【解説】
この曲の正式な名称は,「独創主題による変奏曲(Variations on an Original Theme for orchestra)」で,出版の際に「エニグマ(Enigma)」と付記することを作曲者のエルガー自身が認めたことから,エニグマ変奏曲と通称で呼ばれるようになりました。
そもそも「エニグマ」とは,古代ギリシャ語の「Ainigma(謎めいた言葉の意味)」からラテン語を経て西洋語となったもので,その意味は「謎」「なぞなぞ」「パズル」等の意味を持っております。
そう言った意味では,第2次世界大戦時のドイツの暗号機が「エニグマ」と言うのも的を射ていると思います。
この曲の作曲の動機は極めて偶然的で,エルガーがピアノを弾きながら物思いに更けていたところ,妻から「旋律が気に入ったので繰り返し弾いてほしい」と言われたことから,エルガーは面白がって即興的に旋律を変奏させていったのが,この曲の原点となり,各変奏を友人たちの音楽的肖像とし,管弦楽へ膨らませたのがこの曲です(作曲者自身のピアノ独奏版も存在します)。
つまり,エルガーの友人たちを愛情たっぷりに表現した音楽と言えます。
さて,この曲が「エニグマ(謎)」と言われる所以が2つあります。
作曲者自身の言葉として,1つの謎は「この変奏曲は,主題とは別の,作品中には現れない謎の主題も使われている」とされており,未だこの謎は解けていませんが,指揮者のストコフスキーが作曲者自身から「この曲の主題には,エロティックな意味が隠されている」と証言を得ていますが,何を指すのかは不明であります。
もう1つの謎は,後記しますが,各変奏に付けられたイニシャルや略称などの該当人物のことで,それぞれの変奏が誰を指しているかであり,こちらの謎解きは概ね完了(第13変奏は未だ不明)しております。
なお,この変奏曲は,作品中に描かれた友人たちに献呈されているという徹底ぶりであります。
さて,この曲は主題と14の変奏からなる曲でありますが,エルガー自身が各変奏の譜面に,あたかも副題であるかのように頭文字や愛称が記入されており,謎解きの手掛かりとなりました。
曲の構成(エルガーの友人などの音楽的肖像)を順に紹介いたしましょう。
主題はト短調の単純なもので,この提示の後に14の変奏が始まります。
第1変奏は「C.A.E.」と記入されており,この謎解きは極めて簡単であり,エルガーの妻のキャロライン・アリス・エルガー(Cariline Alice Elgar)の頭文字です。
第2変奏は「H.D.S-P.」と記入されており,エルガーとともに室内楽を演奏したピアニストのヒュー・デイヴィッド・ステュアート=パウエル(Hew Davis Stuart-Powell)の頭文字で,彼が指慣らしにピアノに触れている様子を描いております。
第3変奏は「R.B.T.」と記入されており,アマチュアの俳優でありますリチャード・バクスター・タウンゼンド(Richard Baxter Townsend)の頭文字で,声質や声域を自在に変えることが得意だったため,それが反映されております。
第4変奏は「W.M.B.」と記入されており,地主の友人であるウィリアム・ミース・ベイカー(William Meath Baker)の頭文字で,精力的な人であったことから激しい曲の雰囲気を持っております。
第5変奏は「R.P.A.」と記入されており,ピアニストのリチャード・P・アーノルド(Richard P.Arnold)の頭文字です。
第6変奏は「Ysobel(イソベル)」と記入されており,エルガーのヴィオラの愛弟子のイザベル・フィットンに付けた愛称で,このことからヴィオラが活躍する変奏となっております。
第7変奏は「Triyte(トロイト)」と記入されており,ピアノがなかなか上達しなかった建築家のアーサー・トロイト・グリフィス(Arthur Troyte Griffiths)をことで,不向きなことに熱を上げるグリフィスの姿が描かれております。
第8変奏は「W.N.」と記入されており,のんびり屋のウィニフレッド・ノーベリー(Winifred Norbury)を指しており,のんびりな雰囲気の曲となっている。
第9変奏は「Nimrod(ニムロッド)」と記入されており,ドイツ生まれで楽譜出版社のアウグスト・イェーガー(August Jaeger:英語読みではオーガスタス・イェイガー)にエルガーが付けた愛称で,「Nimrod(ニムロッド)」とは旧約聖書に登場する狩りの名手「ニムロデ」を指しますが,ドイツ語のイェーガー(Jäger)が「狩人」や「狙撃手」に通じることにちなんで付けられ,ベートーヴェンについて論じ合った一夜の雰囲気を描いたとされており,2人が大好きだったベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」の第2楽章の旋律が下敷きとなっていると言われている,この曲の中で最も有名な変奏であり,単独でアンコール・ピースでも使用されます。
第10変奏「間奏曲」は「Dorabella(ドラベッラ)」と記入されており,ドラベッラの意味はきれいなドラという意味で,第4変奏のウィリアム・ミース・ベイカーの義理の姪で,第3変奏のリチャード・バクスター・タウンゼンドの義理の姉妹にあたるドーラ・ペニー(Dora Penny)を指しており,この変奏の木管楽器は彼女の笑い声などの模倣であると言われております。
第11変奏は「G.R.S」と記入されており,オルガニストのジョージ・ロバートソン・シンクレア(George Robertson Sinclair)の頭文字で,変奏は彼の愛犬のダン(Dan)が描かれております。
第12変奏は「B.G.N.」と記入されており,当時の著名なチェリストのベイジル・G・ネヴィンソン(Basil G.Nevinson)の頭文字で,後にネヴィンソンに触発されて代表作のチェロ協奏曲を書くこととなります。
第13変奏「ロマンツァ」は「★★★」と記入されており,文字で示されていないことから真相は解明されていませんが,メンデルスゾーンの序曲「静かな海と楽しい航海」からの引用がされていることから,当時のオーストラリア大陸に向かって旅立ったレディ・メアリー・ライゴン(Lady Mary Lygon)か,エルガーのかつての婚約者でニュージーランドに移民したヘレン・ウィーヴァー(Helen Weaver)のいずれかではないかと推測されております。
第14変奏「終曲」は「E.D.U」と記入されており,これはエルガー自身を指しており,妻がエルガーを呼ぶときの愛称でありますエドゥー(Edu)であります。
なお,この曲の成功(初演はハンス・リヒターの指揮)により,エルガーは世界的な作曲家として認められました。
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