パンドラの箱が開く日
 

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    マヤが解読した10万4千年の銀河宇宙時間という
    時の砂時計はもうまもなくつきようとしています
 
 
    ★ ユートピアをめざしているあなた
 
    ★ 予言に興味があるあなた
 
    ★ 理想主義のあなた
 
    ★ 神秘主義のあなた
 
    ★ 虚無主義のあなた
 
    ★ 日月神示が好きなあなた
 
       そんなあなたのために用意いたしました。
 
 
 
 
 
 
 
 この世はもうすぐ突然終わってしまうようですよ。
 
 長かった輪廻転生も今回で終わっちゃいます。
 
 この世の価値判断を手放し、苦も楽もそのまま受け止め、ミロクの世界に出発しませんか。
 
 
 世の中、いろいろなことが議論されているようですが、無駄なんですよね。もしかしたらすべての主張は自己を正当化する為にあるのかもしれませんよ。
「自分は正しい」と思っているから口論、喧嘩が始まるんですし、その人の信じている「真実」はどんなに説明しようと、その価値観を受けつけない人にはあまり意味がないんですよね。
 
 思考は無限の万華鏡のように、ある面から見ればそう見えるし、角度を少し変えて見れば又別の物語が生まれてくるというようなもので、そのひとつひとつがその人の、その時の「真実」であるのでしょう。
 各個人はそれぞれの快欲を基に価値判断を下しているので、どうしてもお互い理解に至らない場合がほとんどとなります。相手を説得しようと、人は大変な労力を使って議論するわけですが自分の方が正しいので相手もそのうち認めるハズだという幻想を信じてお互いの「論理的知性」は、どこまでも衝突していくのです。
 
『論争の結果、得られるのは非難と称賛の二つのみであり、心の平安を得ることはできない』 釈迦
 
な〜んちゃって。さて本題に入りましょう。
 
「一厘の秘密」
 一厘の仕組みは「神々さえ知らない」秘密とされ人間には到底知ることのできないとされていたものですが、人間の欲望が限界まで物質化され、その舞台が99%完成した現在、大神様はついにその実行を宣言されました。
 これは人間がとことんまで行かなければ地球の行き詰まりがハッキリと目で、形として見えなければ心からの改心ができない為、現代まで待ったということです。いよいよパンドラの箱が開かれる時がきたのです。
 一厘というのは「いよいよのギリギリ」の時になったら発動するように大神様がセットした秘策で、今までの体主霊従の世から霊主体従の世にひっくり返す最終手段として富士火・霊と鳴門水・体の仕組みとして用意されており、それは世界の霊的中心である日本、そして人体の中心であるハラにマコトを据えることのようです。五体は五大陸に通じ、五体の中心のハラが栄養をとれなくなると全体が衰弱していきます。統一するのがハラのハタラキであり、ハラにマコトが据わっていないからアタマが取り違いをして我善し、身欲に走ってしまうわけです。具体的に一言で言えばそれは悪の自滅システムというもので、大神様が最初に神々や人間を生み出した時セットした体内時限爆弾とも呼べるものです。
 
 神示では『身欲生ぜねば悪生ぜず、悪生ぜねばメグリの輪廻転生はなかりたのであるぞ』『アタマで作りた信仰は身欲の悩みを逃れんが基なれば、御身の保身が先にあり、汝らを生かし生かしある基に真っ先に感謝が出来ぬ臭き魔釣りぞ』とあるように身欲が生じると、一つの現象を、これは得(善)、これは損(悪)とアタマで分離、判断するようになり、損得を考えはじめると感謝の心を失っていき、次に自分に都合の悪い相手、現象を責める心が生じ、ついに「身欲から生じた善悪の判断」により大神の意識から分離してしまいました。これより人間の死(輪廻)の体験が始まったということで、これが聖書の『善悪の知恵の木の実を食べたときは、君は死なねばならないのだ』という神の言葉の意味であるようです。この点に関しては釈迦も最も古い聖典「スッタニパータ」の中で次のように言っています。『欲にひかれ、好みにとらわれている人はどうして自分の偏見を超えることができるだろうか。彼は自ら完全であると思いなしている』つまり価値判断をしている限り、偏見を超える生死を超えることはできないということになります。
 
