前回のレポートでは、ゲイ男性にかなり重点を置いてしまったように思われる。今回のレポートでは、リリアン・フェダマンの「レスビアンの歴史」を参考にし、前回触れられなかったレスビアン(注)について詳しく述べ、同性愛差別、また同性愛そのものについて、違う見方で考えてみたい。




レスビアンの関係は、かつては女同士の「ロマンティックな友情」と呼ばれ、一つの社会制度として各国に存在していた。レスビアン、性倒錯、アブノーマルな感情というカテゴリーが形成されたのは、19世紀になってからであった。
フェダマンの「レスビアンの歴史」には、レスビアンに対する差別・偏見・迫害の様子が記されている。レスビアンに対する差別は、ゲイに対する差別とかなり違った側面を見せる。女性と男性の、社会における立場の違いが、差別の背景に大きな影響を与えているのである。
レスビアンが差別を受け始めた頃の社会は、男性優位の社会であった。女性は「性の搾取」を受け、男性よりも弱い立場にあった。また、「性的純潔」を求められてもいた。レスビアンは「数の上では人類の半分を占めながら、社会的には弱者の位置に置かれている『女性』というマイノリティの一員であり、その女性の中でも最も無視されやすく最も不利な立場にある」(Faderman 1991=1996:224)という状態にあったのである。
ゆえにレスビアンは、この迫害を退けるために、同性愛者に対する差別と、女性に対する差別を同時にはねのけなければならなかった。そこから、「レスビアン・フェミニズム」という動きが生まれていったのである。
1960年代から、レスビアンたちは、社会の差別に対して抵抗をはじめた。その際、レスビアンは二つのグループに分かれて抵抗運動を続けた。一つはゲイ男性のグループと共に活動したもの、もう一つはレスビアン・フェミニズムを掲げたレスビアン・フェミニストたちである。これに関係するのは、同性愛に対する考え方であった。
同性愛者は、自分の存在に対して自己定義を繰り返している。なかでも同性愛志向が「生得」か「選択」かという問題は、古くから議論を引き起こしてきた。この意識の違いから、同性愛者の解放運動は、「ゲイ革命」と呼ばれる運動と、「レスビアン・フェミニスト」と自称する人々の運動の二つに分かれた。どちらも、差別に対して抵抗することに変わりはなかったが、「ゲイ革命」は生得論者のゲイ男性およびレスビアンの女性が起こしたもので、「同性愛者は同性愛者であることを選択したわけではなく、そのように生まれついたか、あるいはそのようになってしまったのだから、彼らにたいする差別は不当なものである」と主張した。もう一つの運動の中心の「レスビアン・フェミニスト」である女性は男性から離れた運動を展開した。彼女らは自分たちが同性愛者という一少数派のそのまた一部であるという一般的な観念をはっきりと拒絶し、「生得論者」の存在も認めながら、自分たちはレスビアンを選択した「実存主義的レスビアン」であると主張した。また、このレスビアン・フェミニストたちは「セックスを含むあらゆる点で男は必要ではない」とし、男性を敵視していた。レスビアン・フェミニズムを明晰に代弁したといわれるリタ・メイ・ブラウンは「私は自分が暮らす文化があまりに女性に対して否定的なのでレスビアンになりました。女の私がどうやって自分の人間性を否定する文化に参画できるでしょうか……。女性ではなく男性を愛し支えることは、その文化、その権力構造をも支えることになるのです」(Faderman同上 :248)という象徴的な言葉を残している。
「レスビアンの歴史」の訳者である富岡は、この本のあとがきで「自己定義の繰り返しの裏には、レスビアンたちが、自分たちの存在理由を正当化しなければならない、そしてそれを武器にして闘わなければならないような傲慢な異性愛社会が存在する、という背景がある」と書いている。実際、異性愛者はごく自然に、自分たちは「正常」であるという認識を持っている。しかし、異性愛が正常であるということは、何によって証明されうるのであろうか。これは極論かもしれないが、レスビアン・フェミニストの中には「同性愛生得論」に対し修正主義的立場を取ったものもある(Faderman同上:.248)。レズビアンはたしかに「そのように」生まれついたが、しかし実はすべての女性が「そのように」生まれついたのだという主義である。すべての女性がレスビアンになる素質を潜在的に持っているが、世の中の男性至上主義によって、ほとんどの女性がその素質を破壊されてしまうのだ、と、彼女らは主張する。
こうしたレスビアンたち、ゲイ男性たち(もちろんゲイ男性たちの間でも、自己定義は繰り返されている)の思想は、世間にも波紋を投げかけた。そして、「この世の中において何が『正常で、自然で、常識に適うもの』なのか、という既成の価値観の問い直しが、異性愛にまで及んできたのである」(Faderman同上:7)。
1969年、「ストンウォールの叛乱」として知られる事件が起こった。ストンウォールという名のゲイ・バーで、同性愛者が警察に対して暴動を起こした事件である。当時同性愛者は就職などの面で差別を受けていたが、この事件をきっかけに、差別に対して反抗するようになっていった。現在では、同性愛者に対する差別が法で禁止されたり、同性愛者の会合を警察が保護していたりと、同性愛者を囲む状況はかなり好転している。
レスビアン・フェミニストたちは、「同性愛は病であり更正させるべきだ」としていた世間を攻撃し、「同性愛者に対する社会の迫害や偏見こそ咎められるべきだ」とする。「病んでいるのはレスビアンではなく社会なのだ。『同性愛』ではなく、『同性愛嫌悪』を癒さねばならないのだ」(Faderman同上:258)と彼女たちは訴えた。






