(通称号:朝2059部隊)
編成地 | 編成時期 | 終戦時の上級部隊 | 終戦時の所在地 |
朝鮮・龍山 | 大正4年 | 第20師団 | ニューギニア |
大阪・九州の出身者で編成。
昭和6年、満洲事変に際し連隊主力は第39混成旅団砲兵として参加。
支那事変では、京津地方掃蕩作戦、太原攻略戦等に参加。
昭和15年1月に復員。
昭和17年末、南東派遣のため山砲に改編。
ニューギニアのウエワクに上陸。
昭和18年4月、マダンに移動。
昭和18年9月、米軍のフィンシハーフェン上陸に際し、火砲を移動。
10月から11月にかけて二次にわたって攻撃支援を実施。
その後、シオに後退。
更に第41師団とともにアイタペで坂東川血流の大激戦を展開したあとブーツへ後退。
終戦時の生存者は約100名。
つわもの之碑 野砲兵第26連隊 (大阪護国神社) (平成20年6月15日) |
野砲兵第26聯隊 聯隊歴史
大正8年4月 野砲兵第26聯隊創立(朝鮮竜山)
自昭和3年7月 至昭和3年9月 鮮満国境地区警備の為臨時山砲小隊編成出動す
昭和5年4月 聯隊に高射砲部隊配属 平壌に駐屯す
自昭和6年8月 至昭和7年5月 満洲事変の為奉天長春及チチハル方面に出動す
昭和7年6月 鴨緑江警備の為臨時山砲中隊編成し出動す
その間軍司令官より感状を受賞す
昭和16年11月 臨時編成に伴い野砲兵第26聯隊及野砲兵第26聯隊補充隊改編される
昭和18年6月 平譲師団野砲兵聯隊新設に伴い聯隊及補充隊より充足要員転出し
大東亜戦争の為南比島方面出動す
昭和18年12月 大東亜戦争の為聯隊はニューギニヤ方面に出動す
その間軍司令官より感状を受賞す
昭和19年2月 野砲兵第26聯隊補充隊改編に伴い山砲兵第49聯隊新設
同年5月ビルマ方面に出動す
昭和20年8月 戦争終結に伴い解散す
(副碑・碑文より)