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犬猫屋敷の管理人日記

2005/9/1〜30

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お品書き(9月)
9月1日 ライバル 9月17日 最終回?!
9月2日 傾向と対策 9月18日 最終回って言ったくせに……
9月3日 殺処分 9月19日 犬の飼い方
9月4日 あなたに何ができますか? 9月20日 ほんとうに、ひとりひとりにできること
9月5日 へそ天 9月22日 判る人だけが判ってくれればいい話
9月6日 似たものどうし 9月23日 日々反省
9月7日 9月24日 息抜き
9月8日 目的 9月26日 負けず嫌い
9月9日 動画……coming soon! 9月28日 犬の悪戯
9月10日 犬は天下の回りもの 9月30日 褒めるということ
9月11日 動画第1弾    
9月12日 芋洗い    
9月13日 溺愛パート4    
9月14日 出稼ぎから戻ってみれば……    
9月15日 笑えなかった    
9月16日 またっすか?!    
褒めるということ 2005年9月30日
  姫が歌わなくなった。

といっても別に歌いすぎで喉を痛めたわけではないし、歌おうと思えば以前と変わらず気が遠くなるような大音量(妹いわく、きっと躰のどこかに音量つまみがついているはず!)でシャウトすることはできる。だが姫は自らの意志でそれをしないことに決めた。

歌えないのではなく歌わなくなったのだ。

変化に気づいたのは一昨日のことだ。朝晩の食餌の際、大声で姫のオリジナルソング

♪これから姫ちゃんのお食餌タイムよぉぉぉぉぉぉ〜♪

を一曲熱唱するのがうちに来て以来の姫の日課になっていた。ところが一昨日の夜、管理人が3頭分の皿に餌を入れて夕食の準備をしているあいだ、姫はずっとオスワリの姿勢でキッチンのカウンターの横で黙って待っていた。いつもなら、餌を準備し終える前にワンコーラス目が終わっている。ついでに言えばキッチン、玄関、管理人の部屋を駆け回ってのダンスもついている。だが、その日姫はぴくりとも動かず、一声も発さず、管理人が餌を作っているようすをただひたすら見つめていたのである。

なんで?

正直、管理人は姫の体調が悪いのだと思った。うちに来た当初はあまりの大声にこれはなんとかせねばといろいろ画策したものの、けっきょく姫の絶叫癖を完全に直すことはできず、ついには「声が大きいのはしかたないか」と諦めてしまっていた。じっさい、1年も一緒に暮らしていると、耳がつんざけるような騒音もたいして気にはならなくなる。人間、慣れというのは恐ろしいものだ。

そんな姫の絶叫癖が1日や2日で直るはずはない。これはきっと何かのまちがいだ。もしかしたら熱があるのかもしれない。明日もこの調子だったらお医者さんに連れて行ったほうがいいかもしれない。姫が吠えないなんてありえない。だって姫はうちに来て以来365日、1日も欠かさず吠え続けていたじゃないか?

だが、翌日の朝食のときも、また夕食のときも姫は歌わなかった。それどころか、昨日管理人が出稼ぎから帰ってきたとき(玄関を入った瞬間はさすがに歌声が聞こえたのだが)部屋に入ると姫は大人しくオスワリして管理人を迎えてくれた。これまた過去1年間、管理人が部屋に入ってきた瞬間は抱きついてお出迎えと決まっていたにもかかわらず……

姫はこれまでもオスワリをしていた。ただし、立っている管理人からおやつや餌をいただくときという条件下でのみ100%実行していた。スワレというコマンドと座るという動作が姫のなかで結びついていたいたかは判らない。ただ、当初は座らない犬として有名だった姫がとりあえずオスワリの姿勢をとるだけでも十分だと管理人は考えていた。

ここ数日仕事が忙しいにもかかわらず真剣にもう一度しつけ直しを考え始めた管理人はある実験を試みていた。No Noを繰りかえす軍隊式のトレーニングを一切止めて悪いことをしそうになったら名前を呼んで来たら褒めてやる。良い行いをしたらめいっぱい派手に褒めてやる。悪いことをしたら、完全に無視して何もいわない。つまりは一切Noを言わない生活を心がけるようにしたのだ。

姫に関しては、「スワレ」という言葉と座るという動作を関連づけて覚えさせるために、管理人が床に座って姫と目線が合った状態でもおやつをもらうときには座るという動作を徹底してやらせた。ちなみにこのとき使ったおやつはスペシャルご褒美の干し芋である。

最初は「何ですぐくれないわけさ!」と戸惑っていた姫だが、すぐに要領を飲み込んだ。腰を落としたこの体勢になるとおいしいものがいただける。ついでにこの体勢をとったとき、管理人さんはとても嬉しいらしい。それを理解させるために、管理人は姫が座っているところを見かけるたびに飛んでいって姫をしこたま褒め称えていた。

それがいつかは判らないが、姫の中で「座る」という行為と「褒められる」という結果がイコールで結ばれた瞬間があったにちがいない。管理人に褒められるには座るといい、と姫はちゃんと理解したのだ。

かねがね思ってはいたが、うちの犬はなんと賢いのだろうか!

さて、問題の絶叫癖についてだが、じつはこちらも数日前から新しい試みを始めていた。姫が歌ったらその場で作業を中断する。餌皿を持っていても無表情でその場で立ち止まる。姫が鳴き止んだら、よく褒めてやってまた餌を持って歩きだす。要は吠えているとなかなか餌をもらえないということを姫に判らせるようにしたのだ。

もしかすると、と始めた試みだが、まさかこんなに早く効果が出るとは思わなかった。だが、吠えなければ餌に早くありつけて、おまけに管理人も機嫌がいいという結果は姫にとって大きなインパクトがあったようだ。

管理人は犬を「叱る」という行為が100%悪だとは思っていない。それはしてはいけないのだと教えることは大切だし、管理人が非常に不快に思っているということを伝えるためにも、またとっさのときに犬の行動を抑制するためにも飼い主の「No」に反応させることは大切だと考えている。だが「叱られるからやらない」のでは犬の問題行動を根本から解決することはできない。犬が自ら「やらない」という選択をしないかぎり飼い主の目を盗んで必ずやることになる。

と、これはじつはちはりんさんのサイトで見たことの受け売りである。

あっ、これやってた、 あちゃぁ〜これもだよ!

管理人は近ごろ自分のまちがった犬飼いノウハウに赤面し続ける毎日だ。今回たまたまやってみたことが存外に早くなおかつ確実な効果を見せたことで管理人がますますいい気になるのは目に見えている。いい気になって、あれもこれもと問題矯正に乗り出すのは時間の問題だろう。

行動にそれなりの報酬(結果)がついていくれば犬だって人間だって張り切ってやるようになるのだ。

褒めるということの効力は大きい。
犬の悪戯 2005年9月28日
  一昨日の日記の反論が、昨日のポセんちのブログに載っていた。

ポセ父曰く「読者諸氏には事実のみを伝えることをもって本分としているはずの文筆業に携わっておる犬猫屋敷の管理人が、かくも面白おかしく人の不幸を(不幸ではない!断じてない!!)歪曲せしは・・はなはだいかんだ!!」とのことである。

管理人、いやこれは一本とられた、と額に手のひらをぴしゃりと打ちつけている。たしかに事実を赤裸々に伝えなかった管理人が悪かった。ポセ父さんは決して泣きべそをかきながら電話してきたわけではない。あまりのショックに声を震わせながら茫然自失の体で電話をかけてきたのだった。

謹んでここに訂正する。

友人のブログに自分のブログで返歌。じつに雅だ。管理人は優雅を愛でる高尚な人間である。

さて、犬猫屋敷でよく喝采を浴びている犬の悪戯騒動について、言うまでもないことだがこの正しい楽しみ方は、悪戯されて茫然自失としているまぬけな飼い主を笑うことである。管理人が我が家の犬たちの悪行をこうして赤裸々に公開しているのは、ついうっかりやられてしまった管理人のお馬鹿さかげんを見て笑ってもらうためであり、犬の悪戯を肯定しているわけでは決してない。

まさかこんなことをくどくど言わなくてはならない羽目になるとは思わなかったが、世間には管理人の常識が通じないこともあるらしい。とくに犬飼い初心者のかたが「ためになる」と多く見に来てくださるこの日記の性質を考えるとやはり言っておいた方がいいような気になってきた。これを見て「なぁ〜んだ、管理人さんみたいな犬飼いのベテランでも悪戯されることはあるんじゃん!じゃあうちもOK」と思ってもらっては困るのだ。管理人はべつに飼い犬に悪戯をさせているのではなくやられちゃっているのである。それは管理人がまぬけで不注意なせいであって、要は犬のほうが管理人より上手なのだ。

これは自信を持って言えるが、犬猫屋敷の犬たちは決して管理人が見ている目の前で悪戯をすることはありえない。奴らが家を破壊し盗み食いをするのは管理人が意識を失っている睡眠中か外出時と決まっている。

目の前の光景を見て気が遠くなりそうになる。これが正しい犬飼いの悪戯に対するリアクションである。

犬はけっこう悪戯をする。とくに好奇心の強い子犬の場合、帰ってみれば目の前に惨状が広がるというのは珍しいことではない。だから、やって良いことと悪いことの分別がつくまでは、飼い主の目が届かないときにはケージに入れるか係留して犬の動きを制限することは必要だし、悪戯したくなるような物を手の届かないところに置くのは飼い主としての常識だ。

犬猫屋敷の犬たちはすでにいい歳のオッサン、オバサンであるにもかかわらず、相変わらずいろいろしでかしてくれる。だが、彼らは同じことを繰り返しているのではなく、毎回新たな悪戯の種を見つけて管理人を地獄の底にたたき落としてくれるのだ。現に、悪戯の首謀者である姫が我が家にやってきて1年間で同じ過ちが繰りかえされたことはない。それは、姫が何かやるたびに二度と同じことができないよう管理人が対処法を考え、それに加えて「こういうことをされると管理人は非常に不愉快である」ということを姫にきちんと教えているからだ。管理人がダメといったことはぜったいにやってはいけない。これが犬猫屋敷の法律である。

一度、飼い犬に悪戯される飼い主はただのまぬけだが、目を離すたびに犬が同じ悪戯を繰りかえすのは問題行動だ。ましてや目の前で犬に同じ悪戯を繰りかえされる飼い主がいるとしたら、その飼い主はまちがいなく問題飼い主なのだ。

悪戯が少なく飼いやすいというのが売りの成犬を引き取った管理人が、こうして姫の悪行の数々を世間に公開するのを見て「成犬譲渡の障害になっている」と眉をひそめる人もいるかもしれないが、管理人はそういう風には考えていない。なぜなら子犬だろうが成犬だろうが、機会があれば犬は悪戯をするものだからだ。要は二度と同じことを繰りかえさせないよう飼い主が対処できるかどうかの問題であって、悪戯は犬の資質とはまったく無関係なのだ。

飼い犬に悪戯をされるのは、どんな場合にも犬が悪いのではなく、飼い主がまぬけなのだ。家具が傷つき食料庫が荒らされ部屋に糞尿を振りまかれたとしても、やった犬が悪いわけではない。むろん、管理人だって疲れて帰ってきて目の前にこれから片づけに3時間以上かかるであろう惨状を見せつけられればその場で泣き出したくなるし、首謀犬を逆づりにして軒先にぶら下げてやりたい衝動に駆られる。だが、悪戯した犬が悪いわけではない。悪戯をされるような環境を作った飼い主が悪いのであって、犬は決して悪くない。

だが、それが犬のせいではないと頭ではわかっていても、悪戯を繰りかえす犬を愛することはできないだろう。だから管理人は二度と同じことができないようきちんと対処するし、犬に対して遺憾の意を表明することでこういうことはしてはならないのだときちんと学習させる。

どんな犬飼いでも犬に悪戯されることはある。良い犬飼いになれるか否かはそれにどう対処するかにかかっている。
負けず嫌い 2005年9月26日
  ある日の深夜、ポセ父さんが泣きべそをかきながら電話してきた。

「外出して帰ってきたら家が荒らされてた!」
「ありゃま。空き巣?」
「犬」
「ありゃま。脱走?」
「ドア開けたら、玄関に迎えにでてきてた。失神しそうになった」
「判るよ、その気持ち。そのまま、もう一度うちから出て一生戻りたくない気分じゃない?(遠い目をする)」
「そうそう。まったく、やられたよ」
「で、被害は?」
「ゴミ箱ひっくり返して部屋中めちゃくちゃ。ゴミ箱の修理がいま終わったとこ」
「それだけ?」
「それだけって……」
「糞尿系被害は?」
「部屋の真ん中にウン○が一個ぽろりと」
「下痢ピーじゃなかったわけ? ムギュッと踏んじゃったりとか、布団の上にウン○色のパウマークがついていたとか?」
「そんなことになったら、オレ死んでる」
「……あたしゃ5回は死んでるね。で、水たまりもなし?」
「ない」
「たいしたことないわね」
「…………でも、大変だったんだよ」
「で、食べ物の被害は? 台所にも乱入したんでしょう?」
「(嬉々とした声で)解凍中の肉を300g一気食いされた」
「牛?」
「鶏」
「たいしたことないわね。うちは高級乾燥貝柱とピータンだから。うちの勝ち」
「…………そんなことで勝って嬉しいか?」
「どんなときでも人に負けるのは嫌い」
「まあいいけど」
「他の食べ物はやられなかったの? お菓子とかジャガイモとか?」
「何もなかった。食いもん切れてたから買い物に行っている間にやられた」
「お宅って貧乏なのね」
「…………」
「つまり、いま聞いた話を総合すると、被害としてはゴミ箱と鶏肉300gで、他にはとくにないわけね」
「そうだけど……」
「ふすまに穴が開いていたり、座布団が切り裂かれて中の綿が家中にばらまいてあったり、テーブルの脚がなくなっていたり、ドアが粉砕されていたわけじゃないんだ」
「そんなことになったら、オレ一生立ち直れない」
「軟弱者」
「………………」
「だいたいね、子犬飼ってたら一度や二度は部屋を見てめまい起こすような騒ぎがあって当たり前なの。お宅はたまたまポセが子犬のころ異常に大人しかったから経験がなかっただけで、2歳くらいまでは驚くようなことやるのは当然だし、何頭も犬飼っているといろいろ起こるもんでね……」

とここまで言ってはたと気づいた。初心者を見下したような言い方はいけないと数日前に深く反省したばかりではないか。誰でも最初はみな初心者なのだ。ツチノコ兄弟の悪行に耐え、その後姫さまという超大物悪戯の天才を飼っている管理人の基準だと屁とも思わない些細な出来事とはいえ、初めての人にとってはショッキングな事件なのだ。ここはひとつベテラン犬飼いといえど失敗はあるという話をして、場を盛り上げてやらねばならない。こう見えても管理人、じつは人を気遣う心根の優しい人間である。

