(リモン峠)
5月6日 |
更に峠道を10分ほど下ると、右側に立派な慰霊碑があります。
これが『工兵碑』。
つまり第1師団工兵第1連隊の慰霊碑です。
慰霊碑がある場所
昭和19年12月6日現在、ここから先の野砲兵第1連隊や歩兵第1連隊第10中隊などの部隊は独断で勝手に西方の山地に移動してしまったため、第1師団司令部前方には、工兵第1連隊がこの位置で頑張っていたようです。
ここは第1師団最後の防御線でした。
道路に樹木を倒して、土嚢を積んで道路を封鎖して抵抗をしたといいます。
12月16日頃には、工兵第1連隊の連隊本部、第1中隊、第2中隊が本道の右側に、第3中隊が本道の左側にいましたが、ここから約2km後方の第1師団司令部に敵の砲撃が集中したため、戦線が後方に移ってしまい自分たちは取り残されたのではないかと思い、第3中隊は独断で後方の歩兵第49連隊第1大隊と共に陣地を棄ててしまったといいます。
12月20日には連隊本部もここを離れ後方の第1師団司令部に帰着しています。
工兵碑 碑の隣りに個人の小さな「お墓」がありました。(黒色の石) そこには陸軍軍曹河内保房・昭和20年7月1日戦死(31歳)と刻まれているのですが・・・・ 昭和20年7月にはレイテ島の戦闘はとうの昔に終結しているはずなのです。 どうしてここに「お墓」があるのか・・・・わかりません。 |
碑文 |
鎮魂 1944年此の峠で工兵第一連隊及師団防疫給水部が奮戦し大半の将兵が戦没した 英霊よ安らかに眠り給え 祖国の平和に 御加護あらんことを 合掌 1983年8月 |
時刻は11時20分。
とにかく暑いし喉が渇いてきた。
「どこかでミネラルウォーターを買いたいんだけど・・・・」
「この先の町でお昼を食べるから、その時でいいだろ」とドミン。
峠を更に南下して10分程度でカナンガ(KANANGA)という町に着きました。
喉の渇きに耐えながらのここまでの10分間は苦しかったぁ〜
カナンガの町の食堂 看板も何もないんだけど食堂です。 トイレのドアが壊れていて便器丸見え、ハエがブンブン飛んでいるというかなり汚い食堂ですが・・・ ドミンは前回来た時にここで食事をしたんだという。 |
お店は汚いんだけど、どういうわけかお店の女の子は可愛いのです。
まだ10代でしょう。日本の中学生と小学生ぐらいの姉妹が切り盛りしていました。
さぁ、ミネラルウォーターを飲もう!
と思ったら・・・・無いという。
仕方がないからコーラを頼む。
ついでに・・・灰皿も。
ところが言葉が通じない!あれ?
身振り手振りで”タバコを吸いたい!”とアピール。
ようやく意味がわかったのか、妹らしき女の子が恥ずかしそうに灰皿を持ってきました。
この妹さんはどうも日本人を見るのが珍しいらしい。
ウロウロしながら私を見るのだが、視線が合うと恥ずかしがって逃げていってしまうのです。
あのねぇ〜勘弁してよ〜
昼食 お店は汚かったけど、食事は美味しかったです。 特にココナッツミルクのスープに何か果物風の野菜らしきものが煮込んであったもの。 これは美味しかった〜 見た目は腐って発酵してるんじゃないかと思えるようなもので、気持ち悪かったんですけどね。 意外や意外、美味です! 料金は3人で146ペソ(292円)なり! |