるけど止められない。これがダメな一般飼い主がいつまで経ってもダメ飼い主から脱せない理由なのである。 |
贅沢 |
2006年4月14日 |
姫がガリガリに痩せて放浪していたところを保護されたのは、2年前の5月18日である。その後半年して、姫は犬猫屋敷にやってきた。うちに来たころは、ようやく身体ももとの状態(がどうだったのかは知らないが)に戻り、見た目にはふつうの犬と変わらなかったが、異常なまでの食欲に管理人と家族は度肝を抜かれた。
与えられる餌はすべて3分以内に完食。それも噛まずに吸い込むので、姫の食餌中はゴォ〜という轟音が聞こえる。食べ物を見ただけで目の色が変わる。それが人間の食べ物であろうが何だろうが、口に入れられるものはすべてその場で吸い込む。当初は餌の皿を床に置くまで待たせるだけでも一騒動だった。
これは食べてはいけないといわれたものには一切口をつけず、餌だってお腹が一杯になれば残すようなツチノコ兄弟とずっと暮らしていた管理人にとってこれは新鮮な驚きだった。猫は餌を出しっぱなしにしておいても、必要以上には食べないが、犬はあったらあっただけ食べてしまう。以前そんな話を聞いたことがあるが、歴代の我が家の犬たちは決してそんなことはなかった。人間や猫と同じように食べたくなければ餌は残すし、とくに夏場暑いときや雨続きで散歩が短くなって運動不足になっているときは、わざわざ餌の量を調整するまでもなく、犬みずからが多すぎると判断すればちゃんとその分は残すのだ。
だが、姫の場合はほんとうに口に入るものならなんだって際限なく食べてしまう。以前ドライフードバイキング事件のときには、一晩じゅう上を下への大騒ぎで、姫に関しては食べる量の管理を徹底しなくては、と管理人は心に決めた。
ビーグルの満腹中枢はないに等しい。
世間一般ではこんな風にいわれているし、ましてや姫の場合は飢えて辛かったという記憶を持った犬なのだ。食べられるときに食べておこうと思ったとしてもそれはしかたがないことだ。
姫が犬猫屋敷の一員になって、早1年半あまりがすぎ、少しずつ飢えた記憶が薄れてきたせいか、最近になって、姫は食餌を残すことを覚えた。
いまでも基本的には2度の飯が何よりの楽しみで、食餌前には叫んではしゃいで大騒ぎなのだが、それでも待つということを覚え、ツチノコ兄弟がメニューによってはハンストを起こすのを見ながら、嫌いなものは残すなどという贅沢も覚えてしまった。
カロリーを控えて餌の嵩(かさ)を増やすためにドライフードに混ぜてやっている野菜だけをきれいに選りわけて食べている。
「姫、野菜ってあんまり好きじゃないのね」
「野菜もたんと食べなにゃいかんぜよ」
管理人はまるで都会に出て行った子どもの健康を気づかう母親のようになっている。
ここ数日、急に暖かくなったせいか、3頭ともすっかり食欲が落ちている。なんと姫までがメニューの選り好みをし始めた。
肉と野菜入りのスープかけご飯に関しては、あいかわらず轟音をたてて3分で完食し、ツチノコ兄弟が残したらすかさずそれも頂こうと虎視眈臓と狙っているのだが、暑い中、パサパサしたドライフードを食べるのはいまひとつ気が進まないらしい。だから、ドライフードに細かく切ったジャーキーや煮干しなどをふりかけ状にして混ぜてやるだけのメニューのときは、食餌にとても時間がかかる。
いつもの轟音の代わりにぽつんぽつんと妙な音がするので、何をやっているのかと覗いてみたら、姫はいらないドライフードを皿の周りに散らかして、ふりかけ部分だけをせっせと選んで食べていた。
肉だけ拾うな、肉だけ(涙)
それでも、こんな贅沢ができるようになったのも、姫が「この家にいれば大丈夫。一生食いっぱぐれることはない」と信用してくれるようになったせいなのだろうかと思うと少しばかり嬉しい気もしてしまう。
でもまあ、お行儀が悪いことはたしかなので、直していかないといけないね。またひとつやるべきことが増えてしまって、深くため息をつく管理人だ。
姫はやっぱり肉が好き |
正統派コマンドの強み |
2006年4月13日 |
ディズニーがリメークした「南極物語」が公開中という話を数日前のテレビでやっていた。管理人は置いていかれた犬が不憫でたまらないので、おそらく観に行くことはないのだが、ほっほぉ〜と思ったのが、映画の主役である8頭の犬たちの多くが、シェルターから救出された犬たちだというエピソードだった。この映画のために引き出されたのかどうかは知らないが、いわゆるタレント犬としてパピーのころから訓練された犬ではなく、成犬になってからのトレーニングでもじゅうぶんこういう場で通用する犬を育てられるのだというよい証明だといえるかもしれない。同時にいまだにパピートレーニング主体の日本の現状と比べて、成犬トレーニングのノウハウがきちんと確立しているアメリカの状況を羨ましいと思う管理人だ。
以前の記事でコマンドを入れるのは、同じ外国語を学ぶなら英語を学ぶのが効率がいいというのと同じようなものだと書いたのだが、たまたま「南極物語」の撮影秘話を観ていて、なるほどなと感心した。ひとつひとつの動作に独立したコマンドを割り当てて教えることで、のちほどそれを組み合わせると犬にさまざまな一連の動作をさせることができるようになるというコマンドの強みをあらためて目の当たりにしたからだ。
たとえば、映画のなかで穴に落ちた主人公を犬が助け出すというシーンがあって、犬は穴のそばに駆けより、そこに落ちていた綱をくわえ、それを引っぱって主人公を穴から引き上げるという動作をするのだが、この一連の動作をひとつのコマンドでやらせようと思ったら、数ヶ月のトレーニング期間が必要になる。ついでに言えば何ヶ月もかかって教えたコマンドも、穴があってそこに人が落ちているというめったにないシチュエーションでなければ使えない。いわば労多くして功少なしという状況になるわけだが、(あるポイントに)行く(カム)、落ちているものを拾う(ピックアップ)、綱を引く(プル)という3つの独立したコマンドが入っている犬ならば、その3つのコマンドを組み合わせることで同じ動作をさせることができるのだ。
だからどうせ同じ時間を使うのならば、動作を分解したいわゆる正統派のコマンドを入れるのがもっとも効率がよく、賢い方法なのだ。
とはいえ、スワレ、マテなどの正統派のコマンドが入れられなければ決して犬は飼えないというわけでもなし、やりたい人は10年に一度あるかないかのシチュエーションでしか使えないオリジナルコマンドを入れるのもよし、管理人のように我が家でしか使えない「お風呂場」などの超自己流コマンドを入れるのだって、管理人に言わせればアリなのである。
コマンドを入れる利点として、愛犬とのコミュニケーション能力が高まるからと言う人は多いが、それより以前に、トレーニングをすることじたいが犬とのコミュニケーションの出発点だ。
妙なことを教えるのでもいいし、極端な話、最初は失敗してもいい。ただ、愛犬とともに学ぶ時間をとるだけでも見る見るうちに愛犬の表情が変わっていくし、それだけでも、だれが何と言おうと自分の犬が自分だけの大切な宝物になっていくものなのだ。 |
ハイル・ヒットラー?! |
2006年4月12日 |
活字中毒の管理人が最近読み終わった大好きなジェフリー・ディーバーの本は、現代のアメリカを舞台としたいつものリンカーンライムシリーズとは趣が異なり、第二次大戦の直前、ナチ政権下のドイツが舞台となっていて、当時の人々の暮らしがよく描かれている。とうぜんのことだが、すべてのドイツ国民がユダヤ人を迫害し、ヒットラーのやり方に賛同していたわけではない。ただ、大多数の意見に異を唱えることがはばかられる空気が次第に高まってきて、やがて国ぜんたいが戦争へと突き進んでいったのだということがこの本を読んでいるとよく判る。
皮肉なことに、当時、ヒットラーは君主でもなく閣下でもなく「リーダー」と呼ばれていた。むろん、意に沿わないことをすればたちまち逮捕され投獄されるような社会ではヒットラーはまさに独裁者そのものである。にもかかわらず「リーダー」という呼び名に固執していたのがじつに妙な感じがした。
独裁者というのは、自分が独裁者であることを認めようとはしないものだ。周りにイエスマンだけを集めて反対意見を一切聞かなくなった時点で誰の目から見てもそれは独裁者そのものなのだが、なぜか独裁国家にかぎって、わざわざ選挙をして(むろん反対票を投じる者などいないので、結果は与党が100%で圧勝する)国民の意思だ、民主主義だといい張るものなのだ。ほんとうに思想の自由が保障された国で選挙結果が100%などということはありえないのだが、独裁者というのはいつもそういうところにこだわるものだ。
で、自称リーダーヒットラーが率いるドイツがその後どういう結末を迎えたかはむろん誰もが知っていることなのだが、管理人はこの独裁者とリーダーの関係を見ていて興味深いなと思ったのだ。
よくいるよね、自分はリーダーだって言い張っているヒットラーみたいな飼い主、ャ、ッ。チ。ハヘ鍰タ、キ、ソエ鬘ヒ
ちなみに、恥ずかしながら管理人自身も少し前まで立派なヒットラーだった。群のリーダーたる管理人に反抗するなど言語道断!そんな奴には目にもの見せてやる!