「そういえばさ、うちでも今日、驚愕の事実が発覚したんだけど」
「何さ」
「うちのコたち『フセ』はかなり怪しいってこの前言っていたじゃない?」
「おお」
「それで今日どの程度できるか実験してみたんだけど」
「それで?」
「一切できませんでした」
「マジ?」
「うん。『ダウン』っていくら言っても『何言ってんの?』って顔してこっちを見てた」
「ありゃま」
「完全に忘れているみたい」
「うちのだって7割の確率でできるぜ」
「打率低すぎない?」
「0%の人に言われたくない」
「ごもっとも。あぁ〜あ、いくら無芸を誇っていても、やっぱフセぐらいできないと恥ずかしいよねぇ〜」
「いちおう基本ですからねぇ〜」
「もっとちゃんと教えておけばよかった。やっぱり復習が大事だよねぇ〜。後悔しても始まらないけどさ」
「なあ、なあ、犬猫屋敷の管理人のモットーって何だっけ?」
「犬はいくつになっても躾けられる」
「それから?」
「飼い主が諦めるのは犬に失礼」
「もひとつは?」
「犬と一緒に成長していく喜びを感じるのがほんとうの犬飼い」
「で?」
「…………」
「今さらあとには引けないでしょう?」
「…………」
「負けを認めるわけ?」
「どんなときでも人に負けるのは嫌い」
「だろう?じゃあさ!」
「判ったよ、判りましたよ。教えりゃいいんでしょう。フセの躾くらい気合い入れてやればすぐできますよ」
「やり方知ってる? 教えてやろうか?」
「…………ムカツク、」

というわけで、管理人は今さらながら我が家の3頭にフセの躾をする羽目になった。ツチノコ兄弟の場合は、まあ何とかなるかもしれないが、果たしてあのお姫さまがフセをするようになるのだろうか? だいたい、うちの外に出るとオスワリすらしない姫に、どうやってフセをさせるか。まあ今さら焦ってもしかたない。1年計画でゆっくり楽しみながらやることにしますか。

これからしばらく管理人の奮闘が続くことになる。

まず手始めに、フセの正しいポーズを教えなければ……
ツチノコ兄弟はこれが正しいフセのポーズだと思いこんでいるから
息抜き 2005年9月24日
  仕事は相変わらず毎日だが、今日はとても嬉しいことがあった。管理人が尊敬するプロ中のプロ、4パピママのちはりんさんがブログで、何と管理人のことを取り上げてくださったのだ。なっな、なんとそのタイトルが「素晴らしい犬飼い」

やっ……やべえ

ぴんからトリオにじっさい会ったことがある人が、あまりの芸なし振りを、ちはりんさんにチクリに行かないことを祈るばかりである。管理人、たしかに志は高いが、行動がイマイチ伴っていない。だって、うちの犬あんなこともこんなこともできないし……教えてないこといっぱいあるし……

やっぱり……

やっ……やべえ

これ以上ボロが出ないうちに、しばらくは大人しくしていよう。

ところで、ちはりんさんのところに凛くんのトレーニングビデオがアップされていた。昨日ポセ父さんが鬼軍曹のようにコマンドを入れるばかりではなく、まずは犬との信頼関係という内容の日記をあげていたが、まさにそれの体現ビデオだ。むろん、プロのかたのトレーニングだから凛くんがいろいろやるのは当たり前として、ぜひ注目していただきたいのは、飼い主さんの声のほうだ。ちはりんさんの出すコマンドは、素人が考えるような厳しい命令口調ではない。ふつうの飼い主が愛犬に話しかけているのと同じ調子で、それでもきちんとコマンドどおりに犬が動いていく。もひとついえば、リカバリーの巧さもさすがプロである。管理人のような素人は犬が要求どおりの動きをしなかったときに、ついついその時点で諦めてしまう。いけないと判ってはいても、今日はダメだった。まあいいか、と諦めてしまいがちだ。そこのところがやはりきちんと学んだ方とのちがいだ。巧いぐあいに犬を誘導して、最後はきちんと締めて褒めて終わらせる。

躾け教室にも行ったことがなく、訓練学校にも通ったことのない素人は、こんな簡単なことで感動してしまうのである。あ〜ぁ、かっこええ!

管理人も、いつかはこんなことできるようになるべく、これからも精進精進!

さて、我が家のほうは、何のためにもならないおちゃらけビデオである。まあ強いていえば、若干お天気が悪いこの3連休、愛犬愛猫とダラダラ過ごしながら少しでも和んでいただければ……



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日々反省 2005年9月23日
  昨晩の日記は、管理人そうとう感情的になって書いたものだ。とにかく機嫌が悪かったし、腹が立って眠れそうもないので、自分の気分転換に書いたものをまあいいかとアップしてしまったものである。翌日読み返してあまりの内容だったら削除すればいいやと軽い気持ちで考えていた。

だから思いの外多くのコメントいただいたことに管理人は驚いている。

世の中けっこうハードな犬飼いが多いんだわね、と思うと同時に自分自身反省すべき点にも気がついた。

「初心者」を糾弾するような内容ともとられかねない文章ではあったが、管理人自身「犬飼い初心者」がダメだとはまったく思ってはいない。逆に何頭も犬を飼っている人間よりも真面目に躾けに取り組もうとしている姿勢は好感が持てるし、初心者の育犬日記は微笑ましくて大好きだ。ただ、初心者であるが故に判らなくて当たり前だろうと開き直られるのは腹が立つ。少なくとも調べて考えた上でまちがった結論を出している分にはまだ救われるという気がするが、それもやらずに自分はこんなにがんばっているとそれだけを書き連ねている場合には興味はまったく半減する。管理人に言わせれば、それは単なる自己満足の世界だからだ。「初心者」が悪いとは思わないが「初心者」であることに甘えているのは許せない。これが管理人の言いたかったことだ。

「初心者」が「初心者」であることを連呼しなくてはならない理由が高飛車にものを言う「犬飼い経験者」だとしたら、これは管理人自身も含めて反省すべき点だろう。「そんなことも知らないの?」という態度は確かにぜったいによろしくない。人間誰だって知らないことはある。犬飼い歴通算十ウン年の管理人だって、プロのトレーナーだって知らないことは山ほどある。最初は誰だって無知なのだ。それを「この程度のことも知らないなんて」と言ってしまったら元も子もない。

聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥

とくに、犬の飼い方に関してこれほど的確な表現はないだろう。判らなければ知っていそうな人に訊いてみればいいし、訊かれたほうも大上段に構えず気楽に答えればいい。それで得た知識が引き出しにたまることで、人は色々なパターンに対処できる良い犬飼いになっていくのだ。

じっさい問題、世の中教えたがり屋がたくさんいる。だが、ほんとうに経験を積んでいる腕のいいプロのトレーナー以外の犬飼い経験者が初心者犬飼いに伝授するノウハウなど、しょせんは我が家ではこうやりましたという一例にすぎない。それが自分のケースに当てはまれば採用してみればいいし、うちには合わないと思えば適当に聞き流せばいい。教える方も、あくまでも参考意見として、もしくは自慢話を聞かせるぐらいの気持ちで話せばいいのだ。ところが多くの犬飼い経験者は、初心者から相談を持ちかけられると、待ってましたとばかりに自分の犬飼いノウハウをあたかもそれが唯一の手段であるかのように教えたがるものだ。それがさも正解のようにとうとうと正しい犬の飼い方を述べてみたりするわけだが、じっさいは犬の飼い方に正解などない。

これは以前から何度も言っていることだが、飼い主と愛犬の性格と特性、それに環境その他の様々な因子が複雑に絡み合って犬の問題行動などは起こるものだ。それに対してたったひとつの正解があると思う方がまちがっている。だから教える方も軽い気持ちで、教えられる方も適当な気持ちで、そうやってノウハウをお互いやりとりできれば何も問題はないはずだ。

管理人自身、日記でさんざん書いているように決して自分が完璧な犬飼いだとは思っていないし、うちの3頭に一度でも会ったことがある人なら、管理人の飼い方が理想とはほど遠いことは判るはずだ。だから管理人が言うことはあくまでも犬猫屋敷風犬の飼い方であって、それが気に入れば参考にしてもらえばいいし、まちがっていると思うなら反論してもらってかまわない。管理人は現在立派な犬飼いになる訓練中だし、これからもどんどん知識を蓄えていきたいと思っている。

自分はまだまだだ、と思い始めたのは、じつはツチノコ兄弟を引き取ってからだ。最初の犬を駄犬に育てて、その反省をふまえて猛勉強をした割りには、けっきょくツチノコ兄弟は名犬ラッシーのようにはならなかった。だいたい2頭がまったくちがう性格で、同じことをやったとしても期待どおりの結果など出てこない。犬の飼い方に正解はないと悟ったのはそのときだ。犬が変われば飼い方も変わる。その犬と自分に合った飼い方が正解であって、それ以外のすべての理論は単なる参考意見としてしか使えない。

おもしろいことに、これは語学と同じなのだ。たとえば数年間留学などしてある程度語学ができるようになると、一瞬自分は完璧なバイリンガルだと思いこむ時期がある。外国人の言うことはすべて聞き取れるし、言いたいことも何でも言える。これで自分は完璧だ。そう信じ込む人間が多いのだ。だが、じっさい外国語を商売の種にするようになると、今まで完璧に思えたのは「判らない」ということが判らなかったからだという事実に気づく。相手の言うことはすべて聞き取れているかもしれないが、その言語を母国語とする人間にしか判らない微妙なニュアンスまでは理解できていない。言いたいことは全部言っている気になっているだけで、単語ひとつひとつが持つ意味に合わせた微妙な使い分けができているわけではない。外国語を深く知れば知るほど、自分の力量不足に歯がゆい思いをする。

おそらく犬の飼い方も同じだろう。1頭目の犬を飼っている人の中には自分の躾は完璧だと思いこむ人がいるはずだ。だが2頭目3頭目と数を重ねていくうちに、犬を飼うことはそれほど簡単ではないと悟るだろう。躾の本は参考にはなるが、100%その通りにやって成功する人間などこの世にはいない。だから「初心者」も「経験者」もじっさいは同じ土俵の上に立っているのだ。ほんの少し先を行っているか否かのちがいだけで、たいしたちがいはないのだ。

それでも世間には知識の引き出しをたくさん持っている人がいる。たとえば4パピママの独り言のページには、ためになるノウハウが山ほど詰まっている。ふつうプロのトレーナーさんが書いているページというのは一般論だけで、仰ることはごもっともだけど、うちではこれは使えないと思う場合が多いのだが、4パピママさんのページにはさまざまなケースごとにその理由と矯正のためのノウハウが理論的に書かれていて、丹念に読んでいくと「これだ!」と思うものが必ず見つかる。事実、管理人も、今日見逃していた記事を読んでいて「なんだ、姫が散歩中に騒ぐ原因はこれだったんだ」と目から鱗の大発見をした。

これで今日管理人はひとつお利口になった。自分の無知を恥ずかしいと思うと同時に今日知らなかったことが明日は自分の引き出しに入っていることを嬉しく思う。

犬は学ぶことが大好きな動物だ。飼い主がきちんと教えればどんどん新しい知識を吸収していく。自分の愛犬に色々なことを教えるのと同時に、自分も犬飼いとして成長していくことに喜びを見いだせるような、そういう人にこそ犬を飼って欲しいなと管理人は思っている。

追伸:いちおう今日の日記は昨日コメントをくださった方へのお返事のつもりです。細かく言及していない部分もありますが……まあ多目にみてくださいな。
判る人だけが判ってくれればいい話 2005年9月22日
  管理人は機嫌が悪い。ただでさえ仕事が忙しい上に体調も悪く、その上出稼ぎに行ったらオジサンがまた管理人を怒らせるようなお馬鹿なリクエストをしてきた。

だが、一番管理人の血圧が上がる原因は、最近愛犬愛猫溺愛サイトを目指して明るく楽しいペット生活関連のサイトばかりを見ているせいだ。宣言から1週間も経たないうちに自分で負けを認めるのは本意ではないが、やはり管理人にはチャラチャラ自分のペット自慢だけをしている飼い主馬鹿サイトは似合わない。上辺だけの中途半端なネット上だけのつきあいも、やたらめったら「可愛いぃ〜」の大合唱も管理人には鬱陶しいだけだ。

そういうサイトを見て回って、とくに管理人が苛立つのは誰も彼もが「ペット飼い初心者」だからと連呼していることだ。まるでそれが錦のご紋のように「初心者」だと言えば何でも許されると思っているかのような印象を持つ。

言わずもがなだが、誰だって最初は初心者だ。犬をきちんと飼えるか飼えないかは何頭の犬を飼ったかで決まるのではない。自分自身が試行錯誤して失敗してそれを是正してきちんと自分の愛犬と向き合って育てていけるかどうかにかかっている。何冊マニュアルを読んだとしても、どれほど良いトレーナーについたとしても、けっきょく飼い主の心がけと熱意しだいなのだ。犬飼いには確かに才能もあるだろう。1頭目からきちんと飼える人もいるし、100頭飼ってもダメな飼い主はやはりダメな飼い主のままなのだ。

まちがった方法をとったからといって、それを一からやり直せないと思っているのなら、最初から犬など飼わない方がいい。躾の本には半年までにこれとこれ、1歳までにこれとこれを覚えさせましょうとは書いてある。だが、その時期までにできなかったからと言って「もうダメだ」と思いこむのは自分の犬を馬鹿にしている。犬はいくつになっても躾なおしが効く。時間はかかるがぜったいに悪癖は直すことができる。もしその直し方が本に書いてなければどうしたら良いか自分で考えればいい。それを考えずに飼い主が諦めてしまったら、それですべてはお終いだ。諦めた飼い主は愛犬の可能性の芽をその瞬間に摘んでしまう。

管理人が考える最悪の飼い主は自己弁護のために現実を否定する飼い主だ。わたしはこんなに一生懸命やっている。なのに巧くいかないはずはない。だから批判をする人はまちがっている。躾の本にきちんとやり方が書いてない。挙げ句の果ては犬が馬鹿だからと言い出すのだ。管理人はプロのトレーナーでも何でもないが、これだけは確信している。犬をちゃんと飼えないのは飼い主が悪い。遺伝的欠陥を持っているごく少数の犬を除いては問題犬の原因はいつでも問題飼い主だ。