 日月神示において『残る一厘はいよいよのギリギリでないと申さん』と一厘を明かす約束をされています。これは長谷さんたちの神示を降ろされ、約束をはたされたようです。
 日月神示では『一厘が隠してあるのぢゃ、隠したものは現れるのぢゃ。現れているのぢゃ。何でもないことが中々のことぢゃ、判りたか』『一厘の仕組みとは○に神の国のヽを入れることぞ、よく心してたたみておいてくれよ』『残る一厘は悪の中に隠してあるぞ』などとあり、艮のフミなどではしつこい程、悪と結びつけており、『そなたらの最大の取り違い「悪(開く)」の仕組みが分からねば、こ度の大峠は越せん・・・』『悪の中に真コトあり。悪の中に真コトの一厘が隠してござる』『悪避けるなよ、悪に一厘あり』と悪の概念の取り違えが最も重要なヒントとしてでてきます。そして火水伝文でもう一つのヒントを与えられています。マコトの真釣りとは真釣る真中、肝心要の真中の一厘、総てを顕わし生かしある力、であるといい、『蛇の力を底底に封印せしはその神力、思凝り固まりて快欲に囚われたる身欲悪現れいでたれば「魔釣りの経綸」のハタラキ現れ出る様仕組みありての事でござりたのじゃ』とありますが最後の一厘の仕組みではこの封印された力が重要な役割を果たすことになります。
『汝らの真中に残りありた一厘のマコト、元つ大神のお出ましに呼応致して汝の真中を占拠する身欲を基の台と成す、九分九厘の「あやま知」を自ら払わんと鳴り響いて居るのじゃ。マコトの少しなりと鳴り出されるように成りて下さらねば、この方も手を貸すことは出来ぬのぞ。授かる草薙の剣で苦しさのあまり自ら払う酷き有様が見えるによりて、気の毒でこの方は見るのがいやであるぞ。余りにケガレた身魂のままである者にとりては、一挙に一回でマコトをハラに据えられては生くるも成らず、死ぬも成らず、苦しみの余り改心致すも底の見えている改心由、それも成らず、悶え暴れ狂いて、しまいには自らの頭を自らが潰す末路と成り果てしもうのぞ』
 
 もともと身欲のケガレ故にチャクラが封じられていたのであり、よく超瞑想とかで、この霊的中枢を開き、尾底骨(性腺チャクラ)からクンダリーニと呼ばれる地のエネルギーを上げて超能力、霊能力を開発しようとしています草薙の剣真言 生く言魂 竜の火によってこのチャクラが完全に開かれ、そのケガレが焼き払われることになります。スサノオの命によって八岐大蛇の尾からとり出された草薙の剣は、人間の脊椎(剣)の例えでもあり、八岐大蛇とは身欲によって肥大したケガレ、嘘の象徴として真中のハラに居座るもので、このケガレたままの状態で人体の霊中枢をすべて完全に開くと、霊と体のバランスが崩壊してしまう為に今まで大神様はわざわざ封印されておられたのです。時がきて今回、マコトのみを残してすべてを焼き尽くす竜の火、草薙の剣が額からハラまで貫通することになり、真の意味でチャクラが開かれることになります。
 チャクラが開かれた時、物質界と霊界を同時に認識できる時空を超えるようになるのですが、これがこの文中の「生きることも死ぬこともできない」という意味であり、日月神示の『過去と未来が同時に来る』艮のフミの『現界と幽界と神界の境を無くす』ことの意味でもあります。そしてこれが身と霊の境を開く、つまり「岩戸開き」の真の意味であり、日月神示で次のように示された部分の解答になっています。
 
 『千引の岩戸開けるぞ』千引石は黄泉の国との境にあります。長谷さんの神示では『イザナギとイザナミが一つになるぞ』となります。
 
 『八と九、九と八の境をひらくことが岩戸を開くことぢゃ』東西南北の四方、八方というようにこの世は一から八までの世界であり黄泉の国は九、十の世界です。 聖書的に言えば『死者が墓から甦る』となります。
 日月神示で一厘を十種の神宝と結びつけていますが、これも死者復活の秘儀にかんするものです。そして大掃除のクライマックスを次のように語っています。
 『人民の戦や天災ばかりで今度の岩戸開くと思うていたら大きな間違いざぞ。戦や天災でラチあくようなチョロコイことではないぞ。あいた口がふさがらんことになりて来るざから、早う身魂磨いて恐いものないようになっておりてくれよ。肉体の恐さではないぞ、霊の恐さざぞ。霊の戦や禍は見当取れまいがな』
 
