百式重爆と舟艇基地

(アレキシス飛行場跡・アレキシスハーヘン)


平成21年(2009年)3月1日・第2日目

昼食後、早速、戦跡の撮影に現地人ドライバーと“やよい”さん、“先生”と4人で出かける。
途中、町の中の街路樹にたくさんのコウモリがぶら下がっているのを見る。
ゲゲッ!でかい・・・・
これが夕方には一斉に空を舞うというのである。

コウモリの木 沢山のコウモリがぶら下がっている木
コウモリ!

最初に向かったのはマダンの旧日本陸軍飛行場(アレキシス飛行場)跡。
ここには陸軍の百式重爆撃機「呑龍」の残骸がある。
パプアニューギニアの国土は90%以上が個人所有だそうだ。
たとえジャングルといえども、そこには所有者がいるのである。
移動途中、ちょうど車を道路脇に停めたら、タイミング良く、ひょっこりと土地の所有者がジャングルの中から出てきた。
どうして我々が来るタイミングを知っていたのだろう?(笑)

所有者である彼の承諾を得て、彼の案内でジャングルの中に入る。
時刻は午後2時。

土地の所有者の案内でジャングルの中に入る
呑龍の残骸 百式重爆「呑龍」の残骸

「呑龍」の残骸の周囲は、この所有者が定期的に草木を刈っているのだそうだ。
これを怠るとあっという間に草木が成長してジャングルの中に埋もれてしまうという。
早速、撮影開始!
私の方は先生が撮影準備にかかっている間に機体の周りを歩き回り、色々な角度から撮影する。
先生は、1ヶ所に陣取って撮影。
そのアングルは・・・・よく雑誌などで見たことのあるアングル・・・・
やっぱりプロの視点って同じなんだなぁ〜
素人の私としては、よく見るアングルじゃない別の角度の写真が見たいんだけど・・・・(笑)

この場所で・・・・
まさかの蚊の大群の襲撃に遭う。
すごい数の蚊が群がってくる!
拙者は虫よけスプレーなんか持ってこなかったから刺されるばかり。
しかし、なぜかあまりかゆくないのである。
日本の蚊に刺されたら、しばらくの間はかゆくて仕方がないはずなのだが・・・・
同じ蚊といっても、こちらの蚊は違うのか?
それとも私の感覚が麻痺しているのか?(笑)
う〜ん・・・・早くもマラリア感染の確立が高まってしまったぁ〜
が・・・まぁ、いいかぁ〜
マラリアにかかってみるというのも面白いかもしれない。(笑)

約1時間ほど、ここで撮影に時間を費やした。
さすが、プロの写真家というのはじっくりと時間をかけて撮影するんだねぇ〜
私のようにパチパチと安易にシャッターは押さない。

アレキシス飛行場跡
爆弾穴 池のように見えるのは・・・・
爆弾で出来た穴に水が溜まったものなのだという。
水冷エンジン 草むらの中に水冷エンジンの残骸があった。
水冷エンジンというと・・・・
三式戦「飛燕」が思い浮かぶのだが、そのエンジンなのだろうか?

次は、ここから車で10分もかからない、アレキシスハーフェンという場所へ向かう。
ここは沿岸輸送を任務とする日本軍の舟艇部隊の中継場所。
ここに駐屯していた部隊名は知らないが、確かに舟艇基地らしき残骸が残っていた。

船舶工兵第9連隊は、マダンで作戦していたようなので、関係があるかも?


より大きな地図で アレキシスハーフェン を表示

アレキシスハーフェンにあるキャタピラ車両の残骸。
これは日本軍のものではなく連合軍のもののようである。
揚陸場と倉庫 揚陸場と倉庫

日本軍の施設跡らしい。
倉庫も当時のものだという話である。

ここには舟艇を引き上げる時に使われたと思われるレールの残骸や舟艇らしき残骸もあった。
基地は入り江の奥・・・・
波もなく穏やかな場所・・・・確かに舟艇基地には最適地である。