反省のない飼い主はぜったいに成長しない。犬が変わっても、何頭飼ったとしてもダメ飼い主はダメ飼い主のまま一生を終えるのだ。できればそういう人はもう二度と犬を飼わない方がいい。自分と犬の関係を客観的に見られないのなら、そして客観的に見ている他者の意見(多くの場合トレーナーがこの嫌な役目を負うことになる)に耳を傾けられないのなら、最初から犬をきちんと飼おうなどと思うのは時間の無駄だ。うちの可愛い○○ちゃんと溺愛して馬鹿飼い主になりきっていた方がよっぽど幸せな生活を送れるだろう。

管理人は別にプロのトレーナーではないし、自分の犬の飼い方が100%正しいとも思っていない。こうして日記に書いてある内容は、あくまでも管理人個人の意見だし、反論があるならいつでもメールなりコメントなりで言い返してもらいたいと思っている。そういう意見はどんなに耳に痛い内容でも管理人自身の知識のストックに入っていくからだ。

犬猫屋敷では初めて飼った犬をどうしようもない駄犬に育ててしまった。考え得るすべての失敗をやらかした。その上、躾なおしができるという事実に気づかず「もう成犬だから直せない」と諦めてしまった。すでにこの世にいないかつての愛犬へのせめてもの罪滅ぼしは、もう一度同じ失敗を繰りかえさないことだと管理人は考えている。だからツチノコ兄弟を迎える前に十分勉強もしたし、自分のやらかした失敗をきちんと反省もした。

失敗をしない飼い主などいない。犬を飼っていれば後悔することばかりの毎日だ。ついでにいえば何頭犬を飼ったとしても「この犬は完璧」と思える犬を一生のうちに一頭も育てられない人のほうが多いのではないかと思う。犬を飼うということは本来一生楽しめる趣味なのだ。いくつになっても愛犬と一緒に目標を持って成長していける、それが犬を飼う本当の楽しさなのだ。

ただ、自分の愛犬をどう育てるかは本人が決めればいいことだ。別に飼い主がそれでいいなら、家を破壊されようが、年中飼い犬に手を噛まれようがそれはそれでいいだろう。他人が口出しすることではないし、そんなことをしてもお節介といわれて嫌われるだけでこれほど馬鹿馬鹿しいことはない。ちなみに管理人が最近とても気になるのは、多くの「初心者」が、躾=コマンドが入っていることと勘違いしているところだ。もちろんコマンドを入れるのは大切なことだが、躾の一番肝心な点は、犬はどんな場合にも飼い主の言うことをちゃんと聞くというところなのだ。いくつ芸ができたとしても飼い主をボスだと思っていない犬は躾が入った犬とは呼べない。逆に何一つ芸ができなくとも、飼い主の言うことをきちんと聞くなら、それは躾の入った犬なのだ。オスワリ、お手、フセ、ツケ。それはすべて躾が入っているか否かの判りやすい目安でしかない。それができるからと言ってそれで完璧と思ったら大間違いだ。犬を飼うということはそれほど甘いことではない。だがそれに気づかない「初心者」は世の中にたくさんいるのだ。

ちなみに管理人は別に躾マニアでも何でもない。じっさい犬猫屋敷の犬たちは平均的な水準から見たらあまりの芸の少なさに見る人が驚くほどの低レベルだ。管理人はとくに芸を教え込もうとは思わないし、自分の犬がお手もできない馬鹿犬と呼ばれても別に痛くも痒くもない。ただひとつだけ管理人が許さないのは犬たちが管理人の命令に背くことだ。管理人がダメといったらやってはいけない。それと人を咬んではいけない。この二つだけを徹底して教え込んでいる。なぜなら、管理人にとってはその二つが何より大切なことだからだ。呼べば来るように躾けておけば管理人が楽できる。ダメだといったら悪戯をしなければ、管理人が楽できる。人を咬む犬は人前に連れて出られないので、犬を連れて遊びに行かれなくなる。だから人は咬んではいけない。

管理人が犬を躾ける理由は自分が楽をしたいからだ。自分が犬との暮らしを楽しみたいから、ただそれだけなのだ。だから、どんな飼い方をしていようと飼い主がそれで何の不満もないのなら、どうぞ勝手に続けてください。その代わり、他人から批判されたとしても堂々と胸を張って答えなさい。

「これがうちの犬の飼い方です。文句があるなら言ってこい!」

もしそれができないのなら、自分の行動を客観的に顧みて改善点を見つけなさい。「初心者」の錦の御旗を振り回して甘ったれたことをいっている暇があったら自分の犬をよく観察しなさい。

管理人は、より多くの人に犬を飼う本当に楽しさを判って欲しいと思っている。この犬は自分が育てたのだと胸を張って言える喜びを知らないまま、ただ犬を飼っているというのは、やはりもったいないと思っている。本当に犬を飼う楽しさを知っている本当の犬飼いが増えてくれればいいと思っている。

だがもちろん、管理人が生きているあいだにそんな時代は来ないのかもしれない。
ほんとうに、ひとりひとりにできること 2005年9月20日
  判っている。もう何も言わないで欲しい。止める止めると言って引っ張る管理人は、まるで宇宙戦艦ヤマト状態である。ほんとうに、今日は仕事に専念しようと思っていたのだ。ところがそんなときに限って書きたいことを思いつく。

二子玉川里親会のお手伝いをしていた頃、毎月やはりお手伝いに来るももちゃん一家がいた。毎月欠かさずご家族でお手伝いに来る熱心さはともかく、何よりいいなと思っていたのは、常に愛犬ももちゃんが家族と一緒に遊びに来ていたということだ。

管理人自身も、ときには犬猫屋敷のぴんから兄弟を連れて行ってはいたが、里親会のお手伝いをする場合の基本は犬たちはお留守番だった。うちのトリオも1頭ずつ連れて歩けるようにしておけば交代制で連れて行けたのだが、3頭一緒となるとどうしても係留パイプ代わりに妹を連れて行かざるをえない。そうなると毎月というのはやはりどうしても無理になる。

管理人は週の半分は家で仕事をしているわけだし、元来、出不精な性格なので、そうとう長い時間を犬たちと一緒に過ごしているわけだが、それでもたまに犬たちを置いていくときはいつも後ろ髪を引かれる思いだ。出稼ぎの場合ならいざ知らず、友人と遊びに行くときなどは犬たちに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

以前は、会社帰りに買い物をしたり、あれこれ道草を食って帰ったものだが、犬を飼うようになってからというもの、用事が終わったらまっしぐらに家に戻るようになった。待ち合わせに遅れそうでも、会社に遅刻しそうであっても決してタクシーには乗らない貧乏人の管理人が、犬たちが待っているからという理由だけで大枚はたいてタクシーに乗ることもある。

犬と暮らせる時間は極端に短い。どんなに長生きな犬であってもせいぜい18年がいいところだ。ふつうの犬なら15年も生きれば大往生と呼ばれるだろう。犬の1日は人間の時間に換算すると4倍以上に値する。だから1日離れていただけで4日分の寂しさが募る。

それがどんなに辛いことでも、10年後には、おそらくうちの3頭は全員もうこの世にはいないだろう。もしかすると管理人自身もこの世にいないかもしれないが、少なくとも犬たちに関してはそれは避けようもない事実だ。だからこのコたちと一緒に過ごせる時間を管理人は大切にしたいと思っている。どれほど力を尽くしたとしても、ペットを失ったとき飼い主は必ずあれこれ後悔するものだ。だからせめてその後悔を若干なりとも少なくするためにも、できる限り長い時間をこのコたちと一緒に過ごしてやりたいと思う。

先日殺処分の現状について書いたあと、多くの方からコメントをいただいた。そのほとんどが、こういう事実を知っても何もできない自分が歯がゆいというものだった。生体販売やネットオークションをなくすための不買運動や抗議行動など、間接的ではあるにしろ、少しずつできることは色々あるということも日記に書いた。むろん、センターからの引き出しや預かりや運搬の手伝いといったボランティア活動ができるのならそれに超したことはないだろうが、何もそれだけが行動ではないと管理人は思っている。何より、そういったボランティアに奔走することで自分の愛犬との時間が犠牲になるのだとしたら、それが本当に正しいやり方なのか、管理人は疑問に思う。

「終生飼育」という言葉の意味は、ただ餌をやって生かしておくという意味ではないはずだ。確かにこの世の中には明日殺されてしまう不幸な犬たちが多いかもしれない。だが、だからといってその命を救うために自分の飼っている犬に我慢を強いるのは、やはり何かおかしいと思う。確かに今日救えるはずだった命は助けられないかもしれないが、本気で保護活動をしたいなら、まずは自分が現在飼っている犬をきちんと見送ったあと、それに専念すればいいだけだ。うちで留守番させるためだけなら犬を飼うべきではないし、少なくともそのために愛犬に寂しい思いをさせるのは飼い主のエゴに他ならない。

何もできない自分が歯がゆい。そう思っている人は、ぜひ自分の飼っている犬をもう一度よく見てやって欲しい。確かに直接的ではないにしろ、このコたちと一緒にいながらできる活動があるのではないか?

ほんとうに、誰にでも、ひとりひとりにできることは、いま飼っている犬を大切に愛情を持って育てることだ。良い犬を育てて、周りに良い犬飼いを育てていくことだ。いまあなたひとりが走り回ったとしても、決して社会はドラスティックには変わらない。満足感は得られないかもしれないが、しょせん個人にできることには限界がある。その限界の中で、とにかく自分の犬を大切にしながらできることから始めていかないと、いつまで経っても社会は何も変わらない。

あなたの愛犬は、寂しい思いをしていませんか?

追伸:世田谷区の三軒茶屋でセンターで殺処分になった犬たちの写真を集めた展示会が催されている。今週末の三連休、時間を見つけて立ち寄ってみるのはいかがだろうか?

9月14日(水)〜25日(日)  11時〜19時 入場無料

世田谷区太子堂 4−4−1キャロットタワー 4F  
生活工房ワークショップA 
犬の飼い方 2005年9月19日
  けっきょくのところ……書くわけね。まあ、今日はノルマもきちんとこなしたし、自分へのご褒美として日記を書くことぐらいは許してあげましょう。Good girl! 犬だって人間だってモチベーションが高くならないと、ほんらい巧くできるはずのことだってできないことがある。ご褒美はやっぱり大切なのだ(←だったら止めるなんて言うなって?!)

さて、とつぜんですが、今日は犬の飼い方の話だ。管理人の、他人の犬の飼い方に関する基本方針は「勝手にせい」この一言につきる。法律上、犬は飼い主の所有物であるし、どのように飼おうがその飼い主が犬を大切に可愛がって、最期まで面倒を見るのならそれはそれでかまわないと思っている。躾もしたければすればいいし、犬に噛まれようが犬に仕えようが飼い主がそれでいいと思うのなら、それでいい、これが管理人の基本姿勢である。

管理人は尋ねられなければ他人の犬の飼い方にあれこれ口を出すつもりはないし、正直過去の経験からいって、訊かれたから答えたことで却って不愉快な思いをしたことも多々ある。不思議なことに犬の飼い方というのは子供の育て方と一緒で決して否定してはいけないものと相場が決まっている。ここをこうしたほうがいいというアドバイスが、時に相手の人格否定のようにとられてしまうのだ。

とくに、多くの飼い主さんが躍起になって否定するのが「うちのコはアルファじゃありません!」ということだ。最近とくに思うのだが、飼い犬がアルファになるというのを不治の病にかかったようにおそれている人が多くいるような気がする。おそらく犬の躾に関する本などで「アルファ症候群」になると大変だとしつこく書いてあるせいなのだろう。ちなみに、管理人が知る限りアルファになる犬というのは特別の犬でも何でもない。群で暮らす習性がある犬の場合、どんな犬でもアルファになる可能性はある。うちのカイザーのような小心者の犬であっても、おそらく家族という群の中に適切なリーダーがいないと判断すれば自分がアルファになろうとするだろう。

散歩の時に犬が前を歩くとか、食餌中に器に手をかけたときに怒るとか、仰向けにして服従のポーズをとらせることができないとか、それをアルファか否かの基準と考えている人が多いようだが、それはあくまでも判りやすい目安でしかない。極端な話、犬に散歩に連れて行ってもらったり、餌に手をかけて唸られたり、へそ天してもらえないようなケースはアルファ以前の問題だ。管理人は、飼い主が犬に気を遣って生活し始めた時点で、その家のアルファは犬だと考えている。そしてそういう基準で考えると世間には驚くほどアルファ犬が多いのだ。

犬猫屋敷では犬の「苦手」をそのままにすることはしない。たとえば、姫がいくらサッカー少年が苦手だといっても、散歩の途中でサッカー少年とすれ違うときに、決して道を譲って逃げたりはしない。苦手なものを回避しているといつまで経っても苦手を克服することはできない。犬が嫌いだから、うちの犬はこれは苦手だからと許してしまうのは、管理人の考えでは飼い主が犬に気を使い始める第一歩だと思う。犬というのは驚くほど順応性が高い動物だ。故に飼い主が根気強く教えていけば、どんなに苦手なものであっても克服することができる。犬に苦手を克服させるのはそれほど難しいことではない。犬が嫌だと思っていることに好きなことを結びつけて覚えさせてやればいいだけだ。たとえば苦手なサッカー少年が来たら、必ずおいしいおやつをやる。それを続けていくと、サッカー少年=おやつというプラスの連想が働くようになる。最初のうちは遠くから眺めるだけ。次はほんの少しだけ近づいてと時間をかけて慣らしていけば、必ずいつかは苦手を克服することができる。

苦手を克服するのと同じように、どうしても止められない悪癖というのも、飼い主が根気強く教えてさえいけば、いつかは必ず止めさせることができる。これもやり方はほぼ同じだ。やらなければ褒めてやる。逆にやってしまったときは「それはいけないことなのだ」ときちんと判るように叱ってやる。それを続けていくことで犬は必ずやらなくなる。大切なことは、飼い主がいったん「イケナイ」と言ったことは、それをやらなくなるまで「No」で通すことだ。飼い主が根負けしてそれを許してしまうと、犬は次も許してもらえるのではないかと別のことまでやるようになる。

一度始めたら苦手の克服であろうと悪癖の矯正であろうと、やり遂げるまで止めない。いわば飼い主と愛犬の根比べになる。犬をアルファにしないために引っ張りっこでは必ず飼い主が勝つようにしましょう、と書いてある躾の本はいくらでもあるが、様々な矯正がすべて飼い主と犬の真剣勝負だと書いてある本は意外に少ない。だが、じっさいはそうなのだ。

うちの犬はもう5歳だからとか、この歳になったら今さら直すのはもう無理だと諦めてしまう飼い主は多いが、管理人にしてみればもったいないことだなと思う。40歳の人間に悪癖を止めさせることよりも6歳の犬を矯正する方がよほど簡単だ。きちんと正しい方法でトレーニングしていけば決して犬に過度のストレスをかけることにもならないはずだ。何より、何らかの目標を立ててトレーニングをすることで、少しばかり退屈になりつつある成犬との暮らしに張り合いと潤いが出てくると思う。

子犬を飼い始めたら、半年までにこれとこれ、一歳になるまでにはこれをやっておかなくてはいけないという躾の本は数多くあるが、じっさい犬の躾というのは一生続くものだと管理人は考えている。別に名犬にする必要はないし(犬猫屋敷の犬たちはお世辞にも名犬とは言い難い)たくさんの芸をできるように仕込む必要もないのだが、次はこれをやってみよう、その次はこれができるようにしようと何らかの目標を立ててそれに向かって試行錯誤していくのは犬を飼う本当の楽しみなのではないかと思っている。そうやって、犬と一緒に何かやることに無情の楽しみを見いだせる人にこそ、ぜひ犬を飼って欲しいなと管理人は思っている。
最終回って言ったくせに…… 2005年9月18日
  最終回って言ったくせに……
ついでといっては何ですが、今日はおまけの動画を公開いたします。

じつは昨日公開した動画は2本作ったうちの1本である。最後までどちらを公開しようか悩んだのだが、けっきょく自分の気に入ったほうを上げることにした。

今日公開するのは、このサイトの常連さんには、保護動物譲渡の関係者が多いことを考えるとこちらのほうがウケるかなぁ〜と思わないでもない一品である。まあ、どちらが好きかは個人の好みだろうが、ちなみに素材はほとんど同じである。一部写真を貼り替えて、BGMとメッセージを変えてみた。

素材は一緒でも料理法しだいでいくらでも変わるというサンプルとしてお楽しみください!

