(ダガミ〜ブラウエン)
5月7日 |
さて、今日の予定を確認せねば・・・・
「今日はダガミとかドラグとかブラウエンとかに行くんだよね?」
「そう、そう」とドミン。
ドライバーは今日も相変らず無口。
ご機嫌悪いのかな?
方向音痴の私には車がどこに向かって走っているのかわからない。
そのうち・・・記憶のある峠道に・・・・
あれ?ここはリモン峠じゃあるまいか?
車は北上していたのでありました。
そして、出発して1時間後の9時にはカリガラを通過。
あのぉ〜ダガミってどこにあるのかな〜
9時40分、パストラナ(PASTRANA)という町を通過。
ここに『ダガミ(DAGAMI)まで8km』の標識が立っていた。
ここから一部砂利道で、でこぼこの道を走りました。(まだ舗装できてない道があるんですねぇ〜)
さて〜あれからずいぶん走ってるんですけど・・・・
もしかして8km以上走っている気がするんですけど〜
「あのぉ〜ダガミはどこ?」
「ん?ダガミに行くのか?」とドミン。
おい!おい!ダガミに行くって言ったじゃねぇか!
「ダガミ?もう過ぎたよ〜」とドミン。
「あそこに慰霊碑があるんじゃない?」
「ああ、あるけど小さいから・・・・」
「小さくても慰霊碑は慰霊碑でしょ!行くよ!戻って!」
無理矢理車をUターンさせてダガミに向かう。(あ〜あ〜またドライバーは怒っちゃうだろうなぁ〜)
10時10分、ダガミの町に入るが、慰霊碑がある場所が見つからない。
あっちこっちの人に尋ねながら向かうから時間がかかる。
ハハ〜ン、さてはドミンは良く覚えていなかったので、とぼけて通過しようとしていたんだな。
そうはいくもんか!
ダガミの町の中の教会の近くをウロウロ。
「この辺にあったはずなんだが・・・ないよ〜」とドミン。
そこにはブロック塀がありました。
この中じゃないのか?行ってみよう!
「ダガミ・プラザ」の敷地内。 緑色の屋根の建物の裏に慰霊碑がありました。 |
建物の間を抜けて裏手に向かいます。 奥の草むらの中にあるようです。 う〜ん、絶対不審者だと思われるな〜 不法侵入だと怒られたらどうしようかな〜 しかし・・・行かねばなるまい! あとは・・・・ドミンに任せちゃえ! そのためにガイドを頼んでいるんだから。 |
建物裏の慰霊碑
「ほらね、小さな慰霊碑だろ?」とドミン。
確かにそうだけど・・・立派な慰霊碑だ。
よく破壊されずに残っていたものだと感心しました。
それにしても、場所が悪いなぁ〜
ここじゃ、外から全然見えないから誰も慰霊に来てくれないんじゃないか?
忘れ去られているような寂しさを感じます。
英霊碑 京都第二次比島方面慰霊団 碑の裏には英文の碑文が刻まれていました。 |
碑文 |
This is a memorial of all country unknown soldiers died on these field during the World War Ⅱ erected by The Japanese memorial service tour |
ダガミはレイテ平野の農産物の集散地だったという。
ここには京都の第16師団司令部が置かれていました。
ダガミ防衛の日本軍は、歩兵第20連隊の一部、歩兵第33連隊第2大隊、歩兵第9連隊、工兵第16連隊の残部、約1,000名〜2,000名だったとされています。
昭和19年10月30日、ダガミの町は米軍に占領され、第16師団の温存兵力約1,500名以上が西方山地に移動しました。
さて、ここからブラウエンに向かい南下します。
約15分後にもう一つの慰霊碑に到着しました。時刻は10時30分。
ブラウエンの町の2〜3km手前辺りではないかと思います。
ダガミからブラウエンに向かう道 慰霊碑のあるところから北のダガミ方向を見る |
道路から数メートル入ったところに慰霊碑がありました。
慰霊碑
平和の塔 碑文は英文と日本文の二つが刻まれていました。 垣兵団の慰霊碑は形がみんな同じような形なのですぐにわかります。 |
平和の塔 |
ここは太平洋戦争に於いて、比、日米の多くの戦士達が祖国の為に、激しい攻防戦の中で無残に散り果てた痛恨の地である。 人類が再びあの愚かにして悲惨な殺戮を繰り返さぬ為に、不戦の誓いをこめて、弔魂の誠を捧げると共に、悠久の平和を祈念してこの塔を建立するものである 1977年7月建立 京都桃陵遺族会 垣兵団生存者 |
ここに京都の第16師団(垣兵団)の慰霊碑があるということは・・・・
ブラウエンから北上してダガミを攻撃する米軍に対して、このダガミ〜ブラウエン間で第16師団の部隊が戦っていたという証拠でしょう。
日本の厚生労働省は、現在、慰霊碑の整理(撤去や集約等)を計画中で、調査を行なっていますが・・・・
慰霊碑が撤去されちゃうと、どこが戦場跡なのか目印がなくなっちゃうんで、個人的には困っちゃうんですけどねぇ〜
それだけ、昔と違って慰霊をする人が減ったという事なのでしょう。
もう、慰霊は必要ないという事か・・・・悲しいなぁ〜
それにしても・・・・随分遠回りしてない?
レイテ島を横切ったら早かったような気がするんですけど・・・・
まぁ〜何か理由があるんでしょうねぇ〜