< E D E N>







EDEN。という名を聞いた瞬間、ありがちな名前だ、と、ディールは眉をひそめて意見を述べた。所長は、はあ、と、所在なげに相槌を打つ。
「命名したのは私でして」
「そりゃすまなかったな」
反省している様子など欠けらも見えない表情で、仕切りの向こうに用意されている「EDEN」を見やる。
それは、人ひとり入れる大きさのカプセル。
「一回二時間の『EDEN』ね。手軽な楽園だな」
「はあ」
こほん、という咳払いは無視する。
その目はカプセルの表面のサファイア・ガラスを通して、中を見る。あくまで機械的な感じを無くし、母親の胎内をイメージしたというそれは、柔和な印象を与える流線型で統一されている。
「ガラスは、海の青です。万物の母である海のイメージでして」
「そんな売込のセリフはいらねーよ」
言いながら、ガラスの仕切りを指で弾く。
「俺が聞きたいのは、事実だけだ。……休暇中だったんでまだデータが頭に入ってない。通り一辺の説明でいい、頼む」
「わかっていらっしゃることは?」
「国家的プロジェクトだったってことと、アニマ・アニムスの利用と……結果が失敗だってことだな。何か間違ってるか?」
「いえ」
試験に答えるように返された言葉に、所長の顔はますます歪んだ。
「その通りです。『EDEN』は、世界的ストレスを解消するため、国家レベルの政策として開始されました。本人の脳波、それまでの人生のデータから、理想とする対象を識別し、理想の中で過ごすことによってストレスを解消させるというのがその手段です。と、いっても、実際に作り出すのはまだ不可能ですので、トランス状態における夢として、ですが」
「ああ」
「『EDEN』は、当初から話題を呼びました。そして、それに対応する人気もありました。人々はこぞってこの研究所を訪れ、ストレスを解消して帰って行きました。順調でした……最初は」
「…………」
「狂い始めたのは、一ヵ月前です。『EDEN』が一般公開されて一年目でした。そのころは、『EDEN』があまりに好評なので、大都市に端末を造ったところでして」
「いくつだ?」
「四ヵ所でした。すでに回収してありますが」
「まあ、そうだろうな」
「……いえ、回収したはずだったんです」
うつむいた所長を、促した。
「続きを」
「はい。……回収しました。あれだけ大がかりな機械です。盗めるはずはない。そして、あの複雑な機械を真似て造れるはずがない。それなのに……『EDEN』は、まだ世界に広がり続けています。『EDEN』による犠牲者は、伝染病のように、増え続けているんですよ」