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最終回?! 2005年9月17日
  今日で姫が犬猫屋敷にやってきて丸一年が経つ。昨年の9/18、姫は我が家にやってきた。

振り返れば色々なことがあったが、あっという間の一年である。来た初日に姫とツチノコ兄弟はいきなりとっくみあいの大喧嘩。それから目が合えば唸りあう日々が数ヶ月続いた。互いの存在すら気に入らず、相手がいるときは部屋にも入ってこない。気に入らないことがあると牙をむきだしての喧嘩で、姫は3回ほど血を流すことになった。とにかく緊張感がとぎれることのない、最初はそんな毎日だった。

この3頭が仲良く共存できる日が来るのだろうか、と管理人自身も不安だったが、いつしかベッドで添い寝をするようになり、ふざけて走り回るようになり、耳を嘗めあうようにすらなった。

彼らは決して気の合う犬同士ではない。ひとつのおもちゃを巡ってじゃれて遊ぶようなことは未だに姫とはできないし、餌やおやつを横取りされようものなら真剣になってうなり声を上げる。だが、それでも3頭は仲良く共存している。群の仲間としてお互いの存在をきちんと認めるようになった。成犬同士の同居は相性が悪いと難しいとは判っていたが、それでも時間をかければ何とか暮らしていけるようになるものだ。犬というのは人間より数倍柔軟性があるということがよく判った。

預かり家庭にいた当初はオスワリもできない犬と言われていた姫だが、今やスワレもマテも当たり前のようにできるようになった。気にくわないことがあると、平気で部屋の真ん中に水たまりを作る困った癖は相変わらずだが、トイレもきちんと決められた場所でできるようになった。リードを巧く操作すれば散歩の時の引っ張りも昔に比べると格段に矯正できた。「お静かに」という犬猫屋敷特性コマンドを覚えさせたおかげで、以前のように何かといえば絶叫する癖もなくなった。

近頃姫は盗み食いをしなくなった。以前は食べ物を置いて一瞬目を離したらマジックのように姫の腹の中に消えていたのだが、最近はよほどの好物でない限り手をつけることはなくなった。一年が経って、ようやく放浪していた頃の飢えの記憶が薄らいできたのか、とにかくこの家にいる限り食いっぱぐれることはないということは理解したようだ。

成犬を躾けなおすには飼い主の根気が必要だ。子犬の躾けに比べてとくに難しい点は何もないが、身についた悪癖を取り去るには若干時間がかかる。何度も失敗して試行錯誤を続けながら、いつしか気がつくときちんとできるようになっている、それが成犬の躾のような気がする。

姫がこの一年で驚くほど成長したのと同じように、管理人自身にも大きな変化があった。姫を引き取ったことで保護動物の譲渡活動に多少なりとも関わるようになり、明るく楽しいペットとの生活の裏側にある陰の部分を嫌と言うほど知ることになった。飼い主がいないというだけの理由で毎年驚くべき数の犬猫たちが殺されている現実。安楽死とは名ばかりのガスによる殺処分の方法。新しい飼い主を探している犬猫を引き取っては譲渡する活動が必ずしも本当の動物好きによる善意の行動だけではないという現実。

正直、ここまで知りたくなかったと思っている。可哀想な犬猫たちに新しい家を見つけてやって、それで自分は良いことをしていると多少なりとも満足感を得られるのならその方がよほど楽だったろう。だが、そんな単純な構図を信じられるほど管理人は世間知らずのお人好しではない。

現在の譲渡活動にはまだまだ改善すべき点が残っているし、総合的に社会を変えていく働きかけをしていかない限り、けっきょくは目の前の犬猫を数匹助けるだけで状況は何も変わらない。一種のアリ地獄が続いていく。犬猫を助けている心優しい自分に酔っているだけの人にとってはそれで十分満足だろうが、管理人にしてみればそれは単なる時間の無駄にしか思えない。あまりにも悲惨な現実から目をそらして「可哀想」という感情論だけで闇雲に行動するのは、最終的に状況を改善できないのみならず社会を変える障害にすらなっている。日本人の多くはどうやらボランティアというのは昔ながらのやり方で汗水垂らして非効率なことを「がんばって」やることだと勘違いしているらしい。だが、管理人に言わせればそれは自己愛以外のなにものでもない。世の中は日々進歩しているのだ。10年前には大企業しかできなかったことが、一個人や資金のないボランティア団体にもできるような時代なのだ。それを巧く活用しないのは愚かなことだし、もし本当に犬猫の幸せを考えているのなら、最良の方法を使うのが当たり前ではないのか?

ともかく、こうしたことを言い続けて早365日、正直管理人は疲れた。保護活動をしている人々の訳のわからないテリトリー意識やレベルの低い人間関係のごたごたにはうんざりしているし、雨後の竹の子のように乱立している似たような「保護団体」の存在じたいに嫌気がさしている。何より、この1年間保護団体バッシングに近いことを書き続けているにもかかわらず、誰ひとりとして反論すらしてこない現実にほとほと呆れかえっているのだ。ちなみにじっさい保護活動をしている人が、管理人の書くことを由としているわけではないのは重々承知している。管理人が個人の責任で一個人の意見として述べているにもかかわらず管理人の友人知人に対して「ああいうことは不愉快だ。止めさせろ」と言ってくる人が多くいた。

なぜ文句があるなら管理人に直接言ってこないのだろうか? 反論があるならいつでも言ってこられるようメールアドレスも公開しているし、サイトに掲示板もコメント欄もつけている。にもかかわらず、誰ひとりとして管理人に直接クレームをつけてくる人間はいなかった。だが、これが現在の保護活動の現実なのだ。見たくないものには蓋をし、自分の都合のいいことだけに目を向けて、似た者どうしが集まる小さな集団の中で自己満足に浸っている。

勝手にやれば?

これが管理人の現在の気持ちだ。どうぞ皆さん仲良しグループで勝手に楽しくやっていってください。その小さな仲良しグループのあいだで、何とか年間犬160,209 匹、猫275,628 匹を飼ってくれる、常に誰かが家にいて、きちんと結婚していて小さな子供のいない、持ち家に住んでいて引っ越しのない、55歳以下の、躾もされていない犬猫がどんな悪さをしても許してくれる心の広いご家族を見つけていってください。管理人は、本当に犬猫と飼い主の幸せを考えて、必要な躾をしてきちんと最期まで面倒をみてくれるまともな飼い主に犬猫を譲渡する運動をしていく団体以外とはもう関わり合いを持つつもりもないし、それ以外の妙な仲良しグループに提案をするのも一切止めることにする。

いくら言ってもしょせんは無駄なことなのだ。犬猫屋敷の管理人は無駄なことが大嫌いだ。

幸か不幸かこの一年、管理人自身も仕事の上で大きな転機を迎えた。今はそうとう忙しい時期だし、今後しばらくは仕事に専念する必要がある。きちんとメンテができない以上犬猫屋敷じたいを一周年を期に閉鎖しようかとも思ったが、せっかくいくつか動画も作ったことだし、管理人自身気が向いたときに長々と下らない話を書くのは今や趣味の域に達している。

というわけで今後は不定期に書きたいことがあったときだけ気ままに日記を更新する典型的な飼い主馬鹿の愛犬愛猫溺愛サイトとしてやっていくつもりだ。

最後に、今日まで管理人の無駄話を読みに毎日サイトに通ってくださった皆さん、本当にありがとうございました。三日坊主の典型のような根性なしの管理人がこうして1年間毎日日記を書き続けることができたのも、皆さんの応援のおかげです。ツチノコ兄弟と姫の不仲に頭を悩ませていたとき、もう一がんばりと気合いを入れ直して何とか辛い時期を乗り切れたのも、皆さんが声援してくださったおかげと心から感謝しています。

いつも読んでくださった皆さん、とくに姫が来た当初から姫の活躍(?)に声援を送ってくださった皆さんに心を込めて贈ります。姫はいま犬猫屋敷でこんなに達者にやっています。

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またっすか?! 2005年9月16日
  今週末、9月18日(日)は江戸川区篠崎で千葉Wanのプチ里親会がございます。イネを探しているク、やヌュが赤い糸を見つけに集まります。幸い予報によるとタイ、・ border=のようですし、河原をお散歩がてら犬を好きなだけグリグリする。これって犬飼いの無情の喜びね。

お暇な方は、ぜひ行ったって

管理人一押しのおっとこ前のぱぁくも初登場。マジで本物のほうが数段可愛いっす。ほんとうに良い犬なんだ。直で見たら誰だって惚れます。

もちろんぱぁくだけではなく、千葉Wan日記でおなじみのコたちがたくさんやってくる。詳細はこちらから。

今回は、なんとオリジナルグッズの販売もあるらしい。ちなみに管理人もすっかり行く気になっていたのだ。先月はアキレス坊の応援に新座に行ったし、やっぱ今月は姫の古巣の千葉Wanでしょう、と勝手に決めていた。昨日の夜まではすっかりその気で犬のシャンプー予定まで決めていた。そしたら昨晩妹に冷たく言い渡された。

車使うから日曜はダメ!(管理人号泣)

おまけに、連休→すごぉ〜く、すごぉ〜く嫌な予感が的中し、今日クライアントから電話が来た。



まただよ……



明日より犬猫屋敷の管理人、また地獄のハードワークの日々に突入いたします。

ため息のつきすぎで酸欠になりそうである。ほんとうに世間が浮き浮きしているときに限ってなぜ仕事がごっそり舞い込むのか? 管理人は前世でよっぽど行いが悪かったとみえる。

おまけに極度の寝不足続き(またもや動画に懲りすぎて毎晩遅くまであれこれやっていた)のせいか歯がウズウズ痛んでどうしようもない。とりあえず明日マテリアルが届くまでに何とか体調を復活させないととんでもないことになりそうな嫌な予感がしている。

今後しばらくは本館も別館もメンテすらできない日々が続きそうだ。仕事が忙しいのもあるし、それに……(明日に続く)
笑えなかった 2005年9月15日
  昨日の夕方、女系猫猫犬家族さんからケータイにメールがあった。

「今日のトリビア見てね!」

わざわざ「見ろ」と言ってくるということは、かのお宅のアイドル犬Choco.が出演するのだろうか? それともピッチとふうの猫軍団のほうだろうか?

興味津々でテレビの前に座るとトリビアの種が「主人が散歩の途中で倒れたら雑種の犬は助けを呼びに行くか?」という企画だったのだが、正直言って管理人は笑えなかった。

管理人、けっこうトリビア好きである。下らないネタにへらへら笑っていることがよくある。だが、この手の番組で「雑種=お馬鹿さん」「純血種(この場合はラブ)=お利口さん」的な単純比較をされるのは非常に不快感を覚える。別にうちの3頭が雑種だから言っているのではない。うちのコたちがお馬鹿さん扱いされようと別に管理人は何とも思わない。問題は「純血種=お利口さん」を真に受けた多くのお馬鹿な人間たちがラブを飼えば我が家に来たその日からスーパードッグになると勘違いしてペットショップやネットオークションにラブの子犬を買いに走るのが恐ろしいのだ。

たかがテレビのお笑い番組を見て、ラブ=名犬という間違った認識を持つ人間などいないだろうと思うのは甘い。テレビの威力というのは恐ろしいのだ。まったく犬を飼う気などなかった人間がこれを見て「ラブを飼おう!」とペットショップに走るとは思えないが、少なくとも犬が欲しくて何にしようか?と検討している家庭の何割かは、この番組を見て「やっぱりラブにしよう」と思うことだろう。ラブの子犬の恐ろしい破壊力も知らず。きちんと躾をしなければラブだろうがボーダーコリーだろうが単なる犬だということに気づきもせず……

ちなみに実験の内容はこうだ。愛犬と散歩中に飼い主が突然具合が悪くなってその場に倒れ込む。動かなくなった飼い主を見て愛犬ははたして助けを呼びに走るだろうか?これを100頭の雑種で実験してみた。ちなみにとうぜんのことながら助けを呼びに行った犬の数はゼロである。

多少なりとも犬の習性を知っている人が見れば、この実験の馬鹿馬鹿しさは一目瞭然だ。飼い主がその場で動かなくなるのはむろん芝居である。大根役者のように「あぁぁ〜苦しい、ポチ、助けてくれぇ〜」などとセリフを棒読みして地面に寝そべる飼い主を見て、犬が戸惑うのは当たり前だ。犬は人間とちがって視覚と聴覚だけに頼っているわけではない。人間に比べると彼らは嗅覚が非常に発達している。飼い主の身体から発する汗や分泌物の臭いを敏感にかぎ分ける犬にとって、猿芝居の挙げ句に地面に寝そべっている飼い主は意味不明の行動をとっているようにしか見えないだろう。発作やショック状態に陥っているのとちがって飼い主の身体からは通常の臭いしかしないのだ。視覚に頼る人間は騙されるかもしれないが、犬にしてみれば地面に寝そべっている飼い主はただそこで目をつぶっているだけというのが判るのだ。ご主人様はいったい何をしているのだろうか?そう思うのがふつうの犬の心理である。

