(グアム〜硫黄島)
平成21年(2009年)3月18日 |
今日は硫黄島に向かう日。
午前3時過ぎにホテルを出発する予定。
バスに乗るまでの間、ロビーで少し時間がある。
と・・・・やたらとアメリカ人が次から次へと「一緒に写真に写ってくれ」と言ってくる。
ん?何で私なんかに頼むんだ?
私は従軍経験者じゃないんだけど・・・・
これから硫黄島へ向うので、我が戦友会は全員海軍士官略帽を着用しているのだが・・・
そういうわけで一緒に写真を・・・ということなんだろうが・・・
でも、何で私を選ぶんだ??(笑)
“マスダさん”から「あなたはカッコいいからですよ〜」とからかわれたが・・・(笑)
そんな馬鹿な・・・・
一緒に写真に収まりたいというほどのハンサムじゃないし・・・(笑)
わからん・・・アメリカ人の考えがわからん・・・・(笑)
グアム空港では相変わらず厳しいセキュリティチェック・・・・
チャーター便に乗るんだから、みんな仲間でしょ?
それも海兵隊の関係者と日本の戦友会ですよ〜
悪さをしようっていう奴がいるとは思えないんだけど・・・
搭乗口の所に仮設の審査場・・・・
日本の税関か外務省の職員か・・・日本人職員がパスポートの審査を行う。
ここはアメリカなんだから・・・・
多分、これは日本への「入国審査」なんだろう。
我々が降り立つ硫黄島の滑走路は自衛隊の基地の滑走路。
自衛隊の基地で審査できないからここで行うというのかな?
パスポートはその場で没収。
彼らが管理して、グアム島に戻ってきたら返してくれるという。
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午前5時半・・・グアム島を離陸!
機内の様子 |
機内から見た“朝焼け” |
操縦席 |
道が狭いのでお互いがすれ違うという事ができない。 細かいタイムスケジュールに従って順番に横道に入ったり出たり・・・ |
その後、まっすぐ摺鉢山(すりばちやま)へ・・・・・ |
バスの中から摺鉢山(すりばちやま)を写す |
摺鉢山の頂上までバスで行き、ここで下車 |
この摺鉢山頂上周囲にはロープが張られ自衛官達が“監視”についている。 我々参加者に万が一のことがあってはとの配慮らしい。 御苦労様です。 本来の職務どころではないだろうなぁ。 隊員総動員か? |
摺鉢山頂上 |
摺鉢山から見た硫黄島南端 | |
【摺鉢山地区隊】 独立歩兵第312大隊(長田謙次郎大尉・総員751名)基幹=生還者9名。 速射砲第10大隊(松下久彦少佐・摺鉢山地区隊長兼務) 独立機関銃第2大隊(川崎時雄大尉・総員288名)=のちに1名を除き全員戦死する。 中迫撃砲第2大隊第1中隊(大塚厚中尉) 歩兵砲中隊(秋本尚一中尉) 混成第2旅団第2中隊第1小隊(浅田真二中尉・総員30数名) 旅団速射砲第2中隊(川口朝次郎中尉) 要塞建築勤務第5中隊(谷山純忠中尉) |
硫黄島戦没者慰霊碑 |
硫黄島戦没者慰霊碑 |
碑文 |
昭和20年2月19日、艦艇500、航空機1000余の掩護の下、米軍は遂に硫黄島に上陸 栗林忠道将軍・市丸利之助提督麾下の精鋭は縦横無数の地下壕に拠って、地熱と渇水を忍び、孤軍奮闘、圧倒的な侵攻軍の猛爆にも屈せず、これに大打撃を与え、勇戦月余、矢弾尽き「皇国の必勝と安泰とを祈念」する訣別の打電を最後に玉砕した。 昭和43年6月26日、小笠原諸島の祖国復帰を機として、有志相計り護国の礎石となった2万余柱の忠霊の悲願に応え、限りなき敬仰の至誠を以て、萬世の太平を祈る霊標とするために、この山頂に存置された米国海兵隊の記念碑と並べて、本碑顕彰の建立を発願し、大方の浄財と外務省・防衛庁等の協賛により、茲に所志を達成するを得た。 碑面の地図は挙国一体の熱誠をこめて、各都道府県から寄せられた献石による。 |