この本の訳者である富岡は、フェミニズムを研究するうちにレスビアンに接し、「セクシュアリティは複数あるアイデンティティーズの一つにすぎないのに、レスビアンであることをまるでその人の全人格、その人の唯一のアイデンティティであるように強制するのは異性愛社会なのだ。……自分がいかに今まで無自覚なヘテロ性(それ以外の存在に対する想像力の欠如)の上にのっかって生きてきたかに気づいて愕然とした」(富岡 1996)
と記している。たしかに世間の人々の大半は異性愛者であり、異性愛者である人々はわざわざ自分と違う存在であり、しかも少数派である同性愛者を理解しようとはしない。また、「理解不能な人間である」という理解をすることも少ないように私には感じられる。その考えの根底には、「自分は正常である」「人間は皆自分と同じである」というような、無意識の甘えのようなものが存在しているのではないだろうか。
富岡の「とりあえずはヘテロであることで、差別や偏見が降りかからない「他者」としての立場をキープしていくのだ」(1996)と言う言葉に、差別を断絶することができない理由が顕著に示されているように、私は思う。
同性愛者は、レスビアンでも、ゲイ男性でも、自分が周囲の人間と違うということにショックを受け、その多くが自己定義を試みる。しかし「正常な」人々は、はたして自己定義をする必要性を感じるのであろうか。私には、その無意識の甘えが、無自覚な差別、罪悪感のない偏見を生みだす要因のように思われるのである。
自分はそうではない、自分は多数派である、といった傲慢な考えが、世間の差別・偏見を形成し、助長しているのではないだろうか。
多数決は民主主義の理念に基づく「正しい」判断基準なのかもしれない。しかし、「多数=正常=正義」という考え方は、マイノリティを圧迫し、差別を容認することになりはしないだろうか。
私たちは他者の存在に対してあまりに鈍感である。趣味や服装についてでさえ、自分の常識を超えたものを理解することは難しい。しかも、自分にとって「常識」「当然」の度合いが強ければそれだけ、理解が困難になっていくのではないだろうか。異性を愛するということは世間一般の常識であるように思える。それゆえに私たちは、その常識を外れた行為を理解することが難しいのではないだろうか。だとすれば逆に、常識を忘れ、枠組みにとらわれず、新たな理解を持って他者に向かい合えば、差別や偏見をなくしていけるのではないだろうか。
以上は私個人の考えであるが、もっとも主張したいことである。これからも機会があれば、同性愛問題だけでなく、差別問題についての理解を深めていきたい。

(40字×100行)





注:世間に広く知られているのは「レズビアン」という単語だが、今回のレポートの
参考文献である「レスビアンの歴史」にならって、「レスビアン」で統一した。






参考文献
Faderman,Lillian. 1991 ODD GIRLS AND TWILIGHT LOVERS ,New York :
Columbia University Press = 1996富岡明美『レスビアンの歴史』筑摩書房
古川 誠1993 「同性愛者の社会史」『別冊宝島176 社会学・入門』宝島社



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