ほとんどの犬が10分以上その場を離れずにいたのはたいしたものだと管理人は思った。リードを離したら最後、うちの犬はどこかに飛んでいってしまうと思っている飼い主は多いが、じっさい長年飼っている家庭犬というのは散歩の途中でリードを離したとしても主人のそばから離れない。犬が逃げてしまうというのは単に飼い主が追いかけるからいけないのだ。ふつうの飼い犬なら、飼い主のそばを離れるのは不安なのでその場に留まるのが当たり前だ。だが番組では助けを呼びに行くでもなく飼い主の周りをうろうろしている犬を笑いものにしていた。犬にとって見れば実に不合理な話である。

もし本当に飼い主の身体に異常が起こっていたら、中には助けを呼びに行く犬もいるかもしれないが、ほとんどはその場で吠え声を上げるだろう。何かがおかしいと感じたら、不安のあまり吠えて周りに知らせようとする、これが習性を考えるとふつうの犬がとる行動だ。群を行動の基本とする犬はよほどのことがない限り、群の仲間から離れることはしない。だから、そこで犬が自分の判断で助けを呼びに行くことを期待する方がどうかしているのだ。むろん、犬には経験から学習する能力が備わっているので、過去に何らかの形で異常事態の時は別の人間に助けを求めるのが良いという経験をしていればそういう行動をとる個体もいるだろう。だが、飼い主を窮地から救うために助けを呼びに走るというのは「名犬ラッシー」を見てあれが犬の本来の行動であると勘違いして育った人間の描く幻想である。

ちなみにもしも助けを呼びに走る個体がいるとしたら、それは世間で頭がいいと言われているラブやゴールデンなどのレトリバー系やボーダーコリーなどの躾を入れやすい犬種ではなく、馬鹿犬呼ばわりされることの多いハウンド系やテリア系などのいわゆる躾けにくい犬なのではないかと管理人は予想している。人間の出すコマンドに従うよう改良された犬とちがって犬独自の判断力を必要とされる仕事をするようブリーディングされたこうした飼いずらいと言われる犬種には、管理人が寝坊すると姫が自分で朝食を調達するように、必要とあらば自分で考え最良の道を選択する判断力が備わっているからだ。

ちなみに、この番組を見て管理人が不快に思ったのは、雑種100頭のうち助けを呼びに行った犬の数がゼロだったという結果発表のあと、比較のために救助犬としての訓練を受けたラブが倒れた飼い主を見て助けを呼びに走るところを流していた点だ。もちろん救助犬としての訓練を受けている以上、状況によって行動すべくトレーニングを受けているだろうし、キーワードとなるコマンドか手によるサインがあるのはまちがいない。だが一般人にはそんなことが判るわけはない。いちおう「救助犬としての訓練を受けた犬」とは言っていたが、おそらく視聴者の印象に焼きついたのは「飼い主を救うために名犬ラッシーのように助けを呼びに行く賢いラブと何もできずに飼い主のそばをうろつくだけのダメな雑種」の対比である。せめてこの後、昨日の日記に上がっていたアキレスの勇姿(?)のスライドショーでも流してくれれば管理人としては文句を言う気にもならなかったとは思うのだが。

いずれにせよ、この実験じたい何の意味もなさないし、犬の習性に関する最低限の知識を持つ人間の目から見れば馬鹿馬鹿しいという以外コメントのしようもない。むろんトリビアじたいが馬鹿馬鹿しいことを真面目な顔で論じて笑うことが目的のバラエティー番組なのだから真剣に怒ることじたいが馬鹿馬鹿しいのかもしれない。それでも新しい飼い主を探す掲示板やセンターで殺処分になる犬の中に常にラブが含まれている現状を考えると、このような形で「ラブ=名犬」のまちがった印象を植えつけるのは、やはりいかがなものかと思うのだ。

もうすぐ姫が我が家にやってきて1年が経つ。姫と出会ってから飼い主を探す保護犬の実態やそれを取り巻く里親会という名の魑魅魍魎の世界、そしてセンターでの保護処分の実態について様々なことを学ぶにつれ、管理人自身の考え方が大きく変わってきたことを感じる。以前は大好きな犬が出ているというだけの理由で楽しんで見ていた番組を見ては眉をひそめたり腹が立つことが多くなってきた。大好きな犬のことでいつもイライラしているのは精神衛生上よろしくない。そんなこんなで色々と考えていることも多いのだが、その話はまた後日。

追伸:先日来犬猫屋敷周辺で妙な盛り上がりを見せている動画だが、一部Mac使用者(具体的にはうちの妹)から「見られん!」という苦情が届いた。Windowsでは標準装備のWindows Media Playerがインストールされていないとこの形式のファイルは再生できない。というわけで、今までどうしても動画が見られなかったという方はこちらのサイトからWMPのフリーソフトをダウンロードしてお楽しみください。
出稼ぎから戻ってみれば…… 2005年9月14日
  出稼ぎから戻ってみれば……
部屋の入り口周辺に白く細長いものが飛び散っていた。あまりに掃除が行き届かないためについに謎の生物が孵化したかと目を凝らしてよくよく見ると犬の耳掃除セットを入れた棚が荒らされていた。




床に飛び散ったのは100本入りの綿棒。買ったばかりの新しいケースを床にぶちまけた奴がいたらしい。

部屋の奥に進んでいくと床一面に白い四角いものが点々と落ちている。真新しい化粧用コットンも一箱まるまる犠牲になったようだ。




ツチノコ兄弟が交互にコットンの箱に顔をつっこんで中身を周辺にばらまいていた。

ふつう、成犬は悪戯などしない。少なくとも管理人の知る限り3歳を過ぎるとふつうは大人しくお留守番ができるものだ。


だが、この方は違う。


いつまでも純真な子供の心を忘れない。



今日も一日楽しかったようで……良かったですね、姫さま
溺愛パート4 2005年9月13日
  他人に言われる前に自分で言っておくが、管理人はまちがいなく筋金入りの

飼い主馬鹿である。


うちの犬たちは世界で一番可愛いと信じているし、我が愛犬たちの姿は何時間眺めていても飽きることはない。この世にこんなに可愛い犬が他にあろうかと思っている。

そんな管理人の現在の悩みは、ネット上に公開できる動画に時間制限があるということである。良識ある大人(且つ無料サイトを利用している貧乏人)の場合、ファイルサイズをある程度押さえる必要がある。つまりはそのために動画は一定の長さまで切る必要が出てくるのだが、その上限が2分なのだ。

撮り溜めた愛犬たちのビデオを編集しながら管理人は悩みに悩んでいる。うちのコたちがあまりに可愛すぎて切る部分が見つからないのだ(汗)

他人の犬ならば冷静に判断ができる。この角度よりもこちらのほうが見栄えがするとさっさといらない部分を削除することができる。だが、素材がうちのコとなるとそう簡単にはいかない。これがいいか、いやこちらも捨てがたいとビデオの編集ソフトを前に延々何時間も悩むことになる。

いちおう世間を感動させる社会派動画アーチストを自認する管理人だが、今日の作品はどうひいき目に見ても単なる飼い主馬鹿の愛犬自慢である。

それでも……どうしてもこれは公開したいのだ。

だって、あまりにLovelyだから!

そういえば、この動画ブームの火付け役であるビジュアル派のポセ父さんだが(←別にポセ父さんが眉毛を剃って化粧をしているという意味ではない。念のため)すっかり動画作りに飽きたようだ。むろん、後発とはいえ管理人のような天才動画アーチストの登場に恐れおののいてカメラを手に取るのが怖くなったという可能性は否定できないが……

それでは皆様お待たせしました。飼い主馬鹿丸出しの犬猫屋敷の管理人がお送りする溺愛ビデオ。本邦初公開の動くツチノコ兄弟ご幼少のみぎりのワンシーンをとくとご覧あれ!

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芋洗い 2005年9月12日
  昨晩、東京地方は午後からひどい雨だった。朝のうちに選挙に行っておけばよかったのだが、もちろん日曜日に犬猫屋敷の住人が早く起きることなどあり得ない。

「まっいいか。どうせ夜の散歩があるし、そのときに行けばいいや」

そう思っていたら土砂降りになってきた。投票締め切り時間ぎりぎりになってようやく少し小振りになったので3頭を連れて妹と共に散歩がてら選挙会場である近所の小学校に向かった。必要なことをさせ、投票して家に帰る頃には人間も犬もドロドロになっていた。いまどき舗装道路よりも土の道のほうが多い東京のチベットに住んでいる弊害である。

雨の日の散歩から帰るとツチノコ兄弟は風呂場に直行する。短足長毛種の2頭は泥の中を歩くと脚だけではなく躰の下半分がすべて泥だらけになる。とても拭いただけではとれないのでシャワーで洗わなくてはならないのだ。子犬の頃からご褒美をやって躾けたせいで、彼らは「お風呂場」というだけで自ら洗い場に直行する。それ以外の時は玄関先に敷いた犬用マットの上で管理人の「OK」が出るまで待機する。無芸大食のツチノコ兄弟が唯一誇れる芸である。

姫は当初、係留していないと泥足のまま勝手に家に上がり込んでしまっていた。「待つ」ということが極端に苦手だったので、仕方なく姫だけはドアにリードでつないでいた。だが半年を過ぎた頃から、この家では足をきれいに拭かないと家に入ってはいけないこと、名前を呼ばれるまでは三和土で待機しなくてはいけないということをきちんと学習した。

今は姫も玄関を入ったとたんリードから外している。それでもきちんと三和土にオスワリして待てるようになった。

晴れた日は、順に3頭の足をぞうきんでぬぐってやるので問題はないのだが、雨の日は少しやり方が異なる。ツチノコ兄弟の場合はどうしても洗わざるをえないのだが、足長短毛種の姫の場合はほとんどの場合ぞうきんでよく拭いてやるだけで足下の汚れはすべて落ちる。その上完全防水のコートのおかげでよほどのずぶぬれでない限りバスタオルで全身を拭いてやるだけで水気はほとんど残らない。雨に濡れたらドライヤーが必須のツチノコ兄弟とは条件がちがう。だからツチノコ兄弟は風呂場へ、姫は三和土でと分けて作業をしていた。

ところが、なぜか昨晩は「お風呂場」のかけ声でツチノコ兄弟のみならず姫までもが一緒に洗い場に飛び込んだ。「お風呂場」と言われたら洗い場に直行し、そこで管理人が来るまで待っているとご褒美のおやつがもらえるらしい。姫はいつの間にかその絡繰りに気がついたようだ。

ちなみに姫にも同じようにおやつをやっている。おとなしく身体を拭かせたらご褒美をやっているのだ。だが犬にも「隣の芝生は青く」見えるらしい。ぜったいにあのデブ兄弟のほうが良いものをもらっているにちがいない、と姫は考えたようだ。

我が家の洗い場はお世辞にも広いとは言えない。ツチノコ兄弟と管理人が入ると方向転換もままならないような狭い洗い場に、犬猫屋敷の基準では小柄とはいえ20kgの犬がもう一頭入ったところを想像して欲しい。まるで真夏の海水浴場か夏休み中のプールのような状態である。方向転換ができないのみならず、洗い場のドアを閉めることすらできなかった。

大型犬の世話をする場合、2頭以上を同時にというのは飼い主にとっては負担になる。ツチノコ兄弟の場合は子犬の時から2頭で飼っているので何でも2頭一度にできるように躾けてあるし、こちらもそれなりに手順を判っているのだが後から来た姫に関してはどうしても別にやらなくてはいけないことが多くある。まずはツチノコ兄弟、それから姫という分け方が姫にしてみれば気にくわない。自分が見えないところでツチノコ兄弟だけが良い思いをしているのではないか? 常にそんな強迫観念に駆られているらしい。だから姫にとってツチノコ兄弟と「一緒に」何かやることは大切なことなのだ。だからといって、狭い洗い場でシャンプーやリンスのボトルを蹴散らしながら無理矢理その隙間に収まる意味があるのだろうか?

多頭飼いの場合、群全体をひとつのコマンドで動かすことはさほど難しいことではないのだが、おまえとおまえはこっち、あなたはあっちというように個別に分けて飼い主の望む行動をとらせるのは至難の業だ。とくに姫のように常にみんなと一緒にいたがる犬にとっては、なぜ分けて作業をしなくてはならないかを理解させるのには時間がかかる。

もちろんそんな芋洗いのような状態では作業がしにくくてたまらないのだが、それでも管理人は姫を褒めてやって耳の後ろを掻いてご褒美をやった。飼い主が望む行動ではなかったが、「ツチノコ兄弟はお風呂場。姫はステイ」と言ったわけではない以上「お風呂場」のコマンドに反応して姫が起こした行動はやはりコマンドに従ったとして褒めてやらねばならないからだ。

狭い洗い場でパズルのように3頭を移動させながら、何とか全員の脚を洗って、その後、こんどは洗い場に輪をかけて狭い脱衣所で3頭全員にドライヤーをかけてやった。散歩から帰って犬たちをきれいにし終わるまでの所要時間は1時間あまり。

犬たちの餌代と治療費を稼ぐためだけに汗水垂らして働くのみならず、ただでさえ忙しいのに犬の世話に毎日何時間もかけている自分が信じられない。犬を飼うのは手がかかる。だが日々それなりの時間をかけなければきちんと犬を飼うことはできない。それを負担と思ってしまったら犬を飼うことはできない。

それでも管理人が犬を飼っているのは、犬と一緒の時間が何より楽しいからだ。散歩が大変だから、世話ができないからと捨てられる犬たちを見るにつけ思う。犬に関わる時間を楽しいと思えないならば、その時点で犬を飼うべきではないし、じっさい犬を飼っている人たちは楽しいことばかりではないことを潜在的な犬飼い候補者たちにきちんと知らしめていく必要がある。

この日記を読んでいる友人が「犬は好きだけど、私には無理。飼えないわ」と先日ため息混じりに言っていた。そう思ってくれる人が増えれば、毎日日記を書き続ける意義もあると内心ほくそ笑んでいる管理人だ。
動画第1弾 2005年9月11日
  苦節10日間、ようやく夢の動画の公開にこぎ着けた。

来る日も来る日も眠い目をこすりながら明け方まで動画という魑魅魍魎の世界と格闘した甲斐があった。管理人にしては会心の出来である(←自画自賛。)

おまけにもう他人に頭を下げなくてもいいように、自分のサイトに別館イネを増築しての挑戦である。何しろ、めぐろのいぬやしきさま曰く「巷の空前の動画ブーム@犬猫屋敷方面」である。その中心たる犬猫屋敷に肝心の動画がないのでは天下の犬猫屋敷の管理人ヘ・ border=の名がすたる(←けっきょくはただの負けず嫌い)

記念すべき第1回作品は先日お邪魔した教祖さま宅でのChoco.と天才犬グレイ嬢のようすである。室内で撮った映像で、おまけに顔グロのChoco.が主演なのでイマイチ見にくいのだが、その辺はご愛敬。ちなみに誰がなんと言おうと、管理人が自分の映像アーチストとしての才能に酔いしれているのはむろん言うまでもない。

それでは皆様お待たせしました。本邦初公開、天才監督犬猫屋敷の管理人がお送りするプロモーションビデオ「Choco.教祖さまに初お目見え」をどうぞご堪能ください。

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犬は天下の回りもの 2005年9月10日
  マーシャママさんの東京都のセンター見学報告を読んだ。以前の千葉のセンターと違って、東京都では殺処分前の犬猫が収容される部屋などの核心の部分は一般に公開していない。もともと東京都の場合は成犬の引き出しも許可されている登録団体が多く、処分数もずば抜けて多いというわけではないのだが、それでもまだ、日々多くの犬猫たちが殺処分になっている。

東京都では子犬はほとんどが譲渡に回される。殺処分になる犬の多くは年をとっていたり病気だったりして譲渡対象にはなりえない犬たちだ。歳をとって世話が大変だから、病気になって面倒がみきれないからと長年飼っていた犬を捨てる飼い主の気持ちが管理人にはわからない。むろん、どんなことがあっても最期まで面倒をみるのは飼い主としての努めだが、もしどうしてもそれが不可能ならば、少なくとも獣医に頼んで注射による安楽死を選択できない理由は何なのだろうか?

