伊號第六十三潜水艦殉難者之碑 (長崎県佐世保市・佐世保東山海軍墓地) (平成20年11月23日) |
碑文
伊號第63潜水艦(昭和3年12月30日佐世保海軍工廠で竣工)は豊後水道における襲撃教練に参加するため、昭和14年2月2日の未明配備点である水ノ子燈台の319.5度5.5浬地点に到着して水上状態で漂泊中、同日午前6時4分、僚艦と衝突し瞬時にして沈没、水雷長以下乗員81名が殉職した。
海軍少佐 | 中島信義 | 岐阜 |
同 | 大野 博 | 千葉 |
海軍機関少佐 | 北原千里 | 長野 |
海軍中尉 | 松本松佐己 | 長崎 |
同 | 川島正順 | 広島 |
海軍機関中尉 | 田村喜六 | 静岡 |
海軍特務少尉 | 松下盛綱 | 鹿児島 |
同 | 下田仁恵 | 愛媛 |
海軍機関特務少尉 | 平石 勇 | 宮崎 |
海軍兵曹長 | 冨崎卯八 | 佐賀 |
同 | 古賀宗八 | 同 |
同 | 矢野福太郎 | 宮崎 |
同 | 村上展喜 | 愛媛 |
同 | 十河数義 | 福岡 |
同 | 佐藤 熊 | 同 |
同 | 安藤房一 | 宮崎 |
同 | 森崎角美 | 長崎 |
海軍機関兵曹長 | 鶴田謙一 | 佐賀 |
同 | 城門亀雄 | 福岡 |
同 | 長谷榮藏 | 鹿児島 |
同 | 片山太郎 | 福岡 |
同 | 井手勝太 | 佐賀 |
同 | 松本定勝 | 熊本 |
同 | 江本 泉 | 大分 |
同 | 橋本好一 | 広島 |
同 | 松田春治 | 佐賀 |
海軍一等兵曹 | 北崎道一 | 大分 |
同 | 狩川重徳 | 鹿児島 |
同 | 野中一好 | 福岡 |
同 | 原 登 | 同 |
同 | 古賀 實 | 佐賀 |
同 | 後藤茂樹 | 大分 |
同 | 馬渡澄雄 | 長崎 |
同 | 中川 恒 | 同 |
海軍一等機関兵曹 | 川畑 渡 | 熊本 |
同 | 赤司定一 | 福岡 |
同 | 鮫島泰隆 | 鹿児島 |
同 | 竹井喜美藏 | 同 |
同 | 甲斐 二 | 熊本 |
同 | 別府行義 | 鹿児島 |
同 | 松浪政雄 | 大分 |
同 | 亀島壽吉 | 徳島 |
同 | 藤家 隆 | 佐賀 |
同 | 諸正喜熊 | 鹿児島 |
海軍一等工作兵曹 | 松田 勉 | 宮崎 |
海軍二等兵曹 | 友成全二 | 大分 |
同 | 赤嶺秋是 | 同 |
同 | 浜平峰太郎 | 鹿児島 |
同 | 福留福重 | 同 |
同 | 地福福藏 | 同 |
同 | 叶 政應 | 同 |
同 | 本田 積 | 熊本 |
同 | 永吉省三 | 鹿児島 |
海軍二等機関兵曹 | 山内昌安 | 沖縄 |
同 | 土屋英雄 | 香川 |
同 | 濱 新 | 佐賀 |
同 | 玉垣 勝 | 福岡 |
海軍二等■■兵曹 | 木原 智 | 鹿児島 |
海軍三等兵曹 | 川上竹次 | 長崎 |
同 | 永友森善 | 宮崎 |
同 | 下村安朗 | 佐賀 |
同 | 辛島忠夫 | 大分 |
同 | 山中茂忠 | 高知 |
同 | 板東健次 | 徳島 |
海軍三等機関兵曹 | 飯干一雄 | 宮崎 |
同 | 赤崎忠照 | 香川 |
同 | 池末時男 | 福岡 |
同 | 寺澤克己 | 熊本 |
同 | 中村正次 | 宮崎 |
同 | 冨永佐市 | 鹿児島 |
同 | 田島音作 | 長崎 |
同 | 綿井 豊 | 福岡 |
同 | 許斐貞雄 | 同 |
同 | 杉野利次 | 同 |
同 | 柏木 励 | 徳島 |
海軍三等主計兵曹 | 吉川豊継 | 熊本 |
海軍一等機関兵 | 太田良治 | 長崎 |
同 | 河本清徳 | 愛媛 |
同 | 田中直人 | 佐賀 |
海軍一等主計兵 | 清家富士之助 | 愛媛 |
同 | 原 麻次 | 徳島 |
伊号第63潜水艦殉難者之碑