この「岩戸開き」と「残る一厘は悪の中に隠してある」から次のような結論が浮かびあがります。悪開くの仕組みとは大神様が封印した力を解放し、チャクラを強制的に開くことよってメグリの貯蔵庫でもあるこの霊的中枢から一気に自らの悪心、ケガレが吹き出すというもので、これが大神様のいわれる一括払いというものでしょう。これは三歳苦難の最終段階と思われます心の奥深くの悪が表に開くことになり、その現象化したすべてと自らが対面する状況になるということで、これが起こったらほとんどの人は錯乱状態に陥ることになるかもしれません。それ故に大本教の出口王仁三郎が信者から一厘について尋ねられたとき『今の大本にできる者はおらんな』とか言ったのでしょう。しかしこの苦しみを体験しなければ身魂のケガレは払えないようで、神の世界のルールでは自分が他人に与えた苦は必ず自分自身の苦しみとして体験せねばならず、それ故にキリストはこれを『まいた種は刈り取らねばならない』と言ったのでしょう。『悪の中に隠された一厘』とは、悪が自らの内にあるのを知らず、外や他人が悪いのだ、と裁き責め続ける限り、つまり自分の発したすべてが自分に返ってきて苦しみ続けるのだということを理解しない限りマコト一厘には永遠に気がつかないということで、これは鏡に映った自分を責め続けている事と同じことでもあり、外に現れている現象を自らの「分かつ知」をもって判断し続け、最後には自らの魂さえ分裂させ破壊してしまうということでしょう。『悪避けるなよ、悪に一厘あり』という言葉は、悪(都合の悪い事、嫌なもの等)が精算されるまで本人の前に現れ続ける、つまりその人にとっての「悪」が実はマコト一厘であり、『悪が自らの内になければ悪は現れない』という真実、といったところでしょうか。 
 
 聖書の伝道者の書において輪廻の終焉について書かれてあるような一節がありますのでちょっと紹介しておきます。
 
 『こうして、ついに銀の紐は切れ、金の杯は打ち砕かれ、水瓶は泉の辺で砕かれ、滑車が井戸のそばでこわされる。塵は、もとあった地に帰り、霊はこれをくださった神に帰る』
 
 肉体と魂を結ぶシルバーコード「銀の紐」が切れ「金の杯」という封じられてきた霊的中枢(脳下垂体部)が解放され、我々個々の霊である「水瓶」は霊の大海を意味する「泉」に流れ込んで同化し、ついに回り続けた「滑車」という輪廻転生のシステムは終わるのです。
 
 神のルールをふみはずした我々を消滅から救う為、大神様は輪廻転生というシステムを創り上げ、長い長い間、導いてこられたのですが、このシステムを維持するのはいかに全能の大神様であっても並大抵ではなく艱難辛苦の連続であったそうです。今回いよいよその猶予期間が終了し、全次元を天国化する為、断腸の思いで大掃除を実行されるそうです。その強い決意を次のように語っています。
『こ度のコトはいかなる神仏に頼み参らせれど適わぬコトぞ。人を創り、神をも創りせしものの意なるが由ぞ』
 
『人間の世界に掃除現れるぞ。人間の理屈、中の神や仏の理屈、一切御破算ぞ。知識捨てて掃除せよ。宗教も哲学も知恵も科学も通用せんぞ。元つ真釣りに戻す大掃除でござる』
 楽園を追放された神界に入れなくなった我々は地球をガラクタ園にしてしまいましたが、情け深い大神様に延長していただいた年月を有効に使い、贖罪を果たして、今度こそ栄光の御世にその一員として加わろうではありませんか。『人は日々、自分自身に出会うのだ』確かエドガー・ケーシーの言葉だったと思いますが、魔釣りで腐った頭で創り出したメグリを解消していくのは結構気がめいるものがあります。また、ある宇宙存在はこれを次のように言っています。『その人の魂の様々な側面がいろいろな形をとって本人の前に現れ、自分と争っているのです』
 
 
 
 すべての顕現、現象の裏には本質的なものの働きかけがあり、車のデザインが人間の思考の中に生まれ、その形が現実に物質化されるように、人間は神の思考によってこの世界に物質的に実体化したのですが人間は与えられた自由意志を誤用し神の創造した調和の世界を破壊する存在になり果ててしまいました。そして今、別の形を望む、神の「思い」がこの世界に現れはじめたような気がします。政治、社会面で今まで決して表に出なかったことがどんどんバラされ、秘密を隠せなくなってきたように、各個人も今までのようなタテマエの生活が段々できなくなってきており、心の中を隠せなくなってきたすぐ人をナイフで刺したりハズです。これは次の、全く別の世界に移行する前兆のようです。次の世界がテレパシーですべてがわかってしまう、心がそのまま現れる時代であるとされるからです。武器を使わなくても口論しなくても心の中で戦っている限り、このレベルでは戦争を実際にしているのと同様であるのでそのような想念の持ち主は次の世界には存在することができないのです。すべての不都合は心の中の戦いがそのまま現実化してその人の前に現れているだけなのかもしれませんよ。
 
