クラシックにくびったけ  
     

E・エルガー
 

エニグマ変奏曲作品36

【特選】
  指揮:ピエール・モントゥ
  演奏:ロンドン交響楽団
  録音:1958年

【推薦①】
  指揮:レナード・バーンスタイン
  演奏:BBC交響楽団
  録音:1982年

【推薦②】
  指揮:ジョン・バルビローリ
  演奏:フィルハーモニア管弦楽団
  録音:1962年

【推薦③】
  指揮:チャールズ・マッケラス
  演奏:ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
  録音:1992年

【推薦④】
  指揮:ノーマン・デル・マー
  演奏:ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
  録音:1975年

   

【解説】
 この曲の正式な名称は,「独創主題による変奏曲(Variations on an Original Theme for orchestra)」で,出版の際に「エニグマ(Enigma)」と付記することを作曲者のエルガー自身が認めたことから,エニグマ変奏曲と通称で呼ばれるようになりました。
 そもそも「エニグマ」とは,古代ギリシャ語の「Ainigma(謎めいた言葉の意味)」からラテン語を経て西洋語となったもので,その意味は「謎」「なぞなぞ」「パズル」等の意味を持っております。
 そう言った意味では,第2次世界大戦時のドイツの暗号機が「エニグマ」と言うのも的を射ていると思います。
 この曲の作曲の動機は極めて偶然的で,エルガーがピアノを弾きながら物思いに更けていたところ,妻から「旋律が気に入ったので繰り返し弾いてほしい」と言われたことから,エルガーは面白がって即興的に旋律を変奏させていったのが,この曲の原点となり,各変奏を友人たちの音楽的肖像とし,管弦楽へ膨らませたのがこの曲です(作曲者自身のピアノ独奏版も存在します)。
 つまり,エルガーの友人たちを愛情たっぷりに表現した音楽と言えます。

 さて,この曲が「エニグマ(謎)」と言われる所以が2つあります。
 作曲者自身の言葉として,1つの謎は「この変奏曲は,主題とは別の,作品中には現れない謎の主題も使われている」とされており,未だこの謎は解けていませんが,指揮者のストコフスキーが作曲者自身から「この曲の主題には,エロティックな意味が隠されている」と証言を得ていますが,何を指すのかは不明であります。

  もう1つの謎は,後記しますが,各変奏に付けられたイニシャルや略称などの該当人物のことで,それぞれの変奏が誰を指しているかであり,こちらの謎解きは概ね完了(第13変奏は未だ不明)しております。

  なお,この変奏曲は,作品中に描かれた友人たちに献呈されているという徹底ぶりであります。

  さて,この曲は主題と14の変奏からなる曲でありますが,エルガー自身が各変奏の譜面に,あたかも副題であるかのように頭文字や愛称が記入されており,謎解きの手掛かりとなりました。
 曲の構成(エルガーの友人などの音楽的肖像)を順に紹介いたしましょう。

  主題はト短調の単純なもので,この提示の後に14の変奏が始まります。
 第1変奏は「C.A.E.」と記入されており,この謎解きは極めて簡単であり,エルガーの妻のキャロライン・アリス・エルガー(Cariline Alice Elgar)の頭文字です。
 第2変奏は「H.D.S-P.」と記入されており,エルガーとともに室内楽を演奏したピアニストのヒュー・デイヴィッド・ステュアート=パウエル(Hew Davis Stuart-Powell)の頭文字で,彼が指慣らしにピアノに触れている様子を描いております。  
 第3変奏は「R.B.T.」と記入されており,アマチュアの俳優でありますリチャード・バクスター・タウンゼンド(Richard Baxter Townsend)の頭文字で,声質や声域を自在に変えることが得意だったため,それが反映されております。
 第4変奏は「W.M.B.」と記入されており,地主の友人であるウィリアム・ミース・ベイカー(William Meath Baker)の頭文字で,精力的な人であったことから激しい曲の雰囲気を持っております。
 第5変奏は「R.P.A.」と記入されており,ピアニストのリチャード・P・アーノルド(Richard P.Arnold)の頭文字です。
 第6変奏は「Ysobel(イソベル)」と記入されており,エルガーのヴィオラの愛弟子のイザベル・フィットンに付けた愛称で,このことからヴィオラが活躍する変奏となっております。
 第7変奏は「Triyte(トロイト)」と記入されており,ピアノがなかなか上達しなかった建築家のアーサー・トロイト・グリフィス(Arthur Troyte Griffiths)をことで,不向きなことに熱を上げるグリフィスの姿が描かれております。
 第8変奏は「W.N.」と記入されており,のんびり屋のウィニフレッド・ノーベリー(Winifred Norbury)を指しており,のんびりな雰囲気の曲となっている。
 第9変奏は「Nimrod(ニムロッド)」と記入されており,ドイツ生まれで楽譜出版社のアウグスト・イェーガー(August Jaeger:英語読みではオーガスタス・イェイガー)にエルガーが付けた愛称で,「Nimrod(ニムロッド)」とは旧約聖書に登場する狩りの名手「ニムロデ」を指しますが,ドイツ語のイェーガー(Jäger)が「狩人」や「狙撃手」に通じることにちなんで付けられ,ベートーヴェンについて論じ合った一夜の雰囲気を描いたとされており,2人が大好きだったベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」の第2楽章の旋律が下敷きとなっていると言われている,この曲の中で最も有名な変奏であり,単独でアンコール・ピースでも使用されます。
 第10変奏「間奏曲」は「Dorabella(ドラベッラ)」と記入されており,ドラベッラの意味はきれいなドラという意味で,第4変奏のウィリアム・ミース・ベイカーの義理の姪で,第3変奏のリチャード・バクスター・タウンゼンドの義理の姉妹にあたるドーラ・ペニー(Dora Penny)を指しており,この変奏の木管楽器は彼女の笑い声などの模倣であると言われております。
 第11変奏は「G.R.S」と記入されており,オルガニストのジョージ・ロバートソン・シンクレア(George Robertson Sinclair)の頭文字で,変奏は彼の愛犬のダン(Dan)が描かれております。
 第12変奏は「B.G.N.」と記入されており,当時の著名なチェリストのベイジル・G・ネヴィンソン(Basil G.Nevinson)の頭文字で,後にネヴィンソンに触発されて代表作のチェロ協奏曲を書くこととなります。
 第13変奏「ロマンツァ」は「★★★」と記入されており,文字で示されていないことから真相は解明されていませんが,メンデルスゾーンの序曲「静かな海と楽しい航海」からの引用がされていることから,当時のオーストラリア大陸に向かって旅立ったレディ・メアリー・ライゴン(Lady Mary Lygon)か,エルガーのかつての婚約者でニュージーランドに移民したヘレン・ウィーヴァー(Helen Weaver)のいずれかではないかと推測されております。
 第14変奏「終曲」は「E.D.U」と記入されており,これはエルガー自身を指しており,妻がエルガーを呼ぶときの愛称でありますエドゥー(Edu)であります。
 なお,この曲の成功(初演はハンス・リヒターの指揮)により,エルガーは世界的な作曲家として認められました。


