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イラクの痛みを想像する(2007年3月)

 イラクの問題に関して、2003年の3月以降、継続的に学習を重ねた。学習は、ドキュメンタリーをビデオで観たり、イラクの女性のブログをテキストとして朗読したり、劣化ウラン弾の問題についての学習など、多様な形で進んだ。

 二人の高校生が中心となりシナリオ化された。それぞれ青年、少女の立場になり、自分の置かれた状況、自分の身の回りで起きたこと、日本の社会で起きている矛盾、イラクの厳しい現実などを組み入れ、シナリオ化した。ラストでは、若者たちが繋がることで、希望を見い出そうとする。「学ぶ意味」、「平和」、そして「命」がテーマである。
 完成した詩とシナリオは、高遠菜穂子さんの講演会の際に、群読として多くの参加者の前で披露され、好評を博した。





アウシュビッツの痛みに触れる(2007年8月)

 原爆ドームの模型作りをきっかけとするチェコの高校との交流が十年ほど続いている。この訪問ではポーランドのアウシュビッツまで足をのばした。
 アウシュビッツの二ケ所(死の壁の前<写真>、ビルケナウの国際モニュメントの前)、テレジン、リディツェなどの戦争遺跡では、高校生たちを中心にして、朗読のセレモニーを行った。
 単に見学するだけでなく、自分たちの平和への思いを英語の詩に託して表現した。この表現による行動が、アウシュビッツの痛みに触れた体験を、更に積極的な平和への行動に転化させた。アウシュビッツで唯一の日本人ガイドの中谷剛さんも、「関心を持つこと、更に行動を起こすことが大切です」と高く評価していた。





憲法と生活をつなぐことばを探す(2008年4月)

 詩人のアーサー・ビナードさんの講演会を行った際に、群読「私たちの憲法」を演じた。
 ビナードさんは憲法九条の価値について語り、「憲法と生活をつなぐことばを探す」ことが大切と語り、秩父ユネスコで取り組んだ群読を高く評価した。
 このシナリオは、半年間かけて憲法について学習し、自分たちの身の回りの出来事を憲法と結びつけて、作成していった。まさに、これはユネスコの学習権宣言の「自分自身の世界を読みとる」ことであり、憲法と生活をつなぐ「ことばの獲得」をしていく過程であり、憲法に守られて「心の中に平和のとりでを築く」ことの確認作業であった。





ヒロシマの痛みの触れる(2008年8月)

 チェコから高校生と引率教員たち17名が来日した。8月6日、平和祈年式典に参列し、その後、原爆ドームを見学した。原爆の生き証人であり、悲劇の記憶の伝承者であるドームに見入っていた。また被爆前の産業奨励館は、チェコ人の建築家ヤン・レツルの設計であるので、関係の深い建築物としても熱心に見ていた。更に、原爆の子の像、原爆慰霊碑などを見学したが、いずれも秩父の高校生たちが英語で説明した。最後に原爆資料館を見学した。その後は宮島に移動し、もう一つの世界遺産である厳島神社を見学した。





平和憲法を共有する(2008年8月)

 チェコとの交流の後半は秩父で行われ、最終日には平和交流会が開かれた。
 平和交流会では、「記憶の遺産」であるヒロシマとアウシュビッツ、そして世界遺産としての評価もある憲法9条を群読という形で朗読し合った。憲法9条については、4月の講演会の際に行った群読「私たちの憲法」のシナリオを英訳して、日本語と英語で、秩父ユネスコの若者たちとチェコの若者たちが交互に朗読し合った。この年、幕張で開かれた「9条世界会議」でも、その価値が世界的なものであると認められた9条を、日本とチェコの若い世代が声に出して語り合うことで、共有し合った。「憲法」と「世界」をつなぐことを実感させる場面であった。






ヒロシマ、アウシュビッツ、イラクの死者たちからのメッセージ(2009年3月)

 舞台女優の有馬理恵さん(水上勉作の「釈迦内柩唄」の一人芝居をライフワークとし、憲法ミュージカル「ロラ・マシン物語」で主役を演じた)の講演会では、群読「天国からのメッセージ」を発表した。
 ユネスコと言えば、世界遺産の取り組みが有名である。戦争による負の遺産として、アウシュビッツと原爆ドームがある。この二つの記憶の遺産、アウシュビッツと原爆ドームからのメッセージを受けとり、シナリオ作成が作成された。この二つの世界遺産とともに、ここ5年ほど学習を続けていたイラクの問題を結びつけた。国境と時間を越えた悲劇と夢の物語、そして今を生きる地上の人たちへ希望のメッセージとなっている。