 バカバカしい? いいですね。 そう思うのも自由ですし、すべてはあなたの思う通りの現実なのですから。まあ、私はただ心の平安が大事なだけで真実であるとか、ないとかはどうでもいいことなのです。
 
 
 一厘の仕組みが実行された場合、我々に起こるだろうと思われる現象を一応とりあげてみましたが、現実にそれがどのような手法をもって成されるかは、まさに『神のみぞ知る』領域であると思われます。 地球の生命は多種多様なものから成り立ち、それぞれが独自の位置を占め、依存し合い完全な調和を創り出しています。そして自然界にはひとつとして同じものは存在していません。木の葉一枚でも微妙に違う逆に言えばだからこそ世界が成立しているのですが、ここにはどれが劣っているとか優れているとかの優劣はなく、ただ全体の一部として機能できるようそれぞれの役割と位置が与えられています。同様に人間もそれぞれの国民が受け持つべき分野が魂レベルで与えられているのですが我が国日本は目先の欲に目が眩んで外国のマネばかりをして、それに追従してきた結果、本来の役目を忘れ去ってしまいました。
 
 我々、日本人には神より与えられた重大な使命があるのです。日本、ヒノモト霊の元、日の元、一の元、火の元は世界の人民の身霊の親としての地位を与えられており、世界の人々にマコト人としての態度を示すのがその役目であるのです。 日本には世界中のすべての要素が凝縮されており、世界中のすべての気候、地形、季節、料理、文化、思想が存在し、すべてのものを融合させる和の精神をそこに見ることができます。その長所は反面、かつて「顔のない日本人」と揶揄されたように白黒をハッキリ分けたがる外国人には曖昧と感じられるようです。日本の列車到着時刻の正確さは世界一であり、かつては世界一安全な国として、また礼儀正しい国民として多少なりとも評価されていました。近年では阪神大震災で被災者が救援物資をうけとるのに順番に並んでいるのを見て海外のマスコミは驚いていたようですが外国では我先にもらおうと殺到するのがあたり前なのでこれはまだ日本人がわずかながらも世界の人々に人の道を示せるという証かもしれません。しかし現在の日本は外国の思想をありがたがってマネをし続けた結果、人を責めるのがあたり前、というようなすさんだ社会になってしまいました。その為、非常に霊性が低下し世界の人から尊敬されるべき国であらねばならないのにその徳を示すどころか恥をさらしているのが現状です。
 
 我々日本人が背負った使命の責任は重く、神はこの日本に責任を果たさせる為、大変な試練を与えられるようです。かつて世界で唯一、核の洗礼をうけたのも親としての自覚をなくしたその穢(けが)れ故の厳しさであったのかもしれません。我々は、とても耐えられないような悪夢のような現実が将来、我々の目の前に繰りひろげられようとも人を、社会を責めず、歯をくいしばって耐え難きを耐え、忍び難きを忍びかつて昭和天皇は終戦時、『自分はどうなってもいいから国民は助けてほしい』とマッカーサーに言われたといいます。心魂を磨き、その後ろ姿を世界の人々に見せる、という大役を演じなければならないのです。 その時、個人のメグリと日本国のメグリが同時に精算されるわけですが多くの人はその理不尽さや不条理さに絶望し、人を、神仏を呪い、お陰をおとしてしまうようです。苦境の時にこそ、その人の本性があらわれるのです。どこの国々もそれぞれのメグリを精算しなければならないのですが日本には、かつて世界中の木材資源や海産物魚やエビ等を金にあかせて買いあさり大半が日本に集中した浪費し、世界中の自然を荒廃させたメグリ、第2次大戦でつくったメグリ等があるようです。
 
