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日蓮大聖人御書講義3上0120~0138

0120~0127    法華真言勝劣事
  0120:01~0120:03 第一章 真言宗と天台密教の主張を挙げる
  0120:03~0121:09 第二章 空海の立論の誤りを挙げる
  0121:10~0122:02 第三章 華厳が法華に勝るとの邪義を破る
  0122:02~0123:02 第四章 天台密経の立義を挙げて破す
  0123:02~0123:15 第五章 理同事勝の義に二難有るを明かす
  0123:16~0124:06 第六章 二乗作仏・久遠実成こそ根本と示す
  0124:07~0124:14 第七章 法華経を離れて成仏なきを明かす
  0124:14~0125:03 第八章 二乗作仏と久成は法華経のみを示す
  0125:04~0125:14 第九章 大日如来を無始無終とする義を破す
  0125:15~0126:05 第十章 慈覚・智証が祖師の義に背くを明かす
  0126:05~0126:16 第11章 大日経を大日所説とするを破す
  0126:17~0127:10 第12章 天台の義を盗む堕獄の宗と明かす
0128~0133    真言七重劣事
  0128:01~0129:04 第一章 法華と大日の七重の勝劣を示す
  0129:05~0130:12 第二章 中国・日本の人師の判教挙げる
  0130:13~0131:07 第三章 諸師の鎮護国家三部経を挙げる
  0131:08~0131:11 第四章 三種の神器を挙げる
  0131:12~0132:02 第五章 天台宗への帰伏の様相を示す
  0132:03~0132:07 第六章 法華・涅槃を人の位に譬える
  0132:08~0132:18 第七章 日本天台宗・叡山の三塔を示す
  0133:01~0133:14 第八章 三宝の立て方の誤りを突く
0134~0138    天台真言勝劣事
  0134:01~0134:02 第一章 真言宗に依る経論を示す
  0134:02~0134:03 第二章 法華経が大日経に七八重勝るを示す
  0134:03~0134:05 第三章 諸師の鎮護国家の三部経を挙げる
  0134:05~0135:04 第四章 真言が七重八重劣る理由を示す
  0135:05~0135:12 第五章 弘法と覚鑁の謬見を破折する
  0135:12~0135:15 第六章 仏身の対比により真言勝ると難ず
  0135:16~0136:06 第七章 大日は釈尊の異名なる事を明かす
  0136:06~0136:12 第八章 大日の法身説法・無始無終説を破る
  0136:12~0137:01 第九章 説処、対告衆への邪難を破す
  0137:02~0137:07 第十章 大日を釈尊の師とする説を破る
  0137:07~0137:10 第11章 事相を根拠に真言が勝ると難ず
  0137:10~0137:13 第12章 印・尊形等の事相につき答う
  0137:13~0137:16 第13章 事理倶密の邪説を破折する
  0137:16~0138:06 第14章 真言が五時に属さずの説を破る
  0138:06~0138:12 第15章 秘蔵宝鑰の謬見を破折して結ぶ

0120~0127    法華真言勝劣事top
0120:01~0120:03 第一章 真言宗と天台密教の主張を挙げるtop
法華真言勝劣事
01   東寺の弘法大師空海の所立に云く法華経は猶華厳経に劣れり何に況や大日経等に於いてをやと云云、 慈覚大師
02 円仁・智証大師円珍・安然和尚等の云く 法華経の理は大日経に同じ印と真言との事に於ては是れ猶劣れるなりと云
03 云其の所釈は余処に之を出す
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 当時の弘法大師空海の立てた説では「法華経は華厳経よりおとっているのであり、まして大日経等に対してはなおされである」といい、慈覚大師円仁・智証大師円珍・安然和尚等は「法華経の理は大日経と同じであるけれども、印と真言という事においては劣っている」といっている。(その文は他の個所に出しておいた)

東寺
 第50代桓武天皇の勅により、延暦15年(0796)、羅城門(羅生門)の左右に、左大寺・右大寺の2寺が建ち、その左大寺が東寺。弘仁4年(0823)、第52代嵯峨天皇が空海に勅わった。 
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弘法大師空海
 (0774~0835)。平安時代初期、日本真言宗の開祖。諱は空海。弘法大師は諡号。姓は佐伯氏。幼名は真魚。讃岐国(香川県)多度郡の生まれ。桓武天皇の治世、延暦12年(0793)勤操の下で得度。延暦23年(0804)留学生として入唐し、不空の弟子である青竜寺の慧果に密教の灌頂を禀け、遍照金剛の号を受けた。大同元年(0806)に帰朝。弘仁7年(0816)高野山を賜り、金剛峯寺の創建に着手。弘仁14年(0823)東寺を賜り、真言宗の根本道場とした。仏教を顕密二教に分け、密教たる大日経を第一の経とし、華厳経を第二、法華経を第三の劣との説を立てた。著書に「三教指帰」3巻、「弁顕密二教論」2巻、「十住心論」10巻、「秘蔵宝鑰」3巻等がある。
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法華経
 大乗経典の極説、釈尊一代50年の説法中、最も優れた経典である。漢訳には「六訳三存」といわれ、「現存しない経」①法華三昧経 六巻 魏の正無畏訳(0256年)②薩曇分陀利経 六巻 西晋の竺法護訳(0265年)③方等法華経 五巻 東晋の支道根訳(0335年)「現存する経」④正法華経 十巻 西晋の竺法護訳(0286年)⑤妙法蓮華経 八巻 姚秦の鳩摩羅什訳(0406年)⑥添品法華経 七巻 隋の闍那崛多・達磨芨多共訳(0601年)がある。このうち羅什三蔵訳の⑤妙法蓮華経が、仏の真意を正しく伝える名訳といわれており、大聖人もこれを用いられている。説処は中インド摩竭提国の首都・王舎城の東北にある耆闍崛山=霊鷲山で前後が説かれ、中間の宝塔品第十一の後半から嘱累品第二十二までは虚空会で説かれたことから、二処三会の儀式という。内容は前十四品の迹門で舎利弗等の二乗作仏、女人・悪人の成仏を説き、在世の衆生を得脱せしめ、宝塔品・提婆品で滅後の弘経をすすめ、勧持品・安楽行品で迹化他方のが弘経の誓いをする。本門に入って涌出品で本化地涌の菩薩が出現し、寿量品で永遠の生命が明かされ「我本行菩薩道」と五百塵点劫成道を示し文底に三大秘法を秘沈せしめ、このあと神力・嘱累では付嘱の儀式、以下の品で無量の功徳が説かれるのである。ゆえに法華経の正意は、在世および正像の衆生のためにとかれたというより、末法万年の一切衆生の救済のために説かれた経典である。(二)天台の摩訶止観(三)大聖人の三大秘法の南無妙法蓮華経のこと。
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華厳経
 正しくは大方広仏華厳経という。漢訳に三種ある。①60巻・東晋代の仏駄跋陀羅の訳。旧訳という。②80巻・唐代の実叉難陀の訳。新訳華厳経という。③40巻・唐代の般若訳。華厳経末の入法界品の別訳。天台大師の五時教判によれば、釈尊が寂滅道場菩提樹下で正覚を成じた時、3週間、別して利根の大菩薩のために説かれた教え。旧訳の内容は、盧舎那仏が利根の菩薩のために一切万有が互いに縁となり作用しあってあらわれ起こる法界無尽縁起、また万法は自己の一心に由来するという唯心法界の理を説き、菩薩の修行段階である52位とその功徳が示されている。
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大日経
 大毘盧遮那成仏神変加持経のこと。中国・唐代の善無畏三蔵訳7巻。一切智を体得して成仏を成就するための菩提心、大悲、種々の行法などが説かれ、胎蔵界漫荼羅が示されている。金剛頂経・蘇悉地経と合わせて大日三部経・三部秘経といわれ、真言宗の依経となっている。
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慈覚大師円仁
 (0794~0864)。比叡山延暦寺第三代座主。諱は円仁。慈覚は諡号。15歳で比叡山に登り、伝教大師の弟子となった。勅を奉じて承和5年(0838)入唐(にっとう)して梵書や天台・真言・禅等を修学し、同14年(0847)に帰国。仁寿4年(0854)、円澄の跡を受け延暦寺の座主となった。天台宗に真言密教を取り入れ、真言宗の依経である大日経・金剛頂経・蘇悉地(経は法華経に対し所詮の理は同じであるが、事相の印と真言とにおいて勝れているとした。「金剛頂経疏(」7巻、「蘇悉地経疏」7巻等がある。
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智証大師円珍
 (0814~0891)。比叡山延暦寺第五代座主。諱は円珍。智証は諡号。慈覚以上に真言を重んじ、仏教界混濁の源をなした。讃岐(香川県)に生まれる。俗姓は和気氏。15歳で叡山に登り、義真に師事して顕密両教を学んだ。勅をうけて仁寿3年(0853)入唐し、天台と真言とを諸師に学び、経疏一千巻を将来し帰国した。貞観10年(0868)延暦寺の座主となる。著書に「授決集」2巻、「大日経指帰」一1巻、「法華論記」10巻などがある。
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安然和尚
 (0841~0915)。天台宗の僧。伝教大師の同族といわれる。はじめ円仁の弟子となり、後に遍照について顕密二教の法を受けた。著述に専念し、天台宗を密教化した。著書は「教時問答」四巻、「悉曇蔵」八巻など多数ある。
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 仏や菩薩の悟りや誓願などを形として表示すること。また、そのものをいう。印契・印相・契印などともいう。諸仏や菩薩の悟りを、指で特別な形を結んで表したものを手印といい、所持する刀剣ばどの器具で表すのを契印と呼ぶ。
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真言
 真言宗の三密のなかの語密をいう。真言陀羅尼ともいい、仏の真実のことばをいい、呪文のようなものである。
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 本抄は、日蓮大聖人が43歳の文永元年(1264)7月29日に、鎌倉で著された書である。門下の人々に法華経と真言の勝劣を明らかに知らしめるため、弘法と慈覚・智証らの立義を挙げて論じられている。
 当時、真言密教には弘法大師空海が開いた東寺系の、いわゆる真言宗と、比叡山天台宗において生じた密教との二つの流れがあった。前者を「東密」、後者を「台密」と略称する。それらの法華経に対する評価には違いがあり、この御抄で大聖人は、東密の弘法の所説である。法華は真言より三重劣るとするものと、台密の慈覚の所説である法華と真言の理は同じ一念三千であるが、印・真言の事において真言のほうが勝れるとする理同事勝の義をまず挙げられている。
 この御文では補足として「其の所釈は余処に之を出す」と断られているように、彼らの著述の原文は引用されず、ただ要旨を挙げられている。それは、煩雑になることを避け、論点を絞り明確にされるためであったと拝せられる。

0120:03~0121:09 第二章 空海の立論の誤りを挙げるtop
03           空海は大日経.菩提心論等に依つて十住心を立てて顕密の勝劣を判ず,其の中に第六に他縁大乗
04 心は法相宗・ 第七に覚心不生心は三論宗・第八に如実一道心は天台宗・第九に極無自性心は華厳宗・第十に秘密荘
05 厳心は真言宗なり、 此の所立の次第は浅き従り深きに至る 其の証文は大日経の住心品と菩提心論とに出づと云え
06 り、 然るに出す所の大日経の住心品を見て他縁大乗・覚心不生・極無自性を尋ぬるに名目は経文に之有り然りと雖
07 も他縁・覚心・極無自性の三句を法相・三論・華厳に配する名目は之無し、其の上覚心不生と極無自性との中間に如
08 実一道の文義共に之無し、 但し此の品の初に「云何なるか菩提・謂く如実に自心を知る」等の文之有り、 此の文
0121
01 を取つて 此の二句の中間に置いて天台宗と名づけ華厳宗に劣るの由之を存す、 住心品に於ては全く文義共に之無
02 し、有文有義・無文有義の二句を虧く信用に及ばず、 菩提心論の文に於ても法華・華厳の勝劣都て之を見ざる上、
03 此の論は竜猛菩薩の論と云う事 上古より諍論之れ有り、 此の諍論絶えざる已前に亀鏡に立つる事は竪義の法に背
04 く、其の上善無畏・金剛智等評定有つて大日経の疏義釈を作れり 一行阿闍梨の執筆なり、 此の疏義釈の中に諸宗
05 の勝劣を判ずるに 法華経と大日経とは広略の異なりと定め畢んぬ、 空海の徳貴しと雖も争か先師の義に背く可き
06 やと云う難此れ強し此れ安然の難なり、之に依つて空海の門人之を陳ずるに旁陳答之有り或は守護経或は六波羅蜜経
07 或は楞伽経或は金剛頂経等に見ゆと多く会通すれども総じて難勢を免れず、 然りと雖も東寺の末学等大師の高徳を
08 恐るるの間 強ちに会通を加えんとすれども結句会通の術計之無く 問答の法に背いて伝教大師最澄は弘法大師の弟
09 子なりと云云、又宗論の甲乙等旁論ずる事之有りと云云。
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 空海は大日経や菩提心論等によって十住心を立てて顕教と密教の勝劣を判じている。その中で「第六の他縁大乗心は法相宗・第七の覚心不生心は三論宗、第八の如実一道心は三論宗、第九の極無自性心は華厳宗、第十の秘密荘厳心は真言宗であり、この立て方の順序は浅い教えから深い教えになっている。その文証は大日経の十心品と菩提心論に出ている」と言っている。
 しかし、出ているという大日経の住心品を開いて「他縁大乗」「覚心不生」「極無自性」の語を探してみると、その名称は経文にあるけれども「他縁大乗」「覚心不生」「極無自性」の三句を法相宗・三論宗・華厳宗に配する言葉はない。そのうえ「覚心不生」と「極無自性」との中間にあるという「如実一道」は文も義もない。
 ただし、この品の初めに「何を菩提というかというと、如実に自心を知ることをいうのである」等の文がある。この文を取り出して「覚心不生」と「極無自性」との二句の中間に置いて天台宗に当たるとし、華厳宗に劣ることを主張しているのであるが、住心品には全く文も義もともにない。「文があって義もある」「文がなくて義がある」の二句に適っていないのであるから、信用に値しない。
 菩提心論の文でも法華経と華厳経の勝劣については全く述べられていないうえ、この論が竜網菩薩の著ということについては昔からの論争のところである。この論争が決着しない前に規範として用いることは、義を立てる法に背くのである。
 そのうえ、善無畏や金剛智等が評議して大日経の疏と義釈を作り一行阿闍梨に執筆させたが、この疏と義釈の中で諸宗の勝劣を判じて「法華経と大日経とは広と略との違いである」とさだめているのである。空海の徳が高貴であってもどうして先師の義に背いてよいであろうか、という非難がなされた。(これは安然の非難である)
 これに対して、空海は門弟はあれこれと言い訳をして「守護国界主陀羅尼経、あるいは六波羅蜜経、あるいは楞伽経、あるいは金剛頂経にのべられている」などと解釈したけれども、非難の勢いを避けられなかった。
 しかしながら、当時の後世の弟子等は弘法大師の高徳を恐れかしこむがゆえに無理な解釈を加えようとしているけれども、結局、解釈のしようがなく、問答の法に背いて「伝教大師最澄は弘法大師の弟子である」とか「宗旨の優劣等については、あれこれ論議のところである」と言っている。

菩提心論
 「金剛頂瑜伽中発阿耨多羅三藐三菩提心論」の略。竜樹菩薩著、不空三蔵の訳と伝えられている。精神統一によって菩提心を起こすべきことを説き、即身成仏の唯一の方法と強調する。顕密二教の勝劣を説くため、真言宗では所依の論としている。大聖人は御書の中で不空の偽作とされている。
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十住心
 弘法が十住心論を著して立てた教判。大日経十住心品に十種の衆生の心相があるとして、それに世間の道徳・諸宗を当てはめ、菩提心論によって顕密の勝劣を判じ、真言宗が最高の教えであることを示そうとしたもの。異生羝羊心・愚童持斎心・嬰童無畏心・唯蘊無我心・抜業因種心・他縁大乗心・覚心不生心・一道無為心・極無自性心・秘密荘厳心をいう。
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顕密
真言宗では、大日経のように仏の真意を秘密にして説かれた経を密教、法華経のようにあらわに教えを説かれたものを顕教という本末顚倒の邪義を立てている。真実は、大日経のごとき爾前の経々こそ、表面的、皮相的な教えで顕教であり、未曾有の大生命哲理を説き明かした法華経こそ密教である。寿量品には「如来秘密神通之力」とあり、天台の法華文句の九にはこれを受けて「一身即三身のるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず」等とある。
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他縁大乗心
 法界の有情を縁とする化他行を修め、大乗の初門に至る心のこと。真言宗の弘法が立てた教相判釈の第六。法相宗の教えにあたるとしている。
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法相宗
解深密経、瑜伽師地論、成唯識論などの六経十一論を所依とする宗派。中国・唐代に玄奘がインドから瑜伽唯識の学問を伝え、窺基によって大成された。五位百法を立てて一切諸法の性相を分別して体系化し、一切法は衆生の心中の根本識である阿頼耶識に含蔵する種子から転変したものであるという唯心論を説く。また釈尊一代の教説を有・空・中道の三時教に立て分け、法相宗を第三中道教であるとした。さらに五性各別を説き、三乗真実・ 一乗方便の説を立てている。法相宗の日本流伝は一般的には四伝ある。第一伝は孝徳天皇白雉4年(0653)に入唐し、斉明天皇6年(0660)帰朝した道昭による。第二伝は斉明天皇4年(0658)、入唐した智通・智達による。第三伝は文武天皇大宝3年(0703)、智鳳、智雄らが入唐し、帰朝後、義淵が元興寺で弘めたとする。第四伝は義淵の門人・玄昉が入唐して、聖武天皇天平7年(0735)に帰朝して伝えたものである。
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覚心不生心
 自身が本来、不生であることを覚知する心のこと。弘法が立てた十住心の第七。弘法は大海の波浪は縁にふれて起こるが、水そのものの本性は変わらないのと同様に、心主も縁によって生滅することはないという道理を知ることが覚心不生心であるとしている。この不生とは三論宗で説く八不をあらわすものとし、心主は不生乃至不常の八不であるという理を覚ることとしている。弘法は覚心不生心の位に住するのは三論宗であるとした。
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三論宗
 竜樹の中論、十二門論と提婆の百論の三つの論を所依とする宗派。鳩摩羅什が三論を漢訳して以来、羅什の弟子達に受け継がれ、隋代に嘉祥寺の吉蔵によって大成された。大乗の空理によって、自我を実有とする外道、法を実有とする小乗を破し、さらに成実の偏空をも破している。究極の教旨として八不をもって諸宗の偏見を打破することが中道の真理をあらわす道であるという八不中道を唱えた。日本には推古天皇33年(0572)1月1日、高句麗僧・慧灌が伝えた。現在は東大寺に伝わるのみである。
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如実一道心
 あるがままに一道を覚知する心のこと。弘法の十住心論に説かれる十十住心の第八。一道無為心ともいい、三論の無相を越えて一仏乗を説く天台宗の住心としている。
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天台宗
 天台法華宗の事。法華経を正依の経として、天台大師が南岳大師より法をうけて「法華玄義」「法華文句」「摩訶止観」の三大部を完成させ、一方、南三北七の邪義をも打ち破った。天台の正法は章安大師によって伝承され、中興の祖と呼ばれた妙楽大師によって大いに興隆し、わが国では伝教大師が延暦3年(0784)に入唐し、妙輅の弟子である行満座主および道邃和尚によって天台の法門を伝承された。帰国後、殿上において南都六宗と法論を行い、三乗を破して一仏乗の義を顯揚した。教相には五時八教を立て、観心には三諦円融の理をとなえ、理の一念三千・一心三観の理を証することにより、即身成仏を期している。伝教大師の目標とした法華迹門による大乗戒壇は、小乗戒壇の中心であった東大寺等の猛反対をことごとく論破し、死後7日目に勅許が下り、比叡山延暦寺は日本仏教界の中心として尊崇を集め、平安町文化の源泉となった。しかし第三・第五の座主慈覚・智証から真言の邪法にそまり、かつまた像法過ぎて末法となり、まったく力を失ってしまったのである。
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極無自性心
 一切法はすべて互いに縁となってあらわれ起こっており、自性とか本性とかいうそれ自体で独立して存在するものではないと悟る心のこと。弘法の十住心論に説かれる十住心の第九。華厳宗にあたるとしている。
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華厳宗
 華厳経を依経とする宗派。円明具徳宗・法界宗ともいい、開祖の名をとって賢首宗ともいう。南都六宗の一つ。一切経の中で華厳経が最高であるとし、万物の相関関係を説く法界縁起によって悟りの極致に達するとする。東晋代に華厳経が中国に伝訳され、杜順、智儼を経て賢首によって教義が大成された。賢首は五教十宗の教判を立てて、華厳経が最高の教えであるとした。日本には天平8年(0736)に、唐僧の道璿が伝え、同12年(0740)に、新羅の僧・審祥が華厳経を講じて日本華厳宗の祖とされる。
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秘密荘厳心
 衆生に本来そなわった無尽の功徳を開顕して荘厳する心。弘法が立てた十住心の第十。真言宗にあたるとしている。
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真言宗
 大日経・金剛頂経・蘇悉地経等を所依とする宗派。大日如来を教主とする。空海が入唐し、真言密教を我が国に伝えて開宗した。顕密二教判を立て、大日経等を大日法身が自受法楽のために内証秘密の境界を説き示した密教とし、他宗の教えを応身の釈迦が衆生の機根に応じてあらわに説いた顕教と下している。なお、真言宗を東密(東寺の密教の略)といい、慈覚・智証が天台宗にとりいれた密教を台密という。
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住心品
 大日経のはじめの一品で同経の序品。
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菩提
 菩提とは梵語(Bodhi)で、道・覚・知等と訳す。①悟り・悟りの智慧。②煩悩を断じて得たさとりの境地。③冥福の意。
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竜猛菩薩
 竜樹菩薩の別名。別説あり。
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亀鏡
 ①亀鑑と同じ。亀の甲は吉凶を占うために用いられ、鏡はものの姿を映すもので、合わせて模範・手本の意味となる。昔、中国では、亀の甲を焼いて、その割れ方によって吉凶を占ったことから、「鏡」は物事を照らして是非をわきまえることから、手本を意味する。仏の経文を指して、このようにいう。②一切の規範の根本は仏説であるから、仏の教え、仏意に反しない人師・論師の教説。
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竪義
 ①立てられた義のこと。法門・教理などをより明らかにするための義釈。②法論の席で、質問者の提出する主題・論議に対して、義を堅てること。
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善無畏
 (0637~0735)。中国・唐代の真言密教の僧。もとは東インド烏仗那国の王子で、13歳の時国王となったが、兄のねたみを受けたので、王位を譲り出家した。ナーランダ寺で密教を学んだ後、中国に渡り、唐都・長安で玄宗皇帝に国師として迎えられ、興福寺、西明寺に住して経典の翻訳にあたった。中国に初めて密教を伝え、「大日経」七巻、「蘇婆呼童子経」三巻、「蘇悉地羯羅経」三巻などの密教経典を訳出した。また、一行禅師に大日経を講じて「大日経疏」を造ったが、その中で、法華経の一念三千の法門を盗んで大日経に入れ、理同事勝の邪義を立てた。同時代の金剛智、不空とともに三三蔵の一人に挙げられる。
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金剛智
 (0671~0741)。インドの王族ともバラモンの出身ともいわれる。10歳の時那爛陀寺に出家し、寂静智に師事した。31歳のとき、竜樹の弟子の竜智のもとにゆき7年間つかえて密教を学んだ。のち唐土に向かい、開元8年(0720)洛陽に入った。弟子に不空等がいる。
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疏義釈
 大日経疏と大日経義釈のこと。大日経疏は正しくは大毘盧遮那成仏経疏という。20巻。中国・唐代の善無畏述・一行記。善無畏が大日経の翻訳後に、一行に対して講義した内容を筆記したもので、大日経7巻36品のうち前6巻31品について注釈している。単なる注釈書にとどまらず、大日経を中国仏教の立場から解釈し、密教思想を組織立てている。大日経義釈は正しくは毘盧遮那成仏神変加持経義釈という。14巻。一般に一行没後、弟子の智儼・温古の二師が大日経疏を再治した書といわれる。しかし、一行に「疏」「義釈」ともにあったことも知られており、その間の事情は不明である。日本の東密では弘法の伝えた大日経疏を用い、台密では慈覚・智証の伝えた大日経義釈を用いている。
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一行阿闍梨
 (0683~0727)中国唐代の天台宗の僧であったが、真言宗の善無畏にたぼらかされて、真言の邪義を広めるのに力を尽くした。一行は中国の魏州の人で、唐の高宗、広通元年に生まれ、嵩山で剃髪した。普寂に禅を学び、さらに天台山国清寺で天台学を学んだ。開元4年(0726)、善無畏を助けて大日経を訳し、また善無畏にだまされて「大日経疏」20巻をあらわした。これは天台の教えを盗み、また誹謗した邪説である。開元15年(0727)45歳没。
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守護経
 中国・唐代の般若と牟尼室利の共著。守護国界主陀羅尼経の略。密教部の経とされる。国主を守護することが、人民を守護することになるとの理を明かし、正法守護の功徳が説かれている。 
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六波羅蜜経
 中国・唐の罽賓国・般若三蔵の訳10巻、大乗理趣六波羅蜜経のこと。
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楞伽経
 漢訳本に四種あり、三種の訳書が現存する。仏が楞伽山頂で大慧菩薩に対して説いたとされる経。唯識の立場からさまざまな大乗の教義が列挙されている。また名字によって一切法の相を分別することを虚妄としてしりぞけ、四種の禅を明かし、諸法の空・無生・不二を悟って仏の境界に入るよう勧めている。達磨は禅宗の依経とした。
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金剛頂経
 金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経の略。唐の不空訳3巻。真言三部経の一つ。密教の根本経典。金剛界の曼荼羅とその供養法を説く。
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会通
 彼此相違した説を会して融通すること。「会」とは、あわせる、理解する、照らし合わせる擣の意で、「通」は開く、かよわす、伝える、説き明かす等のいみである。すなわち、よく理解して疑いやとどこおりのないことで、いろいろな議論に合わせて理解し説き明かすことの意。
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伝教大師最澄
 (0767~0822)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。伝教大師は諡号。通称は根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」3巻、「顕戒論」3巻、「守護国界章」9巻、「山家学生式」等がある。
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宗論
 ①経を総括して法義を立てて、宗旨とすること。②宗派間の論議のこと。勝劣・真偽を決定する法論。
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 弘法大師空海の立てた十住心教判の要旨を挙げて、その誤りを指摘されている。
 弘法は十住心論の中で、大日経の入真言門住心品第1に10種の衆生の心相がとかれているとし、それに六道の凡夫の心から声聞・縁覚、更に大乗各宗に至る心の各段階があてはまるとして十住心の教判を立て、菩提心論によって最終的に真言が最高であると位置づけた。
 それによると、異生羝羊住心、愚童持斎住心、嬰童無畏住心、唯蘊無我住心、抜業因種住心、他縁大乗住心、覚心不生住心、一道無為住心、極無自性住心、秘密荘厳住心の十住心を立てて、真言が最も勝れているとしている。
 大聖人は、この弘法の立義について、「他縁・覚心・極無自性」という意味の三つの語句は大日経の住心品にあるが、それを法相・三論・華厳に配当するという論拠はなく、また覚心不生と極無自性との間に位置するという「如実一道」というのは、その文も義もない、と指摘されている。
 ただし、住心品の初めに「云何なるか菩提、謂く如実に自心を知る」という文があり、弘法は、この文をとって覚心と極無自性の二句の中間において、これを天台宗の住心と名づけ、華厳宗に劣るものとしたのであろう、とされている。
 いずれにせよ、住心品その根拠であるとする弘法のこの主張は「有文有義」でもなく、「無文有義」にもあてはまっていないので、信用するわけにはいかない、とされている。
 また、菩提心論には、法華と華厳との勝劣を論じた文は全く見られず、そのうえ、この論が竜猛菩薩の著作ということについても、古来、異論があることを指摘され、竜樹の説と確定していないのに、それを論拠とすることは、法門を論ずる基本原則に背いている、と仰せになっている。
 菩提心論とは、金剛頂瑜伽中発阿耨多羅三藐三菩提心論のことで、仏乗を修するための菩提心の行相を、行願・勝義・三摩地の三種に分けて説明し、最後の三摩地の菩提心を説いていない顕教では即身成仏はできない、としている。弘法は、このことから顕密二教の勝劣の論拠を示す書として重視し、しばしば引用しているのである。
 なお、大聖人は、この菩提心論の問題については太田殿女房御返事でも取り上げられ、「不空三蔵と申す人の天竺より渡して候論あり菩提心論と申す、此の論は竜樹の論となづけて候、此の論に云く『唯真言法の中にのみ即身成仏する故に是れ三摩地の法を説く諸教の中に於て闕て書せず』と申す文あり、此の釈にばかされて弘法・慈覚・智証等の法門はさんざんの事にては候なり、但し大論は竜樹の論たる事は自他あらそう事なし、菩提心論は竜樹の論・不空の論と申すあらそい有り、此れはいかにも候へ・さてをき候ぬ、但不審なる事は大論の心ならば即身成仏は法華経に限るべし文と申し道理きわまれり、菩提心論が竜樹の論とは申すとも大論にそむいて真言の即身成仏を立つる上唯の一字は強と見へて候、何の経文に依りて唯の一字をば置いて法華経をば破し候いけるぞ証文尋ぬべし、竜樹菩薩の十住毘婆娑論に云く『経に依らざる法門をば黒論』と云云自語相違あるべからず、大論の一百に云く『而も法華等の阿羅漢の授決作仏乃至譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し』等云云、此の釈こそ即身成仏の道理はかかれて候へ、但菩提心論と大論とは同じ竜樹大聖の論にて候が水火の異をば・いかんせんと見候に此れは竜樹の異説にはあらず 訳者の所為なり」(1006-14)と仰せになっている。
 大聖人はこのなかで竜樹菩薩は、大智度論においては、法華経こそ唯一の即身成仏の妙法であると述べていることを指摘されて、菩提心論の真言のみが即身成仏の法であるとする明らかに矛盾した説を言う道理がない。それゆえ、菩提心論は不空が勝手に作ったものとする批判がなされたのであり、仮に竜樹の説であったとしても、不空が漢訳をする際に我見を付け加えたものであろう、と指摘されている。
 なお、現在では、菩提心論はもとより、大智度論も竜樹造ということについて疑義が立てられている。ただし、大聖人が諸御書で論じられているように、経文自体を検討すれば、大日経に即身成仏の法はなく、法華経のみが一切衆生の成仏の法であることは明らかである。
其の上善無畏・金剛智等評定有って
 インドから中国に真言を伝えた善無畏が、大日経を漢訳した後に同経を講義し、その内容を一行が筆録して大日経疏が作られた。その中で諸宗の勝劣が判じられているが、そこでは法華経と大日経は広略の相違であると定めている。天台宗の僧・安然等はこれを根拠として、弘法が法華経を真言に劣るとしていることについて、「いかに空海の徳が高いといっても、先師の義に背くべきではない」と強く非難したのである。
 この点をもう少し詳しく解説すると、安然は、その著・真言宗教時義の中で、弘法が立てた十住心について、五つの誤りがあると指摘している。その第五に「衆師の説に違する失」を挙げ、智儼や温古が大日経疏を再治した大日経疏には、「大日経の本地の身は妙法華経の最深秘の処であると定めている。それにもかかわらず、弘法が大乗経の中で教理や浅深や仏意の高低を判じているのは善無畏や智儼等といった先師の説に背くもので、弘法は自らの師の説に違背している、と非難しているのである。
 安然は慈覚・智証のあと活躍した人で、その基本的立場は善無畏の「理同事勝」の域を出なかったから、本来の天台大師・伝教大師の教えや、まして大聖人の法華最勝の義からすれば大きな誤りを秘めていた。しかし、善無畏の説に従っている立場から、この善無畏という真言密教の祖の説をさえ、ないがしろにしている弘法に対して厳しい批判を加えたのであり、大聖人も弘法の誤りの甚だしさを浮き彫りにするために、安然の弘法批判を紹介されているのである
 そうした安然による批判に対して、弘法の遺弟たちは、守護経・六波羅蜜経・楞伽経・金剛頂経等にその義があるなどと答え、それらしい経文を挙げて解釈しようとしたが、説得力のないものであった、とされている。
 更に、大聖人当時の東寺の末流の者たちは、仏法の高徳を恐れるあまり、それを誤りと認めることができないため、問答の法に背いて論点をすり替え「伝教大師最澄は弘法大師の弟子である」などと主張して言い逃れしようとしている、と指摘されているのである。

0121:10~0122:02 第三章 華厳が法華に勝るとの邪義を破るtop
10   日蓮案じて云く華厳宗の杜順.智厳.法蔵等・法華経の始見今見の文に就いて法華.華厳.斉等の義之を存す、其の
11 後澄観 始今の文に依つて斉等の義を存すること 祖師に違せず其の上 一往の弁を加えて法華と華厳と斉等なりと
12 云えり、 但し華厳は法華経より先なり華厳経の時仏最初に法慧功徳林等の大菩薩に対して 出世の本懐之を遂ぐ、
13 然れども 二乗並に下賎の凡夫等・根機未熟の故に之を用いず、阿含・方等・般若等の調熟に依つて還つて華厳経に
14 入らしむ此れを今見の法華経と名づく、 大陣を破るに余残堅からざる等の如し、 然れば実に華厳経法華経に勝れ
15 たり等と云云、 本朝に於て勤操等に値いて此の義を習学す 後に天台真言を学すと雖も旧執改まらざるが故に此の
16 義を存するか、 何に況や華厳経法華経に勝るの由は陳隋より已前・南三・北七皆此の義を存す、天台已後も又諸宗
17 此の義を存せり 但だ弘法一人に非ざるか、 但し澄観始見今見の文に依つて 華厳経は法華経より勝ると料簡する
18 才覚に於ては 天台智者大師涅槃経の「是経出世乃至如法華中」等の文に依つて 法華涅槃斉等の義を存するのみに
0122
01 非ず 又勝劣の義を存するは此の才覚を学びて此の義を存する 此の義若し僻案ならば 空海の義も又僻見なる可き
02 なり、 
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 日蓮が考えるには次のようである。華厳宗の杜順・智儼・法蔵等は法華経の「始見今見」の文に基づいて法華経と華厳経とは等しいという義を懐いた。その後、澄観が「始見今見」の文によって二経は等しいとする義を彼の祖師に倣って立てたうえに、一往の弁説を加えて「法華経と大日経とは等しいのであるが、ただし、華厳経は法華経より先に説かれ、華厳経の説法の時、仏は最初に法慧や垢徳林等の大菩薩に対して出世の本懐を遂げたのである。しかしながら、二乗や位の低く賤しい凡夫等は機根が末だ熟していなかったために華厳経を用いようとしなかった。そのため、阿含経・方等経・般若経等によって機根を調え熟させてから、立ちかえって華厳経に帰入させたのである。これを今見の法華経と名づけるのである。強大な敵陣を破ったときには、その残党を平らげるのは難しいことではない等というようなものである。それゆえ、真実には華厳経が法華経よりも勝れているのである」などと言っている。
 弘法は、わが国で勤操等にあってこの義を修学し、後に天台・真言を学んだけれども昔の修学に対する執着が改まらないがために、この義を懐いたのであろう。
 ましてや、華厳経が法華経より勝れているという義は陳・隋代以前に南三北七の各派が皆そう考えていたし、天台大師以後もまた諸宗がこの義を立てていたのであり、ただ弘法一人だけというのではない。ただし、澄観が「始見今見」の文によって華厳経は法華経より勝れるというように判断した才知は、天台智者大師が涅槃経の「是の経の世に出ずるは…法華の中の八千の声聞」等の文によって法華経と涅槃経と等しいという義を懐いただけでなく、また勝劣の義を懐いたということから、その才知に倣ってそうした義を懐いたのであろう。澄観のこの義がもし誤った考えであるならば空海の義もまた誤った見解であるはずである。

杜順
 (0557~0640)。中国隋・唐代の人で華厳宗の祖。僧名は法順。俗姓が杜氏であり杜順と通称される。雍州万年(陝西省西安市)の人。18歳で出家し、僧珍禅師について修行し、禅および華厳を究めた。隋の文帝、また唐の太宗の崇敬を受けた。「華厳法界観門」一巻を著わして、専ら華厳を弘め、その弟子・智儼に華厳宗を伝えた。
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智儼
 (0602~0668)。中国華厳宗の第二祖。至相大師・雲華尊者ともいわれる。十四歳で杜順について出家し、四分律や涅槃などの諸経論を学んだが、のちに華厳経の研究に専念した。著書に「華厳経捜玄記」五巻、「華厳孔目章」四巻などがある。
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法蔵
 (0643~0712)。智儼の弟子で、華厳宗の第三祖。華厳和尚、賢首大師、香象大師の名がある。智儼について華厳経を学び、実叉難陀の華厳経新訳にも参加した。さらに法華経による天台大師に対抗して、華厳経を拠りどころとする釈迦一代仏教の批判を五教十宗判として立てた。「華厳経探玄記」「華厳五教章」「華厳経伝記」などの著があり、則天武后の帰依をうけた。
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始見今見
 仏が始めて成道したときを始見といい、真実の門を開いた時を今見という。
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澄観
 (0738~0839)。中国華厳宗の第四祖。浙江省会稽の人。姓は夏侯氏、字は大休。清涼国師と号した。11歳の時、宝林寺で出家し、法華経をはじめ諸経論を学び、大暦10年(0775)蘇州で妙楽大師から天台の止観、法華・維摩等を学ぶなど多くの名師を訪ねる。その後、五台山大華厳寺で請われて華厳経を講じた。著書には「華厳経疏」60巻、「華厳経綱要」1巻などがある。
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法慧
 法慧菩薩のこと。華厳経の会座において十住を説き明かした菩薩。華厳経の四菩薩の一人のこと。
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功徳林
 華厳経の四菩薩の一人。華厳経の会座で十行の法門を説いた。
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出世の本懐
 仏が世に出現した究極の本意・目的。法華経方便品第二には、「諸仏世尊は唯だ一大事の因縁を以ての故に、世に出現したまうとある。釈尊にとっては法華経二十八品、天台にとっては「摩訶止観」が本懐であった。日蓮大聖人は「宝塔をかきあらはし」た御本尊建立をもって、出世の本懐とされている。
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二乗
 十界のなかの声聞・縁覚のこと。法華経以前においては二乗界は永久に成仏できないと、厳しく弾呵されてきたが、法華経にはいって初めて三周の声聞(法説周・喩説周・因縁周)が説かれて、成仏が約束されたのである。
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根機
 衆生の性根・性質・根性。機は仏の説法を聞き、受け入れて発動する衆生の可能性、根は仏果を開発する性分・性質をいう。利根・鈍根・純機・雑機の区別がある。
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阿含
 阿含とは、梵語アーマガの音写で、教・伝・法帰等と訳す。伝承された教えの意。釈尊の言行・説法を伝え集成した経蔵全体の総称をいう。ただし、大乗仏教が興ってからは小乗経典の意味に限ってつかわれる。北方系仏教では四阿含といって、増一阿含経・中阿含経・長阿含経・雑阿含経の四つに分類される。阿含経は声聞の最高位である阿羅漢に到ることを目的とするので、三乗の中でも二乗である声聞を正位として説かれた経といえる。
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方等
 方等経のこと。方とは方正、等とは平等にして中道の理。したがって方等とは広く大乗経である。
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般若
 般若波羅蜜の深理を説いた経典の総称。漢訳には唐代の玄奘訳の「大般若経」六百巻から二百六十二文字の「般若心経」まで多数ある。内容は、般若の理を説き、大小二乗に差別なしとしている。
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勤操
 延暦21年(0802)正月19日に高尾山で伝教大師と対論した奈良六宗・七大寺の僧の一人。(0758~0827)奈良・平安朝時代の三論宗大安寺流の僧。天平宝字2年(0758)大和高市郡(奈良県高市郡)に生まれ、12歳で出家、宝亀元年(0761)14歳にして勅度1000僧の1人に選ばれ、16歳で高野山に登り、下山してのち東大寺の善議に従って三論を究めた。弘仁年中、大極殿で最勝王経を講じ、紫宸殿の論議には座首にあげられるなど英才の名が高かった。なお勤操の弟子に空海がいた。
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 中国王朝名。南北朝時代の南朝最後の王朝。(0557~0589)陳霸先が梁に代わって建国し、隋に滅ぼされた。2代文帝は内治を整え、4代宣帝は北伐を断行したが、5代後主の時に滅びた。
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 中国の王朝名。(0581~0619)高祖文帝が建てた統一国家。秦・漢の古代国家以来、南北に分裂していた中国を統合し唐のといいつ国家の基礎を築いた。文帝は諸制度を整備し、律令を定め、官制・兵制を整え、均田・租庸調の制度を全国に弘めた。また地方に州・郡・県を置き、官僚は中央からの派遣とし、官吏の登用は学科試験の制度を定めるなど、中央集権化に努めた。大運河の建設などで生産流通の安定を図り、経済は発展したが、地方豪族の力の回復や、外征の失敗などで衰退した。儒教・仏教・道教を合一する立場から王通などが現れた。文帝は北周武帝の廃仏毀釈政策のあと、仏教思想を宣揚した。寺院建立・訳経事行も活発に行われた。諸宗派の乱立があり、これは天台によって統一された時代でもある。
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南三・北七
 中国の南北朝時代に、仏教界は揚子江の南に三派・北に七派の合わせて十派に分かれていた。すなわち南三とは虚丘山の笈師・宗愛法師・道場の観法師、北七とは北地師・菩提流支・仏駄三蔵・有師(五宗)・有師(六宗)・北地禅師(二種大乗)・北地禅師(一音教)である。これらの十宗の説は、いずれも華厳第一・涅槃第二・法華第三と説き、天台大師に打ち破られた。
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天台
 (0538~0597)。天台大師。中国天台宗の開祖。慧文・慧思よりの相承の関係から第三祖とすることもある。諱は智顗。字は徳安。姓は陳氏。中国の陳代・隋代の人。荊州華容県(湖南省)に生まれる。天台山に住したので天台大師と呼ばれ、また隋の晋王より智者大師の号を与えられた。法華経の円理に基づき、一念三千・一心三観の法門を説き明かした像法時代の正師。五時八教の教判を立て南三北七の諸師を打ち破り信伏させた著書に「法華文句」十巻、「法華玄義」十巻、「摩訶止観」十巻等がある。
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涅槃経
 釈尊が跋提河のほとり、沙羅双樹の下で、涅槃に先立つ一日一夜に説いた教え。大般涅槃経ともいう。①小乗に東晋・法顯訳「大般涅槃経」2巻。②大乗に北涼・曇無識三蔵訳「北本」40巻。③栄・慧厳・慧観等が法顯の訳を対象し北本を修訂した「南本」36巻。「秋収冬蔵して、さらに所作なきがごとし」とみずからの位置を示し、法華経が真実なることを重ねて述べた経典である。
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乃至
 ①すべての事柄を主なものをあげること。②同類の順序だった事柄をあげること。
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僻案
 誤った教えや見解のこと。
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僻見
 偏った見方、誤った考え方、見解。僻は偏る・あやまる・よこしま。見は考え方、見方。
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 弘法が十住心の第九に華厳経を置き、第八法華経より勝れているとしたのは、弘法自身、仏門に入ってまず華厳経を学んだので、その華厳宗の教義がしみついて、脱けきれなかったのであると破られている。
 初めに、華厳経と法華経の勝劣について華厳宗の見解を挙げられている。中国・華厳宗の祖である杜順、二祖の智儼、三祖の法蔵等は法華経涌出品第15の「始見今見」の文によって、法華経と華厳経は斉等とする義を立てた。
 「始見今見」とは法華経湧出品の「此の諸の衆生は、始め我が身を見、我が所説を聞きて、即ち皆、信受して如来の慧に入ることを得せしむ」の文から、仏が始めて成道した時と、真実の門を開いた時をいった。
 華厳宗では、この文を拠りどころに、初成道時に説かれた華厳経と最後に説かれた法華経は、全く同じ衆生を仏慧に入らしめる法なので、同時であるとしたものであろう。
 しかし、華厳宗における釈尊はあくまでも始成正覚の立場である。法華経の涌出品では、今の文の前に、「是の諸の衆生は、世世より已来、常に我が化を受けたり。亦、過去の諸仏に於いて、供養尊重して、諸の善根を植えたり」と久遠に下種された人々であることを明かし、一切衆生を成仏させる教えは法華経に限ることを示されているのである。ゆえに華厳経が法華経と等しいというのは全く誤りなのである。
 中国・華厳宗の第四祖・澄観は、杜順ら先師の説を継いで華厳経が法華経に等しいとしたが、それに一往の弁説を加える。すなわち華厳経と法華経は等しいが、ただし華厳経は法華経より先に説かれており、華厳経の時に釈尊は法慧・功徳林等の大菩薩に対して出世の本懐を遂げたのであり、ただ、二乗や凡夫といった下根の者は、これを信受できなかったので阿含・方等・般若等の経によって機根を調熟し、華厳経の仏慧に入らしめた。これを「今見の法華経」と名づけるのであって、ゆえに華厳経は法華経に勝れている、としているのである。これは澄観の華厳玄談の趣意とされる。
 いうまでもなく、始成正覚の華厳経と久遠下種を説く法華経の勝劣は明らかであり、同等ですらない華厳経を、法華経に勝るとすることは大なる誤りであり、澄観の己義なのである。
 大聖人は、弘法は日本では三論宗の勤操に師事して華厳の義を学んだため、その後に天台・真言を学んでも、華厳経は大日経に勝るという華厳宗の教義への執着から脱しきれなかったのであろう、とされている。
 また、華厳が法華に勝るという義は、中国の陳隋の時代よりも前の南三北七の時代からあったもので、天台大師が出現して法華経最第一の義を立てた後も、諸宗はなおこの義を用いていたので弘法一人だけの立義ではない、ともされている。
 更に、澄観の立義の背景には天台大師の義を真似たところがあることも指摘されている。天台・妙楽大師は、涅槃経の「是の経の世に出ずるは、彼の果実の一切を利益し安楽する所多きが如く、能く衆生をして仏性を見せしむ、法花の中の八千の声聞、記莂を受くるを得て大果実を成ずるが如きは、秋蔵めて更に所作無きが如し」の文にとって、涅槃経は法華経を重ねて説いて純、円の妙益を得さしめようとしたもので、法華の妙益と等しいので、ともに同一の醍醐味とすることができるとした。ただし、法華経は開権顕実の義によって大神をやぶっており、涅槃経はわずかな余残の衆生を化導したものにすぎないから、涅槃経は法華経に及ばない、としたのである。
 ところが、澄観はこのように「先の法華経が勝れ、後の涅槃経は劣る」とした天台大師の才覚を真似て、先の華厳経は後の法華経に勝ると立てたのである。大聖人は、この澄観の義に誤りがあるならば、弘法の立てた華厳経は法華経に勝るという義も誤りとなるのである、とされている。