銘 寡兵当大敵 孤島鬼神惶 千歳恩讐滅 丹心萬古香 |
昭和44年6月26日 硫黄島戦没者顕彰碑建立期成会 |
慰霊碑 右:第一御楯特別攻撃隊 左:第二御楯特別攻撃隊 |
碑文 |
昭和19年6月米軍はサイパン島占領後10月には同島にB29を展開して 日本々土の爆撃を企図した。 これに対し我軍は11月初めより年末近くに陸海軍の大型機が本島より発進して 11回に亘り延べ73機が夜間爆撃を繰り返したが 米軍側の対応措置強化に伴い我が方の損害急増し遂に34機が未帰還となり これに伴う搭乗員の損耗も甚大となった。 唯この間11月27日朝本島を発進して彩雲2機に誘導された零戦12機がサイパン飛行場のB29に対し白昼銃撃を敢行し 米軍の心胆を寒からしめたが これ即ち第一御楯特別攻撃隊である。 斯る戦勢に鑑み米軍は速やかに硫黄島を奪取する必要に迫られ 昭和20年2月大挙攻略軍を編成して侵攻し来たのである これに対し我が方は第二御楯特別攻撃隊が大戦果を挙げる一方 島上に於ては月余に亘り約7萬の彼我攻防軍が過酷な戦闘を續けたが 当時大本営宛報告電の一節に「本戦闘の特色は 敵は地上に在りて 友軍は地下に在り」とあり 良く戦闘の様相を表わしている。 今この山頂に立ち4個の碑石を眺め更に俯瞰して道標を辿り当時の戦況を偲ぶ時 その由来を判然と識ると共に 雲涛千里海陽沈む情景に思いを馳せ滂沱合掌する次第である。 |
第1御楯特別攻撃隊 硫黄島から出撃したただ1回の特攻隊 昭和19年27日午前8時、零戦12機が発進。(突入したのは11機?) 一式陸攻、陸軍重爆、百式司偵の第1次爆撃隊の攻撃の直後の正午近く、第1御楯特攻隊が超低空でサイパン島のアスリート飛行場を襲撃。 機銃を撃ち尽くした後、全機飛行場にある米機の中に突入した。(B29、3機破壊・23機が損傷) |
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第1御楯隊(零戦11機) | |||
中尉 | 大村 謙次 | 静岡県出身 | 海兵第72期 |
飛曹長 | 小野 康徳 | 香川県出身 | 甲飛第3期 |
上飛曹 | 北川 磯高 | 福井県出身 | 甲飛第10期 |
一飛曹 | 住田 広行 | 大阪府出身 | 甲飛第11期 |
一飛曹 | 東 進 | 滋賀県出身 | 甲飛第11期 |
一飛曹 | 加藤 正人 | 山形県出身 | 甲飛第11期 |
二飛曹 | 司城 三成 | 大分県出身 | 丙飛第16期 |
飛長 | 新堀 清次 | 東京都出身 | 乙(特)飛第1期 |
飛長 | 上田 祐次 | 神奈川県出身 | 乙(特)飛第1期 |
飛長 | 高橋 輝美 | 香川県出身 | 乙(特)飛第1期 |
飛長 | 明城 哲 | 福井県出身 | 乙(特)飛第1期 |
第2御楯特別攻撃隊 海軍第601航空隊で編成された。 零戦12機、艦上攻撃機天山8機、艦上爆撃機彗星12機、合計32機。 硫黄島周辺の米艦船に突入する。 (戦果) 護衛空母「ビスマーク・シー」撃沈(硫黄島東方約70km付近) 空母「サラトガ」損傷・爆弾2発命中、特攻機3機命中(硫黄島北西約56km付近) 護衛空母「ルンガ・ポイント」損傷・特攻機1機命中 貨物輸送船「ケオクック」損傷・特攻機1機命中(硫黄島南方約80km付近) (損失) 彗星艦爆11機(22名) 天山艦攻6機(18名) 直掩零戦5機(5名) |
米軍の慰霊碑 |
摺鉢山頂上から見た米軍上陸地点の南海岸 |
摺鉢山を下り、次に向かう |