 どんなに避けようとも自分のしたことはいつか自分に返ってきます。これから先に何が待っていようとも腹をくくって、すべて「自らの責任をとる」という態度をもって、すべてを許すことのできる「大人」になって苦境を耐え抜き一番キツイ3年間を何とか辛抱して永遠の天国であるミロクの世界へ大神様に連れていってもらおうではありませんか。この世に人間の所有物といわれるものは何ひとつ存在しません。すべてが神よりレンタルされているもので、この肉体でさえ物質の世界で遊ぶ為に各個人のメグリに応じて)貸し与えられた肉の服、ぬいぐるみであり、人間の唯一の財産は各個人それぞれの体験だけなのです。人間がどんなにあがこうとも神の外にはでられませんし、神の意志にいつまでも逆らっていることはできないのです。なぜならこの宇宙自体が神の心の中に生み出された世界であるからです。現在、人間が生きているこの3次元物質世界はもうすぐその役目を終え、掃除されてしまいます。ですから地球の心配をすることや環境を破壊している人を責める必要はないのです。破壊すること自体が悪いのではなく、その心の態度が問題なだけなのです。
 
 人は長い輪廻の間「私は悪くない」と責任転嫁を続け、楽な方へ楽な方へと流れ、身欲と保身から自分に都合のいいように他人や自然をコントロールし続け、さらなるメグリを積み上げてきた結果、法律や規則にがんじがらめにされた身動きのとれない息苦しい社会を創りあげてしまいました。そして「人生、苦があって当たり前」とか「人は競争によって忍耐力を養うのだ」とか「花は散るのが美しい」とかいうような苦し紛れの屁理屈で自分を納得させ、心をごまかしながら生活してきたのです。何度でも人生をやり直せた時代はついに過ぎ去り、今回 神の掟に逆らったら二度と再生は許されません。そして大変な苦しみを気の遠くなるような長期間にわたって体験し続けた後、自分が自分を消し去るのです。
 神のテスト問題は、不都合な状況を体験した時「誰かのせいにするかしないか」のただ一つのみであり、どんな「被害」を受けようともその人や状況を責めなければよいのです。被害者はかつての加害者であり、神の完璧な摂理の内にプラスマイナスゼロとなってその責任は精算されるのです。神は人間に「神から離れる自由」も与えられました。どちらを選ぼうと個人の自由ですが一人でも多くがミロク千年王国の道を歩んでほしい、というのが神の切なる願いであるのです。
 
 この世でどんなに善いことをしようと、どんなに善人と言われようとこの世の価値観を手放さない限りミロクはかなわぬ夢でしかありません。ミロクの世は善悪、優劣、強弱、上下等の二元論を超越した、誰も責めることのない、すべてを許すことのできる人々だけが光ひとつ上がった肉体をもらい今の肉体の目からは見えない何不自由なく楽しく遊んで暮らせる永遠の天国であり、それは既に神の想念の中に創造されており、あとは我々人間がくるのを待つばかりとなっています。
 
 
 日月神示は何度読み返してみても汲めども尽きない泉のようにその度ごとに新しく、いつも私は困惑し立ち止まってしまいます。人間に神の世界を本当に知ることなどできないので当たり前なのですが。長谷章宏様(元つ神からの最後の艮のフミ)と我空徳生様(火水伝文)のご苦労によりその真意が明らかにされ、やっとその突破口を見つけることができ、そこから私なりに理解した事をいろいろ書いてみましたがこの内容が元つ大神様の御心にかなったものになっているかどうか、本当のところ私にはよくわかりません。ただ私としては、このように感じられたということで、私自身には真実の物語となっています。皆さんにこの内容がどのように感じられるかわかりませんが、心の平安と究極の理想世界をめざす人々へのささやかな道しるべとして又私自身への励ましとしてここに発信させていただきました。ある方々にとってはこの内容は空想そのものですが、悪夢にうなされている時の精神的苦痛が現実で感じる精神的苦痛と同質のものであるように精神にとって現実と空想との境は明確には存在していません。だからこそテレビとか電話とか昔の人が空想してきたものが現実に存在するのですが、「現実しか受け入れない」方々には無意味な説明でしたね。他人の信念をとやかく言うのは自由の侵害ですし、「ミロクなどいらない」「絶対認めない」という方々は、それが望みですので、その望みも間違いなくかなえられるでしょう。ラジオが発信局の周波数をとらえ同調すれば、その音を響かせることができるように平安を、理想世界を求める人々の心の中に神は到来され、その精神を望み通りの楽園にいざない、神はそこで人と共に住まわれ、その喜びを楽しまれるのです。
 