「アニマ・アニムスについてはご存じですか? ……ディールさん?」
場所を変えた。テーブルを挟んでの会話はおさまりがつかないようで、ディールは絶え間なく体を動かしている。
「え? あ、ああ。アニマが……男性における理想の女性。アニムスが女性における理想の男性。無意識下における理想の象徴、だろう?」
「そうです。犠牲者は、どうも……そう、魅入られたような感じでして……。ストレスは解消されたものの、今度は『EDEN』に頭を占められて生活できなくなる。恋人や配偶者を持っていた人々もです。……相手は自分の理想ですからね。かなうわけがない」
「それは想定していなかったのか?」
「していました。……その限度を越えないようにしてあったはずなんです。別れの際には、現実世界に戻るようにアニマ・アニムスに諭させて、……最初は成功していた。後遺症が残るはずはなかったんです」
「そいつらの行動は?」
「『EDEN』に入り浸っていましたよ。回復したはずなのに、何度も、何度も。やがて家族から苦情が来て、ようやく異常が認められました」
「女に貢いでるみたいだな」
「そうですね。まさしくそうです。宗教か何かのようですよ。世界中に、『EDEN』そのものを神格化する団体も現われていましたから」
「そうなるまでわからなかったのか? 気づくのが遅すぎるな」
メモを取るわけでもなく、聞き流しているのではないかと思わせる。
まったく、どうしてこんな男が……所長の気持ちを読んだのか、ふと笑った。
「うちのメイン・コンピューターも神格化されてるけどな。おかげで、指令が下ったら拒否はなしだ。……不幸とあきらめてくれよ」
「いえ、そんな」
「アニマ・アニムス……トランス状態で、どこまでリアルにできる?」
「人によります。トランス状態についてはよくおわかりかと思いますが」
「本職だからな」
やれやれ、と、体を伸ばす。
「だけど、俺たちのトランスと一般のはタイプが違うんだぜ。俺たちのは人工AIと完璧に同調した状態で起こる世界だけど、一般のは大昔の麻薬みたいな……ハイパーになるってだけだろ」
「麻薬と違って依存性は低いはずですね。今回は特別な場合で」
「……そうか? そうでもないな。しょっちゅう問題がうちの課に持ち込まれてきてるよ。上流階級にはわからない話だろうが、麻薬と同じで、いいかげんなトランス・マシンだとそのままあの世行きだ」
「そこまで危険なものがありますか」
「一人一人の脳波に合わせてトランスを引き起こすのが面倒だってのはわかってるだろ? 安い奴だと、本人に合わせるんじゃなくて、本人を合わせるんだ。強引すぎて、拒否反応を起こすのさ」
「…………」
「俺は平気だけどな。それが俺の特殊能力ってやつでさ」
ディールの所属する特殊課は、現代の環境・文化に対する適応が高い人間ばかりを集めている。言ってしまえば、世界の変化についていけなくなった世代をサポートするために作られた新しい課だ。自然、構成員は若く、古い人間から見れば礼儀のない世代になる。もちろん、その中でもディールは特に礼儀のない人間だが。
「……俺は、電脳空間に対する適応力がやたらに高いんだ。昔、毒に強い人間ってのが存在しただろ? 似たようなもんさ。電脳空間での耐久力だけは、他人に負ける気がしねーな。今回の仕事は、それが必要らしくてさ……メイン・コンピューターによれば。だから、俺が回されたわけだ」
まったく、厄介なことに。と、口のなかで呟いたつもり……実際は、所長の耳に届くほどの音量だった。
「休暇中だったんだぜ。おかげでアヴィリアも腹を立てちまって」
「アヴィリア?」
所長は聞き咎めた。待っていましたとばかりに、ディールが笑う。
「そう、俺の相棒。休暇中に呼び出されたんで機嫌を損ねてて、まだこない」
おそらく恋人なのだろう。困った奴だ、というように言葉を続ける。
「そういうわけでさ、さっさとこの仕事を終わらせて休暇に戻りたい気分なんだ。あいつのご機嫌伺いもしなきゃならないんでね」
「……はあ」
「少々、手荒な方法でやらせてもらう。幸いトランス状態は俺の庭みたいなもんだ。直接『EDEN』に乗り込むことにする。中から原因を探って、探り出したらあとはあんたらに任せる」
「それは」
「どのみち、俺一人じゃできないんだ。探るのは俺の仕事、解決はアヴィリアの仕事だからな。アヴィリアがくればいいんだが、期待できないしなぁ」
愚痴の中に、のろけとしか聞こえない響きが交じる。不謹慎な、といいたい気持ちを堪えて所長が咳払いをすると、わかっていると手を振った。
「仕事は手を抜かねーよ。あと一時間したら始める。用意してくれ」







『EDEN』に精神を委ねてしまうならば、トランス状態にあっても、二時間は安全だ。しかし、『EDEN』の中に侵入してなお自我を保とうとすれば、どんな反発を喰うかもわからない。ディールのように適応力の高い人間でなければ、ひどく危険な仕事になるはずだ。
「見捨てられたって可能性もあるけどな」
『何かおっしゃいましたか?』
ぽつりと呟いた声を聞き咎めて、所長が通信で訊ねてきた。
「何でもない。これから作業を始める」
ディールは開いたサファイア・ガラスの中に体を入れ、とろりと粘着性のある液体に手を触れた。
「気持ちのいいもんじゃねーな」
『入ってしまえばその感覚がいかに心地よいものかわかりますよ』
「ああ」
ひとつため息をついて、思い切って体を沈める。手足を、体を、液体がゆっくりと包み込み……酸素マスクやトランス・マシンをつけた場所以外がすっかり抱き取られた。
『いかがです?』
「……悪くない」
『胎児に戻ったようでしょう』
「んな昔のことは覚えてねーよ」
不自然な声の、無感動な返事に、所長は額をひくつかせた。
『……では、始めます』
「ああ。……あ、ひとつ忘れてた」
『はい?』
通信の声は、また、人を食ったような響きを帯びている。
「通信回路をひとつ、俺の女神のために開けておいてくれ」
『…………は?』
「あいつは、回路一つぶっこわして強行突破……ってくらいはやりかねない女なんだ。……アヴィリアだ。たぶん途中で連絡があるだろうから、頼む」
女神。なんという気障な呼び方をするのだろう。所長は内心舌を巻いた。この男は、パートナーにそこまで惚れ込んでいるらしい。
『わかりました。用意しておきましょう』
「では、万事OKだ。スタートしてくれ」
ディールは、体に残っていた最後の抵抗を消し去って、目を閉じた。



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