いま思うと無知で愚かだった自分に顔から火が出る思いだが、ツチノコ兄弟がパピーのときは、真剣にこれで正しいと信じていた。
だって、しつけの本を読んだところ
「犬に主導権を握らせてはなりません」
「犬がどんなときにでも命令に従うようにしつけなくてはいけません」
って書いてあったんだもの。ということは、犬たちを自分の意のままに操る独裁者になれってことだと単純な管理人は信じ込んでしまったわけだ。
1頭目の犬に何もしつけができなかったダメ飼い主としては、こんどこそ失敗したくないという一心で、しつけ本に書いてある通りのことをいちおうは一通り忠実にやってみたのだ。おかげで、世間の基準から見るとそうとうレベルが低いとはいえ、ツチノコ兄弟は、まあ日常生活には困らない程度の成犬には育ってくれたのだが、同じやり方で姫をしつけようとしたところ目も当てられないような惨状になってしまった。
これはおかしいぞ。何かがおかしい。
管理人は日本語のしつけサイトを巡り、それでもすっきりする答えが見つけられず、ついには英語のしつけサイト巡りを始め、同時にまだ日本語に翻訳されていないしつけ本も買い込んでいろいろ読んでみた。そしてようやくひとつの答えにたどり着いたのだ。
飼い主がリーダーにならなくちゃいけないんだ。独裁者とリーダーはちがうんだ。
日本の一般的な飼い主が最初に犯す失敗は、犬を甘やかしすぎてしまうところだ。パピーから飼うことが多いせいか、最初は可愛い可愛いで何もかも許してしまうために、犬をわがままに育ててしまう。その失敗を避けるためなのか日本語のしつけ本やしつけサイトの多くが厳しく育てることに重点をおいている。にもかかわらず褒めてしつける陽性強化トレーニングを推奨している点が管理人の目にはどこか矛盾しているように映った。
何かがちがう、何となくしっくりこない。
ずっとずっとそんな思いが頭の隅にあったのだ。
英語の資料を見ていたときに、ようやくそのちがいが判った。自分が犯した失敗の理由がはっきり見えてきたのである。
A reward is a chance to say, "Thanks
- I really like it when you do that!"
(褒美は『ありがとう! あなたがやってくれたことはとても嬉しいわ!』という感謝の気持ちを現す機会である)
"REWARDS, LURES & BRIBES"
Positive reinforcement (PR) training, such
as clicker trainers use, takes a different
view of the dog/handler relationship. The
handler becomes the leader rather than the
"master": the emphasis is placed
on rewards rather than threats, co-operation
instead of control.(クリッカートレーニングなどの陽性強化トレーニングを行う場合、犬と飼い主(ハンドラー)の関係を見直さなくてはなりません。飼い主は「主人」ではなく「リーダー」となり、「脅す」のではなく「報酬」を与えることに重点を置き、犬を操るのではなく犬の協力を得なければなりません)
Dog Training
最初「なんで?」と管理人は思った。犬が命令に従うのはあたりまえなのに、なんでお礼をいうのさ? 犬を操るのではなく協力を得る? どういいうこと?
だが、そこではたと気がついた。飼い主がリーダーになるという部分、リーダーとは何かという点に関して、管理人は大きな誤解をしていたのだ。
基本的には陽性強化でトレーニングしていくが、どうしてもいうことを聞かないときには無理矢理力ずくでもやらせるというのは独裁者の発想だ。自分のほうが強いのだからいうことを聞くべし、というのではヒットラーの恐怖政治と変わらない。なぜやりたくないのか、どうしたらやりたいと思わせられるのか。それを考えて工夫をしてこそ陽性強化トレーニングは生きてくる。
犬にやって欲しいことを的確に説明し(command)、犬がそれにそった行動をとったら(obey)、それに対して報酬を与える(reward)。これがリーダーのやるべきことだ。それに対して、犬に命令し(command)、犬がそれに従ったら(obey)、褒美をつかわす(reward)、やらないのなら罰を与えるというのがヒットラー方式だ。
リーダーというのは独裁者ではなく、犬に愛され、信頼され、この人についていけば大丈夫と思われる人間でなくてはならない。リーダーは群のなかから選ばれてなるものであって、自分をリーダーにしてくれる群のメンバーを集めるわけではない。極端なことをいえば、リーダーは上に立つ人ではなく、公平な立場のなかで群を引っぱっていく者であるべきなのだ。
べつにヒットラーのような飼い主が悪いといっているわけではない。犬を管理し、意のままに操ることに喜びを覚える飼い主はそうすればいい。ただ管理人は自分の犬たちに対してはヒットラーではなく、犬に愛され、犬たちが自らの意志でこの人についていこうと思われるようなリーダーになりたいと思っているだけだ。それに、もしヒットラーのような飼い主を見て、トレーニングは好きになれない、コマンドは嫌いと思いこんでいる飼い主さんがいるとしたら、べつに独裁者にならなくてもトレーニングは楽しくやっていけるものだし、コマンドだって命令と思わず犬に対する合図程度に考えればいいと判って欲しいなと思っている。
犬の飼い方は人それぞれだ。しつけ本になんと書いてあろうが、それが自分と愛犬に合わないと思えば、他の方法を模索すればいい。自分たちが楽しくないことはどうせ長続きなどしないのだ。ただ、自分たちに合うやり方を模索することは止めないで欲しい。これが管理人の願いである。 |
ながら族 |
2006年4月11日 |
最近、犬の散歩をしていて気になる風景を良く目にするようになった。すれちがう飼い主さんのなかに携帯電話で話しながら歩いている人を多く見かけるようになったのである。
ちなみに管理人は散歩のときにはケータイは持って行かない。無粋な電話で愛犬とのせっかくの楽しい散歩の時間を邪魔されるのが嫌いだからである。まあ管理人の場合はめったに電話をかけてくる友だちもいないので、持って歩いても心配はないわけだが、それにしてもなぜ散歩のあいだまでケータイで話し続けなくてはならないのか、管理人にはやはり理解できない。
先日など、ケータイでパチパチメールを打ちながら犬を連れて歩いている人まで見かけた。電話がかかってきてしまったのならいざ知らず、なぜわざわざ歩きながらメールを打っているのか? ながら族もあそこまでいくと管理人の理解を超えている。
犬との散歩は、管理人にとって我が家のデカ犬トリオとコミュニケーションをとる一番大切な時間である。だから何があっても散歩だけは欠かさないし、いい加減で根気のない管理人が年365日1日2回ずつこれだけはきちんとこなしている。管理人にとって犬の散歩は義務ではなく楽しみである。だから、何かをしながら散歩をするなどというのは考えもつかない。
毎日ほぼ同じコースを歩いていても、よく見るとさまざまな発見がある。すれちがう他の犬たちや飼い主さんのようすを観察するのも一興だし、公園の樹が芽吹いているのを見て季節の移り変わりを肌で感じ、古い家が取り壊されているのを発見しては次は何ができるのかと想像を巡らす。雨あがりにはカエルがいきなり飛び出してきたり、のそのそ動いているカタツムリを観察したり、犬たちに話しかけながらそんなことをしているだけで1時間の散歩があっという間にすぎてしまう。
いま思うと、犬を飼っていなかった10年弱のあいだ、管理人は季節感を置き忘れて生きていたような気がする。毎日散歩に行っていると季節の移り変わりを肌で感じるようになる。どんなに忙しくてもつぼみが膨らんでいるようすに気づくような心の豊かさがあのころはなかった。
散歩をしていると、もちろん自分の連れている犬たちの動きに目を配ると同時にさまざまな周りの風景にも知らず知らずに目がいくようになる。これは車の運転と同じようなものなのかもしれない、と管理人は最近思うようになった。
免許取り立ての若葉マークのころは、ハンドルを握っているときに前を見る以外ほとんど余裕がない。ちなみにめったに運転しない万年若葉マークの友人が以前堂々と「サイドミラーなんてなんのためについているのか判らない!」と宣ったことがある。彼女は運転中は前しか見ない。バックミラーはバックするときに使うものだと信じている。だからサイドミラーは彼女にとってはべつに邪魔なだけでついている必要もないものなのだ。