確かにすべての獣医が安楽死を推奨しているわけではないし、たまたま通っていた獣医がそれを拒否する場合もあるだろう。だが探せばきちんと処置をしてくれる獣医もちゃんといる。少なくともセンターに連れて行って不安の中で苦しみながら死なせるよりは、注射による安楽死の方が遙かにましだと思う獣医の方が多いだろう。動物の命を絶つという決断を飼い主がするのが良いか悪いかは賛否両論あるだろうが、少なくとも現代の日本では飼い主に見捨てられた犬は生きていくことはできない。ならば死という部分までも飼い主がコントロールするのはいたしかたないだろう。

悲しいかな、飼い主に捨てられた成犬に新しい飼い主が見つかる確率は驚くほど低い、これが現実である。なぜかこの国では、多くの人が未だに犬は子犬の頃から飼わないと懐かないとかたくなに信じている。ちなみに、このときの子犬というのは生後3ヶ月以内の、ペットショップでガラスの箱に入っているコロコロした子犬のことである。じっさい、犬の成長速度を考えると身体的に成熟する6ヶ月から1歳未満の犬はすべて子犬の部類に入るのだが、足下もおぼつかないコロコロした赤ちゃん犬だけが子犬だと思っている人があまりにも多い。

世間でいわゆる子犬と呼ばれている赤ちゃん犬は、人間にたとえれば2歳以下の赤ん坊である。言葉もわからないし、排泄のコントロールもできない。要求があれば泣きわめくだけで、正直言ってどうしようもないくらい手がかかる。確かに赤ん坊は可愛い。だが、可愛いからといって赤ん坊を欲しいと思う人間が世の中にどれほどいるだろうか? 見ているのは可愛い、だがうちにこんなものがいたら大変だと思うのがふつうの大人の神経だと思う。可愛いコロコロの子犬を飼い始めて、ケージやサークルも使わず家の中に放置しておくのは、いわば2歳未満の子供をオシメなしで部屋に置いておくようなものである。目を離せば確実に家は悲惨な状況になる。ふつうの親ならこれくらいの子供は目を離すときにはサークルに入れたりして動きを管理するものだろう。ところが、犬の場合は檻に入れるのは可哀想だと本気で言う人間がいるのが判らない。人間だって檻に入っているのだから、犬を入れても問題はないはずだ。

いずれにせよ、どんなに手がかかるとしても子犬の可愛さは捨てがたいものがある。だから犬を飼おうとする多くの人は、まずコロコロした赤ちゃん犬の飛びつく。そのためじっさい、捨てられる犬の多くが新しい飼い主を探すチャンスすら与えられずに殺処分されることにる。成犬譲渡が進めば、より多くの犬を救うことができるのだ。少なくとも今は譲渡対象にはならないとされている犬たちの何割かは命を救われることになる。

里親会などの会場でも「成犬はいいですよ」と管理人は言い続けている。友人にも「どうせもらうなら一番手のかかる赤ちゃん時代よりもちょっと育った半年から1年のコがお奨め」とひたすら布教活動を続けている。それでもやはり多くの人は赤ちゃん犬が欲しいと言う。理由はとにかく可愛いからだ。だが、その可愛い時期は犬の一生から見たらほんの1/40にも満たないのだ。

成犬(4ヶ月以上の犬)は懐かないというのは間違った思いこみだ。確かに人間に飼われたことのない犬は新しい飼い主に馴染むまで時間がかかる。だが時間がかかるだけで懐かないというわけではない。ましてや人の飼われたことのある犬は成犬であっても1ヶ月もあれば新しい飼い主を笑顔で見上げるようになる。むろん多くの捨てられる成犬に躾け直しが必要なケースもあるが、別に子犬を躾けるのと違いがあるわけではない。問題ありとして捨てられる犬の99%は飼い主の方が問題があるだけで、適切な方法でトレーニングをすればすぐに立派な家庭犬に変身させることができるのだ。

姫のように5歳以上と判断された犬の場合、ふつうなら譲渡対象になる確率はほとんど0に等しいだろう。歳をとっているだけではなく、姫は先天的な病気も持っている。まさにもらい手がつかない犬の典型のようなものだ。だが、その姫をもらった管理人が言うのだからまちがいない。たとえ歳をとっていようと、躰に多少障害があったとしても、ふだんの生活には何の支障もない。どんな犬であっても、犬との生活は楽しい。躾け直して数ヶ月でみるみる変わっていく新しい愛犬の姿を見るのは、日々成長していく子犬を育てるのと同じような楽しみがある。

管理人が個人的に飼い主探しを応援しているやんちゃ坊主アキレスや文句のつけどころがないくらいきちんと躾けられているボーダーコリー似のぱぁく君など欧米の基準で言えば募集をかけたとたんに飼いたいという人が殺到するような犬ですら、この国ではなかなか飼い主が見つからない。

殺処分をなくすために、殺されるためだけに生まれてくる命を増やさないための不妊去勢手術の徹底や、飼いきれないと捨てられる犬が減るように飼い主の躾けに関する考え方やモラルを向上させるのはもちろん大切なことだ。だがひとつの即効性のある方法は、成犬譲渡を推進させることだと管理人は考えている。世間には新しい飼い主を探している犬が多くいるのだ。そして同じようにペットを欲しがっている飼い主候補もたくさんいる。それを巧く引き合わせることができれば、少なくとも救える命の数は確実に増えていくはずだ。

「犬は天下の回りもの」

成犬であっても犬は懐く。子犬よりも手がかからなくて飼いやすい。管理人どうよう成犬譲渡を受けた飼い主さんが、自分のブログやサイトなどで成犬を飼うメリットをもっともっと派手に宣伝していってくれることを願って止まない。
動画……coming soon! 2005年9月9日
  7日の日記が消えた。

昨日の日記は前に書いてあったものをちょっと手直しして上げたのだが、日付を訂正するのを忘れ、それに気づいてアップし直したり色々やっているうちに気がついたら前日の日記がきれいさっぱり消えていた。

管理人はその日のノリで書いているので何を書いたかは記憶にない。確か飼い犬に手を噛まれたオジサンの話だったような気がするがその話にどうオチをつけたか覚えていない。噛み癖だけは直しましょうとかそんなことを書いたような気もするが、とても書き直すことなど不可能だ。

だが、カレンダーの7日の部分だけ穴が空くのは気に入らない。というわけで、たまたま我が家の常連さん兼ご不浄の居候であるワハ母(←最近改名)さまから送られてきた、姫のそっくりさんであるハンナの「コココ」動画を載せることにした。

ハンナのコココが何なのかは、数ヶ月前にご不浄をたまたま覗いた人(それもとても記憶が良い人)にしか判らないだろう。簡単に言うと、ハンナは嬉しいときに「コココ」とのどの奥を鳴らすような妙な音を立てる。その証拠画像がこれだ。

それにしても、掲示板を無料で開放するだけではなく、そのメンテをして、なおかつ画像を公開してあげる(その上見やすいように問題の部分だけ切り取る編集までして)管理人はなんと良い人なんだろう。ワハ母さまから気が遠くなるほど大きなプレゼントがいつ届くか楽しみである、。

さて、動画だが……管理人のライバルであるポセ父さんのアーチプロモーションビデオに触発され「うちも動画を上げるぞ!」と宣言して早9日。この間管理人はずっと動画の世界に浸かっていた。ふつうデジタルビデオカメラさえ持っていればケーブル1本で動画をPCに取り込めるはずである。少なくともポセ父さんはそういっていた。

「誰でもできるぞ。簡単だ」

だが、簡単なのは最新のDVを持っている人だけである。管理人の所有している旧式のDVはなんとパソコンからDVだとは認めてもらえなかった。何度やっても「認識できません」というエラーメッセージが返ってくる。よくよく調べたら機種が古すぎて画像をダイレクトに取り込めないことが判った。オプションの機械を買えば取り込めないこともないようだが、今時パラレルポートでつなぐなどと書いてある。そんなもん使ったら1本のビデオを取り込むだけで半日はゆうにかかる。

やってられん、

ふつうの人ならここで新しいDVを買うか何かするのだろう。だが管理人は貧乏だ。出費はできる限り押さえたい。ただでさえ新しい彼の請求書がもうすぐ届くのだ。この上DVまで購入している余裕などない。そこで管理人はネットの世界を彷徨った。いかに安く、早く画像をPCに取り込むか。管理人は夜ごと画像関連のサイトを渡り歩いた。そして様々なことを学習した。

画像って色々なファイル形式があるんだ。同じDVDでもPCで作ったものとレコーダーで作ったものはソフトを介さないと読めないんだ。DVから取り込んだ画像は変換しないとすぐには加工できないんだ。

ストリーミング? エンコード?? リッピング???

そしてほぼ丸1週間を費やして、ついに管理人は1円もかけずにフリーソフトだけでテレビにつなぐDVDレコーダーを介してDVの画像をPCに取り込み加工する方法をマスターした。様々なテストを繰り返し、昨晩ついにそれに成功したときは天にも昇るような気分になった。

これでうちのコたちの動画をアップできるぞシ遙ハ・チ・逾ュ。ヒ

すでに構想はできている。BGMも選んである。あとは妹さまにお願いして撮り溜めた画像をDVDに指定の形式で保存してもらうだけである(←管理人はDVDレコーダーすら持っていない)。

もうすぐだ。動くぴんからトリオの姿をネットで世界に公開する日は近い……
目的 2005年9月8日
  従来のHPとは違うブログの長所は記事をカテゴリー分けできるという点だ。これまで管理人が書いてきたものを思い返して、この程度でいいかなとつけたいくつのカテゴリーだが、もしかしたらその中に「譲渡活動批判」という新カテゴリーを作るべきかとも思いはじめている。

最初に言っておくが、管理人は保護犬猫の譲渡活動を熱心に応援しているサポーターだ。この国ではまだ、こういった活動があまりにもマイナーだと考えているし、うちにも保護犬を1頭引き取っていて、手が必要ならばできる範囲でお手伝いするし、いくつかの保護団体に定期的に寄付もしている。サイトでも必要に応じて宣伝は怠らないし、できればもっと多くの人がペットショップなどで子犬子猫を「買う」のではなく、新しい家を探している保護動物(とくに成犬成猫)を「飼って」くれればいいと望んでいる。

そんな管理人の目から見ても、いまの犬猫の譲渡活動は根本的なところで何かが間違っている。毎日多くの犬猫が処分されている現状を変えるには、とにかくより多くの一般人が当たり前のように保護動物を引き取りに来るようにしなければいけないはずなのだ。多くの保護団体が犬猫譲渡の活動と平行して行っているセンターでの処分方法の見直しを求める運動や、不妊去勢手術の徹底に関する働きかけにしても、ただ闇雲に訴えかけるより、自分の身の回りに保護動物がいれば、当たり前のようにその活動に賛同する人が増えていくはずだ。短期、中期、長期できちんと目標を立て、それに沿った運営を続けていけば10年後には少なくとも状況は変わっているはずなのに、現在の保護団体はどこもそんなことはしていない。ただ闇雲に目の前にいる「可哀想な」動物を引き取って、新しい飼い主を見つけることだけに心血を注いでいる。

現在の譲渡活動の実態は、ほんの一握りのきちんとした組織を除いては「わんこちゃん、にゃんこちゃんが大好きな心優しい人々」による心温まるボランティア活動の域を出ていない。内輪ウケは外部の人間から見ると気持ちが悪い。ごく内輪の仲間内でやっている心優しい人々の保護活動は一種の宗教集団のようなもので、たとえ保護動物を引き取ろうと思っても、そういう集団に近寄ることに躊躇して結局ほかの手段で犬猫を手に入れる人も多いはずだ。

管理人が理想としているのは、欧米型のきちんと組織だったシェルターをベースとした保護活動だ。地域にシェルターを設けて、犬猫が欲しければまずシェルターから探すような社会になってくれるといいと思っている。そのためには、現在の異常ともいえる純血種崇拝主義や成犬成猫はなつかないという間違った認識を変えていかなくてはならないし、とくに犬に関してはあまりにも飼い主全体のレベルが低すぎる。その上、犬猫を譲渡する側も意識を変えてくれないことにはおそらく何も変わらないと信じている。

管理人が気にくわないのは、多くの保護団体が未だに「可哀想なこのコたちに愛の手を」という背中がムズムズするようなスローガンを掲げていることだ。捨て犬捨て猫として保護された時点で、自動的に「可哀想な犬猫」にされてしまうのだ。「可哀想」という言葉には「自分じゃなくて良かった」という相手を見下したような傲慢さがあって好きになれない。相手を「可哀想」と思うことで、一段高いところから「可哀想な」動物たちを救ってやろうというその態度じたいが管理人にしてみれば傲慢だと感じる。「可哀想な犬猫」を救ってやっている心優しいわたし。冷たい言い方をするようだが、今の譲渡活動に見え隠れする嫌らしさの根源はそんなところにあるのではないか?

