(別称:小早川館)
小田原市城内6−1
「相州小田原城」のパンフレットより
室町時代に大森氏の築いた山城が前身で、その後戦国大名小田原北条氏の居城となってから、関東支配の中心拠点として次第に整備拡張され、豊臣氏の来攻に備えた城下を囲む大外郭の出現に至って城の規模は最大に達し、前例を見ない巨城に発展した。
小田原北条氏滅亡後は徳川氏の譜代大名大久保氏が城主となり、江戸時代になると三の丸以内に規模が縮小されたが、稲葉氏の時代に行われた大規模な工事によって近世城郭として生まれ変わった。
次いで大久保氏が再び城主となり、東海道をおさえ箱根をひかえた関東地方防御の要として幕末に至った。
小田原城は明治3年に廃城の方針がだされ、城内の主な建物は解体された。
城址は国の史跡に指定され「城址公園」として、現在も様々な整備が続けられている。
昭和35年に江戸時代の末期の姿で復興されました。
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