ベテランの運転手は常に視線を動かしている。前を見ながらバックミラーやサイドミラーをちらりと見て後続車両や単車の動きを常に確認している。管理人などは運転中にすれちがう車に乗った犬の種類や歩道を散歩中の犬のチェックも欠かさない。だが運転歴うん十年を誇る管理人だって最初の頃は前しか見る余裕はなかった。
散歩で一番おもしろいのは、自分の犬の動きを見ることだ。彼らが何に反応し、どんなものに興味を惹かれるのか? そういうことをチェックしているだけでもじゅうぶんに散歩は楽しめる。だが、犬の扱いに余裕が出てくると、それだけではなく、周りの風景にもちゃんと目配りができるようになる。そうなると散歩がもっともっと楽しくなって散歩に行かずにはいられなくなる。
ケータイで話をしながら歩くのでは、せっかくの散歩の楽しさが味わえないだろうな、と老婆心ながら思う管理人である。 |
お勉強しましょ!〜その11〜咬み癖 |
2006年4月10日 |
日本人というのは、いまだに「犬はやたらめったら咬むものだ」と思いこんでいるようだ。我が家の3頭もしょっちゅう「咬みますか?」と訊かれる。ちなみに欧米では「咬み癖がある犬」はほぼまちがいなく安楽死になる。「咬み癖」のある犬と「咬む」犬はちがう。犬にとって「咬む」という行為は唯一の自衛手段である。だから、どれほど訓練を重ねていたとしても、自分の身が危険にさらされていると判断したとき、犬は本能的に咬みつくものだ。それをまずは忘れてはならない。
どんな犬でも危険を感じれば「咬む」ものだが、「咬み癖」をつけてしまうのは飼い主である。たとえば臆病な犬は危険を感じ「咬む」ことによってそれを回避した記憶が「マイナスの強化」として記憶に刻み込まれる。以前怖いことが起こったときに、相手(人間、犬)を咬んだことでそれを回避できたと学習することで、次に同じような恐ろしい体験をしたときにまた相手に咬みつくという「咬み癖」につながってしまうのだ。
恐怖が限界に達したとき、犬は自分の身を守るために「咬む」という行動をとる。だから、自分の飼っている犬が臆病な犬であると判断したときは、愛犬が恐怖にさらされることがない環境を作ってやらなくてはならない。
たとえば、そういう臆病な犬を店の前につないでおいて買い物に行くのはまちがいだ。ただでさえひとりぼっちで残された犬は不安になっている。そこに見ず知らずの他人が寄ってきて、撫でようと手を出したら、恐怖でその手に咬みついてしまうのはしかたない。ちなみに未だに多くの人は犬の頭を撫でようとする。あれは臆病な犬にとっては、殴られるかもしれないという恐ろしい状況だという認識が、一般には行きわたっていないのだ。もしもどうしても犬だけをつないでおいて行かなくてはならないのなら、「この犬は咬みます。近寄らないでください」という掲示をした上で置いていくべきだろう。犬が人を咬んだという事故の99%は飼い主の不注意なのだ。
なかには、飼い主がリードを握っているにも関わらず犬が人を咬んだという事故もある。これもまた飼い主の不注意である。どんな犬もいきなり咬んだりはしない。必ず何らかの警告を発しているのである(ジャックラッセルなどのテリア系の場合、目にも止まらぬ早さで咬みつくことはあるが、それでも何らかのサインは出す)。警告を無視して近づいた場合、犬は自分の身を守るために咬むという行動に出る。そのサインを見逃してしまうのは飼い主の不注意なのだ。犬がいやがっていることが判った時点で、「この犬は咬みますから手を出さないでください」と言う勇気が必要だ。もし他人を咬んでしまったら、自分の犬を前科者にして、なおかつ犬嫌い、犬恐怖症の人間を増やすことになる。
恐怖のあまり咬みついてしまう犬の場合、咬み癖をなくすには、恐怖に耐えられるレベルをあげてやることしかない。他人に触られても怖くない、他の犬が近づいてきても怖くないと判るまで時間をかけて人や他の犬に慣らしていくしかないのだ。
こういった犬に嫌悪刺激(体罰、各種の矯正器具、怒鳴りつけること)を使うと却って状況を悪化させる。ただでさえ怖がっている犬をよけい怖がらせた場合、どんなことが起こるかは誰にでも容易に想像がつくだろう。
「咬み癖」のある犬には、まず「咬ませない」環境作りが大切だ。そのためには飼い主がきちんと犬を観察する目を持たなくてはならない。
もうひとつ、他人ではなく飼い主を「咬む」犬の場合だが、これも恐怖によるものと、逆に飼い主がひるんだことを覚えていてそれがマイナスの強化になっているケースと2種類がある。臆病な犬が飼い主を咬む場合、かつて何らかのかたちで体罰もしくはそれに類する恐ろしいことを人間にされた記憶があって、それを回避するために攻撃する場合がほとんどだ。愛犬の「嫌な記憶」を完全に消し去って、人間は安全な仲間だと教え込むことで、犬の恐怖心をなくしていけば、「咬む」という行為を減らしていくことができる。ただし、これは非常に時間のかかる作業だ。まずは犬に信頼されることから始めなくてはならない。
日本では「アルファ」とひとくくりにされているが、かつて何か嫌なこと(自分の意に沿わないこと)があったときに、飼い主に牙をむいたら、それを回避できたという記憶を持つ犬は、飼い主が何か嫌なこと(シャンプー、注射、ブラッシング、寝ているところを動かす、爪切りなど)をしようとしたとたんに飼い主に咬みつくことがある。これを直すためには、犬に咬まれようが、血を流してもほんらい始めたことをやり遂げるしかない。乱暴な言い方だが、咬んでもこの飼い主には効かないと判れば、犬はわざわざ人を咬んだりはしない。
ちなみに飼い主に牙をむく犬の場合、たいていは甘咬み程度しかしないはずだ。ここで慣れない人だと慌てて手を引いてしまう。それによって傷が深くなるのだ。犬になれている人間ならば、万が一犬が牙をあてたとしても、手を引くのではなく、逆に手を思いっきり犬の口の中に押し込む。これをやると、とうぜんのことながら犬の口は大きく開いて、それ以上咬むことができない以上手に傷は残らないと同時に、犬にとっては喉まで手を押し込まれて苦しいという非常に嫌な記憶が残る。
子犬のときの甘咬みもこの方法で矯正できるが、一番いいのは無視することだ。たとえアクシデントであっても、人間の身体に牙があたったら、その場で遊びも何も中止にする。部屋から飼い主が出ていってしまったら、それは犬にとってマイナスの罰になる。楽しい遊びが終わってしまうので人を咬むと良いことが起こらない、と犬に学習させるのである。
犬がぜったいに「咬まない」ようにすることは不可能だ。「咬む」という行為は犬にとって唯一の自衛手段である以上、咬まない犬は存在しない。ただし、飼い主の注意と教育によって、よっぽどのことがない限り「咬まない」犬にすることは可能だ。「咬み癖」は犬がほんらい持って生まれたものではない。「咬み癖」は飼い主がつけてしまうものなのだ。 |
世話焼きババァの解決策2 |
2006年4月9日 |
日本の犬の飼い方はまだまだ発展途上である。もともと犬を狩の道具として使っていた欧米とはちがって、この国では、ほんの一昔前まで、犬というのは玄関先につないで飼うものだった。敷地に侵入者が入ってきたら吠えて騒いで追い払う、そんな役割しか与えられていなかった犬たちがここ四半世紀でコンパニオンドッグという新しい役割を与えられるようになったのだ。
犬は自分のテリトリーに他者が侵入すればとうぜん吠える。だから番犬として飼われている犬にトレーニングなど必要なかった。犬ほんらいの性質をそのまま利用すれば良かったのだが、コンパニオンドッグとなると話がちがう。人と同じ空間を共有し、他人に迷惑をかけず、動物嫌いの人にも嫌がられないように飼い主とともにさまざまなところに出かけていくためには、犬に社会性を持たせることが必要になってくる。
大型犬でも室内で飼う。そんなことがあたりまえになった昨今だが、日本と欧米では住居形態もちがい、また犬の飼い方も根本的にちがうのに、犬を室内飼いにするというコンセプトだけが先に一人歩きしてしまった。コンパニオンドッグとして室内で飼い主と生活をともにするにはそれなりのトレーニングが必要であるにもかかわらず、その部分は一般的に知られることもなく結果的に家を破壊するから、吠え声がうるさいから、お粗相をするからと捨てられる犬があとを絶たない。
番犬だった犬をコンパニオンドッグとして飼うのなら、飼い方じたいを見直さなくてはならないし、飼い主自身が変わらなくてはならない。
その重要な点に先に気がついた人々がせっせとネットなどでトレーニングの重要性を述べ、ノウハウを公開している。にもかかわらず、残念なことに、犬の生態について何も知らない、トレーニングは犬が可哀想だと思いこんでいる一般飼い主の数はいっこうに減らないのだ。
トレーニングはもっと一般的になるべきだ。
一般の人がこぞってトレーニングをするようになるにはどうしたらいい?