【推薦盤】
 この曲は,音源が少ないものの名盤揃いですが,圧倒的な演奏としてモントゥ=ロンドン響の58年の録音を特選盤とします。
 まず,この演奏は各変奏曲がしっかりと関連づけられている唯一の演奏とも言え,終曲の第14変奏に向かって突き進んでいっており,その分,ニムロッドについては他の演奏と比較して若干淡泊に感じてしまいますが,これも全体の曲づくりによるもので,モントゥらしい美感溢れる演奏となっております,永遠の名盤と言えるでしょう。
 もちろん,バランス感覚も抜群ですし,録音も当時としては驚異的な素晴らしい録音となっていることも,この名盤を引き立てております。

  次に推薦盤ですが,特選盤も含めて5つの音源は全てイギリスのオーケストラ(ロンドン響,BBC響,フィルハーモニア管,ロイヤル・フィル(2種類))となっております。
 最初に,バーンスタイン=BBC響の82年の録音で,バーンスタイン最晩年としては非常に珍しいスタジオ録音で,BBC響と初共演を果たした公演の翌日に,この曲の初録音という,初物づくしの記念碑的録音です。
 この演奏ですが,全体のテンポが晩年のバーンスタインらしく非常に遅いものとなっており,36分をかけてじっくりと愛情を注いだ演奏となっております。
 特筆すべき変奏は,第9変奏の「ニムロッド」で,これほどじっくりと攻めている,非常に振り幅の大きい演奏は他になく,これだけでも聴く価値がある録音で,バーンスタインのエルガーへの,いやイギリス音楽への尊敬と愛情の念が感じられる演奏となっております。

  次に,バルビローリ=フィルハーモニア管の62年の録音をお薦めしましょう。
 バルビローリ自身,エルガーと親交が深かく,実際にエルガーの楽曲を数多く紹介しているとともに,亡くなる5日前にもエルガーの交響曲第1番を演奏するなど,特に作曲者への思い入れも大きいと思われますし,チェロ協奏曲や行進曲「威風堂々」などの数多くの名盤も残しております。
 この演奏はモントゥの名盤とはある意味では対極にある演奏と言えます。
 と言うのも,モントゥは全体を見通しての演奏でありますが,バルビローリは各変奏の性格の違いをはっきりと打ち出しており,非常に美しい演奏となっており,エルガーとの関係が親密であったことが彼の友人のための愛情こもった曲を,正に愛情込めて演奏しているように思います。

  次に,マッケラス=ロイヤル・フィルの92年の録音をお薦めしましょう。
 この音楽の良さを素直に聴くことのできる秀演で,モントゥと同様に,モーツァルトなどでも聴くことのできるマッケラスらしい気品の高さと骨太さを感じる演奏で,余計な化粧を一切省いた素直な演奏となっております。

 最後に,デル・マー=ロイヤル・フィルの75年の録音を紹介しましょう。
 まず,ノーマン・デル・マーですが,ビーチャムが創設したロイヤル・フィルのホルン奏者としてキャリアをスタートさせましたが,やがてビーチャムに見込まれて指揮者として28歳でデビューし,ビーチャム仕込みの大胆な表現がイギリスでは非常に人気が高く,実際にプロムスに60年に初登場以来,83年までの間に2回を除き毎年登場していた指揮者で,その録音数は非常に少なく,私もほとんど所有しておりませんが,R・シュトラウスの交響的幻想曲「イタリアより」はオルフス響との録音で特選盤としておりますし,チャイコフスキーの交響曲第5番(ロンドン・フィル)でも推薦盤にするほど,表現豊かな指揮者です。
 さて,演奏ですが,非常に洗練されかつ大胆な表現となっており,他の演奏とは一線を画した隠れた名盤と言えましょう。
 ちなみにカップリングの行進曲「威風堂々」全曲でも,非常にテンションの高い演奏を披露しており,金管の咆哮が凄まじいものとなっております。