(オルモック)
5月6日 |
カンギポットの慰霊場からカナンガの町まで戻り、車で45分ぐらいでオルモックの町に到着。
時刻は1時30分。
この町にある通称「コンクリートハウス」を訪れました。
この町での攻防戦は昭和19年12月8日頃から開始されています。
この町の守備隊主力は第26師団の独立歩兵第12連隊(今堀部隊)の第3大隊(立石大隊)の約250名。
オルモック街道西側道路沿いにあるコンクリート製3階建ての建物に立てこもって抵抗しました。
この建物は国会議員の邸宅だったといわれています。
コンクリートハウス
現在ではどこかの会社の敷地内にポツンと取り残されたような感じで残っています。
勝手に敷地内に車を乗り入れましたが、誰にも注意されませんでした。
ガードマンもいるのですが、私が写真を撮っているのを見て「ああ、日本人かぁ〜」と思っているのでしょうか、声もかけてきません。
手を挙げて挨拶したら向こうも手を挙げて返事をしてくれた程度・・・・
敷地内にいた作業員らしき人たちは暑さを避けて日陰に集まって私を呆れ顔で見ていました。
「何が面白くてこんな建物の写真を撮っているんだろう」と思っているに違いない・・・
この建物をめぐっての攻防戦はオルモック最大の激戦だったといわれていますが・・・・ 今ではこの建物以外にはそれを物語るものは残っていません。 当時はこの建物の200m四方には5m間隔で無数の散兵壕があったといいます。 今では周りには建物が建っていて、とても激戦地だったとは思えない景色です。 |
建物の大部分は12月13日の砲撃で破壊されたのではないかといわれています。 ここに立てこもった立石大隊は12月14日には全滅したといいます。 |
コンクリートハウス
さて、この会社は何ていうのかな?
ドミンに尋ねたが、「コプラ(COPRA)を売る会社」という答えで、なんとも要領を得ない。
何とかカンパニーという名前はないのか?
コプラとは乾燥したココナッツ椰子の実をいうのですが・・・・
その実を売ってる会社?
わからないなぁ〜