答えはトレーニングを楽しくできるようにすればいい。やらなくてはならないからトレーニングするのではなく、トレーニングしたくてたまらない人を増やしていけばいい。
そのためにさまざまな試みが始まっている。
しつけにはイマイチ自信のない飼い主さんやトレーニング嫌いの飼い主さんも、ゲームやレースを通してコマンドを入れることやしつけをすることは小難しい理論やめんどうなことではなく、誰にでもできるし、じつは犬と一緒に楽しめる趣味になりえるのだということを判ってもらうための催しなども開催されている。いままでしつけやトレーニングに抵抗感を持っていたどこにでもいるふつうの一般飼い主さんや、犬が真横にビシッとついて歩けるわけではないが、いつかはそんな日が来るといいなと日々精進している飼い主さん、それにうちのコはたいした芸もできないし、アジリティーとかはちょっと無理だけど犬と一緒に何かやってみたいなと常々考えているような犬猫屋敷の常連さんには、とくにそういうイベント類への参加をお勧めしたい。
最初は自信がなければ見学だけでもいいし、次回は参加できるようにオスワリだけでもやらせてみようと思うのなら、それだけでもトレーニングを楽しく始めようという目的は半分以上達成されたことになるのである。 |
世話焼きババァの解決策1 |
2006年4月8日 |
日本の犬飼いレベルを上げるには、マジョリティーである一般飼い主のレベルを底上げするのが有効だ。だが、じつはこれがそう簡単にはいかないのである。なぜなら、レベルアップしようという向上心を持つ犬飼いであれば、すでにCグループに入ってきているからだ。
またもや、英語との比較で恐縮だが、たとえばNOVAに来る人に英語を教えるのはじつはそれほど難しいことではない。なぜならお金を払って英語を習おうとする時点で、すでに学びたいという意欲があるからだ。だが、NOVAにやってくるのはCグループ以上の人々だ。Dの人たちは最初から英語を習う気などないのである。
「べつにわたしには必要ないし」
「難しそうだからわたしには無理だし」
「1度通ったけどけっきょく行かなくなっちゃったし」
そんな風に思っている人にどうやって英語を教えるか。学びたいと思わせるか。ここがじつはポイントなのだ。
失礼を承知ではっきり言わせてもらえば、既存のしつけ教室もしつけに関するサイトもやっていることはNOVAと一緒だ。お金を払って、学びたいという意欲を持った生徒には英語(トレーニング方法)を教えることができるのだが、そのやり方ではけっきょく対象となるのはC以上の飼い主だけだ。それではいつまで経ってもDの一般飼い主は成長しない。教えようと思っても教わりに来てくれないことには何も始められないからだ。
だから、一般飼い主にトレーニングの重要性や楽しさを教えようと思ったら、NOVAではなくウィッキーさん(←この例えが古すぎて判らない人はお母さんに訊きましょう)にならなくてはいけないのだ。
ウィッキーさんは名詞、動詞、形容詞がどうのこうのなんて言わない。
発音がおかしかろうが、文法がまちがっていようが、ぜったいにそれをあざ笑ったり馬鹿にしたりはしない。
とりあえずきょうのフレーズが巧くいえればそれでOK。そうやって毎日ひと言ずつ覚えていくうちに段々英語に興味を持たせていく。
一般飼い主に、トレーニングに対する興味を持たせようと思うのなら、小難しい理論や七面倒くさいお作法は二の次にして、ともかく楽しいな、わたしもやってみようかな、わたしにもできるかも、と思わせなければいけないのだ。簡単なようでこれはけっこう難しい。なぜなら最初から学習意欲を持ってNOVAに通って英語を覚えた人間は、正しい文法から始める以外の方法で説明するやり方を知らないからだ。
判っている人間が、判らない人間に説明するほど難しいことはない。
たとえば、パソコンのいろはも判らない老人に使い方を説明するのはとてもとても難しい。アイコン、カーソル、クリックなどのふだんあたりまえに使っている用語が使えない状態で使い方を説明しろと言われると正直めまいがしてくるものだ。
「じゃあ、一番上のアイコンをクリックしてください」
「はぁ?」
「いや、失礼。マウスを握って、はい、すぅ〜っと上に動かして、この真ん中にある小さな絵にこの矢印が来たら左ボタンを2回押してください」
「なるほど」
イライラするし、いいかげん覚えろと言いたくもなるし、覚えられないなら一生紙と鉛筆で暮らしていけと言ってやりたくなるものだ。だが、そこで諦めたらそこから先には進めない。せっかく自分もやってみようかと一瞬でも興味をもったのだから、そのチャンスを有効に使わないほうはないのである。
犬のトレーニングだって一緒なのだ。ダメな飼い主に向かって、おまえなんか犬を飼うなというのは簡単だが、それでは何も解決しない。だからといって、トレーニングに興味がまったくない人間をつかまえて、とことんスワレ、マテのトレーニングをやるべしといったところで、それはThis
is a penの意味がわからない人に対して、大声でThis
is the penを繰りかえすのと同じなのだ。
英語がわかっていて、文法も単語も知っている人にとって、Thisは「これ」でisが「〜は〜です」という動詞で
a は「ひとつ」という意味を現しpenが「ペン」というものを現す名詞なのだということは一目瞭然だ。だからpenの部分を他の名詞に差し替えれば「これは〜です」という表現ができるのでこの構文を覚えるのは有効だというということはすぐに判る。
だが、This is a penが「ジスイザペン」としか聞こえない人にとってはなんのためにそれを覚えなくてならないのかが判らないのだ。だからそういう人に対してはまず
This is a penがじつはさまざまな状況で使える非常に便利な言い回しで、これを覚えておけばお得なのだということを理解させなくてはならない。
現状を見る限り、とにかく何でもいいから基本的なコマンドだけ入れなさいという教え方だけではダメだというのは明らかだ。それが有効なのだとしたら、年間16万頭もの犬が殺処分になるわけはないからだ。
だからやり方を変えなくてはいけない。より多くの人に判ってもらえるような方法を編み出さなくてはならない。
先のことはどうでもいい。50年後100年後にこの国の犬飼いがすべてABグループに属するようになってくれればそれに越したことはないのだが、いま余っている犬がいる以上、すでに飼われている犬を捨てさせないためにも、ともかくいまはどんなに面倒でも、より多くの飼い主にトレーニングの重要性を判らせ、興味を持たせて次のステップまで登っていってもらわねばならないのだ。
必要以上に簡単に、平易な言葉で判りやすく、楽しめるように教えなければならないのは、じつは入り口部分を通るあいだだけのことだ。いったん興味を持って自分で学習したいと思わせれば、そこから先は専門用語がバンバン出てきたとしても、学ぶ方が理解しようと努力する。だが、この最初の一歩が難しい。教える方も教わる方も人一倍の忍耐力が必要になるのである。
あしたにつづく(←いつまでつづくか世話焼きババァシリーズ?!) |
世話焼きババァの考え |
2006年4月7日 |
管理人の想像だが、現在、この国の飼い主はこんな比率なのではないかと思っている。
A=10%
B=20%
C=60%
D=10%
Aに属する飼い主さんは、プロのトレーナー、ハンドラーを含む、きちんと犬をしつけられる完璧な人々だ。飼っている犬にコマンドがばっちり入っていて、飼い犬はタイトルなんかも持っていて、どんな犬であってもまず問題なくしつけて飼っていける。いわば犬飼い界の最高峰、峠の茶屋で優雅に午後のお茶などを楽しんでいる人々である。
Bに属する飼い主さんは、峠の茶屋組予備軍である。志も高く、日々熱心にトレーニングに励んでいる。経験を積んでいけば、いつしか頂上までたどり着けるだろう人々だ。
Cに属する飼い主さんは、ある程度勉強もしているし、トレーニングの重要性も知っていて、こうやればいいのだと判ってはいるが、どうもイマイチ巧くできない。それでもやらなくてはならないことは知っているし、せめてBの皆さんに追いつければと日々精進してい人たちである。
Dに属する飼い主さんは、自分の犬を心から愛していてそれぞれの方法で一生懸命可愛がっている。いちおうしつけ本も買って読んでみたが、難しそうだし自分にはとても無理だと思っている。犬にはトレーニングが必要らしいなんてこともあちらこちらで目にするが、うちのコはペットだし関係ないわと他人事だ。
Eに属する飼い主さんは、もうこれは論外である。お友だちが飼っているからうちも欲しいなと思っていたら、たまたまペットショップで人気犬種がバーゲンになっていた。やだ、半額なんてお買い得と衝動買いしてみたものの飼ってみたら手がかかるし、ぜんぜん言うことも聞かないし、もう嫌になったから捨てちゃおうかしらという犬をもの扱いする人たちだ。