 
 『我々は次のように言おう。あなた方は、現に偉大な霊的進歩、覚醒への機会が与えられる時代、その入口に立っていると。だがそのような時代は、等しく堕落への機会をも提供するというのが宇宙法則であることを忘れてはならない。あなた方は、「私は実にあなた方が受け取ることのできないほどの祝福をあなた達の上につみ重ねてきた。だが、あなた達はそれを嘲り、軽蔑してきた。そして、もし我が子らの誠実な祈りを聴くため私がすべてのものを取り上げ、彼らが私に向かって泣き叫ぶまで彼らを裸でよるべなき身にしなければならないのならば、そのように私はしよう。」と語る時代を見ることになるだろう。時は迫っている。そしてこの時代に、天と地の新しい表現に備える光の体を形成する必要がある。肉体の振動の時代は過ぎ去り、神への旅における人間の発達にとって、それはもはや適当なものではなくなっている。これらが修正され、この時代のこの大気が掃き清められ、幾度もこの存在界に戻ってくる必要を超越した人間が住むべきあの新天地を開始し、紡ぎ、自ら形作るあの新しい光に準備すべき時代があり、必要がある。
 汝らは地上のものにあらず、限られた時間の間、経験のためにこのような殻の中に住んでいる天の者、神の者である。そしてこの様な殻に住む必要は無くなろうとしている。それゆえこれに執着するなかれ。地球という土塊の崩壊を気づかうなかれ。全ての体がそれとともに滅びようと、気づかうなかれ。汝らはその体にあらず、これらの体をこの世界で表現する道具として用いる、はるかに大きな意識である。
 「聴き入る場所は自己の内にあり」それが神自らのご計画である。この声だけが、他の全ての者が滅びるその時代にも心の内奥から導きが得られる可能性を指し示し、刺激するのである。もし人がそれを聴くことができないならば、彼を救える言葉は何ひとつ存在しない。
次元がこの世界に加えられつつある。それは先ず意識の中に加えられ、意識の新次元、存在の新次元がさらに近くへ引き寄せられ、地球の一部になろうとしている。心開きつつある人々が新しい次元の中に生き始める時、彼らは皆、体に帯びる物質を減らし、大きく拡大された次元の中に入ってゆく。準備した者たちはその光が雲間に現れる時に引き挙げられ、これらの体を離れ去るであろう。自らを引き挙げつつ、彼らは光のようになり、自らの一部であるあの光に磁石のように吸い寄せられてゆく。彼らはそここそ彼らの天父、住み家であることを目にし、認め、光に吸い寄せられる。こうして彼らは雲の中で神にまみえるため携え挙げられる。準備せざる者たちは天を見上げたまま後に残され、神がその時でさえ自分たちをお受け入れになるように天に向かって泣き叫ぶが、彼らの準備はできていない。もう遅すぎるのである』
 
ポール・ソロモンのアカシックレコードより
 
 
 現在、太陽系は銀河の腕の中を移動し、新しい宇宙領域にまもなく入ろうとしています。それは昔から予言された黄金時代の始まりであり、新しい光源、黄金の放射線を浴び、この世界は新しく生まれ変わるのです。新時代は2013年7月26日以降に設定されているようですがそのシナリオも大神の慈悲と愛により変更される可能性もあり、現在のところすべては流動的であるようにも思われます。(私自身はこの日付より相当、先になるのではないかと考えています。)
 
 人間という生物の形を選んだ我々(霊・個別化したスピリット)は自分自身が何者であるのかを忘れてしまいましたが、いよいよ最初の目的を思い出し、互いに協力しあって神の永遠の創造と繁栄の喜びを分かちあい、神の全体性を完全に表現することができる、神の物質界での分身としての資質を花開かせる時がきたのです。
 
