Re:すみません、言い過ぎました

In Reply to: すみません、言い過ぎました
投稿者:きすぎじねん
投稿日時:2001年11月26日 14時44分23秒

> 済みません、言い過ぎました。
>
> お詫び致します。未熟ですね。

いえいえ、そういわれると、ちょっと困ります。^^;
言葉、しかもコンピュータで扱いうる記号としての言葉しか話せない世界では、「これぐらいのジョークは大丈夫だろうか?」とか、「私はなんとも思わないけれど、相手が。。。」ということは、トラブルの原因になることを、百も承知しているのにもかかわらず、ときどきやらかしてしまいます。
なるべく冷静に、かつ、私なりの「詩的感覚」を磨いて投稿しているのですが、うまく行きません。
今回は、<頭のよくなる薬>のアイディアで、ジョーカーさんが投稿されておられたので、「犬」が飲んだと想定して、犬の世界に認識論を投影してみようかなどと思いました。「猫が語る世界において、犬が語ることは当然だ」みたいな。(←発想が貧弱か?)
たしかに、投稿名の後ろの文字は、捉えようによっては不適切に写るかもしれません。
もし、そのように捉えられたのでしたら、(いや、そう受け取られてしまったので)お詫び申し上げます。m(__)m

思い立ったら、即投稿してしまいます。ただ、残念なことに、文中「人」と書いてしまったので、「犬」に変えようとしたところ、「削除パスが誤っています」と表示され、訂正も削除もできない状態に陥ってしまいました。(いくら犬でも<薬>を飲んだからといって、<人>とは言わんよね^^ゞ)
猫縞さんに連絡して、削除申請を出しています。
現在、私のホームページしかアクセスできない環境にいるため、そちらがどのようになっているかわかりません。
後程、確認したいと思っています。
それと、ホームページに「私の認識論」的なのを追加しました。ジョーカーさんとのやり取りからもヒントを得て、私のぐちゃぐちゃの頭をちょっとはすっきりさせたつもりです。
現在の私の考え方は、こちらがベースになっていると思ってください。
(完成した後で、猫縞さんのほうに投稿しました。「ちょっと、見て見てって」いう意味もありました)

> とにかく、じねんさんの力量は評価しております。
> ただ、それが、正面からぶつかる仕方で、じねんさんとは、お付き合いさせていただきたいのです。

ありがとうございます。^^V
申し訳ないのですが、ジョーカーさんのプロフィールなりがまったく見えないため、私なりの「想像上の」ジョーカーさんを私の「認識対象物」として作り上げるしかなく、感情が入った議論になると、収拾がつかなくなるように思われます。もう少し、ジョーカーさんの背景なりが見えてくると、ぶつかり易い(と思います)^^;。
もともと、「科学」と(おそらくご専門も)「哲学」(ですよね?)という、(ある意味)敵対する(していた領域もあると聞き及んでいます)領域がベースにあるため、先入観が強いという「先入観」があるような気がします。(←これも、先入観か?)
それと、(私にとって妙な言い回しとして感じてしまう)「哲学領域の言葉」を理解するのに苦労してしまいます。

最近、ようやっと、頭の回転が5年前のレベルに戻りつつあるような気がする来生自然です(笑)

先入観覚悟で話します。
多分、わたしの脳の活動レベルが、ジョーカーさんのそれよりも、劣ってきているのだとおもいます。(若い頃は、私も。。。^^)
人間とは不思議なもので、「私の悩み」を書いていた高校生時代は人の何倍も先を読めるような気がして、特に「考える学問」としての「理数」系が非常に好きでした。
でも、35を超えるあたりから、徐々に思考スピードにかげりが出てきたような気がします。(このままでは、リストラ???)
すこし、頭の体操をするようにして、ジョーカーさんとぶつかりたいものです。

一つ質問があります。(問うなといわれれば、問いたくなる^^;)

私が記載した「私が考える認識論」の中で、「学問」としての「科学」「哲学」ならば、何らかの方法で、伝達できなければならない。
という、意味の言葉を書きました。
これは、ジョーカーさんが書かれた「邪神について・・・」の冒頭で述べられたお考えとは、おそらく食い違っています。
(もともと、2次元空間に書かれたモデル図なんて、時間の概念も何もあったものではないのですが。。。^^;)
で、質問なんですが、
>哲学的な「問い」と「応答」の地平は、主体が自分自身の「生」の中
>で<わたしのモノ>として引き受けなければならないものです。誰か
>に代理してもらうわけにはいかない。違いますか? それぞれの主体
>の中で「反復」されるわけです。違いますか? それは、時代を越え
>て、永遠に繰り返される「問い」と「応答」の地平であって、代理し
>得ない者としての個々の主体が、そこへと赴くことになるフィールド
>でしょう? そこでは、歴史が通用しない、永劫回帰する時間、すな
>わち「反復される時」が広がっているのでは?

で、問題にされておられる「問い」と「応答」の地平は、ジョーカーさんが引き合いに出されたり、あるいは、私たち一般人が思っている「哲学的言説」とは、一線を引くべき物なのでしょうか?
もし、そうだとして、ジョーカーさんが、「私にとっての問いと応答」を、第3者の前にさらけ出したとたん、それは「哲学」ではなくなるのでしょうか?
ではなくて、「問い」に対する「応答」は、個人個人のレベルで解決しなければならないけれど、そのやり取りは時代を超えて「学問」の対象足りうるのでしょうか?
「哲学と思想の環」の主催者みたいな質問になってしまいました。^^;

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