殺処分数年間16万頭などというとEの飼い主が多いような気がするが、管理人の考えではあっさり犬を捨てるような飼い主は、それほど数が多いわけではないと思う。それよりもDのごくふつうの飼い主さんが手放す犬のほうがきっと多いのだ。
べつにいらなくなったから捨てるわけではない。できれば飼い続けたいがどうすればいいのか判らない。あれもこれもと問題行動だらけで、気がついたら手に負えない状況になっていた。犬を飼う前はしつけ本を読んでいちおうの知識は持っていたのだが、途中でどうしてもうまくいかないところが出てきてしまってあっさり挫折。なんかトレーニングは嫌になってしまったし、うちはペットだからまあいいやと何もせずにいたせいで、気がつけば咬み癖、無駄吠え、破壊行動と問題行動のオンパレードだ。しつけ教室にも通ってみたが、周りはみんな子犬ばかりだし、こんなに大きくなってオスワリもできないなんて恥ずかしいし、けっきょく巧くできなくてこれも長続きはしなかった。
そんな飼い主さん、じつは周りにたくさんいませんか? 手に負えなくて犬を手放すところまではいかないまでも、問題行動を繰りかえし、散歩に行っても引っぱられて転んだりして、子犬のときのように心から可愛いとは思えなくなっている。餌もちゃんとやっているし、散歩もいちおう連れて行くけれど義務だからやっているだけ。そんな人、けっこう周りで見かけませんか?
峠の茶屋組とその予備軍は言うに及ばず、おそらくCに属する人たちも、決してゼロではないにしろ、まず犬を捨てたりはしないはずだ。何とかすれば飼い続けられるという最低限の知識は持っているからだ。だが、日本の飼い主のほぼ半分を占めるであろうごくふつうの一般飼い主にはその知識がないために、ちょっとしたことで直せる問題行動を矯正不可能と思いこんで諦めてしまう。愛情を注げなくなって無視された形になった犬はますますストレスを溜めて問題行動をエスカレートさせていく。まさに悪循環にはまっているのだが、そのことにすら気がつかない飼い主が大勢いる。
なぜこんなことになってしまうのか?
情報はたしかに溢れている。だが、その情報があまりに画一的すぎるのだ。しつけ本やしつけ教室の対象はたいていパピーと相場が決まっている。じつはトレーニングの方法などパピーも成犬も変わらないのだが、成犬の躾なおしがまだ一般的ではないこの国では対象をパピーに絞った方がマーケティング戦略としては有効だ。それを見て、一般飼い主はしつけといえば子犬の時にしかできないと思いこむ。そして成犬は躾なおしができない、成犬から飼ったらしつけなんてできないと多くの人が思いこむ。ゆえにほとんどの人が成犬ではなくパピーから飼いたいと希望する。
そのせいで毎年多くの成犬が殺処分されていくのに、驚くばかりの数の犬が毎年大量生産されている。その何割かがまたパピーの時のしつけに失敗して捨てられる。たとえ処分前に救い出せたとしても成犬をもらおうとする人は多くない。ゆえに保護された成犬の多くが、飼い主を見つけられずにシェルターなどで一生を終える。
まさにこれこそ悪循環だ。パピーをどんどん大量生産して、そのしつけに失敗し、それを直せないとなったなら、成犬がどんどん余っていくのはあたりまえなのだ。成犬であっても躾なおしはきくし、何度失敗しても犬のしつけはいつでもやり直せるのだ。それをマジョリティーである一般飼い主に判らせない限り、この悪循環は決して断ち切れるわけがない。
で、要は限られた資源をいかに有効に活用するかと考えたときに、いまの犬を取り巻く悲惨な悪循環を完全に断ち切るためには、まずDに属するごくごくふつうの一般飼い主のレベルアップをするのが一番手っ取り早いのである。飼い主の大多数を占める一般飼い主が、半分でもそのうえのCにレベルアップしてくれれば、それだけで知識を持つ飼い主のほうが割合が多くなるのである。
正直、Dの飼い主に関しては放っておいてもいいとさえ思っている。犬飼い先進国と言われるドイツやイギリスでも飼えないからと犬を捨てるひどい飼い主はゼロではない。ただ、Eの飼い主がこのまま増えず、逆にそこから放出された犬を引き取って飼えるC以上のレベルの飼い主が増えていけば捨て犬問題はあっさりと解決するからだ。たとえば単純に8人のE飼い主が犬を捨てたとすると、いまはその犬を引き取って飼っていける知識のある人間の数はCグループも含めると44人である。これが約半分の一般飼い主がC以上にシフトしただけで、一気に68人、その数が30%以上増えるわけだ。
だとしたら、狙うべきターゲットはじつは一般飼い主だとは思いませんか?
とにかく、どんなことをしてもこの人たちのレベルを引き上げるのが一番効果的な方法ではないですか?
とはいっても、そう簡単にはいかないのだ。そこで、管理人の思考は明日につづく(←最近長編づいてます) |
世話焼きババァのため息 |
2006年4月6日 |
ここ数日体調が思わしくないのにくわえて、けさは朝っぱらからよけいなお世話を焼いていたせいで、すっかり出稼ぎに出るしたくが遅れ、けっきょく「いま起きた」ボタンを押す時間すらなかった(PCを立ち上げる時間がなかったのだ!)きっと、昼間、見に来た人は思ったにちがいない
「管理人さん、もしかして死んでる?」
ちゃんと管理人は起きて犬たちの餌代を稼ぎに行っていましたとも。きょうも朝っぱらからスリルとサスペンス溢れる1日の始まりだったけどね(涙)
で、よけいなお世話の話だが、朝の散歩で6ヶ月以上1歳未満とおぼしきジャックラッセルの子犬といかにも犬馴れしていない初心者飼い主と遭遇してしまったのだ。ちなみに、このペアに会ったのは、何もきょうが初めてではない。微妙に朝の散歩時間がずれているので毎日会うわけではないのだが、この前会ったときには、いきなり姫の鼻面に、このジャックが噛みついたのである。
このチビジャック、怖いんだけど犬には興味津々で自分から近づいて行くわりには、ある一定の距離より近づきすぎるととたんに相手の鼻面をぱくっとやる。むろん、本気で噛みついているわけではないので傷ついたりはしないのだが、それでもまあ、こちらとしてもあまり気分のいいものではない。
じっさい、姫がぱくっとやられたときには、それまで愛想良くお友だちモードだった姫が
「何すんのよ、アンタ! 失礼じゃないよ! 謝りなさいよ!!!!」
と大絶叫して、そのあと収拾をつけるのが大変だったのだ。
まあ、管理人的には、できれば関わり合いになりたくない飼い主なのだが、なぜかそういう奴に限って自分の犬にお友だちを作ろうとせっせと近づいてきたりする。けさも、犬猫屋敷ご一行さまの通り道である小川にかかった橋の上でデカ犬トリオが近づいてくるのを待ち受けていた。
以前のことがあるので、姫はうしろに行かせて、ツチノコ兄弟と管理人が群の先頭を歩いていった。どいてくれるかな? という微かな期待は無惨にも打ち砕かれ、もちろん、チビジャックと飼い主はツチノコ兄弟とご挨拶しようと待ちかまえている。
「おはようございます」
「おはようございます」
人間たちが無難に挨拶を交わしているとき、むろん、チビジャックはさっそくツチノコ兄弟に近づいてきてあっと思った瞬間には
「ガルルル、パクッ!」
「何しやがんだ、てめぇぇぇ〜!!!!!!!」
むろん、パクリとやられるのはわかっていたので、管理人はとっさに我が家のお坊っちゃまたちをうしろに引かせたので実害はなかった。だが、やっぱり気分は良いものではない。きょうは出稼ぎだし、人に偉そうなこと言える身分でもなし、と「すみません」と謝られて「いいんですよ」と笑顔で通り過ぎようかとも思ったのだが、最近管理人のなかで巨大化している老婆心という奴がついつい顔を覗かせてしまった。
「あのぉ〜、よけいなお世話なんですけど、このコがパクッとやっちゃうのは怖いからだって判ってますか?」
「え? ええと、あっ、いや……」
「ものすごく他の犬に近づきたくて、好奇心はあるんだけど、ある程度以上の距離まで近づくと、やっぱり怖くなっちゃうから牙むくんですよ」
「あ……はい」
「で、牙むくくらい怖い思いを何度もさせちゃうと、他の犬はみんな怖いものだって思うようになっちゃって、どんどん酷くなっちゃうから、怖くない程度の距離を保って、まずいと思ったらいったん引かせて、また少しずつ近づいてっていうことを何度も繰りかえして慣らしていかないと、このコがけっきょく可哀想なことになっちゃいますから」
「仲良くできるコもいるんですけど……すみません」
「いや、そうじゃなくて、こういう状態を続けるのはこのコにとって可哀想なことになっちゃうんですよ。だから、牙むく前に、ぜったいに犬はサインを出しますから、耳やしっぽの動きをちゃんと見ていれば判るようになりますからね。犬の動きをよく観察してやってくださいね」
「はい」
じっさい、短毛のチビジャックの身体はパクッといく前に全身が緊張するのがこちらからでも判るのだ。その瞬間に名前を呼んでツケの位置に戻すだけで臨界点は超えずに済むはずなのだ。
「はい」と言いながら、この会話をしているあいだじゅう、チビジャックはずんずんツチノコ兄弟ににじり寄ってきて、管理人はずっと後退しつづけていた。
ぜんぜん、判ってねぇ〜じゃねぇ〜かよ、おめぇ!!!!!