0122:02~0123:02 第四章 天台密経の立義を挙げて破すtop
02     天台真言の書に云く法華経と大日経とは広略の異なり略とは法華経なり、 大日経と斉等の理なりと雖も印
03 真言之を略する故なり、 広とは大日経なり極理を説くのみに非ず印真言をも説く故なり、 又法華経と大日経とに
04 同劣の二義有り、謂く理同事劣なり、 又二義有り一には大日経は五時の摂なり是れ与の義なり、 二には大日経は
05 五時の摂に非ず是れ奪の義なり、 又云く法華経は譬えば裸形の猛者の如し 大日経は甲冑を帯せる猛者なり等と云
06 云、又云く印真言無きは其の仏を知る可からず等と云云。
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 天台大師の書には「法華経と大日経とは広と略の違いである。略とは法華経である。大日経と同等の理であるけれども、印と真言を略しているからである。極理を説くだけでなく、印と真言をもといているからである」、また「法華経と大日経とのあいだに同と劣の二義がある。理は同じで事は劣る、ということである」、また「二義がある。一つは、大日経は華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃五時の中におさまる。これは与えていった場合の義である。二つには、大日経は五時のなかにおさまらない、これは奪っていった場合の義である」、また「法華経は譬えていえば裸の猛者のようなものである。大日経は鎧兜を着けた猛者である」等といい、また「印と真言がなければ、その仏を知ることができない」等と言っている。
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07   日蓮不審して云く 何を以て之を知る理は法華経と大日経と斉等なりと云う事を、 答えて云く疏と義釈並に慈
08 覚・智証等の所釈に依るなり。
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 日蓮は不審していう。何をもって、理は法華経と大日経と等しいということがいえるのか。答えていう。大日経の疏と義釈、ならびに慈覚・智証等の釈による。
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09   求めて云く此等の三蔵大師等は又何を以て之を知るや理は斉等の義なりと、 答えて云く三蔵大師等をば疑う可
10 からず等と云云、 難じて云く此の義・ 論義の法に非ざる上仏の遺言に違背す慥に経文を出す可し若し経文無くん
11 ば義分無かる可し如何、答う威儀形色経・瑜祇経・観智儀軌等なり、 文は口伝す可し、問うて云く法華経に印・真
12 言を略すとは仏よりか経家よりか訳者よりか、 答えて云く或は仏と云い或は経家と云い或は訳者と云うなり、 不
13 審して云く仏より真言・ 印を略して法華経と大日経と理同事勝の義之有りといわば 此の事何れの経文ぞや文証の
14 所出を知らず我意の浮言ならば之を用ゆ可からず若し経家・ 訳者より之を略すといわば 仏説に於ては何ぞ理同事
15 勝の釈を作る可きや法華経と大日経とは全躰斉なり能く能く子細を尋ぬ可きなり。
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 尋ねていう。これらの三蔵や大師等はまた、何をもって理は等しいという義を知ったのか。答えていう。三蔵や大師等を疑うべきではない、等々。
 難詰していう。この義は経文の文義を問答する法に則っていないうえ、仏法の遺言に背している。明確に経文を出すべきである。もし経文がないならば、その道理はないことになるかどうか。答えていう。威儀形色経・瑜祇経・観智儀軌等にある。文は口頭で伝えよう。
 問うていう。法華経に印と真言を略したのは、仏の説法の時からか、経典を結集した時からか、それとも訳者の時からか。答えていう、ある人は仏の説法の時からと言い、ある人は経典を結集した時からと言い、ある人は訳者の時からと言っている。
 不審していう。仏の説法のときから印と真言を略して、法華経と大日経とに理同事勝の義があったというならば、このことはどの経文にあるのか。文証の出処を挙げられない、自分勝手ないい加減な言であるならば、これを用いるべきではない。もし経典を結集した者、あるいは訳者の時からこれを略したというならば、仏の説法においては理同事勝の釈を作ることがどうしてできようか。法華経と大日経とは全体が等しいということになる。よくよく子細を調べるべきである。
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16   私に日蓮云く威儀形色経・瑜祇経等の文の如くば仏説に於ては法華経に印真言有るか、若し爾らば経家・訳者之
17 を略せるが、 六波羅蜜経の如きは経家之を略す、 旧訳の仁王経の如きは訳者之を略せるか、若し爾らば天台真言
18 の理同事異の釈は経家並に訳者の時より法華経・ 大日経の勝劣なり、 全く仏説の勝劣に非ず此れ天台真言の極な
0123
01 り、 天台宗の義勢才覚の為に此の義を難ず、天台真言の僻見此くの如し、 東寺所立の義勢は且く之を置く僻見眼
02 前の故なり、 
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 ひそかに日蓮は次のように思う。威儀形色経や瑜祇経の文のとおりであれば、仏説の段階では法華経に印真言はあったのであろう。そして、経典を結集した者あるいは訳者がこれを略したのであろう。六波羅蜜経などの経は経典が結集した者がこれを略し、旧訳の仁王経のような経は訳者がこれを略したのであろう。もしそうでなければ、天台真言宗の理同事異の釈は経典を結集した者、ならびに訳者の時から起こった法華経と大日経の勝劣であり、全く仏説の勝劣ではない。これは天台真言宗の極説である。天台宗の教義・才覚のためにこの義を論難するのである。天台真言宗の誤った考えは以上のとおりである。当時の真言宗の立てるところの教義についてはしばらく置いておく。その誤りが明白であるからである。

理同事劣
 法華経の理は大日経と同じであるが、大日経にある印と真言が法華経にはないので事に約せば法華経は劣るという、天台密教の立てた説。
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五時
 釈尊一代50年の説法を天台が判釈し、説法の順序から五種に分類したもの。
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甲冑
 ヨロイとカブト
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 障なく通ずること。そこから、経典などの文義の筋道を明確にし、わかりやすく説き分けること。また、その書をいう。
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三蔵
 ①仏教聖典を三つに分類した経論・律論・論蔵のこと。②三蔵に通達している法師のこと。③仏典の翻訳者のこと。④声聞蔵・縁覚蔵・菩薩蔵のこと。
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大師
①大導師のこと。②仏・菩薩の尊称。③朝廷より高徳の僧に与えられた号。仏教が中国に伝来してから人師のなかで威徳の勝れたものに対して、皇帝より諡号として贈られるようになった。智顗が秦王広から大師号が贈られ、天台大師と号したのはこの例で、日本人では最澄が伝教大師・円仁が慈覚大師号を勅賜されている。
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論義
 論じ合って理非を明かにすること。経論の文義を問答すること。
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仏の遺言
 釈尊が入滅の直前に説かれた涅槃経のこと。
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威儀形色経
 1巻。法華漫荼羅威儀形色法経という。中国・唐代の不空訳。法華経見宝塔品で説かれる宝塔品の儀式、多宝如来の出現を基として、密教様式の漫荼羅をあらわした経。
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瑜祇経
 上下2巻。金剛峰楼閣一切瑜迦瑜祇経のこと。瑜迦瑜祇経ともいう。中国・唐代の金剛智訳。(不空訳の説もある)理智不二の性仏が金・胎両部不二の極秘を明かしたものとして、古来、理趣経とともに秘経とされている。東密では愛染明王三昧を説く経として重要視している。台密の寺門派は大勝金剛三昧・山門派は仏眼三昧を説くとする。
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観智儀軌
 1巻。成就妙法蓮華経王瑜伽観智儀軌という。成就法華儀軌・法華儀軌ともいう。中国・唐代の不空訳。法華経見宝塔品に説かれる釈迦・多宝の二仏並坐の説を中心として、文殊・薬王・弥勒・普賢などの諸菩薩を配した漫荼羅が説かれている。そして、この漫荼羅によって修行すれば六根の清浄を得、法華三昧を成就するとされている。
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口伝
 ①口移しに伝えること。言葉で伝えること。②奥義などの秘密を口移しに伝授すること。③奥義を伝えた書物。
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経家
 仏教の教えを伝え、経典を結集した人のこと。
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我意の浮言
 自分勝手で根拠のない、いい加減な言のこと。
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旧訳の仁王経
 後秦の鳩摩羅什訳の仁王般若波羅蜜経2巻のこと。
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理同事異
 法華経の理は大日経と同じであるが、大日経にある印と真言が法華経にはないので事に約せば法華経は劣るという、天台密教の立てた説。
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義勢
 ①主張している教義、および教義を主張すること。②見せかけの威力・強がり。
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 次に、天台密教の立義である理同事勝の義を取り上げて、その邪義を破られている。
天台真言の書にいわく法華経と大日経とは広略の異なり
 初めに、天台真言宗の立義を挙げられている。天台真言の書には、法華経と大日経は、広と略の違いがあり、略が法華経で、広が大日経である。としている。そお理由として、法華経と大日経は理は斉等であるが、法華経には印と真言が説かれるに略されているので略で、大日経には印・真言が説かれているので広となる、というのである。
 また、法華経と大日経には同劣の二義があり、つまり理同事勝、法華経と大日経は所説の理は等しいが、法華経には印・真言を説く大日経は勝れ、印・真言を説かない法華経は劣るとする、でる。としている。
 更に、法華経を裸の猛者に、大日経を甲冑を身に帯びた猛者に譬えて、大日経が勝れるとしている。印・真言を、猛者の身に守る甲冑に譬えているのである。
 また、印と真言がなければ、その仏像が何の仏かを知ることはできない、というのである。以上、天台真言の立義を列挙されている。
日蓮不審して云く何を以て之を知る理は法華経と大日経と斉等なりと云う事を
 ここから、問答形式で天台真言の邪義に対する破折が加えられていく。
 初めに、法華経と大日経の理が等しいということは、何を根拠にしているのかとの問いには、善無畏三蔵等の説を記した一行の大日経疏とそれを再治した大日経義釈、および慈覚・智証の釈によるとの答えが示される。そこで、それでは彼らは何によってそれを知ったのかと詰めると、善無畏等の三蔵や慈覚・智証等の大師を疑うべきではない、との答えが返ってくることを記されている。
 そして、相手の問いに答えないで、ただ信ぜよという態度は、互いの疑問を明かしていくべき論議の法に背いているうえに、仏の遺言である「法に依って人に依らざれ」の教えに違背していると指摘され、たしかな経文を出すべきであり、もし経文がないならばその義もないことになるかどうか、と破折されている。
 それに対して、威儀形色経や瑜祇経・観智儀軌等によるが、文は口頭で述べる、との答えを記されている。大聖人は叡山で学ばれたので、天台真言での答えの限界を身にしみて知っておられたのである。
 なお、威儀形色経とは、法華漫荼羅威儀形色法経のことで、不空の訳とされる。法華経の見宝塔品に説かれる多宝如来の出現を基にした宝塔品の儀式を、密教様式の曼荼羅に表した経である。瑜祇経とは、金剛峰楼閣一切が瑜祇経のことで、金剛智の訳、不空の訳との説もある。金剛界・胎蔵界の両部が不二であるとの極秘を理知不二の仏が明かした経とされ、真言宗では秘経として重視されている。観智儀軌とは、成就妙法蓮華経王瑜伽観智儀軌のことで不空の訳とされる。法華経の見宝塔品に説かれる釈迦・多宝の二仏並座の説を中心に、文殊・薬王・弥勒・普賢等の諸菩薩を配した曼荼羅が説かれている。威儀形色経や観智儀軌は法華経を密教に変形した経論なのである。
 更に、法華経に印・真言を略すというのは、仏が略して説かなかったのか、経を結集した人が略したのか、漢語への翻訳者である鳩摩羅什が略したのかとの問いには、あるいは仏といい、あるいは経家といい、あるいは訳者というように、答えが定まっていないとされている。
 そして、このことを更に掘り下げ、仏が印・真言を略したのだというなら、それは、どの経文によるのかとの問いを設け、その証拠がどこにあるかを示せないなら、自分勝手で根拠のない戯言であるから、このような説は用いるに値しない、と破されている。
 また、結集者や訳者が略したものというなら、仏説の段階では理同事勝の義はなりたたないことになる、と指摘されている。
 そして、大聖人の見解として、威儀形色経や瑜祇経の文のとおりだとすれば、仏の説いた段階では法華経にも印・真言があったことになり、現存の法華経にないのは経家や訳者が略したことになる、とされている。六波羅蜜経は経家が印・真言を略しており、旧訳の仁王経は訳者が略したもののようである。とされている。
 これについて真言見聞には、「唐朝の善無畏金剛智等法華経と大日経の両経に理同事勝の釈を作るは梵華両国共に勝劣か、法華経も天竺には十六里の宝蔵に有れば無量の事有れども流沙・葱嶺等の険難・五万八千里・十万里の路次容易ならざる間・枝葉をば之を略せり、此等は併ながら訳者の意楽に随つて広を好み略を悪む人も有り略を好み広を悪む人も有り、然れば則ち玄弉は広を好んで四十巻の般若経を六百巻と成し、羅什三蔵は略を好んで千巻の大論を百巻に縮めたり、印契・真言の勝るると云う事是を以て弁え難し、羅什所訳の法華経には是を宗とせず不空三蔵の法華の儀軌には印・真言之有り、仁王経も羅什の所訳には印・真言之無し不空所訳の経には之を副えたり知んぬ是れ訳者の意楽なりと、其の上法華経には「為説実相印」と説いて合掌の印之有り、譬喩品には『我が此の法印・世間を利益せんと欲するが為の故に説く』云云、此等の文如何只広略の異あるか、又舌相の言語・皆是れ真言なり、法華経には『治生の産業は皆実相と相違背せず』と宣べ、亦『是れ前仏経中に説く所なり』と説く此等は如何、真言こそ有名無実の真言・未顕真実の権教なれば成仏得道跡形も無く始成を談じて久遠無ければ性徳本有の仏性も無し」(0145-17)と述べられている。
 これらの事実からすれば、天台真言が理同事勝と釈すのは、経家や訳者の時以後に出てきた大日経と法華天台宗の教義のために論難しておく、とされている。
 この法華経と大日経はもともと等しいといいながら「真言・印において大日経が勝れる」とする天台真言の立義に比べ、弘法の流れである東寺の立義は法華経を単純に大日経に劣るとするものでその誤りが見分けやすいので、ここでは「且く之を置く」として略されている。

0123:02~0123:15 第五章 理同事勝の義に二難有るを明かすtop
02        抑天台真言宗の所立・理同事勝に二難有り、 一には法華経と大日経と理同の義其の文全く之無し、
03 法華経と大日経と先後如何、 既に義釈に二経の前後之を定め畢つて法華経は先き大日経は後なりと云へり、 若し
04 爾らば大日経は法華経の重説なる流通なり、 一法を両度之を説くが故なり 若し所立の如くば法華経の理を重ねて
05 之を説くを大日経と云う、 然れば則ち法華経と大日経と敵論の時は大日経の理之を奪つて法華経に付く可し、 但
06 し大日経の得分は但印真言計りなり、 印契は身業・真言は口業なり 身口のみにして意無くば印・真言有る可から
07 ず、 手口等を奪つて法華経に付けなば手無くして印を結び口無くして真言を誦せば 虚空に印真言を誦結す可きか
08 如何、 裸形の猛者と甲冑を帯せる猛者との譬の事、 裸形の猛者の進んで大陣を破ると甲冑を帯せる猛者の退いて
09 一陣をも破らざるとは何れが勝るるや、 又猛者は法華経なり甲冑は大日経なり、 猛者無くんば甲冑何の詮か之有
10 らん此れは理同の義を難ずるなり、 次に事勝の義を難ぜば 法華経には印・真言無く大日経には印真言之有りと云
11 云、 印契真言の有無に付て二経の勝劣を定むるに大日経に印真言有つて法華経に之無き故に劣ると云わば、 阿含
12 経には世界建立・賢聖の地位是れ分明なり、 大日経には之無し、 彼の経に有る事が此の経に無きを以て勝劣を判
13 ぜば大日経は阿含経より劣るか、 雙観経等には四十八願是れ分明なり大日経に之無し、 般若経には十八空是れ分
14 明なり大日経には之無し、此等の諸経に劣ると云う可きか、 又印・真言無くんば仏を知る可からず等と云云、 今
15 反詰して云く理無くんば仏有る可からず仏無くんば印契真言・一切徒然と成るべし。
−−−−−—
 ところで、天台真言宗の立てた理同事勝に二つのひなんすべき点がある。一には、法華経と大日経とが理がおなじであるという義を説いた経文は全くない、ということである。法華経と大日経との説かれた順序はどうかというと、既に大日経義釈には二経の前後を定めて法華経が先で大日経が後であると述べている。もしそうであるならば、とりもなおさず法華経と大日経とが対立する時は大日経の理を奪って法華経のものとすべきである。ただし、ただ印と真言だけは大日経の得分である。印契は身業であり、真言は口業である。身と口とだけで意がなければ、印と真言もありえない。手と口などを奪って法華経のものとしてしまったら、手がなくて印を結び口がなくて真言を誦すようなものであり、それでは虚空に印を結び真言を誦すことになるが、どうか。裸の猛者と鎧兜を着けた猛者との譬えについていえば、裸の猛者が突き進んで強大な陣を破るのと、鎧兜を着けた猛者が退いて一陣さえ破らないのとは、どちらが勝れているか。また猛者が法華経であり、鎧兜は大日経である。猛者がいなければ鎧兜は何の価値があろう。以上は理同の義を論難したのである。
 次に事勝の義を論難する。「法華経には印と真言がなく、大日経には印と真言がある」と言っているが、印契と真言の有無によって二経の勝劣を定めて、大日経には印と真言があるのに法華経にはこれがないから劣っているというならば、阿含経には世界の建立や賢聖の位が明らかにとかれているのに大日経にはこれがない。あちらの経にあることがこちらの経にないことをもって勝劣を判ずるならば、大日経は阿含経よりも劣ることになるがどうか。無量寿経には四十八願が明らかにとかれているが、大日経にはこれがない。般若経には十八空が明らかに説かれているが、大日経にはこれがない。大日経はこれらの諸経よりも劣るというべきなのか。また「印と真言がなければ、私を知ることができない」等といっているのに反論していえば、理がなければ仏はありえず、仏がなければ印契や真言は一切、無意味となろう。

天台真言宗
 日本天台宗所伝の密教のこと。弘法が東寺で弘伝した密教を東密というのに対して、台密という。
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理同事勝
 真言宗の開祖・善無畏三蔵のつくった邪義。法華経と大日経とを比較すると、理の上では釈尊も大日如来も一念三千にほかならないので同じであるが、事において、すなわち、この教理を形の上に表わす印や真言の作法は、法華経にないので大日経が法華経に勝れているとする謬説。
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流通
 承通分のこと。その内容的な意義について分析する場合、大きく序分・正宗分・流通分の三段に分ける。序分とは、中心眼目をあらわすための前置き、準備段階、正宗分とは、正論、中心眼目となる部分、流通分とは、正宗分に説かれた哲理・法理を、時機にしたがって応用し、流れかよわしめること。
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敵論
 対抗して論争すること。
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印契
 仏の悟りや誓願などを外形として表示するため修行者が指先で作る特別な形。刀剣などの持ち物を使う宗派もある。
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身業
 身口意の三業のひとつ。身体で表すすべての動作。
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口業
 身口意の三業のひとつ。言葉がもとで、善悪の結果を招く 行為。語業。
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世界建立
 長阿含経第四分の世記経世本縁品第12に、世界成立の姿と因縁が明かされている。国土と日月、また人間社会がいかにして形成されてきたかを説いている。
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賢聖の地位
 中阿含経の福田経に、18種の学人と9種の無学人が記されている。「賢聖」は見惑を断じて以後の悟りの位をいう。学人とは悟りを得てはいるが、まだ修学すべきことがある聖者、無学人とは悟りを得て、もはや修学すべきことがない聖者をいう。
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雙観経
 無量寿経のこと。方等部に属し、浄土三部経の一つ。北魏の康僧鎧が嘉平4年(0252)に訳し、上下二巻からなるので、雙観経ともいう。上巻はかつて阿弥陀如来が法蔵比丘と称していたとき、四十八願を立てて因行を満足し、その果徳によって西方十万億土の安楽浄土に住して、その荘厳な相を説く。下巻は衆生が安楽浄土へ往生する因果とその行を説いている。
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四十八願
 阿弥陀仏が法蔵比丘として修行していたとき、自らの仏国土を荘厳しようと願い、世自在王仏によって示された二百十億の仏国土から選び取って立てた48の誓願。無量寿経巻上に説かれている。
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十八空
 ①天台大師が法華文句巻9のなかで、安楽行品の一切法空の文より18の空と区分したもの。すなわち「一切の法を観ずるに、空なり、⑴如実相なり。⑵顛倒せず、⑶動せず、⑷退せず、⑸転せず、⑹虚空の如くにして⑺所有の性無し。⑻一切の語言の道断え、⑼生ぜず、⑽出せず、⑾起せず。⑿名無く、⒀相無く、⒁実に所有なし、⒂無量、⒃無辺、⒄無碍、⒅無障なり」である。②大智度論にある18空。⑴內空⑵外空⑶內外空⑷空空⑸大空⑹第一義空⑺有為空⑻無為空⑼畢竟空⑽無始空⑾散空⑿性空⒀自相空⒁一切法空⒂不可得空⒃無法空⒄有法空⒅無法有法空
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抑天台真言宗の所立・理同事勝に二難有り、一には法華経と大日経と理同の義其の文全く之無し、法華経と大日経と先後如何、既に義釈に二経の前後之を定め畢つて法華経は先き大日経は後なりと云へり、若し爾らば大日経は法華経の重説なる流通なり、一法を両度之を説くが故なり若し所立の如くば法華経の理を重ねて之を説くを大日経と云う、然れば則ち法華経と大日経と敵論の時は大日経の理之を奪つて法華経に付く可し、但し大日経の得分は但印真言計りなり、印契は身業・真言は口業なり身口のみにして意無くば印・真言有る可からず、手口等を奪つて法華経に付けなば手無くして印を結び口無くして真言を誦せば虚空に印真言を誦結す可きか如何、裸形の猛者と甲冑を帯せる猛者との譬の事、裸形の猛者の進んで大陣を破ると甲冑を帯せる猛者の退いて一陣をも破らざるとは何れが勝るるや、又猛者は法華経なり甲冑は大日経なり、猛者無くんば甲冑何の詮か之有らん此れは理同の義を難ずるなり
 次に、天台真言宗で立てる理同事勝の義に、二つの難点があることを指摘される。その一つは「理同」すなわち、法華経と大日経の理が同じとする義についてである。これには全く文証がないうえ、仮に「理同」とした場合も、法華経と大日経は、どちらが先に説かれたかについて、大日経義釈では法華経が先で、大日経が後に説かれたとしている。そうであるなら、大日経は法華経の義を重ねて説いたものであるから流通分ということになる。したがって、法華経と大日経が対立するときは、理が先に説かれた法華経のものであり、大日経の独自性はただ印と真言のみということになる。そして、印を結ぶことは身による行為であり、真言を唱えることは口による行為であるが、意の行為である理が具わっていない印・真言は単なる形式にすぎず、全く意味がないのである。
 印を結ぶ手、真言を唱える口はその人の意によって働くものであるから、意が法華のものなら手と口も法華のもので、印・真言だけの大日経は、手がなくて印を結び、口がないのに真言を誦えよというのと同じになり、虚空に印を結び、真言を誦すような空虚なものになってしまうのである。
 また、裸の猛者と甲冑を着けた猛者との譬えについていえば、裸の猛者が進んで敵陣を破るのと、甲冑を着けた猛者が敵陣を前に退いてしまうのとは、どちらが勝れているかは明白ではないか、と仰せになっている。これは、甲冑を着けているかどうかではなく、敵陣を破るかどうかが「猛者」の本質であることを指摘され、印・真言の有無が成仏の法の本質ではないことを示されているのである。
 また、猛者が法華経で、甲冑が大日経だとすれば、猛者がいなければ甲冑も何の用にもたたないではないか。とも破されている。法華の法理のがない大日経は、無用であることを明かされているのである。以上が、天台真言宗の立てた「理同」に対する破折にあたる。
次に事勝の義を難ぜば 法華経には印・真言無く大日経には印真言之有りと云云、印契真言の有無に付て二経の勝劣を定むるに大日経に印真言有つて法華経に之無き故に劣ると云わば、阿含経には世界建立・賢聖の地位是れ分明なり、大日経には之無し、彼の経に有る事が此の経に無きを以て勝劣を判ぜば大日経は阿含経より劣るか、雙観経等には四十八願是れ分明なり大日経に之無し、般若経には十八空是れ分明なり大日経には之無し、此等の諸経に劣ると云う可きか、又印・真言無くんば仏を知る可からず等と云云、今反詰して云く理無くんば仏有る可からず仏無くんば印契真言・一切徒然と成るべし
 次に、第二として「事勝」の義について破折されている。
 印と真言の有無を基準にして法華経と大日経の勝劣を定めるというなら、阿含経には世界が成立した姿と因縁や、見思を断じた以後の悟りである27の顕聖の位が明かされているが、大日経にはそれが説かれていない。あちらの経にあってこちらの経にないから、こちらの経が劣るというなら、大日経は阿含経より劣ることになるではないか、と責められている。
 同様に無量寿経には法蔵比丘の48願が明かされているが、大日経にはない。般若経には18種の空が明かされているが、大日経にはない。そうすると、大日経はこれらの経に劣ることになる、と破されている。
 また、印・真言がなければ、仏を知ることができないとしているが、それらへの反論として、法華経の理の一念三千の法理がなければ仏はありえず、仏がないから、印・真言は全く意味がない、と破されている。
 仏法の根本は成仏であるが、成仏の根本は“法”すなわち“理”を悟ることにあって、印・真言によるのではない。印や真言は既に悟った仏のあらわす力や智慧を象徴するものなのである。一切衆生の成仏得道の“法”は一念三千であり、これらは法華経ののみにある。大日経には、一念三千の法理はない。したがって、いかに大日経には印・真言が説かれていると誇っても、根本の成仏の理が説かれていないのでは、全く無意味となるのである。

0123:16~0124:06 第六章 二乗作仏・久遠実成こそ根本と示すtop
16   彼難じて云く賢聖並に四十八願等をば印真言に対す可からず等と云云、 今反詰して云く最上の印真言之無くば
17 法華経は大日経等よりも劣るか、 若し爾らば法華経には二乗作仏・久遠実成之有り 大日経には之無し印真言と二
18 乗作仏・久遠実成とを対論せば天地雲泥なり、 諸経に印真言を簡わざるに 大日経に之を説いて何の詮か有る可き
0124
01 や、 二乗若し灰断の執を改めずんば印真言も無用なり、 一代の聖教に皆二乗を永不成仏と簡い随つて大日経にも
02 之を隔つ、 皆成仏までこそ無からめ三分が二之を捨て百分が六十余分得道せずんば 仏の大悲何かせん、凡そ理の
03 三千之有つて成仏すと云う上には何の不足か有る可き成仏に於てはアなる仏・ 中風の覚者は之有る可からず、 之
04 を以て案ずるに印真言は規模無きか、 又諸経には始成正覚の旨を談じて三身相即の無始の古仏を顕さず、 本無今
05 有の失有れば 大日如来は有名無実なり、 寿量品に此の旨を顕す釈尊は天の一月・諸仏菩薩は万水に浮べる影なり
06 と見えたり、委細の旨は且く之を置く。
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 天台真言の人が難詰して「賢聖の位や四十八願等を印・真言に対比すべきではない」等というならば、いま反論していう。最上の印と真言がないから法華経は大日経より劣るというならば、法華経には二乗作仏と久遠実成が説かれているが、大日経にはこれがない。印・真言と二乗作仏・久遠実成とを対比して論ずるならば、天智雲泥である。諸教にも印・真言を説いていないわけではないのに、大日経にこれを説いているからといって、何の意味があろうか。二乗がもし身を灰にして心を断ずるという執着を改めないならば、印や真言も無用である。
 一代の聖教はみな二乗を永久に成仏しない者として選び捨てており、したがって大日経も二乗を分け隔てている。全部は成仏することまではなくとも三分の二を捨て去り、百分の六十が得道しないならば、仏の大慈悲はどういうことになってしまうのであろうか。
 だいたい、理である一念三千があって成仏すると説かれた以上は、何の不足があろうか。口のきけない仏や中風の覚者はいるはずがない。このことから考えてみると、印・真言は効果がないであろう。また諸仏は始成正覚を説いて、三身相即の無始の古仏を説き顕していない。本無今有の欠点があるので、大日如来は有名無実である。法華経寿量品にこのことを説き顕している。釈尊は天の一月で、諸仏・菩薩は万水に浮かんだ月の影のようなものであうと説かれている。詳しい内容は、しばらく置いておく。

二乗作仏
 「二乗」とは声聞・縁覚のこと。法華経以前においては二乗界は永久に成仏できないと、厳しく弾呵されてきたが、法華経にはいって初めて三周の声聞(法説周・喩説周・因縁周)が説かれて、成仏が約束されたのである。
———
久遠実成
 釈尊は、法華経如来寿量品第十六で、五百塵点劫の成道を説き、仏の本地を明かした。すなわち、爾前経および法華経迹門ではインドに出世して30歳のとき菩提樹下で初めて成仏したことが説かれ、これを始成正覚という。しかるに本門寿量品では、五百塵点劫という久遠の昔に、すでに仏であったことが説かれている。これを久遠実成といい、長遠の生命を説き明かしたものである。
———
灰断
 色身を焼いて灰にし、心智を断滅すること。灰身滅智のこと。
———
一代聖の教
 釈尊が成道してから涅槃に入るまでの間に説いた一切の説法。天台大師は説法の順序に従って華厳・阿含・方等・般若・法華の五時に分けた書。詳しくは御書全集「釈迦一代五時継図」(0633)参照のこと。
———」
永不成仏
 声聞・縁覚の二乗は、無余涅槃に入って仏種を断ずるゆえに、未来永劫、成仏できないものであると、爾前の諸教に説かれている。法華経にきてはじめて十界互具が明かされて成仏できた。
———
理の三千
 ①法華経迹門で説かれる法門。十如実相に基づいて立てられた一念三千。一切衆生が十界互具・一念三千の当体であり、成仏する可能性があることを理の上で示している。②迹門の理の一念三千に対し、本因・本果・本国土が明かされた法華経本門の一念三千を事の一念三千というが、文底下種仏法から見れば理の一念三千となる。
———
中風の覚者
 手足が麻痺した仏の意味。印を結ぶことのできない仏をさして」いったもので、「中風」とは、現在では脳血管障害の後遺症である半身不随、片まひ、言語障害、手足のしびれやまひなどをいう。
———
始成正覚
 釈尊が19歳で出家、30歳で成道したことをいう。
———
三身相即
 三身とは、法身・報身・応身の三つをいう。応身とは肉体、報身は智慧、法身は生命である。爾前の経教においては、種々の法が説かれるが、いずれも娑婆世界でなく他土に住し、始成の仏である。しかもただ法身のみであったり、報身のみであったり、あるいは応身仏である。相即とは本来二つのものが密接に関係しあって融合していることをいう。
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無始の古仏
 久遠の仏のこと。五百塵点劫成道の本地の仏。
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本無今有
 本門の本有常住に対する語。迹門で成仏が許されたのは本がなくていま仏になるといわれ、また仏も久遠を説いていないから本が無くて今有る。したがって説く法門も本がなくて、今ある法を説いているに過ぎない。
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有名無実
 名ばかりあって、実のないこと。法華経已前の諸教において説かれた成仏のこと。
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寿量品
 如来寿量品第16のこと。如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号である。別して本地三仏の別号。寿量とは、十方三世・二仏・三仏の諸仏の功徳を詮量えるので、寿量品という。今は、本地の三仏の功徳を詮量するのである。この品こそ、釈尊出世の本懐であり、一切衆生成仏得道の真実義である。寿量品得意抄には「一切経の中に此の寿量品ましまさずは天に日月無く国に大王なく山海に玉なく人にたましゐ無からんがごとし、されば寿量品なくしては一切経いたづらごとなるべし」(1211-17)と、この品が重要であることを説かれている。その元意は文底に事行の一念三千の南無妙法蓮華経が秘し沈められているからである。御義口伝には「如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」(0752-04)、また「然りと雖も而も当品は末法の要法に非ざるか其の故は此の品は在世の脱益なり題目の五字計り当今の下種なり、然れば在世は脱益滅後は下種なり仍て下種を以て末法の詮と為す」(0753-07)とあり、末法においては、寿量品といえども、三大秘法の大御本尊の説明書であり、蔵と宝の関係になるのである。
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 印・真言の有無は重要ではなく、二乗作仏・久遠実成の有無によって法華経と大日経の勝劣を定めるべきことを示されている。
 天台真言宗では「最上の印・真言がないから法華経は大日経に劣る」といっているが、法華経には二乗作仏・久遠実成が説かれており、大日経には説かれていないことを指摘され、印・真言と二乗作仏・久遠実成とを比較すれば天地雲泥の差があることを指摘されている。
 法華経の迹門で説かれた声聞・縁覚の二乗の成仏、本門で説かれた釈尊の久遠実成は、法華経以前の諸経では未曾有のことである。一切衆生の成仏と、釈尊の久遠本地の開顕こそ、釈尊の出世の本懐であり、法華経が「諸経の王」「経王」とされる所以なのである。この釈尊における究極の法理とひかくすれば、印・真言など全く問題にならないのである。
 しかも印・真言は諸経にも説かれているのであるから、特に大日経が勝れている理由にはならないのである。
 更に、二乗が煩悩を断つために、色心を焼いて灰として心智を断滅することに執着するなら、印・真言などは全く無用ではないか、とされている。身を灰にするのであるから、印を結ぶ手も、真言を唱える口もなくなってしまうからである。
 また権大乗の諸経においては、釈尊の弟子である二乗を「永不成仏」として捨てている。これは仏弟子である三乗のうち二乗、60/100が得道できないということであり、仏の大慈悲といっても限界があることになってしまうのである。法華経によって理の一念三千が明かされ、一切衆生が成仏できるとされたからは、何の不足もないはずであり、印・真言の有無などは問題ではなくなる。なぜなら印・真言は悟りを得た仏に自ずと具わるもので、手の不自由な仏や、口のきけない仏などあるはずがないからである。
 また、諸経では、釈尊が19歳で出家し、30歳で正覚を成じて仏になったと説き、法身・報身・応身の三身を一身に具えた久遠の仏であることについては、何も明かしていない。久遠の本地が明かさなければ、垂迹である大日如来は本無今有であり、有名無実な存在なのである。天台大師は、久遠の本地が無いのに垂迹が有るとする考え方を、天月と地月に譬えて、「天月を識らず但地月を観ず」と述べられている。
 法華経の如来寿量品第16で初めて五百塵点劫の成道が説かれ、久遠の本地が明らかになって、釈尊を天の月とすれば、諸仏・菩薩は多くの水に映る月の影であることが明瞭になったのである。
 この点については日眼女造立釈迦仏供養事に、「東方の善徳仏・中央の大日如来・十方の諸仏・過去の七仏・三世の諸仏・上行菩薩等・文殊師利・舎利弗等・大梵天王・第六天の魔王・釈提桓因王・日天・月天・明星天・北斗七星・二十八宿・五星・七星・八万四千の無量の諸星・阿修羅王・天神・地神・山神・海神・宅神・里神・一切世間の国国の主とある人何れか教主釈尊ならざる・天照太神・八幡大菩薩も其の本地は教主釈尊なり、例せば釈尊は天の一月・諸仏・菩薩等は万水に浮べる影なり」(1187-02)と述べられている。
 法華経は大日如来の本地である久遠の釈尊が明かされたゆえに、大日経に勝るのは当然であり、それを誹謗することは、大日如来を誹謗していることになるのである。

0124:07~0124:14 第七章 法華経を離れて成仏なきを明かすtop
07   又印・真言無くんば祈祷有る可からずと云云、是れ又以ての外の僻見なり、過去現在の諸仏・法華経を離れて成
08 仏す可からず法華経を以て正覚を成じ給う、 法華経の行者を捨て給わば 諸仏還つて凡夫と成り給うべし恩を知ら
09 ざる故なり、 又未来の諸仏の中の二乗も法華経を離れては永く枯木敗種なり、 今は再生の華果なり、他経の行者
10 と相論を為す時は華光如来・光明如来等は何れの方に付く可きや、華厳経等の諸経の仏・菩薩・人天・乃至四悪趣等
11 の衆は皆法華経に於て一念三千・久遠実成の説を聞いて正覚を成ず可し 何れの方に付く可きや、 真言宗等と外道
12 並に小乗・権大乗の行者等と敵対相論を為すの時は甲乙知り難し、 法華経の行者に対する時は 竜と虎と師子と兎
13 との闘いの如く諍論分絶えたる者なり、 慧亮脳を破りし時・次第位に即き相応加持する時・真済の悪霊伏せらるる
14 等是なり、 
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 また「印・真言がなければ、祈禱はありえない」といっているが、これまた、とんでもない間違った考えである。
 過去・現在の諸仏は法華経を離れて成仏することはできず、法華経によって正覚を成就されたのである。諸仏は法華経の行者を見捨てられるならば、もとの凡夫となられるであろう。恩を知らないゆえである。また、未来に成仏して諸仏に入る二乗も、法華経を離れては永久に成仏できない枯れ木や腐敗した種である。法華経が説かれた今は蘇生して華が咲き果実がなったようなものである。法華経の行者が他の経の行者と論争している時に、華光如来や光明如来等はどちらの見方につくであろうか。華厳経等の諸経の仏・菩薩・人・天、そして修羅・畜生・餓鬼・地獄の四悪趣等の衆生はみな法華経において一念三千・久遠実成の説法を聞いて正覚を成ずつことができるのである。どちらの味方につくであろうか。
 真言宗の外道や小乗・権大乗の行者と敵対して論争をする時は甲乙つけがたいが、法華経の行者に対する時は竜と虎、師子と兎の戦いにように論争にならない。慧亮が脳を砕かんばかりに必死になって祈った時、次弟の惟仁親王が皇位に即き、相応が加持祈禱した時、真済の悪霊が降伏された等はこれであり、ひとえに真言の行者は法華経の行者に劣る証拠である。

正覚
 正しい覚り。妄惑を断滅した如来の真正の覚智。成仏。
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枯木敗種
 爾前経において二乗は永久に成仏できないとされ、決して花や実のつけることのない枯れた木と腐敗した種子にたとえられたこと。
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再生の華果
 爾前の諸教で永久に成仏できないとされていた二乗が、法華経に至って成仏を許されたことを、枯れた木や腐敗した種子が蘇生して華を咲かせ果実をつけたものにたとえたもの。
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相論
 互いに論争すること。
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華光如来
 釈迦の十大弟子の中で最も智慧に優れた舎利弗が、将来仏となった時の名で、その時に住む国の名。舎利弗は未来世において千万億の仏に導かれ、法を正しく保ったため成仏するとされる。華光如来の寿命は十二小劫で、大宝荘厳の国民の寿命は八小劫であり、そして華光如来が世を去る際に弟子の堅満菩薩に次のような記を与えるとした。曰く、この者は私の次に仏となり、名は華足安行如来である。そしてまた、華光如来入滅後に正法と像法は三十二小劫の間続くだろう、とされた。
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光明如来
 釈迦の十大弟子のひとり、迦葉が未来世において成仏したときの名。
———
人天
 十界のなかの人間界と天上界の生命状態・境界のこと。
———
四悪趣
 四悪・四趣・四悪道と同意。悪行によって趣くべき四種の苦悩の境涯。地獄・餓鬼・畜生・修羅界のこと。
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一念三千
 仏教の極理である。釈尊はこれを出世の本懐として、法華経方便品に「諸法実相」に約して、ほぼこれを説いた。ついで寿量品にいたり、因果国の三妙に約し、仏身の振舞の上からこれを説いた。これを受けて天台は、像法時代に出現して、摩訶止観で、次のように説いた。観の冒頭に「摩訶止観第五に云く世間と如是と一なり開合の異なり。『夫れ一心に十法界を具す一法界に又十法界を具すれば百法界なり一界に三十種の世間を具すれば百法界に即三千種の世間を具す、此の三千・一念の心に在り若し心無んば而已介爾も心有れば即ち三千を具す乃至所以に称して不可思議境と為す意此に在り』等云云或本に云く一界に 三種の世間を具す」と。十界とは「地獄界・餓鬼界・畜生界 ・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界」。十如とは「如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等」。三世間とは五蘊世間・衆生世間・国土世間」。一念三千には理と事があり、迹門は理・本門は事となる。文底下種本門に対する時は、法華経の本迹二門ともに理の一念三千となり、真の一念三千の法門とは、寿量品文底秘沈の三大秘法である。
———
外道
 仏教以外の低級・邪悪な教え。心理にそむく説のこと。
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小乗
 小乗教のこと。仏典を二つに大別したうちのひとつ。乗とは運乗の義で、教法を迷いの彼岸から悟りの彼岸に運ぶための乗り物にたとえたもの。菩薩道を教えた大乗に対し、小乗とは自己の解脱のみを目的とする声聞・縁覚の道を説き、阿羅漢果を得させる教法、四諦の法門、変わり者、悪人等の意。
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権大乗
 大乗の中の方便の教説。諸派の間では互いに、法華経をして実大乗といい、諸教を権大乗とする。
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慧亮
 (0801~0859)。天台宗の僧。信濃(長野県)に生まれ、幼くして比叡山に登り、後に円澄・円仁について顕密の法を学んだ。西塔の宝幢院に住し、同院の検校となった。
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次第
 ①順序。前後。②少しずつ状態が変わるさま。③成り行き、事情。
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相応
 (0831~0859)比叡山の学僧。平安時代初期の天台宗の僧。姓は櫟氏。近江の人で15歳で比叡山に登り、鎮操について修学したが後に円仁に師事した。貞観7年(0865)比叡山に無動寺を創建して不動明王像を安置。貞観8年(0866)に上奏して最澄に伝教・円仁に慈覚の大師号を賜った。加持祈祷の聞こえが高く、宮中にたびたび召されて修法を行った。寛平5年(0893)皇后明子が狂い病にかかった時、不動明王像の前で祈ると像が背を向けたため、必死になって祈ったところ、不動明王のお告げがあった。それは、鬼趣に堕ちた真済の霊が皇后に付いて悩ましているのであり、彼の霊に語りかけ、大威徳法をもって加持するならば、降伏することができるというものだった。そこで、相応が教えられたとおりにして真済の霊を降したところ、皇后の病はたちまちに治ったという。
———
加持
 ①仏の加護のこと。②真言宗では加被・摂時の義として、仏が慈悲をもって衆生に加え、衆生が信心をもってこれを受け止め、相互に作用し交わること。③災いを除く祈り・修法・祈祷。
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真済
 (0800~0860)。)平安時代前期の真言宗の僧。父は巡察弾正紀御園。 空海の十大弟子の一人で、真言宗で初めて僧官最高位の僧正に任ぜられた。詩文にも優れ、空海の詩文を集めた『性霊集』を編集している。また、長く神護寺に住し、その発展に尽力した。高雄僧正・紀僧正・柿本僧正とも称される。
———
悪霊
 人にたたりをする死者の霊や人間以外の霊的存在などのこと。
—————————
 印・真言がなければ祈禱をしても効き目はないという台密の義を破り、法華経を離れて成仏はありえないことを明かされている。密教は、現実社会に対しては、祈禱によって権力に取り入り、その権威を確保しようとした。その際、印・真言は祈禱に神秘性をまとわせるのに重要だったのである。
 しかし、大聖人は、印・真言がなければ祈禱に効き目はない、というものはもっての外の僻見である、と破されている。祈禱とは仏の力の助けを願うのであるが、過去・現在の諸仏は皆、法華経によって正覚を得たのであり、法華経から大恩を受けているのであるから、法華経の行者の祈りに応えないわけがなく、法華経の行者の祈りは必ず叶うのである。
 また、未来に成仏する二乗も、法華経を離れた場合には、決して花や実を付けることのない枯れ木や、腐敗した種子のように、永く成仏できないのである。それが、法華経を信ずることで、枯れ木や腐敗した種子が蘇生して花を咲かせ、果実を付けるように、成仏を許されたのである。したがって、法華経の行者が、他宗の者と対立している時、華光如来や光明如来がどちら側につくかは明らかであり、法華経の行者を守ることは間違いないのである。
 更に大聖人は、法華経に説かれている諸仏・菩薩だけでなく、華厳経等の諸経に説かれる仏・菩薩や、人界・天界から四悪道の衆生に至るまでも、皆、法華経の一念三千の法門と久遠実成の説を聞いて正覚を成ずることができるのだから、法華経の行者の側につくことは当然であるとされている。
 そして、真言宗等の僧が外道や小乗・権大乗の行者と対決している場合は、諸天がどちらにつくかは分からないが、法華経の行者と対決した場合には、諸仏・諸天等は法華経の行者につくことは間違いないので、竜と虎、師子と兎が戦うように、その勝敗は明らかである、とされている。
 その実例として、文徳天皇の次の皇位を惟喬親王と惟仁親王が争った際、天台宗の慧亮は弟の惟仁親王のために祈り、真言宗の真済は兄の惟喬親王のために祈った。結果は天台の慧亮の祈りが叶って、弟の惟仁親王が王位につき清和天皇となったという故事が挙げられている。
 また、天台宗の相応の加持・祈禱によって、真言宗・真済の悪霊が調伏され、宇多天皇の皇后・明子の病気が治った例を挙げられて、これらは真言の行者が法華経の行者に劣る証拠である、とされている。
 そうした例から、印・真言がない祈禱は成就しない、という言い分は誤りであり、祈禱において大事なことは諸仏成道の根本である法華経の正法によって祈ることであることを示されている。

0124:14~0125:03 第八章 二乗作仏と久成は法華経のみを示すtop
14       一向真言の行者は法華経の行者に劣れる証拠是なり、 問うて云く義釈の意は法華経・大日経共に二乗
15 作仏・久遠実成を明かすや如何、 答えて云く共に之を明かす、義釈に云く「此の経の心の実相は彼あの経の諸法実
16 相なり」と云云、又云く「本初は是れ寿量の義なり」等と云云。
−−−−−—
 問うていう。大日経義釈は、法華経と大日経はともに二乗作仏・久遠実成を明かしているとするなか、どうか。答えていう、ともに明かしているとする。義釈では「この大日経で説く『心の実相』は、あの法華経で説く『諸法実相』ということである」といい、また「大日経で説く『本初』というのは、法華経の『寿量』の意味である」等といっている。
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17   問うて云く華厳宗の義に云く華厳経には二乗作仏・久遠実成之を明かす、 天台宗は之を許さず、宗論は且く之
18 を置く人師を捨てて本経を存せば 華厳経に於ては二乗作仏・久遠実成の相似の文之有りと雖も実には之無し、 之
0125
01 を以て之を思うに義釈には大日経に於て二乗作仏・久遠実成を存すと雖も実には之無きか如何、 答えて云く華厳経
02 の如く相似の文之有りと雖も実義之無きか、 私に云く二乗作仏無くば四弘誓願満足す可からず、 四弘誓願満たず
03 んば又別願も満す可からず、総別の二願満せずんば衆生の成仏も有り難きか能く能く意得可し云云。
−−−−−—
 問うていう。華厳宗の教義では「華厳経には二乗作仏・久遠実成を明かしている」といっている。天台宗はこれを許していない。宗派間の論議はしばらく置いて、人師の釈を捨てて本となる経についてみてみれば、華厳宗には二乗作仏・久遠実成に似た文はあっても実義はない。このことから考えてみると、義釈には大日経に二乗作仏・久遠実成が説かれているといっても実義はないのではないか。どうか、答えていう。華厳経の場合と同様に似た文はあるけれども、実義はない。自分の考えでは「二乗作仏がなければ四弘誓願を満たすことはできず、四弘誓願を満たさなければ別願も満たすことはできない。総別の二願を満たせないならば、衆生の成仏もありえないのではないか、よくよく心得るべきである。

諸法実相
 諸法はそのまま実相であるということ。法界三千のいっさいの本然の姿は、妙法蓮華経の当体であるということ。諸法実相の仏とは、十界互具・一念三千の仏のことであり、三十二相をそなえた色相荘厳の仏ではなく、凡夫そのまま、ありのままの仏である。諸法実相抄には「下地獄より上仏界までの十界の依正の当体・悉く一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなりと云ふ経文なり」(1358-01)「実相と云うは妙法蓮華経の異名なり・諸法は妙法蓮華経と云う事なり、地獄は地獄のすがたを見せたるが実の相なり、餓鬼と変ぜば地獄の実のすがたには非ず、仏は仏のすがた凡夫は凡夫のすがた、万法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりと云ふ事を諸法実相とは申すなり」(1359-03)とある。
———
本初
 大日経に「我は一切の本初なり」とある文をいう。
———
寿量
 妙法蓮華経如来寿量品第十六のこと。法華経本門の正宗分であり、釈尊が19歳で出家して30歳で成道したとする見方を打ち破って、五百塵点劫という久遠の昔に成道した久遠実成の仏であることを説き顕し、それ以来ずっとこの娑婆世界で説法教化してきたことを明かし、涅槃を現ずるのは、衆生を救うための方便であることを良薬の譬えを持って説いている。
———
四弘誓願
 すべての仏・菩薩 が起こす四つの誓願。限りなく多くの衆生 を済度しようという衆生無辺誓願度、計り知れない煩悩を滅しようという煩悩無量誓願断、尽きることのないほど広大な法の教えを学びとろうという法門無尽誓願知、無上の悟りに達したいという仏道無上誓願証をいう。
———
別願
 仏・菩薩が個別に起こした請願のこと。
———
総別の二願
 総願と別願のこと。請願は誓いを立てて願うことで、すべての菩薩が等しく立てる請願を総願といい、個々によって内容を異にする誓願を別願という。
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 ここでは、大日経にも二乗作仏・久遠実成が説かれており、したがって一念三千の理があるとする、「理同」説を破られている。
 天台真言宗では、二乗作仏の文証として、大日経の中に「心の実相」とあるのを挙げ、これを一念三千の法門の根拠となった法華経方便品第2の「諸法実相」の文と同じ義であるとして、大日経義釈に「彼に諸法実相と言うは、即ち是れ此の経の心の実相なり」と釈しているのである。
 また、法華経の一念三千のもう一つの根拠となった本門寿量品の久遠実成に対応するものとしては、大日経の「我一切本初」がそれであるというのが天台真言の言い分である。本章では冒頭にこの二つを挙げられて同様の主張をした華厳宗を引き合いに出しながら、経文上の相似の文言があるということで、その実践の有無とは別であることを示して破折されている。
 大日経に「心の実相」という言葉があったとしても「実相」の語が法華経方便品の「諸法実相」の「実相」と同じとはいえないのである。その中身を判断するには、その経全体を説法内容を吟味しなければならない。
 この点の論議は諸御書に展開されるが、それらを要約して述べられている日寛上人の三重秘伝抄の文をここに挙げておく。
 すなわち、三重秘伝抄には「大日経の中に記小久成を明かさず。何ぞ一念三千を明かさんや。故に彼の経の心の実相は但是れ小乗偏真の実相なり、何ぞ法華の諸法実相に同じからんや。弘の一の下に云く『婆沙の中に処処に皆実相と云う。是くの如き等の名、大乗と同じ。是を以て応に須く義を以て判属すべし』云云。守護章の中の中に云く『爾前・迹門の円教すら尚仏因に非ず、況んや大日経等の諸小乗教等をや』。故に知りぬ、大日経の中の心の実相は小乗偏真の実相なりと」破折されている。
 大日経に実相という言葉があったとしても、その義は、小乗の空に偏った偏真の実相にすぎないのである。
 すなわち法華経における三諦円融の実相とは全く異なる。三諦円融の完璧なる真理を悟ってこそ成仏できるのであり、したがって、法華経ではこの方便品のあと、二乗悪人等が成仏することが説かれる。大日経には二乗の成仏は全く出てこないのである。
問うて云く華厳宗の義に云く華厳経には二乗作仏・久遠実成之を明かす
 本抄での破折の対象は天台真言宗であるが、同様に自宗の依経である華厳経にも二乗作仏・久遠実成があり、一念三千の理があると主張していた華厳宗を引き合いに出しながら、こうした主張のいい加減さを破されている。
 華厳宗の主張に対して、天台宗はそれを認めていない。大聖人は、人師の説はさておいて、依経の文について論じようといわれ、華厳経には二乗作仏・久遠実成に似たような文はあったとしても、その実義はない、と断じられている。
 華厳宗では、華厳経に「心は工なる画師の種種の五陰を画くが如く、一切世界の中に法として造ざること無し」の文があり、天台大師もそれを一念三千を説明する上で用いるため、華厳経にも一念三千の法理が説かれている証拠であるとしていた。
 この点について日寛上人は三重秘伝抄で取り上げられ「彼の経に記小久成を明かさず、何ぞ一念三千を明かさんや」と華厳経の主張を破折し、天台大師が華厳経の文を引いた理由についても「若し大師引用の意は、浄覚云く『今の引用は会入の後に従う』等云云。又古徳云く『華厳は死の法門にして法華は活の法門なり』云云。彼の経の当分は有名無実なる故に死の法門と云う。…若し会入の後は猶蘇生の如し、故に活の法門と云なり」と述べている。
 この華厳宗の例と同じく、天台真言が大日経義釈で大日経に二乗作仏と久遠実成を明かしているとしているのも、相似の文があったとしても実義はない、とされている。
 事実、真言の経典がどこにも二乗成仏はなく、二乗が成仏できないなら、菩薩が立てた四弘誓願が満足しないではないか、と指摘されている。四弘誓願の第一である衆生無辺誓願度は、一切衆生すべて悟りの彼岸に渡すとの誓いであり、二乗が成仏しないなら、この誓いが果たされないことになるからである。
 四弘誓願はすべての菩薩が起こす誓願なので総願といい、菩薩が個別に起こす誓願を別願という。二乗作仏が明かされない大日経では、総願も果たせなければ、別願も満足しないので、衆生の成仏は叶わないことになるではないか、と破されている。

