セクシュアリティ。
に、ついて。


……と、ここまで書いただけでも、セクシュアリティってなに? という疑問が頭を回って、キーを打つ手が止まります。
いちおう、定義はされているはずなんですけど、学会で共通の単語として、意味は定められているはずなんですけど……それが、私にとって、うんうん、とうなずけるものかどうかというのは、また別のことです。
と、いうか、今、「これが『一般的』な『セクシュアリティ』の定義」として示そうと思ったら、近くにあった本の用語集に載ってない……(^^;; 辞書(プログレッシブ第2版)には「性的特質、性的能力」とか載ってますけど……いったい、「性的能力」ってなんでしょ?
と、まあ、読む人を惑わせるような文章はやめなきゃ、ですね。探します。


見つけてきました。


出典は「310人の性意識−異性愛者ではない女達のアンケート調査−」(性意識調査グループ編:七つ森書館)。用語集より、

●セクシュアリティ
広い意味では、性的なものすべての現象を指すが、本書では性的指向(sexual orientation)、または性的嗜好(sexual preference)を指して使われている。

……って、ことです。
といっても、きっと、これで説明終わり、というのは非常に不親切だと思いますので、このページでは、この言葉そのものについて少々語らせていただきます。
セクシュアリティ全体については、「性的なものすべて」を一回で語ろうなんてもとからムリ、と思ってますし……
卒論直前の思考整理のような項になるとは思いますが(と、いうか、それが目的なんですが)気楽に、おつきあいください。




さきほどの用語集からもうすこし。

●性的指向
sexual orientationの訳語。「セクシュアリティ」と同義で使われる場合も多い。性的欲望の向く対象がなにかということであり、たとえば、狭義にはそれが同性か異性かということ。同性であれば同性愛者、異性であれば異性愛者、両性であれば両性愛者であるが、Aセクシュアル(=エイ・セクシュアル。もしくはア・セクシュアル。一般に、性欲を持たない人、性的指向を持たない人を指す。)やわからないセクシュアルという指向性もある。

●性的嗜好
sexual preferenceの訳語。日本では長い間、同性愛とは性的嗜好のひとつとされてきた。80年代以降の権利獲得運動の中で、「同性愛者ということは趣味(嗜好)ではなく、人生そのものの問題である」という主張がなされ、性的指向と言い換えられるようになった。しかし一方では近年、同性愛、異性愛も含め、あらゆる性のあり方を相対化しようという動きから、「性的嗜好としての性」の復権も言われている。




……さて、このふたつについてですが、
卒論資料にするための本とか読んでおりますと、けっこう、「『性的指向』を『性的志向』『性的嗜好』と書いた新聞があり……」などという、怒りの文章を見つけます。この場合、後ろのふたつは本人の意志で変わるもの、ととれる表記であり、「本人の意志(意思?)では変更のきかない」「変わらない」「可変性の低い」、「性的指向」が、変わりうるものとして誤解されて受け取られてしまう……という理由による怒りである、と、私は読みました。本人の主張がそうであるかはわからないけど、私はそう受け取ってます。
で、
……性的なものって、変わる可能性はけっこうあるんじゃない? とか考えてしまう私は、こういう記述に出会うとどきっとします。
実際には、「性的な指向は変わらない」としている人々にとっては、「性的な指向は生得的なものであり、本人の意志で変えられるものではないし、異常として治療できるものでもない。矯正が必要なものではない」という意見は、実際に「性的指向」が変わるものか変わらないかということよりもむしろ、「治療」「矯正」が必要ではない、ということを主張するための、戦略としての主張……という面もあるようなんですが、
ケンカ売るわけじゃないですけど、私にしてみれば、そうやって「変わるものではない」という言葉を使うことによって、「変わった」人、「変わる」人、「変わるかもしれない」人……を、否定しているような気がして、いささか、ひっかかります。
まあ、それはそもそも私が「〜という人はいない」という言葉は、本当はいるかもしれない「〜な人」を否定しうる言葉だから使いたくない……と思ってるということに関係してるんですけど……それはまた、別の機会で語らせていただくとしまして、
「性的指向」は、変わるかどうか。それは「性的嗜好」や「性的志向」とどのように違うのか。
考えてみます。