ちなみにご想像通り、チビジャックの飼い主が持っているのはフレキシリードである。短く持つことが不可能なフレキシでは、ツケのトレーニングができていない犬は、どうしてもつねに飼い主の前にいることになってしまう。そのうえ、犬の動きをうまくコントロールできないと、毎回パクリとやり続けることになるのだ。
はぁ〜でもまあ、現実なんてこんなもんでしょう、とため息をつきながら管理人は散歩を続けたのだが、管理人としてはべつにこの初心者飼い主を責めるつもりなど毛頭ない。じっさい、もっと時間があったなら、きちんといろいろ説明してあげたかったし、次回時間があるときに会ったなら、デカ犬トリオを練習台に使ってもらってもかまわないと思っている。誰だって最初は初心者だし、何度も失敗を繰りかえして少しずつ良い犬飼いに成長していくものなのだ。ただ、ほんとうに知識がない人が多すぎて、長年ダメ飼い主をつづけている管理人ですら哀しくなってしまうのだ。
毎年驚くほどの数の犬のしつけ本が出版されている。ネットで「犬、しつけ」というキーワードで検索をかければ250万件がヒットする。
こんなにも情報が溢れているのに、なぜこんなに皆何も知らないのだろうか? 犬のしつけに関して、簡単な生態について、知らない飼い主がこんなにも多いのはなぜなのだろうか?
そこで、管理人はまたあれこれと考えてみたのだ。
(あしたに続く) |
ヨガ |
2006年4月5日 |
管理人は近ごろヨガにこっている。たまたまテレビでやっていた奥さま向けのヨガ番組を見ていて、これならものぐさの管理人にもできそうだと思ったのだ。
犬のトレーニングどうよう、今回も管理人の心をつかんだキーワードは
「のんびり、自分のペースで、無理をせず」
である。
で、やろうとなったらすぐに始めないと気が済まない性格なので、さっそく友人たちに「管理人、ヨガ始めるから!」と言いふらしてまわった。すると驚くことに、けっこう周りにすでに密かにヨガをやっている人間が多かったのだ。
ヨガってマジで流行ってんだ!!
どーしてみんな管理人のように「ヨガをやる!」と言いふらしてまわらないのか、なかには誰にも言わずひっそりとすでに1年つづけているという奴までいた。
「で、やっぱりあれ、1年もやってると首の回りに脚巻きつけたり、空中浮遊なんかもできるようになっちゃうわけ?」
「んなわけない! 1年やっても体型も変わらないし身体もぜんぜん柔らかくならんわ!!」
それを聞いて管理人の気持ちは少しばかり萎えたのだが、それでもせっかくだから始めることにした。ちなみにヨガの場合、高価なお衣装もグッズもほとんど必要ないのが貧乏人にはありがたい。最初はお教室に通おうかとも思ったのだが、出不精の管理人としてはできれば不要な外出は避けたいところだ。
「べつにヨガ教室なんか行かなくたってDVDでも見ながら自分で部屋でできるよ」
そう友人に言われ、さっそく管理人はこれ↓を購入した。
あとはヨガマットが必要なのだが、とりあえず毛布で代用することにして、お風呂上がりにさっそくやってみようと、DVDをセットして床に座り込んでまずはハスの花のポーズをしていたところ……
わらわらと犬たちが寄ってきてあっという間に
人気者になった(涙)
「目を閉じ、深く息をして、自分の内面に神経を集中させましょう」
……そのまえに、群がっているの犬たちをなんとかせねば、集中力もへったくれもないような気がする。
ご存じのように管理人の部屋には大型犬用ケージを3つも置くスペースはないので、管理人の部屋自体が犬のハウスとなっている。いわば、管理人は犬のハウスのなかでヨガをやろうとしているわけだ。自分のハウスのなかで管理人が妙なことを始めれば、とうぜん好奇心旺盛なデカ犬トリオはなんだなんだと寄ってくる。
だから、前屈をすれば、股のあいだから顔を覗かせたDJに毎回顔を嘗められるし
最後のクールダウンで床に死体のポーズで寝ころべばさっそく皆さんお集まりになるし
「うちにたまったストレスや邪念を振りはらいましょう」
たまった邪念は振りはらえるかもしれないが、群がってくる犬たちは振りはらえない
それでも、じゅうぶん良い運動にはなったかもしれない。管理人の妙なポーズに合わせて横でもっと妙なことをやっている犬たちを見ながら大笑いしたおかげで腹筋もしっかり鍛えられたし、何よりストレスはすっかり解消されてしまった。
犬を飼っているだけでもしかするとヨガなんていらないかもね。
そんな風に思いながら、それでもせっかく買ったDVDのもとはとろうとせっせとヨガもどきに励む管理人である。 |
犬と子ども |
2006年4月4日 |
先日、ツチノコ兄弟と久しぶりのきょうだい再会を果たしたグレース嬢の一家を見ていて、管理人は思うところがあった。
先住犬であるグレースとクーパーとあたりまえのように戯れるR子ちゃんを見ていて、多くの保護団体が譲渡に適さない家庭として「小さなお子さんがいる家庭」をあげているのは、やはりおかしいなと思ったのだ。
グレースは、ツチノコ兄弟と一緒に生まれたのでもう7年間Amigoさんと一緒に暮らしている。そこに一昨年R子ちゃんが誕生した。R子ちゃんにとってはグレースもクーパーも生まれたときから家にいる家族の一員、いわばきょうだいのようなものである。グレースとクーパーにとってもR子ちゃんは新しくやってきた群の仲間で、犬と子どもがあたりまえのように共存しているようすは見ていて微笑ましいものがある。
こういう環境で犬と一緒に育ったR子ちゃんのような子どもは、わざわざ命を大切にしろなどと教えなくても自然にそういう優しい心が身に付いていくだろう。犬猫やうさぎなどの小動物を面白半分に虐待する子どものニュースなどを見るたびに、やはり子どもと動物があたりまえに共存する環境をまず作ってやることが必要なのではないかと管理人は考えている。
にもかかわらず、子供が生まれたから犬を手放すという話をけっこう聞くのは非常に残念なことだ。子どもにとって命の大切さを学ぶせっかくの機会をみすみす逃すようなものだからだ。
親がよき親として、また正しい知識を持った飼い主でいられるならば、小さな子どもと犬との共存はぜったいに可能だし、むしろ積極的にそういう機会を増やしていって欲しいなと管理人は思っている。
保護活動の目的は、いま現在家を失って困っている動物たちを救うだけではなく、将来的にそういう動物がいなくなるよう社会を変えていくことにある。動物の命をきちんと尊重し、動物たちとちゃんと共存していけるような次世代を担う子どもたちを育てることも、保護活動には必要だ。
たしかに小さな子どもがいる家庭で子犬を育てていくのはたいへんだろう。咬み癖などの矯正が済まないうちは子どもが傷を負うこともある。だが、穏やかな成犬であればたとえ赤ん坊であっても子どもと犬の共存は十分可能なはずなのだ。また親がしっかりしてさえいれば、犬が子どもにおもちゃにされて辛い思いをするということもありえない。だから、保護団体のほうも「小さなお子さんのいるご家庭は一切お断り」などと十把一絡げで不適合の烙印は押さずに、とにかく親御さんと会ってみて、きちんと犬と子どもの共生が可能かどうか見極めて欲しいと思う。
理想的な里親さんの条件をほんの少し見直すだけで、新しい飼い主が見つからずにシェルターで一生を終える犬の何%かにチャンスを与えてやることができる。同時に次世代を担う子どもたちに自然と命を大切にする心を身につけさせることができるのだ。譲渡条件を一部見直すのは、一石二鳥の打開策だと思うのは、管理人の思いちがいではないはずだ。 |