0125:04~0125:14 第九章 大日如来を無始無終とする義を破すtop
04   問うて云く大日経の疏に云く大日如来は無始無終なり遥に五百塵点に勝れたりと如何、 答う毘廬遮那の無始無
05 終なる事華厳・浄名・般若等の諸大乗経に之を説く 独り大日経のみに非ず、 問うて云く若し爾らば五百塵点は際
06 限有れば有始有終なり無始無終は際限無し、 然れば則ち法華経は諸経に破せらるるか如何、 答えて云く他宗の人
07 は此の義を存す 天台一家に於て此の難を会通する者有り難きか、 今大日経並に諸大乗経の無始無終は法身の無始
08 無終なり三身の無始無終に非ず、 法華経の五百塵点は 諸大乗経の破せざる伽耶の 始成之を破りたる五百塵点な
09 り、大日経等の諸大乗経には全く此の義無し、宝塔の涌現・地涌の涌出・弥勒の疑・寿量品の初の三誡四請・弥勒菩
10 薩・ 領解の文に「仏希有の法を説きたもう昔より未だ曾つて聞かざる所なり」等の文是なり、 大日経六巻並に供
11 養法の巻・金剛頂経・蘇悉地経等の諸の真言部の経の中に未だ三止四請・三誡四請・二乗の劫国名号・難信難解等の
12 文を見ず。
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 問うていう。大日経疏には「大日如来は無始無終であり、五百塵点劫成道よりもはるかに勝れている。」とあるが、どうか。答えていう。毘盧遮那仏が無始無終であることは、華厳・浄名・般若等の諸大乗経に説かれており、ただ大日経だけではない。
 問うていう。もしそうであるならば、五百塵点劫は際限があるので有始有終であり、無始無終は際限がない。そうであるなら、法華経は諸経に破られることになるのか、どうか。答えていう。他宗の人はこの義を懐いているが、天台宗ではこの論難に対して、筋の通った解釈をする者はいないのであろうか。いま大日経ならびに諸大乗経で説く「無始無終」は法身の無始無終ではない。法華経で説く「五百塵点劫」は諸大乗経が破らなかった伽耶城近くで始めて成道したという教えを打ち破った五百塵点劫の成道である。大日経等の諸大乗経には全くこの義は説かれていない。法華経見宝塔品第11で説かれる宝塔の湧現や、従地涌出品第15で説かれる地涌の菩薩の涌出と弥勒菩薩の疑いや、如来寿量品第十六の最初に説かれる三誡四請や、分別功徳品第十七で弥勒菩薩が領解で述べた「仏は希有の法を説かれた。昔より末だ曾つてきいたことのない法である」等の文は、このことを述べているのである。大日経の六巻ならびに供養法の巻と、金剛頂経と蘇悉地経等のもろもろの真言部の経の中に、いまだ三止四請や三誡四請や二乗が未来に成仏するときの劫・国・名号や難信難解を説かれた文を見たことがない。
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13   問うて云く五乗の真言如何、 答う未だ二乗の真言を知らず四諦・十二因縁の梵語のみ有るなり、又法身平等に
14 会すること有らんや。
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 問うていう。大日経等に説かれる天・声聞・縁覚・菩薩・仏の五乗の真言についてはどうか。答えていう。末だ成仏の真実を知らない。四諦や十二因縁を説いた梵語があるだけである。また法身平等の理に会入することはない。

大日如来
 大日は梵語(mahāvairocana)遍照如来・光明遍照・遍一切処などと訳す。密教の教主・本尊。真言宗では、一切衆生を救済する如来の智慧を光にたとえ、それが地上の万物を照らす陽光に似るので、大日如来というとし、宇宙森羅万象の真理・法則を仏格化した法身仏で、すべて仏・菩薩を生み出す根本仏としている。大日如来には智法身の金剛界大日と理法身の胎蔵界大日の二尊がある。
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五百塵点
 五百塵点劫のこと。法華経如来寿量品第十六に「譬えば五百千万億那由佗阿僧祇の三千大千世界を、仮使い人有って抹して微塵と為して、東方五百千万億那由佗阿僧祇の国を過ぎて、乃ち一塵を下し、是の如く東に行きて、是の微塵を尽くさんが如し(中略)是の諸の世界の、若しは微塵を著き、及び著かざる者を、尽く以て塵と為して、一塵を一劫とせん。我れは成仏してより已来、復た此れに過ぎたること、百千万億那由佗阿僧祇劫なり」とある文を意味する語。釈尊が真実に成道して以来の時の長遠であることを譬えをもって示したものであるが、ここでは、久遠の仏から下種を受けながら、邪法に執着した衆生が五百塵点劫の間、六道を流転してきたという意味で使われている。
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毘廬遮那
 梵名、ヴァイローチャナ(Vairocana)の音写、遍一切処・光明遍照などと訳す。華厳経・観普賢菩薩行法経・大日経等に説かれる。華厳宗では旧訳の華厳経に盧遮那と訳されていることから、毘盧舎那と盧遮那は同じであり、報身等の十身を具足するとしている。天台宗では毘盧舎那を法身・盧遮那を報身・釈尊を応身としている。真言宗では毘盧舎那は法身であり、大日如来としている。
———
浄名
 維摩経のこと。聖徳太子が法華経・勝鬘経とともに、鎮護国家の三部経の一つと定めている。釈尊方等時の経で、在家の大信者である維摩詰が、偏狭な二乗の仏弟子を啓発し、般若の空理によって、不可思議な解脱の境涯を示し、一切万法に期すことを説いている。後漢の厳仏以来、7回以上訳されたが、現存するのは三訳。①呉の支謙訳「維摩詰経」2巻②姚秦の鳩摩羅什訳「維摩詰所説経」3巻③唐の玄奘訳「説無垢称経」6巻。
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般若
 般若波羅蜜の深理を説いた経典の総称。漢訳には唐代の玄奘訳の「大般若経」六百巻から二百六十二文字の「般若心経」まで多数ある。内容は、般若の理を説き、大小二乗に差別なしとしている。
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法身
 仏の三身の一つ。真理を身体とする仏。常住普遍の真理もしくは法性そのものをいい、寂光土に住する。三大秘法禀承事には「寿量品に云く『如来秘密神通之力』等云云、疏の九に云く『一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず』等云云」(1022-09)、総勘文抄には「此の三如是の本覚の如来は十方法界を身体と為し十方法界を心性と為し十方法界を相好と為す是の故に我が身は本覚三身如来の身体なり」(0562-01)、四条金吾釈迦仏供養事には「三身とは一には法身如来・二には報身如来・三には応身如来なり、此の三身如来をば一切の諸仏必ずあひぐす譬へば月の体は法身・月の光は報身・月の影は応身にたとう、一の月に三のことわりあり・一仏に三身の徳まします」(1144-08)等とある。
———
伽耶の始成
 爾前経および法華経の迹門で説かれるように、釈尊が伽耶城の近くの菩提樹の下において始めて正覚を成じたこと。久遠実成に対する語。「伽耶」は仏陀伽耶の略で、釈尊が正覚を乗じた場所「始成」とは始成正覚のこと。
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宝塔の湧現
 法華経見宝塔品で多宝搭が大地より涌現したこと。同品には「仏前に七宝の塔あり。高さ五百由旬、縦広二百五十由旬なり。地より涌出して、空中に住在す。種種の宝物をもって、之を荘校せり。五千の欄楯あって、龕室千万なり。無数の幢幡、以って厳飾と為し、宝の瓔珞を垂れ、宝鈴万億にして、其の上に懸けたり。四面に皆、多摩羅跋栴檀の香を出して、世界に充遍せり。其の諸の幡蓋は金・銀・瑠璃・硨磲・碼碯・真珠・玫瑰の七宝を以て合成し、高く四天王宮に至る」とある。この宝塔出現の意義は、一つは宝浄世界から来た多宝如来が、迹門の真実を証明するためである。これを証前の宝塔という。一つは後の本門を説く起こりになるためである。これを起後の宝塔という。証前が傍・起後が正である。末法において方等とは大御本尊である。生命論から言えば一切衆生の仏界を内包する尊厳なる生命の当体である。信心に約せば御本尊を信ずる者の当体である。阿仏房御書には「末法に入つて法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賎上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり、法華経の題目・宝塔なり宝塔又南無妙法蓮華経なり」(1304-06)とある。
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地涌の涌出
 法華経従地涌出品第十五に地涌の菩薩が大地より涌出たこと。すなわち「仏は是れを説きたまう時、娑婆世界の三千大千の国土は、地皆な震裂して、其の中於り無量千万億の菩薩摩訶薩有って、同時に涌出せり」とある。この地涌の菩薩の出現は、釈尊の滅後の布教を誓った本化の菩薩のこと。滅後末法の弘通を勧める釈尊の呼びかけに応じて、大地から湧き出てきたゆえに、地涌の菩薩という。
———
弥勒の疑
 法華経従地涌出品で、釈尊が大地より涌出した無数の地涌の菩薩を久遠より教化してきた等と説いたことに対して、弥勒菩薩が釈尊は菩提樹下で成道から40年しか経っていないのに、どうしてこのような無数の大菩薩を教化することができたのか等の疑いを懐いたこと。
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三誡四請
 寿量品で、釈尊が久遠実成を説き明かすにあたり、大衆に仏の言葉を信解するよう三度誡めたのに対し、大衆が仏に説法を四度請うたこと。
———
蘇悉地経
 蘇悉地羯羅経の略。唐の善無畏訳3巻。真言三部経の一つ。持誦・灌頂などが明かされ、妙果成就の法が説かれている。
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三止四請
 方便品で、開三顕一を説き明かす時に釈尊が三度にわたり説法することを止めようとしたのに対し、舎利弗がそのつど説法を請い、許しが出たのち重ねて四度目の要請をしたこと。方便品には「止みなん舎利弗、若し是の事を説かば、一切世間の天・人・阿修羅、皆当に驚疑すべし。増上慢の比丘は将に大坑に墜つべし。爾の時に世尊、重ねて偈を説いて言わく、止みなん止みなん説くべからず 我が法は妙にして思い難し諸の増上慢の者は 聞いて必ず敬信せじ爾の時に舎利弗、重ねて仏に白して言さく、世尊、唯願わくは之を説きたまえ、唯願わくは之を説きたまえ。今此の会中の我が如き等比百千万億なるは、世世に已に曾て仏に従いたてまつりて化を受けたり。此の如き人等必ず能く敬信し、長夜安穏にして饒益する所多からん。爾の時に舎利弗、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言さく、無上両足尊、願わくは第一の法を説きたまえ我は為れ仏の長子なり、唯分別し説くことを垂れたまえ是の会の無量の衆は、能く此の法を敬信せん。仏已に曾て世世に、是の如き等を教化したまえり。皆一心に合掌して、仏語を聴受せんと欲す、我等千二百、及び余の仏を求むる者あり。願わくは此の衆の為の故に、唯分別し説くことを垂れたまえ是れ等此の法を聞きたてまつらば、則ち大歓喜を生ずべし。爾の時に世尊、舎利弗に告げたまわく、汝已に慇懃に三たび請じつ、豈に説かざることを得んや。汝今諦かに聴き、善く之を思念せよ。吾当に汝が為に分別し解説すべし。此の語を説きたもう時、会中に比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、五千人等あり。即ち座より起って仏を礼して退きぬ。所以は何ん、此の輩は罪根深重に、及び増上慢にして、未だ得ざるを得たりと謂い、未だ証せざるを証せりと謂えり。此の如き失あり、是を以て住せず。世尊黙然として制止したまわず。爾の時に仏、舎利弗に告げたまわく、我が今此の衆は復枝葉なく、純ら貞実のみあり。舎利弗、是の如き増上慢の人は、退くも亦佳し。汝今善く聴け、当に汝が為に説くべし。舎利弗の言さく、唯然世尊、願楽わくは聞きたてまつらんと欲す」とある。
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二乗の劫国名号
 法華経迹門で、二乗の未来の成仏が明かされ、その時の劫・国・名号などが説かれていること。
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難信難解
 法師品には「我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経、最も為れ難信難解なり」とある。信じがたく解しがたいとで、法華経の信解は及びもつかないほど甚深の義があることを言いあらわしている。易信易解に対する語。
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五乗の真言
 仏・菩薩・縁覚・声聞・天の五乗の真言のこと。
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四諦
 四諦とは、苦諦・集諦・滅諦・道諦のことで、苦諦は世間の果報・集諦は世間苦果の因縁・滅諦は出世間涅槃の果、道諦は出世間の果を得る因をいう。
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十二因縁
 生命流転の因果関係を12に分けて説いたもの。権大乗教で説く苦しみの因縁である。十二因縁とは、過去の二因 ①無明 過去世の無始の煩悩。煩悩の根本が無明なので代表名とした。明るくないこと。迷いの中にいること。 ②行 志向作用。物事がそのようになる力=業 現在の五果 ③識 識別作用=好き嫌い、選別、差別の元 ④名色 と精神現象。実際の形と、その名前 ⑤六処 六つの感覚器官。眼耳鼻舌身意 ⑥触 六つの感覚器官に、それぞれの感受対象が触れること。外界との接触。 ⑦受 感受作用。六処、触による感受。 現在の三因 ⑧愛 渇愛 ⑨取 執着 ⑩有 存在。生存 未来の二果 ⑪生 生まれること ⑫老死 老いと死 をいう。最初の無明が根本となって、すべてが六道輪廻の苦しみであるとする説。
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梵語
 古代インドの言葉でサンスクリット(saṃskṛta)語のこと。
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法身平等
 真理を体とする仏身である法身は、すべてに通ずる普遍性を持ち、平等であること。
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 善無畏の大日経疏によって、大日如来は無始無終であるのに対して、法華経の釈尊は五百塵点劫成道で有始有終だから、大日如来のほうが勝れているという真言宗の言い分を破折されている。
 「大日如来は無始無終なり遥かに五百塵点に勝れたり」という言葉が、そのまま、大日経疏にあるわけではなく、同疏には、大日如来の説法の時を「無始無終にして、また去なく来なし」とあるだけであるが、当時の真言師の中に、法華経を誹謗しようとして「遥に五百塵点に勝れたり」と言う者がいたのであろう。
 大日経に説かれる毘盧遮那法身とは、いわゆる法身仏の呼称であり、法身とは「真理」そのもののことである。「真理」を無始無終・永遠とするのは、この宇宙をある時点では創出されたとする神話的宗教以外は、共通しているところである。したがって、華厳経等の諸大乗経に説かれている法身仏も無始無終と説かれており、大日如来のみではない、と破されている。
 この諸大乗教でも法身は無始無終であると答えに対して、五百塵点劫は、過去に際限があるので有始有終だが、無始無終は際限がないのだから、そうすると、法華経は諸大乗経に劣るということか、との反論を挙げられている。
 それに対して、法華経を護る立場の天台宗から有効な反論がされていないことを嘆かれたうえで、破折をされていく。
 大日経等の諸大乗経で説かれるのは、法身のみの無始無終であって、法身・報身・応身の三身の無始無終ではない。法華経の寿量品の久遠の仏は三身常住である。すなわち単に心理が永遠であるという当たり前のことに留まっているのではなく、寿量品の仏は久遠五百塵点劫に成道し、それ以外、説法教化している仏である。浄導し説法するのは報身であり、種々の国土に出現するのは応身である。法身のみの無始無終を説いた大日経等とは比較にならないのである。
 また、法華経の五百塵点劫は、諸大乗経では破っていない。釈迦が伽耶城近くの菩提樹の下で始めて悟りを開いたとする始成正覚を破って、真実には久遠に成仏したのだと明かしたものなのである。大日経等には、こうした義は全くない。
 また法華経には、見宝塔品第11の多宝塔の湧現と多宝如来の証明、従地涌出品第十五第15の地涌の菩薩の涌出と弥勒菩薩の疑い、如来寿量品第16の三誡四請の儀式があったうえで久遠実成の説法がなされたのであり、しかも、この説法のあと分別功徳品第17で弥勒菩薩は「仏希有の法を説きたもう。昔より末だ曾て聞かざる所なり」と述べている。これらは、寿量品の久遠実成の説法が、いかに諸経にはない勝れた法門であるかをあらわしているのである。
 それに対して、真言宗の依経である大日経六巻とその供養法一巻、金剛頂経三巻、蘇悉地経三巻等には、三止四請の儀式の後に未来の劫国名号を示して二乗の成仏を明かした法華経迹門の二乗作仏や三誡四請の儀式を経て五百塵点劫成道を明かした本門の久遠実成は全くない、としてきされている。
 難信難解とは、次の章にも挙げられるように、法華経法師品第10に「我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経、最も為れ難信難解なり」と説かれているのがそれである。
 二乗の劫国名号は二乗作仏の抽象的な約束でないことをあらわしているが、爾前経で永不成仏とされてきた二乗への成仏は信じがたいことであった。
 方等涌現や地涌涌出などは、寿量品の説法の重大さを示す遠序であり、弥勒の疑い、三誡四請などは、それを承けて行われる寿量品説法の深さが弥勒ほどの菩薩の思議すら超えるものであることをあらわしている。したがって、衆生にとって、法華経の説いた法門は難信難解なのである。
 更に、大日経に説かれる仏・菩薩・縁覚・声聞・天の五乗の真言についての質問に対し、「末だ二乗の真言を知らず四諦・十二因縁の梵語のみ有るなり」とされているのは、二乗が成仏するという真実の言葉を知らない、という意であろうか。つまり、二乗にとっては、小乗の悟りをもたらす四諦や十二因縁という教えが梵語にすぎない、とされたものであろう。
 「又法身平等に会すること有らんや」とは、五乗の真言を、法身平等の義であるなどと解釈することはできない、と指摘されたものであろう。

0125:15~0126:05 第十章 慈覚・智証が祖師の義に背くを明かすtop
15   問うて云く慈覚・智証等・理同事勝の義を存す争か此等の大師等に過ぎんや、 答えて云く人を以て人を難ずる
16 は仏の誡なり何ぞ汝・仏の制誡に違背するや但経文を以て勝劣の義を存す可し、 難じて云く末学の身として祖師の
17 言に背かば之を難ぜざらんや、 答う末学の祖師に違する之を難ぜば 何ぞ智証慈覚の天台・妙楽に違するを何ぞ之
18 を難ぜざるや、 問うて云く相違如何、 答えて云く天台妙楽の意は已今当の三説の中に法華経に勝れたる経之れ有
0126
01 る可からず、 若し法華経に勝れたる経之有りといわば一宗の宗義之を壊る可きの由之を存す、 若し大日経・法華
02 経に勝るといわば天台妙楽の宗義忽に破る可きをや。
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 問うていう。慈覚・智証等が理同事勝の義を認めているのである。どうしてあなたがこれらの大師等よりも勝れていることがあろうか。答えていう。人をもって人を非難するのは仏が誡めていることである。どうして、あなたは仏の制誡に背くのか。ただ経文をもって勝劣の義を考えるべきである。
 難詰していう。後世の弟子身で祖師の言っていることに背くならば、これを非難しないでいられようか。答えていう。後世の弟子がが祖師の違背を非難するならば、どうして智証や慈覚が天台大師や妙楽大師の意は、已今当の三説の中に法華経より勝れた経はありえず、もし法華経より勝れた経があるというならば一宗の宗義を破ることになる、と考えられていたのである。もし大日経が法華経に勝るというならば天台大師や妙楽大師の宗義をまさに破ることになるではないか。
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03   問うて云く天台妙楽の已今当の宗義証拠経文に有りや、 答えて云く之れ有り法華経法師品に云く「我が所説の
04 経典は無量千万億 已に説き今説き当に説かん而も其の中に於て此の法華経最も為れ難信難解なり」等と云云、 此
05 の経文の如くんば 五十余年の釈迦所説の一切経の内には法華経は最第一なり、 
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 問うていう。天台大師や妙楽大師の立てた、已今当の三説の中に法華経より勝れた経はないという宗義は、その証拠は経文にあるのか。答えていう。法華経法師品第十に「私が説くところの経典は無量千万億あり、既に説いたもの、いま説いているもの、まさに説こうとしているものがあるが、その中でこの法華経が最も難信難解である」等と説かれている。この経文のとおりであれば、五十余年にわたって釈尊が説いたところの一切経の中で法華経は最第一である。

末学
 ①未熟な学問・枝葉の学問②後学の学者・末弟のこと。
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祖師
 一宗一派の祖師。
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妙楽
 (0711~0782)。中国唐代の人。諱は湛然。天台宗の第九祖、天台大師より六世の法孫で、大いに天台の教義を宣揚し、中興の祖といわれた。行年72歳。著書には天台三大部を釈した法華文句記、法華玄義釈籖、摩訶止観輔行伝弘決等がある。
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已今当の三説
 法華経法師品第十に「我が説く所の経典は無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説くべし」とある。天台大師はこの文を法華文句巻八上に「今初めに已と言うは、大品已上は漸頓の諸説なり。今とは同一の座席にして無量義経を謂うなり。当とは涅槃を謂うなり」と釈し、「已説」は四十余年の爾前の経々、「今説」は無量義経、「当説」は涅槃経をさすとしている。
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宗義
 一宗における根本的な趣旨・教理・経説。
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法師品
 法華経法師品第十のこと。法華経迹門の流通分にあたる。一念随喜と法華経を持つ者の功徳を明かし、室・衣・座の三つをあげ滅後の弘教の方軌を説いている。
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五十余年
 釈尊が30歳で成道し80歳で入滅するまでの期間をいう。
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 理同事勝は慈覚・智証が認め主張していたことであるのに、末学の身でありながらそれを否定するのは師敵対ではないかとの非難を設け、慈覚・智証こそ、天台宗の祖師である天台大師や妙楽大師の教えに背いていることを指摘されている。前章までは、理同事勝という法義の誤りを破されてきたが、ここでは理同事勝を唱えた慈覚・智証ら天台密教の人師の誤りを責められているのである。
 慈覚・智証は天台真言宗において祖師であったばかりでなく、日本仏教界において尊崇された高僧であった。それに対し、日蓮大聖人は当時にあっては末学の一人としか映っていなかったのである。この非難に対し、大聖人は、人をもって非難するのは、仏の誡めるところであり、なんで汝らは仏の制誡に背くのかと破され、法門の勝劣はあくまでも経文の証拠によるべきである、と指摘されている。
 涅槃経には「法に依って人に依らざれ」とある。仏法の勝劣・浅深・判釈については、仏の説いた経文を根拠とすべきであって人師・論師の言葉を用いてはならない、という仏の誡めである。
 これに対し、更に師弟の義を楯に、末学の身は祖師の言葉を用いるべきであると非難してきたのに答えられて、もし祖師の言に背くことを非難するなら、慈覚・智証こそ、その祖師である天台大師・妙楽大師の教えに違背していることを非難すべきではないか、と責められている。慈覚・智証は祖師である天台大師・妙楽大師の教えに背き、理同事勝の邪義によって、天台法華宗を天台真言に堕落させたのであり、ここにこそ、慈覚・智証の根本的な誤りがあったのであるが、それを指摘する者はいなかったのである。
 では、慈覚・智証はどの点で天台等の祖師に違背しているのかとの質問に対し、天台大師・妙楽大師の意は已・今・当の三説の中で法華経に勝る経はない。もしあるという者は天台宗の宗義を破るものである、ということであるとされている。
 已・今・当の三説とは、法華経法師品第10に、釈尊が、「已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経、最も為れ難信難解なり」と述べたことをいい、天台大師が法華文句で「今初めに已と言うは、大品已上の漸頓の所説なり。今とは同一の座席にして、無量義経を謂うなり。当とは涅槃を謂うなり」と釈しているように、「已に説き」とは爾前の40余年に説かれた経々、「今説き」とは無量義経、「当に説かん」とは法華経のあとに説かれた涅槃経をいった。この三説に超過した最高の経が法華経であるということである。
 これを承けて天台大師は、法華文句で、「今の法華は、法を論ずれば一切の差別融通して一法に帰入し、人を論ずれば則ち師弟の本迹俱に皆久遠なり。二門悉く昔と反す。信じ難く解し難し」と述べ、妙楽大師も、文句記の中で「三時の法華に及ばざることを明かす。故に法華の人法を以って永く衆経に異なれり」等と述べている。
 ゆえに、大日経のほうが法華経に勝れているなどという者は、この天台大師・妙楽大師の宗義を破り、祖師に違背する師敵対の者となるのである。

0126:05~0126:16 第11章 大日経を大日所説とするを破すtop
05                                      難じて云く真言師の云く法華経は
06 釈迦所説の一切経の中に第一なり、 大日経は大日如来所説の経なりと、 答えて云く釈迦如来より外に大日如来閻
07 浮提に於て八相成道して大日経を説けるか是一、 六波羅蜜経に云く過去現在並に釈迦牟尼仏の所説の諸経を分ちて
08 五蔵と為し其の中の第五の陀羅尼蔵は真言なりと真言の経・釈迦如来の所説に非ずといわば経文に違す是二、 「我
09 所説経典」等の文は 釈迦如来の正直捨方便の説なり大日如来の証明分身の諸仏広長舌相の経文なり是三、 五仏の
10 章・尽く諸仏皆法華経を第一なりと説き給う是四、「要を以て之を言わば・如来の一切の所有の法・乃至皆此の経に
11 於て宣示顕説す」等と云云、 此の経文の如くならば法華経は釈迦所説の諸経の第一なるのみに非ず、 大日如来・
12 十方無量諸仏の諸経の中に法華経第一なり、 此の外一仏二仏の所説の諸経の中に 法華経に勝れたるの経之有りと
13 云わば信用す可からず是五、大日経等の諸の真言経の中に法華経に勝れたる由の経文之れ無し是六,仏より外の天竺.
14 震旦・日本国の論師・人師の中に天台大師より外の人師の所釈の中に一念三千の名目之無し、 若し一念三千を立て
15 ざれば性悪の義之無し性悪の義之無くんば仏菩薩の普現色身・不動愛染等の降伏の形・十界の曼荼羅・三十七尊等・
16 本無今有の外道の法に同じきか是七。
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 難詰していう。真言師は「法華経は釈迦の説いたところの一切経の中で第一なのである。大日経は大日如来の説いたところの経である」と言っている。
 答えていう。釈迦如来以外に大日如来がこの世界で八相成道して大日経を説いたのか。(これが第一である)
 六波羅蜜経には「過去・現在並びに釈迦牟尼仏の説くところの諸経を分けて五つの経蔵とした時、その中の第五の陀羅尼蔵は真言である」と説いている。真言の経は釈迦如来が説いたものでないというのは、この経文に違背することになる。(これが第二である)
 法華経法師品第十の「我が所説の経典」等の文は、釈迦如来が正直に方便を捨てて説いたものであり、大日如来が証明し、分身諸仏の広長舌相によって裏づけられた文である。(これが第三である)
 総諸仏・過去仏・未来仏・現在仏・釈迦仏の五仏の教化の方式を説いた段では、すべての諸仏がみな法華経を第一と説いている。(これが第四である)
 法華経如来神力品第二十一には「要点をとっていえば、如来のたもっている一切の法は…みなこの経に宣べ示し説き顕している」等と説かれている。この経文のとおりであるならば、法華経は釈尊が説いたとこの諸経の中で第一であるだけでなく、大日如来や十方無量の諸仏が説いた諸経の中で第一なのである。これとは別に一仏・二仏が説いた諸経の中でほけきょうより勝れた経があるといっても、信用することはできない(これが第五である)
 大日経等のもろもろの真言経の中に、法華経よりも勝れているという経文はない。(これが第六である)
 仏以外のインド・中国・日本国の論師や人師の中で天台大師以外の人師の釈の中に一念三千の語はない。もし一念三千義をたてなければ、性悪の義はない。性悪の義がなければ仏・菩薩が普く色身を現ずることや、不動明王・愛染明王等の降伏の形や、十界の漫荼羅や三十七尊は、本ではなく今はあるといった外道の法とおなじではないか。(これが第七である)

真言師
 真言宗を奉ずる僧侶。真言宗とは、三摩地宗・陀羅尼宗・秘密宗・曼荼羅宗・瑜伽宗等ともいう。空海が中国の真言密教を日本に伝え、一宗として開いた宗派。詳しくは真言陀羅尼宗という。大日如来を教主とし、金剛薩埵・竜猛・竜智・金剛智・不空・恵果・弘法と相承したので、これを付法の八祖とし、大日・金剛薩?を除き善無畏・一行の二師を加えて伝持の八祖と名づける。大日経・金剛頂経を所依の経として、これを両部大経と称する。そのほか多くの経軌・論釈がある。顕密二教判を立て自らの教えを大日法身が自受法楽のために示した真実の秘法である密教とし、他宗の教えを応身の釈迦が衆生の機根に応じてあらわに説いた顕教と下している。なそ、弘法所伝の密教を東密というのに対して、天台宗の慈覚・智証によって伝えられた密教を台密という。
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閻浮提
 一閻浮提のこと。全世界を意味する。南閻浮提ともいう。閻浮は梵語で樹の名。提は州と訳す。古代インドの世界観に基づくもので、中央に須弥山があり、八つの海、八つの山が囲んでおり、いちばん外側の海を大鹹海という。その中に、東西南北の四方に東弗波提、西瞿耶尼、南閻浮提、北鬱単越の四大州があるとされていた。現在でいえば、地球上すべてが閻浮提といえる。
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八相成道
 時に応じて出現した仏が、成道を中心として、一生の間に示す八種の相のこと。八相とは①下天、②託胎、③出胎、④出家、⑤降魔、⑥成道、⑦転法輪、⑧入涅槃。 をいう。
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五蔵
 五臓とは肺臓、心臓、脾臓、肝臓、腎臓をいう。
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陀羅尼蔵
 仏典の五種の分類の五蔵のひとつ。五蔵とは経蔵・律蔵・論蔵・慧蔵・律蔵のこと。この五蔵は五種の機類のためにといたもので、六波羅蜜経の中に説かれている。「一につねに閑寂に居し、静慮を修するもののために経蔵を説く。二に威儀を習い、正法を護持するもののために律蔵を説く。三に正法を説き、法相を分別し、研覈究尽せんもののために論蔵を説く。四に大乗真実の智慧をねごうて、我が法との執着を離れるもののために般若波羅蜜多蔵を説く。五に禅定を修せず、善法を持たず、威儀を修せず、諸の煩悩癡闇におおわれたものをあわれみ、かれをして速疾に解脱し、頓に涅槃を悟らしめんがために第五の「陀羅尼蔵」を説く。すなわち経律論の三蔵に菩薩の慧蔵と真言陀羅尼蔵を加えて五蔵という。真言はこの第五の「陀羅尼蔵」をもって仏法最の醍醐味と立て、これを密経とし、前四経顕経とした邪義を立てた。小乗大乗分別抄には「真言宗の顕密・五蔵・十住心・義釈の四句等は南三北七の十師の義よりも尚悞れる教相なり」(0523-08)とある。
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正直捨方便
 法華経方便品第二の「今我れは喜んで畏無し、諸の菩薩の中に於いて、正直に方便を捨てて、但だ無上道を説く」の文である。これはまさしく権教方便を捨て、実教、一仏乗の教えを説く、という意味である。
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大日如来の証明
 大日如来が法華経の真実を証明したという明確な文はない。
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分身の諸仏広長舌相
 如来神力品で、釈尊の十方分身の諸仏が梵天にまで届く長い舌を出して仏の不妄語を証したこと。仏の十人力のひとつで、吐舌相ともいう。古代からインドでは言葉の真実を証明するのに舌を出す風習があり、舌が長ければ長いほど、その言説が真実であるとの確かな証明とされた。
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五仏の章
 方便品で総諸仏・過去仏・未来仏・現在仏・釈迦仏の五仏がみな同じく一仏乗である法華経のために方便をもって諸法を説くということを明かした段のこと。総諸仏章・過去仏章・未来仏章・現在仏章・釈迦仏章の五章からなる。三乗を開いて一仏乗を顕すという説法の筋道は、すべての仏が同一であることを示している。
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十方無量諸仏
 あらゆる世界の無量の諸仏のこと。
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天竺
 古来、中国や日本で用いられたインドの呼び名。大唐西域記巻第二には「夫れ天竺の称は異議糺紛せり、舊は身毒と云い或は賢豆と曰えり。今は正音に従って宜しく印度と云うべし」とある。
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震旦
 一説には、中国の秦朝の威勢が外国にまでひびいたので、その名がインドに伝わり、チーナ・スターナ(Cīnasthāna、秦の土地の意)と呼んだのに由来するとされ、この音写が「支那」であるという。また、玄奘の大唐西域記には「日は東隅に出ず、その色は丹のごとし、ゆえに震丹という」とある。震旦の旦は明け方の意で、震丹の丹は赤色のこと。インドから見れば中国は「日出ずる処」の地である。
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論師
 阿毘曇師ともいう。三蔵のうちの論蔵に通じている人をいったが、論議をよくする人、論をつくって仏法を宣揚したひとをいう。
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人師
 人々を教導する人。一般に竜樹・天親等を論師といったのに対し、天台・伝教を人師という。
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性悪の義
 仏に本性として悪があるとする教義のこと。天台大師の立てた十界互具・一念三千の法門に基づいたもの。
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普現色身
 「普く色心を現ず」と読む。仏・菩薩が衆生救済のために、広く種々の姿に身を変えて現れること。
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不動
 不動明王のこと。真言宗の本尊。大日如来の命を受け、または大日如来が化身して、仏道修行を妨げる障魔を破る明王。後代明王、八大明王の総主。不動尊・無動尊・不動金剛明王ともいう。
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愛染
 愛染明王のこと。大日如来あるいは金剛薩埵を本地とする明王で、衆生の煩悩を浄化し解脱させるとされる。愛染の梵語ラーガ(rāga)は愛貪染者の意。その姿は赤色で忿怒の相を示し、三目六臂で、その手にそれぞれの弓や箭などを持っている。
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降伏の形
 魔や煩悩を降す忿怒の相のこと。威力をもって種々の魔・悪を降し伏することをいう。
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三十七尊
 真言密教で立てる金剛界曼荼羅の中心になっている三十七の仏・菩薩のこと。 金剛界五仏(大日・阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就)四波羅蜜菩薩(金剛・宝・法・羯磨)十六大菩薩(薩埵・王・愛・喜・宝・光・幢・咲・法・利・因・語・業・護・牙・拳)八供養菩薩(嬉・鬘・歌・舞・香・華・灯・塗香)四摂菩薩(鉤・索・鎖・鈴)をいう。
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 経文と天台大師・妙楽大師らの義を裏づけとして法華経が最勝というのは釈迦仏の所説の中でのことであって、大日経は大日如来の所説であるから別である」とする邪義を立てている。
 大日経は釈尊の説いたものではなく大日如来の説である。という言い分に対して、大聖人は七項目にわたって破されている。
 第一に釈迦如来とは別に、大日如来が閻浮提の中の娑婆世界において、出胎・出家・成道・転法輪・入涅槃など八種の相を示して出現しなければならないかである。そのような事実などないことは明らかであるし、また、もし、出現していたとすれば、大日を法身とすること自体、矛盾することになってしまう。
 第二に六波羅蜜経には、過去も現在も変わらないのが釈迦牟尼仏の所説であり、その諸経は五臓に分けられるとし、その中の第五の陀羅尼蔵とは真言であると定めている。
 大乗理趣六波羅蜜多経によれば、釈迦所説の一切経を五種に分類して、素咀纜蔵・毘奈耶蔵・阿毘達磨蔵・般若波羅蜜多蔵・陀羅尼蔵の五蔵に分け、前の四蔵を受持することができない衆生を解脱させるために陀羅尼や呪文などを説いた諸経を陀羅尼蔵に分類している。この六波羅蜜経の分類によれば、真言の諸経が第五の陀羅尼蔵に属することは明白である。真言の諸経は釈尊の説でないとするのは、この経文に違背した己義となるのである。
 真言見聞にも「六波羅蜜経に云く『所謂過去無量ゴウ伽沙の諸仏世尊の所説の正法・我今亦当に是の如き説を作すべし所謂八万四千の諸の妙法蘊なり○而も阿難陀等の諸大弟子をして一たび耳に聞いて皆悉く憶持せしむ』云云、此の中の陀羅尼蔵を弘法我が真言と云える若し爾れば此の陀羅尼蔵は釈迦の説に非ざるか 此の説に違す」(0149−06)と、同じ趣旨を述べられている。
 法華経法師品第10の「わが所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経、最も為れ難信難解なり」の文は、釈尊が方便品第二で「正直に方便を捨てて、但無上道を説く」と宣伝してから説かれた真実の教えである。しかも法華経の会座に集まった十方分身の諸仏が如来神力品第21で広長舌を出して法華経がすべて真実であることを証明しており、当然、大日如来も分身の諸仏の一人として証明しているのではないか、と破されている。
 法華経が已・今・当の三説に超過して、諸経の中で第一であるということは、大日如来も真実と証明していることになるのである。
 第四に、法華経方便品第二で、総諸仏・過去仏・未来仏・現在仏・釈迦仏の五仏が、皆、同じく一仏乗である法華経を説くことを出世の本懐とするこが述べられており、これを五仏章という。この大日如来も当然、この五仏に含まれるはずであるから、法華経以外に経を説いてそれを最勝とすることはありえない、とのべられている。
 第五に、法華経如来神力品第21に、「要を以って之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於いて宣示顕説す」と説かれている。この「如来」には一切の仏が含まれている。この「如来」には一切の仏が含まれる。したがって、法華経は釈尊所説の諸経の中で第一であるだけでなく、大日如来も含めた十方無量の諸仏の所説の諸経の全てが法華経に収まっているということである。
 したがって、これ以外の一仏・二仏の所説の諸経の中で、法華経より勝れた経があるというような説は、決して信用してはならない、とも念を押されている。
 第六に、大日経等の諸の真言経の中に、法華経より勝れているという経文がないことである。と破されている。
 真言の諸経の中に、法華経より勝っているという文が全くないにもかかわらず、大日経が法華経に勝るとしているのは、経文をねじ曲げた後世の己義、邪説なのである。
 第七に、釈尊以外のインド・中国・日本の論師・人師の中で、天台大師以外に一念三千の法門を明かした人はいない。もしも一念三千を立てなければ、仏に本性として悪の性分があるとする性悪の義が成り立たない。性悪の義がなければ仏・菩薩が衆生を救済するために、広くさまざまな姿に身を変えて現するとする普現色心や、大日如来が不動明王や愛染明王の姿をもって現れて魔や煩悩を降す忿怒の相や、十界の曼荼羅や、金剛界の曼荼羅の中心になる37の仏・菩薩などは、すべて根拠がないことになる。本無今有の外道の法と同じになってしまうではないか、と仰せられている。
 これは、天台大師こそ一念三千という仏法の最高の法門を明らかにした偉大な功労者であること、しかも、この一念三千の依処となったのは法華経であり、真言宗もその不動・愛染や37尊など、この天台大師が法華経によって明らかにした一念三千の恩恵を蒙っていることを指摘されているのである。
 天台大師が法華経の義により十界互具・一念三千の法門を確立したことによって、仏がさまざまな姿を現じて人々を救うことも、怒りや愛欲を表す不動や愛染の姿で降伏することも、十界の漫荼羅や、37尊などもその根拠が明確になるのである。

0126:17~0127:10 第12章 天台の義を盗む堕獄の宗と明かすtop
17   問うて云く七義の中に一一の難勢之有り然りと雖も六義は且く之を置く第七の義如何、 華厳の澄観・真言の一
18 行等・皆性悪の義を存す何ぞ諸宗に此の義無しと云うや、 答えて云く華厳の澄観・真言の一行は天台所立の義を盗
0127
01 んで自宗の義と成すか、 此の事余処に勘えたるが如し、 問うて云く天台大師の玄義の三に云く「法華は衆経を総
02 括す乃至舌口中に爛る人情を以て 彼の大虚を局ること莫れ」等と云云、 釈籤の三に云く「法華宗極の旨を了せず
03 して声聞に記する事 相のみ華厳・般若の融通無礙なるに如かずと謂う諌暁すれども止まず 舌の爛れんこと何ぞ疑
04 わん、 乃至已今当の妙茲に於て固く迷えり舌爛れて止まざるは 猶為れ華報なり謗法の罪苦・長劫に流る」等と云
05 云、若し天台妙楽の釈実ならば南三.北七並に華厳・法相・三論・東寺の弘法等.舌爛れんこと何の疑有らんや、乃至
06 苦流長劫の者なるか、 是は且く之を置く慈覚・智証等の親り此の宗義を承けたる者 法華経は大日経より劣の義存
07 す可し、 若し其の義ならば此の人人の「舌爛口中苦流長劫」は如何、 答えて云く此の義は最上の難の義なり口伝
08 に存り云云。
09           文永元年甲子七月二十九日之を記す。             日 蓮 花 押
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 問うていう。今の七つの義の中の一つ一つに疑難を加える点があるが、六つの義についてはしばらく置いておくとして、第七の義はどういうことなのか。華厳宗の澄観や真言宗の一行等はみな性悪の義を立てているのに、どうして諸宗にこの義はないというのか。
 答えていう。華厳宗の澄観や真言宗の一行は天台大師の立てたところの義を盗んで自宗の義としたものと思われる。このことは他のところで考察したとおりである。
 問うていう。天台大師の法華玄義巻三に「法華経はもろもろの経を総括している。…舌が口の中で爛れる…人の執情であの虚空に境界を設けるようなことがあってはならない」等とあり、法華玄義釈籤の巻三には「法華経が根本の極理を説いた経であることを領解しないで“法華経は声聞に記別を与えるという相対的現象を説いているだけであり、華厳経や般若経の融通無礙という普遍的真理を説くものには及ばない”と思い、諌めても改めようとしない。この人の舌が爛れることは疑いない。…已今当の深妙の義に対して、ここで固く迷っている。舌が爛れてやまないのは、まだこれは来世の前兆として現世に受ける報いである。謗法の罪の苦しみは未来永劫につづくのである」とある。
 もし天台大師や妙楽大師の釈が真実ならば、江南の三派と河北の七派並びに華厳宗・法相宗・三論宗の者や東寺の弘法等は、その舌が爛れることは疑いなく、あるいは「苦・長劫に流る」者であろう。これはしばらく置いておくとして、慈覚や智証等といった、親しくこの宗義を承けた者が、法華経は大日経よりも劣るという義を懐くようになっている。もしその義であるならば、この人々の「舌、長劫に流る」ということは、どうなのか。
 答えていう。この義は最高の仇敵の義であり、そのことは口伝に述べられている。
           文永元年甲子七月二十九日。これを記す。             日 蓮 花 押

玄義
 天台三大部のひとつ。妙法蓮華経玄義。全10巻からなり、天台大師が法華経の幽玄な義を概説したものであって、法華経こそ一代50年の説法中最高であることを明かしたもの。隋の開皇12年、天台55歳において荊州において講述し、弟子の章安が筆録した。本文の大網は、釈尊一代50年の諸教を法華経を中心に、釈名・弁体・明宗・論用・教判の5章、すなわち名・体・宗・用・経の五重玄に約して論じている。なかでも、釈名においては、妙法蓮華経の五字の経題をもとにして、法華経の玄義をあらゆる角度から説いており、これが本書の大部分をなしている。
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釈籤
 妙楽大師湛然の法華玄義釈籤のこと。十巻。「妙法蓮華経玄義釈籤」の略称で、天台法華釈籤、法華釈籤、釈籤、玄籤ともいう。天台大師の法華玄義の注釈書。妙楽大師が天台山で法華玄義を講義した時に、学徒の籤問に付箋をつけて意味を質すこと)に答えたものを基本とし、後に修正を加えて整理したもの。注釈は極めて詳細で、法華玄義の本文を適当に分けて大小科段を立て、順次文意を解釈し、天台大師の教義を拡大補強している。
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事相
 真言でいう言葉である。顕密二教ならびに十住心などの教理を教相といい、三密の実践的行法を事相といっている
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融通無礙
 相互にとどこおりなく通じて何らかのさわりがないこと。
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華報
 実果の対語。実に対して華は喩であり、また仮の義である。未来、来世の果報に対して、現在あらわれた現証は、果を結ぶ前の華のようであるからこう名づけたのである。
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謗法
 誹謗正法の略。正しく仏法を理解せず、正法を謗って信受しないこと。正法を憎み、人に誤った法を説いて正法を捨てさせること。
———
長劫
 極めて長い時間のこと。
—————————
 前章に挙げた七義のうち第七の義に反論して、華厳宗の澄観や真言宗の一行なども、仏にも性悪の義があると説いているのだから、天台大師以外にこの義を立てた人はいないというのはおかしいではないか、という真言側の言い分を挙げられている。
 これに対し、華厳宗の澄観や真言宗の一行は、天台大師の所立の義、すなわち一念三千の法理を盗んで、自宗の義としたものである。
 また、他の御書でも「墓ないかな天台の末学等華厳真言の元祖の盗人に一念三千の重宝を盗み取られて還つて彼等が門家と成りぬ」(0239-05)等と、華厳宗と真言宗が天台の一念三千の法門を盗み、天台宗がかえって天台密教に堕落した事実が厳しく指摘されている。
 天台大師の法華玄義には、「法華は衆経を総括して而も事は此に極まる。仏の出世の本意なり。諸の教法の指帰なり。人、此の理を見ず、是れ因縁の事相なりと謂って軽慢して止まずんば、舌、口中に爛れん。…人情を以って彼の大虚を局ること莫れ」とある。法華経こそ諸経を総括した究極の教えであり、釈尊の出世の本意で諸の教法を帰すところであるとし、その法理を見ずに因縁の相を説いたのみで経を見て軽んじ、我が経のほうが勝れていると慢心した場合には、口中の舌が爛れるであろうと戒めているのである。更に、妙楽大師も法華玄義釈籤で、「法華宗極の旨を了せず、声聞に記する事相のみ、華厳・般若の融通無礙なるに如かずと謂う。此くの如く説く者、諌暁すれども止めずんば、舌の爛れんこと何ぞ疑わん。…已今当の妙、茲に於いて固く迷えり。舌、爛れて止まらざるは猶華報為り、謗法の罪苦長劫に流る」と述べている。法華経を軽んじて諸経に劣ると誹謗した罪は、現世において舌が爛れるのみでなく、その苦は来世の長い劫にわたるであろう、としている。
 この天台大師・妙楽大師の釈が真実であるならば、中国の南三北七の諸流や、華厳・法相・三論の各宗、弘法の真言宗等の人師らが、法華経を軽んじて誹謗したゆえに、現世で舌が爛れることは疑いないばかりでなく、死後も、長遠の間、苦悩に沈む者になるであろうとされている。この「舌が爛れる」について、一次元からいえば、言説の誤りが広く知れわたり、それを説いた人の人格が根底から問われ、信用を決定的に失うことともいえるだろう。また、誤った言説は、当人の一生を損なうのみならず、末永く刻印されていくわけで、長く苦悩に沈むといわなければならない。
 しかも、以上の他宗の人々ばかりでなく、天台大師の末流の立場でその宗義を承けていなnがら、法華経は大日経に劣るという邪義を立てている慈覚・智証の場合は「舌・口中に爛れ、苦・長劫に流る」と同じになるのではないか、と問いをたてられている。その答えとして、その義は最も法華経を害するものであり、口伝にある、とされているのみである。この場合は、他宗の人々の場合より、一層罪苦は重くなるのである。