さて、
私は、たしかに「性的指向」と「性的志向」と「性的嗜好」はそれぞれ違うと思いますけど、どの言葉がよくてどの言葉が正しいかということはないと思ってます。人には「性的指向」も「性的志向」も「性的嗜好」もあって、それぞれ人の「性」の違う面を表しているんじゃないですか? で、新聞で「性的志向」と書かれることにより、それが本人の意志(意思)で変えられるものと思われては、それが治療や矯正ができるものとして受け取られ云々、と、いうのは……
そのことから、私たちが考えなければならないことは、むしろ、
「性的指向」「性的志向」「性的嗜好」の意味がはっきりと定義されていないため、記述する人間がどの言葉を使っていいかわからず、表記が混乱すること。
や、
本人の意志(意思)の部分が社会的な価値評価をされ、世間の「常識」にあわないものは「治療」「矯正」すべきものとして考えられていること。もしくは、それができるものであると考えられていること。
……だと、思います。
「戦略」といわれたら、ああなるほど、とは思います。
ですが、そもそも私って、社会的な「常識」「一般」にケンカ売って行こう♪ という考えの持ち主なんで、「常識」とか「一般」を受容した上で「戦略」的に言説を展開する、とゆー立場がどうももどかしいんですよね。
と、いうか、その「戦略」によって犠牲になる、マイノリティ(少数派)の中のマイノリティ、その定義からこぼれるひと、自分の存在を否定された人……へのフォローは? とか思ってしまうんです。



……話がずれてきてるので、修正〜〜〜〜〜〜(^^;;。



「性的指向」は、変わるかどうか。
聞かれたら、私、「変わるんじゃない?」と、答えます。
そう答えることが反感かいそうだったら、「変わる可能性もあるかもしれませんね」と答えます。(弱気(笑))。
……と、いうか、
もとがどうで、いつからかわって、どこで変わったかどうか……なんて、
どうやって判断するんですか?
20才のときに変わったら、それは変わったものなの?
10才のときからそうだったら、それは生まれつきそうなの?
1才のときからだったら? 1ヶ月目からだったら? そもそもその段階でどうやって判断するの? 生まれつき、というのが問題なんだとしたら、それは受精卵の状態までもどるの? それとも人間はそもそもそうだ、というところまでもどってみるの?
だいたい、変わるってどういうこと?
ゆるやかな変化と急激な変化、潜伏してた変化、気づかなかったことに気づいて自覚すること、それまで否定してたことを受け入れること……
全部、まとめちゃえば、「変わる」ことじゃないのかしら?



たとえばね、それまで男性を好きだった女性が、あるときから女性を好きになったとします。
(最近、こういう書き方をすることも危険があるなぁと思うんですが……男性と女性の定義からはじめなきゃいけないなぁ、と思いつつ、まあ、「一般」例として。)
で、そのあと、ずーっと女性を好きになり続けたとします。
……これに対して、
「それはもとからあなたの性的指向は女性で、男性が好きだったのは社会的が強制異性愛社会だったから、男性を愛するように仕向けられていただけで、あなたの性的指向はここでようやく生来のものにもどったんですよ」
なんて、言われたら、
……どうですかね。
強制異性愛社会、というのは、全員が「異性愛」であるように「強制」される社会のことですね。(例のごとく、私の受け取りかたでは。)
いや、まあ、そういうこともあるだろうとは思います。生得的な性的指向に気づいたのが遅かった、という状況も。で、そういうふうに言われて、「そうだったのか!」とうなずいて、それで本人が納得して、安心する……というのは、当然ありうるわけですけれども、
そーいう例だけじゃない。……と、思います。
と、いうかね、生得的にどっちだったか、変化したのかしてないのか、は、判断し難いと思うんですよ。……と、いうか、判断しなくていいことじゃないかという気もしないではないですが。
私の「性的指向」が、生まれつきかそうでないのか。
変化したのかしてないのか。
これから変化するかどうか。
————そーいうこと、よりも、
「今」の方が私には大事。……って、それを言ったら話が終わっちゃいますけど……(笑)。
そのひとが、今、実際に、どうなのか。
これまで、どうだったのか。
そのひとにとって、その事実は、どういうことなのか。
いま、同性を好き、異性を好き、両性を好き、ということが、そのひとにとってどういう影響をあたえ、それが、その人が社会で生きていくうえでどのような状況を生むのか。
「人間」がそもそもどうか、「性」はどういうものなのか、そんなことよりも、
「どうあるべきか」とか、「定義がどうなってるか」とかいうことよりも、
実例。本人。希望。意志。意思。
そーいうもののほうが、大事。です。私にとってはね。
そう思えます。




だからね、「性的指向は変わるか」といわれたら、
「変わるんじゃない?」もしくは「変わる可能性もあるんじゃない?」と、
答えます。私。
実際にそうだという人がいると思うし、「変わる」という言葉の定義が明確でない以上、私にとっての「変わる」という言葉の意味で判断するしかないわけで、さらに、「変わった」かどうかは、そのひとが判断することで、周囲が定義できることでもないし、さらにいえば、「変わらない」ということで、「変わった」と認識している人の言葉を否定して傷つけることもあるだろうと思うから。
……学問的な「性的指向は変わるか変わらないか」という視点からはおおいにずれてますけど、
私にしてみれば、これはこういう問題なのです。
で、言葉が足りない部分は、次の項で補っていきたいと思います。
はい。


1998/12/08





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