お勉強しましょ!〜その10〜引っぱり癖 |
2006年4月3日 |
昨日の夕方の散歩は管理人ひとりで行かなくてはならなかった。ふだんならひとりで3頭連れて行くのだが、たまたま雨が降ってきたのでしかたなくまた2シフトにわけて連れて行くことにした。前回ツチノコ兄弟と姫にわけて散歩に連れていったときは姫が部屋のドアをぶち抜いた。その教訓から今回はシフトメンバーを替えてみた。
「お散歩行きたいひと!」
はぁ〜い
っつぅわけで、先着2頭さまがまず1回目の散歩に参加することになった。オレ、オレ、オレが一番!の自己主張の塊は、今回あと組になったわけだ。
で、先発組の散歩に関しては、またいつものようにあっちにふらふらこっちにふらふら何だかやる気があるんだかないんだか、典型的な一般ダメ飼い主の散歩風景で、1頭で引くとぴしっと横について歩ける姫でさえ、2頭引きだとこのざまだよ、と管理人は深いため息をついていた。
ところが、特筆すべきは後発組のDJなのだ。今回、何の気なしにいつも使う1頭引き用の短いリードではなく、ごく一般的な長めのリードをつけて出かけたところ、何と近所を一周まわって家に帰るまで1度もリードにテンションがかからなかったのだ!?それどころか、弛んだリードが地面を擦っているじゃない!!
これって、スゴイことかもしれない……
7年越しでしっかり定着させた引っぱり癖という悪癖を何とか直そうと、管理人がレバー片手に正統派の「ツケ」のトレーニングを始めて早半年。来る日も来る日もリードが緩んできちんと横について歩けたら盛大に褒めてやってご褒美をあげてという地道な作業を1日2回の散歩でただひたすらつづけてきた。姫の場合は比較的すぐに横について歩けるようになったのだが(あいかわらず視線の先はご褒美ポーチにしろ)筋金入りの引っぱり犬であるツチノコ兄弟に関しては、何度も挫折を味わってきた。
きちんとした知識を持たなかった管理人は、以前は、何も考えずに引っぱるとジャークを入れて犬を戻すという嫌悪刺激の手法を使っていた。これを一切止めて、ご褒美をやって褒めて、ツケの状態を定着させるという陽性強化一本槍に替えたところ、引っぱっても叱られないとわかった兄弟は一時期引っぱり癖がひどくなったりもした。
陽性強化トレーニングだけじゃ、やっぱり無理なのだろうか?
正直、ジャークを入れれば引っぱり癖が一時は止むのがわかっているだけに、以前の方法に戻ろうかとも思ったのだ。
だが、あそこで挫折しなくて良かった。だって、こうして立派にできるようになったじゃない!
むろん、あいかわらずご褒美の物珍しさで態度がころっと変わる例のアイツがまだ残ってはいるのだが、強情な奴とて、この調子でしつこくつづけていけば、そのうちできるようにはなるだろう。
もしかすると、あと15年くらいかかるかもしれないが……
むろん、引っぱらなくなったというだけで、あいかわらずDJは管理人の斜め前を歩いているわけで、ぴしっと横についてかっこよく歩くというのにはほど遠いのだが、いちおう道の角などで犬が先に飛び出すと危険なところではトマレをかけて、「ヒール」というと管理人の左横に戻ってくるようにもなっている。姫のように停まったら即オスワリはまだできないのだが、戻ってきたところでオスワリといえば座るので、まあそれはそれで由としよう(←一般飼い主の安直なところ)
じつは、ものぐさな管理人は一番根本的で効果的なトレーニングをすっ飛ばしていきなり散歩での実践に臨んだのだが、ほんとうにきちんとした「褒めてしつける」トレーニング方法で「ツケ」のコマンドを入れようと思ったら、一番最初にやらなくてはならないトレーニングがある。
「ここにいるといいことが起こる」の法則を犬に教え込むことである。
まずは、犬が大大大好きなおやつかおもちゃを片手に持つ。これは左でも右でも、要は「ツケ」のコマンドで犬を歩かせたいほうに持てばいいのだが、犬猫屋敷では左に犬をつけているので、ここでは便宜上、左で説明していこう。
で、左手でその「ルアー」になるおやつ(おもちゃ)を腰のあたりに持ち、飼い主は何も言わず直立不動で立つ。犬の大大大好きなルアーを使えば、犬はとうぜんそれが欲しいのであれこれと試行錯誤を始めるはずだ。まずは目の前に座ってみる。お手をしてみる。それでももらえないと判ると飛びついて奪い取ろうとしたりする。ここで飼い主は、何をされても一切言葉を発してはならない。できれば犬に飛びつかれても微動だにしないのが理想的だ。電信柱のようになって、ただ犬の動きを黙って見ている。飛びつかれたとしても叱ってはいけないし、極端な話、噛まれても声をあげてはいけないのだ。
そして、犬がようやく左の「ツケ」のポジションを見つけたところで(個体によって恐ろしく時間がかかることもあるが、やがて犬はその場所を見つけるはずだ)盛大に褒めてやって、おやつ(おもちゃ)をやる。
こんどはまた別のところに歩いていって、同じように左の腰の当たりにルアーを見せて止まる。犬はさっきの要領でまた「ツケ」のポジションにやってくる。そうしたらまた褒めてやってご褒美をやる。
これを何回も繰りかえしたところで、こんどはただ「ツケ」のポジションに来るだけではなく、そこで「オスワリ」をしたら褒美をやる。
それを来る日も来る日も繰りかえすと、犬にとって「ツケ」のそのポジションが「嬉しいことが起こる」魔法のスポットに変わるのだ。そして飼い主が止まると犬もその場に座るという芸が完成される。
ここで重要なことは、褒美をやるのは、飼い主が決めたその一カ所に限定することである。左を「ツケ」のポジションと決めたら、犬が前や右にいるときに褒美のおやつをやってはいけない。いくらその場で「オスワリ」しても左側の定位置に動かしてからおやつをやる。要は「ツケ」のポジションが特別の場所であることを刷り込むのだ。
引っぱり癖というのはリードをつけているから起こるものだ。当たり前だがこの根本的な部分に多くの飼い主は気づかない。つまり、「引っぱり癖のある犬」というのは人間から見た言い方で、犬にしてみれば「引っぱり癖のある飼い主」なのだ。散歩の時、外の世界は犬にとってさまざまな興味深いことに溢れている。人間は臭覚が弱いので犬の興味の対象を一緒に堪能することができない。だから、犬がある特定の臭いに反応してそれをもっと良く嗅ごうと近づいていったとき、それがどれほど素晴らしい臭いか判らない人間は、「引っぱり癖」と呼ぶのだ。
「地面の臭いをくんくん嗅ぎながら歩くような真似はみっともないのでさせたくない」という飼い主も中にはいるだろう。そういう飼い主の場合は、前述の「ツケ」のポジションを徹底的に教え込む方法で、常に散歩の時は飼い主に横について歩かせる訓練を積むのが良いだろう。管理人の場合は、もともと臭いを嗅ぐことを仕事として作られたハウンド系の愛犬たちに臭いを嗅ぐのを禁止するつもりはない。だから、我が家のトレーニングは少し変則的なものになっている。
臭いを嗅ぐのは許されるが、引っぱるのは許さない。これを教え込むためには、引っぱらなければ臭いをかげると教えるのが有効だ。つまり、犬が何かを見つけて猛然とそちらに向かってダッシュしたら、その瞬間に「ヒール」のコマンドで、定位置に戻し、そこで褒めてやって褒美をやったあと、「OK」のコマンドで嗅ぎたかった臭いの元に行かせるのだ。そのときも走ったり引っぱったりしたら、もう一度「ヒール」で定位置に戻し、一通りの儀式を終えたあとに、改めて「OK」で自由にさせる。そして臭いの元にたどり着いたら、思う存分臭いを嗅がせてやるのだ。それがたとえ30分でも1時間でも、管理人は犬たちが満足するまでその場で臭いを嗅がせてやる。逆に、「ヒール」のコマンドに従わなかった場合は、力ずくでもその場から遠ざける。要は引っぱると臭いはかげない、逆に管理人のコマンドに従えば、美味しいおやつをもらえてなおかつ臭いも思う存分かげるのだと言うことを犬たちに教え込んでいったのだ。