0128~0133    真言七重劣事top
0128:01~0129:04 第一章 法華と大日の七重の勝劣を示すtop
0128
真言七重勝劣事   文永七年    四十九歳御作   与富木常忍
01  一 法華・大日二経の七重勝劣の事。
02  一 戸那・扶桑の人師・一代聖教を判ずるの事。
03  一 鎮護国家の三部の事。
04  一 内裏に三宝有り内典の三部に当るの事。
05  一 天台宗に帰伏する人人の四句の事。
06  一 今経の位を人に配するの事。
07  一 三塔の事。
08  一 日本国仏神の座席の事。
09     法華・大日二経の七重勝劣の事。
10            巳今当第一────────────────────┬本門第一
11  ┌法華経 第一 「薬王今汝に告ぐ・諸経の中に於いて最も其の上に在り」 └迹門第二
12  ├涅槃経 第二 「是経出世」
13  ├無量義経第三 「次に法等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説く・真実甚深・真実甚深」
14  ├華厳経 第四
15  ├般若経 第五
01  ├蘇悉地経第六  上に云く「三部の中に於て此の経を王と為す」、中に云く「猶成就せずんば当に此の法を作す
02  │        べし決定として成就せん、所謂乞食・精勤・念誦.大恭敬・巡八聖跡.巡礼行道なり、或は復大
03  │        般若経七遍或は一百遍を転読す」下に云く「三時に常に大乗般若等の経を読め」
04  └大日経 第七  三国に末だ弘通せざる法門なり。
−−−−−—
 一 法華経と大日経との二経において七重の勝劣があるということ。
 一 中国と日本の人師が一代聖教をどのように判じているかということ。
 一 鎮護国家の三部経に何経をたてるかということ。
 一 内裏に三宝があり、それは内典の三部経に当たるということ。
 一 天台宗に帰伏する人々を四句に立て分けたときのこと。
 一 法華経の位を人に配した時のこと。
 一 三塔についてのこと。
 一 日本国の仏神の座席の順序についてのこと。
     法華経と大日経との二経において七重の勝劣があるということ。
            巳今当に説く第一の経である──────────────┬本門第一
  ┌法華経 第一 「薬王菩薩よ、今あなたに告げる諸経の中で最上に位置する」 └迹門第二
  ├涅槃経 第二 「是の経世に出ずるは」
  ├無量義経第三 「次に法等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説く」「真実に甚深であり、真実に甚深である」
  ├華厳経 第四
  ├般若経 第五
  ├蘇悉地経第六  巻上には「三ほ部の中でこの経を王とする」とあり、巻中には「なお成就しなければこの法のいわゆる乞食・精勤・念誦・
  │        大恭敬・巡八聖跡。巡礼行道、あるいはまた大般若経を七遍もしくは百遍を転読することをなすべきである。そのときは必
  │        ず成就するであろう」とあり、巻下には「晨朝・日中・日没の三時に常に大乗般若等の経を読みなさい」とある。
  └大日経 第七  インド・中国・日本の三国にいまだ弘通していない法門である。

法華
 大乗経典の極説、釈尊一代50年の説法中、最も優れた経典である。漢訳には「六訳三存」といわれ、「現存しない経」①法華三昧経 六巻 魏の正無畏訳(0256年)②薩曇分陀利経 六巻 西晋の竺法護訳(0265年)③方等法華経 五巻 東晋の支道根訳(0335年)「現存する経」④正法華経 十巻 西晋の竺法護訳(0286年)⑤妙法蓮華経 八巻 姚秦の鳩摩羅什訳(0406年)⑥添品法華経 七巻 隋の闍那崛多・達磨芨多共訳(0601年)がある。このうち羅什三蔵訳の⑤妙法蓮華経が、仏の真意を正しく伝える名訳といわれており、大聖人もこれを用いられている。説処は中インド摩竭提国の首都・王舎城の東北にある耆闍崛山=霊鷲山で前後が説かれ、中間の宝塔品第十一の後半から嘱累品第二十二までは虚空会で説かれたことから、二処三会の儀式という。内容は前十四品の迹門で舎利弗等の二乗作仏、女人・悪人の成仏を説き、在世の衆生を得脱せしめ、宝塔品・提婆品で滅後の弘経をすすめ、勧持品・安楽行品で迹化他方のが弘経の誓いをする。本門に入って涌出品で本化地涌の菩薩が出現し、寿量品で永遠の生命が明かされ「我本行菩薩道」と五百塵点劫成道を示し文底に三大秘法を秘沈せしめ、このあと神力・嘱累では付嘱の儀式、以下の品で無量の功徳が説かれるのである。ゆえに法華経の正意は、在世および正像の衆生のためにとかれたというより、末法万年の一切衆生の救済のために説かれた経典である。(二)天台の摩訶止観(三)大聖人の三大秘法の南無妙法蓮華経のこと。
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大日
 大日房能忍といい、梶原景清の叔父。摂津三宝寺を開創し、また弟子の連中、勝弁を宗につかわして育王山の拙庵に学ばせたりして、禅風をひろめた。しかし、景清の誤解を受けて刺し殺された。
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尸那
 外国人が中国を指して呼んだ名。尸那は中国の王朝名である秦がなまって伝えられ、それが漢訳されたといわれる。インドではチーナとよばれていた。
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扶桑
 日本の国の別称。もとは中国の書にあり、のちに日本書紀などでも用いている。呂氏春秋には「東は扶木に至る」と述べ、淮南子には「東、日出の次、榑木の地、青土樹木の野に至る」と、日本書紀には「天下無為、扶桑の域仁に帰す」とある。
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一代聖教
 釈尊が成道してから涅槃に入るまでの間に説いた一切の説法。天台大師は説法の順序に従って華厳・阿含・方等・般若・法華の五時に分けた書。詳しくは御書全集「釈迦一代五時継図」(0633)参照のこと。
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鎮国護王
 国の災難を鎮め、王を護るためること。
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三部
 三部の経典のこと。「部」とは、ひとまとまりのある内容をもつものを区分した言葉。
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内裏
 天皇の住居を中心とする御殿。御所。宮中。皇居。
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三宝
 仏・法・僧のこと。この三を宝と称する所以について究竟一乗宝性論第二に「一に此の三は百千万劫を経るも無善根の衆生等は得ること能はず世間に得難きこと世の宝と相似たるが故に宝と名づく」等とある。ゆえに、仏宝、法宝、僧宝ともいう。仏宝は宇宙の実相を見極め、主師親の三徳を備えられた仏であり、法宝とはその仏の説いた教法をいい、僧宝とはその教法を学び伝持していく人をいう。三宝の立て方は正法・像法・末法により異なるが、末法においては、仏宝は久遠元初の自受用身であられる日蓮大聖人、法宝は事行の一念三千の南無妙法蓮華経、僧宝は日興上人である。
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内典
 仏教以外の経典を外典というのに対して、仏経典を内典という。
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天台宗
 天台法華宗の事。法華経を正依の経として、天台大師が南岳大師より法をうけて「法華玄義」「法華文句」「摩訶止観」の三大部を完成させ、一方、南三北七の邪義をも打ち破った。天台の正法は章安大師によって伝承され、中興の祖と呼ばれた妙楽大師によって大いに興隆し、わが国では伝教大師が延暦3年(0784)に入唐し、妙輅の弟子である行満座主および道邃和尚によって天台の法門を伝承された。帰国後、殿上において南都六宗と法論を行い、三乗を破して一仏乗の義を顯揚した。教相には五時八教を立て、観心には三諦円融の理をとなえ、理の一念三千・一心三観の理を証することにより、即身成仏を期している。伝教大師の目標とした法華迹門による大乗戒壇は、小乗戒壇の中心であった東大寺等の猛反対をことごとく論破し、死後7日目に勅許が下り、比叡山延暦寺は日本仏教界の中心として尊崇を集め、平安町文化の源泉となった。しかし第三・第五の座主慈覚・智証から真言の邪法にそまり、かつまた像法過ぎて末法となり、まったく力を失ってしまったのである。
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今経
 法華経のこと。
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三塔
 比叡山延暦寺の寺域を三つに分け、東搭・西搭・横川といい、各搭には一人ずつ学頭が置かれ、その上に全体を統括する総学頭が置かれ、山内が統制されていた。
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已今当第一
 持妙法華問答抄には「設い此の経第一とも諸経の王とも申し候へ皆是れ権教なり其の語によるべからず、之に依つて仏は『了義経によりて不了義経によらざれ』と説き妙楽大師は『縦い経有りて諸経の王と云うとも已今当説最為第一と云わざれば兼但対帯其の義知んぬ可し』と釈し給へり、此の釈の心は設ひ経ありて諸経の王とは云うとも前に説きつる経にも後に説かんずる経にも此の経はまされりと云はずば方便の経としれと云う釈なり、されば爾前の経の習として今説く経より後に又経を説くべき由を云はざるなり、唯法華経計りこそ最後の極説なるが故に已今当の中に此の経独り勝れたりと説かれて候へ」(0462-08)とあり、法華経が「已今当説最為第一」の経であるとある。
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本門
 仏の本地をあらわした法門のこと。迹門に対する語。法華経28品を前後に分け後14品を本門とする。迹門は諸法実相に約して理の一念三千を説き、本門では釈尊の久遠実成の本地を明かし、因果国に約して仏の振舞の上から事の一念三千が示されている。また本門の中心となる寿量品では、釈尊は爾前迹門で説いてきた始成正覚の考えを打ち破って、実は五百塵点劫という久遠の昔に常道していたことを説き、成道の根本原因、本因・本果・本国土の三妙を合わせて明かし、成仏の実践を説いている。
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迹門
 本門の対語で、垂迹仏が説いた法門の意。法華経二十八品中の序品第一から安楽行品第十四までの前十四品をさす。内容は、諸法実相、十如是の法門のうえから理の一念三千を説き、それまで衆生の機根に応じて説いてきた声聞・縁覚・菩薩の各境界を修業の目的とする教法を止揚し、一切衆生を成仏させることにあるとしている。しかし釈尊が過去世の修行の結果、インドに出現して始めて成仏したという、迹仏の立場であることは爾前と変わらない。
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涅槃経
 釈尊が跋提河のほとり、沙羅双樹の下で、涅槃に先立つ一日一夜に説いた教え。大般涅槃経ともいう。①小乗に東晋・法顯訳「大般涅槃経」2巻。②大乗に北涼・曇無識三蔵訳「北本」40巻。③栄・慧厳・慧観等が法顯の訳を対象し北本を修訂した「南本」36巻。「秋収冬蔵して、さらに所作なきがごとし」とみずからの位置を示し、法華経が真実なることを重ねて述べた経典である。
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方等十二部経
 方等部の経々。大乗教の一切を意味する場合もある。
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摩訶般若
 摩訶般若波羅蜜経のこと。「大品般若経」ともいう。27巻からなり、羅什の訳。
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華厳海空
 華厳経の法門。華厳の教相を海空のたとえによってあらわした語。海空は海印三昧のことで、一切の事物の像が海中に映るごとく、仏の智海が一切の法をはっきりと映し出して覚知できることをいう。菩薩がこの三昧をえると、一切衆生の心行を己心に映すことができるようになるとされる。華厳経が仏の海印三昧の境地で説かれた経であることをさす言である。ここでは華厳経そのものを指した語。
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華厳経
 正しくは大方広仏華厳経という。漢訳に三種ある。①60巻・東晋代の仏駄跋陀羅の訳。旧訳という。②80巻・唐代の実叉難陀の訳。新訳華厳経という。③40巻・唐代の般若訳。華厳経末の入法界品の別訳。天台大師の五時教判によれば、釈尊が寂滅道場菩提樹下で正覚を成じた時、3週間、別して利根の大菩薩のために説かれた教え。旧訳の内容は、盧舎那仏が利根の菩薩のために一切万有が互いに縁となり作用しあってあらわれ起こる法界無尽縁起、また万法は自己の一心に由来するという唯心法界の理を説き、菩薩の修行段階である52位とその功徳が示されている。
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般若経
 般若波羅蜜の深理を説いた経典の総称。漢訳には唐代の玄奘訳の「大般若経」六百巻から二百六十二文字の「般若心経」まで多数ある。内容は、般若の理を説き、大小二乗に差別なしとしている。
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蘇悉地経
 蘇悉地羯羅経の略。唐の善無畏訳3巻。真言三部経の一つ。持誦・灌頂などが明かされ、妙果成就の法が説かれている。
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三部
 ①胎蔵界の諸尊を三種にまとめた部位。仏部・蓮華部・金剛部のこと。仏部とは理智の二種をそなえた仏の覚りをあらわし、蓮華部は仏の大悲をあらわし、金剛界では五部(仏部・金剛部・宝部・蓮華部・竭磨部)を立てるが、これは胎蔵界の三部と等しく、会合の異なりにすぎないとしている。②台密では金剛界・胎蔵界・蘇悉地法を三部の秘法という。③三部経のこと。
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乞食
 食を乞うて歩くこと。
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権精勤
 勤行に励むこと。
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念誦
 仏の名や経文などを心に念じ、口に誦えること。
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大恭敬
 仏・菩薩が衆生を救うための振舞・説法などを慎み敬うこと。五種の功徳の一つ。
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巡八聖跡
 釈尊にゆかりのある八つの聖跡を巡礼すること。八つの聖地とは①釈尊誕生の地である迦毘羅城竜弥爾園②悟りを開いた摩竭陀国尼連河畔③初めて法を説いた波羅奈城鹿野苑④大神通力をあらわした舎衛国祇園精舎⑤忉利天から下降した桑迦尸曲女城⑥声聞の弟子が提婆達多について教団を去った者を化度した王舎城⑦寿量を思念した広厳城⑧涅槃の地である拘尸那掲羅城沙羅双樹、をいう。
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巡礼行道
 礼拝と同行のこと。礼拝は合掌したりひざまずいたりして拝むこと。同行は仏座の周囲を右まわりに回ること。ともに恭敬の意をあらわす動作・作法。
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三時
 ①一日の昼と夜を三つの時に分けたもの。昼の三時は晨朝・日中・日没。夜の三時は初夜・中夜・後夜。②仏滅後の時代を正像末に区分したもの。
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三国
 インド・中国・日本のこと。
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 本抄は、日蓮大聖人が聖寿49歳の文永7年(1270)に著され、房総方面の門下の中心者であった富木常忍に与えられた書とされる。
 本抄を著された年については、文永7年(1270)を含めて、康元元年(1256)、文応元年(1260)、文永9年(1272)等の諸説がある。
 本抄は最初に8項目の目次が示されており、それにしたがって図表、あるいは文証が挙げられる。8項目の第一に、真言宗の依経の一つである大日経は法華経に対して七重劣っていることが示されているが、それをとって本抄の名前を後人が真言七重劣事と付けたものである。なお、本抄は真言を破折するにあたり、覚え書きとして記されたものと拝されるので、本講義録においても、講義ではなく、解説として、内容を理解するに資するものとしたい。
 目次の8ヶ条の大要を示すと、以下のようになる。
 第1条は「法華・大日二経の七重勝劣の事」である。これは法華経と大日経の教法を相対し、法華経が七重に勝り、大日経が七重に劣ることを図示されたものである。
 この条項こそ、本抄の重要なポイントであって、以下の条項は、この第1条に基づいて、種々の所見を表示されたものと拝される。
 なお、この第1条と同じ内容が、一代五時継図の中に、「一、法華と諸経との勝劣の事」と題して示されている。
 第2条は「尸那・扶桑の人師・一代聖教を判ずるの事」である。ここは中国・日本における仏教界の権威者たちが、釈尊の仏法の勝劣を判じて、いずれの経を根本としたかを示されている。
 第3条は「鎮護国家の三部の事」である。災難を鎮め国家の安泰を護るために、諸師が立てた三部の経典を示されている。第1条と同じく一代五時継図の中に、「一、鎮護国家の三部の事」と題して、同一の内容が示されている。
 第4条は「内裏に三宝有り内典の三部に当るの事」である。第3条との関連で、仏教の三部の経典がいかに大事であるかを教えるために、日本国の皇位の徴として伝えてきた三種の神器になぞらえられている。
 第5条は「天台宗に帰伏する人々の四句」である。法華経を根本とする天台宗に帰伏する人々の身・心の様相を四種に分けてしめされている。
 第6条は「今経の位を人に配するの事」である。今経すなわち法華経の位置が、諸経の中で最上位であることを、国を治める人に配して示されている。
 第7条は「三塔の事」である。日本天台法華宗・比叡山延暦寺における三塔が示されている。
 第8条は「日本国仏神の座席の事」である。日本国における仏と神の席次を述べられている。第7条までに図示されているものと異なり、この条項だけは、問答形式の御文となっている。
 第1条に入り、法華経に相対して、大日経が七重に劣ることを明かすに当たって、「法華経第一、涅槃経第二、無量義経第三、華厳経第四、般若経第五、蘇悉地経第六、大日経第七」と、諸経の勝劣の次第を示されている。
 大聖人が諸御書で、大日経は法華経に比べて七重に劣っていると述べられている。これは、弘法が、法華経は大日経より劣っているだけでなく、華厳経より劣っていて、法華経は大日経からみれば三重に劣っている、と主張したのに対して、大日経こそ法華経からみれば三重どころか七重に劣っていると示されたものである。
 なお、大聖人が、例えば真言天台勝劣事において大日経が法華経に七重に劣ると示されているところでは、法華経第一、無量義経第二、涅槃経第三とされているのに対し、本抄では法華経第一、涅槃経第二、無量義経第三とされている。第四以下は同じである。これは、無量義経が法華経の開経であり、法華三部の一つとして考え、涅槃経は法華経が「秋収冬蔵」したあとの落ち穂拾いのようなものであるから、涅槃経を第三に置かれたものと思われるが、本抄で涅槃経第二、無量義経第三とされているのは、無量義経を単独の経典と考えた場合、無量義経には無量義が一法から生ずると説いただけで、法華経の義はまだ示されていないのに対し、涅槃経は法華経の説法の後に説かれているので、法華経の義が含まれているとして、無量義経の上に置かれたと考えられる。
 まず、法華経第一について「已今当第一」であることを示されている。これは法華経法師品第10の文である。
 「我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経、最も為れ難信難解なり」
 この「已・今・当」について天台大師は、法華文句巻8上に「今初めて已と言うは、大品已上の漸頓の所説なり。今とは同一の座席にして、無量義経を謂うなり、当とは涅槃を謂うなり」と述べている。
 つまり、「已説」とは爾前の40余年の経教、「今説」とは無量義経、「当説」とは法華経の後に説いた涅槃経のことをいうのであると示している。
 これら「已今当の三説」に対して、法華経を三説に超過といい、三説の外という。すなわち已今当の諸経に対して、法華経は「第一」ということである。この已今当の三説からすれば、本抄における大聖人の配立は、三説超過の法華経を第一に、当説の涅槃経を第二に、今説の無量義経を第三に置かれ、已説の爾前経を第四以下に配されたと考えられる。
 法師品の「已今当・難信難解」の文が、どうして法華最上の文証になるのかということについて日蓮大聖人は、「諸教と法華経の難易の事」の中で、難信難解とは随自意、つまり仏が自らの悟りのままに説いた法であるゆえに難信難解であり、仏が衆生の機根に合わせて説いた随他意の教えは低い教えであり易信易解であるゆえであると仰せられている。
 「随他意とは真言宗・華厳宗等は随他意の易信易解なり仏九界の衆生の意楽に随つて説く所の経経を随他意という譬えば賢父が愚子に随うが如し」(0991−14) 「薬王今汝に告ぐ」の文は法華経法師品第10と安楽行品第14の経文を要略して挙げられたものである。
 法師品第10には「薬王今汝に告ぐ、我が所説の諸経、而も此の経の中に於いて、法華最も第一なり」とあり、安楽行品第14には「此の法華経は、諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於いて、最も其の上に在り」とあって、ともに法華経が諸経の中で最も勝れていることを示している。
 なお、この項目の下に「本門第一」「迹門第二」とあるのは、「法華経第一」といっても、更に本迹二門に分ければ、そこに勝劣があることを示したものである。これを含めると、大日経は法華経に比べて八重に劣ることになる。天台真言勝劣事に「法華経は或は七重或いは八重の勝なり大日経は七八重の劣なり」(0134-02)と仰せられているのはその意である。
 次に、涅槃経を第二に位置づけられ、「是経出世」の文を引かれている。これは涅槃経如来性品の文で「是の経の世に出ずるは、彼の果実の一切を利益し安楽する所多きが如く、能く衆生をして仏性を見せしむ。法花の中の八千の声聞、記莂を受くるを得て大果実を成ずるが如きは、秋収め冬蔵めて更に所作無きが如し」とある。
 この経が世に出るということは、ちょうど果実がなると一切の人々を利益し安楽するように、衆生の中にある仏性を開顕させるのである。法華経の中で八千人の声聞が成仏の記別を受けたのは大きな果実を結ぶことができたようなものであり、秋に大きく収穫し冬に収蔵し、その後は、更に所作がないようなものである、と説いている。
 大聖人は、報恩抄に、この経文を解説して、次のように仰せである。
 「経文明に諸経をば春夏と説かせ給い涅槃経と法華経とをば菓実の位とは説かれて候へども法華経をば秋収冬蔵の大菓実の位・涅槃経をば秋の末・冬の始クン拾の位と定め給いぬ、此の経文正く法華経には我が身劣ると承伏し給いぬ」(0300-05)
 涅槃経の文は、明らかに諸経を春夏に譬え、涅槃経・法華経を果実の位に譬えている。しかし、同じ果実の位も、法華経を秋に大きく収穫し冬に収蔵する大果実の位とすれば、涅槃経は、その収穫作業が全て終了した後の秋の末、冬の始めの捃拾の位、つまり落ち穂拾いの位であると定めたのであり、したがって、涅槃経自身が法華経に劣ると頭を下げて認めている、との御文である。
 次に無量義経を第三に位置づけられ「次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説く・真実甚深・真実甚深」の文を引かれている。
 ここは無量義経説法品第2と十功徳品第3の文を合わせたものである。説法品の「次に方等十二部経、摩訶般若、華厳海空を説いて」の文は方等・般若・華厳等の爾前経の後に無量義経がとかれたことを示す文である。四諦や十二因縁の次に、これら権大乗を説いたとのべているので、小乗をも含めた爾前経すべての後に無量義経が説かれたことを示した文となるのである。
 「真実甚深・真実甚深」は十功徳品に「是の微妙甚深、無上大乗、無量義経をときたもう、真実甚深、真実甚深なり」等、類似の文が多くあり、爾前経の後に説かれた無量義経こそ、爾前経に比べれば甚深の経であり真実の教えであることを示したものである。ただ、「真実」も「甚深」も、爾前の諸経に比べてであることはいうまでもない。
 第四に位置づけられているのが、華厳経である。また般若経は第五である。これらについては本抄では特に注記されていな。既に、先の無量義経の文からすれば、爾前のこれらの経が法華・涅槃に劣ることはいうまでもないのである。
 ただ、両経のなかでは華厳が勝ることについては、天台真言勝劣事に「華厳経は最初頓説なるが故に般若には勝れ涅槃経の醍醐味には劣れり」(0134-15)と仰せである。釈尊が成道後、誘引の手段をとらず、最初、直ちに法を説いた華厳経が、衆生の機根に応じて次第に誘引しながら説法した漸教の般若経よりも勝るのである。
 次に蘇悉地経を第六に置かれている。蘇悉地経が大日経よりも勝れることについては蘇悉地経巻上の「三部の中に於いて此の経を王と為す」の文を挙げられている。
 また蘇悉地経が般若経に劣ることについては、蘇悉地経の巻中と巻下の文を引かれている。
 巻中の文は、所依の蘇悉地経をもって修行しても、なお仏道を成就できないならば、大般若経を七回、あるいは百回繰り返し読誦せよ等と説いたものであり、巻下の文も同様で、般若等の経を読むことを勧めている。
 これらの文は、蘇悉地経によっては悟れない場合は般若経を読めといっているのであるから、般若経が勝るとの文であると仰せである。
 これらの位置づけをもってすれば、当然、大日経は第七に置かれるのである。大日経は蘇悉地経より劣るゆえである。
 なお「三国に末だ弘通せざる法門なり」とは、大日経について言われたものではなく、以上のことを総括されたものであり、このように経典を七重に配する法門は、いまだかって弘通されていない、とおおせである。

0129:05~0130:12 第二章 中国・日本の人師の判教挙げるtop
0129
05     戸那・扶桑の人師一代聖教を判ずるの事
06  華厳経第一 ┐
07  涅槃経第二 ┼南北の義 晋・斉等五百余年・三百六十余人光宅を以て長と為す。
08  法華経第三 ┘
09  般若経第一 ─吉蔵の義 梁代の人なり。
10  法華経第一 ┐ 南岳の御弟子なり。
11  涅槃経第二 ┼天台智者大師の御義 陳隋二代の人なり。
12  華厳経第三 ┘ 妙楽之を用う。
13  深密経第一 ┐
14  法華経第二 ┼玄弉の義 唐の始め太宗の御宇の人なり。
15  般若経第三 ┘
16  華厳経第一 ┐
17  法華経第二 ┼法蔵・澄観等の義 唐の半ば則天皇后の御宇の人なり。
18  涅槃経第三 ┘
0130
01  大日経第一 ┐
02  法華経第二 ┼善無畏・不空等の義 唐の末・玄宗御宇の人なり。
03  諸経 第三 ┘
04  法華経第一 ┐
05  涅槃経第二 ┼伝教の御義 人王五十代桓武の御宇及び平城・嵯峨の御代の人、比叡山延暦寺なり。      ・
06  諸経 第三 ┘
07  大日経第一 ┐
08  華厳経第二 ┼弘法の義 人王五十二代嵯峨・淳和二代の人、東寺・高野山なり。
09  法華経第三 ┘
10  大日経第一 ┐
11  法華経第二 ┼滋覚の義 善無畏を以て師と為す、仁明・文徳・清和の三代、叡山講堂総持院なり。
12  諸経 第三 ┘     智証之に同ず、園城寺なり。
−−−−−—
     中国と日本の人師が一代聖教をどのように判じているかという事。
  華厳経第一 ┐
  涅槃経第二 ┼江南の三派と河北の七派の義。中国晋・斉代の五百余年にわたる三百六十余人が用い、光宅
  法華経第三 ┘寺の法雲を長とする。
  般若経第一 ─吉蔵の義、中国梁代の人である。
  法華経第一 ┐ 南岳大師の御弟子である。
  涅槃経第二 ┼天台智者大師の御義。陳・隋二代の人である。
  華厳経第三 ┘ 妙楽大師がこれを用いる。
  深密経第一 ┐
  法華経第二 ┼玄弉の義、中国唐代初期の太宗の御代の人である。
  般若経第三 ┘
  華厳経第一 ┐
  法華経第二 ┼法蔵・澄観等の義、中国唐代中期の則天皇后の御代の人である。
  涅槃経第三 ┘
  大日経第一 ┐
  法華経第二 ┼善無畏・不空等の義、中国唐代後期の玄宗の御代の人である。
  諸経 第三 ┘
  法華経第一 ┐
  涅槃経第二 ┼伝教大師の御義、人王五十代桓武天皇の御代、及び平城・嵯峨天皇の御代の人である。比叡山延暦寺に伝わる。
  諸経 第三 ┘
  大日経第一 ┐
  華厳経第二 ┼弘法の義 人王五十二代嵯峨天皇・淳和天皇二代の御代の人である。東寺・高野山金剛峰寺等に伝わる。
  法華経第三 ┘
  大日経第一 ┐
  法華経第二 ┼滋覚の義、善無畏を師とする。仁明・文徳・清和天皇の三代、の御代の人である。比叡山の講堂・総持院に伝わ
  諸経 第三 ┘     る。智証はこれに同ずる。園城寺に伝わる。

南北の義
 中国・南北朝時代に江南の三師と河北の七師によって立てられた学派の義のこと。
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 中国王朝の名①(~前0376)春明時代の侯国。②(0256~0420)司馬炎が建てた王朝。中国の統一王朝で洛陽を都とした。③(0936~0946)五代の一王朝。後晋ともいう。
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 中国の王朝の名①(~前0221)周・春明時代の侯国。②(0479~0502)南北時代の南朝の一王朝・南斉ともいう。③(0550~0577)南北時代の北朝の一王朝・北斉ともいう。
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五百余年
 中国に仏教が伝来した後漢の永平10年(0067)~陳の時代(0557~0589)に至るまでの期間をいう。
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三百六十余人
 中国における陳・隋よりも前の時代までの高僧の人数。
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光宅
 光宅寺の法雲法師のこと。(0467~0529)。中国・南北朝時代の僧。開善寺の智蔵・荘厳寺の僧旻とともに梁の三大法師と称され、成実、涅槃の学匠として名高い。江蘇省宜興市の人で姓は周氏。7歳で出家し、30歳で法華経・浄名経を講じた。天監7年(058五)勅により光宅寺の主となる。天監10年(0511)の華林園における法華経の講説に際し、天花降下の奇瑞を感じたという。普通6年(0523)大僧正に登る。南三北七の南三の第三にあたる定林寺の僧柔・慧次および道場寺の慧観の立てた五時教即ち、有相教(阿含経)、無相教(般若経)、抑揚教(浄名経等)、同帰教(法華経)、常住教(涅槃経)の釈を用い、涅槃経は法華経に勝るとしている。
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吉蔵
 (0549~0623)。中国隋代から唐代にかけての人で三論宗再興の祖。祖父または父が安息人であったことから胡吉蔵と呼ばれ、嘉祥寺に住したので嘉祥大師と称された。姓は安氏。金陵の生まれで幼時父に伴われて真諦に会って吉蔵と命名された。12歳で法朗に師事し三論宗を学ぶ。後、嘉祥寺に住して三論宗を立て般若最第一の義を立てた。著書に「三論玄義」「中観論疏」「法華玄論」をはじめ数多くある。
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 中国の王朝名。南北朝時代の南朝のひとつ。(0502~0557)斉の同族・蕭衍が斉の禅譲を受けて建国、健康(南京)に都を置いた。蕭衍の治世中、内政が整い仏教や学問が興隆して太平の世が出現したが、晩年、侯景の乱が起こり、武帝は混乱の内に没した。蕭衍の死後まもなく陳に滅ぼされた。この時代、梁の三大法師と呼ばれる法雲・智蔵・僧旻などが出、王の保護のもと仏教文化を出現した。天台大師はこの王朝末の侯景の乱で家族を失い、出家をけついしたという。
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南岳
 中国、南北朝時代末期の僧。名は慧思。慧文について法華三昧を体得した。大蘇山(河南省)に拠ったとき、智顗(天台大師)に法華経・般若心経を講じた。晩年に南岳衡山(湖南省)で坐禅講説に努め、南岳大師といわれた。
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天台智者大師
 (0538~0597)。中国天台宗の開祖。慧文、慧思よりの相承の関係から第三祖とすることもある。諱は智顗。字は徳安。姓は陳氏。中国陳代・隋代の人。荊州華容県(湖南省)に生まれる。18歳の時、湘州果願寺で出家し、次いで律を修し、方等の諸経を学んだ。陳の天嘉元年(0560)大蘇山に南岳大師を訪れ、修行の末、法華三昧を感得した。その後、おおいに法華経の深義を照了し、法華第一の義を説いて「法華玄義」十巻、「法華文句」十巻、「摩訶止観」十巻の法華三大部を完成した。摩訶止観では観心の法門を説き、十界互具・一念三千の法理と実践修行の方軌を明らかにしている。隋の煬帝より智者大師の号を与えられたが、天台山に住したので天台大師と呼ばれる。
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 中国王朝名。南北朝時代の南朝最後の王朝。(0557~0589)陳霸先が梁に代わって建国し、隋に滅ぼされた。2代文帝は内治を整え、4代宣帝は北伐を断行したが、5代後主の時に滅びた。
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 中国の王朝名。(0581~0619)高祖文帝が建てた統一国家。秦・漢の古代国家以来、南北に分裂していた中国を統合し唐のといいつ国家の基礎を築いた。文帝は諸制度を整備し、律令を定め、官制・兵制を整え、均田・租庸調の制度を全国に弘めた。また地方に州・郡・県を置き、官僚は中央からの派遣とし、官吏の登用は学科試験の制度を定めるなど、中央集権化に努めた。大運河の建設などで生産流通の安定を図り、経済は発展したが、地方豪族の力の回復や、外征の失敗などで衰退した。儒教・仏教・道教を合一する立場から王通などが現れた。文帝は北周武帝の廃仏毀釈政策のあと、仏教思想を宣揚した。寺院建立・訳経事行も活発に行われた。諸宗派の乱立があり、これは天台によって統一された時代でもある。
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妙楽
 (0711~0782)。中国唐代の人。諱は湛然。天台宗の第九祖、天台大師より六世の法孫で、大いに天台の教義を宣揚し、中興の祖といわれた。行年72歳。著書には天台三大部を釈した法華文句記、法華玄義釈籖、摩訶止観輔行伝弘決等がある。
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深密経
 解深密経のこと。五巻。唐代の玄奘訳。内容は、己心の外にあると思われる諸現象は、ただ阿頼耶識によって、認識の対象に似たすがたを心に映じ出されたものにすぎないという唯識の義、および諸法の如実の性相を明かし、実践修行の方法・行位・証果・化他の力用を説いている。なお漢訳には三種がある。法相宗の依経である。
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玄奘
 (0602~0664)。中国唐代の僧。中国法相宗の開祖。洛州緱氏県に生まれる。姓は陳氏、俗名は褘。13歳で出家、律部、成実、倶舎論等を学び、のちにインド各地を巡り、仏像、経典等を持ち帰る。その後「般若経」六百巻をはじめ75部1,335巻の経典を訳したといわれる。太宗の勅を奉じて17年にわたる旅行を綴った書が「大唐西域記」である。
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 (0618~0907)中国の王朝である。李淵が隋を滅ぼして建国した。7世紀の最盛期には、中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国で、朝鮮半島や渤海、日本などに、政制・文化などの面で多大な影響を与えた。日本の場合は遣唐使などを送り、寛平6年(0894))に菅原道真の意見で停止されるまで、積極的に交流を続けた。首都は長安に置かれた。690年に唐王朝は廃されて武周王朝が建てられたが、705年に武則天が失脚して唐が復活したことにより、この時代も唐の歴史に含めて叙述することが通例である。
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太宗
 (0598~0649)。唐朝の高祖の子。隋の末、父の李淵とともに太原に兵を挙げ、天かを平定して帝位についた。杜如晦・房玄齢等の賢臣を用い、その治世は〝貞観の治〟と呼ばれ、その善政を称えられている。賢臣・魏徴等と政治の要道を論じたものが「貞観政要」と呼ばれる有名な書である。
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御宇
 ひとりの天子の時代。
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法蔵
 (0643~0712)。智儼の弟子で、華厳宗の第三祖。華厳和尚、賢首大師、香象大師の名がある。智儼について華厳経を学び、実叉難陀の華厳経新訳にも参加した。さらに法華経による天台大師に対抗して、華厳経を拠りどころとする釈迦一代仏教の批判を五教十宗判として立てた。「華厳経探玄記」「華厳五教章」「華厳経伝記」などの著があり、則天武后の帰依をうけた。
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澄観
 (0738~0839)。中国華厳宗の第四祖。浙江省会稽の人。姓は夏侯氏、字は大休。清涼国師と号した。11歳の時、宝林寺で出家し、法華経をはじめ諸経論を学び、大暦10年(0775)蘇州で妙楽大師から天台の止観、法華・維摩等を学ぶなど多くの名師を訪ねる。その後、五台山大華厳寺で請われて華厳経を講じた。著書には「華厳経疏」60巻、「華厳経綱要」1巻などがある。
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則天皇后
 (0623~0705)。則天武后、武則天ともいう。唐朝第二代太宗、第三代高宗の後宮に入り、永徽6年(0655)高宗の皇后となった。高宗が倒れてからはみずから政務を執り、高宗死後は実子の中宗、睿宗を相ついで帝位につけたが、天授元年(0690)廃帝してみずから帝位につき、国号を周と改めた。密告制度などの恐怖政治を行なったが、半面、門閥によらぬ政治の道を開き、また学芸に力を入れるなど文化を興隆させた。
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善無畏
 (0637~0735)。中国・唐代の真言密教の僧。もとは東インド烏仗那国の王子で、13歳の時国王となったが、兄のねたみを受けたので、王位を譲り出家した。ナーランダ寺で密教を学んだ後、中国に渡り、唐都・長安で玄宗皇帝に国師として迎えられ、興福寺、西明寺に住して経典の翻訳にあたった。中国に初めて密教を伝え、「大日経」七巻、「蘇婆呼童子経」三巻、「蘇悉地羯羅経」三巻などの密教経典を訳出した。また、一行禅師に大日経を講じて「大日経疏」を造ったが、その中で、法華経の一念三千の法門を盗んで大日経に入れ、理同事勝の邪義を立てた。同時代の金剛智、不空とともに三三蔵の一人に挙げられる。
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不空
 (0705~0774)。中国・唐代の真言密教の僧。不空金剛のこと。北インドの生まれで幼少のころ、中国に渡り、15歳の時、金剛智に従って出家した。開元29年(0741)帰国の途につき、師子国に達したとき竜智に会い、密蔵および諸経論を得て、天宝5年(0746)ふたたび唐に帰る。玄宗皇帝の帰依を受け、浄影寺、開元寺、大興寺等に住し、密教を弘めた。「金剛頂経」三巻、「一字頂輪王経」五巻など百十部百四十三巻の経を訳し、羅什、玄奘、真諦とともに中国の四大翻訳家の一人に数えられている。
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玄宗
 (0685~0762)。中国・唐朝第6代皇帝(在位0712~0756)。26歳で即位し、外征を抑えて政治の乱れを正し唐の繁栄に貢献した(開元の治)。しかし「漢土にこの法わたりて玄宗皇帝ほろびさせ給う」(1509-16)とおおせの通り、真言を信じ、善無畏三蔵に師事したため、臣下の安禄山によって都を追われ、皇位を失った。これは真言亡国の現証である。
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伝教
 (0767~0822)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。伝教大師は諡号。通称は根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」3巻、「顕戒論」3巻、「守護国界章」9巻、「山家学生式」等がある。
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桓武
 (737~806)光仁天皇の第一皇子として天平9年(0737)誕生。第50代天皇に即位して、蝦夷の平定、兵制改革、平安遷都など数々の業績を残し、律令政治中興の英王といわれる。蝦夷平定については坂上田村麻呂を征夷大将軍として抜てきし東北開発の実績をあげた。また、政治の堕落の源流が乱れきった諸宗の僧が政治に介入していることにあると看破し、都を平安京に遷したことも、気運の清心化をもたらした。しかし桓武天皇のもっとも大きい業績は、伝教大師最澄と南都六宗との間で公場対決させ、仏法の正邪を明らかにし、正法たる法華経を興隆して善政をしたことである。この結果、政治的にも文化的にも大いに興隆した平安文化の華が咲いたのである。
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平城
 平城天皇のこと。(0744~0824)。第51代天皇(在位:延暦25年(0806年)~ 大同4年(0809)。小殿親王、後に安殿親王。桓武天皇の第1皇子。母は皇后・藤原乙牟漏。同母弟に嵯峨天皇。
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嵯峨
 嵯峨天皇のこと。(0786~0842)日本の第52代天皇。諱は神野。桓武天皇の第二皇子で、母は皇后藤原乙牟漏。同母兄に平城天皇。異母弟に淳和天皇他。皇后は橘嘉智子。
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比叡山延暦寺
 滋賀県大津市にある天台宗の総本山。比叡山は山号。延暦4年(0785)伝教大師最澄がこの地に草庵を結び、同7年(0788)根本中道を創建したことに始まる。
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弘法
 (0774~0835)。日本真言宗の開祖。諱は空海。弘法大師は諡号。讃岐(香川県)に生まれ、15歳で京に上り、20歳のとき勤操にしたがって出家した。延暦23年(0804)渡唐し、長安青竜寺の慧果より胎蔵・金剛両部を伝承された。帰朝後、弘仁7年(0816)から高野山に金剛峯寺の創建に着手した。弘14四年(0823)東寺を賜り、ここを真言宗の根本道場とした。仏教を顕密二教に分け、密教たる大日経を第一の経とし、華厳経を第二、法華経を第三の劣との説を立てた。著書に「三教指帰「弁顕密二教論」「十住心論」などがある。
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淳和
 淳和天皇のこと。(0786~0840)。在位:弘仁14年(0823)~ 天長10年(0833)2月28日。平安時代初期の第53代天皇。西院帝ともいう。諱は大伴。桓武天皇の第七皇子。 母は、藤原百川の娘・旅子。平城天皇、嵯峨天皇は異母兄。
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東寺
 第50代桓武天皇の勅により、延暦15年(0796)、羅城門(羅生門)の左右に、左大寺・右大寺の2寺が建ち、その左大寺が東寺。弘仁4年(0823)、第52代嵯峨天皇が空海に勅わった。 
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高野
 和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置する。平安時代の弘仁7年(0816)に嵯峨天皇から弘法大師が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺高野山、大本山宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている
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慈覚
 (0794~0864)。比叡山延暦寺第三代座主。諱は円仁。慈覚は諡号。下野国(栃木県)都賀郡に生まれる。俗姓は壬生氏。15歳で比叡山に登り、伝教大師の弟子となった。勅を奉じて、仁明天皇の治世の承和5年(0838)入唐して梵書や天台・真言・禅等を修学し、同14年(0847)に帰国。仁寿4年(0854)、円澄の跡をうけ延暦寺第三代の座主となった。天台宗に真言密教を取り入れ、真言宗の依経である大日経・金剛頂経・蘇悉地経は法華経に対し所詮の理は同じであるが、事相の印と真言とにおいて勝れているとした。著書には「金剛頂経疏」7巻、「蘇悉地経略疏」7巻等がある。
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仁明
 (0810~850)。在位:天長10年(0833~850)。平安時代初期の第54代天皇。諱は正良。嵯峨天皇の第二皇子。母は橘清友の娘、皇后橘嘉智子、檀林皇后。
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文徳
 (0827~0858)。平安時代前期の第55代天皇。在位:(0850~0858)。諱は道康。田邑帝とも。仁明天皇の第一皇子。母は左大臣藤原冬嗣の娘、皇太后順子。
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清和
 (0850~0880)文徳天皇の第四皇子と生まれ、諱は惟仁。母は太政大臣藤原良房の娘、女御明子。腹違いの兄よりも重んじられて、天安2年(0858)9歳で第56代天皇となった。実権は外祖父藤原良房に握られ、良房は人臣として最初の摂政となった。在位19年にして、貞観18年(0876)12月陽成天皇に位を譲って後は出家して素真と名乗った。元慶4年(0880)4月12日栗田山荘円覚寺で崩御。
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叡山
 比叡山延暦寺のこと。比叡山延暦寺のこと。比叡山に伝教大師が初めて草庵を結んだのは延暦4年(0785)で、法華信仰の根本道場として堂宇を建立したのは延暦7年(0788)である。これがのちの延暦寺一乗止観院、東塔の根本中堂である。以後10数年、ここで研鑽を積んだ大師は、延暦21年(0802)第50代桓武天皇の前で南都六宗の碩徳と法論し、これを破り、法華経が万人のよるべき正法であることを明らかにした。このあと入唐して延暦24年(0805)帰朝、大同元年(0806)天台宗として開宗した。以後も奈良の東大寺を中心とする既成仏教勢力と戦い、滅後1年を経て弘仁14年(0823)ついに念願の法華迹門による大乗戒壇の建立が達成された。延暦寺と号したのはこの時で、以後、義真・円澄・安慧・慈覚・智証を座主として伝承されたが、慈覚以後は真言の邪法にそまり、天台宗といっても半ば伝教の弟子・半ばは弘法の弟子という情けない姿になってしまったのである。日寛上人の分段には「叡山これ天台宗、ゆえにまた天台山と名づくるなり、人皇五十代桓武帝の延暦七年に根本一乗止観院を建立、根本中堂の本尊は薬師なり、同十三年天子の御願寺となる。弘仁十四年二月十六日に延暦寺という額を賜る」とある。
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総持院
 比叡山延暦寺の東塔の本院。法華仏頂総持院のこと。慈覚大師伝によると、慈覚は入塔して長安の青竜寺において、義真・法全・元政等から真言の法を受けた。帰朝後、青竜寺の鎮国道場に模して仁寿元年(0851)に建立し、大日如来を本尊とし、十四僧を置いて皇帝本命の道場とした。
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智証
 (0814~0891)。延暦寺第4代座主。諱は円珍。智証は諡号。讃岐国那珂郡(香川県)に生まれる。俗姓は和気氏。15歳で叡山に登り、義真に師事して顕密両教を学んだ。仁寿3年(0853)入唐し、天台と真言とを諸師に学び、経疏一千巻を将来し天安2年(0859)帰国。帰国後、貞観元年(0859)三井・園城寺を再興し、唐院を建て、唐から持ち帰った経書を移蔵した。貞観10年(0868)延暦寺の座主となる。慈覚以上に真言の悪法を重んじ、仏教界混濁の源をなした。寛平4年(0891)10月78歳で没著書に「授決集」二巻、「大日経指帰」一巻、「法華論記」十巻などがある。
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園城寺
 琵琶湖西岸、大津市園城にある三井寺ともいう。天台宗寺門派の総本山で延暦寺の山門派と対立する。天智天皇が最初に造寺しようとして果たさず、弘文天皇の子・与多王によって天武14年(0686)完成した。天智・天武・持統の三帝の誕生水があるので三(御)井といった。叡山の智証が唐から帰朝して天安2年(0858)当時の付属を受け、慈覚を導師として落慶供養を行ない、貞観元年(0866)延暦寺別院と称した。正暦4年(0992)法性寺座主のことで、叡山から智証の末徒千余人が園城寺に移り、その後、約500年にわたって山門・寺門の対立抗争がつづいた。
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 本章では、中国および日本の人師が一代聖教をどのように配立したかを年代順に9説、示されている。中国に6説、日本に3説である。
南北の義
 まず最初に挙げられているのは中国の南三北七の諸師の配立である。中国の南北朝時代に、既にインドから入ってきた仏教を系統だてようと、教相判釈が盛んに行われたが、南三北七はこの時代に種々の学派を、後に天台大師が法華玄義巻10上で江南の三師・河北の七師に分類、整理したものである。その時代、および僧を、「晋・斉五百余年・三百六十余人」と述べている。
 南地の三師は、ともに頓・漸・不定の三教を立て、頓教は華厳経、漸教は阿含経から法華経、涅槃経、不定教は勝鬘経・金光明経として、華厳経を第一としたのである。
 北七の七師は、五時教、半字教、万字教の二教、四宗、五宗、六宗、二種大乗教、一音教をそれぞれ主張した。
 天台大師はこれら南三北七の教判を破して、五時八教を立て、一代聖教の中で法華経が第一であることを宣揚したのである。
 この南北の人師が「光宅を以て長と為す」と仰せられているのは、南地の三師の一人である光宅寺法雲が、法華玄義に「古今の諸釈、世に光宅を以って長と為す」といわれるように、南三北七の諸師の中でも最も大きい影響力をもっていたゆえである。
 天台大師が光宅寺法雲の教判を破ったことについては、報恩抄で詳しく述べられている。光宅寺の法雲は一代仏教の中から華厳経・涅槃経・法華経の三経を選び出し、その勝劣浅深を「一切経の中では華厳経が第一であって、大王のごとく、涅槃経は第二であって、摂政関白のごとく、第三の法華経は公卿等のごときものである。この三経より以下の経々は、万民のごときものである」とした。この法雲の説が世に用いられ「大体一同の義」となった、と報恩抄には述べられている。
 天台大師は光宅寺法雲の説に疑問をもち、特に華厳経を詳しく研究した後、「一切経の中では、法華経第一、涅槃経第二、華厳経第三」と主張したのである。
 このことについて報恩抄には「難じて云く抑も法雲法師の御義に第一華厳・第二涅槃・第三法華と立させ給いける証文は何れの経ぞ慥かに明かなる証文を出ださせ給えとせめしかば各各頭をうつぶせ色を失いて一言の返事なし」(0299-13)とある。天台大師はまず、法雲の説が経文上の証拠のないものであると破折したのである。逆に、「重ねてせめて云く無量義経に正しく次説方等十二部経・摩訶般若・華厳海空等云云、仏我と華厳経の名をよびあげて無量義経に対して未顕真実と打ち消し給う法華経に劣りて候・無量義経に華厳経はせめられて候ぬいかに心えさせ給いて華厳経をば一代第一とは候けるぞ各各・御師の御かたうどせんとをぼさば此の経文をやぶりて此れに勝れたる経文を取り出だして御師の御義を助け給えとせめたり」(0299-16)と華厳経が法華経の開経である無量義経にすら劣ることを経文を明示して破折したことを挙げられている。
 また涅槃経が法華経に勝るとする経文はないこと、逆に涅槃経のなかに、涅槃経と法華経をもとに「菓実の位」としたうえで、法華経を「秋収冬蔵の大菓実の位」、涅槃経を「秋の末・冬の捃拾の位」とする文があると破折したのである。これは第一章に挙げた「是経出世」の文である。
吉蔵の義
 次に三論宗の吉蔵の般若経第一を挙げられている。吉蔵は中論、十二門論、百論の三論を学び三論宗を大成させたが、法華経を学びながら法華遊意のなかで「若し菩薩のために実慧・方便を明かすときは、則ち般若は勝れ、法華は劣る…波若は広く実相を明かす。故に衆経中に於いて最も深大と為す」とのべるなど、般若を第一とし、法華を貶めた。このことで指摘されているのである。吉蔵は天台大師と接することにより、自らの過ちを悔い、天台大師に心服した。
 なお、吉蔵の義の項で「梁代の人なり」とあるのは、光宅寺法雲についての記述であろうと思われる。
天台大師の義
 第三に挙げられているのは、天台大師の説である。天台大師の説は、南北の義についてのべたなかに含まれているので、ここでは略す。
 「妙楽等之を用う」と仰せられているのは、妙楽大師等もこの天台大師の判教を用いて経典の義を釈したことを言われている。
玄奘の義
 次に挙げられているのは、法相宗の玄奘三蔵の義である。玄奘は中国法相宗の開祖である。インドへ法を求めた時、唯識を学び、将来した解深密経、瑜伽師地論、成唯識論などに依って法相宗を開いた。玄奘は「機」を重んずるべきであると主張し、法華一乗は三乗不定性の機根の人に対する方便の教えであり、三乗が真実であるという「一乗方便三乗真実」を説き、法華経をおとしめて、深密経が法華経に勝るとしたのである。撰時抄には、次のように述べられている。
 「玄奘三蔵といゐし人・貞観三年に始めて月氏に入りて同十九年にかへりしが月氏の仏法尋ね尽くして法相宗と申す宗をわたす、此の宗は天台宗と水火なり而るに天台の御覧なかりし深密経・瑜伽論・唯識論等をわたして法華経は一切経には勝れたれども深密には劣るという」(0301-01)
法蔵・澄観の義
 次に示されているのは華厳宗の玄奘・澄観の義である。法蔵・澄観は中国華厳宗を開いた杜順・智儼の後に出た第三・四祖で、華厳宗を大成した。
 法蔵・澄観の立義は、華厳経第一、法華経第二、涅槃経第三である。
 報恩抄には、次のように述べられている。
 「則天皇后の御宇に天台大師にせめられし華厳経に又重ねて新訳の華厳経わたりしかば、さきのいきどをりを・はたさんがために新訳の華厳をもつて天台にせめられし旧訳の華厳経を扶けて華厳宗と申す宗を法蔵法師と申す人立てぬ、此の宗は華厳経をば根本法輪・法華経をば枝末法輪と申すなり、南北は一華厳・二涅槃・三法華・天台大師は一法華・二涅槃・三華厳・今の華厳宗は一華厳・二法華・三涅槃等云云」(0301-09)
 法蔵・澄観等は、天台大師が法華経によって一念三千の法門を説いた後に出た人師でるゆえに、華厳経が法華経に勝れると主張する際、華厳経の「心は、工なる画師の種種の五陰を画くが如く、一切世間の中に法として造らざること無し」の文をもって華厳経にも一念三千の法門があるとしたのである。しかし、華厳経は二乗作仏・始成正覚・歴劫修行の教えであるから、二乗作仏・久遠実成・一念三千の義があるわけではなく、文を盗み入れたに過ぎないと大聖人は厳しく破折されている。
善無畏・不空の義
 六番目に挙げられているのは中国真言密教の善無畏・不空等の義である。金剛智も中国真言密教の三三蔵の一人であるが、代表として二人の名が挙げられている。
 善無畏等の真言密教では、真言の教えにある阿字本不生の理と、法華経の諸法実相・一念三千の理とは同じであるが、密教には法華経にない印と真言があるから事において勝れるというのである。この義によって大日経を第一とし、法華経を第二としたのである。
 もちろん、この理同事勝の義についても、大聖人は、華厳宗の場合と同じく、大日経等には二乗作仏・久遠実成が説かれていないゆえに一念三千の義があるわけがないとして、諸御書で破折されている。
 真言見聞には「天台大師が法華経の文を解りて印契の上に立て給へる十界互具・百界千如・一念三千を善無畏は盗み取つて我が宗の骨目とせり」(0146-11)と法蔵・澄観と同じく、善無畏等も一念三千の義を盗み取ったと仰せられている。
 要するに、天台大師以後に出た人師は、天台大師の一念三千の法門が勝れており、法華経第一であることが動かしがたいゆえに、自らの依経を宣揚ちょうと思えば、自宗の経にも、天台大師のいう一念三千の法門があると訴えざるを得なかったのである。
 しかし、いくら類似の文を探しだしてきても、実義がなければ意味がない。一念三千を構成する要素である二乗作仏・久遠実成がなければ、一念三千があるとはいえない。
 真言密教の徒は、大日経等にも二乗作仏・久遠実成があると、これも類似の文を出すのであるが、これも言葉のみで、法華経にしめされるような明確な五百塵点劫成道は説かれていないから、実義は全くないのである。
伝教大師の義
 ここからは、日本の諸師の判教である。最初に伝教大師の義を挙げられている。伝教大師の義は、天台大師の義と、基本的には異なることはない。大聖人が示されている図で異なっているのは、天台大師が法華経第一、涅槃経第二、華厳経第三と挙げているのに対し、伝教大師は諸経第三としている点である。
 これは、既に述べたように、天台大師の時代は光宅寺法雲等の華厳第一の義が世間に流布しており、それを破るために特に華厳経の名を挙げてそれが法華・涅槃より劣ることを明示したのである。
 華厳経は法華・涅槃を除けば、他の経典より高い教えではあるが、法華・涅槃に比べると、ずっと劣るのである。しかも、伝教大師の時代の日本では、華厳宗は南都六宗の一つであり、小乗の律宗や大乗でも法相宗のほうが優勢であった。そのため、華厳経を第三にあげず、「諸経」のなかに含めて第三としたと考えられる。
弘法の義
 次は弘法の義である。弘法は日本真言宗の祖であるが、善無畏などの中国の真言密教の祖と主張するところは異なっている。
 大日経を第一に挙げることは同じであるが、善無畏等は大日経と法華経の理を同じとし、事において異なるとしたのに対し、弘法は法華経を華厳経にすら劣るとして第三に置き、法華経は大日経に比べ、三重に劣っているとしたのである。
 弘法は大日経住心品等に衆生の心相を五種に分けて説いていることに依って諸経の勝劣を立てた、それによれば、衆生の心性は最も低い第一・異生羝羊住心から始まり、第八が一道無為住心で、一仏乗を説く天台宗の住心であり、第九が極無自性住心、すなわち究極の無自性を説く華厳宗の住心、第十が究極の秘密の真理を知った秘密荘厳住心で、これは大日如来の所説であり、これによって真の成仏ができるとしたのである。
 しかし、大日経の住心品の文は諸経の勝劣を述べたものではなく、それによって諸経を判ずることは大日経の文自体にも反することになる。
 したがって、大日経の文に依っているようであっても、内容は弘法の邪見にすぎない。また、この弘法の義は竜樹造・不空訳という菩提心論に依っているところが多いが、この菩提心論は、竜樹の造ではなく不空による偽作であろうと考えられる。
 これらによって、正法である法華経を第三に置き、あまつさえ法華経を「戯論」「無明の辺域」と下すことは謗法以外何物でもない、善無畏に比べ、弘法は謗法の度を増しているといえよう。
慈覚の義
 最後は日本天台宗の延暦寺第三代座主・慈覚の義である。慈覚の義は善無畏と同じ「理同事勝」のゆえに、大日経第一・法華経第二・諸経第三と立てる。
 そこから「善無畏を以て師と為す」と仰せられている。また叡山第五代座主・智証も慈覚と同じ義であり、「智証之に同ず」と仰せられている。
 なお、「叡山講堂総持院なり」との注記は、慈覚が総持院を建立したことをいい、智証につて「園城寺なり」と言われているにも、智証が園城寺を再興して延暦寺別院としてここに住したことをさしている。
 ただ、善無畏等が真言の立場から理同事勝を主張したのと、天台宗の座主でありながら、密教の説に同化し、同じ主張をしたのとは謗法の度合いが全く異なり、慈覚・智証の罪は極めて大きいと言わなければならない。
 大聖人も諸御書で二人を厳しく糾弾されている。三大秘法稟承事には「慈覚・智証・存の外に本師伝教・義真に背きて理同事勝の狂言を本として我が山の戒法をあなづり戯論とわらいし故に、存の外に延暦寺の戒・清浄無染の中道の妙戒なりしが徒に土泥となりぬる事云うても余りあり歎きても何かはせん」(1022-01)と仰せられている。
 更に、慈覚・智証は理同事勝を立てる点では善無畏と同じであるが、慈覚はその著・蘇悉地経疏のなかで、法華経を理秘密教、真言の三部経を亊理俱密教であるとし、つぎのように説いている。
 一切経には顕示教と秘密教があり、顕示教には阿含経や深密経等が含まれ、秘密教には華厳・法華・真言等が含まれる。秘密教は更に、世法の真理と仏法の真理が不二であることを示す理秘密教と、印や真言、三昧耶形等の身密・語密・意密にわたる行いを説いた事秘密がある。華厳や法華が理秘密教にとどまっているのに対して、真言の三部経は、亊理俱密教である。
 慈覚のこの主張は、法華経を秘密教と規定したこと、法華経を華厳と同列に論じていることなどが、善無畏と異なっている。