ふつうの人は暗い可哀想なものよりも、明るく楽しいものが好きなのだ。だからより多くの保護動物に家を見つけてやろうと思ったら「可哀想なこのコたち」を強調するよりも、それぞれの個性やチャームポイントを前面に出した方がいいはずなのだ。なのに未だに多くの里親募集サイトでは「不幸な犬猫の現状を見て!」「こんな可哀想な犬猫を救ってやってください!」のオンパレードだ。

はっきり言って気が滅入る。譲渡活動サポーターの管理人ですら、用事がなければ見に行く気にもならない。

もしも、そんな自己愛のためにやっているのなら、その時点で、こういう人たちは犬の保護活動などすべきではないし、こういう輩が譲渡活動をしていることじたい、一般人が保護動物を引き取ることの障害になっている。

サイトを訪れる人が「また覗いてみよう」と思わないようなサイトを作るのは、そのサイトが保護活動をしている人々の単なる自己満足にすぎないからだ。どうように、また来てみようと思うような楽しい里親会を演出できないのは、そこに集う宗教団体めいたボランティアの人々が内輪ウケの自己愛に浸っているのが周りから見ると鼻につくからだ。

だいたい雨後の竹の子のように小さな里親会が乱立していること自体がおかしいのだ。同じ目標を持っているのなら連携して進めていけばずっと効率がいいはずだ。どこかの会が書類を作ったら、みんなでそれを使い回せばいい。サイトだって個別に立てるのではなくひとつにまとめた方がずっとすっきりするだろう。それをそれぞれが「うちは、うちは」と自分たちだけがさも違うことをやっているかように自分の意見を主張するのは、けっきょく自分たちがやりたいようにしたいからだ。その時点で単なる仲良しグループによる趣味の世界なのだ。いくら汗水垂らしてがんばっていると主張しても、状況が変わらないのでは何も意味はない。

おそらくこういうことを言い続けても、現状はほとんど何も変わらないだろう。人を批判すればとうぜんそのしっぺ返しを食らうだろうし、だいたい「良いこと」をしているはずの譲渡活動家を批判するのは、一般的に見ればタブーなのだと思う。だが、それでもあえて管理人がこういうことを主張し続けるのは、現に毎日相当数の犬猫が飼い主がいないというだけの理由で殺されているからだ。その中には多くの「助けられるはずの命」が混じっているからだ。こういった活動に携わる人間がほんの少し大人になるだけで色々なことが変わっていくはずだからなのだ。

目の前に今すぐ保護が必要な犬猫がいれば、どうしてもそちらに先に目がいってしまう気持ちはよくわかる。じっさい管理人もそういう状況にいたときは、とにかくこのコたちに何とか家を見つけてやろうと走り回っていた。そして究極の目的を忘れていた。管理人が望んでいるのは多くの犬猫たちに家を見つけてやることではない。新しい飼い主探しをしなくてはならないような犬猫の数を減らすことなのだ。管理人は譲渡活動をしたいのではなくて、譲渡活動が必要なくなることを望んでいるのだ。

現在犬猫譲渡のボランティア活動に携わっている人は、ほんの一瞬でいいから歩みを止めて自分の行動を顧みて欲しい。

あなたが望んでいるのは犬猫に新しい家を見つけてやることですか? 

それともそういう活動自体が必要なくなる社会を実現することですか?
似たものどうし 2005年9月6日
  似たもの夫婦という言葉があるが、じっさい驚くほどよく似た夫婦というのを見かけることがある。

もともと自分に似た相手を伴侶として選んだのか、それとも長年一緒に暮らしているうちに似てきてしまったのかは判らないが、電車の中などで、そっくりな夫婦を見ると不思議だなと思うと同時に微笑ましく思ってしまう。

人間には好みがある。将来の伴侶を選ぶのと同じように犬選びにも好みが出る。最初から、無意識に自分に似たタイプの犬を選ぶのか、それとも一緒に暮らしているうちに犬が飼い主に似てくるものなのかは知らないが、夫婦どうようよく似ている飼い主と犬というのは多いものだ。

犬猫屋敷の常連さんによると我が家の犬たちも飼い主に似ているらしい。確かに、食べることが何よりの楽しみで、強情でわがままで、そのうえ自分勝手で図々しい性格はどこかの誰かにそっくりかもしれない。

もともと自分に似た犬を選ぶのか? それとも一緒に暮らしているうちに似てきてしまうのか?

そっくりと言われる管理人とうちの犬たちだが、そのちがいは一目瞭然だ。




服を着ている方が管理人。
へそ天 2005年9月5日
 姫はへそ天をしない。

もうすぐ我が家に来て1年が経とうとしているのに、未だに飼い主である管理人にすら仰向けになって甘えることはしない。へそ天は服従のポーズなので姫はアルファ指向が強い犬と言えないこともないのだが、ふだんの姫の態度を見ていると、管理人がこの群れのボスであることはちゃんと認識していると思う。それなのになぜ腹を見せて服従のポーズをとらないのか?

生まれたときから家庭内で蝶よ花よと育てられた温室育ちのツチノコ兄弟は、基本的に人を疑うことを知らない。彼らにとって人間というのは優しくしてくれる者であって警戒すべき対象だとは思ってもいない。だから赤の他人の前でも平気で腹を出して甘える。だが独り暮らしをしていた姫は、世間には良い人ばかりではなく悪い人もいるということをちゃんと知っている。

そういえば先日お泊まりに来たポセイドンも決してへそ天をしない犬だった。野良犬だった母親と一緒に保護されたポセにとって、人間というのはすべてが善人というわけではないのかもしれない。それに対して前の飼い主に捨てられたアキレスは、来たばかりの犬猫屋敷でも、まったく躊躇なくへそ天でイビキをかいて眠っていた。放棄犬とはいえ、子犬の時から家庭内で育てられたアーチにとっては人間というのは信用に足る生き物なのだろう。むろん、脳天気なラブ特有の性格のせいで、嫌なことはさっさと忘れているという可能性もないわけではないが……

1年前我が家にやってきた当初は、管理人が近づいただけでさっと立ち上がっていた姫だが、今では管理人の足下で安心してうずくまって眠るようになった。寝ている姫に近づいていきなり腹を撫でても、驚いたように起きあがることはしなくなった。これだけでも上出来なのかもしれない。犬との信頼関係を作るのには時間がかかる。姫が心の底から管理人を信頼してくれれば、いつかは腹を見せて甘えてくれる日も来ることだろう。

ところで、そうとう気合いを入れて作ったスライドショーだが、一部のPCで見られないという苦情が相次いだ。ファイルじたいの設定に問題があるのか、はたまたファイルを置いてあるサイトの問題か、いくら調べても原因がまったく判らずけっきょく管理人は昨日一日頭を悩ませていた。

見られなかったという人たちは「ポセ父さんのところの動画は見られたのに」と異口同音に言う。ポセ父さんのところもうちも、動画ファイルを置いている場所は同じジオシティーだ。ただ表向きには同じように見えても、じつは大きな違いがある。貧乏人の管理人が無料のジオサイトを借りているのに対して、金持ち父さんポセ父さんは有料サイトを使っているのだ。貧乏人に世間は冷たい。いつも泣くのは貧乏人だ。金がないというのは、本当に辛いものだ。

一昨日の夜、ファイルをアップしてすぐに一部の人から見られないという苦情があった。じつはすでにその時点で、心優しいポセ父さんから心温まるオファーがあったのだ。

「まだまだディスクに余裕があるからスペース貸してやってもいいぜ。何しろうちは有料サイトだから」

ム・カ・ツ・ク・!


武士は食わねど高楊枝。管理人は、他人に腹を見せて甘えるような真似は得意ではない。心優しいポセ父さんの、涙がチョチョ切れるような申し出を即座に蹴って、管理人は昨日一日どうやったらみんながこのスライドショーを見られるようになるか試行錯誤に明け暮れたのである。

そしてその結果、管理人の電脳レベルではとても太刀打ちできない問題だということがよく判った。そこで今朝、管理人はポセ父さんの申し出をありがたく受けることにした。もちろん、他人に頭を下げるのは得意ではない。だから精一杯感謝の気持ちを込めてこう言った。

「どうしてもスペースが余って困っているようなら、使ってあげてもいいわよ」

これでまた見られなかったら本当に、本日総合ランキング第2位に輝いた犬猫屋敷をやっかんだポセ父さんの呪いがかかっているにちがいない。だが今のところ何も問題なく見られているはずだ。やはり有料サイトは強いのか。月に数百円で他人に頭を下げる必要がなくなるのなら有料サイトに乗り換えようかと真剣に検討し始めた管理人である。
あなたに何ができますか? 2005年9月4日
  せっかくの週末に真面目な話二連チャンというのもどうだろうかとは思うのだが、昨日公開したスライドショー(管理人の手違いでファイルサイズを間違ったために見られなかった方、ごめんなさい。適正なサイズに変更しましたのでまた後で試してみてください)に多くの反響をいただいたので、それに関して管理人なりの考えを書いてみることにする。

まず第一に、毎年15万頭以上の犬(猫の場合はその倍近くの27万匹あまりだ−参考文献についてはこちら)が毎年飼い主が見つからないというだけの理由で簡単に殺処分されていることに、多くの人はとうぜんのことながら心を痛めることだろう。それは当然だと思う。このサイトを含め、こういった問題を取り扱うところに出入りするのは、たいていペットを飼っている人や動物が好きな人間が多いからだ。根底にあるのは「心ある犬や猫にこんなことをするのは可哀想」という感情だ。ペット関連のサイトばかりを見て回っていると忘れがちになるのだが、世の中動物好きの人間ばかりではない。つまり「可哀想」という感情を共有できるのは、じつはごく一部の特殊な人々だけなのだ。その特殊な感情を基準として、こうした殺処分を止めさせようといくら訴えかけたところで、じっさいはほとんど効果がない。たとえば、こうしたサイトを覗きに来る人は多くの場合不妊去勢手術の重要性をちゃんと認識しているわけだし、一度飼い始めたら終生飼育ということぐらい十分承知している。そういう人だけが集まるサイトで「不幸な命を増やさないために手術をきちんと受けさせましょう。最後まで面倒見られない動物は飼うのを止めましょう」といくら主張したとしても、またそこに「そうだそうだ」とコメントがついたとしても、結局は内輪ウケの域を出ないのだ。

そういう活動が全く無意味だとは思わないが、それではあまりに時間がかかりすぎる。その活動が実を結ぶまでのあいだに多くの救えるはずの命が消えていく。

では、より早くこういった処分を止めさせるにはどうしたらいいのだろうか?

まず一番重要なのは、とにかく周囲の人に話すことである。だが「殺処分は犬猫が可哀想」という論法でいくら熱く主張を語っても、周りは引いていくだけである。「熱く主張を語る活動家」など今の時代には不似合いだ。そういう特殊な人間がいくら正しいことを言ったとしても一般人は誰も耳を貸さない。一般人に聞いてもらえなければ状況は何も変わりはしない。

だから、ふつうの人に話をするときは、動物が可哀想というよりも、こんなことに税金を無駄遣いするよりももっと有効な使い道(不妊去勢手術の補助金、動物の登録管理など)があるのではないか?という提案の方がよっぽど受け入れられやすい。税金の使い道に関しては誰だって関心がある。自分の払った税金でわざわざ動物を苦しめて殺していると知って喜ぶ人間などいないはずだ。

管理人はペットショップの生体販売に反対している。理由は以前書いたとおりだが、同時にネットでの販売や生体オークションもなくすべきだと思っている。首都圏のセンターに収容される多くの犬たちがこういったところで販売された純血種であるというのが主な理由だ。きちんとした知識も持たずに安易に動物を手に入れる手段はできるだけなくした方がいいと考えている。可愛い子犬の写真を見て、衝動的に購入して、結局「大きくなりすぎた」などの理由で手放すのなら最初から手に入れられないようにすべきなのだ。

だが、ネットショッピングは止めるべきだ!といくら主張したところでおそらく何も変わらない。買う人がいる以上それはビジネスとして成り立つ。金儲けができれば人はそこに群がるものだ。それが自由な競争社会の原則なのだからそれを止めろと言うわけにはいかない。だったら止めさせればいいだけなのだ。買う人がいなくなればビジネスとして成り立たなくなる。そうすればペットは金になると参入してきた人間たちは当然他の金になる世界に移動していく。では具体的にどうすればいいのか?

これまた、まずは話すことである。ペットを飼おうと思っている人はたいていすでにペットを飼っている人を見つけては話をしたがるものである。そうなったら布教活動のチャンスだ。遠回しにネットショッピングや生体オークションで買った犬について注意事項を吹き込んでいく。ペットショップで売られているコたちに関しても、できればその裏にあるペットミルの仕組みなどを話して思いとどまらせるよう説得するのだ。純血種が欲しいならきちんとしたブリーダーから手に入れるように。雑種が欲しいなら、センターの譲渡会や保護された動物たちを引き取るという手段があるということを。

大手ペットショップ(たいていは生体販売も手がけている)やネットオークションなどの企業に対しては、不買運動という方法がある。確かにこういった大型店はペットグッズも安価で販売しているし、思わず行きたくなるのはとうぜんだろう。だが、その店で生体以外のものを買うだけでもじつは生体販売を助長していることになる。今はネットで何でも買える時代だ。探せば安価なペットシーツやフードなどいくらでも探すことができる。犬猫屋敷のように大量に消費するわけではないと、送料がかかるので割高になってしまうのだが、それならば近所の人や友人同士で共同購入すればいいだけだ。基本的にブリーダー、業者向けとなっているところから買うと単位が大きくなるのだが(トイレシートだと1000枚単位、おやつ類も100コ単位)単価は恐ろしく安くなる。1000枚のトイレシートをどうするんだ?と思うかもしれないが、5人集まれば200枚ずつ。それならふだんペットショップで買っているのと大して変わらない量ではないだろうか?

