川崎克銅像 平成16年2月8日

川崎克 かわさき・かつ

明治13年(1880年)12月28日〜昭和24年(1949年)2月3日

三重県上野市・伊賀上野城天守閣でお会いしました。


三重県上野市車坂町で生まれる。
本名は川崎克こくという。
明治31年(1898)憲政の領袖・尾崎咢堂を慕って上京し明治法律学校に学ぶ。
明治36年(1903)東京市長・尾崎行雄に私淑し、東京市書記となる。
大正元年(1912)尾崎に従い憲政擁護運動に参加。
大正4年(1915)衆議院議員に初当選、政治生活に入る。
陸軍参与官、逓信参与官、司法政務次官を歴任。
昭和10年(1935)私財を投じ伊賀上野城を復興。
昭和16年(1941)翼賛議員同盟に対抗して鳩山一郎らと同交会を結成。
昭和17年(1942)松尾芭蕉生誕300年を記念し、私財を投じ俳聖殿を建立。
昭和19年(1944)郷里に疎開。
戦後公職追放。
昭和24年(1949)70歳で没する。


伊賀上野城 伊賀上野城
(三重県上野市)
俳聖殿



俳聖殿

(三重県上野市・伊賀上野城)




(平成16年2月8日)

川崎克像 (平成18年2月24日)

東京都千代田区永田町・憲政記念館尾崎メモリアルホールでお会いしました。

川崎克像



川崎克 像
(憲政記念館)





(平成18年2月24日)

川崎克

明治13年(1880)〜昭和24年(1949)
三重県出身

尾崎行雄を頼って上京、日本大学に学び、日本新聞記者、東京市書記となり、尾崎とともに憲政擁護運動を進めた。
大正4年(1915)、第12回衆議院議員総選挙に当選し、以後当選10回を重ねる。
その間、中正会・憲政会で尾崎と行動をともにした。
民政党結成に参加以後は議場内で立場を異にしたが、尾崎の精神を継承し、昭和16年(1941)、「大政翼賛会は憲法の精神を蹂躙する一党独裁の疑いあり」と、政府を追及した。
田川大吉郎とともに同交会を結成、翼賛選挙では非推薦で当選した。
伊賀陶器の研究家としても知られ、郷里伊賀上野の伝統文化の顕彰に尽力、伊賀上野城を再建、市に寄贈した。

(説明パネルより)


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