0130:13~0131:07 第三章 諸師の鎮護国家三部経を挙げるtop
13     鎮護国家の三部の事
14  法 華 経 ┐
15  密 厳 経 ┼不空三蔵 大唐に法華寺に之を置く、 大暦二年護摩寺を改めて法華寺を立つ、中央に法華経・脇
16  仁 王 経 ┘     士に両部の大日なり
17  法 華 経 ┐
18  浄 名 経 ┼聖徳太子 人王三十四代推古天皇の御宇、 四天王寺に之を置く 摂津の国難波郡仏法税所の寺な
01  勝 鬘 経 ┘り。  0131
02  法 華 経 ┐
03  金光明 経 ┼伝教大師 人王五十代桓武天皇の御宇、 比叡山延暦寺止観院に 之を置く、年分得度者一人は遮
04  仁 王 経 ┘     那業一人は止観業なり。
05  大 日 経 ┐
06  金剛頂 経 ┼滋覚大師 人王五十四代仁明天皇の御宇、 比叡山東塔の西総持院に之を置かる、 ご本尊は大日
07  蘇悉地 経 ┘     如来、金蘇の二疏十四巻安置せらる。
−−−−−—
     鎮護国家の三部経に何経を立てるかという事。
  法 華 経 ┐
  密 厳 経 ┼不空三蔵 大暦年間に法華寺にこれを安置する。大暦二年に護摩寺を改めて法華寺と立てる。中央に法華経・脇士に
  仁 王 経 ┘     両部の大日を配置した。
  法 華 経 ┐
  浄 名 経 ┼聖徳太子 人王三十四代推古天皇の御代の人である。摂津の国難波郡に建立された最初の仏寺である四天王寺にこれ
  勝 鬘 経 ┘     を安置する。
  法 華 経 ┐
  金光明 経 ┼伝教大師 人王五十代桓武天皇の御代の人である。比叡山延暦寺の止観院にこれを安置する。延暦寺の年分得度者一
  仁 王 経 ┘     人は遮那業を修し、一人は止観業である。
  大 日 経 ┐
  金剛頂 経 ┼滋覚大師 人王五十四代仁明天皇の御代の人である。比叡山東塔の西の総持院にこれを安置する。御本尊は大日如来
  蘇悉地 経 ┘     で、その前に金剛頂経と蘇悉地経疏の二疏十四巻が安置された。

密厳経
 法相宗が依経とする経。二訳がある。①唐の不空三蔵訳・大乗蜜権教3巻。②唐の地婆訶羅訳・大乗蜜権教3巻。
———
仁王経
 釈尊一代五時のうち盤若部の結経である。恌秦の鳩摩羅什(0334~0413)訳の「仏説仁王般若波羅蜜経」と、唐の不空三蔵(0705~0774)訳の「仁王護国般若波羅蜜経」がある。羅什訳のほうが広く用いられている。この仁王経は、仁徳ある帝王が般若波羅蜜を受持し政道を行ずれば、三災七難が起こらず「万民豊楽、国土安穏」となると説かれている。このゆえに、法華経、金光明経とともに、護国の三部経として広く尊崇された。般若波羅蜜とは、菩薩行の六波羅蜜の一つであるが、般若とは智慧で、その実体は法華経文底秘沈の大法を信じ、以信代慧によって知恵を得ることである。末法においては、この三大秘法を受持して広宣流布することが般若波羅蜜を行ずることになる。法蓮抄には「夫れ天地は国の明鏡なり今此の国に天災地夭あり知るべし国主に失ありと云う事を鏡にうかべたれば之を諍うべからず国主・ 小禍のある時は天鏡に小災見ゆ今の大災は当に知るべし大禍ありと云う事を、仁王経には小難は無量なり中難は二十九・ 大難は七とあり此の経をば一には仁王と名づけ二には天地鏡と名づく、此の国主を天地鏡に移して見るに明白なり、又此の経文に云く『聖人去らん時は七難必ず起る』等云云、当に知るべし此の国に大聖人有りと、又知るべし彼の聖人を国主信ぜずと云う事を」とある。┼不空三蔵 大唐に法華寺に之を置く、 大暦二年護摩寺を改めて法華寺を立つ、中央に法華経・脇
———
法華寺
 中国の五台山にあった寺院のこと。神英が法華院を建立したものと思われる。
———
護摩寺
 中国の五台山にあった呉摩子寺のことと思われる。
———
脇士
 つねに仏の両脇に立ち随って仏の化導を助ける菩薩のこと。夾侍、挾侍、脇、脇立ともいう。釈尊には文殊と普賢、阿弥陀仏には観音と勢至、薬師如来には日光と月光の各菩薩が脇士になっている。
———
両部の大日
 大日経で説く胎蔵界の大日如来と、金剛頂経で説く金剛界の大日如来のこと。
———
浄名経
 維摩経のこと。梵本は失われ,大乗集菩薩学論の中に引用文として断片的に残っているだけである。漢訳は鳩摩羅什訳、維摩詰所説経3巻など三種がある。主人公の維摩詰は毘舎離の富豪で、大乗仏教の奥義に精通していた在家の菩薩。内容は病床にあった維摩詰と、見舞いに訪問した文殊師利菩薩をはじめとする仏弟子達との問答形式で、教理が展開されている。大乗の不可思議の妙理によって小乗教を破し、灰身滅智の空寂涅槃に執着する二乗を弾呵し、大乗に包摂することを趣旨としている。
———
聖徳太子
 (0574~0622)。飛鳥時代の人。用明天皇の第二子。厩の中で誕生し、一度に八人の奏上を聞き分けることができたので、名を厩戸豊聡耳皇子といい、また上宮太子とも呼ばれた。推古天皇の皇太子となり、摂政として国政を総理し、数多くの業績を残した。まず、冠位十二階を制定して従来の世襲的な氏姓政治から官僚政治への転換を図り、十七条憲法を定めてこれを国家原理とし、中央集権国家の建設を進めた。また、小野妹子を随に派遣して国交を開き、大陸文化の摂取に努めるなど、内政、外交ともに活発な行動を展開した。太子の政治思想は、十七条憲法に「篤く三宝を敬え」と記したことにも明らかなように、仏教に深く根差しており、仏法興隆を治国の根幹とするものであった。そして法華経・維摩経・勝鬘経の大乗仏典の註釈諸を著した。また法隆寺、四天王寺等も太子の建立によると伝えられている。このように聖徳太子の業績には目覚ましいものがあり、日本における仏法興隆の先駆的功績者であるとともに、飛鳥文化の中心的人物である。
———
推古天皇
 (0554~0628) 記紀で第33代天皇(在位0592~0628)の漢風諡号。名は額田部。豊御食炊屋姫とも。欽明天皇第三皇女。敏達天皇の皇后。崇峻天皇が蘇我馬子に殺されると,推されて即位。聖徳太子を皇太子・摂政として政治を行い,飛鳥文化を現出。
———
摂津の国
 機内の五か国の一つ。現在の大阪府の一部と兵庫県の一部。早くから農耕が発達して集落も多く、畿内と西国、また紀伊を結ぶ交通の要所で大和朝廷の対外通行の地であり、奈良時代には摂津職という特別な役所が置かれた。
———
難波郡
 摂津国にあった郡の名。現在の大阪市浪速区・中央区・天王寺区など。飛鳥時代には大郡と小郡に分かれており、飛鳥時代には東成郡・西成郡となった。
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勝鬘経
 勝鬘師子吼一乗大方便広経のこと。
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金光明経
 釈尊一代説法中の方等部に属する経。正法が流布するところは、四天王はじめ諸天善神がよくその国を守り、利益し、国に災厄がなく、人々が幸福になると説いている。訳には五種がある。①金光明経、四巻十八品、北涼の曇無讖訳、北涼の元始年中②金光明更広大弁才陀羅尼経、五巻二十品、北周の耶舍崛多訳、後周の武帝代③金光明帝王経、七巻十八品、梁の真諦訳、梁の大清元年④合部金光明経、八巻二十四品、隋の闍那崛多訳、大隋の開皇17年⑤金光明最勝王経、十巻三十一品、唐の義浄訳、周の長安3年。このうち、①には吉蔵の疏があり、天台大師が法華玄義二巻、法華文句六巻にこの経を疏釈しているため、広く用いられている。わが国では聖武天皇が国分寺を全国に建てたとき、妙法蓮華経と⑤金光明最勝王経を安置した。大聖人が用いられているのは①と⑤である。  
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止観院
 比叡山の根本中道のことで、伝教大師の建立、本尊は薬師如来。
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年分得度者
 天皇から許可された年に一定の得度者のこと。平安時代の初期・中期に各教各宗ごとに年に得度する人数が定められ、一定の試験を経て得度し、所定の修行を積む者をいった。
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遮那業
 大毘盧遮那経業を修学する天台密教の学業のこと。伝教大師の山家学生式には、天台法華宗の学生が修めなければならないふたつの過程の一つ。
———
止観業
 摩訶止観を読み、四種三昧を修し、経を読み講ずる行業のこと。遮那業と合わせて日本天台宗の両業という。
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金剛頂経
 金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経の略。唐の不空訳3巻。真言三部経の一つ。密教の根本経典。金剛界の曼荼羅とその供養法を説く。
———
東塔
 滋賀県大津市にある比叡山延暦寺の三搭のひとつ。比叡山東面の中腹に位置する。一山の中心地域で、東谷・西谷・南谷・北谷・無動寺谷が属する。根本中堂・戒壇院・大講堂などがある。
———
大日如来
 大日は梵語(mahāvairocana)遍照如来・光明遍照・遍一切処などと訳す。密教の教主・本尊。真言宗では、一切衆生を救済する如来の智慧を光にたとえ、それが地上の万物を照らす陽光に似るので、大日如来というとし、宇宙森羅万象の真理・法則を仏格化した法身仏で、すべて仏・菩薩を生み出す根本仏としている。大日如来には智法身の金剛界大日と理法身の胎蔵界大日の二尊がある。
ーーー
金蘇の二疏十四巻
 慈覚の金剛頂大教主経疏7巻と、蘇悉地羯羅経略疏7巻をあわせた言葉。
—————————
不空の立てた護国三部経
 中国においては、不空が護摩寺を改め法華寺とし、法華経・密厳教・仁王経を護国三部経としたことが示されている。密厳教は不空が訳したもので、密厳浄土、すなわち大日如来の浄土が説かれた経典である。また不空訳の仁王経は、正しくは仁王護国般若波羅蜜多経といい、国土が乱れた時、災難を鎮めるためには、般若を受持すべきことを説いており、護国の経典として重要された。また不空が法華寺の本尊として中央に法華経を配し、その脇士として両部の大日を配したということは、不空が晩年、法華最勝に気づいたという証として、大聖人はしばしば強調だれている。
聖徳太子の護国三部経
 日本においては、聖徳太子が四天王寺に法華経・浄名経・勝鬘経を鎮護国家の三部経として安置したとしめされている。聖徳太子はこの三経については、自ら注釈書を著している。浄名経は、在家の信者でありながら、法華経をはじめとする十大弟子を論破するほど大乗仏教に通達した浄名の問答を記したものであり、勝鬘経は、波斯匿王の娘、勝鬘夫人を語り手とした経典で、小乗を破って一乗真実、如来蔵法身の義を明かしている。浄名経、勝鬘経ともに在家仏教の経典として重んじられた。
伝教大師の立てた護国三部経
 伝教大師の立てた護国三部経は、法華経・仁王経・金光明経である。仁王経が護国の在り方について説いた経典であることについては既に述べたが、金光明経には、この経を護持する者を、護世の四天王をはじめとする諸天善神が守護することが説かれており、同じく鎮護国家の経として重んじられた。
 なお、この項目のなかで「年分得度者一人は遮那業一人は止観業なり」と注記されている。これは天台宗において、学僧の中から二人を選出し、止観業・遮那業の二つを履修させたのである。遮那業とは大毘盧遮那経業を修すること、すなわち大日経によって天台密教を修行することでり、止観業は天台大師の摩訶止観を修行することである。
 このように伝教大師が真言密教を用いた意については、撰時抄に次のように述べられている。
 「伝教大師は日本国にして十五年が間・天台真言等を自見せさせ給う生知の妙悟にて師なくしてさとらせ給いしかども、世間の不審をはらさんがために漢土に亘りて天台真言の二宗を伝へ給いし時漢土の人人はやうやうの義ありしかども我が心には法華は真言にすぐれたりとをぼしめししゆへに真言宗の宗の名字をば削らせ給いて天台宗の止観・真言等かかせ給う」(0280-06)
 すなわち、真言宗の名目を立てないで天台宗の止観、真言とし天台宗の立場から真言を修せしめたこと自体、法華経が真言に勝れていると考えていたことを示していると仰せである。
 さてこの遮那業、止観業に触れられているには、止観業の者がこの三部経等を読み、修するべきことを規定されているからである。伝教大師は、山学学生式に次のように述べている。
 「凡そ止観業の者は年年毎日、法華・金光・仁王・守護・諸大乗等、護国の衆経を長転長講せしめん」と。
慈覚の護国三部経
 慈覚は天台宗第3代座主でありながら、伝教大師の三部経を用いず、真言の三部経をもって鎮護国家の三部経とし、自ら著した金剛頂経の疏、蘇悉地経の疏も安置した。中国真言密教の不空さえ真言の三部経を護国三部経としていない。慈覚は真言の祖以上に真言の邪義に毒されていたといえる。
 この謗法について大聖人は、曾谷入道殿御書に、次のように述べられている。
 「日本国は慈覚大師が大日経・金剛頂経・蘇悉地経を鎮護国家の三部と取つて伝教大師の鎮護国家を破せしより叡山に悪義・出来して終に王法尽きにき」(1024-05)。

0131:08~0131:11 第四章 三種の神器を挙げるtop
0
8     内裏に三宝有り内典の三部に当るの事。
09  ┌神 ジ 国の手験なり。
10  ├宝 剣 国敵を禦ぐ財なり、平家の乱の時に湖に入りて見えず。
11  └内侍所 天照太神影を浮かべ給う神鏡と言う、左馬頭頼茂に打たれて焼失す。              ・
−−−−−—
     内裏に三宝があり、それは内典の三部経に当たるという事。
  ┌神 ジ 国としての験である。
  ├宝 剣 国敵を防ぐ道具である。平家の乱の時に海に沈んで今はない。
  └内侍所 天照太神が影を浮かべる神鏡といわれる。左馬頭頼茂に攻められて焼失する。

神壐
 皇位のしるしとして歴代の天皇が伝承したとされる三種の神器のひとつ。八尺瓊勾玉のこと。
———
手験
 験・証拠。
———
宝剣
 ①宝物とする剣。②天叢雲剣。
———
平家の乱
 平安時代末期に、平家が源氏に滅ぼされた一連の戦い。
———
内侍所
 ①三種の神器の一つである神鏡を安置した所。温明にあり、内侍が奉仕した。賢所②内侍司が置かれた場所のこと。
———
天照太神
 日本民族の祖神とされている。天照大神、天照大御神とも記される。地神五代の第一。古事記、日本書紀等によると高天原の主神で、伊弉諾尊と伊弉冉尊の二神の第一子とされる。大日孁貴、日の神ともいう。日本書紀巻一によると、伊弉諾尊、伊弉冉尊が大八洲国を生み、海・川・山・木・草を生んだ後、「吾已に大八洲国及び山川草木を生めり。何ぞ天下の主者を生まざらむ」と、天照太神を生んだという。天照太神は太陽神と皇祖神の二重の性格をもち、神代の説話の中心的存在として記述され、伊勢の皇大神宮の祭神となっている。
———
神鏡
 ①神霊として祀った鏡。②八咫鏡のこと。
———
左馬頭頼茂
 治承3年(~1219。鎌倉時代前期の武将。源頼兼の長男。正五位下、大内守護、安房守、近江守、右馬権頭。父頼兼と同じく都で大内裏守護の任に就く一方、鎌倉幕府の在京御家人となって双方を仲介する立場にあった。しかし、承久元年(1219)7月13日、突如、頼茂が将軍職に就くことを企てたとして後鳥羽上皇の指揮する兵にその在所であった昭陽舎を襲撃される。頼茂は応戦し抵抗するものの仁寿殿に篭り火を掛け自害し、子の頼氏は捕縛された。上皇が突如頼茂を攻め滅ぼした明確な理由はわかっていないが、恐らく鎌倉と通じる頼茂が京方の倒幕計画を察知した為であろうと考えられている。また、この合戦による火災で仁寿殿・宜陽殿・校書殿などが焼失し、仁寿殿の観音像や内侍所の神鏡など複数の宝物が焼失したという。
—————————
 日本の皇位の象徴である三種の神器が「内典の三部」に当たると示されている。「内典の三部」とは、鎮護国家の三部経のことである。
 三種の神器とは、いわゆる八尺瓊勾玉・天叢雲剣・八咫鏡である。本章ではそれを「神璽」「宝剣」「内待所」と書かれている。
 三種の神器は、注記で示されているように、海に没したり焼失している。これは国家の混乱を象徴するものである。鎮護国家の三部経も、聖徳太子・伝教大師とともに法華経を中心と定めてきたにもかかわらず、慈覚が真言の三部経に換えてしまった。あたかも三種の神器が失われたのと同じであり、それゆえに国土が乱れるのである、と仰せであろう。

0131:12~0132:02 第五章 天台宗への帰伏の様相を示すtop
12     天台宗に帰伏する人人の四句の事
13  一に身心  倶に移る─┬三諭の嘉祥大師
14             └華厳の澄観法師
15             ┌真言の善無畏・不空                            ・
16  二に心移りて身移らず─┼華厳の法蔵
17             └法相の滋恩
18  三に身移りて心移らず─┬慈覚大師
01             └智証大師  0132
02  四に身心倶に 移らず──弘法大師
−−−−−—
     天台宗に帰伏する人々を四句に立て分けたときの事。
  一に身心ともに移る─————┬三諭の嘉祥大師
                └華厳の澄観法師
                ┌真言の善無畏・不空
  二に心は移って身は移らない─┼華厳の法蔵
                └法相の滋恩
  三に身は移って心は移らない─┬慈覚大師
                └智証大師  
  四に身も心もともに移らない──弘法大師

三論
 三論宗のこと。竜樹の中論・十二門論、提婆の百論の三つの論を所依とする宗派。鳩摩羅什が三論を漢訳して以来、羅什の弟子達に受け継がれ、隋代に嘉祥寺の吉蔵によって大成された。日本には推古天皇33年(0625)、吉蔵の弟子の高句麗僧の慧灌が伝えたのを初伝とする。奈良時代には南都六宗の一派として興隆したが、以後、次第に衰え、聖宝が東大寺に東南院流を起こして命脈をたもったが、他は法相宗に吸収された。教義は、大乗の空理によって、自我を実有とする外道や法を実有とする小乗を破し、成実の偏空をも破している。究極の教旨として、八不をもって諸宗の偏見を打破することが中道の真理をあらわす道であるという八不中道をとなえた。
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嘉祥大師
 (0549~0623)。吉蔵大師の異名。中国隋・唐代の人で三論宗の祖。祖父または父が安息人であったことから胡吉蔵と呼ばれた。姓は安氏。金陵(南京)の生まれで幼時父に伴われて真諦に会って吉蔵と命名された。12歳で法朗に師事し三論を学んだ。隋代の初め、開皇年中に吉蔵が嘉祥寺(浙江省紹興市会稽)で8年ほど講義をはって三論、維摩等の章疏を著わした。これにより吉蔵は嘉祥大師とも呼ばれた。「法華玄論」10巻をつくり、法華経を讃歎したが、後年、妙楽から「法華経を讃歎しているようにみえても、毀りがそのなかにあらわれている。どうして弘讃といえようか」と破折されている。後に天台大師に心身ともに帰伏し7年間仕えた。
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華厳
 華厳宗のこと。華厳経を依経とする宗派。円明具徳宗・法界宗ともいい、開祖の名をとって賢首宗ともいう。中国・東晋代に華厳経が漢訳され、杜順、智儼を経て賢首(法蔵)によって教義が大成された。一切万法は融通無礙であり、一切を一に収め、一は一切に遍満するという法界縁起を立て、これを悟ることによって速やかに仏果を成就できると説く。また五教十宗の教判を立てて、華厳経が最高の教えであるとした。日本には天平8年(0736)に唐僧の道璿が華厳宗の章疏を伝え、同12年(0740)新羅の審祥が東大寺で華厳経を講じて日本華厳宗の祖とされる。第二祖良弁は東大寺を華厳宗の根本道場とするなど、華厳宗は聖武天皇の治世に興隆した。南都六宗の一つ。
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真言
 真言宗のこと。三摩地宗・陀羅尼宗・秘密宗・曼荼羅宗・瑜伽宗・真言陀羅尼宗ともいう。大日如来を教主とし、金剛薩埵・竜猛・竜智・金剛智・不空・恵果・弘法(空海)と相承して付法の八祖とし、大日・金剛薩埵を除き善無畏・一行の二師を加え伝持の八祖と名づける。大日経・金剛頂経を所依の経とし、両部大経と称する。そのほか多くの経軌・論釈がある。中国においては、善無畏三蔵が唐の開元4年(0716)にインドから渡り、大日経を訳し弘めたことから始まる。金剛智三蔵・不空三蔵を含めた三三蔵が中国における真言宗の祖といわれる。日本においては、弘法大師空海が入唐して真言密教を将来して開宗した。顕密二教判を立て、自宗を大日法身が自受法楽のために内証秘法の境界を説き示した真実の秘法である密教とし、他宗を応身の釈迦が衆生の機根に応じてあらわに説いた顕教と下している。空海は十住心論のなかで、真言宗が最も勝れ、法華経はそれに比べて三重の劣であるとしている。空海の真言宗を東密(東寺の密教)といい、慈覚・智証によって天台宗に取り入れられた密教を台密という。
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法相
 法相宗の事。解深密経、瑜伽師地論、成唯識論などの六経十一論を所依とする宗派。中国・唐代に玄奘がインドから瑜伽唯識の学問を伝え、窺基によって大成された。五位百法を立てて一切諸法の性相を分別して体系化し、一切法は衆生の心中の根本識である阿頼耶識に含蔵する種子から転変したものであるという唯心論を説く。また釈尊一代の教説を有・空・中道の三時教に立て分け、法相宗を第三中道教であるとした。さらに五性各別を説き、三乗真実・ 一乗方便の説を立てている。法相宗の日本流伝は一般的には四伝ある。第一伝は孝徳天皇白雉4年(0653)に入唐し、斉明天皇6年(0660)帰朝した道昭による。第二伝は斉明天皇4年(0658)、入唐した智通・智達による。第三伝は文武天皇大宝3年(0703)、智鳳、智雄らが入唐し、帰朝後、義淵が元興寺で弘めたとする。第四伝は義淵の門人・玄昉が入唐して、聖武天皇天平7年(0735)に帰朝して伝えたものである。
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慈恩
 (0632~0682)。中国唐代の僧。中国法相宗の事実上の開祖。諱は窺基。貞観六年、長安(陝西省西安市)に生まれた。玄奘三蔵がインドから帰ったとき、17歳で弟子となり、玄奘のもとで大小乗の教えの翻訳に従事した。長安の慈恩寺で法相宗を広めたので、慈恩大師とよばれる。永淳元年に没。著書に「法華玄賛」10巻、「成唯識論述記」20巻、「成唯識論枢要」4巻等がある。慈恩が「法華玄賛」を著わして法華経をほめたが、これに対し、わが国の伝教大師は「法華経を讃すと雖も、還って法華の心を死す」、すなわち法華経を華厳経等と同格にほめたにすぎず、それはかえって法華経を軽視したことになり、謗法であるとして慈恩の邪義を破折した。
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 中国・日本の諸師が天台宗に帰伏したか否かを「身」「心」の」両面から判じられている。そして、三論の嘉祥、・華厳の澄観を身心ともに天台に移った人、真言の善無畏・不空・華厳の法蔵・法相の慈恩は心は移ったが身は移らなかった人、慈覚・智証は逆に身は天台宗に置いていたが、心は天台宗でなかった人、身心ともに天台宗でなかった人が弘法であると示されている。ここで第三の慈覚・智証や弘法については改めて述べるまでもないので、第一・第二について、少し補足しておきたい。
身心ともに天台に移った嘉祥・澄観
 まず、嘉祥は既に述べたとおり、三論宗の大成者といわれる人師であるが、法華経を学びながら般若経の下に置くなど、法華経の真義をわきまえなかった。天台大師と意見を交わすようになってから自らの不明を恥じ、以後、法華経を我見で講じないことを誓ったのみならず、身を肉橋として帰伏したという。このことを、善無畏抄には「嘉祥寺の吉蔵大師は三論宗の元祖・或時は一代聖教を五時に分け或時は二蔵と判ぜり、然りと雖も竜樹菩薩の造の百論・中論・十二門論・大論を尊んで般若経を依憑と定め給い、天台大師を辺執して過ぎ給いし程に智者大師の梵網等の疏を見て少し心とけやうやう近づきて法門を聴聞せし程に結句は一百余人の弟子を捨て般若経並びに法華経をも講ぜず七年に至つて天台大師に仕えさせ給いき、高僧伝には『衆を散じ身を肉橋と成す』と書かれたり、天台大師高坐に登り給えば寄りて肩を足に備え路を行き給えば負奉り給うて堀を越え給いき、吉蔵大師程の人だにも謗法を恐れてかくこそ仕え給いしか」(1235-02)と述べられている。
 また華厳宗の澄観については、開目抄に「華厳の澄観は華厳の疏を造て 華厳・法華・相対して法華を方便とかけるに似れども彼の宗之を以て実と為す此の宗の立義・理通ぜざること無し等とかけるは悔い還すにあらずや」(0216-14)とあり。初めは法華経を方便の教えとしていたが、後に、法華経の義は“実”であり、華厳の教えもそれに通じていると言い直したこと自体が既に心に悔い返してる証拠であると仰せられている。更に言えば“華厳も法華に通じる”と言っているのは、同等ではなく法華経を根本に考えていたゆえであるといえよう。更に、依憑集には「大唐大原府崇福寺の新華厳宗翻経の沙門澄観、天台の義を判じて理到円満す」とある。
 なお、嘉祥と澄観は、ともに天台宗に改宗したわけではなく、身も移ったとはいえないが、大聖人が身心ともに移ったと言われているのは、嘉祥が廃講散衆して身を肉橋としたこと、最澄が最初は法華経を誹謗しながら、後に言い直していることを評価されての仰せと考えられる。
心は移ったが身は移らなかった善無畏等
 次の善無畏等は、身は移らなかったものの、心は帰伏していたと仰せである。
 善無畏については、法華経誹謗の罪により地獄に堕ちようとした時、法華経の文を唱えて免れたことが諸御書にしめされている。善無畏抄には「一時に頓死して有りき、蘇生りて語つて云く我死つる時獄卒来りて 鉄の繩七筋付け鉄の杖を以て散散にさいなみ閻魔宮に到りにき、八万聖教一字一句も覚えず唯法華経の題名許り忘れざりき題名を思いしに鉄の繩少し許ぬ息続いて高声に唱えて云く今此三界皆是我有・其中衆生悉是吾子・而今此処多諸患難・唯我一人能為救護等云云、七つの鉄の繩切れ砕け十方に散す閻魔冠を傾けて南庭に下り向い給いき」(1233-01)と述べられている。善無畏が死に直面して、法華誹謗の罪から逃れようと、法華経に助けを求めたことが「心移る」にあたるのである。
 同じく三三蔵の一人・不空については、天台大師を讃嘆することが撰時抄に記されている。また曾谷入道殿許御書に「不空三蔵の還つて天竺に渡つて真言を捨てて漢土に来臨し天台の戒壇を建立して両界の中央の本尊に法華経を置きし是なり」(1028-03)と仰せのように、不空は大暦2年(0767)に上表し、五台山のうち呉摩子寺を大暦法華之寺と改名、両部の大日を脇士に、中央に法・華経を置き、国のために法華経を転じたことは、既に第章のなか、不空の鎮護国家の三部をみたところである。護国のために法華経を安置したことを「天台の戒壇を建立して」と述べられている。
 華厳の法蔵については、撰時抄に「華厳宗の法蔵大師天台を讃して云く『思禅師智者等の如き神異に感通して迹登位に参わる霊山の聴法憶い今に在り』等云云」(0270-08)とあるとおり、天台大師を賛嘆していることが挙げられよう。
 また慈恩については、開目抄に「法相の慈恩は法苑林・七巻・十二巻に一乗方便・三乗真実等の妄言多し、しかれども玄賛の第四には 故亦両存等と我が宗を不定になせり、言は両方なれども心は天台に帰伏せり」(0216-12)と、慈恩が一乗方便・三乗真実等を主張したものの、一方では一乗の法と三乗の法とが両存するとしていると述べられている。これについて大聖人は、言葉は「両存」であっても、心は帰伏であると仰せられている。なお「玄賛の第四」とあるが、正しくは、慈恩の弟子 ・栖復の著・法華経玄賛要集巻四をさとすとされている。

0132:03~0132:07 第六章 法華・涅槃を人の位に譬えるtop
03     今経の位を人に配するの事
04        鎌倉殿
05  ┌征夷将軍───────無量義経
06  ├摂  政───────涅槃経
07  ├院   ───────迹門十四品
08  └天  子───────本門十四品                               ・
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     法華経の位を人に配したときの事
        鎌倉殿
  ┌征夷将軍───────無量義経
  ├摂  政───────涅槃経
  ├院   ───────迹門十四品
  └天  子───────本門十四品

鎌倉殿
 鎌倉幕府・将軍のこと。
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征夷将軍
 ①平安初期、蝦夷征討のため臨時に派遣された遠征軍の指揮官。大伴弟麻呂・坂上田村麻呂・文屋綿麻呂などが任ぜられた。② 鎌倉時代以後、幕府政権の長たる者の称。征夷将軍。将軍。
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摂政
 君主制を採る国家において、君主が幼少、女性、病弱、不在などの理由でその任務を行うことができない時、君主に代わってそれを行うこと、またはその役職のことである。多くの場合、君主の後継者、兄弟、母親、あるいは母方の祖父や叔父などの外戚が就任する。
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 ①高い垣に囲まれた大きな建築物のこと。②天に代わって天下を治める人のこと。君主・天皇・皇帝。
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迹門十四品
 垂迹仏が説いた法門の意で法華経二十八品中の序品第一から安楽行品第十四までの前十四品をさす。内容は、諸法実相、十如是の法門のうえから理の一念三千を説き、それまで衆生の機根に応じて説いてきた声聞・縁覚・菩薩の各境界を修業の目的とする教法を止揚し、一切衆生を成仏させることにあるとしている。しかし釈尊が過去世の修行の結果、インドに出現して始めて成仏したという、迹仏の立場であることは爾前と変わらない。
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天子
 天命を受けて国に君たる人の称。古代中国では、天が民を治めるものとしたので、天に代わって国を統治する者の意。天皇のこと。
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本門十四品
 本門とは仏の本地をあらわした法門のこと。迹門に対する語。法華経28品を前後に分け後14品を本門とする。迹門は諸法実相に約して理の一念三千を説き、本門では釈尊の久遠実成の本地を明かし、因果国に約して仏の振舞の上から事の一念三千が示されている。また本門の中心となる寿量品では、釈尊は爾前迹門で説いてきた始成正覚の考えを打ち破って、実は五百塵点劫という久遠の昔に常道していたことを説き、成道の根本原因、本因・本果・本国土の三妙を合わせて明かし、成仏の実践を説いている。
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 第一章では、法華経と大日経の勝劣を判ずるなかで、法華経が第一位、涅槃経が第二位、無量義経が第三位に位置づけられている。
 ここでは、これらの三経を、国を治め護るべき4つの人の位に譬えて示されている。
 譬えられている人の位は征夷大将軍、摂政、院、天子である。ともに、当時の社会にあっては最も高い位に位置し、国の安泰について責任ある立場である。
 さて、征夷大将軍は、平安初期、蝦夷征伐のために派遣された将軍をいった。延暦13年(0794)大伴弟麻呂が任命されたのが最初で、坂上田村麻呂が有名である。
 源頼朝以後は、鎌倉・室町・江戸の幕府の主宰者で、兵権を掌握した者の職名をあらわすようになった。 摂政は、主君に代わって政務を行う官職、日本では、聖徳太子以来、皇族が任ぜられた。皇族以外では、清和天皇幼少のため外戚の藤原義房が、これに任ぜられて後は、藤原氏が就任するようになった。
 印は、上皇・法皇・女院をさす。上皇は天皇譲位後の尊称、法王は出家した上皇、女院は朝廷から院の称号を与えられた女性をいう。
 天子は、天命を受けて人民を治める者、国の君主で、天皇・皇帝がそれにあたる。
 以上の4つの位を、天子の最高位として、高い順に位置づけると、院、摂政、征夷大将軍が無量義経に当たるとされている。これらの配立は、第一章で示されているので、ここでは省略する。
 法華経・涅槃経等を天子等の位にあてはめておられるのは、法華経は人の位でいえば、最高の天子であり、このことを誤っては、いくら法華経を論じたり読誦しても、何の功徳もない。まして、天子である法華経を臣下である爾前経の下におくことなどは、重大な過ちであることを教えるために、これらの位になぞらえて示されたものと拝される。
 したがって、法華経を賛嘆しているようであっても、他の経と同列に扱ったり、その下に置いたりすることは、かえって法華経をけなしていることになるのである。
 法相の慈恩は法華玄賛で法華経について六部にわたって論じているが、これについて伝教大師は「法華経を讃すと雖も還って法華の心を死す」と破折している。これは、この道理によるのである。

0132:08~0132:18 第七章 日本天台宗・叡山の三塔を示すtop
09     三塔の事
10  ┌中  堂─伝教大師の御建立 止観・遮那の二業を置く、 御本尊は薬師如来なり延暦年中の御建立・王城の丑
11  │              寅に当る、桓武天皇の御尊重、天子本名の道場と云う。
12  ├止 観 院───────── 天竺には霊鷲山と云い震旦には天台山と云い扶桑には比叡山と云う、 三国伝灯
13  │ 本院            の仏法此に極まれり。           
14  ├講  堂─慈覚大師の 建立 鎮護国家の道場と云う、御本尊は大日如来なり、承和年中の建立、 止観院の西
15  │ 総持院          に真言の三部を置き是を東塔と云うなり、伝教の御弟子第三の座主なり。
16  │西搭 
17  ├釈 迦 堂─円澄の   建立 伝教の弟子なり
18  │ 宝幢院
19  │横川
20  └観 音 堂─慈覚の   建立
21    楞厳院
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     三塔の事
  ┌中  堂─伝教大師の御建立 止観・遮那の二業の学生を置く、御本尊は薬師如来である。延暦年中の御建立で王城の東北に位置
  │              する。桓武天皇より御尊重され、天子本名の道場といわれる。
  ├止 観 院───────── インドでは霊鷲山、中国では天台山、にほんでは比叡山という、三国の伝灯の仏法は極まっている
  │ 本院            。           
  ├講  堂─慈覚大師の 建立 鎮護国家の道場といわれる。御本尊は大日如来である。承和年中の建立で、止観院の西にあって真
  │ 総持院          言の三部経を安置する。以上を東塔という。慈覚は伝教の御弟子で延暦寺第三代の座である。
  │西搭            
  ├釈 迦 堂─円澄の   建立 円澄は伝教大師の弟子である。
  │ 宝幢院
  │横川
  └観 音 堂─慈覚の   建立
    楞厳院

薬師如来
 薬師とは梵語( Bhaiṣajya)薬師琉璃光如来・大医王仏・医王善逝ともいう。東方浄瑠璃世界の教主。ともに菩薩道を行じていた時に、一切衆生の身心の病苦を救い、悟りに至らせようと誓った。衆生の病苦を治し、諸根を具足させて解脱へ導く働きがあるとされる。
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王城
 ①帝王の住む城のこと。皇居。②都のこと。
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丑寅
 ①午前2時~午前4時をいう。②方位・北東を意味する。
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天子本名の道場
 天皇の本命星を祀り、国家の鎮護を祈願する道場。鎮護国家の道場のこと。
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本院
 ①上皇が二人以上いる場合に第一の上皇をさしていう。②寺院の境内の主たる建物。
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真言の三部
 真言宗の依経である大日経・金剛頂経・蘇悉地経のこと。
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釈迦堂
 釈迦像を安置する堂宇。
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円澄
 (0771~0836)。平安時代前期の天台宗の僧。俗姓は壬生氏。武蔵国埼玉郡の出身。
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宝幢院
 比叡山延暦寺・西搭にある堂宇のひとつ。
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観音堂
 ①観世音菩薩を安置した堂のこと。②比叡山延暦寺の横川中道。楞厳院 のこと。
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楞厳院
 比叡山延暦寺の横川中堂のこと。本尊に聖観音像を安置したことから、観音堂ともう。
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 日本天台宗の総本山、比叡山延暦寺の三塔について記されている。三塔とは、東塔・西塔・横川である。延暦寺は伝教大師が比叡山に一乗止観院を建立して開創し、次第に堂宇が加わって三塔を形成していった。
東塔
 東塔は比叡山延暦寺の中心をなしている。最初、ここに伝教大師が堂宇を建て、薬師如来が安置されたので薬師堂といった。これが一乗止観院である。後に文殊堂や経蔵が加わって規模が拡大され、総称して根本中堂と呼ぶようになった。これが延暦寺の本院である。本抄では中堂と止観院が並列されているがおなじものである。年分得度者2人により止観・遮那の二業が修されたことは、第三章で述べたとおりであるが、その修行の場となったのがここである。比叡山は天皇のいる王城から東北の方角にあたる。この丑寅の方角は陰陽説の影響を受け、古来、鬼の出入りする方角とされ、この地に寺院を建て、鬼除けとした。その意味から桓武天皇から崇重を受け鎮護国家の道場とされたのである。
 伝教大師がこの地に寺院を建立したことによって、インドの霊鷲山、中国の天台山、日本の比叡山と、三国にわたって仏法の正しい流れが受け継がれる地が確立されたのである。
 この東塔の区域に、後に慈覚が講堂を建てた。その名が総持院である。慈覚は中国に渡って真言密教の影響を受け、総持院には大日如来を本尊とし、真言の三部経を置き、真言密教をもって護国をいのるようになった。
西塔
 西塔には円澄が天長2年(0825)に建立した釈迦堂がある。ここには釈迦像が安置されている。円澄は伝教大師のあとを継いだ義真の死後、比叡山の中心者となった伝教大師の門下である。西塔を代表する堂宇である宝幢院は、恵亮の建立によるもので、迦葉年中といわれる。ここは千手観音像が安置されている。
横川
 横川には観世音菩薩像を安置した観音堂がある。これが横川の中堂である。これも慈覚の建立になるもので、この中堂を首楞厳院という。