臭いを嗅ぐことが生き甲斐のセントハウンドにとっては、嗅ぐことじたいが立派な報酬になる。報酬があれば犬は飼い主の好む行動をとるようになる。
これはもうひとつ、最近読んだ本に書いてあった方法で、遊ぶことが何より大好きな人間好きの犬に有効な方法だ。犬が引き始めたら、すかさず犬の名前を呼んで、犬が振り向いたら飼い主は逆に向かって走りだす。いわば犬とおっかけっこをするような感じで、人が楽しそうに逆に向かって走りだすと、犬はとうぜんそれを追って走りだす。犬に追いつかれる前に、方向転換して、しばらくおっかけっこを楽しむ。それを何度か繰りかえすうちに、犬は名前を呼ばれることに敏感になる。名前を呼ばれると楽しいことが起こる。それを刷り込めば、どんなに興味を惹かれるものがあったとしても、犬はきちんと飼い主の呼び声に反応するようになる。
犬の行動にはどんなときにも必ず理由があるはずだ。引っぱることで犬は首輪がしまって苦しい思いをしている。それでもなお引っぱるのには、何らかの理由があるにちがいない。これは他のどんな悪癖を直す場合にも必要なことなのだが、犬がそうする理由を観察し、考え、その行動を起こさなくても同じかそれ以上の報酬を与えられる方法さえ編み出せれば、犬は必ず楽で嬉しいことが起こる方を選ぶものだ。
だから引っぱり癖がひどい犬には引っぱらなくとも同じかそれ以上嬉しいことが起こるようにしてやればいい。
これは簡単なようだがじつは時間がかかる作業だ。だが、ほんとうに良い犬飼いならば、その方法を編み出す試行錯誤にこそ喜びを感じられることだろう。 |
恩恵 |
2006年4月2日 |
管理人が早起き生活を始めて我が家で一番喜んでいるのは、この方↓である。
管理人がいくら5時に起きようが、犬たちは妹が起きてくるまで散歩に連れて行ってもらえるわけでもなければ、朝食ももらえないのでほとんど関係ないのだが、年寄りで、嫌が応にも早起き生活になってしまっているチビ姐さんの場合、なかなか誰も起きてこない我が家の生活パターンが悩みの種だったのだ。
ところが、最近は管理人が比較的早い時間に起きてくるようになった。そこで猫的思考としてはこう考えるわけだ。
「ようやくアタシの希望に気づいたのね。ここまでくるのに、まったく時間がかかったものだわ」
管理人が寝ぼけ眼でゾンビのように布団から起きあがって、まず最初にするのは犬のトイレ掃除である。たいてい夜中に誰かが1度使っているので、そこをまず掃除してトイレをきれいな状態に保つのだ。
潔癖性のデカ犬トリオは汚れているトイレでは排泄しない。管理人が起きると犬たちも一瞬目を覚ますのでトイレに行きたくなる確率が高い(人間と一緒で犬も起きた直後と食餌のあとにもよおすものだ)。トイレが汚れていればツチノコ兄弟は我慢するが姫はそこらへんの床でしてしまう。そして一度失敗するとまたいつもの「お粗相スパイラル」にはまってしまうので自分の尿意はがまんしても、まず犬トイレの掃除をしなくてはならないのだ。
で、管理人が起きてガタガタやっている気配で、チビ姐さんも寝床から起きてくる。そして、管理人の部屋の前でさっそくあれこれ言い始めるのだ。
「早く出てきなさいよ! ちょっと何やってんの! アタシをいつまで待たせるつもりなの!!!!」
姐さまの要求はそのときによってまちまちだ。ウン○がしたいということもあるし餌をよこせということもある。管理人はここでもまた自分の尿意を我慢して、姐さまのご希望を叶えてやらねばならないわけだ。
犬猫屋敷では猫と人間と犬が1階と2階にわかれて暮らしている。管理人以外の人間はすべて2階で寝ているので、猫のなかでも1階で暮らしている姐さんに言わせると
「アタシのお世話をするためにあんたは1階で暮らしている」
となるらしい。その証拠に、台所のドアが閉まっているとか、お腹が空いたとか、ことあるごとに、姐さんは管理人の部屋の前でわめき散らすのだ。
「早く開けなさいよ! 早く出てきなさいよ! アタシはずっと待ってんだからね!!!!」
チビ姐さんが我が家にきてすでに15年以上が経つ。それだけ長く一緒に暮らしていれば、言葉などなくても意思の疎通ができてとうぜんなのだが(長く連れ添った夫婦が会話もせずに何となく日々の生活を過ごしているのと同じだろう)それにしても姐さんはじつに的確に自分の意志をこちらに伝えてくるものだと感心してしまう。いまだに勘違いすることもあるのだが、それでも姐さんは十中八九自分の目的を達成する。
犬と猫、両方飼っているとそのちがいがおもしろいなと思う今日この頃だ。
人は猫をトレーニングしようとは思わない。コマンドを教えようともしないのだが、それでも猫とは何となく意思の疎通ができるようになる。犬ともおそらく同じことは可能なのだが、それでも犬にはトレーニングが必要なのは、犬が群で生きる社会性のある動物で、飼い主とともに何かをすることに喜びを見いだす動物だからだと管理人は思っている。
人は猫の意志を汲んでやろうと努力する。だからやがて猫とはうまくコミュニケーションがとれるようになっていく。犬の場合は、すべて犬の意志を尊重してそのとおりにやってやろうとすれば失敗する。だが、だからといって犬の意志をまったく無視してとにかく服従させようとする方法には、管理人はどうしてもなじめない。だから、あるしつけ本を読んだとき「これだ!」と思わず叫んでしまったのだ。ここには犬とのコミュニケーションがいかに大切かが書いてある。
とくに姫と暮らしはじめてからというもの、管理人は完全に陽性強化トレーニングの信奉者になった。犬がやりたくないことを無理矢理やらせるのではなく、やりたくなるようにしむける方法が管理人と姫にはぴったり合っていたからだ。ただし、陽性強化トレーニングを成功させようと思ったら犬とまずきちんとコミュニケーションをとることが不可欠だ。犬の態度、表情、身体の動きをつぶさに観察し、そこから送られてくるメッセージをきちんと理解してやれないと、せっかくの陽性強化トレーニングも餌で釣って芸をさせるだけの訓練方法になってしまう。
猫を飼うように犬をわがまま放題に育てたら、まず十中八九失敗する。だからといって鬼軍曹のような顔でとにかくコマンドだけを入れればいいかというと、それはやっぱりちがうのだ。遊びのなかでコマンド入れていくトレーニング方法はいくらでもある。どうせやるなら、飼い主も犬も楽しい方がいいに決まっている。
犬と人間でも、猫と人間でも、犬と猫だって人間どうしだって同じだが、コミュニケーションをとるためにはまずお互いに解りあう努力が必要だ。それをしなければどんな動物どうしであっても、決して良い関係など築けないのだ。 |
新芸? |
2006年4月1日 |
ご存じのとおり、姫はオスワリしかできない犬である。
管理人はわりとそれだけで満足しているのだが、スワレだけでは褒める回数があまりに減ってしまうし、何より(犬も人間も)飽きてしまうので、いちおう新しい芸も仕込んでいたりする。
犬猫屋敷で仕込む芸は、そんじょそこらのコマンドとはひと味ちがう。他にだれもやっていなくて、なおかつ、いつものように何の役にも立たないのがみそである。
というわけで、姫ちゃんの新芸お稽古風景はこちらから! |