『すべての木がわたしの木の本質を知ってそれを顕わしているように、よく知りなさい。わたしの海鳥としての本質を感じとるカモメのように感じなさい。わたしの海の歌を聞くヒトデが知っているように知りなさい。花のように感じなさい。 それから、国民のこころも。何となれば、すべての存在の中で顕現されるのはただひとつの「大いなる存在」のみであり、あらゆる種の夢の背後にいるのはただ一人のドリーマー(夢見る人)だからです。ドリーマーはあなた方人間の中で、十分に、完全に目覚めようとしているのです。人類の幼年期の最後の日々を生きるあなた方よ、目覚めは段階的に進み、幾層にもなった幻想は玉ねぎをむくように次々とはがれ落ちていきます。地上で待つ人間の中に入ろうとしているわたしの存在−−−−またたく星の霊の側には、いま現在、情熱が欠けていることはありません。わたしが来たのはあなたの目でこの世界を見、あなたと共に創造の作業をつづけ、創造された世界を愛でる為なのです。あなた方人間を通じてわたしは創造を愛し、あなた方を手段として地球のより大きな可能性をひき出すつもりです。わたしの認識は霊的な面に目覚める各人に訪れ、わたしの思考の高い周波数に無理なく順応できるよう、少しずつゆっくりとかれらの生命の中に入っていきます。この心理的プロセスはエデンの園に入る門であり、また、わたしの子どもたちや創造物や自己のわがままな反映が、みなかれらの本来の故郷であるわたしの認識の庭にもどる入口でもあるのです。わたしの庭がわかるのは、愛することを知る人だけです。庭を創り出した愛の本質が理解できるのは、愛することを知る人だけだからです。かれらのよろこび−−−−それとかれらの中にいるわたしのよろこびはそれを感謝することによって永遠に成長します。また、感謝によって、絶えず創造もうながされるのです。主観性が強いあなた方人間の身体は、自分で大いに楽しみなさい。目覚めの状態では、歴史という幻影の住みかにいたときより、はるかによく身体を使うことができるようになるでしょう。あなたの認識と人間全体で共有する認識は、主観性という閉ざされた回路による経験よりはるかに遠くまで流れます。あなたは永遠なる愛の無限のエネルギーに支えられ、普遍的な存在となることによってあなた自身のものとなった星の領域でほかの人間たちといっしょに遊びながら、十分にくつろいで自分自身であることのよろこびを味わいなさい。あなたの身体は、多次元のそれぞれの様相を表すことができるように創られています。感覚器官への重点の置き方を変えることによって、あなたは新しい宇宙でとる形態を考案し、無限の変奏曲をかなでる永遠の命を楽しむことができます』
ザ・サード・ミレニアムより
 
 新時代を前に、もはや秘密のベールにおおわれたものなど何ひとつ存在しません。神のよろこびそのものである人間は、神の「夢」の主役として、神の創造した無限の世界をこれから心ゆくまで楽しむことができるのです。こんな素晴らしいチャンスをみすみすのがす手はないと思うのですが、いかがでしょうか?無限の可能性を秘めた人間であることのよろこびをかみしめ、たとえ現在苦境にあったとしても、一時的な通過点と捉え、来たるべき未来、想像を超えた世界に夢を馳せ、その真実をこの目で見てみようではありませんか。否定からは何も生まれません。とりあえずミロクを信じてみるのも悪くないと思いますよ。(ちょっとくらい信念を曲げても何も損はしないのですから)
 
 
 現代という最終列車に乗った我々はもうまもなく終着駅に到着しようとしています。列車内ではまもなくの到着を知らせるアナウンスが様々な形で流されています。眠っている人や何かの欲望ゲームに夢中になっている人には雑音にしか聞こえませんが。
 
 『人よ。神の子よ。そなたたち皆等しく神の愛を、神の誠を、神の慈愛と慈しみを、等しく受けておるのだ。そうしながら、そなたたち、勝手な欲と損得の計算ばかりに明け暮れ、心汚し、神から離れてしまい、挙げ句に神を汚すのか。神を恨むのか。今日のこの地球上のあらゆる出来事、事件、災害、不幸現象、全てそなたたちへの、神からそなたたちへの警告なり。よいか、決して徒やおろそかに考えるなかれよ。よいか、時は迫っているのだぞ。時はいやでも訪れる。人を裁き、立て分け、永遠に消滅させられる魂と、残され、再びの生命を与えられ、再度人間としての魂を授けられて、この世の立て替え、立て直しに共に励むことを許される魂と、神はおわけになるのだ。その時、地獄に堕ちて、地獄の火に焼かれることを望むなら、神はそなたを、もう求めはすまい。呼びかけることも、もうなかろう。忘れるなよ、人よ。神の魂を分け与えられし、尊き魂の持ち主たちよ、今のままではもう直らぬ。今のままでは墜ちゆくばかりなり。今こそ問い正さねばならぬのだ。今こそ神に乞い、許しと救いを求めねばならぬのだ。人よ、神は今なお人を愛し、求めてやまぬ御心をお持ちだ。なぜなら、神は、自らがお作りになった魂の元親であらせられるからだ。
 人よ、次に来る世は、美しき魂、清き魂、高き魂の者たちだけが生きることを許される世になるのだぞ。そこに生きる魂たちは、皆等しく神の霊行を行じ、神への感謝に満ちて生くる者たちだけとなろう。その中で許される生き方は一つ、神に従い、神を信じ、神を求め、神を敬う者たちだけの世となり、そうした生き方のみが許される世となるのだ。今からでも遅くはないのだ。人よ、今からでも神はお許しくださろう。』
「神から人へ」より
 
 ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。少しでもあなたの魂をゆさぶることができたのなら、私の目的は達せられたことになります。
 