0133:01~0133:14 第八章 三宝の立て方の誤りを突くtop
0133
01     日本国仏神の座席の事
02   問う吾が朝には何れの仏を以て一の座と為し何れの法を以て一の座と為し何れの僧を以て一の座と為すや、 答
03 う観世音菩薩を以て一の座と為し真言の法を以て一の座と為し東寺の僧を以て一の座と為すなり。
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     日本国の仏神の座席の順序についての事
   問う。わが国ではどの仏を第一の座とし、どの法を第一の座とし、どの僧を第一の座としているのか。答える。観世音菩薩を第一の座とし、真言の法を第一の座とし、東寺の僧を第一の座としている。
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04   問う日本には人王三十代に仏法渡り始めて後は山寺種種なりと雖も 延暦寺を以て天子本命の道場と定め鎮護国
05 家の道場と定む、 然して日本最初の本尊釈迦を一の座と為す然らずんば延暦寺の薬師を以て一の座と為すか、 又
06 代代の帝王起請を書いて山の弟子とならんと定め給ふ故に 法華経を以て法の一の座と為し 延暦寺の僧を以て一の
07 座と為す可し、 何ぞ仏を本尊とせず菩薩を以て諸仏の一の座と為すや、 答う尤も然る可しと雖も慈覚の御時・叡
08 山は真言になる 東寺は弘法の真言を建立す故に共に真言師なり、 共に真言師なるが故に東寺を本として真言を崇
09 む真言を崇むる 故に観音を以て本尊とす真言には菩薩をば仏にまされりと談ずるなり、 故に内裏に毎年正月八日
10 の内道場の法行わる 東寺の一の長者を召して行わる 若し一の長者暇有らざれば二の長者行うべし三までは及ぼす
11 可からず云云、故に仏には観音・法には真言・僧には東寺法師なり、 比叡山をば鬼門の方とて之を下す譬えば武士
12 の如しと云うて崇めざるなり故に日本国は亡国とならんとするなり。
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 問う。日本には人王三十代の時に仏法が渡って後は、山寺は種々あるけれども、延暦寺を天子本命の道場と定め、鎮護国家の道場と定めている。したがって、日本に」最初に伝えられた本尊である釈迦仏を第一の座とするか。そうでなければ、延暦寺の薬師如来を第一の座とするかであろう。また代々の帝王は起請文を書いて延暦寺の弟子となろうと定められているのであるから、法華経を法の第一の座とし、延暦寺の僧を僧の第一の座とすべきである。どうして、仏を本尊としないで、菩薩を諸仏の一の座とするのか。答える。当然そうあるべきであるけれども、慈覚のときに、比叡山は真言宗となり、東寺は弘法の真言宗を立てている。ゆえにともに真言師なのである。と説くのである。もに真言師であるがゆえに東寺を根本として真言を崇め、真言を崇めるゆえに観音菩薩を本尊とするのである。真言では菩薩は仏よりも勝っていると説くのである。ゆえに内裏で毎年正月八日から内道場の修法は、東寺の一の長者を召して行われるのである。もし第一の長者の暇がないときは、第二の長者が行うことになっており、第三までは及んではならないという。ゆえに仏は観音菩薩、法には真言、僧には東寺の法師としているのである。比叡山を鬼門の方角にあるといって下し、譬えば武士のようなものであるといって崇めない。ゆえに日本国は亡国となろうとしているのである。
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13   問う神の次第如何、 答う天照太神を一の座と為し八幡大菩薩を第二の座と為す是より已下の神は三千二百三十
14 二社なり
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 問う。神の序列はどうなっているのか、答える。天照太神を第一の座とし、八幡大菩薩を第二の座とするのである。これ以下の神は三千二百三十二社である。

観世音菩薩
 梵語アヴァローキテーシュヴァラ(Avalokiteśvara)の音写が阿縛盧枳低湿伐羅で、観世音と意訳、略して観音という。光世音、観自在、観世自在とも訳す。異名を蓮華手菩薩、施無畏者、救世菩薩ともいう。法華経観世音菩薩普門品第二十五には、三十三種の身に化身して衆生を救うことが説かれている。
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人王三十代
 欽明天皇のこと。日本書紀には欽明天皇の13年(0552)10月、百済国の聖明王が使者を遣わして金銅の釈迦仏や経論等を献じたと記され、これが日本における仏教初伝とされている。
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山寺
 寺院のこと。
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日本最初の本尊釈迦
 日本に初めて将来された釈迦の仏像のこと。日本書紀には欽明天皇の13年(0552)10月、百済国の聖明王が使者を遣わして金銅の釈迦仏や経論等を献じたと記されている。
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延暦寺の薬師
 伝教大師が建立したとされる延暦寺根本中堂の薬師如来のこと。
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起請
 祈請文のこと。神仏に誓いを立てて、自分の行為、言説に偽りがないことを表明した文書・誓紙・厳守すべき事項を記した前書き部分と、もしこれに違背すれば神仏の罰を受ける旨を記した神文からなるもの。
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 ①比叡山延暦寺のこと。②山号を持つ寺院のこと。
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真言師
 真言宗を奉ずる僧侶。真言宗とは、三摩地宗・陀羅尼宗・秘密宗・曼荼羅宗・瑜伽宗等ともいう。空海が中国の真言密教を日本に伝え、一宗として開いた宗派。詳しくは真言陀羅尼宗という。大日如来を教主とし、金剛薩埵・竜猛・竜智・金剛智・不空・恵果・弘法と相承したので、これを付法の八祖とし、大日・金剛薩?を除き善無畏・一行の二師を加えて伝持の八祖と名づける。大日経・金剛頂経を所依の経として、これを両部大経と称する。そのほか多くの経軌・論釈がある。顕密二教判を立て自らの教えを大日法身が自受法楽のために示した真実の秘法である密教とし、他宗の教えを応身の釈迦が衆生の機根に応じてあらわに説いた顕教と下している。なそ、弘法所伝の密教を東密というのに対して、天台宗の慈覚・智証によって伝えられた密教を台密という。
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内道場の法
 宮中で設けられた仏教道場で修する法のこと。
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長者
 ①金持ち・資産家。②士族の統率者。③年長者・長老。④徳のすぐれた人。⑤東寺の座主。
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鬼門の方
 鬼が出入りするとされる方位。北東。
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八幡大菩薩
 天照太神とならんで日本古代の信仰を集めた神であるが、その信仰の歴史は、天照太神より新しい。おそらく農耕とくに稲作文化と関係があったと見られる。平城天皇の代に「我は是れ日本の鎮守八幡大菩薩なり、百王を守護せん誓願あり」と託宣があったと伝えられ皇室でも尊ばれたが、とくに武士階級が厚く信仰し、武家政権である鎌倉幕府は、源頼朝の幕府創設以来、鎌倉に若宮八幡宮をその中心として祭ってきた。
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三千二百三十二社
 延喜式の中の神名帳には、宮中および全国に鎮座する神社の総数は3232社と記されている。
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 今までの図示の形で諸経の優劣等を示されたが、ここは問答形式で、初めに日本国が立てている三宝について論じられている。
 問いは、日本国においては、いかなる三宝を第一の座に据えているかというものであるが、それに対する答えは、観世音菩薩を仏宝の第一とし、真言の法を法宝の第一とし、真言宗東寺の僧を僧宝の第一としているというものである。
 この答えに対し、問者は当然に疑問を起こす。まず、日本に仏法が渡ってから、多くの宗派が興ったが、延暦寺を天子本命の道場・鎮護国家の道場と定められたと述べている。これについては、前章までのところでみてきたとおりである。
 そのことを前提として三宝の在り方を考えれば、本尊は日本に最初に将来された釈迦仏を第一の座に据えるべきで、そうでなければ、伝教大師が根本中堂の本尊に定められた薬師如来を第一の座に置くべきである。また、桓武天皇以来、代々の天皇が延暦寺に帰依したことを考えれば、法華経の法宝を第一に、延暦寺の僧を僧宝の第一に据えるべきである、と述べている。それなのに、なぜ仏ではなく菩薩を仏宝の第一としているのかとの疑問が提起される。
 それに対する答えは次のとおりである。
 まさにそのとおりであるが、慈覚の時に比叡山は真言となり、東寺はもともと弘法の真言を立ててきたから、比叡山延暦寺の僧も当時の僧もともに真言師なのでる。そこで、延暦寺の徒は東寺を根本として崇めるようになり、また真言では仏より菩薩が勝れているとして、観音を本尊としたのである。また、毎月1月8日から内道場の法に際しては東寺の長者がこれを行うことになっている。ゆえに、仏宝には観音、法宝には真言、僧宝には当時の法師を立てているのである。と。
 そればかりでなく比叡山延暦寺が王城の鬼門に建てられていることは往生を守護するためで、これは武士のようなものであるから、武士は本来、崇められるべきものでないのと同じように、比叡山を崇める必要はないとしているのである。以上のように、日本の国がなぜ真言に毒され三宝を立てるようになったかを明らかにしたうえで、ゆえに日本国は亡国となろうとしているのである、と指摘されている。
 次に諸天善神の次第について触れられ、天照太神を第一に、八幡大菩薩を第二に据えるべきであり、それ以下の神々は3232社あるとされている。
 なお、本抄はもともと覚え書きと思われるが、それにしてもいかに中途に切れてしまっている観があり、恐らくはもっとこのあとがあって、欠失したものと推測しておく。

0134~0138    天台真言勝劣事top
0134:01~0134:02 第一章 真言宗に依る経論を示すtop
0134
真言天台勝劣事    文永七年    四十九歳御作
01   問う何なる経論に依つて真言宗を立つるや、答う大日経・金剛頂経・蘇悉地経並びに菩提心論此の三経一論に依
02 つて真言宗を立つるなり、 
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 問う。どのような経論によって真言宗を立てるのか。答える。大日経・金剛頂経・蘇悉地経ならびに菩提心論という三つの経と一つの論によって真言宗を立てるのである。

真言宗
 大日経・金剛頂経・蘇悉地経等を所依とする宗派。大日如来を教主とする。空海が入唐し、真言密教を我が国に伝えて開宗した。顕密二教判を立て、大日経等を大日法身が自受法楽のために内証秘密の境界を説き示した密教とし、他宗の教えを応身の釈迦が衆生の機根に応じてあらわに説いた顕教と下している。なお、真言宗を東密(東寺の密教の略)といい、慈覚・智証が天台宗にとりいれた密教を台密という。
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大日経
 大毘盧遮那成仏神変加持経のこと。中国・唐代の善無畏三蔵訳7巻。一切智を体得して成仏を成就するための菩提心、大悲、種々の行法などが説かれ、胎蔵界漫荼羅が示されている。金剛頂経・蘇悉地経と合わせて大日三部経・三部秘経といわれ、真言宗の依経となっている。
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蘇悉地経
 蘇悉地羯羅経の略。唐の善無畏訳3巻。真言三部経の一つ。持誦・灌頂などが明かされ、妙果成就の法が説かれている。
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菩提心論
 「金剛頂瑜伽中発阿耨多羅三藐三菩提心論」の略。竜樹菩薩著、不空三蔵の訳と伝えられている。精神統一によって菩提心を起こすべきことを説き、即身成仏の唯一の方法と強調する。顕密二教の勝劣を説くため、真言宗では所依の論としている。大聖人は御書の中で不空の偽作とされている。
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 初めに、本抄の大意と御述作の由来について記しておきたい。
 まず、題号の法華真言勝劣事が示すように、天台宗と真言宗の勝劣。天台宗が勝れ、真言宗が劣ることを明らかにされている書である。その勝劣の判断は天台宗が依りどころとしている法華経と、真言宗が依りどころとしている真言三部経・菩提心論、なかでも大日経とを、比較対照されることによってなされている。
 本抄全体の構成は五つの問答からなっている。
 第一の問答では、真言宗が依りどころとしている経と論とを問い・大日経・金剛頂経・蘇悉地経の三部経と菩提心論であると答えられている。
 第二の問答では、大日経と法華経とではどちらが勝れているのかと問い、法華経は大日経に対して七重、あるいは八重勝れていると答えられている。
 第三、第四、第五の三つの問答は第二の問答の答えに対する真言宗側からの反論とそれへの答えという形式をとりながら、法華経が勝れ大日経が劣ることを詳細に裏づけられている。
 まず、第三の問答では、大日経が法華経に七重・八重劣るとの答えに驚いた真言宗側が、弘法の十住心の立て分けによって法華経は大日経に三重劣るとしていること、覚鑁が法華経を真言の履取りに及ばないと下していること、世間のほとんどの人々が真言密教が勝れ法華経などの顕教を劣っていると信じていること、を挙げて反論している。
 それを受けて、まず、大日経が法華経に劣ること七重・八重であることを、法華経の法師品第10、安楽行品第14の文、無量義経の文、涅槃経の文、妙楽大師の法華玄義釈籤の文、さらに蘇悉地経の文などを引用されて、明らかにされている。
 次いで、弘法の十住心の立て分けに対しては、叡山天台宗の安然が教時義という著書の中で、五点の欠陥を挙げて指摘しており、真言宗はそれに答えられなかったところであると述べられている。また、覚鑁の言い分は全く証拠のない言葉であると一蹴され、世間の人々が真言密教が顕教より勝れていると信じているというのは、弘法を妄信しているだけのことで、仏法については仏説を根拠に判断すべきであると戒められている。
 第四の問答では、前の問答での、仏説を根本としなければならないとの戒めに対し、真言宗は大日経を根拠にしているとして、大日経等が法華経に勝れている所以を述べている。
 まず、説法する仏の位であるが、大日経の教主である大日如来が、世界の中央に位置する法身仏で無始無終であるのに対して、法華経は釈迦仏の応身仏にすぎないとしている。
 次いで、説かれた場所であるが、大日経等が法界宮や色究竟天、他化自在天であるのに対し、法華経は地上の霊鷲山に過ぎないとし、また、説く相手については、大日経等の対告衆が菩薩であるのに対し、法華経は二乗にすぎない、としている。
 更に、釈迦仏は大日如来に劣るという理由として、釈迦仏は大日如来の化身であるとか、成道の時には大日如来から唵字の観法を教えられて仏に成ることができた、としている。以上の点から、真言経が法華経に勝れているとの反論を企てている。
 これに答えて、まず大前提として「依法不依人」の金言によって、どこまでも人に依るのではなく法に依るべきであることを強調されている。
 そのうえで、釈迦仏と大日如来の勝劣については、金光明経・最勝王経・金剛頂経に「中央釈迦牟尼仏」とあることを挙げ、中心となる仏は釈迦仏であり、大日経も釈迦仏が大日如来となって説かれたものであると述べられている。そして、毘盧遮那・盧遮那という梵語の検討、その漢語である旧訳・新訳の相違を通して、反論でいう“大日法身”が他受用身であって法華経の自受用報身にも及ばず、ましてや法華経の法身如来に及ばない、と破られている。
 しかも、大日法身の説法ということに言及され、弘法は楞伽経によってこの珍説を立てているが、楞伽経自体、釈尊の説であり、かつ、未顕真実の権教であるから大した説でないと述べられ、そもそも「法身」が説法することはありえないと破折されている。無始無終ということについては、大日経には明らかに「始成」ととかれていること、その成道して以来の年数も明らかにされていないことを指摘して斥けられている。
 また、大と日経等の説処が法界宮・色究竟天・他化自在天であることは何も特別な意味はなく、法華宗が別教の仏の説処として見くだしているものにすぎない、と答えられている。次いで、対告衆であるが、大日経等は菩薩のために説かれているから高い経としているが、例えば菩薩だけに説かれた華厳経は、それゆえにこそ法華経が方便なのであって、仏の出世の本意は最も成仏しがたい二乗を仏にするところにあるのだから、二乗作仏を説く法華経こそ密教であり、これを説かない真言三部経は顕教になるとされ、真言宗の密教・顕教を破られている。
 最後に、釈迦仏は大日の化身であるとか、釈尊は大日に唵字を教えられ仏になることができた、という点に対しては、この説がひとえに六波羅蜜経によったものであうこと、この経は釈尊の説で未顕真実の権教であることを指摘されて、未顕真実の経をもって法華経を下す非を責められている。
 第五の問答では、それでもなお真言宗側は、大日経には印・真言・三摩耶尊形が説かれているのに対し、法華経にはないこと、亊理俱密とは真言のみであること、真言三部経は釈迦一代五時の外にあること、弘法大師が法華経を無明の辺域、戯論の法であると述べていること、を挙げて法華経より真言が勝れている、と反論する。
 これに対して、印相や尊形にこだわるのは権教の特色であり、大事なのは教法の浅深でると破られている。
 次いで、事理俱密については、亊・理といっても理の内容が肝要であること、したがってその上で出てくる事も、法華経の「事」は大日経の事とは比較にならない勝れたものであること述べられている。
 更に、真言三部経が釈尊一代五時に属さないとの言い分に対しては、一代五時を離れて仏法はありえないとされ、もし釈迦仏とは別に大日如来が現れて法華経を説いたとすれば大日は釈迦仏の統領とする国を乱したことになる、と破折されている。
 最後の、弘法大師は法華経を無明の辺域、戯論の法としているという点に対しては、弘法がその証拠としている釈摩訶衍論は竜樹の著作であるが、釈尊の弟子である竜樹が釈尊が一代第一と定めた法華経を戯論の法と下すことはありえず、用いるに足りない、と破られている。
 以上、本抄の大意を述べてきたが、本抄後述作の年は文永7年(1270)である。同年には真言七重勝劣事を後述作されている。なお、本抄の御真筆は存在しない。
 ところで、第一の問答では、前述したように、まず、真言宗が依りどころとする経典と論書が明らかにされるが、これは天台宗が勝れ、真言宗が劣ることを明らかにするにあたり、まず、初めに、真言宗が根本の依処としている経・論は何なのかを明らかにされたのである。

0134:02~0134:03 第二章 法華経が大日経に七八重勝るを示すtop
02              問う大日経と法華経と何れか勝れたるや、 答う法華経は或は七重或いは八重の勝なり
03 大日経は七八重の劣なり、 
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 問う。大日経と法華経とどちらが勝れているのか。答える。法華経はあるいは七重あるいは八重の勝れ。大日経は七重・八重に劣っている。

法華経
 大乗経典の極説、釈尊一代50年の説法中、最も優れた経典である。漢訳には「六訳三存」といわれ、「現存しない経」①法華三昧経 六巻 魏の正無畏訳(0256年)②薩曇分陀利経 六巻 西晋の竺法護訳(0265年)③方等法華経 五巻 東晋の支道根訳(0335年)「現存する経」④正法華経 十巻 西晋の竺法護訳(0286年)⑤妙法蓮華経 八巻 姚秦の鳩摩羅什訳(0406年)⑥添品法華経 七巻 隋の闍那崛多・達磨芨多共訳(0601年)がある。このうち羅什三蔵訳の⑤妙法蓮華経が、仏の真意を正しく伝える名訳といわれており、大聖人もこれを用いられている。説処は中インド摩竭提国の首都・王舎城の東北にある耆闍崛山=霊鷲山で前後が説かれ、中間の宝塔品第十一の後半から嘱累品第二十二までは虚空会で説かれたことから、二処三会の儀式という。内容は前十四品の迹門で舎利弗等の二乗作仏、女人・悪人の成仏を説き、在世の衆生を得脱せしめ、宝塔品・提婆品で滅後の弘経をすすめ、勧持品・安楽行品で迹化他方のが弘経の誓いをする。本門に入って涌出品で本化地涌の菩薩が出現し、寿量品で永遠の生命が明かされ「我本行菩薩道」と五百塵点劫成道を示し文底に三大秘法を秘沈せしめ、このあと神力・嘱累では付嘱の儀式、以下の品で無量の功徳が説かれるのである。ゆえに法華経の正意は、在世および正像の衆生のためにとかれたというより、末法万年の一切衆生の救済のために説かれた経典である。(二)天台の摩訶止観(三)大聖人の三大秘法の南無妙法蓮華経のこと。
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 第二の問答である。
 天台宗と真言宗の勝劣を明らかにするにあたり、それぞれの宗が依りどころとする経典の勝劣を明らかにされているところである。天台宗が根本の依りどころとする経典は法華経であり、法華宗のそれは真言三部経と菩提心論であるが、その中から、最も著名な大日経を代表として取り上げられている。
 ここでは、まず、法華経が大日経に比べて七重あるいは八重勝っていると結論されている。
 なぜ、このような結論になるのかについては、この後の三つの問答によって詳細に展開されていくのである。

0134:03~0134:05 第三章 諸師の鎮護国家の三部経を挙げるtop
03              難じて云く驚いて云く古より今に至るまで法華より真言劣ると云う義都て之無し 之に
04 依つて 弘法大師は十住心を立てて 法華は真言より三重の劣と釈し給へり 覚鑁は法華は真言の履取に及ばずと釈
05 せり打ち任せては 密教勝れ顕教劣るなりと世挙つて此を許す 七重の劣と云う義は甚珍しき者をや、
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 驚いて難詰していう。昔より今に至るまで、法華経よりも真言経が劣るという義は全くない。これによって弘法大師は十住心を立てて法華は真言よりも三重に劣っていると釈され、覚鑁は法華は真言の履物取るにも及ばないと釈している。世間はこれらの釈に任せて、こぞって密教は勝れ顕教は劣っていると認めているのである。真言経が七重に劣っているという義は非常に珍しいのではないか。

弘法大師
 (0774~0835)。平安時代初期、日本真言宗の開祖。諱は空海。弘法大師は諡号。姓は佐伯氏。幼名は真魚。讃岐国(香川県)多度郡の生まれ。桓武天皇の治世、延暦12年(0793)勤操の下で得度。延暦23年(0804)留学生として入唐し、不空の弟子である青竜寺の慧果に密教の灌頂を禀け、遍照金剛の号を受けた。大同元年(0806)に帰朝。弘仁7年(0816)高野山を賜り、金剛峯寺の創建に着手。弘仁14年(0823)東寺を賜り、真言宗の根本道場とした。仏教を顕密二教に分け、密教たる大日経を第一の経とし、華厳経を第二、法華経を第三の劣との説を立てた。著書に「三教指帰」3巻、「弁顕密二教論」2巻、「十住心論」10巻、「秘蔵宝鑰」3巻等がある。
———
十住心
 弘法が十住心論を著して立てた教判。大日経十住心品に十種の衆生の心相があるとして、それに世間の道徳・諸宗を当てはめ、菩提心論によって顕密の勝劣を判じ、真言宗が最高の教えであることを示そうとしたもの。異生羝羊心・愚童持斎心・嬰童無畏心・唯蘊無我心・抜業因種心・他縁大乗心・覚心不生心・一道無為心・極無自性心・秘密荘厳心をいう。
———
三重の劣
 弘法が十住心の中の第八・一道無為心を法華経、第九・極無自性心を華厳経、第十・秘密荘厳心を大日経とし、法華経は華厳経よりも劣り、さらに大日経に比べると三重の劣であるとしていること。
———
覚鑁
 (1095~1144)。平安時代後期の真言宗の僧。真言宗中興の祖にして新義真言宗始祖。諡号興教大師。肥前国藤津庄(現:佐賀県鹿島市納富分)生まれ。父は伊佐平治兼元、母は橘氏の娘。平安時代後期の朝野に勃興していた法然らの念仏思想を、真言教学においていかに捉えるかを理論化した「密厳浄土」思想を唱え、「密教的浄土教」を大成した。即ち、西方浄土教主阿弥陀如来とは、真言教主大日如来という普門総徳の尊から派生した、別徳の尊であるとした。真言宗の教典中でも有名な『密厳院発露懺悔文』、空思想を表した『月輪観』の編者として著名。また、日本に五輪塔が普及する切っ掛けとなった『五輪九字明秘密釈』の著者でもあった。
———
法華は真言の履取に及ばず
 覚鑁が舎利講式の中で著し法華経を誹謗した語。
———
密教
 呪術や儀礼、行者の憑依、現世肯定・性的要素の重視などを特徴とする神秘的宗教。インドにおいてヒンズー教の発展と密接な関係を持ち、大乗仏教と融合し、ネパール・チベット・中国・日本などに伝播していった。秘密仏教ともいう。真言宗の説く邪義がこれにあたる。
———
顕教
 「けんきょう」「けんぎょう」とも読む。文字の上にあらわに説き示された教え。真言宗では応身の釈迦仏が説いた法華経を「顕教」とし、法身の大日如来が説いた教法を密教とするという邪義を立てている。
—————————
 第三問答の問いの部分で、前の問答で答者が大日経は法華経に比べて七重・八重に劣ると結論されたことに対して、いまだかってそんなことは聞いたことがないというのである。
 ここでは三つの反論がされている。 
 まず、先の結論に対して、真言経が法華経に劣るという説は昔より今に至るまで全くないものであると驚き、むしろ自分たちが聞いてきたのは、
    ①弘法大師が立てた十住心の階位の中で、法華経を真言経より三重に劣っていると位置づけている。
    ②覚鑁が法華は真言の履物取りにも及ばない、といっている。
    ③一般世間の人々も密教が勝れ顕教は劣ると思っている。
 などから、真言経が法華経に比べて七重劣るということは非常に珍しいと思っている。
 ところで、前の問答では、法華経と大日経との勝劣を述べられているのであるが、ここでは、顕教と密教に置き換えられていることに意を止めたい。
 この場合、顕教が法華経を、密教が大日経をそれぞれ表していることはいうまでもない。もちろん、この顕教、密教のとらえかたは真言宗側の把握にすぎず、真実のとらえかたは後で明らかにされている。
 ここで問者に、法華経が大日経より勝れるとは珍しい主張であると驚かせているのは、次に示される法華難信難解への布石となっているのであるが、同時に真言宗の邪義が当時の日本にいかに深く浸透していたかを示され、それを打ち破って法華最勝の正義に目覚めさせることが容易ではないことを暗示されていると拝せられよう。

0134:05~0135:04 第四章 真言が七重八重劣る理由を示すtop
05                                                答う真言は
06 七重の劣と云う事 珍しき義なりと驚かるるは理なり、 所以に法師品に云く 「已に説き今説き当に説かん而も其
07 の中に於て此の法華経は最も為れ難信難解なり」云云、 又云く「諸経の中に於て最も其の上に在り」云云、 此の
08 文の心は法華は一切経の中に勝れたり此其一、次に無量義経に云く「次に方等十二部経摩訶般若華厳海空を説く」云
09 云、又云く「真実甚深甚深甚深なり」云云、 此の文の心は無量義経は諸経の中に勝れて 甚深の中にも猶甚深なり
10 然れども法華の序分にして機もいまだなましき故に正説の法華には劣るなり此其二、 次に涅槃経の九に云く「是の
11 経の世に出ずるは彼の果実の利益する所多く 一切を安楽ならしむるが如く能く衆生をして仏性を見せしむ、 法華
12 の中の八千の声聞記ベツを得授するが如く大果実を成じ秋収冬蔵して 更に所作無きが如し」云云、 籤の一に云く
13 「一家の義意謂く二部同味なれども然も涅槃尚劣る」云云、 此の文の心は涅槃経も醍醐味・法華経も醍醐味同じ醍
14 醐味なれども涅槃経は尚劣るなり 法華経は勝れたりと云へり、 涅槃経は既に法華の序分の無量義経よりも劣り醍
15 醐味なるが故に華厳経には勝たり此其三、 次に華厳経は最初頓説なるが故に般若には勝れ涅槃経の醍醐味には劣れ
0135
01 り此其四、 次に蘇悉地経に云く「猶成ぜざらん者は或は復大般若経を転読すること七遍」云云、此の文の心は大般
02 若経は華厳経には劣り蘇悉地経には勝ると見えたり此其五、 次に蘇悉地経に云く「三部の中に於て此の経を王と為
03 す」云云、 此の文の心は蘇悉地経は大般若経には劣り大日経金剛頂経には勝ると見えたり此其六、此の義を以て大
04 日経は法華経より七重の劣とは申すなり法華の本門に望むれば八重の劣とも申すなり。
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 答える。真言経が七重に劣っているということは珍しい義であると驚かれるのはもっともである。それゆえ、法華経理法師品第十に「すでに説いた経、今説いている経、まさに説こうとしている経があるが、その中でこの法華経は最も難信難解である」とあるのである。また安楽行品第十四に、「諸経の中で最上に位置している」とある。この文の意は、法華経が一切の経に対して勝れているということである。(これが第一の理由である)
 次に無量義経には「次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説く」とあり、また「真実に甚深であり甚深甚深である」とある。この文の意は無量義経は諸経に対して勝れていて甚深のなかでも特に甚深であるけれども法華経の序分で衆生の機根もいまだ熟していないがゆえに正宗分の説法である法華経には劣るということである。(これが第二の理由である)
 次に涅槃経の巻九に「この経が世、果実が多くの利益をもたらして一切の人々を安楽にさせるように、衆生の仏性を見いださせるためである。法華経の中の八千人の声聞が記別を得て大果実を成じるようなことは、秋に収め冬に蔵してしまって、もはやなすべきことがないようなものである」とあり、法華玄義釈籤の巻一に「天台一家の意義をもって考えると、法華経と涅槃経の二部は同味であるけれども、なお涅槃経は劣っている」とある。この文の意は、涅槃経も醍醐味で法華経も醍醐味であって醍醐味であるけれども涅槃経はなお劣り、法華経は勝れているということである。涅槃経は既に法華経の序分の無量義経よりも劣り、醍醐味であるがゆえに華厳経よりも勝れているのである。(これが第三の理由である)
 次に華厳経は最初に直ちに仏の悟りが説かれたものであるがゆえに般若経よりも勝れ、涅槃経の醍醐味よりも劣るのである。(これが第四の理由である)
 次に蘇悉地経に「それでもなお成就しない者は…あるいはまた大般若経を七遍、読みなさい」とある。この文の意は大般若経は華厳経には劣り、蘇悉地経には勝るということを述べているのである」(これが第五の理由である)
 次に蘇悉地経に「三部の中で、この経を王とする」とある。この文の意は蘇悉地経は大般若経には劣り、大日経と金剛頂経よりも勝るということを述べているのである。(これが第六の理由である)
 以上の義から大日経は法華経よりも七重の劣っているというのである。法華経の本門に比べれば八重に劣っているといえるのである。

法師品
 法華経法師品第十のこと。法華経迹門の流通分にあたる。一念随喜と法華経を持つ者の功徳を明かし、室・衣・座の三つをあげ滅後の弘教の方軌を説いている。
———
難信難解
 法師品には「我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経、最も為れ難信難解なり」とある。信じがたく解しがたいとで、法華経の信解は及びもつかないほど甚深の義があることを言いあらわしている。易信易解に対する語。
———
無量義経
 一巻。蕭斉代の曇摩伽陀耶舎訳。法華経の開経とされる。内容は無量義について「一法より生ず」等と説き、この無量義の法門を修すれば無上正覚を成ずることを明かしている。
———
方等十二部経
 方等部の経々。大乗教の一切を意味する場合もある。
———
摩訶般若
 摩訶般若波羅蜜経のこと。「大品般若経」ともいう。27巻からなり、羅什の訳。
———
華厳海空
 華厳経の法門。華厳の教相を海空のたとえによってあらわした語。海空は海印三昧のことで、一切の事物の像が海中に映るごとく、仏の智海が一切の法をはっきりと映し出して覚知できることをいう。菩薩がこの三昧をえると、一切衆生の心行を己心に映すことができるようになるとされる。華厳経が仏の海印三昧の境地で説かれた経であることをさす言である。ここでは華厳経そのものを指した語。
———
序分
 経典等の序論となる部分。
———

 説法を受ける所化の衆生の機根。
———
正説
 ①正しく説くこと。②経典の本論となる部分。
———
涅槃経
 釈尊が跋提河のほとり、沙羅双樹の下で、涅槃に先立つ一日一夜に説いた教え。大般涅槃経ともいう。①小乗に東晋・法顯訳「大般涅槃経」2巻。②大乗に北涼・曇無識三蔵訳「北本」40巻。③栄・慧厳・慧観等が法顯の訳を対象し北本を修訂した「南本」36巻。「秋収冬蔵して、さらに所作なきがごとし」とみずからの位置を示し、法華経が真実なることを重ねて述べた経典である。
———
仏性
 無始無終に存続している仏になる性分。
———
八千の声聞
 勧持品に説かれている。釈尊の8000人の声聞が記莂を受けたこと。
———
記莂
 仏が弟子の未来における成仏を予言すること。弟子が未来世に仏になった時の名・国・劫などを記して予言すること。
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 妙楽大師湛然の法華玄義釈籤のこと。十巻。妙法蓮華経玄義釈籤の略称で、天台法華釈籤、法華釈籤、釈籤、玄籤ともいう。天台大師の法華玄義の注釈書。妙楽大師が天台山で法華玄義を講義した時に学徒の籤問に答えたものを基本とし、後に修訂を加えて整理したもの。法華玄義の本文を適当に分けて大小科段を立て、順次文意を解釈し、天台大師の教義を拡大補強している。
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二部
 法華経と涅槃経等、二部の経典をいう。
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醍醐味
 ①蘇を精製してとる液で、濃厚甘味。薬用などにもする。②天台大師が一切経を五時の教判に約して、法華涅槃を醍醐味とたてたこと。③真言宗では自宗のことを醍醐とする邪義を立てている。
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頓説
 頓教の説法のこと。衆生を教化するに際して、誘引の手段を用いず、直ちに内証の悟りを説く方式。
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般若
 般若波羅蜜の深理を説いた経典の総称。漢訳には唐代の玄奘訳の「大般若経」六百巻から二百六十二文字の「般若心経」まで多数ある。内容は、般若の理を説き、大小二乗に差別なしとしている。
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大般若経
 般若経のこと。大品・光讃・金剛・天王門・摩訶の五般若からなり、仁王般若を結経とする。釈尊が方等部の説法を終わり、法華経を説くまでの間に説いた経文で、説処は鷲峰山・白露池。訳には鳩摩羅什の「大品般若経」四十巻と玄奘三蔵の「大般若経」六百巻がある。前者を旧訳・後者を新訳という。般若波羅蜜の深理を説いた経典の総称で般若の理を説き、大小二乗に差別なしとしている。
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三部
 ①胎蔵界の諸尊を三種にまとめた部位。仏部・蓮華部・金剛部のこと。仏部とは理智の二種をそなえた仏の覚りをあらわし、蓮華部は仏の大悲をあらわし、金剛界では五部(仏部・金剛部・宝部・蓮華部・竭磨部)を立てるが、これは胎蔵界の三部と等しく、会合の異なりにすぎないとしている。②台密では金剛界・胎蔵界・蘇悉地法を三部の秘法という。③三部経のこと。
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本門
 仏の本地をあらわした法門のこと。迹門に対する語。法華経28品を前後に分け後14品を本門とする。迹門は諸法実相に約して理の一念三千を説き、本門では釈尊の久遠実成の本地を明かし、因果国に約して仏の振舞の上から事の一念三千が示されている。また本門の中心となる寿量品では、釈尊は爾前迹門で説いてきた始成正覚の考えを打ち破って、実は五百塵点劫という久遠の昔に常道していたことを説き、成道の根本原因、本因・本果・本国土の三妙を合わせて明かし、成仏の実践を説いている。
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 まず、先に「珍し」と問者が言ったことに対して「理なり」とされ、だからこそ法華経の法師品に「已に説き今説き当に説かん…難信難解なり」とあるではないかと答えられている。
 次いで、真言が法華経に比べ七重劣っていることを①法華経・②無量義経・③涅槃経・④華厳経・⑤般若経・⑥蘇悉地経・⑦大日経・金剛頂経の順で裏づけの文証を一つ一つ挙げられながら展開されている。なお、①法華経を本門と迹門に分けて、法華経本門から見た場合、大日経は八重の劣となる。
 さて、法華経を第一とし、大日経を第7あるいは第8に位置づけられる基準はどこに置かれているのであろうか。
 まず、言えることは①法華経・②無量義経・③涅槃経・④華厳経・⑤般若経までは天台大師の五時の法門を踏まえられての順になっているということである。
 一代聖教大意に「私に云く説の次第に順ずれば華厳.阿含.方等.般若.法華.涅槃なり,法門の浅深の次第を列ぬれば阿含.方等.般若・華厳・涅槃・法華と列ぬべし」(0397-04)と説かれているとおりである。これによれば、五時の次第の法門を深きより浅きに並べると、法華→涅槃→華厳→般若→方等→阿含、という順序になる。
 このうち、ここは真言経典は一応大乗で、小乗に対しては勝れるから、阿含は省かれる。更に、ここでは無量義経が法華経の序分ということから、これを法華経と涅槃経との間に位置づけされている。
 それで、法華→無量義→涅槃→華厳→般若→方等という次第となり、この順序でいくと、本文⑥蘇悉地経・⑦大日経・金剛頂経の真言三部経は結局、最も浅い教えである方等の中に入ることになるが、この点については後に明らかにされる。
法師品に云く「已に説き今説き当に説かん而も其の中に於て此の法華経は最も為れ難信難解なり」云云、又云く「諸経の中に於て最も其の上に在り」云云
 両文とも法華経が一切経の中で最も勝れて第一であることを裏づける文証であるが、法華経法師品第10の文は、先の問者の驚きも「理なり」という理由としての意義も含められている。つまり「難信難解」であるゆえに、世間から広く支持されていないのであり、問者もまた驚くのであるということである。
 同時に「最も為れ難信難解なり」ということは、法華経が最も勝れるということである。最も勝れるとは最も深秘ということであるからである。
 ところで、この「已今当」について、天台大師が“已に説き”は、既に説かれた経ということで、華厳経・般若経・方等経などの爾前40余年の間に説かれた諸経をさし、“今説き”が今現在、説いたばかりの開経・無量義経をさし、“当に説かん”はこれから説かれるであろう経で、涅槃経をさすと釈していることは周知のとおりである。
 法師品の文は「其の中に於て此の法華経」とあるのであるから、法華経も「已今当」の中に含まれると考え、「今説」に配するのが自然であろうが、超出の義を強調する意味から、法華経を已今当と対峙する関係で位置づけられたと考えられる。
 大聖人も報恩抄で「法華経の文には已説・今説・当説と申して此の法華経は前と並との経経に勝れたるのみならず 後に説かん経経にも勝るべしと仏定め給う」(0300-07)と仰せられているように、この天台大師の解釈を踏まえられている。
 次の法華経安楽行品第14の「文殊師利、此の法華経は、諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於いて、最も其の上に在り」という文は、まさに法華経第一を端的に述べている。
 無量義経に云く「次に方等十二部経摩訶般若華厳海空を説く」云云、又云く「真実甚深甚深甚深なり」云云、此の文の心は無量義経は諸経の中に勝れて甚深の中にも猶甚深なり然れども法華の序分にして機もいまだなましき故に正説の法華には劣るなり
 初めの文は無量義経説法品第2の文で、仏が菩提樹の下で悟って以来、説いてきた教えの高低浅深を明らかにする中の一節である。そこには、初めに四諦の法門を説いた後、十二因縁の法門を説き、次いで、方等十二部経、摩訶般若、華厳海空を説き、そして今、大乗無量義経を説法するという次第で説いて」きたことが述べられている。
 ここで、四諦、十二因縁の法門は小乗教であるので、大聖人はこれを外して引用されたのである。この順序が説時でないことは、最初に説かれた華厳経が般若よりあとに挙げられていることから明らかで、そこからこれは、教法の高低浅深の順を示していることが分かるのである。方等十二部経は方等部に属する大乗経典の全てであり、摩訶般若は般若部、華厳海空は華厳部をさしている。これらの諸経の後に、大乗無量義経を説くと述べているから、無量義経が方等・般若・華厳より高い経であることは明らかとなる。
 次の文は無量義経十功徳品第3の文で、大荘厳菩薩が仏の説いた無量義経を微妙甚深、無上大乗、真実甚深、甚深甚深、と形容して賛嘆しているところである。 以上の二つの問から、無量義経が方等・般若・華厳より高い教えとされていることが明らかとなる。
 しかし、無量義経と法華経の関係については、無量義経が法華経を説くための開経であり序分であること、この経を聞く衆生の機根もまだ熟していないことから、正宗分の法華経には劣ると位置づけられている。
 以上によって、無量義経が法華経の次に位置し、諸大乗経に勝ることを明白にされたのである。
次に涅槃経の九に云く「是の経の世に出ずるは彼の果実の利益する所多く一切を安楽ならしむるが如く能く衆生をして仏性を見せしむ、法華の中の八千の声聞記莂を得授するが如く大果実を成じ秋収冬蔵して更に所作無きが如し」云云、籤の一に云く「一家の義意謂く二部同味なれども然も涅槃尚劣る」云云、此の文の心は涅槃経も醍醐味・法華経も醍醐味同じ醍醐味なれども涅槃経は尚劣るなり法華経は勝れたりと云へり、涅槃経は既に法華の序分の無量義経よりも劣り醍醐味なるが故に華厳経には勝たり
 初めの文は涅槃経如来性品第4の6の文である。
 ここでは、涅槃経説法の意義が、ちょうど果実が多くの利益をもたらして一切の人々を安楽にさせるように、衆生に仏性を見いだせるためである。法華経の中で8000人の声聞が未来成仏の記別を得て大果実を成じるようなことは、秋に取り入れ、冬に取り込んでしまって、もはやなすべきことがないようなものであるという意味である。
 大聖人は報恩抄において同じ文を引用された後、次のように述べられている。すなわち「経文明に諸経をば春夏と説かせ給い涅槃経と法華経とをば菓実の位とは説かれて候へども法華経をば秋収冬蔵の大菓実の位・涅槃経をば秋の末・冬の始捃拾の位と定め給いぬ、此の経文正く法華経には我が身劣ると承伏し給いぬ」(0300-05)と。
 一切経を植物の成長にたとえると、法華・涅槃以外の諸経は春夏の成長期にあたるのに対し、法華経と涅槃経は果実の位にあたる、だが、同じ果実の位でも法華経は秋に取り入れ、冬に取り込んでしまった大果実の位であるのに対し、涅槃経は秋の終わり、冬の始めの落穂拾いの位であると定め、涅槃経自身が法華経に劣ることを明らかにした文であることを述べられている。
 次の「籤の一」は妙楽大師の法華玄義釈籤の文で、天台宗の教理では法華経と涅槃経の二部はともに同じ醍醐味の教えではあるが、その中では法華経が勝り涅槃経の方が劣るという意である。
 涅槃経の文と法華玄義釈籤の文の二文によって、涅槃経が法華経に劣ることは明白であるが、涅槃経と無量義経を比べると、涅槃経は法華経の開経である無量義経には劣るとされ、しかも法華経と同じ醍醐味であるから涅槃経には勝ると決定されている。
 ここで、法華経と無量義経と涅槃経はともに醍醐味でありながら、三部の勝劣は①法華経・②無量義経・③涅槃経という順になるのである。
 ところで、真言七重勝劣事、一代五時継図では、①法華経は変わらないが、②涅槃経・③無量義経の順となっている。
 つまり、無量義経と涅槃経とでは同じ醍醐味であるだけに、その勝劣は微妙であることが分かる。法華経との関係において、開経、序分としての立場を重く捉えると無量義経が勝り、法華経の説を重ねて説いたものということを重視すると涅槃経が勝る、ということであろう。
次に華厳経は最初頓説なるが故に般若には勝れ涅槃経の醍醐味には劣れり
 華厳経が涅槃経に劣り般若経に勝れているということを明らかにされているところである。華厳経に勝る理由として「頓説」であることを挙げられている。
 天台大師は仏の衆生教化のあり方に頓教・漸教・秘密教・不定教の四種あることを述べている。このうち頓と漸は相反する概念で、漸教とは衆生の機根に合わせて次第に真実へと誘引する説き方であり、それによって説かれた法のことを「漸説」というのに対し、頓教は次第に誘引するのではなく、直ちに内証の悟りを説く方式をいい、また、これによって説かれた法のことを「頓説」という。「秘密」は衆生がそれぞれ異なった理解と利益を得て互いを知らずにいるような説き方であり、「不定」は聞く衆生の機根によって理解がさまざまで互いに知っているような説き方をいう。
 頓・漸を釈尊一代の説法にあてはめると、頓説は仏が成道の後、最初に説いた華厳時の教えに当たり、漸説は阿含・方等・般若時の教えにあたる。法華経は頓・漸・秘密・不定の教えと、教理の内容によって分けた蔵・通・別・円の四つをすべて包み超えているので「超八の円」とも「超八の醍醐」ともいう。
 以上から、華厳経と般若経とでは頓説の華厳経が勝り、漸説の般若経が劣る。しかし、その華厳経も醍醐味に入る涅槃経には劣るから、③涅槃経・④華厳経・⑤般若経の順が確定するのである。
次に蘇悉地経に云く「猶成ぜざらん者は或は復大般若経を転読すること七遍」云云
 真言三部経の一つ、蘇悉地経が般若経より劣ることを裏づける文証である。
 この文は蘇悉地羯羅経巻中の成就具支法品第17から引用されている。真言七重勝劣事にはより詳しく引用されている。
 蘇悉地とは「妙成就」「見事な完成」の意味で、この個所は、そのための修行の方法を種々に述べているくだりの一節である。今、前後を含めて引用すると「又更に念誦して成就の法を作せ。是くの如く七遍を経満して猶成ぜずんば、当に此の法を作すべし、決定として成就せん。所謂乞食・精勤・念誦・発大恭敬・巡八聖跡・礼拝行道なり。或は復、大般若経七遍、或は一百遍を転読し」とある。
 ここでは、蘇悉地経で説くところの真言の念誦を行じて、なお完成に至らなかったならば、更に乞食行を勤めたり、念誦したり、大恭敬を発したり、八聖跡を巡って礼拝行道をしたり、あるいはまた、大般若経を七遍、あるいは百遍読誦しなさいと勧めている。
 真言七重勝劣事では同経巻下の「三時には常に大乗般若等の経を読め」という文も引用されているが、以上からも、蘇悉地経では及ばない場合は般若経を読誦せよというのであるから、これは般若経のほうが勝れているということになるのである。
 かくして、⑤般若経・⑥蘇悉地経の順が確定したことになる。
次に蘇悉地経に云く「三部の中に於て此の経を王と為す」云云
 蘇悉地羯羅経巻上の請問品第一の文である。
 本来、真言密教における三部とは胎蔵界の諸尊を三種にまとめた仏部・蓮華部・金剛部のことで、仏部は理智の二徳を具えた仏の悟りを表し、蓮華部は仏の大悲を表し、金剛部は仏の大智を表すとされている。これに対し、金剛界は諸尊を五部にまとめるが、ここにも三部経は含まれており、これと胎蔵界の三部とは、等しいもので、ただ開合の異なりにすぎないとしている。
 同経同品の別の個所では「此経を通じて三部所作の曼荼羅の法を摂す」とあり、蘇悉地経が三部からなる漫荼羅の法を包摂している経であるとしている。
 ところで、胎蔵界を説いたのが大日経であり、金剛界を説いたのが金剛頂経であるから、結局、「三部の中に於て此の経を王と為す」とは蘇悉地経はそれぞれ三部を説いている大日・金剛頂経の二経に勝っているということになるので、真言三部経の中の王と位置づけられるのである。かくして、⑥蘇悉地経・⑦大日経・金剛頂経となり、大日経は法華経よりも七重の劣となるのである。

0135:05~0135:12 第五章 弘法と覚鑁の謬見を破折するtop
05   次に弘法大師の十住心を立てて法華は三重劣ると云う事は 安然の教時義と云う文に十住心の立様を破して云く
06 五つの失有り謂く 一には大日経の義釈に違する失・二には金剛頂経に違する失・三には守護経に違する失・四には
07 菩提心論に違する失・五には衆師に違する失なり、 此の五つの失を陳ずる事無くしてつまり給へり、 然る間法華
08 は真言より三重の劣と釈し給へるが大なる僻事なり 謗法に成りぬと覚ゆ、 次に覚鑁の法華は真言の履取に及ばず
09 と舎利講の式に書かれたるは舌に任せたる言なり 証拠無き故に専ら謗法なる可し、 次に世を挙げて密教勝れ顕教
10 劣ると此を許すと云う事 是れ偏に弘法を信じて法を信ぜざるなり、 所以に弘法をば安然和尚五失有りと云うて用
11 いざる時は 世間の人は何様に密教勝ると思ふ可き 抑密教勝れ顕教劣るとは何れの経に説きたるや 是又証拠無き
12 事を世を挙げて申すなり、 
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 次に弘法大師が十住心を立てて法華経は真言経よりも三重に劣っているといっていることについていえば、安然の教時義という書には、十住心の立の立て方を破折るして「これに五つの誤りがある。一には大日経の義釈に相違する誤り、二には金剛頂経に相違する誤り、三には守護経に相違する誤り、四には菩提心論に相違する誤り、五には多くの師に相違する誤りである」と述べている。この五つの誤りについて、弘法の門下は弁明することができずに答えに詰まってしまったのである。
 それなのに、法華経は真言経よりも三重に劣っていると釈することは大きな間違いであり謗法になると思われる。
 次に覚鑁が法華経は真言経の履物取りにも及ばないと舎利講の式に書いているのは、舌に任せた勝手な言い分であり、証拠がないのであるから、ひとえに謗法となるであろう。
 次に世を挙げて、密教が勝れ顕教が劣っていると認めているということについていえば、これはひとえに弘法を信じて法を信じているわけではないのである。
 ゆえに安然和尚が五つの誤りがあるといって、弘法を用いないときは、世間の人はどのように密教が勝れていると思えるであろうか。
 そもそも、密教が勝れ顕教が劣るということは、どの経に説かれているのか。これまた証拠のないことを世を挙げていっているのである。