昭和3年12月30日佐世保工廠で竣工
海大3b型
基準排水量1630トン
20ノット(水中8ノット)
発射管×8
12センチ砲×1
昭和14年2月2日事故沈没
昭和14年2月2日未明、伊号第63潜水艦は、豊後水道で行われる予定の襲撃訓練のため、配備点である水ノ子灯台北方において浮上漂泊中、僚艦の伊60潜に衝突され、瞬時に沈没。
遠因は伊63潜の配備地点を、伊60潜が自己の配備地点と誤認していたことで、直接原因は、伊60潜の当直将校が伊63潜の右舷灯と艦尾灯を小型船舶2隻のものと見誤り、その両灯の中間を通過しようとして原速で直進し、約200メートルに接近するまで気付かなかったことである。
一方、伊63潜のほうでは伊60潜の接近を知りながら艦長への報告が遅れ、艦長が艦橋に上がった時はすでに150メートルの至近距離。
補機室後部右舷に直角に衝突され瞬時に沈没した。
殉難者は、先任将校中島大尉(当時)以下81名である。
伊63潜の沈没地点は水深が97メートルあり、しかも潮流が強く、救難作業は困難を極めたが、翌15年1月21日に船体を引き揚げ、29日に遺体の収容を終えている。
船体は呉に曳航されたが、破損甚だしいため復旧されることなく解体された。
(参考:社団法人 佐世保東山海軍墓地保存会発行 『佐世保東山海軍墓地 墓碑誌』 平成20年第3刷)
【海大型】
「海大型」は海軍大型潜水艦の略称で、味方主力艦隊に随伴して決戦海面に進出し、駆逐艦と同じように艦隊決戦中に襲撃を行うというのが艦隊随伴型潜水艦の構想だった。
艦隊に随伴するためには20ノット以上の速力が必要とされたが、計画された大正7年当時では十分な出力をもつディーゼル機関が確保できず、世界に類ない4軸推進の潜水艦となった。
これが「海大1型」の伊51潜である。
しかし、実際の速力は18ノットであったため、更に改良が続けられた。
「海大2型」は軽荷状態で19.5ノット。
「海大3型」になってようやく20ノットを超えることができた。
ロンドン条約で巡洋艦と駆逐艦が制限されたため、潜水艦も漸減邀撃作戦の任務にあたることになり、「巡潜型」よりも小型で数が揃えやすい「海大型」がその主役とり、軍縮時代の主力潜水艦として整備された。
その後、無条約時代になって漸減邀撃任務は新たに建造される「巡潜型」に振り向けられ、「新海大型」が「巡潜型」を補完する戦力として建造された。
当初、潜水艦のナンバーは「巡潜型」が1から振られ、「海大型」が51からとなっていたが、「乙型」などの「新巡潜型」の建造計画が拡大して50隻を超えることが確実となったため、「海大型」は従来の艦番号に100を付け足し艦番号を変更している。
しかし、その時点で存在してしていない艦の番号は変更なく2ケタのままなので、混在する結果となった。
【要目】(昭和17年・新海大型・伊176潜)
常備排水量:1832トン
潜航時排水量:2502トン
機関出力:水上8000馬力/水中1800馬力
速力:水上23.1ノット/水中8ノット
航続距離:水上16ノットで8000浬/水中5ノットで50浬
兵装:12cm単装砲×1
25mm連装機銃×1
53.3cm魚雷発射管×6
【型式と同型艦】
海大1型:伊51
海大2型:伊152
海大3型a:伊153、伊154、伊155、伊158
海大3型b:伊156、伊157、伊159、伊60、伊63
海大4型:伊61、伊162、伊164
海大5型:伊165、伊166、伊67
海大6型a:伊168、伊169、伊170、伊171、伊172、伊73
海大6型b:伊174、伊175
新海大型:伊176、伊177、伊178、伊179、伊180、伊181、伊182、伊183、伊184、伊185
(参考:『歴史群像2006年2月号別冊付録 帝国海軍艦艇ガイド』)