 現時点でとりかえしのつかないことなど何も存在しません。責任をとる気があるなら、すべては許されるからです。新時代の到来を告げる鐘の音が鳴り響いています。共に手を取り、新世界へ出発しようではありませんか。神の無限の喜びに満ちた、その光の世界へ。
 
 
 
<付録>日月神示の一厘の仕組み、補足
 
 一厘の仕組みが実行された場合、クンダリーニのエネルギーが上昇し、頭頂(岩戸)を突き抜けることによって、その人の認識している現実のリアリティーは崩壊し始めることになり、各自はそれぞれがつくり出す想念世界を現実の一部として次第に体験していくことになるでしょう。その過程でその人のもっとも恐れていること、もっとも否定している事象に直面する機会が訪れるのです。クンダリーニのエネルギーによって視床下部の温度が上昇し、その内分泌腺が活性化することによって封じられていた第3の目が完全に目覚めることになります。これは1日24時間、幻覚剤をのんだ状態でなんとかバランスをとりながら生きていく、というようなものです。そしてこの時、敵意をバラまく人は解き放たれたその神通力により破壊的な世界を引き寄せ、自ら滅ぶ道を選択することになるのです。地球のチャクラと人体のチャクラはシンクロしており、地球の次元上昇と時を同じくしてクンダリーニの上昇は始まるものと思われ、多少のズレはあるかもしれませんがおそらく地球のクラウン・チャクラである富士山の噴火によってその封印は解かれることになるでしょう。
(これが富士と鳴門の仕組み、鳴門は渦=クンダリーニ)
 
 「物質で満たされることが何よりの幸せである」という価値観に基づいて日本は戦後、わき目もふらず経済発展に邁進し、ついに世界一「物質に満たされた国」を実現しました。そして現在、前にも進めず後ろにもさがれない「どんづまり」状態に陥り、もがいています。アメリカにしても今までは「力こそすべて」という価値観ですべてをうまく支配してきましたが最近はうまくいかなくなってきたので他国の人々も「どうも力だけではダメなようだ」と気がついてきたのではないのでしょうか。人間は体験しなければ理解しないのでこのような状況を体験する必要がありました。そして世界中の人々がこれらのことを認識するにはテレビやインターネットという情報網も必要で、これらは最後に用意された舞台装置ともいえます。
 
 
 人はそれぞれに都合のよい善悪の基準をつくって他人を裁いてきました。そしてその反作用が自らの首をしめていることに気がつかずに。
 ある高次元のマスターはいみじくも次のように言われました。
 
  『これが正しくて、それは間違っていると言い始めた時、
             人は自動的に人生の苦さを知るのだ』

さて、我々もそろそろカゴの中から出て真の自由を味わってみようではありませんか。
 
 我々は身欲と引きかえに感謝の心を失ってしまいました。全宇宙を支えておられる元つ大神様の計りしれない慈愛の深さとそのご苦労に我々は頭を垂れねばなりません。
 
 『汝等皆々、お一人お一人、何かの事どもを支え居るであろうがな。汝等ご自身が支える基でござるなら尚の事、軽き思いや言の葉で、成すは適わぬ事ぐらい、百も承知にござろうが。なれば、在りて有るモノ支えるは、いかなる力におわすか、思いをなして見なされよ。火の御ハタラキが、下から支える裏の御ハタラキにござるよ。こは父の御役じゃ。至誠大愛の御役にござるよ。下から上へ燃え立ち昇る如く、ご自身は下の下の下に下りて、見えぬ陰の存在と成りて、何かのことを背負いご守護致し生かし活かして、背負われるものが得心致して、不平不満もなく安心致して生きある様、下から上までスクリとマコトをタテワケ立て、ご守護致すこの世の基の御ハタラキを申すのであるぞ。マコトタテワケルご苦労がその基じゃ申して居るのぞ。自らを下に下に下げ行きて、支えるハタラキに仕え真釣るは、この世の基のハタラキなれば、身欲を控えて成し参る、尊き我が子を見過ごす様なこの方にてはござらぬぞ。ドン底に落ちてなお、深き感謝を持ちてマコトを護持致し来た者は、花の咲き行く時節になりたぞよ。万古末代散らぬ花であるぞ』
 

 未来は既に決定されました。ミロクの光が近づく程、その影も濃厚さを増していきます。そして光が真上に来た時、その影は消え去ることになります。その時、あなたはどちらを選択されているのでしょうか。




    (この内容は自動書記を加えて別のタイトルで たま出版より書籍化してあります)