安然
 (0841~0915)。天台宗の僧。伝教大師の同族といわれる。はじめ円仁の弟子となり、後に遍照について顕密二教の法を受けた。著述に専念し、天台宗を密教化した。著書は「教時問答」四巻、「悉曇蔵」八巻など多数ある。
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教時義
 4巻。平安時代中期に日本の天台宗の僧である安然の著。正しくは真言宗教時義というが、問答形式をとっているところから真言宗教時問答・教時問答ともいわれる。本書で論ずる真言宗は弘法の東密ではなく、円仁・円珍以来の台密のことで、その教相を理論的に体系づけた書。弘法の十住心論・秘蔵宝鑰などとは対立する台密の教判が述べられている。
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大日経の義釈
 毘盧遮那仏神変加持経義釈のこと。14巻。善無畏述・一行記の大日経を、智儼・温古が校訂したものをいう。天台の釈義を引いて、密経の義を論じている。慈覚・智証が中国から将来した。
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守護経
 中国・唐代の般若と牟尼室利の共著。守護国界主陀羅尼経の略。密教部の経とされる。国主を守護することが、人民を守護することになるとの理を明かし、正法守護の功徳が説かれている。 
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僻事
 道理にあわないこと。事実と違っていること。
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謗法
 誹謗正法の略。正しく仏法を理解せず、正法を謗って信受しないこと。正法を憎み、人に誤った法を説いて正法を捨てさせること。
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舎利講の式
 覚鑁の著で、仏舎利供養の講演をまとめたものである。五編から成るが、この第四門のなかで覚鑁は、法華経は真言の履物取りにもおよばないと、邪義を述べている。
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 ここでは、第三問答での問者の反論、
    ①弘法大師が十住心の階位を立てて、法華経を真言経より三重に劣っていると位置づけている。
    ②弘法の継承者である覚鑁が法華は真言の履物取りにも及ばないといっている。
    ③世間一般の人々も、弘法や覚鑁の説に任せて密教が勝れて顕教は劣ると認めている。
 この3点について、順に破折されている。
 まず、弘法の説は、叡山の安然と教時義という書において破折され、しかも弘法の門下はそれに反発できないでいることを指摘されている。
 次に覚鑁の釈は何の裏づけもなく口から出まかせに言ったものにすぎないと一蹴されている。
 更に、世の中の人々が挙げて、弘法や覚鑁を信じて密教が勝れ顕教が劣っていると認めているのは、弘法という人を信じているのであって、その教えを信じているのではないのであるとその本質を指摘され、密教が勝れ顕教が劣るなどという経文はどこにもないのであるから、人々は証拠もないことを妄信しているにすぎないと破折されている。
弘法大師の十住心を立てて法華は三重劣ると云う事
 「十住心」とは、弘法が大日経の住心品と菩提心論に基づいて、衆生の心の相を十種に分類し、これに世間・外道や諸宗をあてはめて、真言宗が最高の教えであるとした教判である。
    ①異生羝羊住心 異生は凡夫のことで、聖者とは異なる生類で、六道のそれぞれ異なった場所に生まれるから“異生”という。羝羊とは雄羊をさす。凡夫が雄羊のように善悪因果を知らず本能のまま悪行を行う心。
    ②愚童持斎住心 愚かな児童のように生死に迷う凡夫善人が人倫の道を守って五戒・十善等を行う心。
    ③嬰童無畏住心 嬰童と愚童と同じ意味で、外道の教えを聞いて、天上の楽しみを求め修行して畏れを知らない嬰童子供のような心をさす。外道の住心である。
    ④唯蘊無我住心 唯蘊はただ五蘊の法のみ実在するという意味であり、無我はバラモン等で説く霊魂はないとする声聞の位をさす。出世間の住心を説く初門で、小乗声聞の住心。
    ⑤抜業因種住心 業因と種を抜く住心のことで、業因とは悪業の因で十二因縁をさし、種とは無明の種子をさしている。すなわち、十二因縁を観じて悪業と無明を抜く小乗縁覚の住心。
    ⑥他縁大乗住心 他縁とは他の衆生を縁とすることで利他を意味するところから、衆生を救済しようとする大乗の心のことで、法相宗の立場。
    ⑦覚心不生住心 心も境も不生即ち空であることを覚る心で、三論宗の立場。
    ⑧一道無為住心 如実一道心とも如実知自心ともいう。一仏乗を説く天台宗の住心。
    ⑨極無自性住心 究極の無自性・縁起を説く華厳宗の住心。
    ⑩秘密荘厳住心 究極・秘密の真理を悟った真言宗の住心で、大日如来の説で、これによって成仏できる。
 弘法のこの立て分けでいくと、法華経は天台宗の住心である⑧一道無為住心にあたり、⑨極無自性住心にあたる華厳経に劣り、更に⑩の秘密荘厳住心にあたる大日経に三重の劣となる。
 大聖人は、釈迦一代五時継図に、
    「秘蔵宝鑰の上に云く十住心とは、
    一 異生羝羊心 凡夫悪人     二 愚童持斎心 凡夫善人
    三 嬰童無畏心 外  道     四 唯薀無我心 声  聞
    五 抜業因種心 縁  覚     六 他縁大乗心 法 相 宗
    七 覚心不生心 三 論 宗     八 如実一道心 法 華 宗
    九 極無自性心 華 厳 宗     十 秘密荘厳心 真 言 宗」(0649-12)
 としてこれを示され、このように法華経を下げる立て方をすることによって真言師たちは謗法罪を作っていると指摘されている。ここで、8番目が如実一道心で先の一道無為住心と言葉は異なるが内容は全く同じである。
 安然の教時義と云う文に十住心の立様を破して云く五つの失有り謂く一には大日経の義釈に違する失・二には金剛頂経に違する失・三には守護経に違する失・四には菩提心論に違する失・五には衆師に違する失なり
 弘法の十住心の立て分けに関し、日本天台宗の五代院安然が教時義、正確には真言宗教時義、という著書の中で5つの仏法上の誤り、罪があると指摘していることを紹介されている。
 これは真言宗教時義4巻のうち、第2巻に説かれている。すなわち「五失有る故に十心の次第を用いず」として、
    ①大日経及び大日経義釈に違する失。
    ②金剛頂経に違する失。
    ③守護経に違する失。
    ④菩提心論に違する失。
    ⑤衆師の説に違する失。
 を挙げている。
 さてここでは5失の一つ一つについて解説することはしないが、大聖人は法華真言勝劣事において「然るに出す所の大日経の住心品を見て他縁大乗・覚心不生・極無自性を尋ぬるに名目は経文に之有り然りと雖も他縁・覚心・極無自性の三句を法相・三論・華厳に配する名目は之無し、其の上覚心不生と極無自性との中間に如実一道の文義共に之無し、但し此の品の初に『云何なるか菩提・謂く如実に自心を知る』等の文之有り、此の文を取つて此の二句の中間に置いて天台宗と名づけ華厳宗に劣るの由之を存す、住心品に於ては全く文義共に之無し」(0120-06)と述べられている。
 これは安然の指摘する5失のうち、①大日経及び大日経義釈に違する失、にあたる。
 弘法は大日経の住心品の第1の文に基づいて、十住心の立て分けを作ったと称しているのであるが、たしかに他縁大乗・覚心不生・極無自性という意味の言葉は経文にある。しかし、この三句をそれぞれ法相宗・三論宗・華厳宗に配分したのは弘法の独断にすぎないし、更に、覚心不生と極無自性との間に立てた如実一道は、その名前も意義も経にはないのに、住心品の初めに、菩薩とは何であるかとの問いに答えて、如実に自己を知ることである、とのべているのを、弘法は勝手に如実一道という名を作りだして挟み込み、しかもこれを天台宗に割り振ったにすぎない。と大聖人は指摘だれている。
 大聖人は続いて「菩提心論の文に於ても法華・華厳の勝劣都て之を見ざる上、此の論は竜猛菩薩の論と云う事上古より諍論之れ有り、此の諍論絶えざる已前に亀鏡に立つる事は竪義の法に背く、其の上善無畏・金剛智等評定有つて大日経の疏義釈を作れり一行阿闍梨の執筆なり、此の疏義釈の中に諸宗の勝劣を判ずるに法華経と大日経とは広略の異なりと定め畢んぬ」(0121-02)と述べられている。これは、安然指摘の④菩提心論に違する失、⑤衆師の説に違する失、に当たる。
 弘法が十住心の勝劣を判ずるにあたり依った菩提心論自体、果たして竜猛菩薩、すなわち竜樹が著したものであるかについて古来からの論議があり、そのような著作を亀鏡として勝劣を判ずることそれ自身が堅義の法、すなわち法門や教理を立てる原則に違背している。更に、その菩提心論にもない法華・華厳の勝劣を勝手に立てて、菩提心論に違背しているのである。
 また、善無畏等が一行阿闍梨に説いて執筆させたとされる大日経義釈の中では、法華経と大日経との間に勝劣を認めず広・略の異なりだけであるとしているのに、弘法が法華経は大日経の三重の劣であるというのは善無畏や金剛智といった密教の「衆師」に違背していることになるのである。
 ゆえに「空海の徳貴しと雖も争か先師の義に背く可きやと云う難此れ強し」(0121-05)と結ばれているのである。
覚鑁の法華は真言の履取に及ばずと舎利講の式に書かれたるは舌に任せたる言なり
 覚鑁の言葉は舎利供養式という書の中につぎのように記されている。すなわち「第一に法身に帰命して菩提を発すとは、崇高なる不二摩訶衍の仏、露牛の三身の車を扶くることにあたわず。秘奥なるは両部漫荼羅の教、顕乗の四法は履を採るに堪えず」とある。
 覚鑁はここで帰命すべき人と法について顕教と真言密教とを対比した形で法華経等を誹謗している。
 仏に関しては「崇高なるは不二摩訶衍の仏」すなわち法身の大日如来であるとし、これに対し、爾前の教主である釈尊を「露牛の三身」として、衆生を彼岸へ渡す車は引っぱられないと貶めている。また、法に関しては、真言密教の両部漫荼羅の教こそ秘奥であり、それに比べると、顕乗の四法はその履物取りにも堪えないとしている。顕乗とは顕教のことで、四法は法相・三論・華厳・法華の法をさしている。
 そのことを大聖人はこの文を撰時抄に引用されて、次のように釈されているところからも明らかである。すなわち「顕乗の四法は履を採るに堪へず」と云云、顕乗の四法と申すは法相・三論・華厳・法華の四人、驢牛の三身と申すは法華・華厳・般若・深密経の教主の四仏、此等の仏僧は真言師に対すれば聖覚・弘法の牛飼・履物取者にもたらぬ程の事なりとかいて候」(0278-12)と。
 いずれにしても、覚鑁の主張は、何ら経文や道理を裏づけとせず主観的に法華経をけなしているだけなので、大聖人は何の根拠もない舌に任せた言葉にすぎない、と一蹴されている。

0135:12~0135:15 第六章 仏身の対比により真言勝ると難ずtop
12              猶難じて云く大日経等は 是中央大日法身無始無終の如来法界宮或は色究竟天他化自在
13 天にして菩薩の為に真言を説き給へり 法華は釈迦応身霊山にして二乗の為に説き給へり 或は釈迦は大日の化身な
14 りとも云へり、 成道の時は大日の印可を蒙て唵字の観を教えられ 後夜に仏になるなり 大日如来だにもましまさ
15 ずば争か釈迦仏も仏に成り給うべき 此等の道理を以て案ずるに 法華より真言勝れたる事は云うに及ばざるなり、
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 なお難詰していう。大日経等は中央に位置する大日という法身で無始無終の如来が法界宮あるいは色究竟天や他化自在天において菩薩のために真言を説かれたのである。法華経は釈迦という応身の如来が霊鷲山において二乗のために説かれたのである。あるいは釈迦は大日の化身であるともいわれる。釈迦の成道のときは大日の印可を受けて唵字の観を教えられ寅の時に仏になったのである。大日如来がおられなければ、どうして釈迦仏も仏に成られることができたであろう。これらの道理から考えてみると法華経より真言経が勝れていることはいうまでもないことである。

大日
 大日は梵語(mahāvairocana)遍照如来・光明遍照・遍一切処などと訳す。密教の教主・本尊。真言宗では、一切衆生を救済する如来の智慧を光にたとえ、それが地上の万物を照らす陽光に似るので、大日如来というとし、宇宙森羅万象の真理・法則を仏格化した法身仏で、すべて仏・菩薩を生み出す根本仏としている。大日如来には智法身の金剛界大日と理法身の胎蔵界大日の二尊がある。
———
法身
 仏の三身の一つ。真理を身体とする仏。常住普遍の真理もしくは法性そのものをいい、寂光土に住する。三大秘法禀承事には「寿量品に云く『如来秘密神通之力』等云云、疏の九に云く『一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず』等云云」(1022-09)、総勘文抄には「此の三如是の本覚の如来は十方法界を身体と為し十方法界を心性と為し十方法界を相好と為す是の故に我が身は本覚三身如来の身体なり」(0562-01)、四条金吾釈迦仏供養事には「三身とは一には法身如来・二には報身如来・三には応身如来なり、此の三身如来をば一切の諸仏必ずあひぐす譬へば月の体は法身・月の光は報身・月の影は応身にたとう、一の月に三のことわりあり・一仏に三身の徳まします」(1144-08)等とある。
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法界宮
 広大金剛法界宮のこと。大日如来の宮殿で、色界の頂上の色究竟天にあるとされる。
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色究竟天
 阿迦尼吒天・有頂天ともいう。色界十八天のひとつ。色界四禅天の最頂であることから色究竟という。
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他化自在天
 三界における欲界の最高位、且つ六道の天道(天上界)の最下部である、六欲天の第六天。欲界の天主大魔王である第六天魔王波旬の住処。
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真言
 真言宗の三密のなかの語密をいう。真言陀羅尼ともいい、仏の真実のことばをいい、呪文のようなものである。
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応身
 仏の三身の一つ。仏の肉体・または慈悲をあらわす。三大秘法禀承事には「寿量品に云く『如来秘密神通之力』等云云、疏の九に云く『一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず』等云云」(1022-09)、総勘文抄には「此の三如是の本覚の如来は十方法界を身体と為し十方法界を心性と為し十方法界を相好と為す是の故に我が身は本覚三身如来の身体なり」(0562-01)、四条金吾釈迦仏供養事には「三身とは一には法身如来・二には報身如来・三には応身如来なり、 此の三身如来をば一切の諸仏必ずあひぐす譬へば月の体は法身・月の光は報身・月の影は応身にたとう、一の月に三のことわりあり・一仏に三身の徳まします」(1144-08)等とある。
———
霊山
 釈尊が法華経の説法を行なった霊鷲山のこと。寂光土をいう。すなわち仏の住する清浄な国土のこと。日蓮大聖人の仏法においては、御義口伝(0757)に「霊山とは御本尊、並びに日蓮等の類、南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり」とあるように、妙法を唱えて仏界を顕す所が皆、寂光の世界となる。
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二乗
 十界のなかの声聞・縁覚のこと。法華経以前においては二乗界は永久に成仏できないと、厳しく弾呵されてきたが、法華経にはいって初めて三周の声聞(法説周・喩説周・因縁周)が説かれて、成仏が約束されたのである。
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化身
 仏や菩薩が衆生を救うために様々に身を変化して、出現した身影のこと。
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成道
 仏道を成ずること。八相作仏のひとつ。成仏・得道と同義。最高の幸福境涯を得ることをさす。
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印可
 ①師匠が弟子に対して悟りを得たことを証明すること。②免許。
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唵字の観
 法身・報身・化身の三義があるとする唵の字を観ずること。
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後夜
 一日を晨朝・日中・日没・初夜・中夜・後夜に六分した後夜。夜半過ぎから明方まで。
—————————
 ここから第四の問答に入るが、その問いの部分である。
 問者は、この前の第三問答で「真言が勝り法華経が劣る」という自分の考えを破折されたことに対して、なおも、真言が勝るという邪見にこだわっているのである。
 これまでの議論が主として経論釈をともに大日経と法華経の位置付けをめぐってなされてきたのに対して、ここで問者は、大日如来と釈尊の仏身としての比較を持ち出してくるのである。それを整理すると、四点に分けられる。
 まず、大日如来が、
    ①中央に位置する。
    ②法身で無始無終の如来であるのに対し、法華経の釈尊は応身で低い仏に過ぎない。
    ③説処は大日経が法界宮あるいは色究竟天、他化自在天であり、法華経は霊鷲山である。
    ④対告衆は、大日経は菩薩であるのに対し、法華経は説法にすぎない。
    ⑤釈尊は大日の化身であり、釈尊成道の時には大日から唵字の観法を教えられて仏になった。
 などという説を挙げている。

0135:16~0136:06 第七章 大日は釈尊の異名なる事を明かすtop
16 答て云く依法不依人の故に いかやうにも経説のやうに依る可きなり、 大日経は釈迦の大日となつて説き給へる経
17 なり 故に金光明と最勝王経との第一には中央釈迦牟尼と云へり 又金剛頂経の第一にも中央釈迦牟尼仏と云へり大
18 日と釈迦とは一つ中央の仏なるが故に大日経をば釈迦の説とも云うべし 大日の説とも云うべし、 又毘盧遮那と云
0136
01 うは天竺の語大日と云うは 此の土の語なり 釈迦牟尼を毘盧遮那と名づくと云う時は 大日は釈迦の異名なり加之
02 旧訳の経に盧舎那と云うをば 新訳の経には毘盧遮那と云う 然る間・新訳の経の毘盧遮那法身と云うは旧訳の経の
03 盧舎那他受用身なり、 故に大日法身と云うは法華経の自受用報身にも及ばず 況や法華経の法身如来にはまして及
04 ぶ可からず法華経の自受用身と法身とは 真言には分絶えて知らざるなり 法報不分二三莫弁と天台宗にもきらはる
05 るなり、 随つて華厳経の新訳には或は釈迦と称づけ 或は毘盧遮那と称くと説けり 故に大日は只是釈迦の異名な
06 りなにしに別の仏とは意得可きや、 
−−−−−—
 答えていう。涅槃経に「法に依って人に依らざれ」とあるのであるから、どのような場合にも経説のとおりによるべきである。大日経は釈迦が大日となって説いた経である。ゆえに金光明経と最勝王経の巻一には中央が釈迦牟尼と説いており、また金剛頂経の巻一にも中央が釈迦牟尼仏と説いている。大日と釈迦は同じ中央の仏であるがゆえに、大日経を釈迦が説いたものともいうことができるのである。
 また毘盧遮那というのはインドの言葉で、大日と云うのは日本の言葉である。釈迦牟尼を毘盧遮那と名づけるときは、大日は釈迦の異名である。それだけでなく、旧訳の経で盧舎那といっているのを新訳の経では毘盧遮那と言っている。それえゆえに新訳の経で毘盧遮那法身というのは旧訳の経の盧舎那他受用身のことである。
 ゆえに大日法身というのは法華経の自受用報身にも及ばない。ましてや法華経の法身如来には及ぶはずがない。法華経の自受用身と法身は、真言経には立場が隔絶しており、知ることのできないところである。法華文句記に「法報を分かたず、二・三弁うること莫し」と述べられているように天台宗からも排斥されているのである。
 したがって、華厳経の新訳には、あるいは釈迦と名づけ、あるいは毘盧遮那と名づけると説いたのである。ゆえに大日はただ釈迦の異名である。どうして別の仏と心意得ることができようか。

依法不依人
 仏法を修する上では、仏の説いた経文を用い、人師・論師の言を用いてはならない、との仏の言葉。
———
金光明
 釈尊一代説法中の方等部に属する経。正法が流布するところは、四天王はじめ諸天善神がよくその国を守り、利益し、国に災厄がなく、人々が幸福になると説いている。訳には五種がある。①金光明経、四巻十八品、北涼の曇無讖訳、北涼の元始年中②金光明更広大弁才陀羅尼経、五巻二十品、北周の耶舍崛多訳、後周の武帝代③金光明帝王経、七巻十八品、梁の真諦訳、梁の大清元年④合部金光明経、八巻二十四品、隋の闍那崛多訳、大隋の開皇17年⑤金光明最勝王経、十巻三十一品、唐の義浄訳、周の長安3年。このうち、①には吉蔵の疏があり、天台大師が法華玄義二巻、法華文句六巻にこの経を疏釈しているため、広く用いられている。わが国では聖武天皇が国分寺を全国に建てたとき、妙法蓮華経と⑤金光明最勝王経を安置した。大聖人が用いられているのは①と⑤である。  
———
最勝王経
 中国・唐代の義浄訳の金光明最勝王経のこと。10巻31品からなる。金光明経漢訳5本の一。仏が王舎城耆闍崛山に住していた時に説いたとされる方等部の経、この経は諸経の王であり、護持する者は護世の四天王をはじめ、一切の諸天善神の加護を受けるが、逆に、国王が正法を護持しなければ、諸天善神が国を捨て去るため、三災七難が起こると説かれている。
———
毘廬遮那
 梵名、ヴァイローチャナ(Vairocana)の音写、遍一切処・光明遍照などと訳す。華厳経・観普賢菩薩行法経・大日経等に説かれる。華厳宗では旧訳の華厳経に盧遮那と訳されていることから、毘盧舎那と盧遮那は同じであり、報身等の十身を具足するとしている。天台宗では毘盧舎那を法身・盧遮那を報身・釈尊を応身としている。真言宗では毘盧舎那は法身であり、大日如来としている。
———
旧訳の経・新訳の経
 漢訳された経典のうち、唐の玄奘三蔵以前に訳された経典を旧訳という。旧訳は主に鳩摩羅什や真諦の訳であり、新訳は141人または139人といわれている。
———
盧舎那
 普通には毘盧遮那が法身をさすのに対して盧遮那は報身をさすのである。
———
新訳の経
 漢訳された経典のうち、唐の玄奘三蔵以前に訳された経典を旧訳といい、それ以後に訳されたものを新訳という。主に玄奘等の訳である。経文は、どちらかといえば、新訳の経は直訳である。貞元釈教録によれば、訳者は187人あって、うち旧訳141人、新訳46人である。また、開元釈教録によれば、訳者176人のうち、旧訳139人、新訳37人とある。
———
他受用身
 他に法楽を受用させる仏身のこと。十地の菩薩のために神力を現じて説法し大乗の法楽を享受させる仏をいうのである。
———
自受用報身
 因位における願行の報いによって万徳を成じ、自ら広大なる法楽を受用する仏身のこと。自受用身ともいう。法華経本門の教主は法・報・応の三身相即の自受用法身であり、この自受用身は因縁の作為によらない本よりの存在で法楽を受用し、現実に法を説いて衆生を救済する。しかし、法華経本門の教主といえども、五百塵点劫という限界がある。無作といえども劣応身から次第に昇進して自受用身となったもので、これを応仏昇進の自受用身という。これに対して法華経本門文底の教主を久遠元初の自受用報身という。
———
自受用身
 自受用報身のこと。御義口伝には「自受用身とは一念三千なり、伝教云く『一念三千即自受用身・自受用身とは尊形を出でたる仏と.出尊形仏とは無作の三身と云う事なり』」(0759-第廿二 自我偈始終の事-02)とある。
———
華厳経
 正しくは大方広仏華厳経という。漢訳に三種ある。①60巻・東晋代の仏駄跋陀羅の訳。旧訳という。②80巻・唐代の実叉難陀の訳。新訳華厳経という。③40巻・唐代の般若訳。華厳経末の入法界品の別訳。天台大師の五時教判によれば、釈尊が寂滅道場菩提樹下で正覚を成じた時、3週間、別して利根の大菩薩のために説かれた教え。旧訳の内容は、盧舎那仏が利根の菩薩のために一切万有が互いに縁となり作用しあってあらわれ起こる法界無尽縁起、また万法は自己の一心に由来するという唯心法界の理を説き、菩薩の修行段階である52位とその功徳が示されている。
—————————
 第四問答の答えの部分が始まる。ここでは、まず先の五点にわたる詰難のうち①大日如来が中央に位置する仏であることをもって釈尊より高位の仏であるとの邪説を破られたのである。そのために、まず、総論的に釈尊と大日如来との真言の関係を明らかにされるのである。
 初めに、問者に対して「依法不依人」という涅槃経に説かれた仏の金言を守るべきであることを強調されている。つまり、仏法の勝劣浅深を判断するに際しては“依法”、すなわち仏の説いた経文を依りどころとして“不依人”すなわち人師や論師の言葉に依ってはならない、ということである。問者が仏の説に依らずに、弘法や覚鑁などの人師や言葉に依りがちであると誡められているのである。
 次いで「大日経は釈迦の大日となって説き給へる経なり」と述べられ、その証拠として釈尊が中央に位置していると説かれている経を挙げられている。
 すなわち、金光明経巻1や金光明最勝王経巻1では、四方に阿閦、無量寿、宝相、微妙声、などの仏を配し、中央に釈迦牟尼仏が安置しており、また密教経典の金剛頂経巻上でも不動如来、宝生如来、観自在如来、不空成就如来など中央に釈迦如来が座していると説かれている。
 そして「大日と釈迦とは一つ中央の仏なるが故に大日経をば釈迦の説とも云うべし大日の説とも云うべし」と釈尊・大日一体説を展開されて、釈尊と大日とを別にした上で大日が釈尊に勝る、という問者の邪説をやぶられている。
 更に、大日は釈尊の異名に他ならないことを明らかにするため、梵語の毘盧遮那という言語の意義に触れられている。
法身・報身・応身の三身如来と自受用報身・他受用報身
 本章と次章は仏身の位をめぐって論議が展開されているので、ここであらかじめ、よく使われる仏身に関する術語について簡単に解説を加えておきたい。
 まず、法・報・応の三身と自受用・他受用の二身の関係であるが、三身のうち報身が分かれて二身となるのでる。
 法身は法身仏、法性身、自性身などともいい、真理や法理を身体としている仏のことで、真理そのもののことである。
 次いで、報身とは「報い」とあるように、仏になるための原因としての修行を積み、その報いとして悟りを成じ功徳を具えた仏身のことで、因行果徳身ともいう。また、法と冥合した智慧を持つ仏身でもある。
 この仏身はまた自受用ともいい、報いとして悟りを成じた結果、悟った法を「受け用いる」、すなわち、自ら享受して楽しみ、また、他の人びとにも享受させ楽しませていく仏身のことである。そのうち、自らが悟りの法を享受し楽しんでいる仏身が自受用報身で、他の衆生にも悟りの楽しみを分け与えようとして衆生救済へと出ていく仏身を他受用報身という。
 更に、応身は化身、応化身、変化身ともいい、衆生を導くために衆生の機根や状態に応じて現れる仏身である。この応身は勝応身と劣応身とに分かれ、勝応身のほうは他受用報身と同じ仏身である。
 さて、これらの様々な仏身の位の高低についてであるが、真理そのものである法身が一番高く、報身の中の自受用身がこれに続く。しかし、以上の二身は衆生教化という意義は含まれない。三番目が他受用報身で、これは勝応身と同体であり、最後に劣応身が配されるが、これが他受用・勝応・劣応はいずれも衆生への説法教化のために現じた仏身である。
 もとより、自受用報身といっても法華経本門の教主は法・報・応の三身相即の自受用報身であり、この仏身は因縁の作為によらない本よりの存在として、自ら法の楽しみを享受するとともに、その成仏の根源であり、自ら享受する妙法をそのままに説いて衆生を救済する仏である。
 しかし、法華経本門の教主は五百塵点劫という限界があり、劣応身から次第に昇進して自受用報身の立場を顕した仏であるから、これを応仏昇進の自受用報身といい、これに対して日蓮大聖人は法華経本門文底の教主として最初から成仏の根源の法である妙法を体現し、衆生にこれを説き弘められた。そのお立場を久遠元初の自受用身というのである。
 以上のことを考慮すると、仏身の位は自受用報身→応仏昇進の自受用報身→爾前権教の法身→爾前権教の自受用報身→他受用報身→応身という順序になる。
旧訳の経に盧舎那と云うをば 新訳の経には毘盧遮那と云う然る間・新訳の経の毘盧遮那法身と云うは旧訳の経の盧舎那他受用身なり
 毘盧遮那は梵語ヴァイローチャナ=輝くもの、の音写であり、その意味は遍一切処、光明遍照などとなる。華厳経や法華経の結経・感普賢菩薩行法経や大日経等に説かれる仏である。
 特に、旧訳で盧遮那と音写されているものが、新訳では毘盧遮那と音訳されている。旧訳の盧遮那は他受用身であるから、新訳で毘盧遮那は法身であるとっても、それは「毘盧遮那他受用身」と同じものであると指摘されている。
故に大日法身と云うは法華経の自受用報身にも及ばず況や法華経の法身如来にはまして及ぶ可からず法華経の自受用身と法身とは真言には分絶えて知らざるなり法報不分二三莫弁と天台宗にもきらはるるなり
 前に述べられているように、新訳では毘盧遮那法身としているが、これは、旧訳の盧遮那他受用身のことである。したがって、新訳の毘盧遮那すなわち真言密教の大日如来は、法身といっても、旧訳では他受用報身であるから、法華経の自受用報身にも及ばず、いわんや法華経の法身如来には及ばない、と言われているのである。
 いうまでもなく、他受用身は自受用身に劣り、ましてや法身如来には劣ることは明らかだからである。
 ここで「法華経の自受用報身」が寿量品で明かされた五百塵点劫成道の釈尊、すなわち「応仏昇進の自受用報身」であることはいうまでもない。それに対し、さらに勝れる「法華経の法身如来」とは成仏の根源である妙法そのものであり、この妙法と体一である「久遠元初自受用報身」となるのである。
 また「法報不分二三莫弁」の文は、旧訳では毘盧遮那他受用身とあるのを新訳では毘盧遮那法身と翻訳していることについて、天台宗の妙楽大師が述べたもので、新訳の訳者は“法報分かたず”法身と報身を立て分けられず、法報応の三身等の区分けを弁えていないと批判したのである。
 いずれにしても、真言宗は法華経の自受用身と法身については「分絶えて知らざるなり」と結論されている。すなわち、真言宗にとっては、法華経の自受用身と法身は余りに隔絶して高すぎるために分からないのであると仰せられている。

0136:06~0136:12 第八章 大日の法身説法・無始無終説を破るtop
06                  次に法身の説法と云う事何れの経の説ぞや弘法大師の二教論には楞伽経に依つ
07 て法身の説法を立て給へり、 其の楞伽経と云うは釈迦の説にして 未顕真実の権教なり法華経の自受用身に及ばざ
08 れば法身の説法とはいへどもいみじくもなし 此の上に法は定んで説かず 報は二義に通ずるの二身の有るをば一向
09 知らざるなり、 故に大日法身の説法と云うは定んで法華の他受用身に当るなり、 次に大日無始無終と云う事既に
10 「我昔道場に坐して四魔を降伏す」とも宣べ又「四魔を降伏し六趣を解脱し一切智智の明を満足す」等云云、此等の
11 文は大日は始て四魔を降伏して 始て仏に成るとこそ見えたれ全く無始の仏とは見えず、 又仏に成りて何程を経る
12 と説かざる事は権経の故なり 実経にこそ五百塵点等をも説きたれ、
−−−−−—
 次に法身の説法ということは、どの経に説かれているのか。弘法大師の二教論では楞伽経によって法身の説法ということが立てられているが、その楞伽経というのは釈迦の説法であって未顕真実の権教である。それでは法華経の自受用身にも及ばないので法身の説法といっても、ありがたくもない。そのうえ法身は決して説かず、報身は説くと説かないとの二義に通ずる他受用身と自受用身の二身があるのを全くしらないのである。ゆえに大日法身の説法というのは、まさしく法華経の他受用身に当たるのである。
 次に大日が無始無終であるということについていえば、大日経には「私は昔、道場に坐して四魔を降伏した」とも述べ、また「四魔を降伏し、六趣を解脱し、一切智智という明慧を満足する」等とある。これらの文は大日は始めて四魔を降伏して始めて仏に成ったと説かれているのであり、全く無始の仏とは説かれていない。また仏に成ってどのくらい経っているかを説かないことは、権経だからである。実経にこそ五百塵点劫等と説かれたのである。

二教論
 弁顕密二教論の略。弘法の著作で、顕教よりも密教が優れているとの邪義を説いたもの。弘法は横豎において教相を判釈しているが、横の判教が弁顕密二教論であり、豎の判教が十住心論、秘蔵宝鑰であるとしている。
———
楞伽経
 漢訳本に四種あり、三種の訳書が現存する。仏が楞伽山頂で大慧菩薩に対して説いたとされる経。唯識の立場からさまざまな大乗の教義が列挙されている。また名字によって一切法の相を分別することを虚妄としてしりぞけ、四種の禅を明かし、諸法の空・無生・不二を悟って仏の境界に入るよう勧めている。達磨は禅宗の依経とした。
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未顕真実
 法華経の開経である無量義経説法品第二に「四十余年には未だ真実を顕さず」とある。
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権教
 実教に対する語。権とは「かり」の意で、法華経に対して釈尊一代説法のうちの四十余年の経教を権経という。これらの経はぜんぶ衆生の機根に合わせて説かれた方便の教えで、法華経を説くための〝かりの教え〟であり、いまだ真実の教えではないからである。念仏の依経である阿弥陀経等は、この権経に属する。
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四魔
 衆生の心を悩乱させて仏道修行を妨げる四つの働き。煩悩魔・陰魔・死魔・天子魔。
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六趣
 迷いの衆生が輪廻する六種の境界のこと。六道ともいう。十界のうち、前の地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天を六道という。
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解脱
 梵語で(Vinukti)。煩悩の束縛から脱して、憂いのないやわらかな境涯に到達するという意味。
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一切智智
 一切智の中で最も勝れた仏自証のこと。通例一切智は声聞・縁覚・仏に通ずる智とされるが、声聞・縁覚の智と仏の智とを分別した場合、より深い仏の智を一切智智という。
———
権経
 権とは「かり」の意で、法華経に対して釈尊一代説法のうちの四十余年の経教を権経という。これらの経はぜんぶ衆生の機根に合わせて説かれた方便の教えで、法華経を説くための〝かりの教え〟であり、いまだ真実の教えではないからである。念仏の依経である阿弥陀経等は、この権経に属する。
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五百塵点
 五百塵点劫のこと。法華経如来寿量品第十六に「譬えば五百千万億那由佗阿僧祇の三千大千世界を、仮使い人有って抹して微塵と為して、東方五百千万億那由佗阿僧祇の国を過ぎて、乃ち一塵を下し、是の如く東に行きて、是の微塵を尽くさんが如し(中略)是の諸の世界の、若しは微塵を著き、及び著かざる者を、尽く以て塵と為して、一塵を一劫とせん。我れは成仏してより已来、復た此れに過ぎたること、百千万億那由佗阿僧祇劫なり」とある文を意味する語。釈尊が真実に成道して以来の時の長遠であることを譬えをもって示したものであるが、ここでは、久遠の仏から下種を受けながら、邪法に執着した衆生が五百塵点劫の間、六道を流転してきたという意味で使われている。
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 第四問答の答えが続いているところである。ここでは問者の四点にわたる難詰のうち、大日如来が②法身で無始無終の如来であると述べていることに対し破折を加えられているのである。大日如来を法身とすることについては、前章でそれが他受用報身にすぎず、法華経の自受用報身や法身如来よりはるかに劣る仏身でしかないことが明らかにされるのであるが、ここでは、その法身が菩薩のために真言を説いたとする真言宗の“法身説法”の邪義を破折されているのである。
 まず、報身の説法というのは、いったいどの経に説かれているのかと反問されている。
 弘法自身は弁顕密二経論の中で、楞伽経を法身説法の根拠としているが、たといそうであったとしても、楞伽経は大日如来の説ではなく釈尊の説であり、しかも未顕真実の権教にすぎない。したがって、法身の説法だからといっても、実教である法華経の自受用報身には及ばないから、勝れているなどということはいえないと、破られている。
 更に、より根本的に、報身は法性、真理そのものの義に他ならないから説法するわけがないと指摘されるとともに、報身は自受用身と他受用身の二身があり、前者は法を説かないが、後者は法を説く、の二義があることを説明されて、真言宗はそのような深い仏身論をしらないのであると破られていく。結局、真言のいう大日如来の説法というのは、法華経の立場からいえば、他受用身に当たるのである。と結論されている。
 次いで、大日如来が無始無終であるとの主張に対しては、まず大日経のなかに、大日如来が四魔を降伏して始めて仏になったと説かれていることを挙げ、“始めて成った”とある以上は、始まりがあることになり、無始ではないと破られている。しかも、大日如来が仏に成ってからどれほどの年数を経ているかを説いていないのは大日経が権教だからであるとされ、実経の法華経には釈尊が成道してから五百塵点劫を経ていると説かれていることを述べられている。
 したがって、大日如来が無始無終であるという義は成り立たないと断じられているのである。
弘法大師の二教論には楞伽経に依つて法身の説法を立て給へり
 二経論とは弘法が著した弁顕密二経論2巻のことである。この中で、弘法は楞伽経、詳しくは入楞伽経10巻の一節を引用して法身の説法を立てている。その一節は次のとおりである。
 「大慧よ。是を分別虚妄の体相と名づく。大慧よ、是を報仏説法の相と名づく。大慧よ、法仏の説法とは心相応の体を離るるが故に。内証聖行の境界なるが故に、大慧よ、是を法仏説法と名づく」と。
 弘法は、ここにある“法仏法説”が法身の仏説ということであり、報仏説法、すなわち報身の説法が顕教であり、法仏が説法した「内証聖行の境界」が密教であるとする邪義を立てたのであった。この点について大聖人は、楞伽経自体、釈尊の権教であるから、そこで「法身の説法」などといっても、それは法華経の自受用身に及ばない権教の法身によるものであり、「いみじくもない」ものであると破折されている。
法は定んで説かず報は二義に通ずるの二身の有るをば一向知らざるなり
 更にいえば、法身の説法ということ自体、ありえないことである。
 まず、法は定んで説かず、つまり、法身とは法そのものであるから、それが説法するなどということはない。それに対し、報は二義に通ずる二身が有る。つまり、報身には自受用報身と他受用報身の二身あって、前者は法を説かない法身の義に通じ、後者は法を説く応身の義に通ずるという二義を存するというのが仏身論の基本であることを明らかにされている。法身説法という邪義を説く弘法は以上のような仏身論の原則を全く知らないのであると打ち破られている。
 では「法仏説法」という楞伽経の文は何を意味するかといえば、具体的に法身仏が説法するということではなく、衆生が仏法を修し真理を思索したときに、自ずと悟ることをこのように表現したにすぎない。しかも前述のように未顕真実の権教である楞伽経であるから、その真理というものも浅いものでしかないということである。
「我昔道場に坐して四魔を降伏す」とも宣べ又「四魔を降伏し六趣を解脱し一切智智の明を満足す」等云云、此等の文は大日は始て四魔を降伏して始て仏に成るとこそ見えたれ全く無始の仏とは見えず
 大日如来が無始無終の仏であるとする邪義を破られているところである。初めの文は大日経巻2入曼荼羅具縁真言品第2の余の「我昔道場に坐して、四魔を降伏し、大勤勇の声を以て、衆生の怖畏を除く」という文の引用であり、次の文は同経巻3悉地出現品第6の「爾の時、毘盧遮那世尊、又復、降伏四魔金剛戯三昧に住して、四魔を降伏し、六趣を解脱し、一切智智を満足する金剛の字句を説きたもう」という文からの引用である。
 その意味するところは、大日経の教主である毘盧遮那世尊が昔、菩提道場に坐って、煩悩魔・五陰魔・死魔・天子魔の四魔を降伏して六道の境地から脱却し、“一切智智”すなわちすべてを知り尽くす仏智を成就し満足する法を説いた、ということである。このように六道輪廻の凡夫の境地を脱却して初めて仏に成るということは、その仏としての寿命に始めがあるのであるから、“無始”というのは明らかに誤りである。
又仏に成りて何程を経ると説かざる事は権経の故なり実経にこそ五百塵点等をも説きたれ
 しかも、成道からどれほど経っているのか、つまりその毘盧遮那の成道の時期はどれくらい昔のことなのかについて、大日経には全くのべられていない。この理由を大聖人は「権教の故なり」と述べられている。権教とは「かりの教えを説いた経」であり、衆生をある段階まで導くための方便を説いているのであるから、仏自身の真実の境地や寿命を明かすことはしていないのである。仏自身の根源を明かすことは最も重要な説法であり、このゆえに五百塵点劫の成道は実教である法華経にこそ明かされているのである。しかも、そのことを明かす如来寿量品が法華経28品の中でも最も肝心とされるのは、このゆえにほかならない。

0136:12~0137:01 第九章 説処、対告衆への邪難を破すtop
12                                 次に法界宮とは色究竟天か又何れの処ぞや色
13 究竟天 或は他化自在天は法華宗には別教の仏の説処と云うていみじからぬ事に申すなり 又菩薩の為に説くとも高
14 名もなし 例せば華厳経は一向菩薩の為なれども尚法華の方便とこそ云はるれ、 只仏出世の本意は仏に成り難き二
15 乗の仏に成るを一大事とし給へり されば大論には二乗の仏に成るを密教と云ひ 二乗作仏を説かざるを顕教と云へ
16 り、 此の趣ならば真言の三部経は二乗作仏の旨無きが故に 還つて顕教と云ひ法華は二乗作仏を旨とする故に密教
17 と云う可きなり、 随つて諸仏秘密の蔵と説けば子細なし 世間の人密教勝ると云うはいかやうに意得たるや 但し
18 「若し顕教に於て修行する者は 久く三大無数劫を経」等と云えるは既に三大無数劫と云う故に 是三蔵四阿含経を
0137
01 指して顕教と云いて権大乗までは云わず況や法華実大乗までは都て云わざるなり。
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 次に法界宮とは色究竟天にあるのか、またいずれの所にあるのか。色究竟天あるいは他化自在天は、法華宗では別教の仏が説法した場所といって、大したことはないとしている。
 また菩薩のために説くといっても功名でもない。例えば華厳経はひとえに菩薩のために説かれたものであるけれども、それでも法華経の方便といわれるのである。仏が世に出現する本意は、仏に成りがたい二乗が仏になるのを一大事とされている。それゆえ、大智度論には二乗が仏に成る軽報を密教といい、二乗の成仏を説かないのを顕教というとしている。この教旨からすれば真言の三部経は二乗、の成仏を説いていないからかえって顕教といい、法華経は二乗の成仏を説くがゆえに密教というべきである。したがって、法華経には諸仏の秘密の蔵と説いているのである。世間の人はどのように心得て、密教が勝れているといっているのであろうか。
 ただし、金剛頂瑜伽金剛薩埵五秘密修行念誦儀軌に「もし顕教を修行する者は永く三大無数劫を経る」等といっているのをみてみると、既に三大無数劫といっているのであるから、これは三蔵経や四阿含経をさして顕教といっているのであって、権大乗教までをいうのではない。まして法華経の実大乗教までは全くいわないのである。