管理人は最近某有名ガム(緑のあれね)を大量にケースで購入した。里親会などの会場で知り合いに実費で販売を手がけている。別に利益は出ないのだが、それで大型ペットショップの売り上げが減るのなら管理人は満足だ。じっさい実費だとふつうのネットで買うよりも消費税と送料分くらいは安くなるので友人たちにも喜ばれる。極端な話、トイレシートの担当はこの人、おやつはこの人、フードはこの人と決めておいて、月に1回オフ会もかねて集まれば送料分は安くなる。月に使う量はだいたい判っているのだから、予約販売制度で損をすることはあり得ない。究極の共同購入である。

一人二人がこんなことをやっても大してインパクトはないだろう。だがペットを飼う人の多くがこれをやり始めたら? その影響力の大きさは計り知れないものがある。ペットを飼う人にそっぽを向かれたらペットショップは商売が成り立たなくなる。極端な話、生体販売だけで利益を出している企業などあり得ない。多くの店では生体販売を行うことで、その後も引き続きペットグッズを買ってもらうことを期待しているのだ。生体販売をすることでお客が逃げていくとしたら、ペットショップは生体販売を止めざるをえなくなる。だから、値段に変わりがないのなら、できれば生体販売をしている店からは買わないことを心がければ、多くの犬飼いがこれを実践していけば、まちがいなく状況は変わっていく。

ネットについても同じことだ。管理人はしつこくYahooにこだわっているのだが、それは大手の中でYahooだけがネットでの生体オークション禁止を明記しているからだ。もちろん、Yahoo以外を使わないわけにはいかない。とくに楽○などの大手のショッピングサイトにはたくさんのペットグッズの店が並んでいるし、それも安価なものが多いのだ。だが同じ値段ならそこからではなくYahooの方から買うようにしている。どうしても値段に差がある場合は、業者に1通のメールを直接送るのもいいだろう。「○○のオークションサイトは生体販売をしているので、できればそこからは買いたくありません。Yahoo経由でもしくは直接取引はできませんか?」というメールを出してみるのだ。一人二人がそれをやっても大したインパクトはないだろう。だが次々とそういうメールが届くようになれば、とうぜん業者は危機感を覚える。生体オークションをやっているサイトにつながっていることでビジネスに悪影響があると判れば、とうぜん業者だって考える。生体オークションのないサイトに乗り換えるか、生体オークションを止めさせる働きかけをするだろう。

可哀想だと訴えたところで物事は変わらない。だがビジネスの世界では損をすると思えば必ず企業は動くのだ。お願いしても止めさせられないものは、止めざるをえないようにし向ければいい。ビジネスで動いている人間に感情で訴えかけても意味はない。ビジネスにはビジネスで。損得勘定で動く人間には損をさせればいいのだ。

最後に、究極の誰にでもできる活動は、とにかく自分の飼っている犬にきちんと躾をして立派な家庭犬に育てることだ。糞尿の始末をきちんとするのは言うに及ばず、散歩の途中で人に不快感を与えたり、無駄吠えで近所に迷惑をかけたりすることがないよう、自分の犬をきちんと管理することで世間一般の動物に関する考え方を変えることができる。

管理人は積極的な子供嫌いなのだが、嫌いな人間にとって躾のされていないどうしようもない子供というのはやたら目につくものだ。世間にはちゃんと子供を育てている親というのも、もちろんたくさんいるのだが、子供好きだと「まあ可愛い」で済ませられることが嫌いな人間には許せない。たとえばファミレスで大声を上げながら駆け回っている子供たち。それを見て目を細めるのは子供好きの人間だけで、管理人などは「ダウンステイができないのならちゃんとリードにつないでおけ!」と怒鳴りたくなる。犬嫌いの人も同じだろう。世間に多くいるきちんと躾の入ったちゃんとした犬よりも、やたらに吠えて問題を起こすダメな犬にばかり目がいってしまう。

だからより多くの飼い主が、きちんと自分の犬に躾をして適切に管理できるようになれば、世間の犬を見る目も変わっていく。犬の福祉を考えたとき、ドイツやイギリスというのがやはり先進国なのだが、この二カ国が犬の躾に関しても先進国であるのはもちろん言うまでもない。動物の権利を主張するには、周りの犬好き以外の人間に認めさせるくらいきちんとした躾をすることが必要なのだ。ペットの権利を主張したいなら、ペットをきちんと管理するのは飼い主の義務である。それができないまま、いくら可哀想だと動物の権利を主張したところで、けっきょく社会は変わらない。

たとえ処分される犬猫を飼ってやることができなくても、個人にできることはたくさんある。助けられる命をできるだけ救ってやるために、殺されるためだけに生まれてくる命を増やさないために、できることから始めてみませんか?
殺処分 2005年9月3日
  心と躰を休めるための週末にいきなりヘビーな話題で申し訳ない。じつは管理人、昨日この話題に触れたかったのだが諸事情で準備が間に合わず結局今日になってしまったのだ。

先日センターを見学に行ったマーシャママさんのブログに見学レポートが写真付きで載っていた。管理人自身はセンターを見学したことはないし、正直行くのが恐ろしい。数日以内にはこの世から消えてなくなるはずの命を目の当たりにして冷静でいられる自信がないからだ。だからといって現在のペットブームの陰の部分に目を背けるつもりはない。うちにも1頭、運が悪ければまちがいなく殺処分になっていた犬がいるからだ。

殺処分の現状に関して訴え続けることは大切だし、安易に動物を手に入れてそれを飼いきれずに放棄したり適切な不妊去勢手術を怠る人間を非難することは簡単にできる。こういった地道な努力が実を結ばないというわけではないにしろ、管理人としてはできるだけ手っ取り早い手段で現状を変えられればと望んでいる。時間をかけて運動の輪を広げているあいだに、確実に毎日消えていく命が増えていくからだ。

という理由で、今日は目先を変えて現在勉強中の動画用ソフトを利用してスライドショーを造ってみた。もしかしたら映像の方がよりインパクトがあるかもしれないという新戦略である。

収容されていた犬たちの画像はマーシャママさんのブログから、いまは幸せに暮らしている元保護犬たちの画像は、無断拝借してもおそらく快く許してくれるであろう友人たちからお借りした。

日本人に訴えかけるのになぜ英語にしたかとお叱りを受けそうなので先に弁解しておくが、日本語で書くとどうも背中がムズムズするし、BGMが演歌になる。というわけでメッセージはすべて英語で入れることにした。英語は不得意!という方のために、いちおう下に訳をつけておく。

最後にマーシャママさんのカメラにおさめられた今はもうこの世にいないコたちの冥福を祈ってこのスライドショーを捧げます。

みんな、こんど生まれてくるときは優しい飼い主に愛されるような幸せな家庭犬でいられますように……

本邦初公開、スライドショー「Adopt a dog」は
こちらをポチッとな

(注意:一部のPCでうまく再生できないようです。原因が判らないのでエラーが出続ける場合はリンクを右クリックして「対象をファイルに保存」を指定して、ダウンロードしてご覧ください)


メッセージの訳文:

この国では、毎年15万頭以上の犬が殺処分になっている。
住む家がないというだけの理由で。
彼らは今でもこの世にいたかもしれないのだ。
微笑みながら……
飼い主を愛し……
飼い主に愛され……
1頭でもそんな犬たちを引き取ってやってください。
こういう事実があることを、周りの人に話してください。
あなたに何ができるのか、考えてみてください。
傾向と対策 2005年9月2日
  今日は、またもや犬猫屋敷本館ご不浄在住の「説得式犬飼い道」の教祖様の家におじゃましてきた。女系猫猫犬家族の末っ子Choco.が教祖様の館で集中講座を受けるという噂を聞きつけたからである。

Choco.が女系猫猫犬家族に引き取られることになったと聞いたその日から、管理人は噂の犬Choco.に会いたくて会いたくてたまらなかった。ふつう友人の家に新しい犬が来たとしたら

「こんど家に新しい犬が来るのよ」
「ええ! ねえ、見に行ってもいい?」
「うん、ぜひ、来て来て!」

というのがふつうの会話だ。だが管理人の場合は、Choco.が来たその日に「見に行ってもいい?」と訊いて即座に断られた。もしかして、管理人は、あまりに小さくて可愛いChoco.を採って食いそうに見えたのだろうか?その後も何度か「見に行きたい」と申し入れたが結局ダメだと言われ続けた。最近では、もしかしたらChoco.は、実は女系猫猫犬家族さんが犬を飼いたいと欲するばかりに無理矢理作り上げた想像上の動物ではないかと疑いはじめていたところだ。

そんな折、噂のChoco.が教祖さまの家にホームステイと聞いたら、そこに押しかけて行かずにはいられない。結果、Choco.はちゃんと実在していた。おまけに写真より数倍可愛いらしかった。写真で見るよりずっと見た目はミニピンに近い。アーモンド型の目の形や小さめの鼻は、おそらくミニピンの血にちがいない。だが耳の形はまさにビーグルそのもので、おまけにChoco.は姫と同じようにロックオンするたびに額に皺を寄せまくる。そんなところだけビーグル風のあなたっていったい……

女系猫猫犬家族さまが現在頭を悩ませているヒャンヒャン鳴きに関しては、生で聞くと確かにそうとうすさまじい。ただ元々躰が小さいのでめいっぱい鳴き叫んでも所詮姫やアキレスの比ではない。最初の飼い主に虐待されていた経緯があるので、無理矢理躰を押さえつけようとするとパニックを起こしてますます暴れて手がつけられなくなる。だが逆に、じっと目を見て静かな声でイケナイというと、すぐに鳴き止んでおとなしくオスワリかフセの姿勢を取る。もちろん、この技を編み出したのは、説得式犬飼い道の教祖さまである。狂ったように鳴き叫んでいるChoco.を一言でぴったり黙らせる技術は、さすが、借家とはいえご自分で道場を開いているだけのことはある。

まだまだ室内完全フリーにはできないChoco.だが、管理人がお暇する頃には常時リードを握っていなくとも、必要なときだけ押さえて軽く合図を送ればいいまでになっていた。女系猫猫犬家族さまのお宅でも、今後はただ家具につないでおくだけではなく、少しずつ目の届く範囲でリードをつけたままフリーにして様子を見るようにすれば、意外に早く室内完全フリーが実現するかもしれない。ただし、瞬発力がそうとうある犬なので、人間の反射神経が試される。走り出す直前にその予兆を察知して素早く犬を制止できるか? これが女系猫猫犬家族さんの今後の課題になるだろう。

人に対しては誰にでも愛想の良いフレンドリーなグレイさんは、実は犬見知りがそうとう激しく、最初はChoco.を見て猛然と威嚇していた。はじめの頃は部屋に入ってくることすら躊躇していたが、これまた管理人が夕方にお暇する頃には、10cmの距離まで近づいて、とりあえず遊びのまねごとくらいはできるようになっていた。このままChoco.が2〜3日当家にお泊まりしていたなら、きっと2匹で楽しく遊べるくらいまでにはなっていたことだろう。

ちなみに管理人がChoco.を相手に、組んずほぐれつ遊んでいたところ、教祖さまが自分の愛犬に得々と言い聞かせている言葉が耳に入ってきた。

「ほら、グレイよく見ておきなさい。あれが犬同士の遊び方というものよ。ちゃんと見て、よくお勉強するように」

犬に犬同士の遊び方を教えられる管理人はやっぱり犬だったのだろうか?

自分のアイデンティティーに疑問を持ちながら、管理人は教祖さまの家を後にした。

追伸:管理人はもちろん物書きの端くれなので、今日あった出来事を文章だけで表現することができる。どっかの誰かさんとちがって、画像など必要はないのだ!(←じつはビデオを撮ったくせに間違ったケーブルを買ってきたためにPCに取り込めなかった人)
ライバル 2005年9月1日
  予想どおり、3日目にしてアセラの総合ランキングベスト3から転げ落ちた。もともと管理人と、親しい数人の友人が、新しいブログ見たさにやたらアクセスした棚ぼたなのでこうなるのは当然だが、管理人の気にくわないのは、現在9位でぎりぎりベストテンにしがみついているこの日記の二つ上に「アキレス日記」がいることである。

誤解しないでもらいたいが、ポセ父さんは管理人の友人でありアキレスはもちろん管理人の大切な隠し子だ。日記が上位に上がってアクセス数が上がれば、もちろん愛しのアーチに良い飼い主さんが見つかる可能性が上がるわけだし、それに関しては何も文句をいうつもりなどない。別に総合ランキングで上に行ったからといって何が変わるわけではないし、ランキングに上がるために日記を書いているわけでもない。だが、しかし……

最初にアキレス日記がランキングで犬猫屋敷を抜いたとき、ポセ父さんは昼間仕事中であるにもかかわらず、こんなメッセージを管理人に送りつけてきた。

「やった! アキレス日記堂々7位!」


…………ムカツク





管理人は小さな頃から負けず嫌いだ。それがどんなにくだらないことであろうと、人に負けるのが嫌いだ。ちなみにポセ父さんもそうとうの負けず嫌いであることが最近判明した。ブログデビューを果たしたばかりの管理人の日記がいきなりベスト3入りしたことに歯がみして悔しがっていたのである。

「このブログサイトを教えてやったのはオレなのに……こつこつ1ヶ月間書き続けて未だベスト10入りも果たせないでいるのに……」

だからっていきなり動画攻撃は反則だ。それも出来がいいだけに腹が立つ。別にアキレス日記が上になったからといってひがんでいるわけではない。だが、管理人はアキレスの動画がアップされたその瞬間に、忘れていたデジタルビデオの存在を思い出した。

うちも作ってやろうじゃないの、ツチノコ兄弟と姫の動画サイト!それもアキポセのより数段カッチョイイやつを!

負けず嫌いというのも考えものだ、このままエスカレートしていくととんでもない泥仕合になるかもしれない。だが、もちろん管理人は大人なのでそんなみっともないことをする気はない。ただ、ポセ父さんに参ったと言わせられればそれでいい。明日さっそくビデオとPCをつなぐケーブルを買ってこなくてはならないだろう。

んでもって、動画だが、この新しい試みが犬の飼い主探しにここまでインパクトがあるとは思わなかった。いくら言葉を尽くして語っても、アーチについて伝えるのはやはり限度がある。その点映像はわかりやすい。2分足らずのあの動画は数ヶ月分の日記よりもアーチの普段の姿を映し出していた。

テレビCMが人の購買欲をそそるように、売りのポイントを絞って短い動画を作ることでより多くの犬に新しい飼い主を見つけてやる確率を上げられるかもしれない。おそらく一昔前には預かり日記をつけることや何枚もの写真をネットで公開するなど想像もできなかっただろう。だがいまや預かり日記は里親探しの強力なツールだ。

家の近所にポスターを貼って里親会で新しい飼い主さんを探すのが、一張羅を着ておすまし顔で撮ったお見合い写真を配ってまわる昔ながらのやり方だとしたら、ネットによる飼い主探しは新しい時代の伴侶探しのようなものだ。より多くの不特定多数に対して情報発信していくことで、可能性を拡大することが可能になる。まだまだ画像ファイルは容量が大きいのでどんなサイトでも気軽の貼れるというわけではないにしろ、こういった形での宣伝が効果的であるのなら、使える物はどんどん使うのが望ましい。

これでアキレスにすてきな飼い主さんが見つかったら、動画による里親探しが一般的になるかもしれない。だが、管理人が1年日記を書きためてもまだまだ半分以上容量が残っているようなふつうのフリーサイトでこれをやったなら10日足らずでディスクがいっぱいになってしまうのだ。

だから、毎日動画ばかりを上げ続けるのは止めましょう。管理人がとびきりの動画を上げるのが早いか、ポセ父さんがディスクスペースを使い切るのが早いか。今後の展開が楽しみだ。


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