30分ほど、ここで撮影をして、次は入り江の向こう側の方に高射砲の残骸があるというので見に行く。
途中、地元の墓地に出遭う。
ここに慰霊碑のようなものがあったので、チラリと碑文に眼をやったら・・・・
あら?
日本語らしき単語が見えるではないか?
「Yorishime Maru」とか、「Akikaze」とかって書いてある。
どうも第二次世界大戦で犠牲になった宣教師のことを書いているらしいのだが・・・・
英語が苦手なのでよくわからない。
2人の名前が書かれているが・・・
“Most Rev.Bishop”って書いてあるから「司教」のことかな?
一人は1944年2月23日、“ヨリシメ丸”という船で負傷したと書いてある。
もう一人は1944年3月17日、駆逐艦「秋風」で撃たれたと書いてある。

※帰国後に調べてみたら、駆逐艦秋風の艦上で虐殺事件があったらしい。
東部ニューギニアからラバウルへ移送中の80名近くの外国人が艦上で全員殺されたらしい。

となると、碑文には駆逐艦「秋風」で“Shot”(撃たれた)と書かれてあり、“Killed”(殺された)とは書かれていなかったのはなぜだろう?
どうして「殺された」と書かず「撃たれた」と書いたんだろう?
撃たれたけど死ななかったということなのだろうか?

墓地 墓地と戦争の犠牲となった宣教師の慰霊碑
慰霊碑 慰霊碑

IN LOVING MEMORY OF THE VICTIMS OF WORLD WAR Ⅱ

Missionaries of the Society of the Divine Word
and
Servants of the Holy Spirit

Most Rev.bishop Francis Wolf  Yorishime Maru wounds 23−02−44
Most Rev.bishop Joseph Loerks      Shot on Akikaze 17−03−43

入り江の対岸から「舟艇基地」を見る。

場所はどのあたりか知らないが・・・(笑)
ちょっとしたジャングルの中に高射砲の残骸があった。
残骸が横たわっていたが・・・
何式の何センチ砲なのか・・・・私にはわからない。
いずれにせよ野戦高射砲の残骸ではないだろうか?

高射砲の残骸 高射砲の残骸

時刻は午後4時半・・・・
今日の戦跡巡りはここで終了。
ホテルに戻ることにする。

帰り道・・・・
道端に多くの人が並んで座っていた。
マーケットらしい。
それぞれが食べ物などを持ち寄って販売しているようである。
カメラを向けたらジロリと睨まれた。
怒っているのか?怒られたか?
“やよい”さんの話では、カメラに慣れていないのでレンズを向けられると緊張して顔がこわばるのだという。(笑)
シャッターを押した後、カメラを降ろしたら、みんながニコ〜ッと笑うのだから面白い。
ホッとするのだろうか?(笑)
あのぉ〜カメラを向けた時に笑ってくれないかな?
「写真撮っていいですか?」
ウンと頷いておきながら、凍りついたようにカメラを睨むんだから・・・・困ったものだ。(笑)
「スマイル〜!」

午後5時過ぎホテル到着。
で・・・・我がホテル・・・・
部屋は“先生”と一緒ということにしたのだが・・・・
ここで問題が・・・・
ベッド・・・である!
普通、ツインといったら同じ大きさのベッドが2つではないのか?
なんで片方のベッドは小さいんだ?(笑)
年長の“先生”が広いベッドを使うのが当然だろうが・・・・
“先生”も頑固な方で・・・・(笑)
「こっちに寝て下さい!」と言ってもなかなか応じてくれない。
結局、毎日交代で広い方のベッドで寝ることで話がまとまるが・・・・・
年長者を小さなベッドに寝かせて、拙者が広いベッドで寝るなんて・・・・寝た気がしないんですよねぇ〜

宿泊棟 我々の宿泊棟
ベッドルーム ベッドルーム

で・・・・部屋は禁煙。
仕方がないからベランダへ出てタバコを吸わなければならない。
当然・・・・蚊に刺される。(笑)
タバコを我慢するか、それとも蚊に刺されるか・・・・どっちがいいかという問題になるが・・・
結局、タバコの方をとり、ベランダで散々蚊に刺されながらタバコを吸う。
う〜ん・・・これでまたマラリア感染の確率が高くなってしまったぁ〜(笑)

我々の部屋は1階の角。
このベランダで蚊に刺されながらタバコを吸う。
夕食 夕食はバイキング・・・・

食事代は全て旅費の中に含まれているのだが、食券も何も渡されていないので、何を食べることが出来るのか全然わからない。

私の片言英語じゃ全く通じないし、相手の話も理解できない。
現地の英語は“ピジョン英語”だからなのか?
“やよい”さんが来てくれたので通訳してもらい、ようやく食事にありつけた次第である。

   


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