法華宗
 法華経を依経とする宗派①中国・陳・隋代に天台大師が開創した宗。②伝教大師が開創した宗。③日蓮大聖人が立てられた法華文底独一本門を根本とする宗。
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別教
 二乗とは別に菩薩のために説いた教えのこと。天台大師が四教義を立てた化法の四教のひとつ。界外の惑を断ずる教であるゆえに、蔵・通とも異なり、隔歴の三諦を説くゆえに円教とも別なので別教ともいう。
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高名
 ①名声が高いこと。有名。②手柄をたてること。
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方便
 悟りへ近づく方法、あるいは悟りに近づかせる方法のことである。一に法用方便、二に能通方便、三に秘妙方便の三種に分かれる。①法用方便。衆生の機根に応じ、衆生の好むところに随って説法をし、真実の文に誘引しようとする教えの説き方。②能通方便。衆生が低い経によって、悟ったと思っていることを、だめだと弾呵し、真実の文に入らしめる方便。この二つは方便品に「正直に方便を捨てて、但無上道を説く」と説かれる方便で、42年間の阿弥陀経、大日経、蘇悉地経等の権教で説かれている方便であるがゆえに「方便を捨てて」となる。秘妙方便。秘妙門ともいう。秘とは仏と仏のみが知っていること。妙とは衆生の思議しがたい境涯であり、長者窮子の譬えや衣裏珠の譬えによってわかるように、末法の衆生は種々の悩みや、凡夫そのままの愚かな境涯に住んでいるけれども、その身がそのまま、久遠元初以来、御本仏日蓮大聖人の眷属であり、仏なのだと悟る。これが秘妙方便である。悩んでいるときのわれわれも、仏であると自覚して、折伏に励む時も、その体は一つで、その人に変わりはない。これは仏のみの知れる不思議である。
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出世の本意
 仏が世に出現した究極の本意・目的。法華経方便品第二には、「諸仏世尊は唯だ一大事の因縁を以ての故に、世に出現したまうとある。釈尊にとっては法華経二十八品、天台にとっては「摩訶止観」が本懐であった。日蓮大聖人は「宝塔をかきあらはし」た御本尊建立をもって、出世の本懐とされている。
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一大事
 一大事とは、これ一つしかない究極の大事との意で、諸仏がそのために世に出現したところの秘密の大法を一大事の秘法という。文底独一本門の三大秘法をさしている。
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大論
 大智度論の略称。智論ともいう。百巻。竜樹作と伝えられる。鳩摩羅什訳。大智度論の「智度」とは般若波羅蜜の意訳。「摩訶般若波羅蜜経釈論」ともいう。すなわち「摩訶般若波羅蜜経」(Mahā-prajñāpāramitā-śāstra)の注釈書。序品を三十四巻で釈し、以後一品につき一巻ないし三巻ずつに釈している。内容は法華経等の諸大乗教の思想を取り入れて解釈しているので、たんなる一経の注釈書というにとどまらず、一切の大乗思想の母体となった。
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二乗作仏
 「二乗」とは声聞・縁覚のこと。法華経以前においては二乗界は永久に成仏できないと、厳しく弾呵されてきたが、法華経にはいって初めて三周の声聞(法説周・喩説周・因縁周)が説かれて、成仏が約束されたのである。
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真言の三部経
 真言宗の依経である大日経・金剛頂経・蘇悉地経のこと。
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諸仏秘密の蔵
 法師品に「此の経は是れ、諸仏の秘要の蔵なり」とあり、安楽行品には「此の法華経は、諸仏如来の秘密の蔵なり」神力品に、神力品には「要を以って之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於いて宣示顕説す」とある。
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三大無数劫
 小乗の菩薩が修行して仏果を得るまでの数えきれないほどの長い期間。三大阿僧祇劫・三阿僧祇劫・三僧僧祇劫ともいう。
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三蔵
 ①仏教聖典を三つに分類した経論・律論・論蔵のこと。②三蔵に通達している法師のこと。③仏典の翻訳者のこと。④声聞蔵・縁覚蔵・菩薩蔵のこと。
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四阿含経
 4種の阿含経。長 阿含経・中阿含経・増一阿含経・雑 阿含経のこと。
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権大乗
 大乗の中の方便の教説。諸派の間では互いに、法華経をして実大乗といい、諸教を権大乗とする。
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実大乗
 権大乗経に対する語。仏の真実の悟りをそのまま説き顕した経典。法華経のこと。
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 第四問答の答えが続いているところである。ここでは③説処は大日経が法界宮あるいは色究竟天、他化自在天であり、法華経は霊鷲山である。との難詰と、④対告衆は、大日経は菩薩であるのに対し、法華経は説法にすぎない。という難詰に答えられるところである。
 まず、説処については大日如来が説いた処とされる法界宮とは色究竟天にあるのか、あるいはまた、どこにあるのか、と反問された後、いずれにしても色究竟天とか他化自在天とかいうのは天台法華宗の立場では別教の仏の説処となっており、真言宗がいうほど立派な処ではない、と破られている。別教とは華厳・梵網等の権教の経々で、実教の法華経に劣ることはいうまでもないからである。
 色究竟天や他化自在天などというのは人間世界を離れた世界であり、結局は架空の世界に他ならない。そのような処で説かれたとされていること自体、要するに観念の中で想定されたものであることを物語っているのである。
 次に、対告衆の問題については、問者は大日経等が菩薩という高位の衆生を対告衆としていること、経の内容の高度さの証拠のようにいっているが、大聖人は「菩薩の為に説くとも高名もなし」と一言で破され、成仏しがたい二乗を成仏させてこそ密教といえるのであると述べられている。
 “高名”ということは、どれだけ多くの救いがたい衆生を救うか、による。菩薩は自身ですでに修行を積んできている衆生であるから、菩薩を成仏させた教えであるといっても、誇れる功績にはならない。最も成仏しがたい二乗を成仏させれば、それより成仏しやすい他の一切衆生も成仏させられるし、最も功徳は大きいといえるのである。
 したがって、竜樹の大智度論には、二乗作仏を説く教えこそ密教であり、これを説かない教えは顕教であるとしており、この立て分けによれば、二乗作仏を説かない真言の三部経は顕教であり、二乗作仏を説く法華経こそ顕教となると結論されている。
大論には二乗の仏に成るを密教と云ひ二乗作仏を説かざるを顕教と云へり
 この文は竜樹の大智度論巻100の一節を取意されて、正しい意味での顕教と密教の立て分けの基準を明確にされたところである。
 その一節では「問うて曰く、更に何の法か甚深にして般若に勝るもの有って、而して般若を以って阿難に嘱累し、而して余の経をば菩薩に嘱累せしや。答えて曰く、般若波羅蜜は秘密の法に非ず。而して法華等の諸経には阿羅漢の受決作仏を説き、大菩薩は能く受持し用う。譬えは大薬師の能く毒を以って薬と為すが如し」という文である。
 ここは一つの問答になっていて、まず、般若波羅蜜を声聞の阿難に付嘱し、他の経を菩薩に付嘱したのは、他の経の中には般若波羅蜜より勝る深い法が説かれているか、と問うている。
 その答えとして、般若波羅蜜はまだ秘密の法ではないのに対し、法華経等の諸経には阿羅漢の作仏が説かれていて大菩薩のみがこの法をよく受けたもち、用いることができるのである、と述べている。
 この文の意をとって、大聖人は二乗の作仏を説いた教えこそが“秘密の法”すなわち、密教であり、これを説かない教えは秘密の法ではないから顕教になるとされているのである。
 もともと、顕教と密教の教判は大智度論巻4に「仏法に二種有り、一には秘密、二には現とあるのを、弘法が自宗の優位性を示すために利用したにすぎないのである。
 弘法がこの教判を展開したのが前述のように弁顕密二経論等である。それによれば、顕教は報身・応身の釈迦仏が衆生の機根に応じて顕に分かりやすく説いた教えのことであり、密教は法身の大日如来が自ら悟りの法を享受し楽しみつつ示した三密の法門であり、菩薩の智慧をもってしても知りがたい深遠秘奥の教えであるから秘密というとしている。そして、この密教に当たるのが大日経等の真言三部経であり、真言三部経以外の釈尊が説いた法華経等の教えは顕教であるとしたのである。
 この弘法の説を受けついでいる真言宗の主張に対し、大聖人は真言経は法身・大日如来の説法であるということの遇昧ぶりを指摘される。とともに、秘密ということの本来の意義は二乗作仏をかのうにするか否かにあることを大智度論の真義に立ち返って明かされ、弘法が立てた真言経と法華経の勝劣を逆転されているのである。
 なお、真言見聞には「顕密の事」という項目を設けられて次のように破折されているので引用しておきたい。
 「抑大日の三部を密説と云ひ法華経を顕教と云う事金言の所出を知らず、所詮真言を密と云うは是の密は隠密の密なるか微密の密なるか、物を秘するに二種有り一には金銀等を蔵に篭むるは微密なり、二には疵・片輪等を隠すは隠密なり、然れば則ち真言を密と云うは隠密なり其の故は始成と説く故に長寿を隠し二乗を隔つる故に記小無し、此の二は教法の心髄・文義の綱骨なり、微密の密は法華なり、然れば則ち文に云く四の巻法師品に云く『薬王此の経は是れ諸仏秘要の蔵なり』云云、五の巻安楽行品に云く『文殊師利・此の法華経は諸仏如来秘密の蔵なり諸経の中に於て最も其の上に在り』云云、寿量品に云く『如来秘密神通之力』云云、如来神力品に云く『如来一切秘要之蔵』云云、しかのみならず真言の高祖・竜樹菩薩・法華経を秘密と名づく二乗作仏有るが故にと釈せり、次に二乗作仏無きを秘密とせずば真言は即ち秘密の法に非ず、…此等の経論釈は分明に法華経を諸仏は最第一と説き秘密教と定め給へるを 経論に文証も無き妄語を吐き法華を顕教と名づけて之を下し之を謗ず豈大謗法に非ずや。」(0144-12)と。
 ここでは、秘密の秘に二種類あり、金銀等の宝物が蔵に収まっていて見えないがいつでも取り出せるような緻密と、疵などの欠陥を隠す隠密とがあるとされ、法華の密が微密であるのに対し、真言のそれは隠密であると断じられている。すぐれた心理が含まれているが、それが深いため凡夫・衆生には捉えがたいのが「微密」であり、欠陥があるので隠さなければならないのが「隠密」である。真言経典は、大日如来がどこかの時点で“始めて成った”仏にすぎず、また二乗作仏も説かないなど欠点だけの経であるのに、それを隠しているのであると指摘されている。
随って諸仏秘密の蔵を説けば子細なし
 法華経こそが秘密であるとの文証を挙げておられるところである。法華経法師品第10に「此の経は是れ、諸仏の秘要の蔵なり」とあり、安楽行品第14には「此の法華経は、諸仏如来の秘密の蔵なり」とあり、如来神力品第21には「如来の一切の秘要の蔵…皆此の経に於いて宣示顕説す」とある。これらの文を要約して「諸仏秘密の蔵」とされている。「子細なし」とは、異議を挟む余地はないとの意で、この言葉に法華経が密教であることが文句なく明白であるとされ、にもかかわらず、世間の人が真言密教は法華経に勝ると言っているのは「いかやうに意得たるや」と嘆かれている。
但し「若し顕教に於て修行する者は久く三大無数劫を経」等と云えるは既に三大無数劫と云う故に是三蔵四阿含経を指して顕教と云いて権大乗までは云わず況や法華実大乗までは都て云わざるなり」
 ここで引用された文は金剛頂瑜伽金剛薩埵五秘密修行念誦儀軌1巻からのものである。「顕教に於いて修行する者は、久しく三大無数劫を経、然る後に無上菩提を証得す。…若し毘盧遮那仏自受用身所説の内証自覚聖地の法、及び大普賢金剛薩埵他受用身の智に依らずば、則ち現世に於いて曼荼羅阿闍梨に遇逢し、漫荼羅に得入し…加持威神の力に由る故に須臾の頃に於いて、当に無量三昧耶、無量陀羅尼門を証すべし」とある。
 これは、顕教を修行すると三大無数劫という非常に長い時を経過して後にやっと無上菩提を達成するのに対して、毘盧遮那仏の密教を修行すると、現生において須臾という短期間で無量三昧耶、無量陀羅尼門を達成するとのべたものである。
 この文によって、密教が顕教に勝っているとする言い分に対し、大聖人は三大無数劫というのは小乗教に説かれた修行帰還であることから、この文中の「顕教」とはあくまで三蔵すなわち、増一・中・長・雑の四阿含経の小乗教をさしているのであり、権大乗までは含まれておらず。ましてや実大乗法華経を含めるものではないと仰せられているのである。

0137:02~0137:07 第十章 大日を釈尊の師とする説を破るtop
02   次に釈迦は大日の化身唵字を教えられてこそ仏には成りたれと云う事此は偏に六波羅蜜経の説なり、 彼の経一
03 部十巻は是れ釈迦の説なり 大日の説には非ず是れ未顕真実の権教なり 随つて成道の相も三蔵教の教主の相なり六
04 年苦行の後の儀式なるをや、 彼の経説の五味を天台は盗み取つて 己が宗に立つると云う無実を云い付けらるるは
05 弘法大師の大なる僻事なり、 所以に天台は涅槃経に依つて立て給へり 全く六波羅蜜経には依らず況んや天台死去
06 の後百九十年あつて貞元四年に渡る経なり 何として天台は見給うべき不実の過弘法大師にあり、 凡そ彼の経説は
07 皆未顕真実なり 之を以て法華経を下さん事甚だ荒量なり、 
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 次に釈迦は大日の化身であるとか、大日に唵字を教えられたからこそ仏に成ったのであるということは、ひとえに六波羅蜜経の説である。その六波羅蜜経一部十巻は釈迦が説いたものであり、大日の説いたものではない。これは未顕真実の権教である。したがって、成道の姿も三蔵教の教主の姿であり六年の苦行の後の儀式である。
 六波羅蜜経で説くところの五味を天台大師は盗み取って自宗の教えと立てたのである、という無実の言いがかりをつけたのは弘法大師の大なる心得違いである。なぜなら、天台大師は涅槃経によって立てたのであり、全く六波羅蜜経にはよっていないからである。ましてや六波羅蜜経は天台大師死去の後、百九十年経った貞元四年に渡ってきた経である。どうして天台大師が見ることができようか。事実に反したあやまちは弘法大師にあるのである。
 総じて六波羅蜜経の説くところはみな未顕真実である。これをもって法華経を下すことは、はなはだいいかぎりな考えである。

六波羅蜜経
 中国・唐の罽賓国・般若三蔵の訳10巻、大乗理趣六波羅蜜経のこと。
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三蔵教の教主
 小乗教の教主のこと。過去、三阿僧祇劫のあいだ六度を行じ、百大劫のあいだ広く福徳を積んで相好を得、最後にインドに応誕し、菩提樹下で見思の惑を断尽して正覚を乗じ、80歳で無余涅槃に入った仏をいう。これを劣応身の仏とも、丈六の仏ともいう。
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五味
 ①乳味・酪味・生酥味・熟酥味・醍醐味のこと。涅槃経では、牛乳を精製する段階に従って得られる五味を説く。天台大師はこれを、乳味=華厳時、酪味=阿含時、生酥味=方等時、熟酥味=般若時、醍醐味=法華涅槃時としている。②甘・酸・苦・辛・鹹のこと。
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天台
 (0538~0597)。天台大師。中国天台宗の開祖。慧文・慧思よりの相承の関係から第三祖とすることもある。諱は智顗。字は徳安。姓は陳氏。中国の陳代・隋代の人。荊州華容県(湖南省)に生まれる。天台山に住したので天台大師と呼ばれ、また隋の晋王より智者大師の号を与えられた。法華経の円理に基づき、一念三千・一心三観の法門を説き明かした像法時代の正師。五時八教の教判を立て南三北七の諸師を打ち破り信伏させた著書に「法華文句」十巻、「法華玄義」十巻、「摩訶止観」十巻等がある。
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荒量
 荒い量見。思慮、見解。
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 第四問答の答えが続いているところである。ここでは、四点にわたる難詰のうち、⑤釈尊は大日の化身であるとするもの、釈尊は大日から唵字の観法を教えられて仏になることができたという邪説を破られているところである。
 まず、この邪説はただ六波羅蜜経一経の説のみによって立てられた偏頗なものにすぎないと指摘されている。しかも、同経一部10巻は釈尊の説法として記されたものである。とすればこれは釈尊の説の中でも末だ真実を権威ということになる。したがって、この経に説かれている釈尊成道の時の姿も三蔵教を説法する教主、すなわち劣応身である丈六の釈尊であり、それはまた「六年苦行の後の儀式」、つまり、苦行六年の後に成道した釈尊が展開した説法の儀式になっている、と仰せられている。
 このように、釈尊が大日から唵字を教えてもらって成道できたとする説の根拠である六波羅蜜経そのものが方便権教の、しかも小乗の釈尊に関するもので、これをもって法華経を教主として釈尊に当てはめるのは誤りであると打ち破られている。
 次に、弘法が顕密二経論の中で、天台大師は六波羅蜜経に説かれている五味を盗み取って、この五味にあてはめて法華経を最高の醍醐味に配したものであるといって天台大師を誹謗していることを取り上げられ、それが全く事実に反する言い分であり、弘法の大きな謬見であると断言されている。その理由として、まず第一に、天台大師の五味説は涅槃経によって立てられたものであること、第二には、六波羅蜜経は天台大師が亡くなった後190年も経って中国に渡ってきた経典であるとの歴史的な事実を指摘され、天台大師が自分の死後に渡来した経を見て盗み取ることができるわけがないと、弘法のいい加減な言い分を糺されている。
 結論として、弘法が取り上げる経々の説はことごとく未顕真実の権教であり、それらの経々によって真実を顕した法華経を下すことは非常に荒っぽい量見であると破折されている。
釈迦は大日の化身唵字を教えられてこそ仏には成りたれと云う事此は偏に六波羅蜜経の説なり
 真言宗では「釈迦は大日の化身なりとも云へり、成道の時は大日の印可を蒙て唵字の観を教えられて後夜に仏になるなり大日如来だにもましまさずば争か釈迦仏も仏に成り給うべき」などといって、大日のほうが釈尊より偉大な仏であるとしているのであるが、この説法のもとになっている経として、本文は六波羅蜜経となっているが、実際は守護国界主陀羅尼経巻9の一節である。
 「三世諸仏は皆此の字を観じて、菩提を得る。故に一切陀羅尼母と為す。一切菩薩此れに従って生じ、一切諸仏此れに従って出現す」と。ここで“此の字”とあるのは唵字のことである。この文の前では、唵字に法身、報身・応身の三身の意義があるとの説明があって、それを受けて、三世諸仏は皆この唵字を観じて菩提の悟りを得て成道すると述べ、一切の菩薩は唵字に従って生じ、一切の諸仏もまた唵字に従って出現する、と説いているのである。
 この経文を根拠に、真言宗では、釈尊の成道について、好き勝手に粉飾して先の邪説を述べていたのである。すなわち、釈尊の成道に対しては、大日如来が認可を与え、更に、唵字の観法を教えた結果、後夜の間に仏に成ることができたのだ、などという虚構の物語を作ったのである。この物語をもとに、釈尊は大日如来の弟子であるととなえたのである。
 大聖人はこれについて、未顕真実の権教を依りどころにしたものに過ぎないと一蹴され、そこに述べられている釈尊成道の相は小乗三蔵教の教主としての釈尊にすぎないから、これをもって法華経の教主としての釈尊を大日の弟子とする論拠にはなしえないとされたのである。

0137:07~0137:10 第11章 事相を根拠に真言が勝ると難ずtop
07                             猶難じて云く如何に云うとも印真言・三摩耶尊形を説
08 く事は大日経程法華経には之無く 事理倶密の談は真言ひとりすぐれたり、 其の上真言の三部経は釈迦一代五時の
09 摂属に非ずされば弘法大師の宝鑰には釈摩訶衍論を証拠として 法華は無明の辺域・戯論の法と釈し給へり・爰を以
10 て法華劣り真言勝ると申すなり、 
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 なおも難詰していう。何といおうとも、印・真言と三摩耶尊形を説くことにおいては、大日経ほど法華経にはこれを説いていない。そして事も理もともに秘密である点では真言の経だけが勝れているのである。
 そのうえ真言の三部経は釈迦一代五時に属するものではない。それゆえ、弘法大師の秘蔵宝鑰には釈摩訶衍論を証拠として「法華経は無明の領域にある仏の教えであり、戯れの論を説いた法である」と釈しているのである。これらのことから、法華経は劣り真言経は勝れているというのである。


 仏や菩薩の悟りや誓願などを形として表示すること。また、そのものをいう。印契・印相・契印などともいう。諸仏や菩薩の悟りを、指で特別な形を結んで表したものを手印といい、所持する刀剣ばどの器具で表すのを契印と呼ぶ。
———
真言
 真言宗の三密のなかの語密をいう。真言陀羅尼ともいい、仏の真実のことばをいい、呪文のようなものである。
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三摩耶尊形
 真言密教で仏・菩薩・諸天の衆生救済の本誓等を表示しているとする所持の器物と手印のこと。大日如来の卒塔婆、薬師如来の薬壺、観音菩薩の蓮華、不動明王の剣、諸仏菩薩の手に結んだ印などをいう。三昧耶形ともいう。
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事理倶密
 事密・理密が俱に備わっていること。天台密教の教判用語。慈覚は蘇悉地経疏巻一等で、顕示教・秘密教に分け、秘密教をさらに理秘密・事理秘密に分類した。顕示教は世俗と勝義の円融を説かない。理秘密教は、真俗二諦の円融を説くが、事相を明かしていない。事理俱密教は、真俗円融不二を説き、さらに身語意三密の行相を説く故に勝れているとする。
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釈迦一代五時
 釈尊の一代聖教をその内容によって五期に分類したもの。華厳時・阿含時・方等時・般若時・法華涅槃時の五時をいう。
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摂属
 摂め属すること。
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宝鑰
 秘蔵宝鑰のこと。弘法の書で三巻から成る。十住心論を要約したもの。天長年中に、淳和天皇が諸宗の要義を聞かれたときに、さし出したものをいう。
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釈摩訶衍論
 竜樹の著・筏提摩多訳、略して釈論ともいう。馬鳴の大乗起信論の注釈書。摩訶衍は大乗と訳し、菩薩の教法のこと。内容は起信論の立義分を三十三門に分かち、第三十三・不二摩訶衍は能所の相対を越えた甚深の法であるとしている。
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無明の辺域
 真言の祖・弘法がその著「秘蔵宝鑰」のなかでいっている言葉。「法身真如一道無為の真理を明かす乃至諸の顕教においてはこれ究竟の理智法身なり、真言門に望むれば是れ即ち初門なり……此の理を証する仏をまた、常寂光土毘盧遮那と名づく、大隋天台山国清寺智者禅師、此の門によって止観を修し法華三昧を得……かくの如き一心は無明の辺域にして、明の分位にあらず」と。すなわち「顕教諸説の法身真如の理は、真言門に対すれば、なお、仏道の初門であって、このような初門すなわち因門は明の分位たる果門に対すれば、無明の辺域にほかならない」という邪義を述べている。
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戯論の法
 戯論とは、児戯に類した無益な論議・言論のことで、無益な法のこと。
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 ここからは最後の第五問答となる。この問いの部分で、問者の言い分は四点にわたっている。
 すなわち、
    ①印・真言・三摩耶尊形といった事相について詳しいのは大日経であり、これに対し、法華経にはほとんど説かれていない。
    ②事も理も俱に秘密であるのは真言のみであり、真言が勝れている所以はここにある。
    ③真言三部経は釈尊一代五時の中に属さない教えである。
    ④弘法の秘蔵宝鑰という著書には竜樹の釈摩訶衍論の文を証拠に、法華経を無明の領域の教えであり、したがって真実を説かない戯れの論であると貶めている。
 と、真言が勝れ法華経は劣ると主張している。

0137:10~0137:13 第12章 印・尊形等の事相につき答うtop
10                 答う凡そ印相尊形は是れ権経の説にして実教の談に非ず 設い之を説くとも権実
11 大小の差別浅深有るべし、 所以に阿含経等にも印相有るが故に必ず法華に印相尊形を説くことを得ずして 之を説
12 かざるに非ず説くまじければ 是を説かぬにこそ有れ法華は只三世十方の仏の本意を説いて 其形がとあるかうある
13 とは云う可からず、 例せば世界建立の相を説かねばとて法華は倶舎より劣るとは云う可からざるが如し、
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 答える。そもそも印相や尊形は権教の説くところであって実教の述べるところではない。たとえこれを説いていたとしても、権教・実教・大乗・小乗の差別の浅深があるべきである。ゆえに阿含経等にも印相が説かれているのであるから、必ずしも法華経に印相や尊形を説かれているのであるから、必ずしも法華経に印相や尊行を説くことができなくて説かなかったのではなく、説く必要がないので説かなかったのである。法華経はただ三世十方の仏の本意を説いているのであり、その形がどうであるかこうであるかはいっていないのである。
 例えば、世界建立の様相を説かないからといって、法華経は倶舎論よりも劣るなどということができないようなものである。

印相尊形
 諸仏菩薩等の、手を結ぶ印の形や所持する武器によって仏菩薩の厳かさや特質をあらわしたこと。密教ではそれが諸尊の本誓等を表示しているとする。
———
実教
 真実の法・教えのこと。仏が自らの悟りをそのまま説いた経。権教に対する語で、法華経をさす。
———
権実
 権は「かり」の意で方便をあらわし、実は「真実義」の意。機に応じて一時的に説く法を権とし、究極不変の真実の法を実という。
———
大小
 大乗教と小乗教のこと。「乗」とはのせる、の義で小乗教は俱舎宗・成美宗・律宗など。阿含の四経をよりどころとして、小乗の戒律を立てる教えで、少ない範囲の人を、わずかな期間救おうというものである。大乗教とは華厳・方等・般若・法華をいい、小乗教より教えが高慢であり、多くの民衆を長い期間にわたって救おうというものである。大乗と小乗は相対的なものであり、文底下種の南無妙法蓮華経に対すれば諸教はみな小乗となる。
———
阿含経
 釈迦一代の教説を天台が五時に判じたなかで、最初の華厳時の次に説かれた経。時を阿含時、説かれた経を阿含経という。阿含は梵語アーガマ(āgama)の音写。法帰・法本・法蔵・蔵等と訳す。仏の教説を集めたものという意味。増一阿含経51巻・中阿含経60巻・雑阿含経50巻・長阿含経22巻からなり、四阿含経ともいう。結経は遺教経、説処は波羅奈国鹿野苑で、陳如等五人のために、三蔵教の四諦の法輪を説いたもの。したがって、釈尊説法中もっとも低い教えである。
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三世十方の仏
 「三世」とは過去・現在・未来、「十方」とは東・西・南・北・東南・西南・西北・東北・上・下をいう。千日尼御前御返事には「法華経は十方三世の諸仏の御師なり、十方の仏と申すは東方善徳仏・東南方無憂徳仏・南方栴檀徳仏・西南方宝施仏・西方無量明仏・西北方華徳仏・北方相徳仏・東北方三乗行仏・上方広衆徳仏・下方明徳仏なり、三世の仏と申すは過去・荘厳劫の千仏・現在・賢劫の千仏・未来・星宿劫の千仏・乃至華厳経・法華経・涅槃経等の大小・権実・顕密の諸経に列り給へる一切の諸仏・尽十方世界の微塵数の菩薩等も・皆悉く法華経の妙の一字より出生し給へり」(1315-02)とある。
———
世界建立
 長阿含経第四分の世記経世本縁品第12に、世界成立の姿と因縁が明かされている。国土と日月、また人間社会がいかにして形成されてきたかを説いている。
———
倶舎
 倶舎宗のこと。くわしくは「阿毘達磨倶舎」といい、薩婆多宗ともいう。訳して「対法蔵」。世親菩薩の倶舎論を所依とする小乗の宗派で、一切有部の教義を講究する宗派。わが国では法相宗の附宗として伝来し、東大寺を中心に倶舎論が研究された。
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 第五問答の答えに入る。ここでは、先の4点にわたる難詰のうち①印・真言・三摩耶尊形といった事相について詳しいのは大日経であり、これに対し、法華経にはほとんど説かれていないから、法華経は真言に劣るという言い分を破られている。
 まず、印とは印相とも印契ともいう。諸仏や諸菩薩の悟りや誓願等を形として表したものであるが、これに二つある。
 一つは悟りや誓願等を指す特別な形に結んで表示したものを手印といい、いま一つは所持する刀剣などの武器でもって表すものを契印という。
 真言は呪、神呪、陀羅尼ともいい、仏の悟りや誓願を示す秘密の言葉で一種の呪文である。三摩耶尊形とは“三摩耶”が真言宗では誓願の本願を意味し“尊形”が象徴する物を意味することから、諸仏、諸菩薩が心に懐いている衆生救済の誓いと願いを形の上で象徴する弓・箭・剣・卒塔婆などの器物や印をいう。この意味で、印と三摩耶尊形とは重なり合うが、主として手の指によるのを印、持つ器物を三摩耶と考えてよい。
 さて、これら印・真言・三摩耶尊形という外に表れた具体的な形が法華経にはほとんど説かれていないとの難詰に対して、大聖人はまず、印相・尊形といった外面的な問題に力を入れて説いたのは権教であって、実教の法華経では枝葉のことであるから、あまり説かなかったのであると述べられている。そして、実教の法華経でも印相等の事相を説いてあったにしても、あくまで教えの権実・大小・浅深の区別を重視すべきであって、事相を説いているかいないかは大した問題ではないと一蹴されている。
 したがって、阿含経の小乗教にも印相が説かれているので、法華経では詳しく説く必要がないゆえに説かないのであると述べられている。
 更に、法華経は最も重要な三世十方の諸仏の本意を説き明かすことを目的としたものであって印の形の問題などには触れていないのであると言われ、印・真言が詳しくないことをもって法華経を劣ると考えるのは大なる誤りであると破折されている。
凡そ印相尊形は是れ権経の説にして実教の談に非ず
 印・真言・三摩耶尊形など外面的な形にあらわれたものを重視するのは、見えざる内面よりは見える形を求める衆生の機根に応じている点において、随他意の方便・権教の特徴を示しているのである。
 これに対して、実教の法華経においては、仏の真実の教えを衆生の機根の云何にかかわらず、仏の意のままに説きあらわす随自意の立場であるから、本来的に、印相や尊形などは実教が説く必要のないものとなるのである。
法華は只三世十方の仏の本意を説いて其形がとあるかうあるとは云う可からず
 法華経はただ三世十方の仏の本意を真実に説いているから実教なのであり、したがって、衆生の機根を調え導くために形にあらわす印・尊形などについてはこだわっていないのであると法華経の立場を明確にされている。
 さて、三世十方の諸仏の本意とは先の本文で「只仏出世の本意は仏に成り難き二乗の仏に成るを一大事とし給へり」とあるとおり、仏に成りがたい二乗を仏にする妙法を説き顕すことにある。
 まさに、この一切衆生の成仏の根本である妙法をあかすことに法華経説法の目的があったのであり、この立場からすれば印や真言は枝葉末節にすぎない。したがって印・真言が大日経のように詳しくないから法華経は大日経に劣るなどというのは、本末転倒の愚かな考え方といわなければならない。

0137:13~0137:16 第13章 事理倶密の邪説を破折するtop
13                                                 次に事理
14 倶密の事・法華は理秘密・真言は事理倶密なれば勝るとは何れの経に説けるや 抑法華の理秘密とは何様の事ぞや、
15 法華の理とは迹門・開権顕実の理か 其の理は真言には分絶えて知らざる理なり、 法華の事とは又久遠実成の事な
16 り此の事又真言になし真言に云う所の事理は未開会の権教の事理なり 何ぞ法華に勝る可きや、 
−−−−−—
 次に事と理もともに秘密であるということについていえば、法華経は理が秘密であり、真言経は事も理理もともに秘密であるので勝れているというのは、どの経に説いてあるのか。そもそも法華経の理が秘密であるというのは、とは何様どのようなことをいうのか。法華経の理とはの法華経の迹門で説く開権顕実の理のことか。もし、そうであるならば、その理は真言経には領分を超えていて知ることのない理である。法華経の事とはまた、久遠実成の事である。この事もまた真言経には説かれていない。真言経で説くところの理とは未開会の権教の事と理である。どうして法華経に勝ることができようか。

理秘密
 天台密教では一切経を顕示教と秘密教の二種に分け、さらに秘密教を理秘密のみ説く理秘密と事秘密・理秘密の両方を説く事理俱密教に分ける。そして華厳・般若・維摩・法華・涅槃経等が理秘密であるのに対し、大日・金剛頂などが事理俱密教であって勝れているとする。
———
迹門
 本門の対語で、垂迹仏が説いた法門の意。法華経二十八品中の序品第一から安楽行品第十四までの前十四品をさす。内容は、諸法実相、十如是の法門のうえから理の一念三千を説き、それまで衆生の機根に応じて説いてきた声聞・縁覚・菩薩の各境界を修業の目的とする教法を止揚し、一切衆生を成仏させることにあるとしている。しかし釈尊が過去世の修行の結果、インドに出現して始めて成仏したという、迹仏の立場であることは爾前と変わらない。
———
開権顕実
 方便品を開いて真実の教えを説き顕したこと。「権」は権教である40余年の爾前経、「実」は法華経をさす。
———
久遠実成
 釈尊は、法華経如来寿量品第十六で、五百塵点劫の成道を説き、仏の本地を明かした。すなわち、爾前経および法華経迹門ではインドに出世して30歳のとき菩提樹下で初めて成仏したことが説かれ、これを始成正覚という。しかるに本門寿量品では、五百塵点劫という久遠の昔に、すでに仏であったことが説かれている。これを久遠実成といい、長遠の生命を説き明かしたものである。
———
未開会
 「末だ開会せず」と読む。まだ開会の法門を説いていないということ。「開会」とは、低い教えにおける隔別・差異を除き、高い教えにおいて融合・平等化することをいう。開会には法開会と人開会があり、真実究竟の開会がとかれているのは法華経である。
—————————
 第五問答の答えが続いているところである。ここでは四点の難詰のうち②「法華は理秘密・真言は事理倶密なれば勝る」すなわち、事も理も俱に秘密であるのは真言のみであり、真言が勝れている所以はここにある。という邪義を破られているところである。
 この考え方は、理については法華・真言両経は同じで、印・真言などの事については真言経が勝れているという「理同事勝」として中国の善無畏らが唱えていたのと共通しており、弘法の真言宗ではなく、慈覚や智証といった比叡山天台宗の密教の説である。
 しかしながら、本来法華経を根本とした天台宗である慈覚たちが、このような「亊理俱密の故に真言の方が勝れる」と言ったことは、もともと真言宗側からの見解以上に、真言の邪義を助ける力となっていたのである。
 まず、大聖人は、亊理俱密であるから真言が法華に勝るということはどの経にとかれているのか、と追及されている。確かな文証のないまま立てられたこの邪説の虚妄性を指摘されているのである。
 次に、いったい法華経の理が秘密であるといっているが、その内容は何をさしているかと述べられ、法華経の理といえば迹門には開権顕実の理があるが、この理は真言が全く知らない理であると指摘されている。更に、事についても法華の事は仏が実は久遠において成仏していたという事であると仰せられ、これもまた真言には全くないことであると述べられている。台密の言う「事」は印や真言のことであるが、大聖人は、法華経には、そのような小手先の小さな「事」などよりずっと大きく根本的な「事」がある、という意味を込めて仰せられたのであろう。結論として、真言がいうところの事や理は末だ真実を開顕していない権教の事や理にすぎないのであるから、それがどうして法華に勝っているということができようか。と破られている。
法華は理秘密・真言は事理倶密なれば勝る
 この台密の立てる邪説の出典とその意味が撰時抄に明確に説かれているので、引用しておきたい。すなわち「此の疏の肝心の釈に云く『教に二種有り一は顕示教謂く三乗教なり世俗と勝義と未だ円融せざる故に、二は秘密教謂く一乗教なり世俗と勝義と一体にして融する故に、秘密教の中に亦二種有り一には理秘密の教諸の華厳般若維摩法華涅槃等なり但だ世俗と勝義との不二を説いて未だ真言密印の事を説かざる故に、二には事理倶密教謂く大日教金剛頂経蘇悉地経等なり亦世俗と勝義との不二を説き亦真言密印の事を説く故に』等云云、釈の心は法華経と真言の三部との勝劣を定めさせ給うに真言の三部経と法華とは所詮の理は同じく一念三千の法門なり、しかれども密印と真言等の事法は法華経かけてをはせず 法華経は理秘密・真言の三部経は事理倶密なれば天地雲泥なりとかかれたり」(0280-16)と。
 ここに「此の疏」とあるのは台密の慈覚の蘇悉地経疏のことである。この疏では、一代聖教には顕示教と秘密教の二種があるとし、そのうち顕示教とは阿含経・深密経などの三乗教で、その特色は世俗諦と勝義諦とが別々で円融一体になっていないところにあるとし、秘密教は一乗教で、その特色は世俗諦と勝義諦とが円融不二と教えるところにあるとしている。
 更に、その秘密教にまた二種あって、一つが理秘密、すなわち世俗諦と勝義諦との円融不二であることを説くだけで真言・密印等の事相を説かない教えで、これには華厳経・般若経・維摩経・法華経・涅槃経等が入るのに対し、いま一つは事理俱密教で、世俗諦と勝義諦とが円融不二であるとする理秘密だけでなく、真言・密印等の事法をも説いてるもので、ここに当たるのが大日・金剛頂・蘇悉地の真言三部経であるとしている。
 これを受けて大聖人は「釈の心は」以下の御文で、その内容を簡潔にまとめられている。
 法華経と真言三部経とに共通するという「理」を一念三千の法門とされている。「事」を「密印と真言等」とすることはおなじである。
真言に云う所の事理は未開会の権教の事理なり何ぞ法華に勝る可きや
 真言でいう事と理は、末だ開会されていない権教の事・理であるゆえに法華経のそれに劣ると仰せられている。
 開会とは、言葉、名称だけでなく実体を明らかにすること、部分だけ示すのでなく全体を明らかにすること等と考えてよい。
 言葉だけで実体を知らないのは観念しかない。部分だけで全体を知らないのは、部分にすぎないものを全体であるかのように思い込んでしまうので、偏見にとらわれてしまう。
 真言の経典など、いわゆる権教は、言葉だけ見ると深遠そうな説法が含まれていても、例えば「成仏」という言葉はあっても成仏の法が明かされていないから実義がなく「真理」といった言葉はあっても生命の全体が示されていないので偏頗なものでしかない。すなわち「未開会」の「権教」であるゆえに、さまざまな「事」「理」が説かれていたとしても、実体と全体像を余すところなく説いた法華経にははるかに及ばないのである。

0137:16~0138:06 第14章 真言が五時に属さずの説を破るtop
16                                             次に一代五時の摂
17 属に非ずと云う事 是れ往古より諍なり唐決には四教有るが故に 方等部に摂すと云へり、 教時義には一切智智・
18 一味の開会を説くが故に法華の摂と云へり、 二義の中に方等の摂と云うは吉き義なり、 所以に一切智智・一味の
0138
01 文を以て法華の摂と云う事甚だいはれなし 彼は法開会の文にして全く人開会なし争か法華の摂と云わるべき、 法
02 開会の文は方等般若にも盛んに談ずれども 法華に等き事なし彼の大日経の始終を見るに 四教の旨具にあり尤も方
03 等の摂と云う可し、 所以に開権顕実の旨有らざれば法華と云うまじ 一向小乗三蔵の義無ければ阿含の部とも云う
04 可からず、 般若畢竟空を説かねば般若部とも云う可からず、 大小四教の旨を説くが故に方等部と云わずんば何れ
05 の部とか云わん、 又一代五時を離れて外に仏法有りと云う可からず 若し有らば二仏並出の失あらん、 又其の法
06 を釈迦統領の国土にきたして弘む可からず、
−−−−−—
 次に真言経は、一代五時に属さないということについていえば、これは昔から論争のあるところである。唐決では「蔵・通・別・円の四教が説かれているがゆえに方等部に入る」といい、教時義では「一切智智・一味の開会を説くがゆえに法華部に入る」といっている。この二義の中では、方等部に入るというのが理にかなった義である。ゆえに一切智智は一味であるとあるという開会の文をもって法華部に入るというのは全く正当な理由がない。それは法開会の文であって、全く人開会は説いていない。どうしてな法華部に入るということができよう。法開会の文は方等部や般若部にも盛んに述べられているけれども、法華部と等しいということはない。大日経を始めから終わりまで見てみると、四教の趣旨がすべて具わっている。まさに方等部に入るというべきである。ゆえに開権顕実の趣旨がないので、法華経ということはできず、般若畢竟空を説いていないので般若部ということもできない。大乗・小乗四教の趣旨を説くのであるから、方等部と云わなければ、どの部といえよう。
 また、一代五時以外の時を説かれた仏法であるというべきではい。もし、有りとするならば二仏が同時に出現するという過ちとなろう。また、その法を釈迦が統治する国土に持ってきて弘きたして弘めるべきではない。

唐決
 慈覚が入唐して、修学ののち、その功績を認められて、相承を受けたこと。慈覚は唐で顕密二道の勝劣を学び、天台宗のことを広修・維蠲等について修学したといわれる。
———
四教
 化法の四教のこと。天台大師が釈尊の一代聖教を教判の内容によって四種に分類したもの。(1)蔵教・小乗の教。(2)通教・大乗、小乗に通ずる教。(3)別教・大乗のみを説いた教。(4)円教すべてを包摂する円満な教・法華経をさす。
———
方等部
 方等部に説法した種々の経典の総称。小乗を弾呵し一切衆生に広く平等に教法を説きしめしたもの。
———
法開会
 教法における開会のこと。限られた範囲における教法を一切にわたる教法の中に位置づけていれることをいう。
———
人開会
 人における開会のこと。成仏することができないとされてきた衆生を、等しく成仏する一切衆生の中に入れることをいう。法華経以前の諸経で不成仏とされた二乗が法華経に至って成仏すると説かれたことをさす。
———
方等
 方等経のこと。方とは方正、等とは平等にして中道の理。したがって方等とは広く大乗経である。
———
小乗
 小乗教のこと。仏典を二つに大別したうちのひとつ。乗とは運乗の義で、教法を迷いの彼岸から悟りの彼岸に運ぶための乗り物にたとえたもの。菩薩道を教えた大乗に対し、小乗とは自己の解脱のみを目的とする声聞・縁覚の道を説き、阿羅漢果を得させる教法、四諦の法門、変わり者、悪人等の意。
———
般若
 般若波羅蜜の深理を説いた経典の総称。漢訳には唐代の玄奘訳の「大般若経」六百巻から二百六十二文字の「般若心経」まで多数ある。内容は、般若の理を説き、大小二乗に差別なしとしている。
———
畢竟空
 諸法は究極するところ空であるということ。「畢竟」は究極、つまるところの意。
———
般若部
 天台大師が釈尊の一代聖教を五時に分けたうち、第四時の諸経典をいう。代表として摩訶般若波羅蜜経・大般若波羅蜜多経などがある。
—————————
 第五問答の答えが続いているところである。先の四点にわたる難詰のうち、ここでは③真言三部経は釈尊一代五時の中に属さない教えである。という真言宗の言い分を破られている。
 まず初めに、真言三部経が一代五時の中に属するか否かについては「往古より諍なり」昔から論争されてきた問題であると仰せられている。そして、一代五時に属するという立場を代表する唐決と真言宗教時義の説を紹介されている。そのなかで、唐決は大日経は蔵・通・別・円の四教を具えているので第三時の方等部に摂するとし、安然の教時義では、大日経が一切智智・一味の開会を説いているから、第五時の法華・涅槃時に摂するとしているのであるが、大日経は二義の中では唐決の方等部に摂するのが妥当であると結論されている。
 その理由として、安然が教時義で、大日経は一切智智・一味の開会を説いているから第五時法華・涅槃時に摂せられるとしているが、この大日経の開会は第三方等時や第四般若時に摂することはできない、と述べられている。そして、大日経の全体を見るに、蔵・通・別・円の四教の内容がすべて具わっていることから、第三方等時に摂せられるべきであると結論されている。
 そして、真言三部経は開権顕実の法門を説いていないので、第五時・法華・涅槃時というわけにはいかず、といって、小乗三蔵教の内容のみを説いているわけではないので、第二阿含時ともいえず、また般若や、究極は空であるという法門を説いているわけではないので第四般若時ともいえない。要するに、真言三部経は大乗・小乗にまたがる蔵・通・別・円の四教の内容を説いているので第三方等時に摂せられなかったら、一体どの時にはいることができようかと、述べられている。
 最後に、真言三部経は釈迦一代五時に属さないという邪説に対して、そもそも一代五時を離れて外に仏法が存在するというような説を立てるべきではないと断ぜられ、もし五時以外に教法があるとすれば、同一の娑婆世界に二仏が並んで出現したということになり、これは仏法の原則に外れることとなる。また、釈尊とは別の仏の説いた教法を、娑婆世界が統治する娑婆国土にもってきて弘通すべきではない。と破折されている。
唐決には四教有るが故に方等部に摂すと云へり、教時義には一切智智・一味の開会を説くが故に法華の摂と云へり
 真言三部経は一代五時の中に摂せられるという立場を代表する二説を挙げられているところである。
 まず唐決とは、日本の伝教大師や円澄などの質問に対して、本家である中国天台宗で唐代に活躍した道邃・広修・維蠲らが答えたものである。これに7篇あるなかで、ここに紹介されている唐決は円唐決一巻であると考えられる。この一巻は日本の円澄の30条にわたる疑問に対して、広修が答えたものである。
 この中で円澄は大日経に関して質問している。すなわち、毘盧遮那は五時四教八教に明確に位置づけられておらず、法華経の前説とたり法華の後説としたりしているが、この義についてはどうかというものである。
 これに対して広修は「既に四教の機根有り。豈、第三時の摂、方等経の収と為らざらんや。理を以って之を検するに即ち知る。是れ法華の前説並びに八教の中に並摂せらるることを」と答えている。つまあり、第三方等時に摂せられるといっている。
 これとは別に、天台宗の密教の安然はその著・真言宗教時義にに「今の大日経は応正遍知が衆生の楽いに随って四乗の法及び八部の法を説き、而して是の一切智智は一味なり云云。若し爾らば法華と同なりと謂うべし」と述べている。
 応正遍智とは仏の十号のうち応供と正遍知を併せた呼称で、ここでは大日如来をさしている。すなわちこの文の意は、大日如来は衆生の願いと望むところに随って、それまで四乗のために法や仏法を守護する天・竜・夜叉など八部衆のための法を説いてきたが、今、大日経をとくことで、それまでの法があくまで一切智智を顕すための方便であったことを明らかにした結果、すべての法は一切智智を分々に説いたものとして生かされ、ここに一切智智によって一味として統一されたというのである。大日経には、このように開会の法門が説かれているゆえに、法華経と同じ第五時に摂せられるというのである。
一味の文を以て法華の摂と云う事甚だいはれなし彼は法開会の文にして全く人開会なし
 大聖人は上の安然の教時義の釈は、根拠のない言い分であるとされ、その理由として、大日経の「一切智智・一味」の文は単に開会にすぎず、大日経には人開会がないから、真実の開会とはいえないと仰せられている。
 このことを理解するために「一切智智・一味の文」というのを見てみよう。大日経巻1に「世尊、如何が如来応供正遍知は一切智智を得たもうや。彼一切智智を得て、無量の衆生の為に広演分布し、種種の趣と種種の性欲とに随って、種種の方便道をもって一切智智を宣説したもう。或いは声聞乗道、或いは縁覚乗道、或いは大乗道、或いは五通智道、或いは願って天に生じ、或いは人中及び竜・夜叉・乾闥婆に生じ、乃至摩睺羅伽に生ずる法をときたもう…而して此の一切智智道は一味なり」とあるのがそれである。
 ここに一切智智とは大日如来の仏智のことで、大日如来はこの仏智を得てのち、無量の衆生のために、彼らのさまざまな傾向性と求めに応じて、声聞乗道・縁覚乗道・大乗道などを説いてきた。それらはどこまでも一切智智を説くためのことであると述べ、「一切智智道は一味なり」すなわち、全ての教法は一切智智の道に通じていて一味平等であると結論している文である。
 安然は、この文をもって、大日経には開会が説かれているから、同じく一切法を開会した第五法華時に摂せられるべきであるといったのである。
 これに対して、大聖人は大日経の開会は法の開会にすぎず、人の開会、すなわち、成仏することができないとされてきた衆生を、成仏する一切衆生の中に等しくして入れることは説いていないから真の開会ではなく、法華経の開会とは全く違うと指摘されている。
 法の開会だけなら、方等時や般若時の経教でもとかれていることで、これは抽象的観念の上で「平等」を唱えているにすぎないのである。
所以に開権顕実の旨有らざれば
 蔵・通・別・円四教の立て分けは、小乗教を蔵教、小乗・大乗両方に通じる教えを通教、別して大乗菩薩道を説いたのを別教とし、一切衆生を一仏乗に包摂する教えを円教とする。そのなかで、法華経はそれ以前の諸経を「方便権教」と断じ、唯一仏乗を説いた「開権顕実」の法門である。それに対し大日経は蔵・通・別・円すなわち大小四教のすべてを説いており、これは五時の立て分けでいえば「方等時の経典」の特色である。このことから、「大小四教の旨を説くが故に方等部と云わずんば何れの部とか云わん」と結論されているのである。
又一代五時を離れて外に仏法有りと云う可からず若し有らば二仏並出の失あらん、又其の法を釈迦統領の国土にきたして弘む可からず
 仏教では、一つの世界に出現して衆生のために法を説く教主としての仏は一仏のみとされる。二仏・三仏が同時に出現して法を説けば、衆生はどの仏を信ずべきかで迷い、結局、我見にとらわれてしまうからである。法華経で二仏・三仏が出現したといっても、教主釈尊は釈迦であり、多宝・十方はあくまでも証明役だったのである。一つの世に二仏が同時に出現することはないということの論拠としては、涅槃経巻34の「善男子、我処処の経の中に於いて説いて言わく『一人出世すれば多人利益す。一国土の中に二転輪王、一切世界の中に二仏出世すること、是の処有ること無し』と」の文がある。
 また、大智度論巻9には「十方恒河沙等の三千大千世界、是を名づけて一仏世界と為す。是の中に更に余仏無し。実に一りの釈迦牟尼仏なり」とあり、妙楽大師の法華文句記巻1には「世に二仏無く、国に二王無し。一仏の境界には二尊の号無し」とある。
 これらの文を裏づけにして、大聖人は、釈迦仏とは別に大日如来が出現して、釈迦一代の教法とは別に法を説いたなどということは「二仏並出はない」との原則に反することになるから、ありえないとされているのである。
 また、この娑婆国土は釈迦仏の仏法が弘められるべき世界であるから、それ以外の仏の法であるなどといって、釈迦仏の説によらない法を持ちきたって弘通するようなことはあってはならないのである。

0138:06~0138:12 第15章 秘蔵宝鑰の謬見を破折して結ぶtop
06                      次に弘法大師釈摩訶衍論を証拠と為て 法華を無明の辺域戯論の法と
07 云う事是れ以ての外の事なり、 釈摩訶衍論は竜樹菩薩の造なり、 是は釈迦如来の御弟子なり争か弟子の論を以て
08 師の一代第一と仰せられし 法華経を押下して戯論の法等と云う可きや、 而も論に其の明文無く随つて彼の論の法
09 門は別教の法門なり権経の法門なり 是円教に及ばず又実教に非ず何にしてか法華を下す可き、 其の上彼の論に幾
10 の経をか引くらんされども 法華経を引く事は都て之無し権論の故なり、 地体弘法大師の華厳より法華を下された
11 るは遥に仏意にはくひ違いたる心地なり、用ゆべからず用ゆべからず。
12                                           日 蓮 花 押
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 次に弘法大師が釈摩訶衍論を証拠として「法華経を無明の辺域の仏の教えであり、戯れの論を説いた法である」といっているのは、もっての外である。
 釈摩訶衍論は竜樹菩薩の造であり、この人は釈迦如来の御弟子である。どうして弟子の論をもって、師が一代の教えの中で第一と仰せられた法華経を押下して「戯むれの論を説いた法である」等ということができようか。
 しかも釈摩訶衍論にはその明確な文はない。この論で説く法門は別教の法門であり、権経の法門である。これは円教に及ばず、また実教ではない。どうして法華経を下すことができようか。そのうえ、この論に幾つかの経を引用しているけれども、まったく法華経を引用していない。権教を説いた教えだからである。
もともと弘法大師が華厳経よりも法華経を下したのは、仏意とは遥かに食い違った考えであり、用いるべきではない。用いるべきではない。
                                           日 蓮 花 押

竜樹菩薩
 付法蔵の第十四。仏滅後700年ごろ、南インドに出て、おおいに大乗の教義を弘めた大論師。梵名はナーガールジュナ(Nāgārjuna)。のちに出た天親菩薩と共に正法時代後半の正法護持者として名高い。はじめは小乗経を学んでいたが、のちヒマラヤ地方で一老比丘より大乗経典を授けられ、以後、大乗仏法の宣揚に尽くした。南インドの国王が外道を信じていたので、これを破折するために、赤幡を持って王宮の前を七年間往来した。ついに王がこれを知り、外道と討論させた。竜樹は、ことごとく外道を論破し、国王の敬信をうけ、大乗経をひろめた。著書に「十二門論」1巻、「十住毘婆沙論」17巻、「中観論」4巻等がある。
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円教
 円融円満で完全無欠な教のこと。中国では諸教の教相判釈に対して、最高の教を円教と定めた。法華経のこと。
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権論
 権教の論説のこと。釈尊滅後の人師・論師が、方便の教えである権教の立場から説いた論書。
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地体
 ①根本・本来持っている性質。②もともと・元来。
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 第五問答の答えが続いているところである。先の四点にわたる難詰のうち、最後の④弘法の秘蔵宝鑰という著書には竜樹の釈摩訶衍論の文を証拠に、法華経を無明の領域の教えであり、したがって真実を説かない戯れの論であると貶めている、という論に対し破折を加えられているところである。
 まず、弘法の謬見に対して「以ての外の事なり」と一蹴され、その理由を次に述べられている。
 弘法が証拠とした釈摩訶衍論は竜樹菩薩の著作である。そしてその竜樹は釈迦如来の弟子である。とするならば、弟子の竜樹が、師である釈尊自身が一代説法のなかで最第一とした法華経を下して、無明の領域の教えであるとか戯れになす論であるなどと貶めるなどということはありえないと述べられている。
 現に、釈摩訶衍論は偽論であると断じており、現在では竜樹の著作でないことは明らかになっている。
 しかも、釈摩訶衍論に法華経を下す明確な文は全くないことを指摘され、この論自身の本質は別教で権教の法門であるから円教に及ばないし、実経ではない。ゆえに円教であり実経である法華経を下すなどということはできないと述べられている。
 更に、釈摩訶衍論に幾つかの経文の引用はあるが、法華経の文を全く引用していない。それは、この論が権教の立場を説いたものだからである。
 最後に、元来、弘法が華厳経より法華経を下したこと自体が仏の本意からはるかに逸脱したものであり、そのような謬見は用いてはならないと戒められ、本抄を結ばれている。